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犬島アートプロジェクト

 ベネッセ・アート・サイトが瀬戸内海に展開する一連の美術施設は規模と持続性において日本に類例がない。作品と特定の場所を結びつける活動としてはアメリカのDIAアート・ファウンデーションによる一連のプロジェクトという先例があるが、実施主体に長期的な計画とそれなりの見識がなければ実現は難しいだろう。これらの活動は現代美術を所有すべきものではなく、管理保守すべきものととらえる点で画期的である。これまで主として香川県直島を舞台に繰り広げられてきたアート・プロジェクトが近年、近郊の犬島にも広げられたと聞いて、遅ればせながら出かけてみた。
 犬島アートプロジェクトと名づけられた一連の計画のうち、現在完了している作品は建築家の三分一博志と美術家の柳幸典がかつての銅の精錬所の内部を改造し、設置した「精錬所」である。かつての産業遺産を美術施設に転用した近年の例としてはテート・モダンが挙げられようし、実際いくつもの煙突やサンルーム、さらには発電所の廃墟まで内包した精錬所は遠景においてテート・モダンを連想させないでもない。現在、施設の見学は基本的に事前予約のツアー形式をとっており、私も事前に申し込んだうえで直島から45分ほどの海路を犬島に向かった。到着すると、船着場の傍らの「Inujima Art Project」と表示されたギャラリーで登録を行い、グループに分かれて約一時間の見学ツアーに参加した。ツアーは三分一がこれまでに実現したプロジェクトの模型の見学に始まり、続いて10人ずつ二つのグループに分かれて精錬所を巡回する。最初に三分一の設計理念がどのように精錬所のリノベーションに反映されているかを実際に精錬所の内部を歩きながら体験し、続いて柳によってこの精錬所のために制作された作品を見学し、植物を介して汚水を循環させるエコ・システムについての説明を受ける。そして最後に大規模な産業遺産である精錬所の廃墟の中を散策する。
 三分一によるリノベーションは明らかにエコロジーの思想と通底している。つまり太陽、地熱など自然のエネルギーを利用することによって、空調や照明などを可能な限り自足させ、周囲の環境への負荷を減らすという方針が貫かれている。具体的には多くの鏡をとりいれて、半分地中に建設された精錬所内の回廊を自然光の反射によって照らし出し、さらにチムニールームやサンルームといった独特の空間構造を生かして温度差を作り出した空気を建築の内部で対流させ、夏は室内を冷却し、冬は逆に暖める。迷路状の光の回廊はロバート・モリスやオノ・ヨーコの一連の作品を連想させないでもない。私が訪れた日はさほど暑くなかったため、対流による空調の効果のほどはよくわからなかった。
 1909年に建設された犬島精錬所は銅価格の暴落のため、わずか10年ほどしか稼動しなかったという。巨大な施設が建築されてまもなく放棄されるという事態自体も現代美術と無関係ではない。ロバート・スミッソンは幾度となく遺棄された場への共感を語っているし、崩壊寸前にある大煙突(無数のひび割れが視認され、それゆえツアー中、ガイドの指示なき場所への立ち入りは固く禁じられている)は彼がいうエントロピーの増大を例証するかのようだ。ところで銅の精錬は自然破壊や公害と深く関わっている。瀬戸内海の島に精錬所が建設された理由は原料を輸送するうえでの利便性とともに精錬時の煙害の被害を抑えるためであった。私はエコロジーといった誰もが批判しづらい理念によって作品を統制することを好まないし、そのような作品はくだらないと考えるが、今述べたような歴史的背景を勘案する時、三分一がこの施設を先に述べたようなコンセプトに基づいてリノベーションしたことに深い必然性を感じる。いうまでもなく建築家の選択はベネッセ・アート・サイトがいかなる哲学の下に一連のプログラムを推進するかという問題に関わっている。たとえ地中に造られたとしても圧倒的な存在感を示す安藤忠雄の建築群の傍らに置く時、廃墟に寄り添い見えない建築とも呼ぶべき三分一のプランは対照的である。直島には外国人の建築ファン、美術ファンが多く訪れる。特にヨーロッパにおけるエコロジーの高まりを考慮する時、「精錬所」のプランは今後、多くの関心を呼ぶこととなるだろう。
 三分一の建築に対して、柳幸典は精錬所の内部にかつて松濤にあったという三島由紀夫の旧宅を移設するという作品で応じた。三島の旧宅の部材を微妙にずらしながら移築し、カラミ煉瓦やスラグといった精錬所特有の素材と関連づけたインスタレーションの完成度は高く、これまでの柳の仕事の集大成といってよかろう。柳はこれまで国旗やドル紙幣、あるいは憲法といった一つの社会に共有された記号を作品の主題として用いてきた。インスタレーションにおいては三島の作品「英霊の声」および市谷駐屯地での演説が作品の中にテクストとして引用されている。銅の精錬、輸出という事業が明治期の殖産興業の根幹をなしていたことを考えるならば、住友財閥とも関係のあったこの精錬所自体が一つの国家意志を体現したものであり、国家主義者たる三島との関係を推定できない訳ではないが、モネからタレルまでサイト・スペシフィックな作品によって構成されたアート・サイトにおいて、犬島精錬所と三島の結びつきの必然性が私には今ひとつ理解できなかった。ガイドの説明によると、柳がこのインスタレーションを構想するうえで背景となったテクストとしては上記の二つのほかに、三島が自決の三年前に発表した「太陽と鉄」というエッセーがあるという。タイトルから強くプロジェクトとの関係が暗示されるこのエッセーを私は近いうちに読んでみようと思う。
 アメリカ中西部のアースワークやタレルの一連の作品を連想すれば直ちに明らかなとおり、サイト・スペシフィックな作品はその場に立つまでの道行の困難を作品の中に内包している。この点で瀬戸内の島嶼というのはまことに魅力的な舞台設定であり、私は今でも初めて直島を訪れ、ベネッセハウスと家プロジェクトに見えた時の感銘を思い出すことができる。ハイ・シーズンだったこともあろうが、今回、直島を訪れて強く感じたのは人が多すぎるということだ。最初に訪れた際にはひなびたお好み焼き屋しかなかった宮浦港には巨大な「海の駅」なる施設が完成し、人々でごった返していた。かつて同じ地で現代美術との思いがけない、そして贅沢な出会いを経験した者としては残念に感じられる。
 
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私は商業主義と現代美術は両立しないと考える。観光地、リゾート地と化した直島から犬島へ、現代美術のフロンティアを広げることは一つの方法であろう。私はこれらの島をめぐる状況から、かつてのニューヨークを連想した。先端的なギャラリーが密集したソーホーがいつのまにか大衆化し、高級ブティックの街と化し、ジェントリフィケーションを嫌ったギャラリーは例えばチェルシーへと次々に拠点を移した。同様の事態は今後これらのアート・サイトで繰り返されるかもしれない。しかしいずれにせよ集客と利潤追求に明け暮れる昨今の「指定管理者」美術館から駆逐され、帰属すべき場を失ったこの国の現代美術は今やかかる実験を許容する一私企業の度量に頼らねば成立しえないほど深刻な危機に瀕しているのである。
by gravity97 | 2008-08-30 15:36 | 現代美術 | Comments(0)

Manuel Gottsching [E2-E4]

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 マニュエル・ゴッチング(ゲッチングと表記される場合もある)はジャーマン・アシッド・ロックを代表するアシュ・ラ・テンプルのリーダー。1971年にゴッチングとヘルムート・エンケ、クラウス・シュルツによって結成されたアシュ・ラ・テンプルは73年以降、ゴッチング一人のプロジェクトとなり、76年よりアシュラと名を変えた。
 私は中学の頃よりプログレッシヴ・ロックに耽溺していたから、アシュラにたどり着くまでにさほど時間はかからなかった。最初に聞いたのは1978年に発表された[CORRELATIONS]であった。驚いたことに当時は輸入版を捜さずとも国内版が存在し、普通のレコードショップで買うことできた。確か「水平音響への誘導」という意味不明の日本語タイトルが付されていたと思う。口からメタリックな液体を吐き出したようなシュールなジャケットに魅されて「ジャケ買い」したことを覚えている。LPが主流であった時代にはしばしばそのような衝動買いがありえた。特にプレグレッシヴ・ロック系のジャケット・デザインはヒプノシスやロジャー・ディーンのように傑出したデザイナーやデザイナー集団が手がけることが多く、ジャケットのデザインというより一個のアートワークとしてとらえることができた。CDそしてインターネットからのダウンロードへと音源が変わりつつある今日からは想像できない状況である。[CORRELATIONS]の前年に発表された[BLACKOUTS]も確か国内版が存在したはずであり、ほぼ同じ時期に聴いた。いずれのアルバムもシーケンサーとキーボードによってフレーズが反復される中、ゴッチングのギターが何層にも絶妙に重ねられ、トリップ感全開である。
 トリップと記したが、ジャーマン・アシッド・ロックのアシッドとはLSDの俗称である。アシュ・ラ・テンプル名義で発売された「7 Up」はその名のとおり、LSDを溶かしたセブンアップを飲みながら即興的に演じられたという伝説があり、LSDの導師ティモシー・リアリーが関係している。ところでドラッグにアッパー系とダウナー系があることは知られているとおりだが、ゴッチングの楽曲も両者に明確に二分されるように思う。タイトルどおりさざめく光の雨のごとき「Sun Rain」、あるいは後年の作品となるが[Tropical Heat]に収められた「Mosquito Dance」などにおいてはフレーズの反復がひたすらテンションを高めていくのに対して、「Sun Rain」が収められた[New Age of Earth](ニュー・エイジという言葉が76年の時点で使用されている点に留意されたい)中の「Ocean of Tenderness」そして大作「Nightdust」は逆に聞く者の内面へと沈潜していくような趣をもつ。タンジェリン・ドリームやクラウス・シュルツなどを想起するならば、同様の傾向は同時代のドイツである程度共有されていたことが理解されよう。ドラッグという参照項が与えられた時、熱狂と鎮静という、相反する方向性の曲が同じアルバムに収められていることはむしろ自然にさえ感じられる。[New Age of Earth]から[Belle Alliance]まで、つまりアシュラ名義で発表された時期の作品はキーボードとギターのいずれが主体となるかの差はあるが、このような二極を往還する構造をもつ。この時期はレコードからCDへの移行期にあたり、私は[CORRELATIONS]まではLPで、それ以後はCDで所持している。
 1984年にゴッチング名義で発表された[E2-E4]でこのような印象は一新された。60分近いタイトル曲のみが収録されたこのアルバムにおいては反復構造がかつてなく大胆に取り入れられ、最初から最後まで反復によって構成されているといってもよい。比較的類似した構造の曲としては74年に発表された[Inventions for Electric Guitar]に収められた「Echo Waves」が挙げられようが、圧倒的に洗練されている。その頃既に私はミニマル・ミュージックになじんでいたため、この名曲をごく自然に受け入れたが、ミニマル・ミュージックを経由しない聴衆にとってこのような展開はやや意外に感じられたかもしれない。しかし[E2-E4]はスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスの作品とも根本的に異なる。ミニマル・ミュージックがよくも悪くも理詰めに構成され、ある程度聞き込むと反復の規則性や加算構造が理解できるのに対して、ゴッチングの原理は計算ではなく即興であり、この曲は中期アシュラ特有の透明なトランス感に満ちている。先ほど述べたとおり、80年前後にもアッパー系、反復系の名曲がいくつか存在し、例えば[BLACKOUTS]劈頭の「77 Slightly Delayed」はタイトルから推測されるとおり、同じフレーズが微妙に遅れながら反復され、ライヒのいう「位相ずれ」に近い手法がみられた。しかし多くの曲において終盤に一種のカタルシスが準備されていたのに対し、[E2-E4]においてはそのようなオーガズムは最後まで到来しない。しかし一時間にわたって繰り返される音の連なりに耳を委ねることのなんという快楽。おそらく演奏という点においてもゴッチングはミニマル・ミュージックと本質的に異なる。私は難度かライヒの楽曲が演奏される場に立会ったことがある。ライヒの曲は難度が高く、演奏者が緊張を強いられていることが客席からでも容易に理解された。これに対してゴッチングがいわゆる「一発取り」で録音したという[E2-E4]からは適度の緊張とともに演奏に身を任すことのエクスタシーが感じられるのだ。反復が快楽へと道を開く[E2-E4]が後年、ハウス・ミュージックの文脈で再評価されるにいたったことに何の不思議もない。反復と快楽の関係についてはラ・モンテ・ヤングを召還していずれ別の機会に論じてみたい。
 なお[E2-E4]は05年3月に東ベルリンで弦楽アンサンブルとゴッチングの共演で演奏され、ライヴも発売されているが、短縮されたためか、妙なメリハリがあって原曲に大きく劣る。またゴッチングは昨年メタモルフォーズというイヴェントのために来日し、日本でも[E2-E4]を初演したという情報があるが、今のところ詳細を確認できていない。ゴッチングの来日は初めてではなく、アシュラとして97年に来日した際のライヴが現在2枚発表されている。このライヴCDは入手が難しいが、収録された「Echo Waves」を聞くならば、30年の時を経ても全く鋭さの衰えることのないソリッドでパワフルな演奏にあらためてゴッチングという天才ギタリストの真髄に触れる思いがする。
by gravity97 | 2008-08-20 21:13 | ロック | Comments(0)

NEW ARRIVAL 080817

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by gravity97 | 2008-08-17 21:46 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

フェルメール展

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 上野でフェルメールを見る。
 17世紀、オランダ、デルフトの画家、フェルメールが制作した絵画は異説あるものの35点しか現存しない。しかも世界各地に散在して秘蔵されているため、全てを見ることは困難をきわめる。このため、美術通はフェルメールを何点見たかを競い、かくいう私も海外出張のたびに、事前に出張先やその近辺にフェルメールが所蔵されていないかを調べ、何十年もフェルメール巡りを続けてきた。トマス・ハリスの『ハンニバル』の最後の部分にバーニーという登場人物がブエノス・アイレスの国立美術館で展示されているフェルメールをある事情によって見逃すというエピソードがある。「バーニーがついに見ずに終わった唯一のフェルメールは、ブエノス・アイレスの美術館に展示している作品である」という一文はハリスらしいディレッタンティズムが横溢している。(ただし実際にはアルゼンチンにはフェルメールの作品は存在しない)
 フェルメールの作品は過去にも何度か日本で公開され、2000年には大阪市立美術館で5点を集めた「フェルメール展」が開催された。しかしこの作家に関して、私は収蔵された場所で作品を見るという原則を自らに課しており、たまたま訪れた展覧会に出品されていた作品を見たことはあっても、フェルメールを目的に国内の美術館に足を運んだことはない。そして実際、近年日本で公開されたフェルメールの作品の多くを私は所蔵されている美術館で見てきた。今回の展覧会の出品作も大半は既に実見していたが、7点のうち2点が個人そしてこれからも訪れることの比較的困難な美術館に所蔵されていることを知り、あえて方針を曲げて上野に赴くことにした。フェルメールと銘打った展覧会の常としてフェルメールの作品を取り巻くように同時代のオランダの作家の作品が展示され、今回も「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」というサブタイトルが示すとおり、デルフトとゆかりのある作家たちの作品を合わせて展示していた。展覧会が始まってまもなく上野を訪ねたため、チケットのために行列するほどの人出ではなかったが、予想通り会場はかなり混雑していた。
 今回の展示のハイライトは2004年にも東京と神戸で公開されたウィーン美術史美術館所蔵の《絵画芸術》のはずであった。近年、森村泰昌が独自の解釈とともに取り組んでいるこの作品を私は世界で一番美しい絵画と考えている。しかしこの作品は展覧会に出品されていない。展覧会のホームページを参照するならば最初のページに「《絵画芸術》出品中止のお知らせ」という告知が掲出されており、それによるとオーストリア教育文化省は作品の劣化を防ぐため、7月31日にこの作品の出品を見合わせる決定を行い、これに対して主催者側は新たにアイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵のフェルメール作《手紙を書く婦人と召使い》を追加出品すると7月24日に発表している。タイミングはともかく告知は「(追加出品によって)本展で展示されるフェルメール作品は、日本初公開を含む過去最多の7点となります」と結び、逆に得意げでさえある。しかし当初予告されていた《絵画芸術》が出品されていないフェルメール展、これを羊頭狗肉と言わずして何と言おう。これまで現地で作品を実見した印象として、私はフェルメールの作品はそのほとんどが傑作と考えていたが、今回の展示を見て、必ずしもそうではないことが了解された。つまり今回の展覧会はさほど質の高くないフェルメールの作品によって構成されている。作家の真骨頂と呼ぶべき風俗画が少ないこと、小さな作品が多いことなど、その理由を挙げることは容易である。しかしマウリッツハイスやアムステルダムの国立美術館であれば、これらの作品の傍らにフェルメールのほかの優品が展示されているため、画家の天才は直ちに感得できる。しかし今回の展覧会でフェルメールの真髄に触れることはできない。この意味で《絵画芸術》の不在は致命的といってよい。個人的には未見であったアイルランドのナショナル・ギャラリー所蔵の優品、おそらく今回の展覧会で最上の作品を見る機会を得て、7点のフェルメールの中で初見が3点というのは悪くない数字であろう。また出品されていたデルフトの画家の作品についても様々な発見があった。しかしこの展覧会に「フェルメール展」の名を冠し、フェルメール芸術の全貌に触れる機会のごとく喧伝することに企画者の良心は痛まないのだろうか。
 確かにフェルメールの作品は希少である。しかし生涯に描いた35点中の7点を集めたといっても、作品の質が担保されない限り、その天才に触れることはできない。この展覧会は1600円というこれまた異例の入場料である。家族で美術館を訪れ、カタログを購入するならば、一万円近くの出費となる。高い入場料を払って必ずしも質の高くない作品を雑踏の中で見ることを余儀なくされる。この展覧会を訪れたことによってさらにフェルメールを見たいと望む者は多くないはずだ。私はこの展覧会に《絵画芸術》が出品されなくてよかったと心から感じる。人類の至宝と呼ぶべきこの絵画を何万キロも運び、一時的であるにせよ高度数千メートル、極限的な気圧や気温に接する苛酷な条件の中に置くこと、炎天下の東京の外気に晒すことに一体何の意味があるのか。そもそも先述のとおりこの作品は2004年にも日本に将来されているではないか。莫大な借用料を払って作品に輸送の負荷を与え、さらにはその借用料を回収するために雑踏の中に置くこと。展覧会の名を騙るこのくだらぬ営利行為に私は何一つ積極的な意味を見出すことができない。新聞社の「文化」事業部と美術館は一体いつまでこのような愚行を繰り返すのだろうか。

 2003年の秋、私は出張でウィーンに滞在した。前日の夕方、美術史美術館を訪れ、《絵画芸術》の展示場所を確認した私は、次の日の朝、美術館が開くとともに作品の前に向かった。それは比較的奥まった小さな部屋に展示してあり、驚いたことには近くに看視もいない。それから半時間ほどの間、私はただ一人でこの絵画に対した。それは圧倒的で濃密な時間であった。フェルメールの傑作と一つの場を共有する体験。これまでの生涯で、私はあの時ほど見ることの悦楽に浸ったことがない。静かな光が充溢する画家のアトリエの情景と私が存在する今ここの空間がなにものにも隔てられることなく、連続すること。それは私の一生がこの一瞬のためにあってもよいとさえ思われる時間であった。仕事がらみの出張であったとはいえ、私は《絵画芸術》を見るために日本からはるばるハプスブルグの首都まで赴いた。それは確かに一つの巡礼の旅であった。世界にはかかる敬意とともにまなざしを向けるべき絵画が存在するのである。
by gravity97 | 2008-08-12 22:10 | 展覧会 | Comments(0)

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by gravity97 | 2008-08-03 10:59 | BOOKSHELF | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック