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アヴァンギャルド・チャイナ

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 やや旧聞に属するが、国立新美術館で開催されていた「アヴァンギャルド・チャイナ」を訪れた。予想以上に過激で新鮮な内容に驚く。今日、これほど刺激的な作品が量産されている地域をほかに思い浮かべることは困難である。
 今回の展覧会では1980年代中盤から今日までの20年間の中国の現代美術を紹介している。わずか20年余の短い期間にも関わらず、作品の傾向や表現方法がなんと多様なことか。メインタイトルに「中国の現代美術」という名が冠されていない点は示唆的である。次に述べるように、今回の展覧会ではこの20年間の中国本土における「現代美術」を概観することが意図されているのであるが、ここに出品された作品を地域や歴史として統括することにあまり大きな意味は感じられない。過激さにおいて際立ったこれらの作品を総括する名称を与えるとすれば、歴史性の含意を切り捨てたうえで、表現の先鋭性を意味するアヴァンギャルド以外にはありえないだろう。
 確かに89年、ポンピドーセンターでの「大地の魔術師たち」の頃から、パリやニューヨークを経由して国外で活動する中国の若手作家に関する情報が入ってきていたが、今回出品された作品は基本的に80年代以降、中国国内で活動した作家によって制作されている。つまり、天安門事件前後の社会状況に直接対峙した作家によって構成されているのである。この点は同じ「社会主義国」の美術であっても、ソビエト末期の作家たちの受容と対照を示している。カバコフに代表されるとおり、文化的亡命を果たしたいわゆる「ソッツ・アート」の作家たちが資本主義体制内でそのオリジナリティーを発揮したのに対し、これらの作家たちはあくまでも体制内に留まりながらアヴァンギャルディズムの可能性を問うのである。ナチスやスターリン治世下における芸術の在り方を想起するならば、中国における共産主義とアヴァンギャルドの共存はきわめて特異で問題提起的である。しかしこの問題はブログで論じるには大きすぎる。ひとまず若干の作品について所感を記す。
 展覧会は「アモイ・ダダ」と呼ばれる動向から出発する。美術館で展覧会を開き、展覧会終了後に美術館の前庭で出品作品を焼却するという1986年のイヴェントは前例がない訳でもないが、美術史のタブラ・ラサという点で新しい美術の出発点を画しているだろう。ここに出品された作品全体をなんらかの美術運動との関連づけることは不可能であるが、否定と破壊という点で多くの作家にダダイスムの精神が認められる。例えばアモイのイヴェントにも参加した黄永砅という作家は『中国絵画史』と『現代絵画簡史』という二冊の書物を洗濯機で攪拌した作品も出品しているが、この作品は直ちにジョン・レイサムが1966年にクレメント・グリーンバーグの著書『芸術と文化』に対して行なった冒瀆的なパフォーマンスを連想させる。黄がレイサムを知っていたか否かは不明であるが、この作品は権威や絵画史への反抗の身振りであると同時にもはや歴史を参照せずとも作品が可能なポスト・モダンの到来を暗示している。これを証明するかのように展覧会ではパフォーマンスから、ポップ・アート、幾何学的抽象からコンセプチュアル・アートまで、百花斉放というより何でもありといった印象の多様な表現が繰り広げられている。
 あらためて感じるのは身体性という問題が多くの作家にとって中心的な課題となっている点である。今回、最も衝撃的な作品は馬六明と張洹のパフォーマンスのヴィデオであった。いずれの作家においても作家の身体が表現の直接的な媒体とされ、私はこれらの作品から50年代の芦屋や60年代のウィーンを連想した。これらのパフォーマンスの共通点は全裸で演じられる点である。魚を生きたまま熱湯の中で煮る。宙吊りになった作家の身体から抜き取った血液を煮沸する。暴力的な衝動が馬にあってはサディズムへ、張にあってはマゾヒズムへ転化されて、センセーショナルに提示される。肉片を指で揉み続ける映像を提示する顧徳新、あるいは皮膚をかきむしる行為を淡々と映示する張培力の作品はアンチ・クライマックスという手法においてミニマリズムの反映を認めることもできようが、例えば後者をウォーホルの一連のフィクスト・ムービーと比較する時、やはり素材としての身体が突出していることは明らかである。肉片や血液、肉体は撮影される対象というより、作品の素材として直接作家の手によって変形される。おそらくこのような傾向の延長上に孫原と彭禹という二人の作家ユニットがいる。カタログを読んでかつて横浜トリエンナーレで人間の脂肪を塗りたくった柱を出品した作家であったことを思い出したが、今回の展覧会にも本物の老人そっくりな13体の樹脂製人形を電動車椅子に乗せ、室内を自走させるというショッキングな作品を発表している。カタログによれば彼らは実際に人間の死体を利用した作品を制作したらしい。私の知る限り、人間の死体を使用した作品は欧米に存在しない。死体が売買されているといった事情はあろうが、人間の尊厳というか表現をめぐる一線をかくも軽々と踏み越える作家の出現は私にとって驚異であった。しかしこれについても作家解説の中で触れられている程度で、資料が少ない。写真の掲出は困難であったかもしれないが、少なくともいくつかのブログやホームページで企画者側が説くように、多くの困難を越えて開催にこぎつけた展覧会である以上、出品作家に関してももう少し詳細なデータが準備されるべきではないだろうか。ハプニングやアクションの調査が困難であることはよく承知しているが、明らかに身体的な表現が現在、中国で沸点に達していることが了解されるがゆえに、出品作品以外の情報も望まれるのである。私は日本の戦後美術においても身体を用いた表現が一つの系譜をかたちづくっていると考えるが、中国の状況を勘案するに、それは東アジアという風土と関係を結ぶのであろうか。この問題はさらに広い視野から検討する必要があるだろう。
 平面作品や写真を用いた作品も完成度は高く、展覧会はきわめて充実している。平面に関してはこれまで国内でも紹介された作家が多く、既視感があったが、そこに並べられたイメージとポップ・アートあるいはシミュレーション・アートとの関係などは今後問われるべき課題であろう。これらの作品はなんらかの文脈の中に整理して論じるべきか、それとも一つの現象として投げ出すことこそが、作品の正しい遇し方なのであろうか。この問いに答えるためにはもう少し多くの作品を見る必要があるように感じられた。それにしてもこの20年に限っても、ニューヨークやパリで開かれる作家の個展が毎月、美術雑誌に掲載される一方で、日本海を隔てた隣国の現代美術がこれまでほとんど紹介されなかった状況は異常である。ほぼ同じ時期に東京国立近代美術館で開催されていた「エモーショナル・ドローイング」も含めて、ようやく私たちは同時代のアジアの美術をリアル・タイムに論じることができるようなキューレーションの視座を手に入れたといえるのではなかろうか。
by gravity97 | 2008-11-10 17:40 | 展覧会 | Comments(0)

モーリス・ルイス 秘密の色層

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 川村記念美術館でモーリス・ルイスの回顧展が開かれている。単独の回顧展としては1986年の滋賀県立近代美術館での展示以来、22年ぶりとなる。展示は前回が16点、今回が15点とほぼ同数の絵画で構成されている。ルイスの絵画は多く縦長の「ストライプ」を除いてほとんどが3メートルを越す大作なので、美術館の空間といえどもこの点数が限界ということであろう。
 滋賀で回顧展が開かれた頃はまだ国内の美術館にルイスの作品は収蔵されておらず、この意味でも画期的な展観であった。点数こそほとんど同じであるが、今回の出品作には一つの大きな違いがある。滋賀で展示された作品は全てアンドレ・エメリック・ギャラリーから出品されていたが、今回の出品作は3点を除いて、国内の美術館と画廊のコレクションから選ばれている。つまりこの展覧会は20年の間に蓄積された国内のルイスのコレクションの厚みを示す内容といってよい。この厚みは近年も増しており、最近も私はある美術館を訪ねた折にまもなく収集委員会に諮られるというルイスの「ヴェイル」を収蔵庫で見る機会を得た。その作品はイメージが縦向きに分割され、ルイスのカタログ・レゾネを参照しても十数点しか作例のない「スプリット・ヴェイル」の中の一点であった。しかしこの作品はむしろ例外であって、日本の美術館がルイスの作品を収集する場合、「ヴェイル」もしくは「アンファールッド」の典型的な作品を求めるだろうから(「表現性」に乏しい「ストライプ」は日本の美術館の感性では理解されにくい)結果的にコレクションの層は厚くなったとしても、同じような作品が収集されがちである。この意味で大半が国内コレクションによって構成された本展の限界はおのずから明らかである。22年前の展示は私がルイスをまとめて見る初めての体験であったことを差し引いて考えても今回より明らかにヴァリエーションに富み、ルイスの展開を通覧するうえで充実した内容であった。
 しかしヴァリエーションや展開とかいった概念にこそルイスが疑問を投げかけたことはいうまでもない。ルイスは短い生涯の中で600点以上の作品を残したが、その大半はヴェイル、アンファールッド、ストライプの三つのタイプに分類される。作家の意に沿わない作品をほとんど破棄したため、作品の展開は移行期を伴わず劇的である。そもそもそれは「展開」なのであろうか。ルイスの絵画はフォーマリズム美術の頂点に位置するにも関わらず、実は「近代絵画」、「カタログ・レゾネ」、「美術史学」といったモダニズムのディシプリン(規律/訓練)を内側から破壊するような過激さをはらんでいる。しかしこの問題はブログの中で論じるにはあまりにも大きい。ひとまず展覧会の所感を記そう。
 86年の回顧展以後、私は国内外で多くのルイスの作品を見てきた。しかし最初に述べたとおり、ルイスの絵画は巨大であるため、一点、多くとも二点程度が展示してある場合がほとんどで、作品を比較することは困難であった。これに対して、7点のヴェイル、3点のアンファールッド、3点のストライプで構成された今回の展示を通覧する時、私たちは同じタイプの作品、端的に国内の美術館に所蔵されたヴェイルを比較することができる。今回出品されたヴェイルは多くが内部を二つの垂直線で三分割されたトリアディック・ヴィイルであり、相互を比較する時、質的な格差も明らかとなる。私の印象では出品作中、滋賀県立近代美術館所蔵の《ダレット・ペー》が圧倒的に優れている。比較的均質化された画面ながら、ステイニングが相互に透過する様子が明瞭に知覚され、最上部において混色される以前のマグナ絵具の発色を確認することができる。また画面右側にはところどころ色彩の粒子が垂下する様子が認められ、これはまさに光の粒子とでも呼ぶべき絶妙の効果をもたらしている。このような作品はあまり類例がない。海外で多くのルイスを見てきた者として私はかかる判断にある程度自信があるのだが、興味深いことにカタログで見る限り、このような特質を認識することはきわめて困難である。私たちは図版を介して作品を理解することに慣れているが、カラーフィールド・ペインティングにおいて実作と図版の懸隔はことに著しい。ルイスの作品は実作を眼前としない限り評価することが不可能であることを私はあらためて実感した。しかもこのような評価は同じタイプの作品を比較することによって初めて可能となるから、自らの目によってこのような判定を下すためにはるばる佐倉まで赴くことの意義は十分にあるだろう。
 アンファールッドは3点とも国内からの出品であり、既に見ていた。今さらながらこれらは異例きわまりない絵画である。画面の中央に向かう時、そこに広がるのは地塗りさえされていないロウ・カンヴァスであり、特に画面に近接する時、両端のイメージさえほとんど視界に入ることはない。これほど大胆なイメージは絵画史上、例をみないように感じる。今回の展示で工夫が感じられたのはルイスのアトリエの再現である。作家のアトリエの再現といえば、最近では98年のニューヨーク近代美術館におけるジャクソン・ポロックの回顧展に先例がある。近代美術館に足を運び、再現(というより移築)されたアトリエに内部に入ると床に飛び散った生々しい塗料の跡とともにあらためてポロックの絵画のスケールが感得されたことが想起される。これに対して今回はまことに形式的な手法が用いられ、アトリエのスケールのみが再現されたニュートラルな小部屋が会場内に設えられていた。あらためて驚く。このような狭い空間では作品を一望どころかアンファールッドにいたってはステイニングの広がりを確認することさえ困難ではないか。作家の死後、ほとんどがロール状に巻かれた状態で遺されていた多くの作品は批評家クレメント・グリーンバーグの指示に従って裁断された。作品の軸性や範囲についてこれまで何度か疑問が呈されたことはよく知られている。私はグリーンバーグの決定自体はある程度の妥当性を有していると思うが、作家が作品の最終的なイメージに確信があったとは思えない。ヴェイルの方向、ストライプの裁断範囲について、作家自身の判断の揺れはこの点を傍証している。作品の売買、あるいは展覧会での展示という、いわば商業的、資本主義的な要請によってルイスの作品が現在あるような画一的なイメージへと収斂したとすれば、モダニズム美術と資本主義の関係に一つの問題を提起するように感じる。
 しかし実際にルイスの作品を見る体験はこのような小難しい議論とは無関係である。今回の展示を見て、私はあらためてルイスが光の画家であるという思いを強くした。なんら具体的なイメージが描かれていないにも関わらず、ヴェイルの錯綜するステイニングの中から、アンファールッドの滴りの間から、充溢する光が感受される。時代も作風も全く異なるが、私は光という主題に沿って、フェルメール、モネ、ルイスという三人の画家の名を連ねたいという誘惑に駆られる。彼らの絵画はいずれも光と関わり、おそらく人間が創造した絵画の中で最も美しい。瞬間性、変化や移行、あるいは持続性。彼らの絵画が常に時間との関係において語られることもまた暗示的ではないか。
 最後にカタログについて記す。今回の展覧会は「秘密の色層」というサブタイトルが付され、メインテクストもルイスの技法に関わる内容であった。ルイスに関しては技法の問題が議論の一つの中心となっていることは否定しない。しかし日本で20余年ぶりの展覧会である。当然、ルイスの画業全般に関する概論的なテクストがあってよかったのではないか。そもそも今回の展覧会においてルイスの技法に焦点をあてる必然性は特に感じられない。ルイスを論じることの困難は十分に理解するが、困難を回避するために展覧会のテーマが設定されたとすれば、美術館の姿勢としてなんとも安易に感じられる。
by gravity97 | 2008-10-07 22:23 | 展覧会 | Comments(0)

フェルメール展

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 上野でフェルメールを見る。
 17世紀、オランダ、デルフトの画家、フェルメールが制作した絵画は異説あるものの35点しか現存しない。しかも世界各地に散在して秘蔵されているため、全てを見ることは困難をきわめる。このため、美術通はフェルメールを何点見たかを競い、かくいう私も海外出張のたびに、事前に出張先やその近辺にフェルメールが所蔵されていないかを調べ、何十年もフェルメール巡りを続けてきた。トマス・ハリスの『ハンニバル』の最後の部分にバーニーという登場人物がブエノス・アイレスの国立美術館で展示されているフェルメールをある事情によって見逃すというエピソードがある。「バーニーがついに見ずに終わった唯一のフェルメールは、ブエノス・アイレスの美術館に展示している作品である」という一文はハリスらしいディレッタンティズムが横溢している。(ただし実際にはアルゼンチンにはフェルメールの作品は存在しない)
 フェルメールの作品は過去にも何度か日本で公開され、2000年には大阪市立美術館で5点を集めた「フェルメール展」が開催された。しかしこの作家に関して、私は収蔵された場所で作品を見るという原則を自らに課しており、たまたま訪れた展覧会に出品されていた作品を見たことはあっても、フェルメールを目的に国内の美術館に足を運んだことはない。そして実際、近年日本で公開されたフェルメールの作品の多くを私は所蔵されている美術館で見てきた。今回の展覧会の出品作も大半は既に実見していたが、7点のうち2点が個人そしてこれからも訪れることの比較的困難な美術館に所蔵されていることを知り、あえて方針を曲げて上野に赴くことにした。フェルメールと銘打った展覧会の常としてフェルメールの作品を取り巻くように同時代のオランダの作家の作品が展示され、今回も「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」というサブタイトルが示すとおり、デルフトとゆかりのある作家たちの作品を合わせて展示していた。展覧会が始まってまもなく上野を訪ねたため、チケットのために行列するほどの人出ではなかったが、予想通り会場はかなり混雑していた。
 今回の展示のハイライトは2004年にも東京と神戸で公開されたウィーン美術史美術館所蔵の《絵画芸術》のはずであった。近年、森村泰昌が独自の解釈とともに取り組んでいるこの作品を私は世界で一番美しい絵画と考えている。しかしこの作品は展覧会に出品されていない。展覧会のホームページを参照するならば最初のページに「《絵画芸術》出品中止のお知らせ」という告知が掲出されており、それによるとオーストリア教育文化省は作品の劣化を防ぐため、7月31日にこの作品の出品を見合わせる決定を行い、これに対して主催者側は新たにアイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵のフェルメール作《手紙を書く婦人と召使い》を追加出品すると7月24日に発表している。タイミングはともかく告知は「(追加出品によって)本展で展示されるフェルメール作品は、日本初公開を含む過去最多の7点となります」と結び、逆に得意げでさえある。しかし当初予告されていた《絵画芸術》が出品されていないフェルメール展、これを羊頭狗肉と言わずして何と言おう。これまで現地で作品を実見した印象として、私はフェルメールの作品はそのほとんどが傑作と考えていたが、今回の展示を見て、必ずしもそうではないことが了解された。つまり今回の展覧会はさほど質の高くないフェルメールの作品によって構成されている。作家の真骨頂と呼ぶべき風俗画が少ないこと、小さな作品が多いことなど、その理由を挙げることは容易である。しかしマウリッツハイスやアムステルダムの国立美術館であれば、これらの作品の傍らにフェルメールのほかの優品が展示されているため、画家の天才は直ちに感得できる。しかし今回の展覧会でフェルメールの真髄に触れることはできない。この意味で《絵画芸術》の不在は致命的といってよい。個人的には未見であったアイルランドのナショナル・ギャラリー所蔵の優品、おそらく今回の展覧会で最上の作品を見る機会を得て、7点のフェルメールの中で初見が3点というのは悪くない数字であろう。また出品されていたデルフトの画家の作品についても様々な発見があった。しかしこの展覧会に「フェルメール展」の名を冠し、フェルメール芸術の全貌に触れる機会のごとく喧伝することに企画者の良心は痛まないのだろうか。
 確かにフェルメールの作品は希少である。しかし生涯に描いた35点中の7点を集めたといっても、作品の質が担保されない限り、その天才に触れることはできない。この展覧会は1600円というこれまた異例の入場料である。家族で美術館を訪れ、カタログを購入するならば、一万円近くの出費となる。高い入場料を払って必ずしも質の高くない作品を雑踏の中で見ることを余儀なくされる。この展覧会を訪れたことによってさらにフェルメールを見たいと望む者は多くないはずだ。私はこの展覧会に《絵画芸術》が出品されなくてよかったと心から感じる。人類の至宝と呼ぶべきこの絵画を何万キロも運び、一時的であるにせよ高度数千メートル、極限的な気圧や気温に接する苛酷な条件の中に置くこと、炎天下の東京の外気に晒すことに一体何の意味があるのか。そもそも先述のとおりこの作品は2004年にも日本に将来されているではないか。莫大な借用料を払って作品に輸送の負荷を与え、さらにはその借用料を回収するために雑踏の中に置くこと。展覧会の名を騙るこのくだらぬ営利行為に私は何一つ積極的な意味を見出すことができない。新聞社の「文化」事業部と美術館は一体いつまでこのような愚行を繰り返すのだろうか。

 2003年の秋、私は出張でウィーンに滞在した。前日の夕方、美術史美術館を訪れ、《絵画芸術》の展示場所を確認した私は、次の日の朝、美術館が開くとともに作品の前に向かった。それは比較的奥まった小さな部屋に展示してあり、驚いたことには近くに看視もいない。それから半時間ほどの間、私はただ一人でこの絵画に対した。それは圧倒的で濃密な時間であった。フェルメールの傑作と一つの場を共有する体験。これまでの生涯で、私はあの時ほど見ることの悦楽に浸ったことがない。静かな光が充溢する画家のアトリエの情景と私が存在する今ここの空間がなにものにも隔てられることなく、連続すること。それは私の一生がこの一瞬のためにあってもよいとさえ思われる時間であった。仕事がらみの出張であったとはいえ、私は《絵画芸術》を見るために日本からはるばるハプスブルグの首都まで赴いた。それは確かに一つの巡礼の旅であった。世界にはかかる敬意とともにまなざしを向けるべき絵画が存在するのである。
by gravity97 | 2008-08-12 22:10 | 展覧会 | Comments(0)

Marina Abramovic [Seven Easy Pieces]

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 マリーナ・アブラモヴィッチは1950年にユーゴスラヴィアに生まれ、70年代以降、多くパートナーのウーライとともに数々の伝説的なパフォーマンスを繰り広げた。日本も何度か訪れ、数年前に丸亀と熊本で個展が開催されたことは記憶に新しい。
 私も何度か彼女と会ったことがある。大柄で端正、貴族的な美貌の持ち主であり、会話はウィットに富む。しかし彼女が演じるパフォーマンスはいずれも過激きわまりない。ナイフや剃刀で身体を自傷するマゾヒスティックな一連のパフォーマンスに加えて、例えば1974年、ナポリにおける「リズム0」というパフォーマンスでは、来場者に対して、全ての責任を作家が負うことを保証したうえで、傍らのテーブルの上の品々を作家に対して用いるように求めた。机上に置かれた香水、花束からナイフ、銃にいたる品々は彼女のパフォーマンスに一貫するきわめて不穏な本質を暗示している。実際にパフォーマンスの中で彼女の衣服は剃刀で切り裂かれ、観衆は彼女に対して攻撃的な集団と彼女を守ろうとする集団に分かれたという。
 2005年の秋にニューヨークのグッゲンハイム美術館でアブラモヴィッチがとてつもないパフォーマンスを準備しているという噂をかねてより聞いていた。その後、60年代以降演じられた主要なパフォーマンスをアブラモヴィッチ自身が再演する内容であることが判明したが、残念ながら私は実見することがかなわず、上演された後も機能不全の状態にある日本の美術ジャーナリズムからは何の情報も得ることができなかった。ようやく昨年、これら一連のパフォーマンスを記録したカタログが刊行されたことを知り、直ちに入手して目を通してみた。
 アブラモヴィッチが演じる以上、えげつない演目が中心となるだろうとは予想していたが、正直言って、ここまでやるかという印象の選択である。Seven Easy Pieces と題され、七日間にわたって演じられた7つのパフォーマンスは、いずれもよく知られた作品であり、パフォーマンスの歴史を回顧するという展覧会の趣旨に応じると同時に過激さにおいてもパフォーマンス芸術の極点をかたちづくっているといって過言ではない。例えば第二夜に再演されたヴィトー・アコンチの「シード・ベット」は1972年にソナベント・ギャラリーで初演されたセンセーショナルな作品である。アコンチは会場となったギャラリーに斜めの床を設え、会期中、床下に潜みながら、不可視の来場者を想像して自慰行為にふけった。アブラモヴィッチもアコンチ同様にグッゲンハイム美術館の中央に設えた舞台の下に潜み、絶えず性的な妄想を口にしながらマスターベーションを続け、幾度となくオーガスムに達する。彼女が独白する妄想やあえぎ声は舞台の下に仕込まれたマイクを通して来場者に筒抜けとなる。これが延々7時間にわたって続けられたという。このパフォーマンスにおいて演者は徹底的に不可視であったのに対して、翌日の「ジェニタル・パニック」においては、1969 年のヴァリー・エクスポートによる初演時と同様、革ジャケットと黒いジーンズ姿のアブラモヴィッチがマシンガンを抱いて椅子に座り、逆に来場者を睥睨する。しかも彼女のジーンズは股間の部分が切り取られ、性器が露出されているのである。エクスポートはこのパフォーマンスをミュンヘンのポルノ映画館で観客に対して実施し、「お前たちが見ているものこそ現実であり、それはスクリーンの上にはない」と挑発した。アブラモヴィッチは美術館というさらに公共性の高い場で性器を衆目に晒したまま、傲然と来場者を見据える。さらに一連のパフォーマンスのクライマックスとして、第六夜にアブラモヴィッチ自身の「トーマス・リップス」が再演された。1975年にインスブルックで発表されたこのショッキングなパフォーマンスは、全裸のアブラモヴィッチが舞台の上で1キロの蜂蜜と1リットルのワインを摂取した後、自らの腹部を剃刀で星型に切り裂き、氷の上に横たわるという内容である。初演の際にはあまりの凄惨さに耐えきれなくなった観衆がアブラモヴィッチを氷のベッドから引き離して終了したといういわくつきの演目が今回は深夜まで演じられた。いずれのパフォーマンスも再演とはいえ、観客が受けたであろう衝撃は想像に余りあるし、日本の公共的な空間では上演不可能な演目であることもまた明らかである。
 作家自身がseminal(播種的)と呼ぶ、問題提起的なパフォーマンスが選ばれていることもあり、いずれの演目についても優に一篇の論文をもって応じることできる。いくつかの演目については今後このブログにおいて詳しく検討してみたい。ひとまずここでは全体と関わる問題を一点のみ論じておくこととする。それはパフォーマンスという芸術の可能性の本質と関わっている。これらのパフォーマンスはアブラモヴィッチとほぼ同世代の作家によって60年代後半から70年代にかけて演じられた。カタログの冒頭に彼女は短いイントロダクションを寄せ、上演に際して次のような条件を課した点を言明している。

1.(初演した)作家に許可を得ること
2.再演にあたって著作権料を支払うこと
3.パフォーマンスに新しい解釈を加えること

最初の二つはパフォーマンスを最初に演じた作家に対する敬意と義務と関わっている。しかしこの二点にとどまっていてはパフォーマンスという表現形式は継承、発展されえない。そもそもこれまで行為の芸術とは、一度限り、その場限りのエフェメラルな事件であり、再現不可能と考えられてきた。それゆえパフォーマンスを歴史的に回顧する多くの展覧会においては、多く行為の記録を写真ないし映像として提示するか、関連するオブジェを展示するという手法が用いられてきた。例えば1998年にロスアンジェルス現代美術館で開かれた「アウト・オブ・アクションズ」といった画期的な展覧会でさえ、このような限界の中にあった。パフォーマンスの中心に位置しながら、このような手法によって決定的に欠落する要素、それは作家の身体である。そして身体もまた時間や場所と同様に代補しえない要素と考えられてきた。パフォーマンスは特定の時間、特定の場所、特定の身体と関わり、それゆえ再現、代補されえない。自明に感じられるこれらの前提に対してアブラモヴィッチは異議を唱える。彼女は自らの身体を担保として先行する優れたパフォーマンスに「新しい解釈」を加えるのである。いかなる解釈が可能となるか。先に挙げた例に即して検討しよう。アコンチとアブラモヴィッチは公共空間で来場者からは不可視のまま(しかし公然と)自慰というきわめてプライヴェイトな行為を行なう。しかし両者は全く異なったかたちで受容されるだろう。なぜならそこにはジェンダーが介入するからである。アコンチのセンセーショナルなパフォーマンスは男性と女性、いずれが演じるかによって全く異なった意味を獲得する。あるいはポルノ映画館でなされたエクスポートの挑発は美術館という場に持ち込まれることによって、新しい解釈を与えられる。そしてここにもジェンダーが影を落としている。公共の場で男性が性器を露出した場合、警備員によって拘束されることは間違いない。しかしグッゲンハイム美術館の中で女性によってなされた同じ行為はむしろ警備員の存在によって混乱なき実施を保証されるのである。2005年の秋、ニューヨークで繰り広げられたのは本来的に再現不可能なパフォーマンスという表象が別の身体を介すことによって全く新しい意味を獲得するという奇跡のような実験であった。パフォーマンスの再演が多くの場合、みじめなパロディとしかなりえないのに対して、かかる奇跡が先人のパフォーマンスに真摯に向かい合うアブラモヴィッチという傑出した才能によって初めて可能となったことはいうまでもない。
 リドリー・スコットのフィルム「ブレードランナー」は、レプリカントと呼ばれる人間そっくりの人造人間と人間を区別するためのテストの場面で幕をあける。そのテストとは試験官が語る一つの残酷な情景に対して、被験者がいかに対象に感情移入できるかを瞳孔の測定で判定するものであった。人は他者への共感によって機械と区別されるのだ。私はアブラモヴィッチのパフォーマンスも本質において、他者への共感という問題と深く関わっているように感じる。彼女のいくつかのパフォーマンスが予期せぬ観衆の反応によって中断、終了したことを想起しよう。彼女のパフォーマンスが苦痛や快楽というきわめて身体的な感覚と関わっていることはこの問題と関係している。今回、パフォーマンス終了後、多くの観衆は涙を流していたという。2005年の秋、私はグッゲンハイム美術館にはいなかった。しかし彼らが味わったセンセーションを私はカタログを介してさえも容易に感受することができる。このような共感が9・11以後のニューヨークという「特定の時間」と「特定の場所」で交わされたことを通して私はパフォーマンスという芸術が秘めた大いなる可能性に触れた思いがする。
 なお、この連続パフォーマンスについては、現場に立ち会った渡辺真也氏の日本語による詳しい報告をインターネット上で閲覧することが可能である。言及しなかったパフォーマンスの詳細等についてもあわせて参照されたい。

使用図版については Photograph by Kathryn Carr Copyright The Solomon R. Guggenheim Foundation, New York.
by gravity97 | 2008-06-10 22:01 | 展覧会 | Comments(0)