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「マネとモダン・パリ」

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 遅ればせながら、三菱一号館美術館で「マネとモダン・パリ展」を見る。丸ノ内周辺の再開発の進展にも驚くが、リノヴェーションを経てその中核施設となったこの美術館の豪奢さには圧倒される。小部屋を連ねたかたちの展示空間は使いやすいとは思えないが、この展覧会のごとき小品を中心に構成された展示であれば空間によって作品が随分映える印象がある。それにしても空調の関係であろうか、それとも消防法との兼ね合いか、自動ドアが多いことには驚いた。予想したより来場者は少なかったが、ロケーション、展示内容のいずれを考えても今後も多くの集客が予想されるからメンテナンスが大変であろうなどとくだらぬ心配をしてしまう。
 開館記念展となる「マネとモダン・パリ」は期待に違わぬ充実した内容である。マネについて日本では過去にさほど大きな展覧会を見た印象がない。カタログの表紙となった《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》、あるいは《エミール・ゾラの肖像》といった名高い作品を含めて80点余のマネを見る機会は欧米の美術館でも多くはないだろう。とはいえ、極東の地で印象派屈指の画家にしてモダニズムの鼻祖たるマネの作品のみによって大展覧会を構成することは至難の業であり、「モダン・パリ」という第二のテーマが導入される。この美術館の館長で本展コミッショナーの高橋明也氏もカタログの巻頭テクストで説くとおり、マネは「多様」かつ「非一貫的」な作家である。《オランピア》から《草上の昼餐》、あるいは《フォリー・ベルジェールのバー》まで、代表作を想起してもさまざまなモティーフが入り乱れていることが理解されるが、都市生活あるいは近代の画家といったテーマは作品との親和性が高い。会場の劈頭に掲げられ、唐突な印象を与える無名の画家によるオスマン男爵の肖像もこの展覧会のもう一つのテーマがオスマニゼーション、オスマン男爵のパリ大改造によって出現した近代都市であることに想到すれば得心がいく。確かに娼婦や女給、カフェやブラッスリーといった都市的な主題は印象派の画家の中でも特にマネによって繰り返し描かれた印象が強い。同様の主題を描いたジェームズ・ティソ、ポール・ゴーギャンなどの作品も展示され、展示に一定の深みを与えている。それらは多くオルセー美術館のコレクションからの出品である。この展覧会はオルセー美術館との共同企画であるから特に不思議もないが、意地悪な見方をするならば、この展覧会からは既視感が拭えない。マネ、モダン、オルセー美術館、この三つ組みから連想される展覧会をかつて私は見た記憶がある。今回、書庫でカタログを確認してみるならばそれは1996年に東京で開かれ、「モデルニテ-パリ・近代の誕生」というサブタイトルを冠せられた「オルセー美術館展」である。マネの《バルコニー》をカタログの表紙に用いたこの展覧会と今回のマネ展は出品作がかなり重複し、写真や当時の建築のパースなどを多用する構成も共通している。何よりも本展の監修者は「オルセー美術館展」のコミッショナーとほぼ同一である。もっともこのような国際展は担当者の個人的な信頼関係がなければ成立しえないことも事実であるから、私たちは結果としてマネの優品の数々を東京で見ることの幸運を喜ぶべきなのであろうか。実際、これは得難い機会であり、私自身も今回の展覧会を機にいくつかの発見があった。
 これまでマネの作品をまとめて見る機会が少なかったこともあり、今回の展覧会では初めて見るいくつかの興味深い作例があった。中でもロンドンの個人蔵とされる《フォリー・ベルジュールのバーの習作》はコートールド研究所所蔵の有名な作品を制作する過程で制作されたものであろうが、作品の構造を考えるうえでも示唆的である。最終作においてはバーのカウンターの正面に立ち、鑑賞者に直接まなざしを向ける女性バーテンダーはこの作品においては斜めに視線を向け、見る者と視線を交差させることがない。背後の鏡面への映り込み、特にそこに写る男性との関係においてもむしろ自然なこのような構図が排され、鑑賞者を見つめかえす独特の構図が採用されたことは、マネにおいて描かれた人物とそれに眼差しを向ける鑑賞者との関係が主題とされている点を暗示している。マイケル・フリードは自らが説く没入と演劇性の対立の系譜の中にマネを置き、これらの絵画の特性を直面性(facing)と名指ししたが、ここに並べられたマネのごく一部の作品を見るだけでかかる構図の特異性とそれがマネにおいて検証されることの妥当性は了解される。
 この展覧会は「マネとモダン・パリ」というタイトルから予想されるとおり、マネに対して主題的なアプローチがなされている。しかし今回私があらためて感じたのは作品の形式と方法の斬新さであった。といっても特に新しい発見ではない。これまでも何度となく指摘されてきたことであるが、例えば今回のポスターやカタログで大きく扱われたベルト・モリゾの肖像でもよい、画面のここかしこに意図的に残された筆触の痕跡は女性の肖像という記号にとっては雑音でしかない。しかしこのような不協和が画面全体を引き締めている印象があるのだ。あるいは多くのマネの絵画においては画面の部分によって対象の描かれ方に明らかな粗密が認められる。精緻に写実的に描かれたモティーフの背景は突如不分明な筆触の戯れに転じる。マネが画面の連続性を意図的に破壊していることは明らかだ。これらの点は図版からもうかがえない訳ではないが、実際の作品を眼前にする時、きわめて明確に知覚される。当時のアカデミズム絵画のなめらかな表面の傍らに置く時、その異様さは明らかであっただろう。これらの特質は描かれた対象から、対象の描き方、そして対象を構成する物理的組成へと見る者の関心を転じさせる。内容から形式へ、マネがモダニズム美術の起源たる理由は明らかである。
 バーの女性バーテンダー、陽光あふれるレストランの中で見つめあう男女、これらのモティーフを描いたいくつもの絵画を見るならば、作品と都市生活の関係は顕在的であり、メトニミックである。今日につながる喧騒と享楽の大都市の成立に同期するかのような一連の絵画は時代の鏡といえるかもしれない。一方でアカデミズムのなめらかな表面の中に兆した転調、イメージの中の異和として浮かび上がる筆触そして絵具、これらの特異性の意味が了解されるのは例えばアングルの磨かれたような表面、例えばセザンヌの塗り残しとの対比においてであろう。この時、マネの絵画はその場に不在の作品と潜在的、メタフォリカルな関係を結ぶ。前者を主題性、後者を形式と言い換えてもよいだろう。マネにおいては鋭い緊張の中に拮抗している両者は他の印象派の画家においては比較的ゆるやかに結びつく。例えばモネにおいては無数の筆触が画面全体を均等に充填することによって、光の効果が途切れることのない一枚の表面として実現される。分割技法という手法がスーラら新印象派においてさらに革新され、光という主題と緊密な結合をみたことは知られているとおりである。これに対してさらに具体的、時に通俗的な主題を扱いながらもマネは主題に阿ることがない。時に主題と形式の分裂も恐れず、画面の中に現実の契機を意図的に露呈させたマネは後続する印象派よりもさらに現代的であった。
by gravity97 | 2010-06-16 20:54 | 展覧会 | Comments(0)

Marina Avramović [The Artist Is Present]

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 私は一度だけオノ・ヨーコと話したことがある。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで開かれた回顧展の折である。会場の一角に電話機が置かれ、その前で観客が列を作っている。しばらく列に並んで様子をうかがっているうちに、これが「テレフォン・ピース」という作品であり、受話器の向こう側にいるのがオノ・ヨーコ本人であろうことが理解された。残念ながらその際には「こんにちは、日本から来ました」といったくだらないことしか話せなかった(しかしそもそもオノ・ヨーコと電話で話すのにふさわしい話題など思いつくことができるだろうか)。列に並んで順番に話すというのはあまり風情がないが、個展の会場に置かれた電話機が突然鳴り、受話器を取ると作家が語りかけるというシチュエーションはそれなりに詩的である。メイルやツイートと異なり、電話のベルは向こう側に肉声によってあなたと語りたい誰かがいることを暗示しているのだ。誰もいなくなった火星で時を隔てて電話のベルが鳴るといった情景をレイ・ブラッドベリが書いていた。
 現在、ニューヨーク近代美術館でマリーナ・アブラモヴィッチの個展が開かれている。残念ながらニューヨークに赴く予定はないが、少しずつ展示に関する情報がもたらされ、カタログも入手した。インターネットの発達に伴い、私たちは展示の状況をリアルタイムで参照することが可能となったが、この展覧会はその恩恵に大いに与っている。インターネットを検索してみると、展覧会に関するいくつもの動画がヒットする。とりわけ興味深いのは(配信は美術館開館時間に限定されているようであるが)MOMAのホームページから直接参照可能なライヴ映像である。
 展覧会のタイトルは「Marina Avramović The Artist Is Present」という。このタイトルがまさに展覧会の内容を示している。会期中、アブラモヴィッチは美術館に在館する。作家自らによって演じられる「The Artist Is Present」というパフォーマンスは1981年以降何度か実施された「Nightsea Crossing」のヴァリエーションである。このパフォーマンスは日本でも85年に牛窓芸術祭で行われたことがあり、今回のカタログテクストでもこのことに言及されている。「Nightsea Crossing」はアブラモヴィッチと彼女のパフォーマンスにおけるパートナーであったウーライがテーブルをはさんで両端に座り、一定の時間(原則として美術館の開館時間中)飲食や用便を一切しないでひたすらみつめあうという作品であった。今回の展示ではテーブルの片端にアブラモヴィッチ、もう片端に来場者が座る。来場者は各々の意志に従って一定時間(5時間以上座っていた者もあるという)席を占める訳であるが、アブラモヴィッチはこれらの来場者全てを相手に二月半という長期間、苦行に近いパフォーマンスを今も行っている。「Nightsea Crossing」に関しては、パフォーマンスが挙行される時間は会場によって最短1日、最長16日というインストラクションがなされていたから、これに比べても圧倒的に長く、作家が気力と体力の限界に挑戦する試みであることが理解されよう。先に述べたとおり、パフォーマンスの模様はMOMAのホームページを介してライヴ中継されるが、作家だけではなく相対する来場者の様子も中継され、参加した来場者全員の顔写真もインターネットを通じて配信されているから、もはや観客も作品の一部といってよい。このほかにも過去になされた彼女のパフォーマンスが若い男女によって再演されている。以前、このブログでも取り上げたとおり、アブラモヴィッチは05年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開かれた「Seven Easy Pieces」という個展において、自分の作品も含め過去に演じられた有名なパフォーマンスを自らの身体によって再演するという離れ業を行った。写真やヴィデオではなく現実の身体を用いてパフォーマンスを再現するという画期的な手法の意義については先のブログで触れたとおりであるが、例えば全裸で向き合って立つアブラモヴィッチとウーライの間の20センチほどの空間を潜り抜けて会場に入るという77年の「Imponderabilia」の衝撃は写真やヴィデオではなく、実際の男女の肉体を前にして初めて理解できるものであろう。このほか私が確認しただけでも全裸の男女が全身の骨格模型とともに横たわるパフォーマンスややはり全裸の女性が高い位置に設えられた自転車のサドルに跨るパフォーマンスなどが実際に再現されているようである。
 今回のカタログは資料性が高く、全てではないにせよ、アブラモヴィッチの重要なパフォーマンスの多くが網羅されている。「Seven Easy Pieces」のほかに2002年にニューヨークのシーン・ケリー・ギャラリーで12日間にわたって続けられた伝説的なパフォーマンス「The House with the Ocean View」の写真も掲載されている。このパフォーマンスはギャラリー内に外から丸見えの三つの部屋を作り、きわめて禁欲的な条件のもとで作家が文字通りプライヴァシーなしに生活する(睡眠、シャワー、放尿の様子も露出される)という内容であり、TVドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の中でも言及されたとカタログテクストにある。このパフォーマンスは作家が展示施設に常駐するという点で今回のパフォーマンスと共通点をもつ。このほか初期の概念的な作品や音と関連した作品については初めて知るものも多く、作家の問題意識を探るうえで意義深いものであった。
 あらためて感じる点はアブラモヴィッチのパフォーマンスは大半において他者を必要としているということである。周知のとおり、彼女は1976年より10年余りにわたってウーライというパートナーとともに一連のパフォーマンスを演じた。二人は互いの髪の毛を結えあい、同じバンに乗り込んで美術館の中庭を16時間にわたって周回し、90日かけて万里の長城を両端から歩いた。いくつかのパフォーマンスはアブラモヴィッチ一人では実現しえない内容であった。しかしウーライという共演者がいなくても彼女のパフォーマンスは他者の関与を要求する。つまりその場に居合わせた観客の関与である。「リズム0」と題された74年の有名なパフォーマンスにおいてアブラモヴィッチは自らが全ての責任を負うとしたうえでテーブルに置かれたナイフから懐中電灯にいたる72の品を自分に対して行使するように来場者に要求した。あるいはいくつかの自傷的なパフォーマンスの場合、それをやめさせようとする観客の介入によってパフォーマンスは終了した。これらの場合ほど能動的な役割を果たさずとも、自虐的なパフォーマンスの前で来場者が感じる強い不快感、あるいは裸体や放尿する姿を差し出された時に感じる強い当惑はアブラモヴィッチのパフォーマンスの本質と深く結びついている。さすがに自傷的あるいは極度の集中もしくは忍耐を要する作品は除かれているが、今回の展示において映像だけではなく実際の男女の裸体によって作品が再現されていることはこれを傍証するだろう。
 私は最初にオノ・ヨーコの「テレフォン・ピース」について触れた。個展の会場で直接作家に直面する体験はアブラモヴィッチと共通しており、それゆえ私はこの文章を書き始めるにあたってごく自然に自分の体験を連想したのであった。さらにカタログを参照するならば、オノとアブラモヴィッチの共通点が浮かび上がる。二人とも作品に関してシンプルなインストラクションを提示する。オノであればこんな具合だ。「あなたの人生の悲しみに番号をつけて表にする。悲しみの数だけ小石を積み上げる。悲しいことがあるたびに小石を加えていく。表を燃やし、小石の山の美しさを愛でる/あなたの人生中の幸せに番号をつけて表にする。幸せの数だけ小石を積み上げる。幸せなことがあるたびに小石を加えていく。できた小石の山を悲しみの山と比べてみる」これに対してアブラモヴィッチは例えば次のような指示を書きつける。「その女性はアムステルダムのデ・アペル・ギャラリーにおける私の個展のオープニングに私の代わりに出席する/同じ時間、私はアムステルダムの「飾り窓」街区にあるショーウインドウに彼女の代わりに座る/私たちはともに自らの役割に関する全ての責任を引き受ける」これは75年に行った「役割交換」というパフォーマンスの際のインストラクションである。これを実施するにあたってアブラモヴィッチはアムステルダムの合法売春地域でプロフェッショナルの街娼と契約を交わす。さて、私の考えでは両者は本質的に全く異なる。それは単にオノの指示が夢想的で予定調和的、暗喩的であるのに対して、アブラモヴィッチのインストラクションが具体的で予測性を欠き、換喩的であるからではない。この対比は本質においてパフォーマンスのみならず、現代美術の本質、さらにいえば美術における近代と現代の区別に関して問題提起を行うように感じるのだ。オノは芸術が日常とは異なった位相に成立することを疑わない。来館者が積み重ねる石は単なる石ではなく悲しみや喜びの表象である。このような発想のなんとナイーヴなことであろうか。オノの立場をヒューマニズムと呼んでもよかろうし、かかる楽天性は「あなたが望むなら、戦争は終わった」と大書し、平和のためにベッド・インする作家にふさわしい。しかしアブラモヴィッチは芸術を日常と別の次元に置く発想を排する。この点は冒頭で記した二つのパフォーマンスを比較しても明らかだ。電話を介すことによって、別の場に位置を占める作家は聖別される。ここではない、どこか別の場所に作家、作品、そして芸術が存在することを来場者は暗黙裡に了解する。しかしアブラモヴィッチの場合、当の作家がテーブルの向こう側から自分をみつめているのだ。両者の対比は一見きわめて近似した「リズム0」とオノ・ヨーコの「カット・ピース」の比較によってさらに明瞭となる。「リズム0」同様に観客がオノの着衣をはさみで切り刻むという攻撃性を内包しながらも、「カット・ピース」は舞台の上で上演されるから、それはあくまでも現実とは審級の異なる場で挙行される「芸術」なのである。そこでは全てが「芸術」の中に回収される。しかし「リズム0」における暴力は「芸術」というアリバイをもたない。むろん私は美術を現実とは別の世界、一種のユートピアとしてとらえる姿勢を否定しない。それどころか今まで美術とはそのようなものとして構想され、理解されてきた。作品が現実の中に存在し、現実の一端にしかすぎないという認識は私の考えでは(デュシャンのレディメイドのごとき特異な先例を別にするならば)1960年代中盤以降、ミニマル・アートという美的感性を経由することによって、わずか半世紀ほど前にもたらされたにすぎない。いずれが正しいかを問うことはあまり意味がない。おそらく日本的感性にとってオノの夢想を受け入れることはできても、アブラモヴィッチの現実を美術とみなすことは困難であろう。全裸の裸体、苦痛あるいは常軌を逸した忍耐や集中、何が起きるか予測できない不穏さは美術と呼ぶにはあまりにも生々しい。
現実とは異なった地点に成立し、私たちを慰撫する美術。現実の一部であって、いかなる形而上学とも無縁の美術。いずれを選ぶかは自由である。後者がモダニズム美術の一つの帰結であることは明らかであり、今日、美術を一種の精神性の表明、あるいは現実の反映とみなす反動的な趨勢もまた台頭しつつある。しかしミニマル・アートを経由した私たちはもう後戻りできない。苛酷な現実としての美術から出発すること。作家としてのアブラモヴィッチがそうであったように、私たちにとってもそれが美術史を真摯に引き受けることなのだ。
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by gravity97 | 2010-05-05 10:42 | 展覧会 | Comments(0)

「マイ・フェイバリット―とある美術の検索目録/所蔵作品から」

b0138838_20135141.jpg 原著が日本語に翻訳されているかどうか私は確認していないが、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の冒頭で引用される有名なボルヘスの文章がある。「シナの百科事典」からの引用として紹介される次のような箇所だ。

動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳呑み豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)数えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごとく細い毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)今しがた壷を壊したもの、(n)遠くから蝿のように見えるもの

 なんとも奇怪な分類、というか分類という営みの不可能性を揶揄するかのようなテクストであるが、「マイ・フェイバリット」を見てすぐさま連想したのはこの一文であった。
 本展は京都国立近代美術館の学芸課長、河本信治氏が手掛ける最後の展覧会、いわば引退興行である。これまで「移行するイメージ」や「プロジェクト・フォー・サバイバル」、最近では椿昇の個展など、文字通り「近代美術館」の限界を確信犯的に露呈させるメタ展覧会を次々に企画してきた氏の花道が常識的な展覧会であろうはずがない。驚くべきことにこの展覧会は所蔵作品展である。展覧会に際して刊行されたカタログには背表紙に「京都国立近代美術館・所蔵作品目録Ⅷ」と印刷されている。それではいかなる所蔵作品が出品されたか。巻末のリストを見れば明らかだ。本展は京都国立近代美術館の所蔵品中、種別として【その他】に登録された作品を中心に構成されている。ある程度美術館という制度に通じたものであれば、この点から直ちに本展の批評性を理解することができるだろう。
 コレクションとは美術館の欲望であり、存在理由である。そしてある作品を美術館の所蔵作品として登記するためにはまずそれに位置を与える必要がある。一つの作品は種別に始まり、作家名、作品名、制作年、素材、サイズ、技法といった無数の分類の格子の中にその位置を定められる。同じような原理は例えば美術に関する学術論文、大学の講義、あるいはカタログ・レゾネといった諸制度に通底している。それらは多く「近代」と深く関わっている。河本氏が美術館における近代と現代の区別に拘泥する数少ない、というよりほとんどただ一人の学芸員であった点は留意されてよいだろう。実は「近代美術」とはこのような格子の厳密な設定によって成立している。試みに「作家」という分類を取り上げてみよう。「近代美術」において作家は個人でなければならず、成人でなければならず、多くの場合、男性、さらに言うならば白人男性でなければならなかった。マネに始まり、モーリス・ルイスに終わる「近代絵画史」の中でこのような枠組と矛盾する作家を私たちは一体何人挙げることができるだろうか。
 種別に関しても、「近代美術」はこのような分類格子の厳密な適用を要求する。クレメント・グリーンバーグは有名なテクスト「近代主義絵画」において、近代と絵画という二つの格子の交差の中で、絵画が還元的な営みとして一つの進化を遂げたことを説得的に論じた。グリーンバーグの所論に対して今日多くの批判が寄せられていることは私も理解しているが、彼は対象を絵画というメディウムに限定したがゆえにこれほどの影響力をもつ理論を提出しえたのであり、ネオ・ダダのごときクロスメディア的な表現への敵意も同じ理由による。河本氏が別の展覧会に際して論じたとおり、美術史の編纂を任務とした「近代」美術館がこのような制約から逃れらないことは必然であろう。近代美術館のコレクション・カタログを開いてみるならば、今述べたとおり、作家名から技法にいたる無数のデータが一つの作品を特定する条件として記載されている。そして多くの場合、そのような細目のさらに大きな前提として種別、作品のジャンルが設定されている。つまり大半のコレクション・カタログにおいては例えば彫刻、洋画といった種別に章立てがなされたうえで、作家や制作年に従って作品が配列されている。この点は作家や年代に比べて種別という分類が安定していることを暗示している。しかし少なくとも1960年代以降の美術を念頭に置く時、このようなジャンルの安定性こそが問題とされたこともまた明らかである。しかし単にジャンルの混交ということを主題にしたのであれば、この展覧会は底の浅い内容となってしまったであろう。この展覧会が真に革新的であるのは、企画者の問題意識が作品ではなく「近代美術館」に向けられているからだ。一例を挙げよう。京都国立近代美術館には工藤哲巳の《イオネスコの肖像》が収蔵されている。グロテスクなオブジェのアッサンブラージュによって構成されたこの作品は60年代的なクロスメディアの気風を伝えている。しかしこの作品は本展覧会には収められていない。その理由は《イオネスコの肖像》が「彫刻」に分類されているからではないだろう。工藤の場合、いかに従来の彫刻と異質に感じられるにせよ、作家の意識はジャンルそして「近代美術」という枠組をなんら問うことがないからである。《イオネスコの肖像》は一風変わった「彫刻」として大きな違和感なく、近代美術館のコレクションに収められる程度の作品である。この展覧会はこのような守旧的な作品を問題としない。これに対して同じ「彫刻」に分類されながらもこの展覧会の出発点に位置するのはデュシャンのレディメイドである。知られているとおり、京都国立近代美術館はデュシャンに関する優れたコレクションを有している。有名な《泉》や《壜乾燥機》は既製品に作家がサインすることによって作品として聖別される。これらの作品は既に美術史、さらに言えば現代美術史の劈頭に既に登記されているから、さすがに美術館としても「その他」という項目に分類することはできなかったであろうが、実はこれらこそ「その他」という種別にふさわしい作品ではなかろうか。私の考えではレディメイドとは絵画、彫刻といった近代美術のジャンルの外にある。先に引用したボルヘスの奇怪な分類に倣うならば、レディメイドはいわば「この分類自体に含まれていないもの」といった位置を与えられているのではないか。分類に属しながら分類の外にあることをその成立条件とするきわめてパラドキシカルな存在、その存在を内部に含むことが分類の意味自体を無効化してしまう、きわめて異様な存在としてレディメイドは「近代美術館」に受け入れられるのである。このような図式は直ちにゲーデル問題へと接続可能であるが、本論はレディメイドを論じる場ではないので、これ以上は敷衍しない。
 さて近代美術館が既成のジャンルに分類することが困難な作品を受け入れるためには二つの方法がある。一つは分類概念の可塑性を広げて、強引にいずれかの分類に引き入れる方法であり、本展の出品作であればクルト・シュヴィッタースのメルツ絵画を「油彩画」に分類することがこれにあたる。もう一つは新たにジャンルを加え、ジャンルを逸脱する作品をその中に投入する手法だ。実はこれに際して、近代美術館は二つの項目を設けている。一つはいうまでもなく「その他」であり、もう一つは「資料」である。後者は「作品」に対立するが、実は両者の区別に明確な規定はない。展覧会で壁面に麗々しく展示されるのが「作品」であり、最後のコーナーに展示ケースの中に一括して展示されるのが「資料」と考えるとわかりやすいが、ポスト構造主義を経過した私たちはこのような区別にそもそも意味があるのかという問いを立てる必要があろう。さらに美術館とアルカイヴの関係が様々な角度から検証されつつある今日、「資料」の問題もこれからの美術館にとって大きな課題となるだろう。「マイ・フェイバリット」に出品された作品の多くが「その他」とともに「資料」に分類されている点も、「資料」なる項目が今日の美術館に対して示す批評的な位置を示している。一方、分類の難しい作品をひとまず「その他」という融通無碍のジャンルに放り込む手法も多用されてきた。レディメイドのオブジェから巨大なカラー写真、家具にコーヒーセット、そこに含まれた「作品」のあまりに雑然とした様子、無規則性から私は思わず「シナの百科事典」を連想してしまうのだ。このような項目を立てることによってかろうじて保持される「近代美術館」という制度は一体どのような意味をもつのか。この概念的な展覧会を通覧し、細部から全体へ、瑣末から本質へのみごとな反転に久々にキューレーションという営みの妙を味わった思いがした。
 やや語弊があるかもしれないが、全館を使用した所蔵品展でありながら日本画がほとんど出品されていないこの展覧会から京都国立近代美術館の「名品」は意図的に排除されている。このような展覧会は東京国立近代美術館では開催しえないだろう。かくも過激な展覧会が許容される点にこの美術館特有のアナーキズムを看取することができる。聞くところによれば、近々実施される二回目の事業仕分けでは、国立美術館も対象とされるとのことである。美術館に市場原理を導入しようとする成果主義の台頭に私は心底うんざりしているが、もはや国立の施設もかかる趨勢と無縁でない。果たして今後もこのようなラディカルな展覧会を継続することが可能であろうか。それとも愚劣な収益主義の展覧会を垂れ流す多くの美術館に追随することとなるのか。美術館とキューレーターの真価が問われる状況である。
by gravity97 | 2010-04-11 20:15 | 展覧会 | Comments(0)

「絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から」

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 国立国際美術館で「新築移転5周年」を記念して「絵画の庭―ゼロ年代日本の地平から」が開催されている。地下二階と地下三階のフロア全てを使い切る規模の展示は、私が記憶する限り昨年の「杉本博司 歴史の歴史」以来であり、これまでにもほとんど例がない。この一事からも美術館の力の入れ方が理解できよう。出品作家は草間彌生を別格として1956年生まれのO JUNから1984年生まれの厚地朋子まで合わせて28名。基本的に各作家が一つのブースを割り当てられ、個展形式で作品を展示している。
 タイトルが示すとおり、展示された作品は原則として絵画に限定されるが、作風においても世代においても多様である。過去に同じ美術館で開かれた展覧会の中から私は同様の展示を直ちに想起することができる。すなわち1987年の「絵画1977―87」、89年の「ドローイングの現在」あるいは近年の「エッセンシャル・ペインティング」である。これらのうち、おそらく1975年にニューヨーク近代美術館で開催されたバーニス・ローズの「ドローイング・ナウ」から着想され、ドローイング概念の拡張、特に建築家のドローイングの独自性を再認識させた「ドローイングの現在」以外、私はあまり感心しなかったが、今回の展覧会もこれらの展示に連なり、作家選定の基準を意図的にあいまいにしている。この点は、絵画のみを対象とした企画ではないが、東京国立近代美術館が断続的に開催してきたシリーズ展「現代美術への視点」と好対照を示している。後者は例えば「色彩とモノクローム」とか「連続と侵犯」といったテーマの下に毎回実施され、私の印象ではいずれも韜晦的でテーマと作品の関係が判然としない。展覧会とは端的に批評であり、政治である。したがって私はこれら二つの系列の展覧会におけるテーマの欠落と晦渋に対して批判的であるが、テーマが与えられれば、展示が引き締まるわけでもない。学芸員のマスターベーションのように垂れ流されてきた多くの「テーマ展」を顧みるならば、本展にみられる批評性の意志的な不在もそれなりに一つの見識と考えられよう。
 今回の出品作家の選定は企画者が一人で行ったらしい。分厚いカタログに一篇だけ収録されたテクストの中でその詳細が語られている。しかし草間を除いて1956年生まれ以降の世代から選ぶこと、男女の比率を同じ程度にすること、関西在住、あるいは関西出身の作家を重視することといった選考理由はあまりにもネガティヴであり、むしろ最終的な顔ぶれからあとづけされたと考えられる。ただしこのような基準自体は特に批判するにあたらないだろう。何人かの学芸員が議論して作家を選ぶという手法は結局責任逃れに終始する。企画者がきわめて丹念に作品を実見したうえで作家を選定したことは、展覧会を一覧する時、明らかであり、責任を引き受ける姿勢は好ましい。例えば「プライマリー・ストラクチュアズ」や「態度がかたちになるとき」といった後世に名を残す展覧会がキューレーターや批評家のディクテイターシップに貫かれていたことを念頭に置くならば、優れた展覧会は本質において専制的であるはずだ。
 本展で扱われるいわゆる「ゼロ年代」というディケイドを考えるにあたってこの問題は意味をもつ。なぜなら「ゼロ年代」の美術を規定した二つの展覧会はいずれも今や日本を代表する二人の批評家の専制の下に企画されたからである。カタログテクスト中でも言及されているが、二つの展覧会とは1999年に椹木野衣が企画した「日本ゼロ年」と2007年に松井みどりが企画した「マイクロポップの時代―夏への扉」であり、いずれも水戸芸術館現代美術ギャラリーで開かれている。私の見るところ「絵画の庭」は(実際の年齢的にはさほど離れていないが)意識の上で断絶した三つの世代によって構成されている。まず会田誠、奈良美智、(本展への出品を辞退したという)村上隆ら、「日本ゼロ年」に連なる作家たちであり、「ゼロ年」にできやよいも出品していたことを想起するならば、草間もこの範疇で理解することが可能であろう。第二の世代は青木陵子、杉戸洋、タカノ綾、森千裕ら「マイクロポップ」に出品し、あるいは「マイクロポップ」的な感性を共有する作家たちである。私の考えでは加藤泉や村瀬恭子もこのグループに属す。そして最後に彼らよりさらに若く、およそ2008年頃より作品の発表を始めた作家たちである。もちろん奈良は「ゼロ年」ではなく「マイクロポップ」に出品しているし、O Junや小林孝亘といった企画者好みの、いずれのグループにも属さない作家が何人も存在しており、例外を指摘することは容易であるが、大枠としてこのような理解に誤りはないだろう。この時、本展覧会は椹木と松井によってかたちづくられた「ゼロ年代美術」を絵画の領域で追認する試みと考えることができよう。一見批評性や政治性を欠いたこの展観は実はその欠落によって一つの政治性を行使するのである。
 私はこの展覧会自体はきわめて意義のある試みであると考える。中国からデンマークまで世界中の作家を麗々しく紹介する展覧会が続くこの国で今日、日本の若い世代の作家をまとめて紹介する展覧会は皆無に等しい。関西であれば「アート・ナウ」や「つかしんアニュアル」、関東であれば「ハラ・アニュアル」や「今日の作家」。かつては若い世代に焦点をあてた多くの集団展が組織され、若い作家たちの目標が存在した。しかし美術館が冬の時代に入り、最初に消滅したのはこの種の展覧会であった。比較的ヴェテランの世代を対象とした「近作展」を継続してきた国際美術館が今回、1980年前後に生まれた若手までを包摂したかかる展覧会を開催したことは国立美術館として当然とはいえ、意味のある試みである。出品作家選考にあたって関西という地域性が多少加味されたということであれば、国立新美術館で開催されている「アーティスト・ファイル」のごときアニュアル展が国際美術館発信の展覧会として今後企画されてもよいように感じる。
 展覧会の開催の意義を十分に認めつつも、やはり私が納得できないのは出品されている作品の質だ。私がこの展覧会を見て関心をもったのは先に述べた三つの世代のうち、最後の世代、多く20歳代の若手の作品である。一つにはこれらの作家を初めて見たという理由があるだろうが、この理由は形式的にも説明することができる。あらためてカタログを参照する時、何人かの若手においてきわめて独特の画面分割がなされていることに気づく。ことに年齢順に配置されたカタログの最後に置かれた二人、つまり最若手の二人である坂本夏子の有機的なグリッド構造、厚地朋子における画面の奇妙な連続と切断は新鮮に感じられた。この点は画面の地と像が初めから明確に分節されている先行する世代と対照的である。つまり先行世代は画面の中にイメージを置くことに何の疑問も感じていないのに対し、最若手の画家たちは少なくともそれが自明ではなく、絵画がなんらかの枠組の中に成立することに対して自覚的なのである。いうまでもなく支持体への関心はモダニズム絵画の中心的な課題であった。私は今もなお平面性や視覚的イリュージョンを信奉する頑迷なモダニストではないが、絵画を質において判断するだけの経験と感性はもちあわせていると思う。例えば奈良美智の稚拙でプライヴェイトなドローイング、悪趣味な発想に単なる技術で形を与えただけの会田誠の面白主義のどこに絵画的な価値があるのか。彼らの絵画がこの十年の日本のペインティングを代表し、ここに並べられた絵画が絵画史を形成するとするならば私は索漠とした思いにとらわれざるをえない。おそらくこのような状況には美術市場における商業主義の蔓延と美術ジャーナリズムの退廃が大きく与っているだろう。ここで詳述するつもりはないが、村上隆が作品によって収益を確保することを制作の目的として公言して以来(それは展覧会の価値が入場者数と利益率によって判定されると「改革論者」が恥ずかしげもなく公言した時期とほぼ同期している)、作家やギャラリストの意識が大きく変わってしまった。一方、『美術手帖』に象徴される美術「ジャーナリズム」がギャラリーと結託して、一部の画家のプロモーションとしか理解できない低俗な情報誌となっていることも自明のとおりだ。いずれも一つの見識であろうから、勝手にすればよいが、結果として私たちの目に触れる絵画の質が著しく低下していることに憂慮の念を禁じえない。私は具象的な傾向の回帰そのものを否定するつもりはない。しかし私が具象性に意義を認めるのはゲルハルト・リヒターのごとくたえず絵画という形式との間の緊張を失わない場合に限る。ここに出品された大半の絵画において具象性は絵を描くことにお気軽なアリバイに終始している。この点はリヒターと例えば「エッセンシャル・ペインティング」のエリザベス・ペイトンを絵画の質において比較すれば直ちに明らかではないだろうか。
 展覧会のカタログには詳細で情報に富み、考え方によっては不毛の年表が収録されている。目をとおしてあらためて驚く。この国では1995年、今はなきセゾン美術館で開かれた「視ることのアレゴリー」以来、モダニズムの系譜に連なる絵画のまともな展覧会が途絶えているのだ。代わって絵画の動向を物語る指標となっているのがVOCA展である点は象徴的だ。(このあたりの経緯をVOCA展の講評を手掛かりに論じた福住廉のエッセイは示唆に富む。国際美術館の月報に掲載されているから参照されたい)一方で「マイクロポップ」と「絵画の庭」、もう一方でVOCA展。もしも日本の21世紀初頭の現代絵画が本当にこのような二極の間に形成されたとするならば、私がもはや自らの信じる批評言語によって応接すべき余地はないだろう。
by gravity97 | 2010-03-01 10:14 | 展覧会 | Comments(0)

Under Each Other's Spell

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 現在もニューヨークで開催中であるが、おそらく日本の美術ジャーナリズムでは紹介されることがない興味深い展覧会のカタログが手に入った。
 「Under Each Other’s Spell」、和訳するならば、「互いに魅せられて」といったところか。いささか謎めいたタイトルであるが、「具体とニューヨーク」というサブタイトルを参照すればその意味は容易に了解される。この展覧会は1954年に芦屋で結成され、日本の戦後美術の出発点を画すのみならず、現代美術の神話として名高い具体美術協会のアメリカにおける受容を主題としている。ゲスト・キューレーターはミン・ティアンポ。芦屋市立美術博物館で具体美術協会の調査に携わった後、グレイ・アート・ギャラリーにおける「田中敦子展」などに関わった若い女性研究者で近くシカゴ大学出版局より『具体 分散するモダニズム』という著書を上梓する予定ということだ。
 残念ながら展覧会を実見する予定はないので、例によってカタログを参照しながら所感を述べる。この展覧会の中で具体とニューヨーク、つまりアメリカの美術界との交渉はいくつかのレヴェルで検証されている。まず展示された作品の大半はマンハッタンに住む画家ポール・ジェンキンス夫妻のコレクションである。ジェンキンスによれば、それらは64年に彼が日本を訪れた際に作家たちから贈られたものであるという。クオリティーの高い小品が多いことはこのような理由によっている。私はモーリス・ルイスの亜流であり、しかも妙に感傷的なジェンキンスの絵画を全く評価しないが、おそらく同じ理由によって日本ではルイス以上に人気のあるジェンキンスは当時より具体のみならず日本の美術界と交流をもっていた。たまたまジェンキンスの家を訪れたポロック-クラズナー・ハウス・アンド・スタディセンターのディレクターがそこにあった具体美術協会の作家たちの小品に目をとめたことがこの展覧会の発端であったとカタログの前書きにある。
 具体美術協会は活動の初期から機関誌を発行して世界各地に自分たちの活動を紹介し、作家や批評家を結ぶネットワークを形成した。この点を解明することもこの展覧会の主要な目的となっており、この点は美術におけるグローバリズムの起源とも呼ぶべききわめて今日的な問題意識と結びついている。ミンはこのようなネットワークが国際郵便というシステムと密接に結びついて構築されたことを論じ、このような交流の一つの帰結としての58年、ニューヨーク、マーサ・ジャクソン・ギャラリーにおける具体美術展を取り上げ、最後にジェンキンスと具体美術協会の作家たちとの交流の場になったグタイピナコテカの活動に触れつつ、そこを訪れた多くのアメリカ人作家の名を羅列している。しかし論文自体が短く、テーマ的にも限定されているためか、ミンの論文は具体美術協会に関してよく知られた事実をなぞることに終始してあまり新味がない。特にその全容が未だに未解明といってよいマーサ・ジャクソン・ギャラリーでの展覧会とその反響に関しては地の利を生かしてさらに詳細な検証がなされてもよいのではないかと考えるが、特に新しい知見は得られず、使用されている展示の図版も芦屋市立美術博物館の具体美術協会アルカイヴに収められた旧知のイメージである。本論文から得られた唯一の新しい情報は、機関誌『具体』がニューヨーク、パリ、トリノ、アムステルダム、ヨハネスブルグに向けて発送されたというコメントである。これほど具体的に地名が特定されているからには当然根拠があるだろうし、おそらくそれは彼女が整理に従事した芦屋美術博物館の具体アルカイヴの資料と推測される。ところが註には具体的な資料が明示されず、この問題については近く刊行される自分の新著を参照せよとのこと。展覧会は著書の宣伝の場ではない。学術論文における事実関係の指摘である以上、典拠が明示されていないのは問題ではなかろうか。
 これに対して、同じカタログ所収の大島徹也の論文は興味深い新発見を丹念に検証している。大島はかつてポロックに関する各所のアルカイヴを調査して、現在大原美術館に所蔵されているポロックの《カット・アウト》のオーサーシップと制作年についてきわめて説得的な異論を呈したことがある。今回の論文はおそらくこの調査の副次的な成果であろうが、大島はポロックのアルカイヴの中に具体美術協会のメンバーであった嶋本昭三の手紙を発見し、今回のカタログでその全文を紹介している。ポロックの死後、書斎から具体美術協会の機関誌が発見されたことは有名な事実であり、このエピソードは具体美術協会の神話化に大きく寄与した。これまでなぜポロックがこれらの機関誌を、しかも複数部所持していたかは謎とされていたが、この手紙を読むならば事実はきわめて単純であり、嶋本がおそらくは指導者吉原治良の指示に従って直接郵送していたのである。コロンブスの卵とも呼ぶべき解決である。具体美術協会の作家たちがこの事実を公表しなかったことは自らを神秘化する意図があったかもしれないが、単に送った相手を記録していなかったということも十分にありうるから、今後の検証が必要とされるだろう。いずれにせよ、きわめて早い時期に現代美術に関わる国際的なネットワークの構築を試みた点において、この集団の先見性は明らかであり、このような交渉史にさらにパリのミシェル・タピエという函数を加える時、1950年代にニューヨークとパリの間で繰り広げられた美術の覇権をめぐる闘争に新たな光を当てることができるかもしれない。大島は吉原がポロックのアドレスを手に入れるにあたって長谷川三郎が仲介した可能性を示唆している。吉原は早い時期からポロックのアクション・ペインティングに関する情報を得ていた形跡があり、この点から具体美術協会とアクション・ペインティングの関係を再検討することもできよう。今回の発見は50年代の表現主義的絵画に関してなおも多くの研究の余地が残されていることをあらためて私たちに示唆する。
 カタログのイメージを上に示す。写真からもわかるとおり、このカタログはポロックに関する記事が掲載された具体美術協会の機関誌『具体』6号の装丁を模しており、巻末には当該記事が見開きでそのまま収録されている。著作権の問題が気にならないでもないが、展示の内容に即したなかなかしゃれた意匠である。近年、具体美術協会への関心はヨーロッパで再び高まっている。アメリカでは日本の戦後美術を紹介する展覧会やアクションを主題とした展覧会に組み入れられたことはあっても、具体美術協会単独の展覧会は今日にいたるまで開かれたことがない。今回の展覧会、あるいは来年刊行されるというミンの新著がアメリカにおける具体美術協会の再評価、そして研究の進展の契機となればよいと感じる。
by gravity97 | 2009-09-22 21:17 | 展覧会 | Comments(0)

「躍動する魂のきらめき 日本の表現主義」

b0138838_10594582.jpg 現在、兵庫県立美術館で開催されている「躍動する魂のきらめき 日本の表現主義」はきわめて問題提起的な展覧会である。この展示の画期的な点は、対象を絵画や彫刻に限定することなく、演劇や建築といった美術館では比較的に扱いにくい対象をも視野に入れ、それぞれにかなりマニアックな作品が選ばれている点であろう。この展覧会は巡回館の学芸員たちが組織した「表現主義研究会」での議論を踏まえて企画されたということであるが、カタログの論文を執筆した学芸員たちの名を見れば、展覧会のそれぞれのパートが誰によって構成されたかおおよそ想像がつく。この意味で本展は近年珍しい「学芸員の顔が見える展覧会」といえよう。
 表現主義という言葉から直ちに連想されるのはドイツ表現主義である。しかし「日本の表現主義」はそれよりはるかに広い射程をもち、大正期の前衛美術のほぼ全幅と関連している。展覧会ではさらにその「予兆」として黒田清輝や藤島武二までを含み、さらに今述べたとおり、建築や工芸といった応用芸術も視野に収めている。この展覧会においては表現主義を限定的にとらえるのではなく、大正期の造形芸術をむしろそのあいまいな輪郭の中に浮かび上がらせようとしている。分離派やユーゲント・シュティールの影響をうかがわせる一連の「新建築」や、異なったジャンルでありながらきわめて近接したテイストを感じさせる村山知義の舞台装置と衣笠貞之助の一連の映画などからいくつもの興味深い論点を摘出することもできようが、私の手に余る。ここでは私が専門とする絵画の領域を中心に若干の私見を示しておきたい。
 比較的近い主題を扱った展覧会を私は二つほど想起することができる。一つは20年ほど前、東京都美術館などを巡回した「1920年代・日本」展であり、もう一つは1999年に京都国立近代美術館で開催された「日本の前衛 1910-1940」である。いずれの展示もいわゆる純粋美術だけでなく文化全般が視野に収められ、今回の展示と共通点が多い。しかしどちらの展覧会もテーマを広げすぎて消化不良の印象があった。これに対して、今回は「表現主義」という切り口によって展示全体がみごとに律された思いがした。日本画の場合がわかりやすいだろう。これまで大正期の日本画は、例えば国画創作協会といった集団との関係、あるいは「大正デカダンス」といったあいまいな概念で括られることが多かった。しかし「表現主義」という概念を適用することで、秦テルヲから甲斐庄楠音が一つの地平に浮かび上がり、さらに近年再評価された玉村方久斗の一連の絵画とやはり玉村の手による『エポック』という雑誌の斬新な装丁まで、作家やジャンルを超えて広がる一つの時代の気風を見通すことが可能となり、加えて何人かの南画家さえもこの延長に捉えることができるのだ。展覧会とは異質の作品を並置することによってそこになんらかのコンテクストを設定する試みであるが、この展覧会からは幾つもの思いがけないコンテクストが垣間見えた。
 それにしてもなぜ表現主義なのか。洋画に目を移せば、例えば萬鉄五郎、村山槐多、神原泰あるいは柳瀬正夢といった作家の重要な作品が出品されている。私としてもこれまで目にした事のある作品が多く、作品自体にさほど新味はないが、これらの多様な表現を表現主義と一括する時、また新たな発見があった。彼らの表現に共通する姿勢は反アカデミズムであろう。アカデミーやサロンに依拠する官製の美術史に対抗する系譜が西欧の近代絵画を形成したことは20世紀の絵画史を想起する時,今や明らかである。しかし日本においてはどうか。西欧においては未来派やキュビスム、オルフィスムといった多用な動向として認められるこれらの系譜が日本においては「表現主義」という一語に収斂する状況を私たちはどのように考えるべきであろうか。先に「日本の前衛」という展覧会を引いたが、ここで提起される「表現主義」という概念の欧米におけるカウンターパートを求めるならば、おそらく「前衛」であろう。展覧会からシュルレアリスムが排除され、日本においてキュビスムが未成熟であったといった条件を勘案するにせよ、モダニズム美術を牽引した「前衛」が、日本においては必ずしもモダニズムの範疇に収まらない「表現主義」という一つの運動に回収されるという逆説は日本におけるモダニズム美術の展開を考えるにあたって留意されてよい。私の考えでは「表現主義」という言葉は必ずしも適切ではない。実際にカタログの中では「生命主義」を初めとするいくつかの言葉がタイトルの候補として挙げられたことが言及されている。この意味で冒頭の論文において森仁史が展覧会の目的を「本展は日本において表現主義が生起し、展開した流れを西欧概念の移植としてではなく、固有の必然に基づく開花だと把握し、提示しようとしている」と述べていることは適切である。しかしそれならば、展覧会中、「影響と呼応」と題されたセクションは必要であっただろうか。私たちは先の引用とは逆に日本の美術を欧米の動向の影響として理解することに慣れてきた。しかしここに集められ、ひとまず「表現主義」の名を与えるしかない奇妙かつコヘレントな一群の作品は日本というきわめて特殊な磁場において初めて可能な表現であったような気がするのだ。これを単純な影響関係に置き換えて、例えばカンディンスキーと恩地孝四郎を併置する手法は、日本の「表現主義」の特殊性をむしろ覆い隠すような気がする。
 最近私は本展の企画者の一人である速水豊の近著『シュルレアリスム絵画と日本』を通読した。古賀春江や福沢一郎の一連の絵画におけるイメージがどのような出自(多くは同時代の欧米の絵画や科学雑誌)をもつかを実証的に論じた研究はきわめて興味深いものであり、労作であることは間違いない。しかし私にはこのような研究は今日では時代錯誤的に感じられる。確かにシュルレアリスムに用いられるショッキングな図像は転用されやすいし、このような関係をたどることは比較的たやすい。しかし図像の引用や借用はイメージに関わる芸術においては普遍的に観察される事態であり、それが作品の本質といかなる関係を取り結ぶかを検証して初めて意味をもつ。そもそもフーコーを経由した私たちにとって、作品やイメージが起源をもつという発想自体があまりにもナイーブに感じられはしないか。もしそのような転用や借用に意味があるとすれば、それは内容においてではなく、例えば印刷技術やイメージの流通媒体といった作品の形式あるいは表象というシステムとの関係において画定されるべきであり、例えばジョナサン・クレーリーの一連の研究はそのような意味をもつ。これに対して、表象システムまで遡及することなく、単に特定の図像の来歴を検証する速水の著作は読み物としては抜群に面白いが、発想は蒼然としている。
 展覧会に戻ろう。この展覧会がその輪郭を粗描する、1910年代から20年代の日本の造形美術における「表現主義的」なるものが一体何に由来するのか、あるいはいかなる意味をもつのかについては、カタログに収録された論文が示唆的である。絵画を専門とするためであろうか、私には特に北沢憲昭と速水の論文が興味深く感じられた。日本固有の「表現主義」の系譜を高橋由一から説き起こす前者と、海外の動向と関連づけて論じる後者には微妙な姿勢の違いがある。先に述べたとおり、私はどちらかというと北沢の立場に共感するのであるが、これらの問題はいずれもなおも深められる余地がある。展覧会を通覧して私は二つの点に興味をもった。展覧会のテーマとしても既に設定してある問題であるが、一つはスピリチュアリズムとの関係である。同じ時代に欧米における精神主義が様々な神秘思想と手を結んで抽象絵画の発生に深く与った点に関しては例えば1986年にロサンジェルスのカウンティー美術館で開かれた「芸術における霊的なもの」という大展覧会などで検証されたところである。今回の展覧会でも日本の抽象絵画の濫觴とも呼ぶべき西村伊作の興味深い作例を見ることができたが、霊的な存在への関心は例えば神原泰や尾竹竹城の作品にもうかがうことができる。日本の「表現主義」と抽象表現の複雑な関係を考えるにあたって、スピリチュアリズムは一つの鍵となるであろう。もう一点、やはり展覧会を通覧する時明らかであるが、日本において「表現主義」がきわめて多くの領域、特に工芸や本の装丁といった生活に密着した領域においても重大な足跡を残した点は注目に値する。この点からも日本の「表現主義」が例えばドイツ表現主義のごとく、美術の一流派をはるかに超えた意味をもちえたことは明らかであろう。
 少々批判的なコメントも加えたが、この展覧会が近年まれな学芸員の意志と思考を感じさせる展覧会であることは間違いない。一つのテーマのもとに集められたこれほど多くの作品を見る機会は実に得難く、意識的な観客は多くの発見と思索へと誘われる。ルーブルやらオルセやら、新聞社が主導する名前だけ華々しいブロックバスターの企画展、そしてそれを唯々諾々と受け容れる美術館の在り方に私は心底うんざりしている。このレヴェルの批評性をもった展覧会が日常的に開かれるようになって初めて、この国は文化的に成熟したといえるだろう。
by gravity97 | 2009-07-28 11:01 | 展覧会 | Comments(0)

「ヴィデオを待ちながら」

 ヴィデオ、それはなんとも過渡期的なメディアだ。むろん絶えざる技術革新という観点に立つならばいかなるメディアも過渡期にあるといえるかもしれない。しかし21世紀初頭という時点において、それは一方で映画=フィルムという産業化されたメディアに後続しながらも、コンピュータ・グラフィクスに代表されるデジタル・イメージが覇権を握る今日、もはや絶滅危惧種とも呼ぶべき位置にある。レンタルヴィデオの隆盛が暗示するとおり、取り扱いの難しいフィルムの代用として、あるいはTV映像を録画、再生するうえでの簡便さゆえに、ヴィデオは多くの場合、既に存在する映像を記録するメディアとして用いられてきた。しかし開発当時、ヴィデオは表現の地平を広げる画期的なメディアとみなされ、多くの作家たちが様々な実験を繰り返した。次代の新技術が導入されるまでのつかのまの間、メディアの消長のはざまに花開いた豊かな成果はかつてのサイレント映画を連想させる。
 東京国立近代美術館で開かれている「ヴィデオを待ちながら」は1970年前後に制作された「ヴィデオ・アート」に焦点をあてた野心的な展覧会である。思うに当時のヴィデオ作品を実際に見ることはフェルメールやマサッチオの作品を実見すること以上に困難である。実体を伴う絵画や壁画であれば美術館や礼拝堂に行けば作品に接することはできる。しかしヴィデオ作品は現在いかなる機関に所蔵されているか必ずしも明確ではなく、型式や上映方式も作品や地域によって異なる。さらに展覧会として組織する場合は映示条件の確認や著作権の処理など、作品ではなくその周辺に煩雑な問題が発生するはずだ。多くの困難を乗り越えてこのような重要な展覧会が日本で実現されたことは喜ばしい。
 先ほど70年前後のヴィデオ・アートに関する展覧会と書いたが、厳密にはこの定義は正しくない。例えば下に示したリチャード・セラの《鉛をつかむ手》は当初ヴィデオではなくフィルムとして上映されており、あるいはフランシス・アリスの印象的な映像は2000-02年という年記を伴っている。しかしこのようなゆるやかな定義によって、70年前後のヴィデオ・アートが提起した問題の本質がより鮮明に浮かび上がるように感じられた。会場入口に置かれたジョン・バルデッサリの《I Am Making Arts》(この作品にフェミニズム的な解釈を与えたジル・ミラーのヴィデオが同じ展覧会に加えられている点は心憎い演出である)が展覧会の姿勢を暗黙のうちに語っている。この点を考えるにあたっては展覧会から除外されている作品を考えるのがよかろう。同時期にやはり映像を用いて発表されながらも今回出品されていない作品の一つは同じ時期に隆盛したハプニングやパフォーマンスを記録した映像作品であり、もう一つはエキスパンデッド・シネマと呼ばれたサイケデリック、感覚的な映像である。つまり、行為の記録としての映像と感覚的な体験としての映像は本展覧会から注意深く排除されている。この結果、この展覧会の主流を占めるのはきわめて思弁的、概念的な作品の系譜であり、バルデッサリの同語反復的な作品はその典型である。会場の劈頭にナム・ジュン・パイクではなくアンディ・ウォーホルの作品が置かれたこともこれと関係している。ヴィデオ・アートの代名詞と呼ぶべきパイクの場合はTVブラやTVガーデンが示すとおり、TVモニターへのフェティシズムが濃厚であり、映像の内容は比較的単純だ。これに対して、今回出品されたウォーホルの作品はきわめて早い時点でヴィデオ・アートの本質である自己言及性を主題としている。
 展示は五つのセクションから構成されている。「鏡と反映」「芸術の非物質化」「身体/物体/媒体」「フレームの拡張」「サイト」という五つのテーマはよく練られている。出品作はよく知られた作品が多く、私も研究書や展覧会カタログのスティル写真として既に見知っていたが、実見するのは初めてという場合が多かった。会場を一巡して多くの発見があった。まずヴィデオというメディアの草創期に、多くの作家が自らの姿を撮影した作品を制作していることにあらためて驚く。「鏡と反映」というセクションで紹介される作品の大半において作家自身がヴィデオの中に映り込み、現実とヴィデオの間の微妙なずれの反復、拡張が作品の主題とされている。この時、ヴィデオとは特殊な鏡の隠喩であり、カタログにも収録されたロザリンド・クラウスの規範的な文献が「ナルシシズムの美学」と題されていたことの意味があらためて了解された。特にヴィトー・アコンチの作品が興味深い。そこでは見ること/見られることという対立、あるいは見られながら見る/見ながら見られるという主体の分裂的な在り方がヴィデオという手段を用いて時に知的に、特に暴力的に分析されていた。続くセクションでは、今日、コンセプチュアル・アート、ボディ・アート、プロセス・アートあるいはアースワークとして分類される多様な作品が紹介される。これらの動向は現実の時間と関わり、作品が具体的な形式をもたない場合が多く、それゆえヴィデオのモニターを介して私たちの前に現前する。反復、循環、位置の転換といったモティーフが作家を横断して、幾度となく提示される。個人的にはアコンチに続いて、セラとブルース・ナウマン、ロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェティ》、さらにゴードン・マッタ=クラークらの伝説的なヴィデオを見ることができたのが収穫であり、70年代に美術の領域でかくも知的な探求が重ねられていたことにあらためて深い感動を覚えた。ヴィデオを実見したのは今回が初めてであるにせよ、かかる美術の磁場に慣れ親しんだ私にとって、知性を欠いた今日の美術に何ら共感がもてないのは仕方がないことである。先に述べたバルデッサリとジル・ミラー、あるいはスミッソンとフランシス・アリスやタシタ・ディーンの作品を比較する時、前者に対する批判あるいはオマージュとして後者の作品が構想されていることも明らかであり、形式をもたない作品の継承と発展という問題もまた興味深い。
 今回の展覧会は展示の方法もテーマに即していた。近年のいわゆる「ヴィデオ・インスタレーション」の流行とともに私たちは暗室の壁面全体にクリアな映像を投影する手法になじんできた。しかし今回、このような大規模なプロジェクションは例外的であり、多くの作品が比較的小さなTVモニターに淡々と上映されていた。モニターの下部に映像の解説が直接掲示されている点も無造作といえば無造作であるが、考えてみれば、それらの作品が発表された当時、壁面へヴィデオを投影する技術は存在しなかったから、モニターの使用は当たり前のことであるし、それ以前にこれらの作家が上映方法ではなく、上映する作品の内容を重視したことを考えるならば、展示効果に阿ることのない今回のインスタレーションはきわめて正当といえるだろう。VHSヴィデオの形態を模した特異な判型のカタログも充実した内容である。この分野に関する日本語の基礎的文献がほとんど存在しないという状況を考慮したのであろう。担当学芸員が当時の状況を概観した「序論」のほかにクラウスの「ヴィデオ:ナルシシズムの美学」(1976)、ベンジャミン・ブクローの「リチャード・セラの作品におけるプロセス彫刻とフィルムについて」(1978)、リズ・コッツの「ヴィデオ・プロジェクション:スクリーンの間の美学」(2004)という三つの論文が再録され、資料性が高い。ヴィデオ・アートをハードウェアとの関係で論じた最後の論文もそれなりに興味深いが、私であれば年代的にも展覧会の内容を深めるためにもこれに代えて、スミッソンの出品作について論じたクレッグ・オーエンスの「アースワーズ」(1979)を収録するだろう。いずれにせよ、高名な論文でありながら、『オクトーバー』の創刊号に掲載された後、ほかの論集に収録されず、参照することが比較的困難であったクラウスの論文が日本語で読めるようになったことはありがたい。ところで以前から気になっていた点であるが、クラウスが援用するラカンの理論は70年代以降、イギリスの映像理論誌『スクリーン』でもしばしば論及されていた。ノーマン・ブライソンのゲイズ/グランスといった概念にみられるとおり、ローラ・マルヴィ、カジャ・シルヴァーマンらの理論がいわゆるニュー・アート・ヒストリー系の研究を裨益したことはよく知られている。しかしなぜかこれらのイギリス系の映画理論は今日にいたるまでヴィデオ・アートの研究に応用された形跡がない。果たしてこの点は映画とヴィデオの差異、ナラティヴィティーの有無に起因するのであろうか。今後考えてみたい問題である。
 今回の展示を私は2時間ほどかけて巡った。映像を全て見ると15時間程度かかるという。本展覧会を機に東京国立近代美術館としても何点かの作品を収蔵する予定があるとも聞いたが、最初に述べたとおり、これらの作品は今後再び目にすることはきわめて困難である。国内で上映する機会を増やす意味でも、もう一箇所、京都国立近代美術館あたりに巡回させることはできなかったのだろうか。画期的な内容であるだけに、この点を少々残念に感じた。
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by gravity97 | 2009-06-04 21:48 | 展覧会 | Comments(0)

「マーク・ロスコ」展

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 川村記念美術館で「マーク・ロスコ」展を見る。素晴らしい展覧会であった。数年に一度、美術館で魂が震えるような体験を味わうことがある。はるばる佐倉まで赴いたかいあって、私にとって久しぶりの、国内で味わうことのまれな感覚を覚えた。
 昨年、同じ美術館でモーリス・ルイスを見た際に、ロスコ・ルームが閉鎖され、そこに展示されていた作品がテート・モダンに貸し出されている旨の表示がなされていたが、今回は逆にテート・モダン所蔵の作品などを迎えて、メインの展示室は15点の大作で構成されている。それらはいずれもニューヨークのシーグラムビル内のレストラン、フォー・シーズンズの内装として注文され、結局ロスコが契約を破棄してまで展示を拒絶した、いわくつきの作品である。ロスコがこのような決断を下した理由も興味深いのであるが、「カタログ」を参照するならば、いくつか微妙な問題をはらんでいてその経緯は必ずしも判然としない。ひとまずここではこの問題についてこれ以上踏み込むことは控える。
 この美術館の展示はアプローチが絶妙だ。最近リニューアルされた常設においても階段を上がるにつれてバーネット・ニューマンの《アンナの光》が姿を現し、みごとな効果を醸しだしている。今回の展覧会でもシーグラム壁画をめぐってロスコとテート・ギャラリーのノーマン・リードの間で交わされた書簡やテートにおける展示プログラムの模型など、興味深い資料が展示された最初の部屋から狭い回廊を通ってメインの展示室に向かうと、まず正面左側、高い位置に掲げられた五点の作品が目に入り、視線を転ずると次第に正面の壁面に展示された大作の五連画が明らかとなる。私が絵画的法悦とも呼ぶべき感銘を受けたのはこの瞬間であった。続いて(正面に向かって)右側に二点の横長の大作、そして正面に対面して三点の大作が設置されている。ロスコ・チャペル同様に自然光を用いて、ホワイトキューブの空間に配置された赤褐色のシーグラム壁画は個々の絵画というよりも空間として圧倒的な印象を与える。この空間を構成する作品は現在、テート・モダンとワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵の作品、そして川村美術館のコレクションによって構成されている。私はテートのロスコ・ルームに何度か通ったことがあるし、ヒューストンのロスコ・チャペルも訪れたことがあるが、今回の展示はそれらにも増して、圧倒的な存在感を与えた。思うに前者は作家の名前を冠した部屋に展示されていたにせよ、やはり広大な美術館の中の一室という思いが拭えず、また後者はフィリップ・ジョンソン設計によるチャペルのあまりにも瞑想的な雰囲気が作品との純粋な対面を妨げていたのではなかろうか。
 今回の展示では今述べたとおり自然光が採用され、人工照明も併用されていた。このため天気や時間によって画面は微妙な精彩を帯び、白い壁面を背景にロスコの絵画の特徴とも呼ぶべき内部から滲出する光のような効果が最大限に生かされていた。作品が設置してある位置は通常の絵画の展示に比べて高く、いくつかの作品にみられるロの字状の構造とともに垂直性が強調されている。作品の設置については配置や間隔にシンメトリーへの配慮が認められるが、画面自体は対称性を欠いている。大画面にもかかわらず、作品相互の感覚が著しく狭いことはこれらの連作が壁面を埋め尽くす文字通り壁画として構想されていた点を暗示している。巨大な色面に直面した際の衝撃、崇高と呼ばれるにふさわしい感覚はバーネット・ニューマンやクリフォード・スティルに共通し、この意味で同じ美術館においてロスコのシーグラム壁画とニューマンの《アンナの光》の前に佇むことができるのは奇跡と呼ぶべき幸運であろう。

 私はこの展示には賛辞を惜しまない。しかし展覧会の在り方としては、本展は作品の本質に関わるいくつかの問題を抱えているように思う。先に述べたとおり、今回の展示ではいわゆるシーグラム壁画30点のうち、15点が出品されている。シーグラム壁画のデータはカタログ・レゾネから容易に特定できるが、ロスコほどの作家の作品借用に関しては様々な問題が介在しているであろうから、出品作品の選択がある程度偶然に支配されることは私も理解している。しかしこれらの作品が当初、一つの部屋の全体に配置されるものとして構成されていた以上、それらをいかに配置するか、壁画プログラムはきわめて重要な問題であるはずだ。そもそもこれほどの大画面の配置がその場で決定されるはずがなく、最初の部屋に展示してあったテートのロスコ・ルームの模型はこのような配置が入念な配慮のもとに行なわれてきたことを暗示している。ロスコを持ち出すまでもなく、通常の展覧会においても、担当学芸員が建築模型と模型に合わせて縮小した作品の図版を用いて事前に展示室内の配置を構想することはよくあることだ。それどころか今回の展示においては作品のサイズに合わせて壁面が設置された可能性が高い。15点の作品の配置は展示の根幹に関わっている。しかし展覧会において、これに関わる説明が一切ないのはどういうことであろうか。私の見落としがなければ、この点について多少とも言及しているテクストは、この展覧会のホームページの中で作品が設置される高さと作品の間隔についてロスコ自身の言葉と関連させてごく短く触れた箇所だけである。「カタログ」の冒頭に掲げられた写真を参照するならば、おそらく佐倉での展示は昨年この展覧会がテート・モダンで開催された際のインスタレーションをある程度踏襲している。しかし『美術手帖』に掲出された図版と比較するならば、作品の順番は異なっているようである。二つの展覧会では作品に若干の異同があった可能性もあるが、私の手元にはテート・モダンのカタログがないため今のところ確認できない。ロスコがこれらの壁画によって空間そのものの創出を試みた以上、今回、企画者がどのような意図と配慮のもとに展示空間の再現を試みたかについては十分な説明があってしかるべきではないか。その根拠を示さないのは作家に対して敬意を欠いた態度に感じられる。せめて川村記念美術館における展示風景を図版として残すべきであろう。インスタレーションやミニマル・アートの作家の場合、展覧会が始まってから会場の写真を撮影したうえでカタログを制作する、あるいはカタログの別冊として残すことは日常的に行なわれている。なぜこのような努力がなされていないのだろうか。
 この問題は今回の展覧会の「カタログ」と関わっている。今回の展覧会の意義は単にロスコの展覧会を開いたことではない。たとえ半数とはいえ、作家の生前にさえ実現しなかったシーグラム壁画を一同に展示したことに求められる。したがって企画の意図に沿うならば、今回のカタログは当然シーグラム壁画に集中すべきであるように思われる。ところが美術館ではなく淡交社が制作した今回のカタログを見て驚く。そこには展示されていない作品まで図版が掲載されている一方で、今回の壁画プログラムの詳細についてはほとんど触れられていない。この理由により私は先ほどからこの奇怪な画集を括弧つきの「カタログ」と呼ぶしかないのであるが、結果的に展覧会の輪郭はきわめてあいまいになっている。例えば展覧会ではテートのノーマン・リードとの間で交わされたこれらの壁画の帰趨をめぐるきわめて重要かつ興味深い資料が展示されている。ところがこれらはなぜか「カタログ」に一切掲載されていない。その代わりに収録されているのはドーリ・アシュトンの回想やらなんら新鮮味のない下品な評伝やら、シーグラム壁画と直接の関連をもたない資料ばかりである。もちろん当事者であるアシュトンの回想はいくつもの興味深い内容をはらみ、寄せられたいくつかの論文もそれ自体は示唆に富む。しかしそれらはロスコに関する論集として出版すればよい内容である。展覧会と「カタログ」は完全に乖離している。
 最近このような「カタログ」が増えてきた理由ははっきりしている。展覧会とは切り離して書籍として書店でも販売可能な形態をとることによって、美術館はカタログ制作に関わるリスクを回避し、出版社はあまり労力を用いることなく、さしあたり話題性のある刊行物を出版して、美術館で販売できる。あるいは学芸員にとってはカタログ編集という面倒な仕事を出版社に押しつけることもできる。なんという安易さだろうか。この結果、残されるのは展覧会の記録でもなく、本格的な論集でもない、鵺のような奇怪な書物である。この「カタログ」の編集に携わった関係者の一人が最近あるところでロスコに関する一冊のまともな日本語の画集もない現在、代表作を網羅し、研究論文や評伝まで加えた決定版ともいえる文献を「この展覧会を契機に」刊行できたと自画自賛する文章を書きつけているのを目にした。笑わせてはいけない。一人の作家の展覧会を組み立てるということは、作家が何を考えて作品を制作したかに真摯に向き合うことである。少なくともシーグラム壁画を展覧会の主題とする以上、カタログで扱われるべきは個々の作品ではなく、絵画が展示される場所であるはずだ。展覧会が開かれることを渡りに船と、「代表作」の小さな図版を数点加えた安易な編集でロスコの芸術を世に問おうという姿勢は、作家に対する無理解に起因する。さらにいえば作品の前に足を運ばずとも書店で入手可能なお手軽な「カタログ」でこの偉大な作家についてなにごとかを語ったつもりでいる傲慢さそれ自体が作品の体験を何よりも重視したロスコに対する冒涜以外のなにものでもない。
 必ずしも説明責任を果たしていないにせよ、展覧会そのものは作家の意図に誠実に応答する、優れた内容であったと感じる。それゆえ一層私は展示と「カタログ」の懸隔が気になるのだ。確かに欧米に比べて、日本の場合は展覧会に関わる業務の専門化が遅れている。しかしつかのまの展示に対して、展覧会図録は基本文献として公準化される。両者は一体であると私は信じている。この展覧会ではしなくも露呈した両者のギャップが暗示するのは、今日の美術館と学芸員の質的な劣化、あるいは展覧会という文化産業の商業主義化のいずれであろうか。

図版は川村記念美術館ホームページより転載
by gravity97 | 2009-05-22 21:23 | 展覧会 | Comments(0)

ACTION PAINTING

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 ジャクソン・ポロックが20世紀美術において最重要の画家の一人であり、彼の創始した「アクション・ペインティング」が近代美術の結節点であるのみならず、それ以降の美術に決定的な影響を与えた点は今日広く認められている。しかしこの点を展覧会として検証する試みはこれまでほとんどなかった。本書は昨年1月27日から5月12日までバーゼルのバイエラー財団美術館で開催された「アクション・ペインティング」という展覧会のカタログであり、ポロックのアクション・ペインティングを同時代、そしてそれ以後の作家に与えた影響という観点から検証する内容である。これまでに企画され、同じ問題を扱った数少ない展覧会が、例えばアクションや重力といった問題を主題として、むしろ絵画を解体する契機としてアクション・ペインティングをとらえていたのに対し、あくまでも絵画を中心に据えてポロックの革新を検証した点に本展の独自性が認められよう。
 アクション・ペインティング受容におけるアポリアとはそれが文字通りアクションとペインティングという二つの局面に関わっていることに起因する。両者は写真と絵画、原因と結果あるいは時間と空間といったいくつもの対立へと展開可能であろうし、ハロルド・ローゼンバーグとクレメント・グリーンバーグという二人の批評家を対比させてもよい。この展覧会はこのうち後者に焦点をあてて、アクション・ペインティングの可能性を探る内容といえよう。
 展覧会にはポロックを含めて27名の作家が出品している。展示そのものは未見のため、図版として掲出されている作品が全て出品されたか否かについては判断できないが、ポロックの作品14点を含め、レヴェルの高い内容であることは明らかである。しかし展示の構成はやや散漫な印象を受ける。出品作家たちはいくつかのグループに分けることができよう。それはポロックと同時代に活動した抽象表現主義の第一世代の作家たち(ヴィレム・デ・クーニング、アーシル・ゴーキー、ロバート・マザウェルら)、アンフォルメルやコブラといった同時期のヨーロッパの動向(アスガー・ヨルン、ジャン・フォートリエ、ピエール・スーラージュら)、色面抽象からポスト・ペインタリー抽象へ向かう作家たち(クリフォード・スティル、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイスら)といったまとまりである。アンフォルメルきってのアクション・ペインターであるジョルジュ・マチウの不在はいささか政治的な配慮も感じられないではないが、作家名を見れば明らかなとおり、これらの作家をアクション・ペインティングの語によって一括することはさすがに強引に過ぎる。正確には数点の例外を含みつつも1950年代から60年代にかけての欧米における表現主義的抽象絵画を通覧する展覧会と総括されるべきであろう。
 もっともアクション・ペインティングを参照項としたことによって、いくつかの興味深い作品が加えられているようだ。例えばモーリス・ルイスが1956年に制作した作品はステイニングを用いながらも明らかにアンフォルメルと親近性をもつ。このタイプの作品は大半が破棄されたため、カタログ・レゾネを見ても10点ほどしか作例がない。あるいはエヴァ・ヘスについてもドローイングはよく知られていたが、カタログに掲載されたアクション・ペインティング風の絵画は私も初めて見る作品であった。日本からはベルリンのギャラリーが所蔵する白髪一雄の作品が出品されている。私はかねてより作品の質において白髪はポロックに拮抗できる数少ない画家と考えており、この問題は水平性や画面との接触、作品のサイズといった問題とも絡めて、機会があればあらためて論じてみたい。
 カタログを一覧して、私はむしろアクション・ペインティングをその限界において理解した。端的に言ってこれらの絵画は絵画性という枷から自由でないのだ。多くの絵画において色彩が多用されている点に留意しよう。ポロックの場合も1952年前後、つまりポーリング絵画の末期に描かれた作品では多くの色彩が導入され、《ブルー・ポールズ》のごとき大作も残されている。しかしながら一見した際の派手さにもかかわらず、これらの作品は質的に必ずしも高くない。むしろポーリング絵画の達成は色彩が抑えられ、モノクロームに近い作例に求められる。本展覧会にポロックの色鮮やかな作例が多く出品されている点は暗示的である。多様な作品が出品されているため、一括することは難しいが、ここに並べられた「アクション・ペインティング」の共通点の一つとしては色彩の多用を指摘することができよう。ストロークの動勢を強調するためには、それらが個々に識別される必要があり、色彩が導入されたといえるかもしれない。この点はむしろ物質性を強調するアンフォルメル絵画との間の微妙な距離と関わっており、あるいはやはりアクション・ペインティングとの関係が指摘される日本の前衛書との関係においても興味深い論点を提起する。
 さて、本展にはリンダ・ベングリスの《ベビー・プラネット》という作品が出品されている。蛍光色に近い色彩は今述べたアクション・ペインティングにおける色彩の過剰の典型であるが、重要な点はこの色彩は塗料や絵具ではなく、ラテックスという素材に与えられた固有の色彩であること、それが撒布された状態で、すなわち水平に実現されていることである。カタログの中には彼女が作品を制作している模様を撮影した写真も掲載されているが、床に向かって缶から塗料を注ぐベングリスのアクションがポロックのパロディであることは明白だ。このカタログには同じように出品作家たちの制作の状況を記録した多くの写真が添えられているが、その中で画面を水平に置く必然性を有す作家がポロック以外にはベングリスと白髪の二人だけである点は注目に値するだろう。そしてベングリスの写真から私は素材を床に撒布するもう一人の作家をたやすく連想する。溶けた鉛を床に投げつけるリチャード・セラである。セラのアクションは「アクション・ペインティング」のきわめて即物的な解釈である。同じ時期に活躍し、例えば1990年にホイットニー美術館で開かれた「ニュー・スカルプチュア」のごとき展覧会でその親近性が指摘されたベングリスとセラのうち、一人だけがこの展覧会に召喚された点は今述べたアクション・ペインティングの限界と深く関わっている。床の上に撒布された蛍光色のラテックスはなおも絵画的とみなされて「アクション・ペインティング」の系譜に回収されるのに対して、飛び散った鉛はもはや絵画とは無縁とみなされる。この微妙な、しかし決定的な断絶こそが、ミニマル・アート以降の新たな美的感性の到来を告げるものであった。しかしながら同様のリテラリズムの兆候は実は同じ「アクション・ペインティング」展に出品された《蜘蛛の巣の中から ナンバー7 1949》のごとき作品に胚胎している。すなわちカンヴァスの表面を切り裂いてむき出しにされたファイバーボードはイメージではなく、素材の物質性としても了解可能であった。しかしそれが視覚上の盲点、一種の不在と読み替えられ、あくまでも絵画の、そして視覚性の内部に位置づけられた時、「アクション・ペインティング」に潜在したもう一つの可能性は切り捨てられることとなった。
by gravity97 | 2009-02-15 09:58 | 展覧会 | Comments(0)

蔡國強

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 1989年に広島市と広島文化財団によって設置されたヒロシマ賞は、美術家を賞の対象として三年に一度、受賞者が選ばれる。これに合わせて毎回、広島市現代美術館で受賞作家の展覧会が開かれてきた。七回目の今年は蔡國強が選ばれ、来年一月まで「蔡國強」展が開催されている。作家のスケールに見合った充実した内容の展覧会である。
 会場に入ると、竹で串刺しにされた合成樹脂製の二頭の巨大な鰐の背中一面、空港のセキュリティーチェックで没収された先の尖った品々を突き刺した《先へ進んでください、見るべきものはありません》という大作が目に入る。サディスティックな作品でありながら、どこかユーモラスな印象を与える点がこの作家の持ち味であろう。巨大な鰐が無数のフォークやカッターナイフで攻撃されている様子は明らかに9・11の寓意であり、最初、ニューヨークのメトロポリタン美術館の屋上庭園に設置されたというから、マンハッタンを睥睨するこの対の鰐をやはりマンハッタンを見下ろしていたもう一つの対へのレクイエムとみるのは強引であろうか。会場にはこのほか一連の火薬ドローイングのほかに、世界各地で行なわれたパフォーマンス「キノコ雲のある世紀」の記録写真、今回の展覧会のために制作された巨大な火薬ドローイング、そしていわき市の砂浜に埋没していた木造の廃船を引き上げて移設したインスタレーションなど存在感のある作品が展示されていた。中でも圧巻は二つのスクリーンに同時に投影される、蔡が過去に行なった火薬を用いるパフォーマンスの記録映像である。私が蔡の作品にあらためて強い印象を受けたのはロンドンのロイヤルアカデミーでのグループショーであった。この際のパフォーマンスの映像も紹介されており、カタログを参照するならば、それは2002年の《マネー・ネット》という作品である。パフォーマンスこそ実見しなかったが、会場の前庭で繰り広げられた花火のパフォーマンスの壮麗な映像に当時も息を呑む思いであった。そして今回、さらに衝撃を受けたのは2005年にエディンバラとバレンシアで発表された《ブラック・レインボウ》という作品である。それまでの作品と異なり、白昼に挙行されるこのパフォーマンスにおいては都市の中空に無数の黒雲が弧を描くように炸裂する。その形状はまさに黒い虹を連想させる。映像からもその印象は圧倒的である。夜間に実施される火薬パフォーマンスが美しくはあっても、限られた観衆に対して比較的限定された場所で行なわれるのに対して、《ブラック・レインボウ》は白昼、都市の上空で炸裂し、市民全員によって目撃される。《ブラック・レインボウ》においては斜め方向に花火が打ち上げられるのに対して、翌年、ニューヨークで発表された《晴天黒雲》は垂直に打ち上げられた花火の爆発がマンハッタンの上空に密集する黒雲をかたちづくる。その印象は美とはほど遠く、きわめて不穏である。このパフォーマンスは最初に触れた串刺しの鰐と同時に発表されたが、都市と黒煙の取りあわせが多くのニューヨーク市民に5年前の惨劇を想起させたことは想像に難くない。
 展覧会の開幕にあたって、蔡は10月25日に原爆ドームの横でパフォーマンス「黒い花火」を実施した。今述べたニューヨークのプロジェクトのヴァリエーションであることは明白である。展覧会場ではこの模様を記録した映像も上映されており、私はこれをみて深い感動を覚えた。原爆ドームの脇に黒々とたなびく煙の柱、それは明らかにキノコ雲だ。ヒロシマという地で爆発をモティーフとした作品を発表し、のみならず黒いキノコ雲を現出させる。それがいかなる意味をもち、どれほど危険なことか、誰にとっても明らかである。逆に言えば自己の表現に対する深い信頼がなければ作家は決してこのような作品を発表することはできないだろう。
 この発表と前後して、東京の若手作家集団が広島市上空に飛行機雲で「ピカッ」という文字を書いて批判され、予定されていた展覧会を「自粛」し、被爆者に「謝罪」するという茶番を演じたが、この事件は逆説的にも蔡の表現の深さを際立たせたように感じる。彼らの表現は思いつきや悪ふざけの域を出るものではないことは明らかだ。もし彼らがなんらかの芸術的確信とともにこの表現を行なったのであれば、安易に反省や謝罪をすべきではないし、少なくともそのような覚悟もなく作品を発表する者に美術家を名乗る資格はない。この事件に関して彼らが「ピカッ」ではなく「No More Hiroshima」と書けばよかったというなんとも的外れというか能天気なコメントも見かけたが、確かに彼らの表現はこのコメントに見合う程度の愚劣さである。つまり「ピカッ」は「ノーモア・ヒロシマ」や「植民地解放のための原爆投下」といった無数の選択肢の中からたまたま選ばれたにすぎず、恣意的でメタフォリカルな記号である。これに対して蔡の黒雲はキノコ雲との形状の一致というメトニミックな関係を有し、ヒロシマにおいて実現されるべき強い必然性を帯びている。さらに別の観点に立つならば、原爆ドーム脇に生じた黒雲は原爆投下後のキノコ雲と強い類似性をもつ点で類像的な記号(アイコン)であるが、煙とは本来的に爆発の結果として生じる指標的な記号(インデクス)である。かくのごとく蔡のパフォーマンスは直ちに記号をめぐる様々の思考を発動させるが、もちろんこれゆえ優れているのではなく、作品としての圧倒的な強度において凡百の「反戦的」な表現の中に屹立するのである。私の考えでは、現実の都市空間に突如出現する黒雲を目撃する体験は崇高という感情に近い。「絵画に関して私が必要と感じることは、それによって人に場の感覚を与えることである。つまり見る者が自分がそこにいる感じ、それゆえ自分自身を意識することである」というバーネット・ニューマンの言葉こそがかかるパフォーマンスにふさわしい。「場の感覚」をとおして、1945年のヒロシマと2008年の広島が重ねられる。それは美術以外では媒介することのできない奇跡である。おそらくこのパフォーマンスのアリバイの一つとして、反戦、鎮魂といった意味づけは今後もなされるだろう。しかし繰り返しになるが、蔡のパフォーマンスは反戦という誰も批判できないメッセージとは全く関係がない。一つの都市を廃墟にした惨劇に拮抗する強度をもった表現を同じ都市を舞台に実現した点において深い感銘を与えるのである。
 このような社会性の強い作品を美術館という公的機関が実施することの困難は容易に想像がつく。キノコ雲のパフォーマンスにあたっては、思いつくだけでも消防、警察、近隣の町内会、そして河川を管轄する国土交通省との折衝が必要であろうし、この内容であれば当然被爆者団体にも説明する必要があろう。そしてこのような煩瑣で事務的、非芸術的な手続きこそが作品の根幹に関わることはいうまでもない。以前、私はある新聞社の文化事業部員から今、世界で一番展覧会に手間のかかる作家は蔡であると冗談交じりの嘆息を聞いたことがあるが、今回の展示を見てもさもありなんという印象である。ヒロシマ賞受賞展という背景が追い風として働いたかもしれないが、間違いなく多くの困難を一つ一つ解決して充実した回顧展とパフォーマンスを実現させた広島市現代美術館に敬意を表したいと思う。
 実は私は蔡が日本に滞在していた時期に、京都の小さな画廊で語らった記憶がある。気さくで人当たりのよい作家が20年ほど後によもや北京オリンピックの芸術監督として活躍するとは想像もできなかった。会場では北京オリンピックのオープニングの華やかな映像も上映され、この意味でも今回の受賞はタイムリーであったといえよう。蔡の作品は明らかに一つのスペクタクルである。オリンピックという場でスペクタクルと政治が結びつくことの危険性はレニ・リーフェンシュタールを想起するならば明らかである。私は蔡がオリンピックの芸術監督となったと聞き、開会式の壮大なページェントを見て、優れた才能がこのまま体制に呑み込まれるのではないかと一抹の不安を感じた。しかし今回の展示を見て不安は解消された。ヒロシマという難題に挑戦し、これほどみごとに応えた作家が美術に対して抱く信念は国家という枠組をはるかに超えている。

図版は広島平和メディアセンターのホームページより転載
by gravity97 | 2008-11-27 21:53 | 展覧会 | Comments(0)