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Living Well Is the Best Revenge

カテゴリ:展覧会( 58 )

 ヴィデオ、それはなんとも過渡期的なメディアだ。むろん絶えざる技術革新という観点に立つならばいかなるメディアも過渡期にあるといえるかもしれない。しかし21世紀初頭という時点において、それは一方で映画=フィルムという産業化されたメディアに後続しながらも、コンピュータ・グラフィクスに代表されるデジタル・イメージが覇権を握る今日、もはや絶滅危惧種とも呼ぶべき位置にある。レンタルヴィデオの隆盛が暗示するとおり、取り扱いの難しいフィルムの代用として、あるいはTV映像を録画、再生するうえでの簡便さゆえに、ヴィデオは多くの場合、既に存在する映像を記録するメディアとして用いられてきた。しかし開発当時、ヴィデオは表現の地平を広げる画期的なメディアとみなされ、多くの作家たちが様々な実験を繰り返した。次代の新技術が導入されるまでのつかのまの間、メディアの消長のはざまに花開いた豊かな成果はかつてのサイレント映画を連想させる。
 東京国立近代美術館で開かれている「ヴィデオを待ちながら」は1970年前後に制作された「ヴィデオ・アート」に焦点をあてた野心的な展覧会である。思うに当時のヴィデオ作品を実際に見ることはフェルメールやマサッチオの作品を実見すること以上に困難である。実体を伴う絵画や壁画であれば美術館や礼拝堂に行けば作品に接することはできる。しかしヴィデオ作品は現在いかなる機関に所蔵されているか必ずしも明確ではなく、型式や上映方式も作品や地域によって異なる。さらに展覧会として組織する場合は映示条件の確認や著作権の処理など、作品ではなくその周辺に煩雑な問題が発生するはずだ。多くの困難を乗り越えてこのような重要な展覧会が日本で実現されたことは喜ばしい。
 先ほど70年前後のヴィデオ・アートに関する展覧会と書いたが、厳密にはこの定義は正しくない。例えば下に示したリチャード・セラの《鉛をつかむ手》は当初ヴィデオではなくフィルムとして上映されており、あるいはフランシス・アリスの印象的な映像は2000-02年という年記を伴っている。しかしこのようなゆるやかな定義によって、70年前後のヴィデオ・アートが提起した問題の本質がより鮮明に浮かび上がるように感じられた。会場入口に置かれたジョン・バルデッサリの《I Am Making Arts》(この作品にフェミニズム的な解釈を与えたジル・ミラーのヴィデオが同じ展覧会に加えられている点は心憎い演出である)が展覧会の姿勢を暗黙のうちに語っている。この点を考えるにあたっては展覧会から除外されている作品を考えるのがよかろう。同時期にやはり映像を用いて発表されながらも今回出品されていない作品の一つは同じ時期に隆盛したハプニングやパフォーマンスを記録した映像作品であり、もう一つはエキスパンデッド・シネマと呼ばれたサイケデリック、感覚的な映像である。つまり、行為の記録としての映像と感覚的な体験としての映像は本展覧会から注意深く排除されている。この結果、この展覧会の主流を占めるのはきわめて思弁的、概念的な作品の系譜であり、バルデッサリの同語反復的な作品はその典型である。会場の劈頭にナム・ジュン・パイクではなくアンディ・ウォーホルの作品が置かれたこともこれと関係している。ヴィデオ・アートの代名詞と呼ぶべきパイクの場合はTVブラやTVガーデンが示すとおり、TVモニターへのフェティシズムが濃厚であり、映像の内容は比較的単純だ。これに対して、今回出品されたウォーホルの作品はきわめて早い時点でヴィデオ・アートの本質である自己言及性を主題としている。
 展示は五つのセクションから構成されている。「鏡と反映」「芸術の非物質化」「身体/物体/媒体」「フレームの拡張」「サイト」という五つのテーマはよく練られている。出品作はよく知られた作品が多く、私も研究書や展覧会カタログのスティル写真として既に見知っていたが、実見するのは初めてという場合が多かった。会場を一巡して多くの発見があった。まずヴィデオというメディアの草創期に、多くの作家が自らの姿を撮影した作品を制作していることにあらためて驚く。「鏡と反映」というセクションで紹介される作品の大半において作家自身がヴィデオの中に映り込み、現実とヴィデオの間の微妙なずれの反復、拡張が作品の主題とされている。この時、ヴィデオとは特殊な鏡の隠喩であり、カタログにも収録されたロザリンド・クラウスの規範的な文献が「ナルシシズムの美学」と題されていたことの意味があらためて了解された。特にヴィトー・アコンチの作品が興味深い。そこでは見ること/見られることという対立、あるいは見られながら見る/見ながら見られるという主体の分裂的な在り方がヴィデオという手段を用いて時に知的に、特に暴力的に分析されていた。続くセクションでは、今日、コンセプチュアル・アート、ボディ・アート、プロセス・アートあるいはアースワークとして分類される多様な作品が紹介される。これらの動向は現実の時間と関わり、作品が具体的な形式をもたない場合が多く、それゆえヴィデオのモニターを介して私たちの前に現前する。反復、循環、位置の転換といったモティーフが作家を横断して、幾度となく提示される。個人的にはアコンチに続いて、セラとブルース・ナウマン、ロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェティ》、さらにゴードン・マッタ=クラークらの伝説的なヴィデオを見ることができたのが収穫であり、70年代に美術の領域でかくも知的な探求が重ねられていたことにあらためて深い感動を覚えた。ヴィデオを実見したのは今回が初めてであるにせよ、かかる美術の磁場に慣れ親しんだ私にとって、知性を欠いた今日の美術に何ら共感がもてないのは仕方がないことである。先に述べたバルデッサリとジル・ミラー、あるいはスミッソンとフランシス・アリスやタシタ・ディーンの作品を比較する時、前者に対する批判あるいはオマージュとして後者の作品が構想されていることも明らかであり、形式をもたない作品の継承と発展という問題もまた興味深い。
 今回の展覧会は展示の方法もテーマに即していた。近年のいわゆる「ヴィデオ・インスタレーション」の流行とともに私たちは暗室の壁面全体にクリアな映像を投影する手法になじんできた。しかし今回、このような大規模なプロジェクションは例外的であり、多くの作品が比較的小さなTVモニターに淡々と上映されていた。モニターの下部に映像の解説が直接掲示されている点も無造作といえば無造作であるが、考えてみれば、それらの作品が発表された当時、壁面へヴィデオを投影する技術は存在しなかったから、モニターの使用は当たり前のことであるし、それ以前にこれらの作家が上映方法ではなく、上映する作品の内容を重視したことを考えるならば、展示効果に阿ることのない今回のインスタレーションはきわめて正当といえるだろう。VHSヴィデオの形態を模した特異な判型のカタログも充実した内容である。この分野に関する日本語の基礎的文献がほとんど存在しないという状況を考慮したのであろう。担当学芸員が当時の状況を概観した「序論」のほかにクラウスの「ヴィデオ:ナルシシズムの美学」(1976)、ベンジャミン・ブクローの「リチャード・セラの作品におけるプロセス彫刻とフィルムについて」(1978)、リズ・コッツの「ヴィデオ・プロジェクション:スクリーンの間の美学」(2004)という三つの論文が再録され、資料性が高い。ヴィデオ・アートをハードウェアとの関係で論じた最後の論文もそれなりに興味深いが、私であれば年代的にも展覧会の内容を深めるためにもこれに代えて、スミッソンの出品作について論じたクレッグ・オーエンスの「アースワーズ」(1979)を収録するだろう。いずれにせよ、高名な論文でありながら、『オクトーバー』の創刊号に掲載された後、ほかの論集に収録されず、参照することが比較的困難であったクラウスの論文が日本語で読めるようになったことはありがたい。ところで以前から気になっていた点であるが、クラウスが援用するラカンの理論は70年代以降、イギリスの映像理論誌『スクリーン』でもしばしば論及されていた。ノーマン・ブライソンのゲイズ/グランスといった概念にみられるとおり、ローラ・マルヴィ、カジャ・シルヴァーマンらの理論がいわゆるニュー・アート・ヒストリー系の研究を裨益したことはよく知られている。しかしなぜかこれらのイギリス系の映画理論は今日にいたるまでヴィデオ・アートの研究に応用された形跡がない。果たしてこの点は映画とヴィデオの差異、ナラティヴィティーの有無に起因するのであろうか。今後考えてみたい問題である。
 今回の展示を私は2時間ほどかけて巡った。映像を全て見ると15時間程度かかるという。本展覧会を機に東京国立近代美術館としても何点かの作品を収蔵する予定があるとも聞いたが、最初に述べたとおり、これらの作品は今後再び目にすることはきわめて困難である。国内で上映する機会を増やす意味でも、もう一箇所、京都国立近代美術館あたりに巡回させることはできなかったのだろうか。画期的な内容であるだけに、この点を少々残念に感じた。
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by gravity97 | 2009-06-04 21:48 | 展覧会 | Comments(0)

「マーク・ロスコ」展

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 川村記念美術館で「マーク・ロスコ」展を見る。素晴らしい展覧会であった。数年に一度、美術館で魂が震えるような体験を味わうことがある。はるばる佐倉まで赴いたかいあって、私にとって久しぶりの、国内で味わうことのまれな感覚を覚えた。
 昨年、同じ美術館でモーリス・ルイスを見た際に、ロスコ・ルームが閉鎖され、そこに展示されていた作品がテート・モダンに貸し出されている旨の表示がなされていたが、今回は逆にテート・モダン所蔵の作品などを迎えて、メインの展示室は15点の大作で構成されている。それらはいずれもニューヨークのシーグラムビル内のレストラン、フォー・シーズンズの内装として注文され、結局ロスコが契約を破棄してまで展示を拒絶した、いわくつきの作品である。ロスコがこのような決断を下した理由も興味深いのであるが、「カタログ」を参照するならば、いくつか微妙な問題をはらんでいてその経緯は必ずしも判然としない。ひとまずここではこの問題についてこれ以上踏み込むことは控える。
 この美術館の展示はアプローチが絶妙だ。最近リニューアルされた常設においても階段を上がるにつれてバーネット・ニューマンの《アンナの光》が姿を現し、みごとな効果を醸しだしている。今回の展覧会でもシーグラム壁画をめぐってロスコとテート・ギャラリーのノーマン・リードの間で交わされた書簡やテートにおける展示プログラムの模型など、興味深い資料が展示された最初の部屋から狭い回廊を通ってメインの展示室に向かうと、まず正面左側、高い位置に掲げられた五点の作品が目に入り、視線を転ずると次第に正面の壁面に展示された大作の五連画が明らかとなる。私が絵画的法悦とも呼ぶべき感銘を受けたのはこの瞬間であった。続いて(正面に向かって)右側に二点の横長の大作、そして正面に対面して三点の大作が設置されている。ロスコ・チャペル同様に自然光を用いて、ホワイトキューブの空間に配置された赤褐色のシーグラム壁画は個々の絵画というよりも空間として圧倒的な印象を与える。この空間を構成する作品は現在、テート・モダンとワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵の作品、そして川村美術館のコレクションによって構成されている。私はテートのロスコ・ルームに何度か通ったことがあるし、ヒューストンのロスコ・チャペルも訪れたことがあるが、今回の展示はそれらにも増して、圧倒的な存在感を与えた。思うに前者は作家の名前を冠した部屋に展示されていたにせよ、やはり広大な美術館の中の一室という思いが拭えず、また後者はフィリップ・ジョンソン設計によるチャペルのあまりにも瞑想的な雰囲気が作品との純粋な対面を妨げていたのではなかろうか。
 今回の展示では今述べたとおり自然光が採用され、人工照明も併用されていた。このため天気や時間によって画面は微妙な精彩を帯び、白い壁面を背景にロスコの絵画の特徴とも呼ぶべき内部から滲出する光のような効果が最大限に生かされていた。作品が設置してある位置は通常の絵画の展示に比べて高く、いくつかの作品にみられるロの字状の構造とともに垂直性が強調されている。作品の設置については配置や間隔にシンメトリーへの配慮が認められるが、画面自体は対称性を欠いている。大画面にもかかわらず、作品相互の感覚が著しく狭いことはこれらの連作が壁面を埋め尽くす文字通り壁画として構想されていた点を暗示している。巨大な色面に直面した際の衝撃、崇高と呼ばれるにふさわしい感覚はバーネット・ニューマンやクリフォード・スティルに共通し、この意味で同じ美術館においてロスコのシーグラム壁画とニューマンの《アンナの光》の前に佇むことができるのは奇跡と呼ぶべき幸運であろう。

 私はこの展示には賛辞を惜しまない。しかし展覧会の在り方としては、本展は作品の本質に関わるいくつかの問題を抱えているように思う。先に述べたとおり、今回の展示ではいわゆるシーグラム壁画30点のうち、15点が出品されている。シーグラム壁画のデータはカタログ・レゾネから容易に特定できるが、ロスコほどの作家の作品借用に関しては様々な問題が介在しているであろうから、出品作品の選択がある程度偶然に支配されることは私も理解している。しかしこれらの作品が当初、一つの部屋の全体に配置されるものとして構成されていた以上、それらをいかに配置するか、壁画プログラムはきわめて重要な問題であるはずだ。そもそもこれほどの大画面の配置がその場で決定されるはずがなく、最初の部屋に展示してあったテートのロスコ・ルームの模型はこのような配置が入念な配慮のもとに行なわれてきたことを暗示している。ロスコを持ち出すまでもなく、通常の展覧会においても、担当学芸員が建築模型と模型に合わせて縮小した作品の図版を用いて事前に展示室内の配置を構想することはよくあることだ。それどころか今回の展示においては作品のサイズに合わせて壁面が設置された可能性が高い。15点の作品の配置は展示の根幹に関わっている。しかし展覧会において、これに関わる説明が一切ないのはどういうことであろうか。私の見落としがなければ、この点について多少とも言及しているテクストは、この展覧会のホームページの中で作品が設置される高さと作品の間隔についてロスコ自身の言葉と関連させてごく短く触れた箇所だけである。「カタログ」の冒頭に掲げられた写真を参照するならば、おそらく佐倉での展示は昨年この展覧会がテート・モダンで開催された際のインスタレーションをある程度踏襲している。しかし『美術手帖』に掲出された図版と比較するならば、作品の順番は異なっているようである。二つの展覧会では作品に若干の異同があった可能性もあるが、私の手元にはテート・モダンのカタログがないため今のところ確認できない。ロスコがこれらの壁画によって空間そのものの創出を試みた以上、今回、企画者がどのような意図と配慮のもとに展示空間の再現を試みたかについては十分な説明があってしかるべきではないか。その根拠を示さないのは作家に対して敬意を欠いた態度に感じられる。せめて川村記念美術館における展示風景を図版として残すべきであろう。インスタレーションやミニマル・アートの作家の場合、展覧会が始まってから会場の写真を撮影したうえでカタログを制作する、あるいはカタログの別冊として残すことは日常的に行なわれている。なぜこのような努力がなされていないのだろうか。
 この問題は今回の展覧会の「カタログ」と関わっている。今回の展覧会の意義は単にロスコの展覧会を開いたことではない。たとえ半数とはいえ、作家の生前にさえ実現しなかったシーグラム壁画を一同に展示したことに求められる。したがって企画の意図に沿うならば、今回のカタログは当然シーグラム壁画に集中すべきであるように思われる。ところが美術館ではなく淡交社が制作した今回のカタログを見て驚く。そこには展示されていない作品まで図版が掲載されている一方で、今回の壁画プログラムの詳細についてはほとんど触れられていない。この理由により私は先ほどからこの奇怪な画集を括弧つきの「カタログ」と呼ぶしかないのであるが、結果的に展覧会の輪郭はきわめてあいまいになっている。例えば展覧会ではテートのノーマン・リードとの間で交わされたこれらの壁画の帰趨をめぐるきわめて重要かつ興味深い資料が展示されている。ところがこれらはなぜか「カタログ」に一切掲載されていない。その代わりに収録されているのはドーリ・アシュトンの回想やらなんら新鮮味のない下品な評伝やら、シーグラム壁画と直接の関連をもたない資料ばかりである。もちろん当事者であるアシュトンの回想はいくつもの興味深い内容をはらみ、寄せられたいくつかの論文もそれ自体は示唆に富む。しかしそれらはロスコに関する論集として出版すればよい内容である。展覧会と「カタログ」は完全に乖離している。
 最近このような「カタログ」が増えてきた理由ははっきりしている。展覧会とは切り離して書籍として書店でも販売可能な形態をとることによって、美術館はカタログ制作に関わるリスクを回避し、出版社はあまり労力を用いることなく、さしあたり話題性のある刊行物を出版して、美術館で販売できる。あるいは学芸員にとってはカタログ編集という面倒な仕事を出版社に押しつけることもできる。なんという安易さだろうか。この結果、残されるのは展覧会の記録でもなく、本格的な論集でもない、鵺のような奇怪な書物である。この「カタログ」の編集に携わった関係者の一人が最近あるところでロスコに関する一冊のまともな日本語の画集もない現在、代表作を網羅し、研究論文や評伝まで加えた決定版ともいえる文献を「この展覧会を契機に」刊行できたと自画自賛する文章を書きつけているのを目にした。笑わせてはいけない。一人の作家の展覧会を組み立てるということは、作家が何を考えて作品を制作したかに真摯に向き合うことである。少なくともシーグラム壁画を展覧会の主題とする以上、カタログで扱われるべきは個々の作品ではなく、絵画が展示される場所であるはずだ。展覧会が開かれることを渡りに船と、「代表作」の小さな図版を数点加えた安易な編集でロスコの芸術を世に問おうという姿勢は、作家に対する無理解に起因する。さらにいえば作品の前に足を運ばずとも書店で入手可能なお手軽な「カタログ」でこの偉大な作家についてなにごとかを語ったつもりでいる傲慢さそれ自体が作品の体験を何よりも重視したロスコに対する冒涜以外のなにものでもない。
 必ずしも説明責任を果たしていないにせよ、展覧会そのものは作家の意図に誠実に応答する、優れた内容であったと感じる。それゆえ一層私は展示と「カタログ」の懸隔が気になるのだ。確かに欧米に比べて、日本の場合は展覧会に関わる業務の専門化が遅れている。しかしつかのまの展示に対して、展覧会図録は基本文献として公準化される。両者は一体であると私は信じている。この展覧会ではしなくも露呈した両者のギャップが暗示するのは、今日の美術館と学芸員の質的な劣化、あるいは展覧会という文化産業の商業主義化のいずれであろうか。

図版は川村記念美術館ホームページより転載
by gravity97 | 2009-05-22 21:23 | 展覧会 | Comments(0)

ACTION PAINTING

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 ジャクソン・ポロックが20世紀美術において最重要の画家の一人であり、彼の創始した「アクション・ペインティング」が近代美術の結節点であるのみならず、それ以降の美術に決定的な影響を与えた点は今日広く認められている。しかしこの点を展覧会として検証する試みはこれまでほとんどなかった。本書は昨年1月27日から5月12日までバーゼルのバイエラー財団美術館で開催された「アクション・ペインティング」という展覧会のカタログであり、ポロックのアクション・ペインティングを同時代、そしてそれ以後の作家に与えた影響という観点から検証する内容である。これまでに企画され、同じ問題を扱った数少ない展覧会が、例えばアクションや重力といった問題を主題として、むしろ絵画を解体する契機としてアクション・ペインティングをとらえていたのに対し、あくまでも絵画を中心に据えてポロックの革新を検証した点に本展の独自性が認められよう。
 アクション・ペインティング受容におけるアポリアとはそれが文字通りアクションとペインティングという二つの局面に関わっていることに起因する。両者は写真と絵画、原因と結果あるいは時間と空間といったいくつもの対立へと展開可能であろうし、ハロルド・ローゼンバーグとクレメント・グリーンバーグという二人の批評家を対比させてもよい。この展覧会はこのうち後者に焦点をあてて、アクション・ペインティングの可能性を探る内容といえよう。
 展覧会にはポロックを含めて27名の作家が出品している。展示そのものは未見のため、図版として掲出されている作品が全て出品されたか否かについては判断できないが、ポロックの作品14点を含め、レヴェルの高い内容であることは明らかである。しかし展示の構成はやや散漫な印象を受ける。出品作家たちはいくつかのグループに分けることができよう。それはポロックと同時代に活動した抽象表現主義の第一世代の作家たち(ヴィレム・デ・クーニング、アーシル・ゴーキー、ロバート・マザウェルら)、アンフォルメルやコブラといった同時期のヨーロッパの動向(アスガー・ヨルン、ジャン・フォートリエ、ピエール・スーラージュら)、色面抽象からポスト・ペインタリー抽象へ向かう作家たち(クリフォード・スティル、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイスら)といったまとまりである。アンフォルメルきってのアクション・ペインターであるジョルジュ・マチウの不在はいささか政治的な配慮も感じられないではないが、作家名を見れば明らかなとおり、これらの作家をアクション・ペインティングの語によって一括することはさすがに強引に過ぎる。正確には数点の例外を含みつつも1950年代から60年代にかけての欧米における表現主義的抽象絵画を通覧する展覧会と総括されるべきであろう。
 もっともアクション・ペインティングを参照項としたことによって、いくつかの興味深い作品が加えられているようだ。例えばモーリス・ルイスが1956年に制作した作品はステイニングを用いながらも明らかにアンフォルメルと親近性をもつ。このタイプの作品は大半が破棄されたため、カタログ・レゾネを見ても10点ほどしか作例がない。あるいはエヴァ・ヘスについてもドローイングはよく知られていたが、カタログに掲載されたアクション・ペインティング風の絵画は私も初めて見る作品であった。日本からはベルリンのギャラリーが所蔵する白髪一雄の作品が出品されている。私はかねてより作品の質において白髪はポロックに拮抗できる数少ない画家と考えており、この問題は水平性や画面との接触、作品のサイズといった問題とも絡めて、機会があればあらためて論じてみたい。
 カタログを一覧して、私はむしろアクション・ペインティングをその限界において理解した。端的に言ってこれらの絵画は絵画性という枷から自由でないのだ。多くの絵画において色彩が多用されている点に留意しよう。ポロックの場合も1952年前後、つまりポーリング絵画の末期に描かれた作品では多くの色彩が導入され、《ブルー・ポールズ》のごとき大作も残されている。しかしながら一見した際の派手さにもかかわらず、これらの作品は質的に必ずしも高くない。むしろポーリング絵画の達成は色彩が抑えられ、モノクロームに近い作例に求められる。本展覧会にポロックの色鮮やかな作例が多く出品されている点は暗示的である。多様な作品が出品されているため、一括することは難しいが、ここに並べられた「アクション・ペインティング」の共通点の一つとしては色彩の多用を指摘することができよう。ストロークの動勢を強調するためには、それらが個々に識別される必要があり、色彩が導入されたといえるかもしれない。この点はむしろ物質性を強調するアンフォルメル絵画との間の微妙な距離と関わっており、あるいはやはりアクション・ペインティングとの関係が指摘される日本の前衛書との関係においても興味深い論点を提起する。
 さて、本展にはリンダ・ベングリスの《ベビー・プラネット》という作品が出品されている。蛍光色に近い色彩は今述べたアクション・ペインティングにおける色彩の過剰の典型であるが、重要な点はこの色彩は塗料や絵具ではなく、ラテックスという素材に与えられた固有の色彩であること、それが撒布された状態で、すなわち水平に実現されていることである。カタログの中には彼女が作品を制作している模様を撮影した写真も掲載されているが、床に向かって缶から塗料を注ぐベングリスのアクションがポロックのパロディであることは明白だ。このカタログには同じように出品作家たちの制作の状況を記録した多くの写真が添えられているが、その中で画面を水平に置く必然性を有す作家がポロック以外にはベングリスと白髪の二人だけである点は注目に値するだろう。そしてベングリスの写真から私は素材を床に撒布するもう一人の作家をたやすく連想する。溶けた鉛を床に投げつけるリチャード・セラである。セラのアクションは「アクション・ペインティング」のきわめて即物的な解釈である。同じ時期に活躍し、例えば1990年にホイットニー美術館で開かれた「ニュー・スカルプチュア」のごとき展覧会でその親近性が指摘されたベングリスとセラのうち、一人だけがこの展覧会に召喚された点は今述べたアクション・ペインティングの限界と深く関わっている。床の上に撒布された蛍光色のラテックスはなおも絵画的とみなされて「アクション・ペインティング」の系譜に回収されるのに対して、飛び散った鉛はもはや絵画とは無縁とみなされる。この微妙な、しかし決定的な断絶こそが、ミニマル・アート以降の新たな美的感性の到来を告げるものであった。しかしながら同様のリテラリズムの兆候は実は同じ「アクション・ペインティング」展に出品された《蜘蛛の巣の中から ナンバー7 1949》のごとき作品に胚胎している。すなわちカンヴァスの表面を切り裂いてむき出しにされたファイバーボードはイメージではなく、素材の物質性としても了解可能であった。しかしそれが視覚上の盲点、一種の不在と読み替えられ、あくまでも絵画の、そして視覚性の内部に位置づけられた時、「アクション・ペインティング」に潜在したもう一つの可能性は切り捨てられることとなった。
by gravity97 | 2009-02-15 09:58 | 展覧会 | Comments(0)

蔡國強

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 1989年に広島市と広島文化財団によって設置されたヒロシマ賞は、美術家を賞の対象として三年に一度、受賞者が選ばれる。これに合わせて毎回、広島市現代美術館で受賞作家の展覧会が開かれてきた。七回目の今年は蔡國強が選ばれ、来年一月まで「蔡國強」展が開催されている。作家のスケールに見合った充実した内容の展覧会である。
 会場に入ると、竹で串刺しにされた合成樹脂製の二頭の巨大な鰐の背中一面、空港のセキュリティーチェックで没収された先の尖った品々を突き刺した《先へ進んでください、見るべきものはありません》という大作が目に入る。サディスティックな作品でありながら、どこかユーモラスな印象を与える点がこの作家の持ち味であろう。巨大な鰐が無数のフォークやカッターナイフで攻撃されている様子は明らかに9・11の寓意であり、最初、ニューヨークのメトロポリタン美術館の屋上庭園に設置されたというから、マンハッタンを睥睨するこの対の鰐をやはりマンハッタンを見下ろしていたもう一つの対へのレクイエムとみるのは強引であろうか。会場にはこのほか一連の火薬ドローイングのほかに、世界各地で行なわれたパフォーマンス「キノコ雲のある世紀」の記録写真、今回の展覧会のために制作された巨大な火薬ドローイング、そしていわき市の砂浜に埋没していた木造の廃船を引き上げて移設したインスタレーションなど存在感のある作品が展示されていた。中でも圧巻は二つのスクリーンに同時に投影される、蔡が過去に行なった火薬を用いるパフォーマンスの記録映像である。私が蔡の作品にあらためて強い印象を受けたのはロンドンのロイヤルアカデミーでのグループショーであった。この際のパフォーマンスの映像も紹介されており、カタログを参照するならば、それは2002年の《マネー・ネット》という作品である。パフォーマンスこそ実見しなかったが、会場の前庭で繰り広げられた花火のパフォーマンスの壮麗な映像に当時も息を呑む思いであった。そして今回、さらに衝撃を受けたのは2005年にエディンバラとバレンシアで発表された《ブラック・レインボウ》という作品である。それまでの作品と異なり、白昼に挙行されるこのパフォーマンスにおいては都市の中空に無数の黒雲が弧を描くように炸裂する。その形状はまさに黒い虹を連想させる。映像からもその印象は圧倒的である。夜間に実施される火薬パフォーマンスが美しくはあっても、限られた観衆に対して比較的限定された場所で行なわれるのに対して、《ブラック・レインボウ》は白昼、都市の上空で炸裂し、市民全員によって目撃される。《ブラック・レインボウ》においては斜め方向に花火が打ち上げられるのに対して、翌年、ニューヨークで発表された《晴天黒雲》は垂直に打ち上げられた花火の爆発がマンハッタンの上空に密集する黒雲をかたちづくる。その印象は美とはほど遠く、きわめて不穏である。このパフォーマンスは最初に触れた串刺しの鰐と同時に発表されたが、都市と黒煙の取りあわせが多くのニューヨーク市民に5年前の惨劇を想起させたことは想像に難くない。
 展覧会の開幕にあたって、蔡は10月25日に原爆ドームの横でパフォーマンス「黒い花火」を実施した。今述べたニューヨークのプロジェクトのヴァリエーションであることは明白である。展覧会場ではこの模様を記録した映像も上映されており、私はこれをみて深い感動を覚えた。原爆ドームの脇に黒々とたなびく煙の柱、それは明らかにキノコ雲だ。ヒロシマという地で爆発をモティーフとした作品を発表し、のみならず黒いキノコ雲を現出させる。それがいかなる意味をもち、どれほど危険なことか、誰にとっても明らかである。逆に言えば自己の表現に対する深い信頼がなければ作家は決してこのような作品を発表することはできないだろう。
 この発表と前後して、東京の若手作家集団が広島市上空に飛行機雲で「ピカッ」という文字を書いて批判され、予定されていた展覧会を「自粛」し、被爆者に「謝罪」するという茶番を演じたが、この事件は逆説的にも蔡の表現の深さを際立たせたように感じる。彼らの表現は思いつきや悪ふざけの域を出るものではないことは明らかだ。もし彼らがなんらかの芸術的確信とともにこの表現を行なったのであれば、安易に反省や謝罪をすべきではないし、少なくともそのような覚悟もなく作品を発表する者に美術家を名乗る資格はない。この事件に関して彼らが「ピカッ」ではなく「No More Hiroshima」と書けばよかったというなんとも的外れというか能天気なコメントも見かけたが、確かに彼らの表現はこのコメントに見合う程度の愚劣さである。つまり「ピカッ」は「ノーモア・ヒロシマ」や「植民地解放のための原爆投下」といった無数の選択肢の中からたまたま選ばれたにすぎず、恣意的でメタフォリカルな記号である。これに対して蔡の黒雲はキノコ雲との形状の一致というメトニミックな関係を有し、ヒロシマにおいて実現されるべき強い必然性を帯びている。さらに別の観点に立つならば、原爆ドーム脇に生じた黒雲は原爆投下後のキノコ雲と強い類似性をもつ点で類像的な記号(アイコン)であるが、煙とは本来的に爆発の結果として生じる指標的な記号(インデクス)である。かくのごとく蔡のパフォーマンスは直ちに記号をめぐる様々の思考を発動させるが、もちろんこれゆえ優れているのではなく、作品としての圧倒的な強度において凡百の「反戦的」な表現の中に屹立するのである。私の考えでは、現実の都市空間に突如出現する黒雲を目撃する体験は崇高という感情に近い。「絵画に関して私が必要と感じることは、それによって人に場の感覚を与えることである。つまり見る者が自分がそこにいる感じ、それゆえ自分自身を意識することである」というバーネット・ニューマンの言葉こそがかかるパフォーマンスにふさわしい。「場の感覚」をとおして、1945年のヒロシマと2008年の広島が重ねられる。それは美術以外では媒介することのできない奇跡である。おそらくこのパフォーマンスのアリバイの一つとして、反戦、鎮魂といった意味づけは今後もなされるだろう。しかし繰り返しになるが、蔡のパフォーマンスは反戦という誰も批判できないメッセージとは全く関係がない。一つの都市を廃墟にした惨劇に拮抗する強度をもった表現を同じ都市を舞台に実現した点において深い感銘を与えるのである。
 このような社会性の強い作品を美術館という公的機関が実施することの困難は容易に想像がつく。キノコ雲のパフォーマンスにあたっては、思いつくだけでも消防、警察、近隣の町内会、そして河川を管轄する国土交通省との折衝が必要であろうし、この内容であれば当然被爆者団体にも説明する必要があろう。そしてこのような煩瑣で事務的、非芸術的な手続きこそが作品の根幹に関わることはいうまでもない。以前、私はある新聞社の文化事業部員から今、世界で一番展覧会に手間のかかる作家は蔡であると冗談交じりの嘆息を聞いたことがあるが、今回の展示を見てもさもありなんという印象である。ヒロシマ賞受賞展という背景が追い風として働いたかもしれないが、間違いなく多くの困難を一つ一つ解決して充実した回顧展とパフォーマンスを実現させた広島市現代美術館に敬意を表したいと思う。
 実は私は蔡が日本に滞在していた時期に、京都の小さな画廊で語らった記憶がある。気さくで人当たりのよい作家が20年ほど後によもや北京オリンピックの芸術監督として活躍するとは想像もできなかった。会場では北京オリンピックのオープニングの華やかな映像も上映され、この意味でも今回の受賞はタイムリーであったといえよう。蔡の作品は明らかに一つのスペクタクルである。オリンピックという場でスペクタクルと政治が結びつくことの危険性はレニ・リーフェンシュタールを想起するならば明らかである。私は蔡がオリンピックの芸術監督となったと聞き、開会式の壮大なページェントを見て、優れた才能がこのまま体制に呑み込まれるのではないかと一抹の不安を感じた。しかし今回の展示を見て不安は解消された。ヒロシマという難題に挑戦し、これほどみごとに応えた作家が美術に対して抱く信念は国家という枠組をはるかに超えている。

図版は広島平和メディアセンターのホームページより転載
by gravity97 | 2008-11-27 21:53 | 展覧会 | Comments(0)

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 やや旧聞に属するが、国立新美術館で開催されていた「アヴァンギャルド・チャイナ」を訪れた。予想以上に過激で新鮮な内容に驚く。今日、これほど刺激的な作品が量産されている地域をほかに思い浮かべることは困難である。
 今回の展覧会では1980年代中盤から今日までの20年間の中国の現代美術を紹介している。わずか20年余の短い期間にも関わらず、作品の傾向や表現方法がなんと多様なことか。メインタイトルに「中国の現代美術」という名が冠されていない点は示唆的である。次に述べるように、今回の展覧会ではこの20年間の中国本土における「現代美術」を概観することが意図されているのであるが、ここに出品された作品を地域や歴史として統括することにあまり大きな意味は感じられない。過激さにおいて際立ったこれらの作品を総括する名称を与えるとすれば、歴史性の含意を切り捨てたうえで、表現の先鋭性を意味するアヴァンギャルド以外にはありえないだろう。
 確かに89年、ポンピドーセンターでの「大地の魔術師たち」の頃から、パリやニューヨークを経由して国外で活動する中国の若手作家に関する情報が入ってきていたが、今回出品された作品は基本的に80年代以降、中国国内で活動した作家によって制作されている。つまり、天安門事件前後の社会状況に直接対峙した作家によって構成されているのである。この点は同じ「社会主義国」の美術であっても、ソビエト末期の作家たちの受容と対照を示している。カバコフに代表されるとおり、文化的亡命を果たしたいわゆる「ソッツ・アート」の作家たちが資本主義体制内でそのオリジナリティーを発揮したのに対し、これらの作家たちはあくまでも体制内に留まりながらアヴァンギャルディズムの可能性を問うのである。ナチスやスターリン治世下における芸術の在り方を想起するならば、中国における共産主義とアヴァンギャルドの共存はきわめて特異で問題提起的である。しかしこの問題はブログで論じるには大きすぎる。ひとまず若干の作品について所感を記す。
 展覧会は「アモイ・ダダ」と呼ばれる動向から出発する。美術館で展覧会を開き、展覧会終了後に美術館の前庭で出品作品を焼却するという1986年のイヴェントは前例がない訳でもないが、美術史のタブラ・ラサという点で新しい美術の出発点を画しているだろう。ここに出品された作品全体をなんらかの美術運動との関連づけることは不可能であるが、否定と破壊という点で多くの作家にダダイスムの精神が認められる。例えばアモイのイヴェントにも参加した黄永砅という作家は『中国絵画史』と『現代絵画簡史』という二冊の書物を洗濯機で攪拌した作品も出品しているが、この作品は直ちにジョン・レイサムが1966年にクレメント・グリーンバーグの著書『芸術と文化』に対して行なった冒瀆的なパフォーマンスを連想させる。黄がレイサムを知っていたか否かは不明であるが、この作品は権威や絵画史への反抗の身振りであると同時にもはや歴史を参照せずとも作品が可能なポスト・モダンの到来を暗示している。これを証明するかのように展覧会ではパフォーマンスから、ポップ・アート、幾何学的抽象からコンセプチュアル・アートまで、百花斉放というより何でもありといった印象の多様な表現が繰り広げられている。
 あらためて感じるのは身体性という問題が多くの作家にとって中心的な課題となっている点である。今回、最も衝撃的な作品は馬六明と張洹のパフォーマンスのヴィデオであった。いずれの作家においても作家の身体が表現の直接的な媒体とされ、私はこれらの作品から50年代の芦屋や60年代のウィーンを連想した。これらのパフォーマンスの共通点は全裸で演じられる点である。魚を生きたまま熱湯の中で煮る。宙吊りになった作家の身体から抜き取った血液を煮沸する。暴力的な衝動が馬にあってはサディズムへ、張にあってはマゾヒズムへ転化されて、センセーショナルに提示される。肉片を指で揉み続ける映像を提示する顧徳新、あるいは皮膚をかきむしる行為を淡々と映示する張培力の作品はアンチ・クライマックスという手法においてミニマリズムの反映を認めることもできようが、例えば後者をウォーホルの一連のフィクスト・ムービーと比較する時、やはり素材としての身体が突出していることは明らかである。肉片や血液、肉体は撮影される対象というより、作品の素材として直接作家の手によって変形される。おそらくこのような傾向の延長上に孫原と彭禹という二人の作家ユニットがいる。カタログを読んでかつて横浜トリエンナーレで人間の脂肪を塗りたくった柱を出品した作家であったことを思い出したが、今回の展覧会にも本物の老人そっくりな13体の樹脂製人形を電動車椅子に乗せ、室内を自走させるというショッキングな作品を発表している。カタログによれば彼らは実際に人間の死体を利用した作品を制作したらしい。私の知る限り、人間の死体を使用した作品は欧米に存在しない。死体が売買されているといった事情はあろうが、人間の尊厳というか表現をめぐる一線をかくも軽々と踏み越える作家の出現は私にとって驚異であった。しかしこれについても作家解説の中で触れられている程度で、資料が少ない。写真の掲出は困難であったかもしれないが、少なくともいくつかのブログやホームページで企画者側が説くように、多くの困難を越えて開催にこぎつけた展覧会である以上、出品作家に関してももう少し詳細なデータが準備されるべきではないだろうか。ハプニングやアクションの調査が困難であることはよく承知しているが、明らかに身体的な表現が現在、中国で沸点に達していることが了解されるがゆえに、出品作品以外の情報も望まれるのである。私は日本の戦後美術においても身体を用いた表現が一つの系譜をかたちづくっていると考えるが、中国の状況を勘案するに、それは東アジアという風土と関係を結ぶのであろうか。この問題はさらに広い視野から検討する必要があるだろう。
 平面作品や写真を用いた作品も完成度は高く、展覧会はきわめて充実している。平面に関してはこれまで国内でも紹介された作家が多く、既視感があったが、そこに並べられたイメージとポップ・アートあるいはシミュレーション・アートとの関係などは今後問われるべき課題であろう。これらの作品はなんらかの文脈の中に整理して論じるべきか、それとも一つの現象として投げ出すことこそが、作品の正しい遇し方なのであろうか。この問いに答えるためにはもう少し多くの作品を見る必要があるように感じられた。それにしてもこの20年に限っても、ニューヨークやパリで開かれる作家の個展が毎月、美術雑誌に掲載される一方で、日本海を隔てた隣国の現代美術がこれまでほとんど紹介されなかった状況は異常である。ほぼ同じ時期に東京国立近代美術館で開催されていた「エモーショナル・ドローイング」も含めて、ようやく私たちは同時代のアジアの美術をリアル・タイムに論じることができるようなキューレーションの視座を手に入れたといえるのではなかろうか。
by gravity97 | 2008-11-10 17:40 | 展覧会 | Comments(0)

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 川村記念美術館でモーリス・ルイスの回顧展が開かれている。単独の回顧展としては1986年の滋賀県立近代美術館での展示以来、22年ぶりとなる。展示は前回が16点、今回が15点とほぼ同数の絵画で構成されている。ルイスの絵画は多く縦長の「ストライプ」を除いてほとんどが3メートルを越す大作なので、美術館の空間といえどもこの点数が限界ということであろう。
 滋賀で回顧展が開かれた頃はまだ国内の美術館にルイスの作品は収蔵されておらず、この意味でも画期的な展観であった。点数こそほとんど同じであるが、今回の出品作には一つの大きな違いがある。滋賀で展示された作品は全てアンドレ・エメリック・ギャラリーから出品されていたが、今回の出品作は3点を除いて、国内の美術館と画廊のコレクションから選ばれている。つまりこの展覧会は20年の間に蓄積された国内のルイスのコレクションの厚みを示す内容といってよい。この厚みは近年も増しており、最近も私はある美術館を訪ねた折にまもなく収集委員会に諮られるというルイスの「ヴェイル」を収蔵庫で見る機会を得た。その作品はイメージが縦向きに分割され、ルイスのカタログ・レゾネを参照しても十数点しか作例のない「スプリット・ヴェイル」の中の一点であった。しかしこの作品はむしろ例外であって、日本の美術館がルイスの作品を収集する場合、「ヴェイル」もしくは「アンファールッド」の典型的な作品を求めるだろうから(「表現性」に乏しい「ストライプ」は日本の美術館の感性では理解されにくい)結果的にコレクションの層は厚くなったとしても、同じような作品が収集されがちである。この意味で大半が国内コレクションによって構成された本展の限界はおのずから明らかである。22年前の展示は私がルイスをまとめて見る初めての体験であったことを差し引いて考えても今回より明らかにヴァリエーションに富み、ルイスの展開を通覧するうえで充実した内容であった。
 しかしヴァリエーションや展開とかいった概念にこそルイスが疑問を投げかけたことはいうまでもない。ルイスは短い生涯の中で600点以上の作品を残したが、その大半はヴェイル、アンファールッド、ストライプの三つのタイプに分類される。作家の意に沿わない作品をほとんど破棄したため、作品の展開は移行期を伴わず劇的である。そもそもそれは「展開」なのであろうか。ルイスの絵画はフォーマリズム美術の頂点に位置するにも関わらず、実は「近代絵画」、「カタログ・レゾネ」、「美術史学」といったモダニズムのディシプリン(規律/訓練)を内側から破壊するような過激さをはらんでいる。しかしこの問題はブログの中で論じるにはあまりにも大きい。ひとまず展覧会の所感を記そう。
 86年の回顧展以後、私は国内外で多くのルイスの作品を見てきた。しかし最初に述べたとおり、ルイスの絵画は巨大であるため、一点、多くとも二点程度が展示してある場合がほとんどで、作品を比較することは困難であった。これに対して、7点のヴェイル、3点のアンファールッド、3点のストライプで構成された今回の展示を通覧する時、私たちは同じタイプの作品、端的に国内の美術館に所蔵されたヴェイルを比較することができる。今回出品されたヴェイルは多くが内部を二つの垂直線で三分割されたトリアディック・ヴィイルであり、相互を比較する時、質的な格差も明らかとなる。私の印象では出品作中、滋賀県立近代美術館所蔵の《ダレット・ペー》が圧倒的に優れている。比較的均質化された画面ながら、ステイニングが相互に透過する様子が明瞭に知覚され、最上部において混色される以前のマグナ絵具の発色を確認することができる。また画面右側にはところどころ色彩の粒子が垂下する様子が認められ、これはまさに光の粒子とでも呼ぶべき絶妙の効果をもたらしている。このような作品はあまり類例がない。海外で多くのルイスを見てきた者として私はかかる判断にある程度自信があるのだが、興味深いことにカタログで見る限り、このような特質を認識することはきわめて困難である。私たちは図版を介して作品を理解することに慣れているが、カラーフィールド・ペインティングにおいて実作と図版の懸隔はことに著しい。ルイスの作品は実作を眼前としない限り評価することが不可能であることを私はあらためて実感した。しかもこのような評価は同じタイプの作品を比較することによって初めて可能となるから、自らの目によってこのような判定を下すためにはるばる佐倉まで赴くことの意義は十分にあるだろう。
 アンファールッドは3点とも国内からの出品であり、既に見ていた。今さらながらこれらは異例きわまりない絵画である。画面の中央に向かう時、そこに広がるのは地塗りさえされていないロウ・カンヴァスであり、特に画面に近接する時、両端のイメージさえほとんど視界に入ることはない。これほど大胆なイメージは絵画史上、例をみないように感じる。今回の展示で工夫が感じられたのはルイスのアトリエの再現である。作家のアトリエの再現といえば、最近では98年のニューヨーク近代美術館におけるジャクソン・ポロックの回顧展に先例がある。近代美術館に足を運び、再現(というより移築)されたアトリエに内部に入ると床に飛び散った生々しい塗料の跡とともにあらためてポロックの絵画のスケールが感得されたことが想起される。これに対して今回はまことに形式的な手法が用いられ、アトリエのスケールのみが再現されたニュートラルな小部屋が会場内に設えられていた。あらためて驚く。このような狭い空間では作品を一望どころかアンファールッドにいたってはステイニングの広がりを確認することさえ困難ではないか。作家の死後、ほとんどがロール状に巻かれた状態で遺されていた多くの作品は批評家クレメント・グリーンバーグの指示に従って裁断された。作品の軸性や範囲についてこれまで何度か疑問が呈されたことはよく知られている。私はグリーンバーグの決定自体はある程度の妥当性を有していると思うが、作家が作品の最終的なイメージに確信があったとは思えない。ヴェイルの方向、ストライプの裁断範囲について、作家自身の判断の揺れはこの点を傍証している。作品の売買、あるいは展覧会での展示という、いわば商業的、資本主義的な要請によってルイスの作品が現在あるような画一的なイメージへと収斂したとすれば、モダニズム美術と資本主義の関係に一つの問題を提起するように感じる。
 しかし実際にルイスの作品を見る体験はこのような小難しい議論とは無関係である。今回の展示を見て、私はあらためてルイスが光の画家であるという思いを強くした。なんら具体的なイメージが描かれていないにも関わらず、ヴェイルの錯綜するステイニングの中から、アンファールッドの滴りの間から、充溢する光が感受される。時代も作風も全く異なるが、私は光という主題に沿って、フェルメール、モネ、ルイスという三人の画家の名を連ねたいという誘惑に駆られる。彼らの絵画はいずれも光と関わり、おそらく人間が創造した絵画の中で最も美しい。瞬間性、変化や移行、あるいは持続性。彼らの絵画が常に時間との関係において語られることもまた暗示的ではないか。
 最後にカタログについて記す。今回の展覧会は「秘密の色層」というサブタイトルが付され、メインテクストもルイスの技法に関わる内容であった。ルイスに関しては技法の問題が議論の一つの中心となっていることは否定しない。しかし日本で20余年ぶりの展覧会である。当然、ルイスの画業全般に関する概論的なテクストがあってよかったのではないか。そもそも今回の展覧会においてルイスの技法に焦点をあてる必然性は特に感じられない。ルイスを論じることの困難は十分に理解するが、困難を回避するために展覧会のテーマが設定されたとすれば、美術館の姿勢としてなんとも安易に感じられる。
by gravity97 | 2008-10-07 22:23 | 展覧会 | Comments(0)

フェルメール展

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 上野でフェルメールを見る。
 17世紀、オランダ、デルフトの画家、フェルメールが制作した絵画は異説あるものの35点しか現存しない。しかも世界各地に散在して秘蔵されているため、全てを見ることは困難をきわめる。このため、美術通はフェルメールを何点見たかを競い、かくいう私も海外出張のたびに、事前に出張先やその近辺にフェルメールが所蔵されていないかを調べ、何十年もフェルメール巡りを続けてきた。トマス・ハリスの『ハンニバル』の最後の部分にバーニーという登場人物がブエノス・アイレスの国立美術館で展示されているフェルメールをある事情によって見逃すというエピソードがある。「バーニーがついに見ずに終わった唯一のフェルメールは、ブエノス・アイレスの美術館に展示している作品である」という一文はハリスらしいディレッタンティズムが横溢している。(ただし実際にはアルゼンチンにはフェルメールの作品は存在しない)
 フェルメールの作品は過去にも何度か日本で公開され、2000年には大阪市立美術館で5点を集めた「フェルメール展」が開催された。しかしこの作家に関して、私は収蔵された場所で作品を見るという原則を自らに課しており、たまたま訪れた展覧会に出品されていた作品を見たことはあっても、フェルメールを目的に国内の美術館に足を運んだことはない。そして実際、近年日本で公開されたフェルメールの作品の多くを私は所蔵されている美術館で見てきた。今回の展覧会の出品作も大半は既に実見していたが、7点のうち2点が個人そしてこれからも訪れることの比較的困難な美術館に所蔵されていることを知り、あえて方針を曲げて上野に赴くことにした。フェルメールと銘打った展覧会の常としてフェルメールの作品を取り巻くように同時代のオランダの作家の作品が展示され、今回も「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」というサブタイトルが示すとおり、デルフトとゆかりのある作家たちの作品を合わせて展示していた。展覧会が始まってまもなく上野を訪ねたため、チケットのために行列するほどの人出ではなかったが、予想通り会場はかなり混雑していた。
 今回の展示のハイライトは2004年にも東京と神戸で公開されたウィーン美術史美術館所蔵の《絵画芸術》のはずであった。近年、森村泰昌が独自の解釈とともに取り組んでいるこの作品を私は世界で一番美しい絵画と考えている。しかしこの作品は展覧会に出品されていない。展覧会のホームページを参照するならば最初のページに「《絵画芸術》出品中止のお知らせ」という告知が掲出されており、それによるとオーストリア教育文化省は作品の劣化を防ぐため、7月31日にこの作品の出品を見合わせる決定を行い、これに対して主催者側は新たにアイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵のフェルメール作《手紙を書く婦人と召使い》を追加出品すると7月24日に発表している。タイミングはともかく告知は「(追加出品によって)本展で展示されるフェルメール作品は、日本初公開を含む過去最多の7点となります」と結び、逆に得意げでさえある。しかし当初予告されていた《絵画芸術》が出品されていないフェルメール展、これを羊頭狗肉と言わずして何と言おう。これまで現地で作品を実見した印象として、私はフェルメールの作品はそのほとんどが傑作と考えていたが、今回の展示を見て、必ずしもそうではないことが了解された。つまり今回の展覧会はさほど質の高くないフェルメールの作品によって構成されている。作家の真骨頂と呼ぶべき風俗画が少ないこと、小さな作品が多いことなど、その理由を挙げることは容易である。しかしマウリッツハイスやアムステルダムの国立美術館であれば、これらの作品の傍らにフェルメールのほかの優品が展示されているため、画家の天才は直ちに感得できる。しかし今回の展覧会でフェルメールの真髄に触れることはできない。この意味で《絵画芸術》の不在は致命的といってよい。個人的には未見であったアイルランドのナショナル・ギャラリー所蔵の優品、おそらく今回の展覧会で最上の作品を見る機会を得て、7点のフェルメールの中で初見が3点というのは悪くない数字であろう。また出品されていたデルフトの画家の作品についても様々な発見があった。しかしこの展覧会に「フェルメール展」の名を冠し、フェルメール芸術の全貌に触れる機会のごとく喧伝することに企画者の良心は痛まないのだろうか。
 確かにフェルメールの作品は希少である。しかし生涯に描いた35点中の7点を集めたといっても、作品の質が担保されない限り、その天才に触れることはできない。この展覧会は1600円というこれまた異例の入場料である。家族で美術館を訪れ、カタログを購入するならば、一万円近くの出費となる。高い入場料を払って必ずしも質の高くない作品を雑踏の中で見ることを余儀なくされる。この展覧会を訪れたことによってさらにフェルメールを見たいと望む者は多くないはずだ。私はこの展覧会に《絵画芸術》が出品されなくてよかったと心から感じる。人類の至宝と呼ぶべきこの絵画を何万キロも運び、一時的であるにせよ高度数千メートル、極限的な気圧や気温に接する苛酷な条件の中に置くこと、炎天下の東京の外気に晒すことに一体何の意味があるのか。そもそも先述のとおりこの作品は2004年にも日本に将来されているではないか。莫大な借用料を払って作品に輸送の負荷を与え、さらにはその借用料を回収するために雑踏の中に置くこと。展覧会の名を騙るこのくだらぬ営利行為に私は何一つ積極的な意味を見出すことができない。新聞社の「文化」事業部と美術館は一体いつまでこのような愚行を繰り返すのだろうか。

 2003年の秋、私は出張でウィーンに滞在した。前日の夕方、美術史美術館を訪れ、《絵画芸術》の展示場所を確認した私は、次の日の朝、美術館が開くとともに作品の前に向かった。それは比較的奥まった小さな部屋に展示してあり、驚いたことには近くに看視もいない。それから半時間ほどの間、私はただ一人でこの絵画に対した。それは圧倒的で濃密な時間であった。フェルメールの傑作と一つの場を共有する体験。これまでの生涯で、私はあの時ほど見ることの悦楽に浸ったことがない。静かな光が充溢する画家のアトリエの情景と私が存在する今ここの空間がなにものにも隔てられることなく、連続すること。それは私の一生がこの一瞬のためにあってもよいとさえ思われる時間であった。仕事がらみの出張であったとはいえ、私は《絵画芸術》を見るために日本からはるばるハプスブルグの首都まで赴いた。それは確かに一つの巡礼の旅であった。世界にはかかる敬意とともにまなざしを向けるべき絵画が存在するのである。
by gravity97 | 2008-08-12 22:10 | 展覧会 | Comments(0)

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 マリーナ・アブラモヴィッチは1950年にユーゴスラヴィアに生まれ、70年代以降、多くパートナーのウーライとともに数々の伝説的なパフォーマンスを繰り広げた。日本も何度か訪れ、数年前に丸亀と熊本で個展が開催されたことは記憶に新しい。
 私も何度か彼女と会ったことがある。大柄で端正、貴族的な美貌の持ち主であり、会話はウィットに富む。しかし彼女が演じるパフォーマンスはいずれも過激きわまりない。ナイフや剃刀で身体を自傷するマゾヒスティックな一連のパフォーマンスに加えて、例えば1974年、ナポリにおける「リズム0」というパフォーマンスでは、来場者に対して、全ての責任を作家が負うことを保証したうえで、傍らのテーブルの上の品々を作家に対して用いるように求めた。机上に置かれた香水、花束からナイフ、銃にいたる品々は彼女のパフォーマンスに一貫するきわめて不穏な本質を暗示している。実際にパフォーマンスの中で彼女の衣服は剃刀で切り裂かれ、観衆は彼女に対して攻撃的な集団と彼女を守ろうとする集団に分かれたという。
 2005年の秋にニューヨークのグッゲンハイム美術館でアブラモヴィッチがとてつもないパフォーマンスを準備しているという噂をかねてより聞いていた。その後、60年代以降演じられた主要なパフォーマンスをアブラモヴィッチ自身が再演する内容であることが判明したが、残念ながら私は実見することがかなわず、上演された後も機能不全の状態にある日本の美術ジャーナリズムからは何の情報も得ることができなかった。ようやく昨年、これら一連のパフォーマンスを記録したカタログが刊行されたことを知り、直ちに入手して目を通してみた。
 アブラモヴィッチが演じる以上、えげつない演目が中心となるだろうとは予想していたが、正直言って、ここまでやるかという印象の選択である。Seven Easy Pieces と題され、七日間にわたって演じられた7つのパフォーマンスは、いずれもよく知られた作品であり、パフォーマンスの歴史を回顧するという展覧会の趣旨に応じると同時に過激さにおいてもパフォーマンス芸術の極点をかたちづくっているといって過言ではない。例えば第二夜に再演されたヴィトー・アコンチの「シード・ベット」は1972年にソナベント・ギャラリーで初演されたセンセーショナルな作品である。アコンチは会場となったギャラリーに斜めの床を設え、会期中、床下に潜みながら、不可視の来場者を想像して自慰行為にふけった。アブラモヴィッチもアコンチ同様にグッゲンハイム美術館の中央に設えた舞台の下に潜み、絶えず性的な妄想を口にしながらマスターベーションを続け、幾度となくオーガスムに達する。彼女が独白する妄想やあえぎ声は舞台の下に仕込まれたマイクを通して来場者に筒抜けとなる。これが延々7時間にわたって続けられたという。このパフォーマンスにおいて演者は徹底的に不可視であったのに対して、翌日の「ジェニタル・パニック」においては、1969 年のヴァリー・エクスポートによる初演時と同様、革ジャケットと黒いジーンズ姿のアブラモヴィッチがマシンガンを抱いて椅子に座り、逆に来場者を睥睨する。しかも彼女のジーンズは股間の部分が切り取られ、性器が露出されているのである。エクスポートはこのパフォーマンスをミュンヘンのポルノ映画館で観客に対して実施し、「お前たちが見ているものこそ現実であり、それはスクリーンの上にはない」と挑発した。アブラモヴィッチは美術館というさらに公共性の高い場で性器を衆目に晒したまま、傲然と来場者を見据える。さらに一連のパフォーマンスのクライマックスとして、第六夜にアブラモヴィッチ自身の「トーマス・リップス」が再演された。1975年にインスブルックで発表されたこのショッキングなパフォーマンスは、全裸のアブラモヴィッチが舞台の上で1キロの蜂蜜と1リットルのワインを摂取した後、自らの腹部を剃刀で星型に切り裂き、氷の上に横たわるという内容である。初演の際にはあまりの凄惨さに耐えきれなくなった観衆がアブラモヴィッチを氷のベッドから引き離して終了したといういわくつきの演目が今回は深夜まで演じられた。いずれのパフォーマンスも再演とはいえ、観客が受けたであろう衝撃は想像に余りあるし、日本の公共的な空間では上演不可能な演目であることもまた明らかである。
 作家自身がseminal(播種的)と呼ぶ、問題提起的なパフォーマンスが選ばれていることもあり、いずれの演目についても優に一篇の論文をもって応じることできる。いくつかの演目については今後このブログにおいて詳しく検討してみたい。ひとまずここでは全体と関わる問題を一点のみ論じておくこととする。それはパフォーマンスという芸術の可能性の本質と関わっている。これらのパフォーマンスはアブラモヴィッチとほぼ同世代の作家によって60年代後半から70年代にかけて演じられた。カタログの冒頭に彼女は短いイントロダクションを寄せ、上演に際して次のような条件を課した点を言明している。

1.(初演した)作家に許可を得ること
2.再演にあたって著作権料を支払うこと
3.パフォーマンスに新しい解釈を加えること

最初の二つはパフォーマンスを最初に演じた作家に対する敬意と義務と関わっている。しかしこの二点にとどまっていてはパフォーマンスという表現形式は継承、発展されえない。そもそもこれまで行為の芸術とは、一度限り、その場限りのエフェメラルな事件であり、再現不可能と考えられてきた。それゆえパフォーマンスを歴史的に回顧する多くの展覧会においては、多く行為の記録を写真ないし映像として提示するか、関連するオブジェを展示するという手法が用いられてきた。例えば1998年にロスアンジェルス現代美術館で開かれた「アウト・オブ・アクションズ」といった画期的な展覧会でさえ、このような限界の中にあった。パフォーマンスの中心に位置しながら、このような手法によって決定的に欠落する要素、それは作家の身体である。そして身体もまた時間や場所と同様に代補しえない要素と考えられてきた。パフォーマンスは特定の時間、特定の場所、特定の身体と関わり、それゆえ再現、代補されえない。自明に感じられるこれらの前提に対してアブラモヴィッチは異議を唱える。彼女は自らの身体を担保として先行する優れたパフォーマンスに「新しい解釈」を加えるのである。いかなる解釈が可能となるか。先に挙げた例に即して検討しよう。アコンチとアブラモヴィッチは公共空間で来場者からは不可視のまま(しかし公然と)自慰というきわめてプライヴェイトな行為を行なう。しかし両者は全く異なったかたちで受容されるだろう。なぜならそこにはジェンダーが介入するからである。アコンチのセンセーショナルなパフォーマンスは男性と女性、いずれが演じるかによって全く異なった意味を獲得する。あるいはポルノ映画館でなされたエクスポートの挑発は美術館という場に持ち込まれることによって、新しい解釈を与えられる。そしてここにもジェンダーが影を落としている。公共の場で男性が性器を露出した場合、警備員によって拘束されることは間違いない。しかしグッゲンハイム美術館の中で女性によってなされた同じ行為はむしろ警備員の存在によって混乱なき実施を保証されるのである。2005年の秋、ニューヨークで繰り広げられたのは本来的に再現不可能なパフォーマンスという表象が別の身体を介すことによって全く新しい意味を獲得するという奇跡のような実験であった。パフォーマンスの再演が多くの場合、みじめなパロディとしかなりえないのに対して、かかる奇跡が先人のパフォーマンスに真摯に向かい合うアブラモヴィッチという傑出した才能によって初めて可能となったことはいうまでもない。
 リドリー・スコットのフィルム「ブレードランナー」は、レプリカントと呼ばれる人間そっくりの人造人間と人間を区別するためのテストの場面で幕をあける。そのテストとは試験官が語る一つの残酷な情景に対して、被験者がいかに対象に感情移入できるかを瞳孔の測定で判定するものであった。人は他者への共感によって機械と区別されるのだ。私はアブラモヴィッチのパフォーマンスも本質において、他者への共感という問題と深く関わっているように感じる。彼女のいくつかのパフォーマンスが予期せぬ観衆の反応によって中断、終了したことを想起しよう。彼女のパフォーマンスが苦痛や快楽というきわめて身体的な感覚と関わっていることはこの問題と関係している。今回、パフォーマンス終了後、多くの観衆は涙を流していたという。2005年の秋、私はグッゲンハイム美術館にはいなかった。しかし彼らが味わったセンセーションを私はカタログを介してさえも容易に感受することができる。このような共感が9・11以後のニューヨークという「特定の時間」と「特定の場所」で交わされたことを通して私はパフォーマンスという芸術が秘めた大いなる可能性に触れた思いがする。
 なお、この連続パフォーマンスについては、現場に立ち会った渡辺真也氏の日本語による詳しい報告をインターネット上で閲覧することが可能である。言及しなかったパフォーマンスの詳細等についてもあわせて参照されたい。

使用図版については Photograph by Kathryn Carr Copyright The Solomon R. Guggenheim Foundation, New York.
by gravity97 | 2008-06-10 22:01 | 展覧会 | Comments(0)