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Living Well Is the Best Revenge

カテゴリ:展覧会( 58 )

RICHARD SERRA DRAWING

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 久しぶりにニューヨークを訪れ、メトロポリタン美術館で開かれている「リチャード・セラ ドローイング」展を見た。作品は期待に違わぬ圧倒的な存在感を示し、あらためてセラという作家の屈強さを思い知る。
 セラのドローイングの大作が国内で展示された機会は少なく、私は10年ほど前にやはりニューヨークでまとめて見た記憶がある。カタログを参照するならばおそらく98年、ガゴーシアン・ギャラリーで開かれた「重量と計測」と題された個展であろう。当時、ミッドタウンにあったギャラリーの壁面を埋め尽くす巨大な漆黒のドローイングの印象はいまも鮮烈だ。この個展は当時の新作によって構成されていたと記憶するが、今回のドローイング展は1970年頃から新作までおおよそ40年の幅にわたってセラのドローイングの全貌を紹介する内容である。
 1976年、バーニス・ローズによって企画され、セラも出品した「ドローイング・ナウ」がニューヨーク近代美術館で開かれた頃からドローイングという概念が応接する範囲は飛躍的に広がった。いうまでもなくそれはコンセプチュアル・アートの登場によってドローイングという概念が一新されたためであり、それまでどちらかといえば予備的、余技的な位置づけを与えられていたドローイングそれ自体に独自の意味、価値が認められることとなったのだ。この結果、文字や数字、いたずら描き、建築の下図や楽譜にもドローイングという概念が適用されることとなった。しかしこのような拡張は必ずしも絵画そのものを深める契機とはなりえなかったように感じる。それどころか本ブログでも何度か批判したとおり、現在の日本で流行する幼稚で稚拙な絵画がその「ドローイング性」のゆえに評価されるといった倒錯さえ発生している。私は稚拙さの言い訳としてドローイングではなく、真のドローイング性を備えた作品と出会いたい。そしてセラの個展はこのような願いに応える内容であった。
 今回の展覧会にはいくつかの種類のドローイングが出品されている。個人的に関心をもったのは小ぶりのスケッチブックに描かれた立体作品のプランともいうべきドローイングである。例えばグッゲンハイム、ビルバオに設置された《スネーク》、あるいは取り壊された《傾いた弧》といった代表作のためのドローイングはきわめてシンプルでありながら、一見しただけでどの作品か了解することができる。この点は画家としてのセラの力量を暗示するとともに、常に身体との関係でとらえられてきたセラの立体が作家にとって視覚的にも把捉されていることをうかがわせて興味深かった。中でもストームキングアートセンターに設置された一連の立体は半ば地中に埋まり、視覚的にとらえることが難しく、また設置にあたってセラと友人が自らの身体を一種のメジャーとして位置を定めたと記憶しているのだが、その配置のニュアンスがきわめて単純な形態の中に手際よくまとめられている点には驚いた。これらのドローイングはこれまであまり発表された例がなく、セラの仕事の知られざる一面を紹介している。
 しかしながら本展のみどころはいうまでもなく美術館の壁面を覆う巨大な黒いドローイングである。ペイントスティックをひたすら塗り込んだ寡黙で無表情な作品はセラの立体と同様に見る者を突き放すかのようである。展示の中にはセラが活動の初期に発表した有名な「ドローイング」、《動詞のリスト》が展示されている。そこには「転がす」「曲げる」に始まる無数の他動詞がリストとして列挙されている。この展覧会に《動詞のリスト》が加えられたことは示唆的であろう。なぜならセラのドローイングとはdraw、「描く」というよりは「線を引く」ことの本質と深く関わっているからである。よく知られているとおり、セラの初期の作品はこの動詞リストに挙げられた行為を延々と繰り返すことによって特徴づけられている。鉛を引き裂き、巻き、重ねる。作品が単純な行為の繰り返しとして実現され、結果として生成される形式よりも作品が生成される過程が重視される。セラは当時を回顧するインタビューの中で60年代後半にあって、同様の関心が例えばエヴァ・ヘス、ロバート・スミッソン、マイケル・スノウあるいはフィリップ・グラスといった多様なジャンルの作家に共有されていたことを述懐している。この意味においてドローイングというタイトルを冠せられた展覧会の中に《鉛をつかむ手》《床をこする手》といった初期の映像作品も加えられている点はきわめて適切に感じられる。鉛を中心とした不定形の素材が使用された作品、映像作品、そしてドローイングにおいてはいずれも反復される行為が主題化されている。
 この点を念頭に置くならば、セラの寡黙なドローイングの本質を理解することは比較的たやすい。セラのドローイングにおいても作家の関心は結果としての作品ではなく、線を引くという行為そのものに向けられている。セラのマッシヴなドローイングにおいては線を引く行為自体も異例きわまりない。カタログ表紙の写真から明らかなとおり、作家は通常のペイントスティックではなく、ブロック状に固めたそれを画面にこすりつけるようにして線を引いている。作品が無表情たるゆえんも明らかだ。そこには線によって何かを表象しようという意志は存在せず、ただ苦役か苦行のごとく行為が反復される。このような姿勢から連想されるのは単純な作業を一つの規則に従って延々と続けるソル・ルウィットのごとき仕事であり、この点は広義のドローイングとコンセプチュアル・アートの親近性を暗示している。セラのドローイングの本質はそれが実現された形式ではなく、塗るという行為の中に宿る。それはセラの立体がやはり作品としての形状よりも、現実の空間への介入、あるいは重量や重力といった力の拮抗をその本質としている点と共通している。セラの作品はなにごとも語ることはない。しかし今はしなくも苦役や苦行と言葉を用いたが、延々と反復される行為や危うい均衡のうえに屹立する重量は、作品に内在する、いや作品に充満する力を暗黙裡に示しているのではなかろうか。セラの作品における寡黙はミニマル・アートにみられた知的で洗練されたそれではなく、一種の凶暴さを秘めており、それゆえ私にとってきわめて魅力的に感じられる。偶然ではあるが、同じ時期に近くのグッゲンハイム美術館で李禹煥の個展が開催されていた。この展示も悪くはなかったが、セラの後で訪れるならば両者の作品の本質的な相違は明らかである。
 しかしながら会場を一巡して私は一抹の不安も感じないではなかった。主に2000年代に入って制作された一連のドローイングは素材の物質性が強調され、ペイントスティックの残滓であろうか和紙系の支持体の効果であろうか、表面に妙に生々しい精彩が認められるのだ。このような効果はセラのドローイングの特質である行為の集積としての緊張感を著しく殺ぐ。加えて、以前の作品にも認められない訳ではないが、多くの作品でドローイングは画面の中央に円形、あるいは渦巻状の形状をかたちづくり、支持体の内部に余白が生じる。ステラのブラック・ペインティングを連想すれば理解されるとおり、支持体の形態とドローイングの形態が一致しない場合、作品内に強度の違いが発生し、ドローイングの一体性が損なわれている。ひるがえって考えるに、私はセラの立体においても曲線の形状が認められるようになってから、それまでの暴力的で直截な印象が薄れたような気がしてならない。優美な曲線のうねり、ニュアンスに富んだ表面。立体においてもドローイングにおいても、セラの近作に一種の洗練を指摘することは可能であろう。しかし洗練とはセラの作品とは本来無縁であるべき言葉ではなかっただろうか
by gravity97 | 2011-08-27 22:06 | 展覧会 | Comments(0)

 ブリヂストン美術館で開催されている「アンフォルメルとは何か?」を訪れた。「抽象絵画の萌芽と展開」と題された導入部と付け足しのようなザオ・ウーキーの作品群はコレクションを無理やり加えた印象を与えてやや苦しいが、全体としてはこれまで紹介されることの少なかったアンフォルメルという運動の全貌を伝える充実した内容である。
 1950年代にヨーロッパに勃興したアンフォルメルはその輪郭をつかむことが難しい。アンフォルメル、別の芸術、タシスム。入り乱れる批評家によって様々の呼称が時に肯定的、時に批判的に使用され、フォンタナやアペルが展示に加えられている点からも了解されるとおり、空間主義やコブラといった多様な運動やグループが時にその内部に配置される。本展ではアンフォルメルをその主要な唱導者ミシェル・タピエによって定義された狭義のそれに限定することなく、むしろその周縁を含めた広がりの中に捉えている。このような姿勢は妥当であろう。なぜなら時にダリまでも包摂するタピエのアンフォルメル(タピエ自身は「別の芸術」という呼称を用いる)についての認識自体がきわめて融通無碍であるからだ。ただしタピエがアンフォルメルをそれ以前の近代美術との決定的な断絶としてとらえていたことを想起するならば、マネやモネからクレー、カンディンスキーまでブリヂストン美術館のコレクションによって抽象絵画へいたる道程をいわば教育的観点から概観する第一部、「抽象絵画の萌芽と展開」のセクションは適切な導入とはいえないだろう。しかしさらにうがった見方をするならば、これら一連の作品が存在することによって、同じ抽象絵画であってもフォートリエやデュビュッフェら、「『不定形』な絵画の登場」と題された第二部の作品の異質さが明白となり、結果的に第一部と第二部との断絶が際立つこととなったとも考えられよう。
 第二部を構成するのはフォートリエとデュビュッフェ、ヴォルスという三人の画家の作品である。これら三人の作家はアンフォルメルではなく、アンフォルメルの先駆としてタピエによって高く評価された。正確には「アンフォルメル以前」と呼ぶべきこの部分がこの展覧会で最大の見所になっていることは皮肉である。後年、NRFより刊行された『アンフォルメルの芸術』の著者がジャン・ポーランであったことからも推測されるとおり、彼らは専門的な美術批評ではなく、文学者や哲学者による趣味的、さらに言うならば余技的な批評によって応接された。この点はアメリカにおける抽象表現主義の勃興とアンフォルメルの凋落を対比的にとらえる時、大きな意味をもつ。これまでアンフォルメルに焦点をあてた展覧会としては1985年、千里にあった国立国際美術館で開催された「絵画の嵐 1950年代 アンフォルメル/具体美術/コブラ」が知られている。私はこの展覧会も見たが、これと比しても今回出品された作品の質の高さは目を見張るものがある。この点は端的に国内の美術館のコレクションの充実を反映しており、特にフォートリエとデュビュッフェに関して、私は近年収集された国内のコレクションの質的な高まりに驚いた。例えばフォートリエに関して大阪市立近代美術館準備室、デュビュッフェに関して東京国立近代美術館に収蔵された作品は彼らの代表作と言って差し支えないだろう。特にフォートリエは点数こそさほど多くはないが、並べられた作品の質は作家に対する評価を一新するほどだろう。しかもそのほとんどが国内の美術館に所蔵されていることは特筆されてよい。そしてこれら三人の画家が必ずしもタピエを評価していない点も重要である。日本を訪れたタピエたちの行状をフォートリエが「フランスから行ったサーカス」と痛罵したことはよく知られている。先行するこれらの画家と「アンフォルメル」との錯綜した関係は重要な問題であるが、本展覧会においては両者が併置されるだけで、その関係について検証された形跡はない。
 「戦後フランス絵画の抽象的傾向と『アンフォルメルの芸術』」と題された第三部はいわゆるアンフォルメルの作家によって構成され、この展覧会の核心を形成する。アンリ・ミショーに始まり、ハンス・アルトゥングやピエール・スーラージュといったジェストの要素の強い作家、そしてアンフォルメルを代表するアクション・ペインターであるジョルジュ・マチウ、さらにセルジュ・ポリアコフ、ニコラ・ド・スタールといった日本の美術館でも比較的なじみ深い作家の作品が展示されている。日本人作家としては堂本尚郎と今井俊満そして菅井汲の作品がブリヂストン美術館のコレクションから出品されている。最初に述べたとおり、この展覧会ではアンフォルメルを定義することを慎重に避け、その多様な広がりの中にこの美術運動を概観している。ジャン=ポール・リオペルとド・スタールの優れた作品を見ることができたことは本展覧会の大きな収穫であった。これらの作家は特に日本においてはまだ十分に紹介されていないが、この展覧会によって再評価されることになるのではないか。しかしながら作家のラインナップを見る時、展覧会の大きな欠落もまた明らかである。本展には「20世紀フランス絵画の挑戦」というサブタイトルが付されている。確かにアンフォルメルはフランスを中心にした運動であった。しかし私はその本質的な革新性は単にフランス一国にとどまらない第二次大戦後最初の国際様式として成立した点にあると理解している。ないものねだりの感がないでもないが、この意味で(所蔵されているポロックとサム・フランシスは出品されているにせよ)アメリカ、さらに日本の具体グループの作家が含まれていない点に、アンフォルメルを冠したこの展覧会の限界を指摘することができる。結果的に成功しなかったにせよ、タピエは50年代の表現主義的絵画をアンフォルメルの名の下に一括することを試み、アメリカの抽象表現主義さえもその一分肢として回収しようとしたのである。このためにタピエはニューヨーク・スクールの画家たちを意欲的にヨーロッパに紹介するとともに世界を旅行して作家を発掘し、マチウは南アメリカを含む世界各地で珍妙なアクション・ペインティングのデモンストレーションを繰り広げたのである。アンフォルメルはその本質を戦後最初の美術におけるグローバリズムに求めることができるのではないか。この意味で四半世紀前に大阪で開かれたアンフォルメルの展覧会が北欧と日本という地政学的な含意をはらんでいたことは暗示的である。アンフォルメルは歴史との断絶を空間的な連帯によって補償しようとしたのだ。スペインでもよい、ドイツでもよい、今日、ヨーロッパの主要な美術館でそれらの国の50年代美術を通覧する時、アンフォルメルの濃厚な影響に驚く。タピエの戦略の政治性が災いして、今日否定的な語調で語られることの多いアンフォルメルであるが、本展を一覧する時、実に多くの可能性をはらむ運動であったことが了解される。そしてこれらの可能性は今日もなおほとんど未解明のまま残されている。
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 さて、私は本展が日本国内の美術館の優れたコレクションによって構成されていると述べた。とりわけ1957年、タピエが企画する「世界現代芸術展」でアンフォルメルを紹介したブリヂストン美術館、そして大原美術館という二つの私立美術館から出品された作品の質の高さは誰の目にも明らかであろう。一方、カタログを参照するならば、この展覧会にはニューヨーク近代美術館を含む海外のいくつかの美術館から借用される予定であった数点の作品が出品されていない。おそらく先般の大震災と原子力発電所の事故によって貸出がキャンセルされたと推測され、実際私たちは同じ理由でいくつかの海外展が中止になったことを知っている。しかしそれらの作品の不在は国内から借用された作品の充実によって十分に補われている。今回の震災と核災害は相変わらず量産される海外の有名美術館からの大量借用によるブロックバスターのコレクション展、あるいは客寄せパンダよろしく一点のフェルメールによって上げ底式に仕立てた無内容の名品展に冷水を浴びせかけただろう。そして核災害が一向に収束しない以上、今後、海外からの作品借用は困難となり、保険は高騰するはずだ。しかし私はかかる状況は日本の美術館にとって一つの好機ではないかと考える。札束で顔を叩くようにして海外の名品を借り出さずとも、国内の美術館のコレクションを仔細に調査し、ていねいに作品に文脈を与えれば、日本にいながらにして海外の美術の動向を検証することさえ可能なのだ。新聞社や放送局の事業部に言われるがままにいかがわしい借用料をかき集める必要はない。学芸員の日頃の研究とフットワークによって意義のある展覧会を組織することを可能にする程度に日本の美術館のコレクションが成熟していることを私は確信している。
by gravity97 | 2011-06-01 21:43 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_20332550.jpg2007年にヴェネツィア・ビエンナーレを訪れた際、私は奇妙な作品を目にした。それはフォルトゥニー宮殿のファサードの全面を覆う巨大なタピストリーであるが、繊維ではなくなにやらメタリックな質感を帯びて鈍く光っている。この時、フォルトゥニー宮の内部では現代美術と博物館的な遺物を併置する「アルテンポ」という驚くべき展覧会が開催されており、展覧会への出品作であることは推測できたが、この不思議な作品の作者が誰であるかを知ることなくヴェネツィアを後にした。そして昨年、国立民族学博物館で開催された「エル・アナツイのアフリカ」展のポスターを目にして、私はそれがかつてヴェネツィアで見たタピストリーの作者であることを直ちに理解した。同時代の美術にある程度通じていたつもりの私にとっても、それが未知の作家、作品であったことは無理もない。この作家はこれまで私が足を踏み入れたことがないアフリカ大陸、ナイジェリアで活動する作家の作品であった。先日、この展覧会を二番目の巡回先である葉山の神奈川県立近代美術館で見た。
 アフリカの現代美術を論じることは難しい。グローバリズムが喧伝される今日にあってさえ、私たちは西欧と異なったクライテリアに立って現代美術について論じることの困難を感じる。作品の内容のことを言っているのではない。今日でも非西欧の作家たちが西欧で紹介されるためにはヴェネツィア・ビエンナーレなり「大地の魔術師たち」なり、欧米で組織された展覧会を経る必要がある。しかし「現代アフリカ美術」が西欧を経由したアフリカの現代美術に対する呼称であることを認めたうえでもなおエル・アナツイの作品、そして葉山の展覧会は圧倒的な強度を秘めていた。
 今、私は「アルテンポ」の場で受けた印象を記した。私はそれがアフリカの作家であるからことさらに強い印象を受けた訳ではない。さらにいえば、私はそれが「現代美術」であるかという点にさえ確信をもてなかった。無名の作り手による呪物と現代美術の優品を無造作に併置したこの展覧会は本質において「現代美術」という枠組さえ相対化するアナーキズムを秘めていた。私は機会があればこの展覧会についてもブログで触れてみたいが、ひとまずここではアナツイの作品が「アフリカ性」といった徴とは全く無縁であったことを指摘しておくに留める。そしてこのたびの展覧会を見て、私は必ずしも彼の全ての作品がこのような超越性を帯びている訳ではないことを知った。ことに初期の人体を連想させる木彫は表面に施された呪術的な線描、トーテム・ポールや神像を連想させる垂直性において未開、素朴、フェティシズムといった「アフリカ性」と強く親和している。出品作中、《あてどなき宿命の旅路》と題された木彫によるインスタレーションが展覧会の英文タイトル「A Fateful Journey」の由来となったことは明白であるが、私はこの作品とたきぎを運ぶ女性や子供たちの写真を併置する感覚が理解できない。確かに木彫のT字形の形状と頭にたきぎを負う人物は形態上の類比を許す。しかし西欧的な認識において、たきぎを負う人々とは貧困や重労働、未成年や女性に課せられた労働といったネガティヴな記号である。カタログには次のような記述がある。「どこの国でも都市部からちょっと郊外に出ると、早朝や夕暮れ時に、女、子ども頭にたきぎを数本載せながら、道ばたを縦一列になって歩いているのに出くわすことがある。夕暮れ時など、沈みゆく真っ赤な太陽を背に、長い影を落としながら歩いている彼女たちの姿は、もはや一幅の絵であり詩である」一読して明らかなとおり、これはオリエンタリズムの視点であり、このような感慨が素朴に作品に反映されることに私は疑問を抱かざるをえない。
 これに対して、アルミニウムの印刷原版を組み合わせた巨大な屑箱、そしてとりわけアルミのキャップやシールを銅線で縫い合わせた巨大なタピストリーはオリエンタリズムになじまない。第一に使用されるおびただしいキャップや缶のふたはアフリカというより、むしろ大量消費社会の表象であり、対比されるべきはウォーホルのキャンベル・スープであろう。第二に無数のパーツを銅線で結びつける作業は文化人類学でいうブリコラージュというより、アッサンブラージュもしくはアキュミレーションと呼ばれる現代美術の手法と考えられる。巨大な平面として壁に吊るされたタピストリーを絵画ととらえることはさほど困難ではない。アナツイのタピストリーを一種の絵画としてとらえるならば、私たちはそこで近代以降の西欧絵画の主題が独自にシャッフルされていることをたやすく理解することができるのだ。例えば近接視と遠望視という問題である、遠くから眺めるならばメタリックな質感を帯びた一枚のタピストリーは、近接すると無数のボトルキャップを銅線で繋ぎ合わせて制作されていることがわかる。遠望における視覚性と近接における触覚性のせめぎあいは筆触あるいはストロークの実験として印象派から新印象主義、さらには抽象表現主義にいたるモダニズム絵画の主題系を形成してきた。そして絢爛たるオールオーバーネスから私はポロックを連想しないではいられなかった。作品によっては地と像の関係がある程度認識できる場合もあるが、多くの作品においてイメージは文字通りディテイルの連なりの中に織り込まれ、色彩が明確な作品よりもモノトーンの作品の方が強い印象を与える点もポロックのポアリング絵画と似ている。これらのタピストリーはそれぞれの断片が多くのアナツイの助手によって制作され、それを組み合わせて巨大な作品が制作されるという。どのような構想のもとに組み合わされるのか、あるいは裏と表の決定はどのようになされるか、方向はいかにして決められるのか、会場を一巡すると様々な疑問が浮かんだ。展示を見ても必ずしも明確な答えを得ることはできなかったが、圧倒的な作品に出会った際にいつも感じる軽い昂揚を覚えながら会場を一巡した。
 アナツイにとって、木彫から廃物のタピストリーへと作品を転じたことは大きなブレイクスルーであったように感じる。女性や子供がたきぎを運ぶという現実を連想させる表現ではなく、現実そのものであり、現実に拮抗する表現へ。表現の質が大きく変化しているのである。アナツイが世界各地の現代美術をテーマとした展覧会に次々に招かれていることはこのよう作品の特質に裏づけられているであろうし、それゆえアナツイの作品は「近代美術館」のホワイト・キューブの中でも、古い宮殿のファサードに置かれても堂々たる存在感を示すのである。
 オリエンタリズムを批判しながらも、私の読みもまた西欧に起源をもつモダニズムという発想にあまりにも色濃く染まっているのではないか。直ちにこのような反問がなされるであろう。私はそれを否定しない。しかしあえてこのような批評を加えた理由は、それによって別の問題をあぶりだしたいと考えるからだ。そしてこの問題は展覧会が巡回した会場と深く関わっている。葉山の前にこの展覧会が巡回したのは大阪千里の国立民族学博物館であり、アナツイの作品は民族博物館と近代美術館、より適切な言葉を用いるならば現代美術館とのはざまに存在している。なぜ「現代美術」を「民族学博物館」で展示するのか。この点については企画者も自覚しており、巻頭に置かれた論文においてもこのような状況がアフリカ現代美術をめぐるダブル・スタンダードと関連して論じられていた。私は民族博物館的、文化人類学的な展示とはいかなるものかよくわからないが、おそらく展示の中にやや雑然と挿入されたナイジェリアやガーナの生活や社会についての解説、あるいは儀礼布や彫像についての説明がそれにあたるだろう。(カタログでは4章の部分に相当する)端的に言って、私はなぜこのようなアリバイ的な説明がこの展覧会に必要であるか全く理解できない。私はアナツイの作品を純粋に美術作品として見るし、現代に制作された作品である以上、現代美術の作品として見る。私の理解では作品とはたとえ固有名とともに発表されようとも、それ自体で意味をもつから、作者や社会的背景について知識がなくても十分に鑑賞に耐えるし、批評の対象となりうる。最初に言及した「アルテンポ」における展示とはまさにそのようなものであり、そこにはピカソ、フォンタナから日本の具体グループ、さらには骨格標本やイエメンの神像まで多種多様な表現が混在したまま展示されていたのだ。逆に言えば、作品を民族学博物館で展示するためには背景に関する解説が不可欠ということであろうか。この点に関して、巻頭論文では次のように記されている。「背景に関しての予備知識を持ちあわせていないであろう多くの観客は、アナツイの作品を見ても、単にリカーやビールの蓋やシールなどを再生させた見事な美術作品としてしか受け止めないということになる。もっともファイン・アートに対する反応だから、「見事だ」(ファイン)ということで十分なのかもしれないが。このとき、もし文化人類学や歴史学の視点から作品の背後にある歴史や文化に関する踏み込んだ解説が加えられたなら、アナツイの作品を見る側の理解は一挙に広く、深く、ゆたかになるはずであり、作品から受ける印象も変わってくるのではないか」最初の一文は作家と観衆に対してあまりにも傲慢な物言いであろう。私は優れた感性をもつ者であれば、何の予備知識がなくとも、例えばマティスの、例えばロスコの絵画が本質的に「見事」であることは直ちに了解できると信じている。アナツイの作品もそのような例である。それどころか私は「作品の背後にある歴史や文化」を知ったところで作品を享受するという営みにはほとんど資することがないのではないかとさえ考える。この点は作品を扱う美術館と資料を扱う民族学博物館との認識のずれであるかもしれない。この一文によって文化人類学者にとってはアナツイが制作したタピストリーは「作品」ではなく「資料」として認識されていることがはしなくも露呈されている。私は少なくとも構造主義を経た人文諸学にとって「作品」が「作家」や「社会」から自立して存在するという常識が通用すると思っていた。しかし未だに展覧会のカタログの中でこのようなナイーヴというか啓蒙主義的で作家主義的な発言がなされていることは大きな驚きであった。ここでいう「広く、深く、ゆたかな」理解が、木彫によるインスタレーションからたきぎ運びを連想する程度のものであるならば、私は作品のためにも「踏み込んだ」解説などない方がよいと考えるのだが、どうであろうか。
 ニューヨーク近代美術館における「20世紀美術におけるプリミィティヴィズム」の際のウィリアム・ルービンとジェームス・クリフォードの「類縁性」をめぐる議論を想起するまでもなく、「近代美術」と「プリミティヴィズム」の関係は微妙である。今回の展示を見て、私は同様の類似/差異が現代美術館と民族学博物館という二つの制度の間にも指摘できるのではないかと感じた。むろん私の立場は現代美術に偏っているから、民族学博物館あるいは文化人類学においては全く異なった原理が働いているかもしれない。この点は一度きちんと考えてみたい問題である。今回の展覧会は作品から制度、あるいは学へと思いをめぐらす機会となった。いつもながら優れた作品は見る者に様々b0138838_2035657.jpgな思考を誘発するのである。
by gravity97 | 2011-02-26 20:39 | 展覧会 | Comments(0)

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 はるばる佐倉の川村記念美術館までバーネット・ニューマン展に出かけた。展示を見て唖然とする。この美術館が所蔵する《アンナの光》、この作品がニューマン屈指の傑作であることは間違いない。そして国立国際美術館が所蔵する《夜の女王》、この作品も縦長の珍しいフォーマットの傑作である。私の知る限り、国内の美術館に収蔵されたニューマンの油彩画はこの二点のみである。いずれもミュージアム・ピースであるから、ほぼ常時陳列されている。これにわずか5点の油彩画と1点の彫刻、そして若干の水彩と版画を加えた程度の内容を麗々しくも「ニューマンの国内における初個展」と呼ぶセンスはどうだろうか。
 私は展覧会とは作品に文脈を与える試みだと考えている。一点の作品は一つの文脈に置かれることによって初めて意味をもつ。もちろんこのような文脈は様々である。作家の制作順に並べる個展は最もわかりやすい文脈であるし、一つの美術館の収蔵品を借用して展示するコレクション展は最も安易な文脈の形成である。さらにこのような文脈が肯定的な場合ばかりではないことは、悪名高いナチスの「退廃芸術展」を想起すれば理解されよう。いずれにせよ、作品に文脈が与えられなければ展覧会の意味はない。しかしこの展覧会には文脈がない。相互にほとんど関係のない作品が年代的にも素材的にもばらばらに配置されている。この展覧会を訪れたとしても、ニューマンのジップ絵画がどのように成立したかについては一切理解できないし、ニューマンとユダヤ教との関係について思いをめぐらす機縁ともなりえない。作品数が少ないこともあって展示自体は悪くない。スポットライトを用いてドローイングに妙に劇的な効果を与えている点は個人的にはどうかとも思うが、広い壁面に一点の作品を展示する手法は効果をあげている。逆に展示効果を重視したからかくも意味不明の作品配置になったのかもしれない。典型的なジップ絵画の後に初期のドローイングが並び、版画と彫刻が唐突に併置されている。端的に言って、そこには展示についての思想が欠落している。かつて私は2002年にテート・モダンでニューマンの大回顧展を見たことがある。欧米の本格的な回顧展と比較することには無理があることはもちろん承知しているが、ロンドンの展覧会ではニューマンに関する数多くの発見があった。例えば意外にもニューマンのジップ絵画には作品によって質的なばらつきがあること、あるいは連作 Stations of the Cross が一つの時間的な構造として完結していること。優れた展覧会とは本来そのような発見の場であるはずだ。確かにニューマンの作品は日本ではあまり展示されたことがなく、川村記念美術館が所蔵している作品は屈指の名作かもしれない。しかし一点の名作を所持しているからといって、それに付け足しのように数点加えただけで「個展」を構成し、あたかも作家の全貌を紹介したような物言いをすることは作家に対して敬意を欠いた態度とはいえないか。私の理解によればこのレヴェルの展示に与えられるべき名は「特集展示」であり、間違っても「個展」ではない。誤解なきように付け加えるならば、私は作品数が少ないことのみを問題としているのではない。作品数が少なくても展示に文脈を与えることは十分に可能だ。例えば初期のドローイングとニューマンにとってブレークスルーとなった《Onement》もしくはそれに類した作例、そして《アンナの光》。この3点を展示して必要な説明を加えるならば最低限の文脈は保証される。あるいはニューマンにおける赤という問題に着目して《アンナの光》にいくつかの作品を加えてもそれなりに批評的な展示となるだろう。文脈の不在が問題なのだ。なんらかの文脈を整える試みを最初から放棄して、借用可能な美術館から選んだ行き当たりばったりの作品で展覧会を組織する安易さ(いかなる基準で作品を選んだかについて担当学芸員のテクストにも一切説明はなく、そこで論じられているのは《アンナの光》のみだ)と押しつけがましさに暗然とした思いにとらえられる。
 ニューマンの作品であれば欧米の大都市でいくつかの美術館を回れば結構な数を見ることができるから、展示の規模において本展はわざわざ見るには及ばない。しかし私はこの際、佐倉まで足を運ぶことを強く読者に勧めたい。皮肉ではない。ニューマンの作品に合わせてロスコ・ルームを見るためだ。私は近年、三回この美術館に足を運んだ。(全てこのブログにレヴューを書いている)一昨年の「モーリス・ルイス」、昨年の「マーク・ロスコ」そして今回である。ルイス展の際はロスコ・ルームの作品は全て貸し出されており、ロスコ展の時には特別展示室に展示されていた。このため私は今回初めてロスコ・ルームを訪れた。この空間と展示は素晴らしい。ロスコの遺志が過不足なく反映されているように感じた。展覧会としては問題があるにせよニューマンの名品を見た後に、この部屋に足を運ぶならば、色面抽象絵画の両雄、ニューマンとロスコの作品の相違がきわめて明白に知覚されるであろう。共通しているのは両者がともに展示される空間へと拡張し、空間との関係において成立している点である。当初から一つの部屋の壁面を巡る壁画として構想されたロスコ・ルームの場合は当然といえば当然であるが、明らかにニューマンの大画面も同様の特質を帯びている。今述べたとおり、脈絡のない展示でしかも出品点数が少ないにも関わらず、ニューマンの展覧会がそれなりの威厳を保っているのは、作品が展示空間との間に結ぶ緊張感のゆえであろう。カタログの中でイヴ=アラン・ボワ教授が指摘するとおり、作品の前に立つ時、見る者は、自分が、今、ここで、作品とともに在ることを否応なく意識する。この時、作家の問題意識がミニマル・アートの作家たちと接続することはたやすく理解できるし、ニューマンが抽象表現主義の作家たちの中でほとんど唯一、例えばドナルド・ジャッドやアンディ・ウォーホルのごとき作家たちと交流し、これらの後続する作家たちに敬意をもって遇されたことの理由も理解される。ニューマンの絵画と今、ここに共に在るという意識はきわめて身体的なセンセーションなのである。これに対しロスコ・ルームにおける「今、ここ」とは身体的というより精神的、瞑想的な体験である。いずれの作品の前においても私は絵画と直面しながら、絵画とは異なった異様な存在と対峙している感慨を受ける。しばしば崇高の名で呼ばれるこのような感情はニューマンとロスコで微妙に異なるように感じる。今のところ私は両者の相異をうまく言葉にすることができないが、今回それを感受しえたことは大きな成果であった。このような感慨は疑いなく二人の絵画の本質と関わり、おそらく彼ら以前には実現されえなかった絵画の位相を示している。私の言葉を用いるならばそれは絵画において近代と現代を分かつ。作品の形式や内容ではなく、場との関係とも呼ぶべき作品の外部への開かれが絵画の現代を画しているのだ。そしてこのような認識は図版や液晶を介しては決して得られることがない。この点を再確認するためにもはるばる佐倉まで足を運び、ニューマンの作品の前に実際に立つことが必要なのである。ボワ教授は同じ認識を「ここにわたしがいる」というカタログの論文タイトルとして確言する。ニューマンの場合、作品の前に作家や妻アナリーが立つ写真が多く残されているが、作品と観者の関係を示唆するこの種の写真が実は作品の本質と深く関わっていたことを私は今回の展示によってあらためて思い知った。
 先述した回顧展の際に発表された多くの論文と比べても、今回のカタログ中、今触れたボワ教授の論文は出色の内容といえよう。ニューマンのジップ絵画の成立とその意味が実に緻密かつ明快に論じられている。1988年に発表された「ニューマンを知覚する」という論文の問題意識がさらに深化され、通読して久々に知的な興奮を覚えた。おそらく翻訳も優れているだろう。おそらく、と書いたのはカタログに原文が収録されていないためだ。著者との契約によって原文の収録が禁止されたと推測するが、せめて末尾にタイトルのみでも示すことが出来なかっただろうか。副題の「バーネット・ニューマンの絵画における側向性」のうち、この論文のキータームである「側向性」の原語は何か、私としては大いに気になる。この論文では1949年の《アブラハム》という比較的地味な作品が綿密に分析されている。今回の展覧会の作品選定に寄稿者は関わっていなかったと考えるが、展示とテクストをもう少し有機的に関連させる努力ができなかったのだろうか。もしもこの作品が会場に展示されていたら、私はこの論文を読んだ後、その内容を確認するためにもう一度美術館を訪れたことと思う。
今回の展覧会を見て、私はあらためて展覧会という営みの奥深さに触れた気がする。個々の作品、展示の方法、ボワ教授の論文、どれも素晴らしい。しかし展覧会についての哲学が不在であるため、この展覧会は全体としてなんともちぐはぐな印象を与える。展覧会とは端的に企画者の哲学が試される場なのだ。

08/11/10 追記
最近、この展覧会の成立について、間接的にではあるが関係者から事情を聞く機会があった。それによると、作品の状態が悪い場合が多いため、ニューマンの作品の借用はきわめて困難であり、この点数が限界であろうとのことであった。したがって上に記した私の評は少々厳しすぎるかもしれない。いうまでもなく私は状態の悪い作品を日本まで運んで展覧会を開くよりは現地に見にいくべきだという立場である。
ニューマンに限らず色面抽象絵画の表面の不安定さの理由も今後検証されてよい問題であろう。
by gravity97 | 2010-10-12 20:57 | 展覧会 | Comments(8)

「マネとモダン・パリ」

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 遅ればせながら、三菱一号館美術館で「マネとモダン・パリ展」を見る。丸ノ内周辺の再開発の進展にも驚くが、リノヴェーションを経てその中核施設となったこの美術館の豪奢さには圧倒される。小部屋を連ねたかたちの展示空間は使いやすいとは思えないが、この展覧会のごとき小品を中心に構成された展示であれば空間によって作品が随分映える印象がある。それにしても空調の関係であろうか、それとも消防法との兼ね合いか、自動ドアが多いことには驚いた。予想したより来場者は少なかったが、ロケーション、展示内容のいずれを考えても今後も多くの集客が予想されるからメンテナンスが大変であろうなどとくだらぬ心配をしてしまう。
 開館記念展となる「マネとモダン・パリ」は期待に違わぬ充実した内容である。マネについて日本では過去にさほど大きな展覧会を見た印象がない。カタログの表紙となった《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》、あるいは《エミール・ゾラの肖像》といった名高い作品を含めて80点余のマネを見る機会は欧米の美術館でも多くはないだろう。とはいえ、極東の地で印象派屈指の画家にしてモダニズムの鼻祖たるマネの作品のみによって大展覧会を構成することは至難の業であり、「モダン・パリ」という第二のテーマが導入される。この美術館の館長で本展コミッショナーの高橋明也氏もカタログの巻頭テクストで説くとおり、マネは「多様」かつ「非一貫的」な作家である。《オランピア》から《草上の昼餐》、あるいは《フォリー・ベルジェールのバー》まで、代表作を想起してもさまざまなモティーフが入り乱れていることが理解されるが、都市生活あるいは近代の画家といったテーマは作品との親和性が高い。会場の劈頭に掲げられ、唐突な印象を与える無名の画家によるオスマン男爵の肖像もこの展覧会のもう一つのテーマがオスマニゼーション、オスマン男爵のパリ大改造によって出現した近代都市であることに想到すれば得心がいく。確かに娼婦や女給、カフェやブラッスリーといった都市的な主題は印象派の画家の中でも特にマネによって繰り返し描かれた印象が強い。同様の主題を描いたジェームズ・ティソ、ポール・ゴーギャンなどの作品も展示され、展示に一定の深みを与えている。それらは多くオルセー美術館のコレクションからの出品である。この展覧会はオルセー美術館との共同企画であるから特に不思議もないが、意地悪な見方をするならば、この展覧会からは既視感が拭えない。マネ、モダン、オルセー美術館、この三つ組みから連想される展覧会をかつて私は見た記憶がある。今回、書庫でカタログを確認してみるならばそれは1996年に東京で開かれ、「モデルニテ-パリ・近代の誕生」というサブタイトルを冠せられた「オルセー美術館展」である。マネの《バルコニー》をカタログの表紙に用いたこの展覧会と今回のマネ展は出品作がかなり重複し、写真や当時の建築のパースなどを多用する構成も共通している。何よりも本展の監修者は「オルセー美術館展」のコミッショナーとほぼ同一である。もっともこのような国際展は担当者の個人的な信頼関係がなければ成立しえないことも事実であるから、私たちは結果としてマネの優品の数々を東京で見ることの幸運を喜ぶべきなのであろうか。実際、これは得難い機会であり、私自身も今回の展覧会を機にいくつかの発見があった。
 これまでマネの作品をまとめて見る機会が少なかったこともあり、今回の展覧会では初めて見るいくつかの興味深い作例があった。中でもロンドンの個人蔵とされる《フォリー・ベルジュールのバーの習作》はコートールド研究所所蔵の有名な作品を制作する過程で制作されたものであろうが、作品の構造を考えるうえでも示唆的である。最終作においてはバーのカウンターの正面に立ち、鑑賞者に直接まなざしを向ける女性バーテンダーはこの作品においては斜めに視線を向け、見る者と視線を交差させることがない。背後の鏡面への映り込み、特にそこに写る男性との関係においてもむしろ自然なこのような構図が排され、鑑賞者を見つめかえす独特の構図が採用されたことは、マネにおいて描かれた人物とそれに眼差しを向ける鑑賞者との関係が主題とされている点を暗示している。マイケル・フリードは自らが説く没入と演劇性の対立の系譜の中にマネを置き、これらの絵画の特性を直面性(facing)と名指ししたが、ここに並べられたマネのごく一部の作品を見るだけでかかる構図の特異性とそれがマネにおいて検証されることの妥当性は了解される。
 この展覧会は「マネとモダン・パリ」というタイトルから予想されるとおり、マネに対して主題的なアプローチがなされている。しかし今回私があらためて感じたのは作品の形式と方法の斬新さであった。といっても特に新しい発見ではない。これまでも何度となく指摘されてきたことであるが、例えば今回のポスターやカタログで大きく扱われたベルト・モリゾの肖像でもよい、画面のここかしこに意図的に残された筆触の痕跡は女性の肖像という記号にとっては雑音でしかない。しかしこのような不協和が画面全体を引き締めている印象があるのだ。あるいは多くのマネの絵画においては画面の部分によって対象の描かれ方に明らかな粗密が認められる。精緻に写実的に描かれたモティーフの背景は突如不分明な筆触の戯れに転じる。マネが画面の連続性を意図的に破壊していることは明らかだ。これらの点は図版からもうかがえない訳ではないが、実際の作品を眼前にする時、きわめて明確に知覚される。当時のアカデミズム絵画のなめらかな表面の傍らに置く時、その異様さは明らかであっただろう。これらの特質は描かれた対象から、対象の描き方、そして対象を構成する物理的組成へと見る者の関心を転じさせる。内容から形式へ、マネがモダニズム美術の起源たる理由は明らかである。
 バーの女性バーテンダー、陽光あふれるレストランの中で見つめあう男女、これらのモティーフを描いたいくつもの絵画を見るならば、作品と都市生活の関係は顕在的であり、メトニミックである。今日につながる喧騒と享楽の大都市の成立に同期するかのような一連の絵画は時代の鏡といえるかもしれない。一方でアカデミズムのなめらかな表面の中に兆した転調、イメージの中の異和として浮かび上がる筆触そして絵具、これらの特異性の意味が了解されるのは例えばアングルの磨かれたような表面、例えばセザンヌの塗り残しとの対比においてであろう。この時、マネの絵画はその場に不在の作品と潜在的、メタフォリカルな関係を結ぶ。前者を主題性、後者を形式と言い換えてもよいだろう。マネにおいては鋭い緊張の中に拮抗している両者は他の印象派の画家においては比較的ゆるやかに結びつく。例えばモネにおいては無数の筆触が画面全体を均等に充填することによって、光の効果が途切れることのない一枚の表面として実現される。分割技法という手法がスーラら新印象派においてさらに革新され、光という主題と緊密な結合をみたことは知られているとおりである。これに対してさらに具体的、時に通俗的な主題を扱いながらもマネは主題に阿ることがない。時に主題と形式の分裂も恐れず、画面の中に現実の契機を意図的に露呈させたマネは後続する印象派よりもさらに現代的であった。
by gravity97 | 2010-06-16 20:54 | 展覧会 | Comments(0)

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 私は一度だけオノ・ヨーコと話したことがある。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで開かれた回顧展の折である。会場の一角に電話機が置かれ、その前で観客が列を作っている。しばらく列に並んで様子をうかがっているうちに、これが「テレフォン・ピース」という作品であり、受話器の向こう側にいるのがオノ・ヨーコ本人であろうことが理解された。残念ながらその際には「こんにちは、日本から来ました」といったくだらないことしか話せなかった(しかしそもそもオノ・ヨーコと電話で話すのにふさわしい話題など思いつくことができるだろうか)。列に並んで順番に話すというのはあまり風情がないが、個展の会場に置かれた電話機が突然鳴り、受話器を取ると作家が語りかけるというシチュエーションはそれなりに詩的である。メイルやツイートと異なり、電話のベルは向こう側に肉声によってあなたと語りたい誰かがいることを暗示しているのだ。誰もいなくなった火星で時を隔てて電話のベルが鳴るといった情景をレイ・ブラッドベリが書いていた。
 現在、ニューヨーク近代美術館でマリーナ・アブラモヴィッチの個展が開かれている。残念ながらニューヨークに赴く予定はないが、少しずつ展示に関する情報がもたらされ、カタログも入手した。インターネットの発達に伴い、私たちは展示の状況をリアルタイムで参照することが可能となったが、この展覧会はその恩恵に大いに与っている。インターネットを検索してみると、展覧会に関するいくつもの動画がヒットする。とりわけ興味深いのは(配信は美術館開館時間に限定されているようであるが)MOMAのホームページから直接参照可能なライヴ映像である。
 展覧会のタイトルは「Marina Avramović The Artist Is Present」という。このタイトルがまさに展覧会の内容を示している。会期中、アブラモヴィッチは美術館に在館する。作家自らによって演じられる「The Artist Is Present」というパフォーマンスは1981年以降何度か実施された「Nightsea Crossing」のヴァリエーションである。このパフォーマンスは日本でも85年に牛窓芸術祭で行われたことがあり、今回のカタログテクストでもこのことに言及されている。「Nightsea Crossing」はアブラモヴィッチと彼女のパフォーマンスにおけるパートナーであったウーライがテーブルをはさんで両端に座り、一定の時間(原則として美術館の開館時間中)飲食や用便を一切しないでひたすらみつめあうという作品であった。今回の展示ではテーブルの片端にアブラモヴィッチ、もう片端に来場者が座る。来場者は各々の意志に従って一定時間(5時間以上座っていた者もあるという)席を占める訳であるが、アブラモヴィッチはこれらの来場者全てを相手に二月半という長期間、苦行に近いパフォーマンスを今も行っている。「Nightsea Crossing」に関しては、パフォーマンスが挙行される時間は会場によって最短1日、最長16日というインストラクションがなされていたから、これに比べても圧倒的に長く、作家が気力と体力の限界に挑戦する試みであることが理解されよう。先に述べたとおり、パフォーマンスの模様はMOMAのホームページを介してライヴ中継されるが、作家だけではなく相対する来場者の様子も中継され、参加した来場者全員の顔写真もインターネットを通じて配信されているから、もはや観客も作品の一部といってよい。このほかにも過去になされた彼女のパフォーマンスが若い男女によって再演されている。以前、このブログでも取り上げたとおり、アブラモヴィッチは05年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開かれた「Seven Easy Pieces」という個展において、自分の作品も含め過去に演じられた有名なパフォーマンスを自らの身体によって再演するという離れ業を行った。写真やヴィデオではなく現実の身体を用いてパフォーマンスを再現するという画期的な手法の意義については先のブログで触れたとおりであるが、例えば全裸で向き合って立つアブラモヴィッチとウーライの間の20センチほどの空間を潜り抜けて会場に入るという77年の「Imponderabilia」の衝撃は写真やヴィデオではなく、実際の男女の肉体を前にして初めて理解できるものであろう。このほか私が確認しただけでも全裸の男女が全身の骨格模型とともに横たわるパフォーマンスややはり全裸の女性が高い位置に設えられた自転車のサドルに跨るパフォーマンスなどが実際に再現されているようである。
 今回のカタログは資料性が高く、全てではないにせよ、アブラモヴィッチの重要なパフォーマンスの多くが網羅されている。「Seven Easy Pieces」のほかに2002年にニューヨークのシーン・ケリー・ギャラリーで12日間にわたって続けられた伝説的なパフォーマンス「The House with the Ocean View」の写真も掲載されている。このパフォーマンスはギャラリー内に外から丸見えの三つの部屋を作り、きわめて禁欲的な条件のもとで作家が文字通りプライヴァシーなしに生活する(睡眠、シャワー、放尿の様子も露出される)という内容であり、TVドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の中でも言及されたとカタログテクストにある。このパフォーマンスは作家が展示施設に常駐するという点で今回のパフォーマンスと共通点をもつ。このほか初期の概念的な作品や音と関連した作品については初めて知るものも多く、作家の問題意識を探るうえで意義深いものであった。
 あらためて感じる点はアブラモヴィッチのパフォーマンスは大半において他者を必要としているということである。周知のとおり、彼女は1976年より10年余りにわたってウーライというパートナーとともに一連のパフォーマンスを演じた。二人は互いの髪の毛を結えあい、同じバンに乗り込んで美術館の中庭を16時間にわたって周回し、90日かけて万里の長城を両端から歩いた。いくつかのパフォーマンスはアブラモヴィッチ一人では実現しえない内容であった。しかしウーライという共演者がいなくても彼女のパフォーマンスは他者の関与を要求する。つまりその場に居合わせた観客の関与である。「リズム0」と題された74年の有名なパフォーマンスにおいてアブラモヴィッチは自らが全ての責任を負うとしたうえでテーブルに置かれたナイフから懐中電灯にいたる72の品を自分に対して行使するように来場者に要求した。あるいはいくつかの自傷的なパフォーマンスの場合、それをやめさせようとする観客の介入によってパフォーマンスは終了した。これらの場合ほど能動的な役割を果たさずとも、自虐的なパフォーマンスの前で来場者が感じる強い不快感、あるいは裸体や放尿する姿を差し出された時に感じる強い当惑はアブラモヴィッチのパフォーマンスの本質と深く結びついている。さすがに自傷的あるいは極度の集中もしくは忍耐を要する作品は除かれているが、今回の展示において映像だけではなく実際の男女の裸体によって作品が再現されていることはこれを傍証するだろう。
 私は最初にオノ・ヨーコの「テレフォン・ピース」について触れた。個展の会場で直接作家に直面する体験はアブラモヴィッチと共通しており、それゆえ私はこの文章を書き始めるにあたってごく自然に自分の体験を連想したのであった。さらにカタログを参照するならば、オノとアブラモヴィッチの共通点が浮かび上がる。二人とも作品に関してシンプルなインストラクションを提示する。オノであればこんな具合だ。「あなたの人生の悲しみに番号をつけて表にする。悲しみの数だけ小石を積み上げる。悲しいことがあるたびに小石を加えていく。表を燃やし、小石の山の美しさを愛でる/あなたの人生中の幸せに番号をつけて表にする。幸せの数だけ小石を積み上げる。幸せなことがあるたびに小石を加えていく。できた小石の山を悲しみの山と比べてみる」これに対してアブラモヴィッチは例えば次のような指示を書きつける。「その女性はアムステルダムのデ・アペル・ギャラリーにおける私の個展のオープニングに私の代わりに出席する/同じ時間、私はアムステルダムの「飾り窓」街区にあるショーウインドウに彼女の代わりに座る/私たちはともに自らの役割に関する全ての責任を引き受ける」これは75年に行った「役割交換」というパフォーマンスの際のインストラクションである。これを実施するにあたってアブラモヴィッチはアムステルダムの合法売春地域でプロフェッショナルの街娼と契約を交わす。さて、私の考えでは両者は本質的に全く異なる。それは単にオノの指示が夢想的で予定調和的、暗喩的であるのに対して、アブラモヴィッチのインストラクションが具体的で予測性を欠き、換喩的であるからではない。この対比は本質においてパフォーマンスのみならず、現代美術の本質、さらにいえば美術における近代と現代の区別に関して問題提起を行うように感じるのだ。オノは芸術が日常とは異なった位相に成立することを疑わない。来館者が積み重ねる石は単なる石ではなく悲しみや喜びの表象である。このような発想のなんとナイーヴなことであろうか。オノの立場をヒューマニズムと呼んでもよかろうし、かかる楽天性は「あなたが望むなら、戦争は終わった」と大書し、平和のためにベッド・インする作家にふさわしい。しかしアブラモヴィッチは芸術を日常と別の次元に置く発想を排する。この点は冒頭で記した二つのパフォーマンスを比較しても明らかだ。電話を介すことによって、別の場に位置を占める作家は聖別される。ここではない、どこか別の場所に作家、作品、そして芸術が存在することを来場者は暗黙裡に了解する。しかしアブラモヴィッチの場合、当の作家がテーブルの向こう側から自分をみつめているのだ。両者の対比は一見きわめて近似した「リズム0」とオノ・ヨーコの「カット・ピース」の比較によってさらに明瞭となる。「リズム0」同様に観客がオノの着衣をはさみで切り刻むという攻撃性を内包しながらも、「カット・ピース」は舞台の上で上演されるから、それはあくまでも現実とは審級の異なる場で挙行される「芸術」なのである。そこでは全てが「芸術」の中に回収される。しかし「リズム0」における暴力は「芸術」というアリバイをもたない。むろん私は美術を現実とは別の世界、一種のユートピアとしてとらえる姿勢を否定しない。それどころか今まで美術とはそのようなものとして構想され、理解されてきた。作品が現実の中に存在し、現実の一端にしかすぎないという認識は私の考えでは(デュシャンのレディメイドのごとき特異な先例を別にするならば)1960年代中盤以降、ミニマル・アートという美的感性を経由することによって、わずか半世紀ほど前にもたらされたにすぎない。いずれが正しいかを問うことはあまり意味がない。おそらく日本的感性にとってオノの夢想を受け入れることはできても、アブラモヴィッチの現実を美術とみなすことは困難であろう。全裸の裸体、苦痛あるいは常軌を逸した忍耐や集中、何が起きるか予測できない不穏さは美術と呼ぶにはあまりにも生々しい。
現実とは異なった地点に成立し、私たちを慰撫する美術。現実の一部であって、いかなる形而上学とも無縁の美術。いずれを選ぶかは自由である。後者がモダニズム美術の一つの帰結であることは明らかであり、今日、美術を一種の精神性の表明、あるいは現実の反映とみなす反動的な趨勢もまた台頭しつつある。しかしミニマル・アートを経由した私たちはもう後戻りできない。苛酷な現実としての美術から出発すること。作家としてのアブラモヴィッチがそうであったように、私たちにとってもそれが美術史を真摯に引き受けることなのだ。
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by gravity97 | 2010-05-05 10:42 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_20135141.jpg 原著が日本語に翻訳されているかどうか私は確認していないが、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の冒頭で引用される有名なボルヘスの文章がある。「シナの百科事典」からの引用として紹介される次のような箇所だ。

動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳呑み豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)数えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごとく細い毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)今しがた壷を壊したもの、(n)遠くから蝿のように見えるもの

 なんとも奇怪な分類、というか分類という営みの不可能性を揶揄するかのようなテクストであるが、「マイ・フェイバリット」を見てすぐさま連想したのはこの一文であった。
 本展は京都国立近代美術館の学芸課長、河本信治氏が手掛ける最後の展覧会、いわば引退興行である。これまで「移行するイメージ」や「プロジェクト・フォー・サバイバル」、最近では椿昇の個展など、文字通り「近代美術館」の限界を確信犯的に露呈させるメタ展覧会を次々に企画してきた氏の花道が常識的な展覧会であろうはずがない。驚くべきことにこの展覧会は所蔵作品展である。展覧会に際して刊行されたカタログには背表紙に「京都国立近代美術館・所蔵作品目録Ⅷ」と印刷されている。それではいかなる所蔵作品が出品されたか。巻末のリストを見れば明らかだ。本展は京都国立近代美術館の所蔵品中、種別として【その他】に登録された作品を中心に構成されている。ある程度美術館という制度に通じたものであれば、この点から直ちに本展の批評性を理解することができるだろう。
 コレクションとは美術館の欲望であり、存在理由である。そしてある作品を美術館の所蔵作品として登記するためにはまずそれに位置を与える必要がある。一つの作品は種別に始まり、作家名、作品名、制作年、素材、サイズ、技法といった無数の分類の格子の中にその位置を定められる。同じような原理は例えば美術に関する学術論文、大学の講義、あるいはカタログ・レゾネといった諸制度に通底している。それらは多く「近代」と深く関わっている。河本氏が美術館における近代と現代の区別に拘泥する数少ない、というよりほとんどただ一人の学芸員であった点は留意されてよいだろう。実は「近代美術」とはこのような格子の厳密な設定によって成立している。試みに「作家」という分類を取り上げてみよう。「近代美術」において作家は個人でなければならず、成人でなければならず、多くの場合、男性、さらに言うならば白人男性でなければならなかった。マネに始まり、モーリス・ルイスに終わる「近代絵画史」の中でこのような枠組と矛盾する作家を私たちは一体何人挙げることができるだろうか。
 種別に関しても、「近代美術」はこのような分類格子の厳密な適用を要求する。クレメント・グリーンバーグは有名なテクスト「近代主義絵画」において、近代と絵画という二つの格子の交差の中で、絵画が還元的な営みとして一つの進化を遂げたことを説得的に論じた。グリーンバーグの所論に対して今日多くの批判が寄せられていることは私も理解しているが、彼は対象を絵画というメディウムに限定したがゆえにこれほどの影響力をもつ理論を提出しえたのであり、ネオ・ダダのごときクロスメディア的な表現への敵意も同じ理由による。河本氏が別の展覧会に際して論じたとおり、美術史の編纂を任務とした「近代」美術館がこのような制約から逃れらないことは必然であろう。近代美術館のコレクション・カタログを開いてみるならば、今述べたとおり、作家名から技法にいたる無数のデータが一つの作品を特定する条件として記載されている。そして多くの場合、そのような細目のさらに大きな前提として種別、作品のジャンルが設定されている。つまり大半のコレクション・カタログにおいては例えば彫刻、洋画といった種別に章立てがなされたうえで、作家や制作年に従って作品が配列されている。この点は作家や年代に比べて種別という分類が安定していることを暗示している。しかし少なくとも1960年代以降の美術を念頭に置く時、このようなジャンルの安定性こそが問題とされたこともまた明らかである。しかし単にジャンルの混交ということを主題にしたのであれば、この展覧会は底の浅い内容となってしまったであろう。この展覧会が真に革新的であるのは、企画者の問題意識が作品ではなく「近代美術館」に向けられているからだ。一例を挙げよう。京都国立近代美術館には工藤哲巳の《イオネスコの肖像》が収蔵されている。グロテスクなオブジェのアッサンブラージュによって構成されたこの作品は60年代的なクロスメディアの気風を伝えている。しかしこの作品は本展覧会には収められていない。その理由は《イオネスコの肖像》が「彫刻」に分類されているからではないだろう。工藤の場合、いかに従来の彫刻と異質に感じられるにせよ、作家の意識はジャンルそして「近代美術」という枠組をなんら問うことがないからである。《イオネスコの肖像》は一風変わった「彫刻」として大きな違和感なく、近代美術館のコレクションに収められる程度の作品である。この展覧会はこのような守旧的な作品を問題としない。これに対して同じ「彫刻」に分類されながらもこの展覧会の出発点に位置するのはデュシャンのレディメイドである。知られているとおり、京都国立近代美術館はデュシャンに関する優れたコレクションを有している。有名な《泉》や《壜乾燥機》は既製品に作家がサインすることによって作品として聖別される。これらの作品は既に美術史、さらに言えば現代美術史の劈頭に既に登記されているから、さすがに美術館としても「その他」という項目に分類することはできなかったであろうが、実はこれらこそ「その他」という種別にふさわしい作品ではなかろうか。私の考えではレディメイドとは絵画、彫刻といった近代美術のジャンルの外にある。先に引用したボルヘスの奇怪な分類に倣うならば、レディメイドはいわば「この分類自体に含まれていないもの」といった位置を与えられているのではないか。分類に属しながら分類の外にあることをその成立条件とするきわめてパラドキシカルな存在、その存在を内部に含むことが分類の意味自体を無効化してしまう、きわめて異様な存在としてレディメイドは「近代美術館」に受け入れられるのである。このような図式は直ちにゲーデル問題へと接続可能であるが、本論はレディメイドを論じる場ではないので、これ以上は敷衍しない。
 さて近代美術館が既成のジャンルに分類することが困難な作品を受け入れるためには二つの方法がある。一つは分類概念の可塑性を広げて、強引にいずれかの分類に引き入れる方法であり、本展の出品作であればクルト・シュヴィッタースのメルツ絵画を「油彩画」に分類することがこれにあたる。もう一つは新たにジャンルを加え、ジャンルを逸脱する作品をその中に投入する手法だ。実はこれに際して、近代美術館は二つの項目を設けている。一つはいうまでもなく「その他」であり、もう一つは「資料」である。後者は「作品」に対立するが、実は両者の区別に明確な規定はない。展覧会で壁面に麗々しく展示されるのが「作品」であり、最後のコーナーに展示ケースの中に一括して展示されるのが「資料」と考えるとわかりやすいが、ポスト構造主義を経過した私たちはこのような区別にそもそも意味があるのかという問いを立てる必要があろう。さらに美術館とアルカイヴの関係が様々な角度から検証されつつある今日、「資料」の問題もこれからの美術館にとって大きな課題となるだろう。「マイ・フェイバリット」に出品された作品の多くが「その他」とともに「資料」に分類されている点も、「資料」なる項目が今日の美術館に対して示す批評的な位置を示している。一方、分類の難しい作品をひとまず「その他」という融通無碍のジャンルに放り込む手法も多用されてきた。レディメイドのオブジェから巨大なカラー写真、家具にコーヒーセット、そこに含まれた「作品」のあまりに雑然とした様子、無規則性から私は思わず「シナの百科事典」を連想してしまうのだ。このような項目を立てることによってかろうじて保持される「近代美術館」という制度は一体どのような意味をもつのか。この概念的な展覧会を通覧し、細部から全体へ、瑣末から本質へのみごとな反転に久々にキューレーションという営みの妙を味わった思いがした。
 やや語弊があるかもしれないが、全館を使用した所蔵品展でありながら日本画がほとんど出品されていないこの展覧会から京都国立近代美術館の「名品」は意図的に排除されている。このような展覧会は東京国立近代美術館では開催しえないだろう。かくも過激な展覧会が許容される点にこの美術館特有のアナーキズムを看取することができる。聞くところによれば、近々実施される二回目の事業仕分けでは、国立美術館も対象とされるとのことである。美術館に市場原理を導入しようとする成果主義の台頭に私は心底うんざりしているが、もはや国立の施設もかかる趨勢と無縁でない。果たして今後もこのようなラディカルな展覧会を継続することが可能であろうか。それとも愚劣な収益主義の展覧会を垂れ流す多くの美術館に追随することとなるのか。美術館とキューレーターの真価が問われる状況である。
by gravity97 | 2010-04-11 20:15 | 展覧会 | Comments(0)

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 国立国際美術館で「新築移転5周年」を記念して「絵画の庭―ゼロ年代日本の地平から」が開催されている。地下二階と地下三階のフロア全てを使い切る規模の展示は、私が記憶する限り昨年の「杉本博司 歴史の歴史」以来であり、これまでにもほとんど例がない。この一事からも美術館の力の入れ方が理解できよう。出品作家は草間彌生を別格として1956年生まれのO JUNから1984年生まれの厚地朋子まで合わせて28名。基本的に各作家が一つのブースを割り当てられ、個展形式で作品を展示している。
 タイトルが示すとおり、展示された作品は原則として絵画に限定されるが、作風においても世代においても多様である。過去に同じ美術館で開かれた展覧会の中から私は同様の展示を直ちに想起することができる。すなわち1987年の「絵画1977―87」、89年の「ドローイングの現在」あるいは近年の「エッセンシャル・ペインティング」である。これらのうち、おそらく1975年にニューヨーク近代美術館で開催されたバーニス・ローズの「ドローイング・ナウ」から着想され、ドローイング概念の拡張、特に建築家のドローイングの独自性を再認識させた「ドローイングの現在」以外、私はあまり感心しなかったが、今回の展覧会もこれらの展示に連なり、作家選定の基準を意図的にあいまいにしている。この点は、絵画のみを対象とした企画ではないが、東京国立近代美術館が断続的に開催してきたシリーズ展「現代美術への視点」と好対照を示している。後者は例えば「色彩とモノクローム」とか「連続と侵犯」といったテーマの下に毎回実施され、私の印象ではいずれも韜晦的でテーマと作品の関係が判然としない。展覧会とは端的に批評であり、政治である。したがって私はこれら二つの系列の展覧会におけるテーマの欠落と晦渋に対して批判的であるが、テーマが与えられれば、展示が引き締まるわけでもない。学芸員のマスターベーションのように垂れ流されてきた多くの「テーマ展」を顧みるならば、本展にみられる批評性の意志的な不在もそれなりに一つの見識と考えられよう。
 今回の出品作家の選定は企画者が一人で行ったらしい。分厚いカタログに一篇だけ収録されたテクストの中でその詳細が語られている。しかし草間を除いて1956年生まれ以降の世代から選ぶこと、男女の比率を同じ程度にすること、関西在住、あるいは関西出身の作家を重視することといった選考理由はあまりにもネガティヴであり、むしろ最終的な顔ぶれからあとづけされたと考えられる。ただしこのような基準自体は特に批判するにあたらないだろう。何人かの学芸員が議論して作家を選ぶという手法は結局責任逃れに終始する。企画者がきわめて丹念に作品を実見したうえで作家を選定したことは、展覧会を一覧する時、明らかであり、責任を引き受ける姿勢は好ましい。例えば「プライマリー・ストラクチュアズ」や「態度がかたちになるとき」といった後世に名を残す展覧会がキューレーターや批評家のディクテイターシップに貫かれていたことを念頭に置くならば、優れた展覧会は本質において専制的であるはずだ。
 本展で扱われるいわゆる「ゼロ年代」というディケイドを考えるにあたってこの問題は意味をもつ。なぜなら「ゼロ年代」の美術を規定した二つの展覧会はいずれも今や日本を代表する二人の批評家の専制の下に企画されたからである。カタログテクスト中でも言及されているが、二つの展覧会とは1999年に椹木野衣が企画した「日本ゼロ年」と2007年に松井みどりが企画した「マイクロポップの時代―夏への扉」であり、いずれも水戸芸術館現代美術ギャラリーで開かれている。私の見るところ「絵画の庭」は(実際の年齢的にはさほど離れていないが)意識の上で断絶した三つの世代によって構成されている。まず会田誠、奈良美智、(本展への出品を辞退したという)村上隆ら、「日本ゼロ年」に連なる作家たちであり、「ゼロ年」にできやよいも出品していたことを想起するならば、草間もこの範疇で理解することが可能であろう。第二の世代は青木陵子、杉戸洋、タカノ綾、森千裕ら「マイクロポップ」に出品し、あるいは「マイクロポップ」的な感性を共有する作家たちである。私の考えでは加藤泉や村瀬恭子もこのグループに属す。そして最後に彼らよりさらに若く、およそ2008年頃より作品の発表を始めた作家たちである。もちろん奈良は「ゼロ年」ではなく「マイクロポップ」に出品しているし、O Junや小林孝亘といった企画者好みの、いずれのグループにも属さない作家が何人も存在しており、例外を指摘することは容易であるが、大枠としてこのような理解に誤りはないだろう。この時、本展覧会は椹木と松井によってかたちづくられた「ゼロ年代美術」を絵画の領域で追認する試みと考えることができよう。一見批評性や政治性を欠いたこの展観は実はその欠落によって一つの政治性を行使するのである。
 私はこの展覧会自体はきわめて意義のある試みであると考える。中国からデンマークまで世界中の作家を麗々しく紹介する展覧会が続くこの国で今日、日本の若い世代の作家をまとめて紹介する展覧会は皆無に等しい。関西であれば「アート・ナウ」や「つかしんアニュアル」、関東であれば「ハラ・アニュアル」や「今日の作家」。かつては若い世代に焦点をあてた多くの集団展が組織され、若い作家たちの目標が存在した。しかし美術館が冬の時代に入り、最初に消滅したのはこの種の展覧会であった。比較的ヴェテランの世代を対象とした「近作展」を継続してきた国際美術館が今回、1980年前後に生まれた若手までを包摂したかかる展覧会を開催したことは国立美術館として当然とはいえ、意味のある試みである。出品作家選考にあたって関西という地域性が多少加味されたということであれば、国立新美術館で開催されている「アーティスト・ファイル」のごときアニュアル展が国際美術館発信の展覧会として今後企画されてもよいように感じる。
 展覧会の開催の意義を十分に認めつつも、やはり私が納得できないのは出品されている作品の質だ。私がこの展覧会を見て関心をもったのは先に述べた三つの世代のうち、最後の世代、多く20歳代の若手の作品である。一つにはこれらの作家を初めて見たという理由があるだろうが、この理由は形式的にも説明することができる。あらためてカタログを参照する時、何人かの若手においてきわめて独特の画面分割がなされていることに気づく。ことに年齢順に配置されたカタログの最後に置かれた二人、つまり最若手の二人である坂本夏子の有機的なグリッド構造、厚地朋子における画面の奇妙な連続と切断は新鮮に感じられた。この点は画面の地と像が初めから明確に分節されている先行する世代と対照的である。つまり先行世代は画面の中にイメージを置くことに何の疑問も感じていないのに対し、最若手の画家たちは少なくともそれが自明ではなく、絵画がなんらかの枠組の中に成立することに対して自覚的なのである。いうまでもなく支持体への関心はモダニズム絵画の中心的な課題であった。私は今もなお平面性や視覚的イリュージョンを信奉する頑迷なモダニストではないが、絵画を質において判断するだけの経験と感性はもちあわせていると思う。例えば奈良美智の稚拙でプライヴェイトなドローイング、悪趣味な発想に単なる技術で形を与えただけの会田誠の面白主義のどこに絵画的な価値があるのか。彼らの絵画がこの十年の日本のペインティングを代表し、ここに並べられた絵画が絵画史を形成するとするならば私は索漠とした思いにとらわれざるをえない。おそらくこのような状況には美術市場における商業主義の蔓延と美術ジャーナリズムの退廃が大きく与っているだろう。ここで詳述するつもりはないが、村上隆が作品によって収益を確保することを制作の目的として公言して以来(それは展覧会の価値が入場者数と利益率によって判定されると「改革論者」が恥ずかしげもなく公言した時期とほぼ同期している)、作家やギャラリストの意識が大きく変わってしまった。一方、『美術手帖』に象徴される美術「ジャーナリズム」がギャラリーと結託して、一部の画家のプロモーションとしか理解できない低俗な情報誌となっていることも自明のとおりだ。いずれも一つの見識であろうから、勝手にすればよいが、結果として私たちの目に触れる絵画の質が著しく低下していることに憂慮の念を禁じえない。私は具象的な傾向の回帰そのものを否定するつもりはない。しかし私が具象性に意義を認めるのはゲルハルト・リヒターのごとくたえず絵画という形式との間の緊張を失わない場合に限る。ここに出品された大半の絵画において具象性は絵を描くことにお気軽なアリバイに終始している。この点はリヒターと例えば「エッセンシャル・ペインティング」のエリザベス・ペイトンを絵画の質において比較すれば直ちに明らかではないだろうか。
 展覧会のカタログには詳細で情報に富み、考え方によっては不毛の年表が収録されている。目をとおしてあらためて驚く。この国では1995年、今はなきセゾン美術館で開かれた「視ることのアレゴリー」以来、モダニズムの系譜に連なる絵画のまともな展覧会が途絶えているのだ。代わって絵画の動向を物語る指標となっているのがVOCA展である点は象徴的だ。(このあたりの経緯をVOCA展の講評を手掛かりに論じた福住廉のエッセイは示唆に富む。国際美術館の月報に掲載されているから参照されたい)一方で「マイクロポップ」と「絵画の庭」、もう一方でVOCA展。もしも日本の21世紀初頭の現代絵画が本当にこのような二極の間に形成されたとするならば、私がもはや自らの信じる批評言語によって応接すべき余地はないだろう。
by gravity97 | 2010-03-01 10:14 | 展覧会 | Comments(0)

Under Each Other's Spell

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 現在もニューヨークで開催中であるが、おそらく日本の美術ジャーナリズムでは紹介されることがない興味深い展覧会のカタログが手に入った。
 「Under Each Other’s Spell」、和訳するならば、「互いに魅せられて」といったところか。いささか謎めいたタイトルであるが、「具体とニューヨーク」というサブタイトルを参照すればその意味は容易に了解される。この展覧会は1954年に芦屋で結成され、日本の戦後美術の出発点を画すのみならず、現代美術の神話として名高い具体美術協会のアメリカにおける受容を主題としている。ゲスト・キューレーターはミン・ティアンポ。芦屋市立美術博物館で具体美術協会の調査に携わった後、グレイ・アート・ギャラリーにおける「田中敦子展」などに関わった若い女性研究者で近くシカゴ大学出版局より『具体 分散するモダニズム』という著書を上梓する予定ということだ。
 残念ながら展覧会を実見する予定はないので、例によってカタログを参照しながら所感を述べる。この展覧会の中で具体とニューヨーク、つまりアメリカの美術界との交渉はいくつかのレヴェルで検証されている。まず展示された作品の大半はマンハッタンに住む画家ポール・ジェンキンス夫妻のコレクションである。ジェンキンスによれば、それらは64年に彼が日本を訪れた際に作家たちから贈られたものであるという。クオリティーの高い小品が多いことはこのような理由によっている。私はモーリス・ルイスの亜流であり、しかも妙に感傷的なジェンキンスの絵画を全く評価しないが、おそらく同じ理由によって日本ではルイス以上に人気のあるジェンキンスは当時より具体のみならず日本の美術界と交流をもっていた。たまたまジェンキンスの家を訪れたポロック-クラズナー・ハウス・アンド・スタディセンターのディレクターがそこにあった具体美術協会の作家たちの小品に目をとめたことがこの展覧会の発端であったとカタログの前書きにある。
 具体美術協会は活動の初期から機関誌を発行して世界各地に自分たちの活動を紹介し、作家や批評家を結ぶネットワークを形成した。この点を解明することもこの展覧会の主要な目的となっており、この点は美術におけるグローバリズムの起源とも呼ぶべききわめて今日的な問題意識と結びついている。ミンはこのようなネットワークが国際郵便というシステムと密接に結びついて構築されたことを論じ、このような交流の一つの帰結としての58年、ニューヨーク、マーサ・ジャクソン・ギャラリーにおける具体美術展を取り上げ、最後にジェンキンスと具体美術協会の作家たちとの交流の場になったグタイピナコテカの活動に触れつつ、そこを訪れた多くのアメリカ人作家の名を羅列している。しかし論文自体が短く、テーマ的にも限定されているためか、ミンの論文は具体美術協会に関してよく知られた事実をなぞることに終始してあまり新味がない。特にその全容が未だに未解明といってよいマーサ・ジャクソン・ギャラリーでの展覧会とその反響に関しては地の利を生かしてさらに詳細な検証がなされてもよいのではないかと考えるが、特に新しい知見は得られず、使用されている展示の図版も芦屋市立美術博物館の具体美術協会アルカイヴに収められた旧知のイメージである。本論文から得られた唯一の新しい情報は、機関誌『具体』がニューヨーク、パリ、トリノ、アムステルダム、ヨハネスブルグに向けて発送されたというコメントである。これほど具体的に地名が特定されているからには当然根拠があるだろうし、おそらくそれは彼女が整理に従事した芦屋美術博物館の具体アルカイヴの資料と推測される。ところが註には具体的な資料が明示されず、この問題については近く刊行される自分の新著を参照せよとのこと。展覧会は著書の宣伝の場ではない。学術論文における事実関係の指摘である以上、典拠が明示されていないのは問題ではなかろうか。
 これに対して、同じカタログ所収の大島徹也の論文は興味深い新発見を丹念に検証している。大島はかつてポロックに関する各所のアルカイヴを調査して、現在大原美術館に所蔵されているポロックの《カット・アウト》のオーサーシップと制作年についてきわめて説得的な異論を呈したことがある。今回の論文はおそらくこの調査の副次的な成果であろうが、大島はポロックのアルカイヴの中に具体美術協会のメンバーであった嶋本昭三の手紙を発見し、今回のカタログでその全文を紹介している。ポロックの死後、書斎から具体美術協会の機関誌が発見されたことは有名な事実であり、このエピソードは具体美術協会の神話化に大きく寄与した。これまでなぜポロックがこれらの機関誌を、しかも複数部所持していたかは謎とされていたが、この手紙を読むならば事実はきわめて単純であり、嶋本がおそらくは指導者吉原治良の指示に従って直接郵送していたのである。コロンブスの卵とも呼ぶべき解決である。具体美術協会の作家たちがこの事実を公表しなかったことは自らを神秘化する意図があったかもしれないが、単に送った相手を記録していなかったということも十分にありうるから、今後の検証が必要とされるだろう。いずれにせよ、きわめて早い時期に現代美術に関わる国際的なネットワークの構築を試みた点において、この集団の先見性は明らかであり、このような交渉史にさらにパリのミシェル・タピエという函数を加える時、1950年代にニューヨークとパリの間で繰り広げられた美術の覇権をめぐる闘争に新たな光を当てることができるかもしれない。大島は吉原がポロックのアドレスを手に入れるにあたって長谷川三郎が仲介した可能性を示唆している。吉原は早い時期からポロックのアクション・ペインティングに関する情報を得ていた形跡があり、この点から具体美術協会とアクション・ペインティングの関係を再検討することもできよう。今回の発見は50年代の表現主義的絵画に関してなおも多くの研究の余地が残されていることをあらためて私たちに示唆する。
 カタログのイメージを上に示す。写真からもわかるとおり、このカタログはポロックに関する記事が掲載された具体美術協会の機関誌『具体』6号の装丁を模しており、巻末には当該記事が見開きでそのまま収録されている。著作権の問題が気にならないでもないが、展示の内容に即したなかなかしゃれた意匠である。近年、具体美術協会への関心はヨーロッパで再び高まっている。アメリカでは日本の戦後美術を紹介する展覧会やアクションを主題とした展覧会に組み入れられたことはあっても、具体美術協会単独の展覧会は今日にいたるまで開かれたことがない。今回の展覧会、あるいは来年刊行されるというミンの新著がアメリカにおける具体美術協会の再評価、そして研究の進展の契機となればよいと感じる。
by gravity97 | 2009-09-22 21:17 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_10594582.jpg 現在、兵庫県立美術館で開催されている「躍動する魂のきらめき 日本の表現主義」はきわめて問題提起的な展覧会である。この展示の画期的な点は、対象を絵画や彫刻に限定することなく、演劇や建築といった美術館では比較的に扱いにくい対象をも視野に入れ、それぞれにかなりマニアックな作品が選ばれている点であろう。この展覧会は巡回館の学芸員たちが組織した「表現主義研究会」での議論を踏まえて企画されたということであるが、カタログの論文を執筆した学芸員たちの名を見れば、展覧会のそれぞれのパートが誰によって構成されたかおおよそ想像がつく。この意味で本展は近年珍しい「学芸員の顔が見える展覧会」といえよう。
 表現主義という言葉から直ちに連想されるのはドイツ表現主義である。しかし「日本の表現主義」はそれよりはるかに広い射程をもち、大正期の前衛美術のほぼ全幅と関連している。展覧会ではさらにその「予兆」として黒田清輝や藤島武二までを含み、さらに今述べたとおり、建築や工芸といった応用芸術も視野に収めている。この展覧会においては表現主義を限定的にとらえるのではなく、大正期の造形芸術をむしろそのあいまいな輪郭の中に浮かび上がらせようとしている。分離派やユーゲント・シュティールの影響をうかがわせる一連の「新建築」や、異なったジャンルでありながらきわめて近接したテイストを感じさせる村山知義の舞台装置と衣笠貞之助の一連の映画などからいくつもの興味深い論点を摘出することもできようが、私の手に余る。ここでは私が専門とする絵画の領域を中心に若干の私見を示しておきたい。
 比較的近い主題を扱った展覧会を私は二つほど想起することができる。一つは20年ほど前、東京都美術館などを巡回した「1920年代・日本」展であり、もう一つは1999年に京都国立近代美術館で開催された「日本の前衛 1910-1940」である。いずれの展示もいわゆる純粋美術だけでなく文化全般が視野に収められ、今回の展示と共通点が多い。しかしどちらの展覧会もテーマを広げすぎて消化不良の印象があった。これに対して、今回は「表現主義」という切り口によって展示全体がみごとに律された思いがした。日本画の場合がわかりやすいだろう。これまで大正期の日本画は、例えば国画創作協会といった集団との関係、あるいは「大正デカダンス」といったあいまいな概念で括られることが多かった。しかし「表現主義」という概念を適用することで、秦テルヲから甲斐庄楠音が一つの地平に浮かび上がり、さらに近年再評価された玉村方久斗の一連の絵画とやはり玉村の手による『エポック』という雑誌の斬新な装丁まで、作家やジャンルを超えて広がる一つの時代の気風を見通すことが可能となり、加えて何人かの南画家さえもこの延長に捉えることができるのだ。展覧会とは異質の作品を並置することによってそこになんらかのコンテクストを設定する試みであるが、この展覧会からは幾つもの思いがけないコンテクストが垣間見えた。
 それにしてもなぜ表現主義なのか。洋画に目を移せば、例えば萬鉄五郎、村山槐多、神原泰あるいは柳瀬正夢といった作家の重要な作品が出品されている。私としてもこれまで目にした事のある作品が多く、作品自体にさほど新味はないが、これらの多様な表現を表現主義と一括する時、また新たな発見があった。彼らの表現に共通する姿勢は反アカデミズムであろう。アカデミーやサロンに依拠する官製の美術史に対抗する系譜が西欧の近代絵画を形成したことは20世紀の絵画史を想起する時,今や明らかである。しかし日本においてはどうか。西欧においては未来派やキュビスム、オルフィスムといった多用な動向として認められるこれらの系譜が日本においては「表現主義」という一語に収斂する状況を私たちはどのように考えるべきであろうか。先に「日本の前衛」という展覧会を引いたが、ここで提起される「表現主義」という概念の欧米におけるカウンターパートを求めるならば、おそらく「前衛」であろう。展覧会からシュルレアリスムが排除され、日本においてキュビスムが未成熟であったといった条件を勘案するにせよ、モダニズム美術を牽引した「前衛」が、日本においては必ずしもモダニズムの範疇に収まらない「表現主義」という一つの運動に回収されるという逆説は日本におけるモダニズム美術の展開を考えるにあたって留意されてよい。私の考えでは「表現主義」という言葉は必ずしも適切ではない。実際にカタログの中では「生命主義」を初めとするいくつかの言葉がタイトルの候補として挙げられたことが言及されている。この意味で冒頭の論文において森仁史が展覧会の目的を「本展は日本において表現主義が生起し、展開した流れを西欧概念の移植としてではなく、固有の必然に基づく開花だと把握し、提示しようとしている」と述べていることは適切である。しかしそれならば、展覧会中、「影響と呼応」と題されたセクションは必要であっただろうか。私たちは先の引用とは逆に日本の美術を欧米の動向の影響として理解することに慣れてきた。しかしここに集められ、ひとまず「表現主義」の名を与えるしかない奇妙かつコヘレントな一群の作品は日本というきわめて特殊な磁場において初めて可能な表現であったような気がするのだ。これを単純な影響関係に置き換えて、例えばカンディンスキーと恩地孝四郎を併置する手法は、日本の「表現主義」の特殊性をむしろ覆い隠すような気がする。
 最近私は本展の企画者の一人である速水豊の近著『シュルレアリスム絵画と日本』を通読した。古賀春江や福沢一郎の一連の絵画におけるイメージがどのような出自(多くは同時代の欧米の絵画や科学雑誌)をもつかを実証的に論じた研究はきわめて興味深いものであり、労作であることは間違いない。しかし私にはこのような研究は今日では時代錯誤的に感じられる。確かにシュルレアリスムに用いられるショッキングな図像は転用されやすいし、このような関係をたどることは比較的たやすい。しかし図像の引用や借用はイメージに関わる芸術においては普遍的に観察される事態であり、それが作品の本質といかなる関係を取り結ぶかを検証して初めて意味をもつ。そもそもフーコーを経由した私たちにとって、作品やイメージが起源をもつという発想自体があまりにもナイーブに感じられはしないか。もしそのような転用や借用に意味があるとすれば、それは内容においてではなく、例えば印刷技術やイメージの流通媒体といった作品の形式あるいは表象というシステムとの関係において画定されるべきであり、例えばジョナサン・クレーリーの一連の研究はそのような意味をもつ。これに対して、表象システムまで遡及することなく、単に特定の図像の来歴を検証する速水の著作は読み物としては抜群に面白いが、発想は蒼然としている。
 展覧会に戻ろう。この展覧会がその輪郭を粗描する、1910年代から20年代の日本の造形美術における「表現主義的」なるものが一体何に由来するのか、あるいはいかなる意味をもつのかについては、カタログに収録された論文が示唆的である。絵画を専門とするためであろうか、私には特に北沢憲昭と速水の論文が興味深く感じられた。日本固有の「表現主義」の系譜を高橋由一から説き起こす前者と、海外の動向と関連づけて論じる後者には微妙な姿勢の違いがある。先に述べたとおり、私はどちらかというと北沢の立場に共感するのであるが、これらの問題はいずれもなおも深められる余地がある。展覧会を通覧して私は二つの点に興味をもった。展覧会のテーマとしても既に設定してある問題であるが、一つはスピリチュアリズムとの関係である。同じ時代に欧米における精神主義が様々な神秘思想と手を結んで抽象絵画の発生に深く与った点に関しては例えば1986年にロサンジェルスのカウンティー美術館で開かれた「芸術における霊的なもの」という大展覧会などで検証されたところである。今回の展覧会でも日本の抽象絵画の濫觴とも呼ぶべき西村伊作の興味深い作例を見ることができたが、霊的な存在への関心は例えば神原泰や尾竹竹城の作品にもうかがうことができる。日本の「表現主義」と抽象表現の複雑な関係を考えるにあたって、スピリチュアリズムは一つの鍵となるであろう。もう一点、やはり展覧会を通覧する時明らかであるが、日本において「表現主義」がきわめて多くの領域、特に工芸や本の装丁といった生活に密着した領域においても重大な足跡を残した点は注目に値する。この点からも日本の「表現主義」が例えばドイツ表現主義のごとく、美術の一流派をはるかに超えた意味をもちえたことは明らかであろう。
 少々批判的なコメントも加えたが、この展覧会が近年まれな学芸員の意志と思考を感じさせる展覧会であることは間違いない。一つのテーマのもとに集められたこれほど多くの作品を見る機会は実に得難く、意識的な観客は多くの発見と思索へと誘われる。ルーブルやらオルセやら、新聞社が主導する名前だけ華々しいブロックバスターの企画展、そしてそれを唯々諾々と受け容れる美術館の在り方に私は心底うんざりしている。このレヴェルの批評性をもった展覧会が日常的に開かれるようになって初めて、この国は文化的に成熟したといえるだろう。
by gravity97 | 2009-07-28 11:01 | 展覧会 | Comments(0)