カテゴリ:展覧会( 61 )

「榎忠展」

b0138838_1505170.jpg
 ずいぶん遅くなったが、この秋、兵庫県立美術館で開催された「榎忠」展のレヴューを記しておきたい。榎は近年でこそ知名度も高いが、1970年代以降、神戸を中心に地道で着実な活動を続けてきた作家である。一見スキャンダラスな作品も多いとはいえ、作家のテーマはほとんどぶれることなく、作品の完成度は常に高い。
 榎は最初、JAPAN KOBE ZERO の一員として活動していたが、今回の展覧会では榎がこのグループを脱退した後の個人的な活動のほぼ全貌が紹介されている。榎の衝撃的なデビューとして記憶される作品は、1979年、当時の兵庫県立近代美術館における「アート・ナウ 79」に出品した実物大の大砲模型であったから、今回の個展がこの美術館の後身とも呼ぶべき会場で開かれたことは当然かもしれないが、後述するとおり、榎が美術館に照準を合わせた大砲によって活動の端緒に就いたことの意味は象徴的である。
 榎の多様な活動の中で今回の個展の中心となっているのは多く鉄を用いたきわめて即物的で重量のある作品である。それらは大きく二つに分けられる。一つは時に鋳型まで用いて成型された、明確な形状と意味をもつ作品である。それらが暗示する大砲、カラシニコフ自動小銃、そして薬莢といった装置や部品が兵器というモティーフをかたちづくることはいうまでもない。ずいぶん昔に神戸でギャラリー一面に薬莢をぶちまけた作品を見た際、作家のコメントとして「これらの品は人を殺すために製造され、それ以外の目的をもっていない」といった言葉が掲示されていたように記憶する。私たち一般の市民が現物を目にする機会がほとんどない現在の日本でそれなりに美的なこれらの形態にかかるコノテーションを認めることは難しい気もするが、実際には使用できないこれら兵器のフェイクは攻撃性と滑稽さという榎の作品の多くを通底する特質をたたえている。もう一つの系列は金属の廃材にほとんど手を加えることなく提示した一連の作品である。手を加えることなくというのは、(研磨や選別を別とすれば)作家自身の手が入っていないということであり、実際の廃材には想像を絶する力が作用した痕跡が残されている。例えば「ギロチン・シャー」と題された一群の鉄材は鋼鉄をまさにギロチンにかけるかのようにシャーリング、つまり物理的に裁断した廃材であり、このような形に変形するまでに驚くべき負荷がかけられたことが暗示されている。あるいはサラマンダー、火トカゲと題された一連の作品は溶鉱炉から流れ出た鉄をそのまま提示したような形状であり、この場合は非常な高温が鉄を変形させたことは明白だ。私は前者からはかすかにジョン・チェンバレンを、後者からはあからさまにリンダ・ベングリスの作品を連想してしまうが、彼らがそのような加工自体に大きな意味を見出しているのに対して、榎はそのような形に変形した後の廃材そのものの形状や質感に魅せられたのではないだろうか。特に今回、私にとって初見であった「ブルーム」という作品は溶鉱炉から取り出された直後の鉄の状態を示しており、有機的にさえ感じられる上部の開口部(私は映画「エイリアン」のモンスターの卵を連想した)はタイトルのとおり花の開く様子、さらにエロチックな含意をはらんでいる。いずれも鉄という素材の加工について熟知した榎でなければ発見することができなかった思いがけなくも魅力的な廃材の表情である。会場で上映されていたヴィデオに廃品の選別場の中で作業するおそらくは榎の姿が映っていた。榎は強力な磁界を発生する機械を操作して、床一面に広げられた廃材の山の中から磁力によって空き缶など鉄製の廃物を選別し、別の場所へと移す。私は以前、同じ作業所を訪れて榎がこの機械を操作する様子を見たことがある。このヴィデオ作品の驚くべき点は、そこに映し出される情景が作業の工程の一部、機械的な手順であり、一切の芸術的、創造的な創意を欠いている点である。このヴィデオを見て私はダンプカーに満載した液状のアスファルトを斜面に注ぐ模様を記録したロバート・スミッソンのヴィデオを連想した。両者に共通するのは、今述べたとおり、そこに再現されるのが一つの手続きの遂行であって芸術的契機を全く欠いている点である。しかし一つの手続きを厳密に遂行することが一つの作品の本質を構成することを私たちはソル・ルウィットから学ばなかっただろうか。さらに廃墟や廃材(立入規制区域と「がれき」と言ってしまえば今の私たちにはあまりにも生々しすぎる)への関心もまたスミッソンに共有されていた。近年榎が取り組んでいる《RPM》も円形の機械部品を塔状に積み上げたものであり、大都会の摩天楼のシルエットを連想させないでもない。あまりに美的であるという批判もありえようが、各々の部品が一切接合されることなく、単に積み重ねられることによって構成されていると知れば、作品は一転して不穏で非永続的な印象を与える。絵画的な配置の是非については議論の余地があろうが、今回の展示のハイライトであることは明らかだ。
 ところで私は榎の作品のもう一つの系譜についてまだ一言も論じていない。いうまでもなく、それは榎の名を広く世に知らしめ、日本では類例の少ない一連のボディ・アート、具体的には「ハンガリー国に半刈で行く」とBAR ROSE CHUをめぐる作品である。体毛というほとんど先例のない表現媒体を用い、あるいはトランス・ジェンダーを主題としたきわめて早い時期の作品として知られるこれらの作品が本展で周縁的な位置しか与えられなかった理由ははっきりしている。それらは美術館という場に馴染まないのである。前者は演劇や刑罰といった特殊な機会ではなく、片側の体毛を全て剃った異形の身体が日常の中に出現してこそ意味をもつのであり(実際に榎はハンガリーから帰国後も5年近くこの状態で生活した)、後者についても神戸東門街に女装した榎が無料で酒をふるまうバーが、一夜だけ予告なしに出現することに意味がある。実際にはBAR ROSE CHUの開店は関係者に予告されていたようであるが、いつか榎とBAR ROSE CHUについて話した際、榎は偶然入ったバーで(女装した)セクシーなママから酒をふるまわれ、翌日行ってみると店もママも存在しないという一夜の夢を実現することが目的であったと語っていた。この意味でこのパフォーマンスは美術館の外で一度だけ挙行されることに意味がある。その後、キリンプラザ大阪での個展と神戸ビエンナーレの際にもローズ・チューは現れたが、いずれも過去の確認以上の意味はもちえなかったように感じる。
 このほか榎には分譲地の地面を掘削する作品や閉店した喫茶店に奇怪な生命体のような立体を配置した作品など、いくつものサイト・スペシフィックな作品が存在する。これらの作品も本展覧会ではカタログで瞥見される以上の扱いを受けることがなかったことは作品の特質を考える時、特に不思議ではないが、この展覧会に「美術館を野生化する」というサブタイトルが付されていることを勘案するに、この展覧会が美術館で開催されたことの意味は微妙に感じられる。やや辛辣に述べるならば、この展覧会は美術館を野生化するどころか、ひとまず美術館に収容可能な対策をひとまず並べて「榎忠展」の名を冠したという印象が拭いきれないのだ。なるほど展示された作品の総重量は恐るべきものであり、美術館、学芸員の苦労は十分に理解することができる。しかしそれにしても本展覧会がことさらにサブタイトルで美術館における展示であることを強調するほどの工夫があるようには思えない。それは重量物を大量に運び入れた苦労に対して用いられたかもしれないが、美術館という制度にはなんら批判を迫る内容ではない。年譜を参照するならば1994年のことであるが、私は今回も出品された「ギロチン・シャー」がおそらく初めて発表された際に展示を見た記憶がある。作品が置かれたのはJR神戸駅の高架下であり、暗く殺伐とした空間に置かれた無残な鉄塊の印象はなんとも鮮烈であった。同じ作品が美術館の中に設置された時、それはいかにも作品然として(なんと彫刻台の上に置かれた例もあった)迫力に欠ける。さらにいえば、これらの作品を東北で大きな震災があった同じ年に神戸という街で展示することに新たな意味を見出すことも不可能ではなかったはずだ。それらは本来美術館という箱の中に鎮座するにはあまりに獰猛な存在ではなかったか。
1979年の展示で大砲の照準を美術館(正確には当時の学芸員執務室)に合わせたことが示すとおり、榎の作品には美術館を含めた美術を巡る制度への批判が内在していた。しかし今回の展示においてこのような批判は、担当学芸員のテクストのタイトルではないが、うまく「飼い慣らされた」気がする。榎忠という強烈な作家を「飼いならして」でも美術館の中に誘い込むべきか、それとも外で放し飼いにすべきか。その判断は難しく、私が知らない事情も多くあるだろう。美術館と作品の関係を再考する機会を与え、今年見た展覧会の中でも強く印象に残る優れた内容であっただけにあえていくつかの批判を加えた。
by gravity97 | 2011-12-30 15:09 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_983656.jpg
 国立新美術館で「モダン・アート、アメリカン」と題されたフィリップス・コレクション展を見る。広報チラシや出品作家の顔ぶれからはさほど期待していなかったのだが、予想に反して多くの発見を誘う、なかなか興味深い内容であった。
 これまでワシントンを訪れたことがなかったためであろうか。富裕な家庭に育ち、イェール大学在学当時から芸術に関する論考を発表し、日本を含む世界中を旅行したダンカン・フィリップスなるコレクターを私は本展によって初めて知った。このコレクションが全体としてどの程度の広がりをもつかについてはカタログを読んでも判然としないが、少なくとも展示された作品を今日の観点から評価するならばやや時代遅れの印象は否めない。しかし奇妙に聞こえるかもしれないが、この点は決して展覧会の興趣を殺ぐものではない。ここに展示された作品は抽象表現主義が勃興する以前のアメリカにおいては最も高く評価された作品であり、このような時代遅れ、ずれの感覚ゆえにいくつもの問題を提起するのだ。カタログに寄せられたテクストの冒頭に1948年、ある雑誌が最も優れたアメリカの作家について、当時の識者に尋ねたアンケートについての言及がある。それによれば当時アメリカ最高の画家とみなされていたのはジョン・マリンであり、マックス・ウェーバーであり、スチュアート・デイヴィス、エドワード・ホッパーであった。ホッパーは今日でもよく知られているが、ほかの画家はどうであろうか。しかしこの展覧会には今述べた作家たちが名を連ねている。つまりこのコレクションは抽象表現主義が登場する以前の「アメリカ美術」の正系をかたちづくっているのである。
 展覧会は「ロマン主義とレアリズム」から「抽象表現主義」にいたるよく練られた10のテーマで構成されている。もっともかかる構成は展覧会キューレーターとしてカタログにも明記されたフィリップス・コレクションの学芸員によって提起されたものであろうし、日本で開催される展覧会であるにも関わらず、テーマの設定、作品の選定が全て所蔵者に委ねられていることはなんとも無残だ。近年の、特にアメリカの美術館からの借用によって実現された展覧会における植民地的な状況について批判したい点は多いがここでは措く。いずれにせよ、この展覧会をとおして主題と形式の両方に側面から19世紀中盤以降およそ100年にわたるアメリカ美術の通史を概観することが可能であり、そこからは「アメリカ美術」の様々な特質が浮かび上がる。「自然の力」「自然と抽象」「記憶とアイデンティティ」といったテーマはアメリカという風土と深く結びついており、「都市」「近代生活」といったテーマに分類された作品は逆にヨーロッパの絵画との主題的な差異をくっきりと浮かび上がらせている。一方で「印象派」とうテーマと関連づけられた絵画の中にはフランスで制作されたといっても何の疑問もないような作品も含まれている。
 コレクションの中心を形成する作家たちは世代的には抽象表現主義より一世代先行し、それゆえ新世代の若手たちにとって反例と範例、両義的な存在であったと考えられるだろう。アメリカの大自然や風俗を描くリージョニズム(地域主義)の画家たちや社会問題や都市における疎外を主題としたアシュカン・スクールの画家たちはともに批判すべき対象であり、抽象表現主義の画家たちはリージョニズムに対してはモダニズム、社会性に対しては普遍性を揚言して新しい表現の可能性を切り開いたのである。この一方でジョージア・オキーフに潜在する抽象的崇高への志向はクリフォード・スティルやバーネット・ニューマンを予示しているし、私はユング心理学やプリミティヴ・アートへの導き手として抽象表現主義の作家たちに大きな影響を与えたロシアからの亡命作家、ジョン・グレアムの作品をこの展覧会で初めて見た。マースデン・ハートレーやミルトン・エイヴリー、アーサー・G・ダヴといった作家の作品をまとめて見る機会も日本ではあまりない。これらの作家たちを前に抽象表現主義の作家たちがどのように感じ、いかに彼らを乗り越えようとしたのか、本展を通覧するならばきわめて具体的に了解できるのだ。あるいは国吉康雄と岡田謙三という二人の日本人作家、彼らは作風も異なり、本展でも当然異なったテーマと関連して展示されているが、いずれの作品もそれぞれの文脈の中にきわめて自然に位置づけられ、もはや日本人作家であることは意識されない。このようなコスモポリタニズムは多くの作家が移民という出自をもつアメリカ美術にとって本来的な特質であることに今さらながら理解する。
 それにしても多くの作品を通覧する時、抽象表現主義絵画がそれらと全く異なった印象を与えることがわかる。ただしこの展覧会では抽象表現主義に関してもさほどの名品が展示された印象はない。アドルフ・ゴットリーブ、フィリップ・ガストンそしてスティルに関しては比較的大きな佳作が展示されているが、コレクションが展示される空間との関係であろうか、主要な作家についても小品が多く、時期的にもベストの時期ではない。逆にこのような不在こそが、この展覧会の隠された主題ではないかとさえ思う。もちろんそれは私がこれまで抽象表現主義の傑作を多く見てきたせいかもしれないが、この展覧会の印象を一言で言うならば、抽象表現主義絵画という絶頂めがけて、アメリカ美術全体がいわば弓をぎりぎりと引き絞っていくさまであり、一種の緊張感とともに抽象表現主義という偉大な絵画が出現した歴史的背景がみごとに整理されるような気がした。つまりポロックでもよい、ニューマンでもよい、彼らの代表的な作品はここに出品しているいずれの作品とも全く似ていないのだ。(ポロックとも交流があったオッソリオの絵画についてはここで詳しく論じる余裕がない)それはヨーロッパ絵画との断絶をも意味する。出品作に抽象絵画が比較的少なかったという理由もあろうが、私はあらためて抽象表現主義絵画が西欧近代絵画との決定的な断絶であるということを強く意識した。
 この一方で例えば「近代生活」や「都市」のセクションにもしもラウシェンバーグやジョーンズ、あるいはポップ・アートの作品が展示されていたとしてもさほどの異和は感じられないだろう。例えば上に掲げたカタログの表紙にも用いられたホッパーの絵画とジョージ・シーガルの作品を比べてみるがよかろう。ラウシェンバーグの作品がヴェネツィア・ビエンナーレのグランプリを受賞したことがアメリカ美術の勃興のメルクマールとなった点はよく知られているが、このような文脈に置くならば、コンバイン絵画はアメリカ美術の枠内にあり、近代美術の外にあるものではない。つまり絵画という制度の中にあった抽象表現主義が、後続し絵画という形式さえも解いてしまったネオ・ダダよりも実は過激であったという逆説が明らかとされるのである。そしてもしこれ以後のアメリカ美術の中に抽象表現主義同様の断絶を指摘するならば、それはミニマル・アートにおいて画される。この意味で私は抽象表現主義、とりわけバーネット・ニューマンとミニマル・アートの関係はさらに深く思考されるべきと考えるが、この問題は本展の展評の域を超えている。
 先にも述べたとおり、本展において抽象表現主義の名品が少ないのは残念であるが、この不在を来るべき表現への期待と読み替えることは不可能ではない。奇しくも来週、名古屋で日本初と銘打ったジャクソン・ポロックの回顧展が始まる。テヘランからの作品は無事日本に届いただろうか。おそらく本展を見ることによってポロックの絵画への理解もさらに深まるはずだ。
by gravity97 | 2011-11-06 09:08 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_2014548.jpg
 アマゾンから届けられた『菊畑茂久馬 戦後/絵画』という分厚い作品集を手に取るならば、直ちに二つの思いが交錯する。後悔と羨望の念だ。前者はいうまでもなく、展示というかたちでここに収録された作品を実際に見る機会を逸したことに対する思いであり、後者はこのような時代にかくも充実した資料を刊行した関係者への率直な思いである。実際、同じ時期に福岡と長崎というさほど相互に行き来のたやすい場でもない二つの会場で開催された展覧会がおそらく今年のベストと呼ぶべき展覧会となるであろうことは事前から予想され、実際に始まってからの評判もそれを裏づけるものだったにもかかわらず、会場へと足を運ばなかったことは自らの怠惰が招いたとはいえ、大いに悔やまれる。そして一方でこのような時代にあって地方の公立美術館がかくも充実した展覧会を組織し、かくも浩瀚な作品集を世に問うた奇跡に対する感慨もまたひとしおである。
 作品はこれまでも多くの美術館で見てきたが、菊畑茂久馬はその全体像を把握することが難しい作家である。菊畑が戦後日本の現代美術を代表する作家であることは衆目の一致する点であるが、作家をなんらかの集団や運動に帰属させることは難しい。九州派の代表作家、読売アンデパンダン展の風雲児、南画廊の看板作家、これらのレッテルがいずれも一面の真実にすぎないことはこの作品集に目を走らせれば明らかである。作家同様その作品もなんらかの動向と結びつけることが難しい。初期の土俗的なオブジェ、カシューを塗った円形の平面からルーレット・シリーズ、デュシャンを連想させる小ぶりのオブジェ、そして〈天動説〉に始まる一連の絵画シリーズにいたる作品の展開は作風の深化、あるいは成熟といった概念とは無関係のぎくしゃくした印象を与える。さらに菊畑は作品制作と並行して炭鉱画家、山本作兵衛と交流し、彼の絵画を模写し、さらには返還されたばかりの戦争記録画について論文を執筆するといった一面もある。作品制作と直接に結びつかないこれらの活動が作家にとっていかなる意味をもったかを理解することは容易ではない。
 しかし今回、作品集を通読するならば、これらの疑問の多くは氷解するだろう。作家の半生と作品の関係を考えるにあたって多くの示唆を与えるのは福岡市美術館の山口洋三による長時間インタビューである。菊畑という一人の作家の回想でありながら、そこからは日本の戦後美術の高揚期をめぐるいくつものエピソードをうかがうことができる。まともな美術教育を受けたこともない福岡の青年が東京の一流画廊で個展を開き、ニューヨークでも作品が展示されるにいたる経緯は一種のシンデレラ・ストーリーであるが、インタビューをとおして単に一人の作家の活躍にとどまらず、当時の現代美術をめぐる熱気がうかがえる。それは東野芳明、中原佑介といった若手の批評家が登場し、南画廊や東京画廊といったやはり新興の画廊が意欲的な展覧会を次々に企画して新しい価値観を提示しようとした1960年代の東京の現代美術をめぐる高揚感である。しかし一方で菊畑は常に東京から距離をとり、生活者として福岡に根を張り、自身の必然性に基づいて作品の制作を続けた。九州派をはじめ集団蜘蛛との関係など当時の地元作家相互の交流については初めて知ることも多かった。60年代の「地方の前衛」の活動の充実については既にこのブログで触れた黒ダライ児の『肉体のアナーキズム』の中で詳しく論じられているが、この作品集は菊畑という稀有の作家のオーラル・ヒストリーを介してこの問題を検証している。そしてこのような土着性のゆえに菊畑は「時代の寵児」として軽薄に消費されることなく、今日にいたるまで現代美術の第一線に立つことができたのであろう。
 本書を通読して多くの発見があった。まず60年代後半に制作された大量のオブジェが発表を想定しておらず、破棄されたものも多いという事実には驚く。それらは偶然にその存在を知った学芸員によって88年の北九州市立美術館での回顧展で初めて発表されたという。菊畑が一種の鬱屈の中でこれらの作品を制作した背景としては、明らかに同時代の美術が万国博覧会という時代の滝壺の中にむざむざと飲み込まれていくことへの抵抗があっただろう。それまで前衛とみなされていた作家たちが一方は御用作家として万博総動員体制に加担し、一方は万博破壊共闘へと結集していく。このような二極化の中で菊畑の独特の位置は注目に値する。そしてかかる勢力の布置状況が近年、九州、福岡を拠点とする研究者や美術館によって究明されつつある点はきわめて興味深い。同時に万博を戦後美術の結節点とみなす椹木野衣の一連の著作の先駆性もまた明らかであるように感じる。
 長い沈黙を破って菊畑は1983年、東京画廊で発表した〈天動説〉連作によって新たな一報を踏み出した。そしてこの連作が菊畑の仕事の中でも一つの絶頂をかたちづくっていることは本作品集を通覧する時、直ちに明らかとなる。残念ながら私は一部の作品をそれらが収蔵された美術館で見たことしかないのであるが、作品の圧倒的な存在感は図版からさえ明らかであろう。多様な作品を渡り歩いた菊畑がこの時期、絵画という形式によって現代美術の第一線に復帰したことは暗示的である。作品集に寄せられたテクストの中で展覧会を担当した二人の学芸員は、それぞれオブジェ、「物性」といった概念を手掛かりこの経緯を説得的に解き明かし、当時、喧伝された絵画の復権、イメージの回帰といった表層的な現象とは異なった深い内発によって〈天動説〉が導かれていることを解明している。ここに再び集った〈天動説〉連作を一覧するためだけでも私は九州に足を運ぶべきであった。
 それにしても未曾有の災厄を経験した同じ年にこのような充実した展覧会が開催されたことは私たちにとって大きな励ましではないか。震災と原発災害の後で展覧会は可能か。いうまでもなくこの問いは、アウシュヴィッツの後で詩を書くことは可能か、飢えた子どもの前で文学は可能かという問いに連なる。芸術は非人間的な状況に拮抗しうるか。しかしこれは偽の問いであり、両者を対置する発想は正しくない。いかなる悲惨であろうともそれは芸術の不在によって購われることはないし、いかなる惨禍を体験したとしても、人は美術が、文学が、音楽が存在しない世界で生きるべきではないのだ。展示を実見していない私がこのように結語することは傲慢に聞こえるかもしれない。しかしこの重厚な作品集を通読した後、私は自身の体験に基づいてこの点を確言できる。美術館の冬の時代と呼ばれて久しいが、優れた作家と情熱のある学芸員が組めば、地方であっても、新聞社やTV局の事業部やらに主導されずとも、かくも質の高い展覧会を組織することができるのだ。
 カタログではなく一般書籍として刊行されたため、作品集をアマゾンから入手できたことは幸運であった。上に掲げたイメージから明らかなとおり、作品集も量、質ともにこの驚くべき展覧会の名に恥じぬ充実ぶりだ。出版社を確認して納得する。黒ダライ児の大著『肉体のアナーキズム』と同じグラムブックスが版元である。
by gravity97 | 2011-10-18 20:04 | 展覧会 | Comments(0)

RICHARD SERRA DRAWING

b0138838_2253597.jpg
 久しぶりにニューヨークを訪れ、メトロポリタン美術館で開かれている「リチャード・セラ ドローイング」展を見た。作品は期待に違わぬ圧倒的な存在感を示し、あらためてセラという作家の屈強さを思い知る。
 セラのドローイングの大作が国内で展示された機会は少なく、私は10年ほど前にやはりニューヨークでまとめて見た記憶がある。カタログを参照するならばおそらく98年、ガゴーシアン・ギャラリーで開かれた「重量と計測」と題された個展であろう。当時、ミッドタウンにあったギャラリーの壁面を埋め尽くす巨大な漆黒のドローイングの印象はいまも鮮烈だ。この個展は当時の新作によって構成されていたと記憶するが、今回のドローイング展は1970年頃から新作までおおよそ40年の幅にわたってセラのドローイングの全貌を紹介する内容である。
 1976年、バーニス・ローズによって企画され、セラも出品した「ドローイング・ナウ」がニューヨーク近代美術館で開かれた頃からドローイングという概念が応接する範囲は飛躍的に広がった。いうまでもなくそれはコンセプチュアル・アートの登場によってドローイングという概念が一新されたためであり、それまでどちらかといえば予備的、余技的な位置づけを与えられていたドローイングそれ自体に独自の意味、価値が認められることとなったのだ。この結果、文字や数字、いたずら描き、建築の下図や楽譜にもドローイングという概念が適用されることとなった。しかしこのような拡張は必ずしも絵画そのものを深める契機とはなりえなかったように感じる。それどころか本ブログでも何度か批判したとおり、現在の日本で流行する幼稚で稚拙な絵画がその「ドローイング性」のゆえに評価されるといった倒錯さえ発生している。私は稚拙さの言い訳としてドローイングではなく、真のドローイング性を備えた作品と出会いたい。そしてセラの個展はこのような願いに応える内容であった。
 今回の展覧会にはいくつかの種類のドローイングが出品されている。個人的に関心をもったのは小ぶりのスケッチブックに描かれた立体作品のプランともいうべきドローイングである。例えばグッゲンハイム、ビルバオに設置された《スネーク》、あるいは取り壊された《傾いた弧》といった代表作のためのドローイングはきわめてシンプルでありながら、一見しただけでどの作品か了解することができる。この点は画家としてのセラの力量を暗示するとともに、常に身体との関係でとらえられてきたセラの立体が作家にとって視覚的にも把捉されていることをうかがわせて興味深かった。中でもストームキングアートセンターに設置された一連の立体は半ば地中に埋まり、視覚的にとらえることが難しく、また設置にあたってセラと友人が自らの身体を一種のメジャーとして位置を定めたと記憶しているのだが、その配置のニュアンスがきわめて単純な形態の中に手際よくまとめられている点には驚いた。これらのドローイングはこれまであまり発表された例がなく、セラの仕事の知られざる一面を紹介している。
 しかしながら本展のみどころはいうまでもなく美術館の壁面を覆う巨大な黒いドローイングである。ペイントスティックをひたすら塗り込んだ寡黙で無表情な作品はセラの立体と同様に見る者を突き放すかのようである。展示の中にはセラが活動の初期に発表した有名な「ドローイング」、《動詞のリスト》が展示されている。そこには「転がす」「曲げる」に始まる無数の他動詞がリストとして列挙されている。この展覧会に《動詞のリスト》が加えられたことは示唆的であろう。なぜならセラのドローイングとはdraw、「描く」というよりは「線を引く」ことの本質と深く関わっているからである。よく知られているとおり、セラの初期の作品はこの動詞リストに挙げられた行為を延々と繰り返すことによって特徴づけられている。鉛を引き裂き、巻き、重ねる。作品が単純な行為の繰り返しとして実現され、結果として生成される形式よりも作品が生成される過程が重視される。セラは当時を回顧するインタビューの中で60年代後半にあって、同様の関心が例えばエヴァ・ヘス、ロバート・スミッソン、マイケル・スノウあるいはフィリップ・グラスといった多様なジャンルの作家に共有されていたことを述懐している。この意味においてドローイングというタイトルを冠せられた展覧会の中に《鉛をつかむ手》《床をこする手》といった初期の映像作品も加えられている点はきわめて適切に感じられる。鉛を中心とした不定形の素材が使用された作品、映像作品、そしてドローイングにおいてはいずれも反復される行為が主題化されている。
 この点を念頭に置くならば、セラの寡黙なドローイングの本質を理解することは比較的たやすい。セラのドローイングにおいても作家の関心は結果としての作品ではなく、線を引くという行為そのものに向けられている。セラのマッシヴなドローイングにおいては線を引く行為自体も異例きわまりない。カタログ表紙の写真から明らかなとおり、作家は通常のペイントスティックではなく、ブロック状に固めたそれを画面にこすりつけるようにして線を引いている。作品が無表情たるゆえんも明らかだ。そこには線によって何かを表象しようという意志は存在せず、ただ苦役か苦行のごとく行為が反復される。このような姿勢から連想されるのは単純な作業を一つの規則に従って延々と続けるソル・ルウィットのごとき仕事であり、この点は広義のドローイングとコンセプチュアル・アートの親近性を暗示している。セラのドローイングの本質はそれが実現された形式ではなく、塗るという行為の中に宿る。それはセラの立体がやはり作品としての形状よりも、現実の空間への介入、あるいは重量や重力といった力の拮抗をその本質としている点と共通している。セラの作品はなにごとも語ることはない。しかし今はしなくも苦役や苦行と言葉を用いたが、延々と反復される行為や危うい均衡のうえに屹立する重量は、作品に内在する、いや作品に充満する力を暗黙裡に示しているのではなかろうか。セラの作品における寡黙はミニマル・アートにみられた知的で洗練されたそれではなく、一種の凶暴さを秘めており、それゆえ私にとってきわめて魅力的に感じられる。偶然ではあるが、同じ時期に近くのグッゲンハイム美術館で李禹煥の個展が開催されていた。この展示も悪くはなかったが、セラの後で訪れるならば両者の作品の本質的な相違は明らかである。
 しかしながら会場を一巡して私は一抹の不安も感じないではなかった。主に2000年代に入って制作された一連のドローイングは素材の物質性が強調され、ペイントスティックの残滓であろうか和紙系の支持体の効果であろうか、表面に妙に生々しい精彩が認められるのだ。このような効果はセラのドローイングの特質である行為の集積としての緊張感を著しく殺ぐ。加えて、以前の作品にも認められない訳ではないが、多くの作品でドローイングは画面の中央に円形、あるいは渦巻状の形状をかたちづくり、支持体の内部に余白が生じる。ステラのブラック・ペインティングを連想すれば理解されるとおり、支持体の形態とドローイングの形態が一致しない場合、作品内に強度の違いが発生し、ドローイングの一体性が損なわれている。ひるがえって考えるに、私はセラの立体においても曲線の形状が認められるようになってから、それまでの暴力的で直截な印象が薄れたような気がしてならない。優美な曲線のうねり、ニュアンスに富んだ表面。立体においてもドローイングにおいても、セラの近作に一種の洗練を指摘することは可能であろう。しかし洗練とはセラの作品とは本来無縁であるべき言葉ではなかっただろうか
by gravity97 | 2011-08-27 22:06 | 展覧会 | Comments(0)

 ブリヂストン美術館で開催されている「アンフォルメルとは何か?」を訪れた。「抽象絵画の萌芽と展開」と題された導入部と付け足しのようなザオ・ウーキーの作品群はコレクションを無理やり加えた印象を与えてやや苦しいが、全体としてはこれまで紹介されることの少なかったアンフォルメルという運動の全貌を伝える充実した内容である。
 1950年代にヨーロッパに勃興したアンフォルメルはその輪郭をつかむことが難しい。アンフォルメル、別の芸術、タシスム。入り乱れる批評家によって様々の呼称が時に肯定的、時に批判的に使用され、フォンタナやアペルが展示に加えられている点からも了解されるとおり、空間主義やコブラといった多様な運動やグループが時にその内部に配置される。本展ではアンフォルメルをその主要な唱導者ミシェル・タピエによって定義された狭義のそれに限定することなく、むしろその周縁を含めた広がりの中に捉えている。このような姿勢は妥当であろう。なぜなら時にダリまでも包摂するタピエのアンフォルメル(タピエ自身は「別の芸術」という呼称を用いる)についての認識自体がきわめて融通無碍であるからだ。ただしタピエがアンフォルメルをそれ以前の近代美術との決定的な断絶としてとらえていたことを想起するならば、マネやモネからクレー、カンディンスキーまでブリヂストン美術館のコレクションによって抽象絵画へいたる道程をいわば教育的観点から概観する第一部、「抽象絵画の萌芽と展開」のセクションは適切な導入とはいえないだろう。しかしさらにうがった見方をするならば、これら一連の作品が存在することによって、同じ抽象絵画であってもフォートリエやデュビュッフェら、「『不定形』な絵画の登場」と題された第二部の作品の異質さが明白となり、結果的に第一部と第二部との断絶が際立つこととなったとも考えられよう。
 第二部を構成するのはフォートリエとデュビュッフェ、ヴォルスという三人の画家の作品である。これら三人の作家はアンフォルメルではなく、アンフォルメルの先駆としてタピエによって高く評価された。正確には「アンフォルメル以前」と呼ぶべきこの部分がこの展覧会で最大の見所になっていることは皮肉である。後年、NRFより刊行された『アンフォルメルの芸術』の著者がジャン・ポーランであったことからも推測されるとおり、彼らは専門的な美術批評ではなく、文学者や哲学者による趣味的、さらに言うならば余技的な批評によって応接された。この点はアメリカにおける抽象表現主義の勃興とアンフォルメルの凋落を対比的にとらえる時、大きな意味をもつ。これまでアンフォルメルに焦点をあてた展覧会としては1985年、千里にあった国立国際美術館で開催された「絵画の嵐 1950年代 アンフォルメル/具体美術/コブラ」が知られている。私はこの展覧会も見たが、これと比しても今回出品された作品の質の高さは目を見張るものがある。この点は端的に国内の美術館のコレクションの充実を反映しており、特にフォートリエとデュビュッフェに関して、私は近年収集された国内のコレクションの質的な高まりに驚いた。例えばフォートリエに関して大阪市立近代美術館準備室、デュビュッフェに関して東京国立近代美術館に収蔵された作品は彼らの代表作と言って差し支えないだろう。特にフォートリエは点数こそさほど多くはないが、並べられた作品の質は作家に対する評価を一新するほどだろう。しかもそのほとんどが国内の美術館に所蔵されていることは特筆されてよい。そしてこれら三人の画家が必ずしもタピエを評価していない点も重要である。日本を訪れたタピエたちの行状をフォートリエが「フランスから行ったサーカス」と痛罵したことはよく知られている。先行するこれらの画家と「アンフォルメル」との錯綜した関係は重要な問題であるが、本展覧会においては両者が併置されるだけで、その関係について検証された形跡はない。
 「戦後フランス絵画の抽象的傾向と『アンフォルメルの芸術』」と題された第三部はいわゆるアンフォルメルの作家によって構成され、この展覧会の核心を形成する。アンリ・ミショーに始まり、ハンス・アルトゥングやピエール・スーラージュといったジェストの要素の強い作家、そしてアンフォルメルを代表するアクション・ペインターであるジョルジュ・マチウ、さらにセルジュ・ポリアコフ、ニコラ・ド・スタールといった日本の美術館でも比較的なじみ深い作家の作品が展示されている。日本人作家としては堂本尚郎と今井俊満そして菅井汲の作品がブリヂストン美術館のコレクションから出品されている。最初に述べたとおり、この展覧会ではアンフォルメルを定義することを慎重に避け、その多様な広がりの中にこの美術運動を概観している。ジャン=ポール・リオペルとド・スタールの優れた作品を見ることができたことは本展覧会の大きな収穫であった。これらの作家は特に日本においてはまだ十分に紹介されていないが、この展覧会によって再評価されることになるのではないか。しかしながら作家のラインナップを見る時、展覧会の大きな欠落もまた明らかである。本展には「20世紀フランス絵画の挑戦」というサブタイトルが付されている。確かにアンフォルメルはフランスを中心にした運動であった。しかし私はその本質的な革新性は単にフランス一国にとどまらない第二次大戦後最初の国際様式として成立した点にあると理解している。ないものねだりの感がないでもないが、この意味で(所蔵されているポロックとサム・フランシスは出品されているにせよ)アメリカ、さらに日本の具体グループの作家が含まれていない点に、アンフォルメルを冠したこの展覧会の限界を指摘することができる。結果的に成功しなかったにせよ、タピエは50年代の表現主義的絵画をアンフォルメルの名の下に一括することを試み、アメリカの抽象表現主義さえもその一分肢として回収しようとしたのである。このためにタピエはニューヨーク・スクールの画家たちを意欲的にヨーロッパに紹介するとともに世界を旅行して作家を発掘し、マチウは南アメリカを含む世界各地で珍妙なアクション・ペインティングのデモンストレーションを繰り広げたのである。アンフォルメルはその本質を戦後最初の美術におけるグローバリズムに求めることができるのではないか。この意味で四半世紀前に大阪で開かれたアンフォルメルの展覧会が北欧と日本という地政学的な含意をはらんでいたことは暗示的である。アンフォルメルは歴史との断絶を空間的な連帯によって補償しようとしたのだ。スペインでもよい、ドイツでもよい、今日、ヨーロッパの主要な美術館でそれらの国の50年代美術を通覧する時、アンフォルメルの濃厚な影響に驚く。タピエの戦略の政治性が災いして、今日否定的な語調で語られることの多いアンフォルメルであるが、本展を一覧する時、実に多くの可能性をはらむ運動であったことが了解される。そしてこれらの可能性は今日もなおほとんど未解明のまま残されている。
b0138838_21385586.jpg

 さて、私は本展が日本国内の美術館の優れたコレクションによって構成されていると述べた。とりわけ1957年、タピエが企画する「世界現代芸術展」でアンフォルメルを紹介したブリヂストン美術館、そして大原美術館という二つの私立美術館から出品された作品の質の高さは誰の目にも明らかであろう。一方、カタログを参照するならば、この展覧会にはニューヨーク近代美術館を含む海外のいくつかの美術館から借用される予定であった数点の作品が出品されていない。おそらく先般の大震災と原子力発電所の事故によって貸出がキャンセルされたと推測され、実際私たちは同じ理由でいくつかの海外展が中止になったことを知っている。しかしそれらの作品の不在は国内から借用された作品の充実によって十分に補われている。今回の震災と核災害は相変わらず量産される海外の有名美術館からの大量借用によるブロックバスターのコレクション展、あるいは客寄せパンダよろしく一点のフェルメールによって上げ底式に仕立てた無内容の名品展に冷水を浴びせかけただろう。そして核災害が一向に収束しない以上、今後、海外からの作品借用は困難となり、保険は高騰するはずだ。しかし私はかかる状況は日本の美術館にとって一つの好機ではないかと考える。札束で顔を叩くようにして海外の名品を借り出さずとも、国内の美術館のコレクションを仔細に調査し、ていねいに作品に文脈を与えれば、日本にいながらにして海外の美術の動向を検証することさえ可能なのだ。新聞社や放送局の事業部に言われるがままにいかがわしい借用料をかき集める必要はない。学芸員の日頃の研究とフットワークによって意義のある展覧会を組織することを可能にする程度に日本の美術館のコレクションが成熟していることを私は確信している。
by gravity97 | 2011-06-01 21:43 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_20332550.jpg2007年にヴェネツィア・ビエンナーレを訪れた際、私は奇妙な作品を目にした。それはフォルトゥニー宮殿のファサードの全面を覆う巨大なタピストリーであるが、繊維ではなくなにやらメタリックな質感を帯びて鈍く光っている。この時、フォルトゥニー宮の内部では現代美術と博物館的な遺物を併置する「アルテンポ」という驚くべき展覧会が開催されており、展覧会への出品作であることは推測できたが、この不思議な作品の作者が誰であるかを知ることなくヴェネツィアを後にした。そして昨年、国立民族学博物館で開催された「エル・アナツイのアフリカ」展のポスターを目にして、私はそれがかつてヴェネツィアで見たタピストリーの作者であることを直ちに理解した。同時代の美術にある程度通じていたつもりの私にとっても、それが未知の作家、作品であったことは無理もない。この作家はこれまで私が足を踏み入れたことがないアフリカ大陸、ナイジェリアで活動する作家の作品であった。先日、この展覧会を二番目の巡回先である葉山の神奈川県立近代美術館で見た。
 アフリカの現代美術を論じることは難しい。グローバリズムが喧伝される今日にあってさえ、私たちは西欧と異なったクライテリアに立って現代美術について論じることの困難を感じる。作品の内容のことを言っているのではない。今日でも非西欧の作家たちが西欧で紹介されるためにはヴェネツィア・ビエンナーレなり「大地の魔術師たち」なり、欧米で組織された展覧会を経る必要がある。しかし「現代アフリカ美術」が西欧を経由したアフリカの現代美術に対する呼称であることを認めたうえでもなおエル・アナツイの作品、そして葉山の展覧会は圧倒的な強度を秘めていた。
 今、私は「アルテンポ」の場で受けた印象を記した。私はそれがアフリカの作家であるからことさらに強い印象を受けた訳ではない。さらにいえば、私はそれが「現代美術」であるかという点にさえ確信をもてなかった。無名の作り手による呪物と現代美術の優品を無造作に併置したこの展覧会は本質において「現代美術」という枠組さえ相対化するアナーキズムを秘めていた。私は機会があればこの展覧会についてもブログで触れてみたいが、ひとまずここではアナツイの作品が「アフリカ性」といった徴とは全く無縁であったことを指摘しておくに留める。そしてこのたびの展覧会を見て、私は必ずしも彼の全ての作品がこのような超越性を帯びている訳ではないことを知った。ことに初期の人体を連想させる木彫は表面に施された呪術的な線描、トーテム・ポールや神像を連想させる垂直性において未開、素朴、フェティシズムといった「アフリカ性」と強く親和している。出品作中、《あてどなき宿命の旅路》と題された木彫によるインスタレーションが展覧会の英文タイトル「A Fateful Journey」の由来となったことは明白であるが、私はこの作品とたきぎを運ぶ女性や子供たちの写真を併置する感覚が理解できない。確かに木彫のT字形の形状と頭にたきぎを負う人物は形態上の類比を許す。しかし西欧的な認識において、たきぎを負う人々とは貧困や重労働、未成年や女性に課せられた労働といったネガティヴな記号である。カタログには次のような記述がある。「どこの国でも都市部からちょっと郊外に出ると、早朝や夕暮れ時に、女、子ども頭にたきぎを数本載せながら、道ばたを縦一列になって歩いているのに出くわすことがある。夕暮れ時など、沈みゆく真っ赤な太陽を背に、長い影を落としながら歩いている彼女たちの姿は、もはや一幅の絵であり詩である」一読して明らかなとおり、これはオリエンタリズムの視点であり、このような感慨が素朴に作品に反映されることに私は疑問を抱かざるをえない。
 これに対して、アルミニウムの印刷原版を組み合わせた巨大な屑箱、そしてとりわけアルミのキャップやシールを銅線で縫い合わせた巨大なタピストリーはオリエンタリズムになじまない。第一に使用されるおびただしいキャップや缶のふたはアフリカというより、むしろ大量消費社会の表象であり、対比されるべきはウォーホルのキャンベル・スープであろう。第二に無数のパーツを銅線で結びつける作業は文化人類学でいうブリコラージュというより、アッサンブラージュもしくはアキュミレーションと呼ばれる現代美術の手法と考えられる。巨大な平面として壁に吊るされたタピストリーを絵画ととらえることはさほど困難ではない。アナツイのタピストリーを一種の絵画としてとらえるならば、私たちはそこで近代以降の西欧絵画の主題が独自にシャッフルされていることをたやすく理解することができるのだ。例えば近接視と遠望視という問題である、遠くから眺めるならばメタリックな質感を帯びた一枚のタピストリーは、近接すると無数のボトルキャップを銅線で繋ぎ合わせて制作されていることがわかる。遠望における視覚性と近接における触覚性のせめぎあいは筆触あるいはストロークの実験として印象派から新印象主義、さらには抽象表現主義にいたるモダニズム絵画の主題系を形成してきた。そして絢爛たるオールオーバーネスから私はポロックを連想しないではいられなかった。作品によっては地と像の関係がある程度認識できる場合もあるが、多くの作品においてイメージは文字通りディテイルの連なりの中に織り込まれ、色彩が明確な作品よりもモノトーンの作品の方が強い印象を与える点もポロックのポアリング絵画と似ている。これらのタピストリーはそれぞれの断片が多くのアナツイの助手によって制作され、それを組み合わせて巨大な作品が制作されるという。どのような構想のもとに組み合わされるのか、あるいは裏と表の決定はどのようになされるか、方向はいかにして決められるのか、会場を一巡すると様々な疑問が浮かんだ。展示を見ても必ずしも明確な答えを得ることはできなかったが、圧倒的な作品に出会った際にいつも感じる軽い昂揚を覚えながら会場を一巡した。
 アナツイにとって、木彫から廃物のタピストリーへと作品を転じたことは大きなブレイクスルーであったように感じる。女性や子供がたきぎを運ぶという現実を連想させる表現ではなく、現実そのものであり、現実に拮抗する表現へ。表現の質が大きく変化しているのである。アナツイが世界各地の現代美術をテーマとした展覧会に次々に招かれていることはこのよう作品の特質に裏づけられているであろうし、それゆえアナツイの作品は「近代美術館」のホワイト・キューブの中でも、古い宮殿のファサードに置かれても堂々たる存在感を示すのである。
 オリエンタリズムを批判しながらも、私の読みもまた西欧に起源をもつモダニズムという発想にあまりにも色濃く染まっているのではないか。直ちにこのような反問がなされるであろう。私はそれを否定しない。しかしあえてこのような批評を加えた理由は、それによって別の問題をあぶりだしたいと考えるからだ。そしてこの問題は展覧会が巡回した会場と深く関わっている。葉山の前にこの展覧会が巡回したのは大阪千里の国立民族学博物館であり、アナツイの作品は民族博物館と近代美術館、より適切な言葉を用いるならば現代美術館とのはざまに存在している。なぜ「現代美術」を「民族学博物館」で展示するのか。この点については企画者も自覚しており、巻頭に置かれた論文においてもこのような状況がアフリカ現代美術をめぐるダブル・スタンダードと関連して論じられていた。私は民族博物館的、文化人類学的な展示とはいかなるものかよくわからないが、おそらく展示の中にやや雑然と挿入されたナイジェリアやガーナの生活や社会についての解説、あるいは儀礼布や彫像についての説明がそれにあたるだろう。(カタログでは4章の部分に相当する)端的に言って、私はなぜこのようなアリバイ的な説明がこの展覧会に必要であるか全く理解できない。私はアナツイの作品を純粋に美術作品として見るし、現代に制作された作品である以上、現代美術の作品として見る。私の理解では作品とはたとえ固有名とともに発表されようとも、それ自体で意味をもつから、作者や社会的背景について知識がなくても十分に鑑賞に耐えるし、批評の対象となりうる。最初に言及した「アルテンポ」における展示とはまさにそのようなものであり、そこにはピカソ、フォンタナから日本の具体グループ、さらには骨格標本やイエメンの神像まで多種多様な表現が混在したまま展示されていたのだ。逆に言えば、作品を民族学博物館で展示するためには背景に関する解説が不可欠ということであろうか。この点に関して、巻頭論文では次のように記されている。「背景に関しての予備知識を持ちあわせていないであろう多くの観客は、アナツイの作品を見ても、単にリカーやビールの蓋やシールなどを再生させた見事な美術作品としてしか受け止めないということになる。もっともファイン・アートに対する反応だから、「見事だ」(ファイン)ということで十分なのかもしれないが。このとき、もし文化人類学や歴史学の視点から作品の背後にある歴史や文化に関する踏み込んだ解説が加えられたなら、アナツイの作品を見る側の理解は一挙に広く、深く、ゆたかになるはずであり、作品から受ける印象も変わってくるのではないか」最初の一文は作家と観衆に対してあまりにも傲慢な物言いであろう。私は優れた感性をもつ者であれば、何の予備知識がなくとも、例えばマティスの、例えばロスコの絵画が本質的に「見事」であることは直ちに了解できると信じている。アナツイの作品もそのような例である。それどころか私は「作品の背後にある歴史や文化」を知ったところで作品を享受するという営みにはほとんど資することがないのではないかとさえ考える。この点は作品を扱う美術館と資料を扱う民族学博物館との認識のずれであるかもしれない。この一文によって文化人類学者にとってはアナツイが制作したタピストリーは「作品」ではなく「資料」として認識されていることがはしなくも露呈されている。私は少なくとも構造主義を経た人文諸学にとって「作品」が「作家」や「社会」から自立して存在するという常識が通用すると思っていた。しかし未だに展覧会のカタログの中でこのようなナイーヴというか啓蒙主義的で作家主義的な発言がなされていることは大きな驚きであった。ここでいう「広く、深く、ゆたかな」理解が、木彫によるインスタレーションからたきぎ運びを連想する程度のものであるならば、私は作品のためにも「踏み込んだ」解説などない方がよいと考えるのだが、どうであろうか。
 ニューヨーク近代美術館における「20世紀美術におけるプリミィティヴィズム」の際のウィリアム・ルービンとジェームス・クリフォードの「類縁性」をめぐる議論を想起するまでもなく、「近代美術」と「プリミティヴィズム」の関係は微妙である。今回の展示を見て、私は同様の類似/差異が現代美術館と民族学博物館という二つの制度の間にも指摘できるのではないかと感じた。むろん私の立場は現代美術に偏っているから、民族学博物館あるいは文化人類学においては全く異なった原理が働いているかもしれない。この点は一度きちんと考えてみたい問題である。今回の展覧会は作品から制度、あるいは学へと思いをめぐらす機会となった。いつもながら優れた作品は見る者に様々b0138838_2035657.jpgな思考を誘発するのである。
by gravity97 | 2011-02-26 20:39 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_20555849.jpg
 はるばる佐倉の川村記念美術館までバーネット・ニューマン展に出かけた。展示を見て唖然とする。この美術館が所蔵する《アンナの光》、この作品がニューマン屈指の傑作であることは間違いない。そして国立国際美術館が所蔵する《夜の女王》、この作品も縦長の珍しいフォーマットの傑作である。私の知る限り、国内の美術館に収蔵されたニューマンの油彩画はこの二点のみである。いずれもミュージアム・ピースであるから、ほぼ常時陳列されている。これにわずか5点の油彩画と1点の彫刻、そして若干の水彩と版画を加えた程度の内容を麗々しくも「ニューマンの国内における初個展」と呼ぶセンスはどうだろうか。
 私は展覧会とは作品に文脈を与える試みだと考えている。一点の作品は一つの文脈に置かれることによって初めて意味をもつ。もちろんこのような文脈は様々である。作家の制作順に並べる個展は最もわかりやすい文脈であるし、一つの美術館の収蔵品を借用して展示するコレクション展は最も安易な文脈の形成である。さらにこのような文脈が肯定的な場合ばかりではないことは、悪名高いナチスの「退廃芸術展」を想起すれば理解されよう。いずれにせよ、作品に文脈が与えられなければ展覧会の意味はない。しかしこの展覧会には文脈がない。相互にほとんど関係のない作品が年代的にも素材的にもばらばらに配置されている。この展覧会を訪れたとしても、ニューマンのジップ絵画がどのように成立したかについては一切理解できないし、ニューマンとユダヤ教との関係について思いをめぐらす機縁ともなりえない。作品数が少ないこともあって展示自体は悪くない。スポットライトを用いてドローイングに妙に劇的な効果を与えている点は個人的にはどうかとも思うが、広い壁面に一点の作品を展示する手法は効果をあげている。逆に展示効果を重視したからかくも意味不明の作品配置になったのかもしれない。典型的なジップ絵画の後に初期のドローイングが並び、版画と彫刻が唐突に併置されている。端的に言って、そこには展示についての思想が欠落している。かつて私は2002年にテート・モダンでニューマンの大回顧展を見たことがある。欧米の本格的な回顧展と比較することには無理があることはもちろん承知しているが、ロンドンの展覧会ではニューマンに関する数多くの発見があった。例えば意外にもニューマンのジップ絵画には作品によって質的なばらつきがあること、あるいは連作 Stations of the Cross が一つの時間的な構造として完結していること。優れた展覧会とは本来そのような発見の場であるはずだ。確かにニューマンの作品は日本ではあまり展示されたことがなく、川村記念美術館が所蔵している作品は屈指の名作かもしれない。しかし一点の名作を所持しているからといって、それに付け足しのように数点加えただけで「個展」を構成し、あたかも作家の全貌を紹介したような物言いをすることは作家に対して敬意を欠いた態度とはいえないか。私の理解によればこのレヴェルの展示に与えられるべき名は「特集展示」であり、間違っても「個展」ではない。誤解なきように付け加えるならば、私は作品数が少ないことのみを問題としているのではない。作品数が少なくても展示に文脈を与えることは十分に可能だ。例えば初期のドローイングとニューマンにとってブレークスルーとなった《Onement》もしくはそれに類した作例、そして《アンナの光》。この3点を展示して必要な説明を加えるならば最低限の文脈は保証される。あるいはニューマンにおける赤という問題に着目して《アンナの光》にいくつかの作品を加えてもそれなりに批評的な展示となるだろう。文脈の不在が問題なのだ。なんらかの文脈を整える試みを最初から放棄して、借用可能な美術館から選んだ行き当たりばったりの作品で展覧会を組織する安易さ(いかなる基準で作品を選んだかについて担当学芸員のテクストにも一切説明はなく、そこで論じられているのは《アンナの光》のみだ)と押しつけがましさに暗然とした思いにとらえられる。
 ニューマンの作品であれば欧米の大都市でいくつかの美術館を回れば結構な数を見ることができるから、展示の規模において本展はわざわざ見るには及ばない。しかし私はこの際、佐倉まで足を運ぶことを強く読者に勧めたい。皮肉ではない。ニューマンの作品に合わせてロスコ・ルームを見るためだ。私は近年、三回この美術館に足を運んだ。(全てこのブログにレヴューを書いている)一昨年の「モーリス・ルイス」、昨年の「マーク・ロスコ」そして今回である。ルイス展の際はロスコ・ルームの作品は全て貸し出されており、ロスコ展の時には特別展示室に展示されていた。このため私は今回初めてロスコ・ルームを訪れた。この空間と展示は素晴らしい。ロスコの遺志が過不足なく反映されているように感じた。展覧会としては問題があるにせよニューマンの名品を見た後に、この部屋に足を運ぶならば、色面抽象絵画の両雄、ニューマンとロスコの作品の相違がきわめて明白に知覚されるであろう。共通しているのは両者がともに展示される空間へと拡張し、空間との関係において成立している点である。当初から一つの部屋の壁面を巡る壁画として構想されたロスコ・ルームの場合は当然といえば当然であるが、明らかにニューマンの大画面も同様の特質を帯びている。今述べたとおり、脈絡のない展示でしかも出品点数が少ないにも関わらず、ニューマンの展覧会がそれなりの威厳を保っているのは、作品が展示空間との間に結ぶ緊張感のゆえであろう。カタログの中でイヴ=アラン・ボワ教授が指摘するとおり、作品の前に立つ時、見る者は、自分が、今、ここで、作品とともに在ることを否応なく意識する。この時、作家の問題意識がミニマル・アートの作家たちと接続することはたやすく理解できるし、ニューマンが抽象表現主義の作家たちの中でほとんど唯一、例えばドナルド・ジャッドやアンディ・ウォーホルのごとき作家たちと交流し、これらの後続する作家たちに敬意をもって遇されたことの理由も理解される。ニューマンの絵画と今、ここに共に在るという意識はきわめて身体的なセンセーションなのである。これに対しロスコ・ルームにおける「今、ここ」とは身体的というより精神的、瞑想的な体験である。いずれの作品の前においても私は絵画と直面しながら、絵画とは異なった異様な存在と対峙している感慨を受ける。しばしば崇高の名で呼ばれるこのような感情はニューマンとロスコで微妙に異なるように感じる。今のところ私は両者の相異をうまく言葉にすることができないが、今回それを感受しえたことは大きな成果であった。このような感慨は疑いなく二人の絵画の本質と関わり、おそらく彼ら以前には実現されえなかった絵画の位相を示している。私の言葉を用いるならばそれは絵画において近代と現代を分かつ。作品の形式や内容ではなく、場との関係とも呼ぶべき作品の外部への開かれが絵画の現代を画しているのだ。そしてこのような認識は図版や液晶を介しては決して得られることがない。この点を再確認するためにもはるばる佐倉まで足を運び、ニューマンの作品の前に実際に立つことが必要なのである。ボワ教授は同じ認識を「ここにわたしがいる」というカタログの論文タイトルとして確言する。ニューマンの場合、作品の前に作家や妻アナリーが立つ写真が多く残されているが、作品と観者の関係を示唆するこの種の写真が実は作品の本質と深く関わっていたことを私は今回の展示によってあらためて思い知った。
 先述した回顧展の際に発表された多くの論文と比べても、今回のカタログ中、今触れたボワ教授の論文は出色の内容といえよう。ニューマンのジップ絵画の成立とその意味が実に緻密かつ明快に論じられている。1988年に発表された「ニューマンを知覚する」という論文の問題意識がさらに深化され、通読して久々に知的な興奮を覚えた。おそらく翻訳も優れているだろう。おそらく、と書いたのはカタログに原文が収録されていないためだ。著者との契約によって原文の収録が禁止されたと推測するが、せめて末尾にタイトルのみでも示すことが出来なかっただろうか。副題の「バーネット・ニューマンの絵画における側向性」のうち、この論文のキータームである「側向性」の原語は何か、私としては大いに気になる。この論文では1949年の《アブラハム》という比較的地味な作品が綿密に分析されている。今回の展覧会の作品選定に寄稿者は関わっていなかったと考えるが、展示とテクストをもう少し有機的に関連させる努力ができなかったのだろうか。もしもこの作品が会場に展示されていたら、私はこの論文を読んだ後、その内容を確認するためにもう一度美術館を訪れたことと思う。
今回の展覧会を見て、私はあらためて展覧会という営みの奥深さに触れた気がする。個々の作品、展示の方法、ボワ教授の論文、どれも素晴らしい。しかし展覧会についての哲学が不在であるため、この展覧会は全体としてなんともちぐはぐな印象を与える。展覧会とは端的に企画者の哲学が試される場なのだ。

08/11/10 追記
最近、この展覧会の成立について、間接的にではあるが関係者から事情を聞く機会があった。それによると、作品の状態が悪い場合が多いため、ニューマンの作品の借用はきわめて困難であり、この点数が限界であろうとのことであった。したがって上に記した私の評は少々厳しすぎるかもしれない。いうまでもなく私は状態の悪い作品を日本まで運んで展覧会を開くよりは現地に見にいくべきだという立場である。
ニューマンに限らず色面抽象絵画の表面の不安定さの理由も今後検証されてよい問題であろう。
by gravity97 | 2010-10-12 20:57 | 展覧会 | Comments(8)

「マネとモダン・パリ」

b0138838_20534237.jpg
 遅ればせながら、三菱一号館美術館で「マネとモダン・パリ展」を見る。丸ノ内周辺の再開発の進展にも驚くが、リノヴェーションを経てその中核施設となったこの美術館の豪奢さには圧倒される。小部屋を連ねたかたちの展示空間は使いやすいとは思えないが、この展覧会のごとき小品を中心に構成された展示であれば空間によって作品が随分映える印象がある。それにしても空調の関係であろうか、それとも消防法との兼ね合いか、自動ドアが多いことには驚いた。予想したより来場者は少なかったが、ロケーション、展示内容のいずれを考えても今後も多くの集客が予想されるからメンテナンスが大変であろうなどとくだらぬ心配をしてしまう。
 開館記念展となる「マネとモダン・パリ」は期待に違わぬ充実した内容である。マネについて日本では過去にさほど大きな展覧会を見た印象がない。カタログの表紙となった《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》、あるいは《エミール・ゾラの肖像》といった名高い作品を含めて80点余のマネを見る機会は欧米の美術館でも多くはないだろう。とはいえ、極東の地で印象派屈指の画家にしてモダニズムの鼻祖たるマネの作品のみによって大展覧会を構成することは至難の業であり、「モダン・パリ」という第二のテーマが導入される。この美術館の館長で本展コミッショナーの高橋明也氏もカタログの巻頭テクストで説くとおり、マネは「多様」かつ「非一貫的」な作家である。《オランピア》から《草上の昼餐》、あるいは《フォリー・ベルジェールのバー》まで、代表作を想起してもさまざまなモティーフが入り乱れていることが理解されるが、都市生活あるいは近代の画家といったテーマは作品との親和性が高い。会場の劈頭に掲げられ、唐突な印象を与える無名の画家によるオスマン男爵の肖像もこの展覧会のもう一つのテーマがオスマニゼーション、オスマン男爵のパリ大改造によって出現した近代都市であることに想到すれば得心がいく。確かに娼婦や女給、カフェやブラッスリーといった都市的な主題は印象派の画家の中でも特にマネによって繰り返し描かれた印象が強い。同様の主題を描いたジェームズ・ティソ、ポール・ゴーギャンなどの作品も展示され、展示に一定の深みを与えている。それらは多くオルセー美術館のコレクションからの出品である。この展覧会はオルセー美術館との共同企画であるから特に不思議もないが、意地悪な見方をするならば、この展覧会からは既視感が拭えない。マネ、モダン、オルセー美術館、この三つ組みから連想される展覧会をかつて私は見た記憶がある。今回、書庫でカタログを確認してみるならばそれは1996年に東京で開かれ、「モデルニテ-パリ・近代の誕生」というサブタイトルを冠せられた「オルセー美術館展」である。マネの《バルコニー》をカタログの表紙に用いたこの展覧会と今回のマネ展は出品作がかなり重複し、写真や当時の建築のパースなどを多用する構成も共通している。何よりも本展の監修者は「オルセー美術館展」のコミッショナーとほぼ同一である。もっともこのような国際展は担当者の個人的な信頼関係がなければ成立しえないことも事実であるから、私たちは結果としてマネの優品の数々を東京で見ることの幸運を喜ぶべきなのであろうか。実際、これは得難い機会であり、私自身も今回の展覧会を機にいくつかの発見があった。
 これまでマネの作品をまとめて見る機会が少なかったこともあり、今回の展覧会では初めて見るいくつかの興味深い作例があった。中でもロンドンの個人蔵とされる《フォリー・ベルジュールのバーの習作》はコートールド研究所所蔵の有名な作品を制作する過程で制作されたものであろうが、作品の構造を考えるうえでも示唆的である。最終作においてはバーのカウンターの正面に立ち、鑑賞者に直接まなざしを向ける女性バーテンダーはこの作品においては斜めに視線を向け、見る者と視線を交差させることがない。背後の鏡面への映り込み、特にそこに写る男性との関係においてもむしろ自然なこのような構図が排され、鑑賞者を見つめかえす独特の構図が採用されたことは、マネにおいて描かれた人物とそれに眼差しを向ける鑑賞者との関係が主題とされている点を暗示している。マイケル・フリードは自らが説く没入と演劇性の対立の系譜の中にマネを置き、これらの絵画の特性を直面性(facing)と名指ししたが、ここに並べられたマネのごく一部の作品を見るだけでかかる構図の特異性とそれがマネにおいて検証されることの妥当性は了解される。
 この展覧会は「マネとモダン・パリ」というタイトルから予想されるとおり、マネに対して主題的なアプローチがなされている。しかし今回私があらためて感じたのは作品の形式と方法の斬新さであった。といっても特に新しい発見ではない。これまでも何度となく指摘されてきたことであるが、例えば今回のポスターやカタログで大きく扱われたベルト・モリゾの肖像でもよい、画面のここかしこに意図的に残された筆触の痕跡は女性の肖像という記号にとっては雑音でしかない。しかしこのような不協和が画面全体を引き締めている印象があるのだ。あるいは多くのマネの絵画においては画面の部分によって対象の描かれ方に明らかな粗密が認められる。精緻に写実的に描かれたモティーフの背景は突如不分明な筆触の戯れに転じる。マネが画面の連続性を意図的に破壊していることは明らかだ。これらの点は図版からもうかがえない訳ではないが、実際の作品を眼前にする時、きわめて明確に知覚される。当時のアカデミズム絵画のなめらかな表面の傍らに置く時、その異様さは明らかであっただろう。これらの特質は描かれた対象から、対象の描き方、そして対象を構成する物理的組成へと見る者の関心を転じさせる。内容から形式へ、マネがモダニズム美術の起源たる理由は明らかである。
 バーの女性バーテンダー、陽光あふれるレストランの中で見つめあう男女、これらのモティーフを描いたいくつもの絵画を見るならば、作品と都市生活の関係は顕在的であり、メトニミックである。今日につながる喧騒と享楽の大都市の成立に同期するかのような一連の絵画は時代の鏡といえるかもしれない。一方でアカデミズムのなめらかな表面の中に兆した転調、イメージの中の異和として浮かび上がる筆触そして絵具、これらの特異性の意味が了解されるのは例えばアングルの磨かれたような表面、例えばセザンヌの塗り残しとの対比においてであろう。この時、マネの絵画はその場に不在の作品と潜在的、メタフォリカルな関係を結ぶ。前者を主題性、後者を形式と言い換えてもよいだろう。マネにおいては鋭い緊張の中に拮抗している両者は他の印象派の画家においては比較的ゆるやかに結びつく。例えばモネにおいては無数の筆触が画面全体を均等に充填することによって、光の効果が途切れることのない一枚の表面として実現される。分割技法という手法がスーラら新印象派においてさらに革新され、光という主題と緊密な結合をみたことは知られているとおりである。これに対してさらに具体的、時に通俗的な主題を扱いながらもマネは主題に阿ることがない。時に主題と形式の分裂も恐れず、画面の中に現実の契機を意図的に露呈させたマネは後続する印象派よりもさらに現代的であった。
by gravity97 | 2010-06-16 20:54 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_1040244.jpg
 私は一度だけオノ・ヨーコと話したことがある。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで開かれた回顧展の折である。会場の一角に電話機が置かれ、その前で観客が列を作っている。しばらく列に並んで様子をうかがっているうちに、これが「テレフォン・ピース」という作品であり、受話器の向こう側にいるのがオノ・ヨーコ本人であろうことが理解された。残念ながらその際には「こんにちは、日本から来ました」といったくだらないことしか話せなかった(しかしそもそもオノ・ヨーコと電話で話すのにふさわしい話題など思いつくことができるだろうか)。列に並んで順番に話すというのはあまり風情がないが、個展の会場に置かれた電話機が突然鳴り、受話器を取ると作家が語りかけるというシチュエーションはそれなりに詩的である。メイルやツイートと異なり、電話のベルは向こう側に肉声によってあなたと語りたい誰かがいることを暗示しているのだ。誰もいなくなった火星で時を隔てて電話のベルが鳴るといった情景をレイ・ブラッドベリが書いていた。
 現在、ニューヨーク近代美術館でマリーナ・アブラモヴィッチの個展が開かれている。残念ながらニューヨークに赴く予定はないが、少しずつ展示に関する情報がもたらされ、カタログも入手した。インターネットの発達に伴い、私たちは展示の状況をリアルタイムで参照することが可能となったが、この展覧会はその恩恵に大いに与っている。インターネットを検索してみると、展覧会に関するいくつもの動画がヒットする。とりわけ興味深いのは(配信は美術館開館時間に限定されているようであるが)MOMAのホームページから直接参照可能なライヴ映像である。
 展覧会のタイトルは「Marina Avramović The Artist Is Present」という。このタイトルがまさに展覧会の内容を示している。会期中、アブラモヴィッチは美術館に在館する。作家自らによって演じられる「The Artist Is Present」というパフォーマンスは1981年以降何度か実施された「Nightsea Crossing」のヴァリエーションである。このパフォーマンスは日本でも85年に牛窓芸術祭で行われたことがあり、今回のカタログテクストでもこのことに言及されている。「Nightsea Crossing」はアブラモヴィッチと彼女のパフォーマンスにおけるパートナーであったウーライがテーブルをはさんで両端に座り、一定の時間(原則として美術館の開館時間中)飲食や用便を一切しないでひたすらみつめあうという作品であった。今回の展示ではテーブルの片端にアブラモヴィッチ、もう片端に来場者が座る。来場者は各々の意志に従って一定時間(5時間以上座っていた者もあるという)席を占める訳であるが、アブラモヴィッチはこれらの来場者全てを相手に二月半という長期間、苦行に近いパフォーマンスを今も行っている。「Nightsea Crossing」に関しては、パフォーマンスが挙行される時間は会場によって最短1日、最長16日というインストラクションがなされていたから、これに比べても圧倒的に長く、作家が気力と体力の限界に挑戦する試みであることが理解されよう。先に述べたとおり、パフォーマンスの模様はMOMAのホームページを介してライヴ中継されるが、作家だけではなく相対する来場者の様子も中継され、参加した来場者全員の顔写真もインターネットを通じて配信されているから、もはや観客も作品の一部といってよい。このほかにも過去になされた彼女のパフォーマンスが若い男女によって再演されている。以前、このブログでも取り上げたとおり、アブラモヴィッチは05年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開かれた「Seven Easy Pieces」という個展において、自分の作品も含め過去に演じられた有名なパフォーマンスを自らの身体によって再演するという離れ業を行った。写真やヴィデオではなく現実の身体を用いてパフォーマンスを再現するという画期的な手法の意義については先のブログで触れたとおりであるが、例えば全裸で向き合って立つアブラモヴィッチとウーライの間の20センチほどの空間を潜り抜けて会場に入るという77年の「Imponderabilia」の衝撃は写真やヴィデオではなく、実際の男女の肉体を前にして初めて理解できるものであろう。このほか私が確認しただけでも全裸の男女が全身の骨格模型とともに横たわるパフォーマンスややはり全裸の女性が高い位置に設えられた自転車のサドルに跨るパフォーマンスなどが実際に再現されているようである。
 今回のカタログは資料性が高く、全てではないにせよ、アブラモヴィッチの重要なパフォーマンスの多くが網羅されている。「Seven Easy Pieces」のほかに2002年にニューヨークのシーン・ケリー・ギャラリーで12日間にわたって続けられた伝説的なパフォーマンス「The House with the Ocean View」の写真も掲載されている。このパフォーマンスはギャラリー内に外から丸見えの三つの部屋を作り、きわめて禁欲的な条件のもとで作家が文字通りプライヴァシーなしに生活する(睡眠、シャワー、放尿の様子も露出される)という内容であり、TVドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の中でも言及されたとカタログテクストにある。このパフォーマンスは作家が展示施設に常駐するという点で今回のパフォーマンスと共通点をもつ。このほか初期の概念的な作品や音と関連した作品については初めて知るものも多く、作家の問題意識を探るうえで意義深いものであった。
 あらためて感じる点はアブラモヴィッチのパフォーマンスは大半において他者を必要としているということである。周知のとおり、彼女は1976年より10年余りにわたってウーライというパートナーとともに一連のパフォーマンスを演じた。二人は互いの髪の毛を結えあい、同じバンに乗り込んで美術館の中庭を16時間にわたって周回し、90日かけて万里の長城を両端から歩いた。いくつかのパフォーマンスはアブラモヴィッチ一人では実現しえない内容であった。しかしウーライという共演者がいなくても彼女のパフォーマンスは他者の関与を要求する。つまりその場に居合わせた観客の関与である。「リズム0」と題された74年の有名なパフォーマンスにおいてアブラモヴィッチは自らが全ての責任を負うとしたうえでテーブルに置かれたナイフから懐中電灯にいたる72の品を自分に対して行使するように来場者に要求した。あるいはいくつかの自傷的なパフォーマンスの場合、それをやめさせようとする観客の介入によってパフォーマンスは終了した。これらの場合ほど能動的な役割を果たさずとも、自虐的なパフォーマンスの前で来場者が感じる強い不快感、あるいは裸体や放尿する姿を差し出された時に感じる強い当惑はアブラモヴィッチのパフォーマンスの本質と深く結びついている。さすがに自傷的あるいは極度の集中もしくは忍耐を要する作品は除かれているが、今回の展示において映像だけではなく実際の男女の裸体によって作品が再現されていることはこれを傍証するだろう。
 私は最初にオノ・ヨーコの「テレフォン・ピース」について触れた。個展の会場で直接作家に直面する体験はアブラモヴィッチと共通しており、それゆえ私はこの文章を書き始めるにあたってごく自然に自分の体験を連想したのであった。さらにカタログを参照するならば、オノとアブラモヴィッチの共通点が浮かび上がる。二人とも作品に関してシンプルなインストラクションを提示する。オノであればこんな具合だ。「あなたの人生の悲しみに番号をつけて表にする。悲しみの数だけ小石を積み上げる。悲しいことがあるたびに小石を加えていく。表を燃やし、小石の山の美しさを愛でる/あなたの人生中の幸せに番号をつけて表にする。幸せの数だけ小石を積み上げる。幸せなことがあるたびに小石を加えていく。できた小石の山を悲しみの山と比べてみる」これに対してアブラモヴィッチは例えば次のような指示を書きつける。「その女性はアムステルダムのデ・アペル・ギャラリーにおける私の個展のオープニングに私の代わりに出席する/同じ時間、私はアムステルダムの「飾り窓」街区にあるショーウインドウに彼女の代わりに座る/私たちはともに自らの役割に関する全ての責任を引き受ける」これは75年に行った「役割交換」というパフォーマンスの際のインストラクションである。これを実施するにあたってアブラモヴィッチはアムステルダムの合法売春地域でプロフェッショナルの街娼と契約を交わす。さて、私の考えでは両者は本質的に全く異なる。それは単にオノの指示が夢想的で予定調和的、暗喩的であるのに対して、アブラモヴィッチのインストラクションが具体的で予測性を欠き、換喩的であるからではない。この対比は本質においてパフォーマンスのみならず、現代美術の本質、さらにいえば美術における近代と現代の区別に関して問題提起を行うように感じるのだ。オノは芸術が日常とは異なった位相に成立することを疑わない。来館者が積み重ねる石は単なる石ではなく悲しみや喜びの表象である。このような発想のなんとナイーヴなことであろうか。オノの立場をヒューマニズムと呼んでもよかろうし、かかる楽天性は「あなたが望むなら、戦争は終わった」と大書し、平和のためにベッド・インする作家にふさわしい。しかしアブラモヴィッチは芸術を日常と別の次元に置く発想を排する。この点は冒頭で記した二つのパフォーマンスを比較しても明らかだ。電話を介すことによって、別の場に位置を占める作家は聖別される。ここではない、どこか別の場所に作家、作品、そして芸術が存在することを来場者は暗黙裡に了解する。しかしアブラモヴィッチの場合、当の作家がテーブルの向こう側から自分をみつめているのだ。両者の対比は一見きわめて近似した「リズム0」とオノ・ヨーコの「カット・ピース」の比較によってさらに明瞭となる。「リズム0」同様に観客がオノの着衣をはさみで切り刻むという攻撃性を内包しながらも、「カット・ピース」は舞台の上で上演されるから、それはあくまでも現実とは審級の異なる場で挙行される「芸術」なのである。そこでは全てが「芸術」の中に回収される。しかし「リズム0」における暴力は「芸術」というアリバイをもたない。むろん私は美術を現実とは別の世界、一種のユートピアとしてとらえる姿勢を否定しない。それどころか今まで美術とはそのようなものとして構想され、理解されてきた。作品が現実の中に存在し、現実の一端にしかすぎないという認識は私の考えでは(デュシャンのレディメイドのごとき特異な先例を別にするならば)1960年代中盤以降、ミニマル・アートという美的感性を経由することによって、わずか半世紀ほど前にもたらされたにすぎない。いずれが正しいかを問うことはあまり意味がない。おそらく日本的感性にとってオノの夢想を受け入れることはできても、アブラモヴィッチの現実を美術とみなすことは困難であろう。全裸の裸体、苦痛あるいは常軌を逸した忍耐や集中、何が起きるか予測できない不穏さは美術と呼ぶにはあまりにも生々しい。
現実とは異なった地点に成立し、私たちを慰撫する美術。現実の一部であって、いかなる形而上学とも無縁の美術。いずれを選ぶかは自由である。後者がモダニズム美術の一つの帰結であることは明らかであり、今日、美術を一種の精神性の表明、あるいは現実の反映とみなす反動的な趨勢もまた台頭しつつある。しかしミニマル・アートを経由した私たちはもう後戻りできない。苛酷な現実としての美術から出発すること。作家としてのアブラモヴィッチがそうであったように、私たちにとってもそれが美術史を真摯に引き受けることなのだ。
b0138838_10404719.jpg

by gravity97 | 2010-05-05 10:42 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_20135141.jpg 原著が日本語に翻訳されているかどうか私は確認していないが、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の冒頭で引用される有名なボルヘスの文章がある。「シナの百科事典」からの引用として紹介される次のような箇所だ。

動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳呑み豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)数えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごとく細い毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)今しがた壷を壊したもの、(n)遠くから蝿のように見えるもの

 なんとも奇怪な分類、というか分類という営みの不可能性を揶揄するかのようなテクストであるが、「マイ・フェイバリット」を見てすぐさま連想したのはこの一文であった。
 本展は京都国立近代美術館の学芸課長、河本信治氏が手掛ける最後の展覧会、いわば引退興行である。これまで「移行するイメージ」や「プロジェクト・フォー・サバイバル」、最近では椿昇の個展など、文字通り「近代美術館」の限界を確信犯的に露呈させるメタ展覧会を次々に企画してきた氏の花道が常識的な展覧会であろうはずがない。驚くべきことにこの展覧会は所蔵作品展である。展覧会に際して刊行されたカタログには背表紙に「京都国立近代美術館・所蔵作品目録Ⅷ」と印刷されている。それではいかなる所蔵作品が出品されたか。巻末のリストを見れば明らかだ。本展は京都国立近代美術館の所蔵品中、種別として【その他】に登録された作品を中心に構成されている。ある程度美術館という制度に通じたものであれば、この点から直ちに本展の批評性を理解することができるだろう。
 コレクションとは美術館の欲望であり、存在理由である。そしてある作品を美術館の所蔵作品として登記するためにはまずそれに位置を与える必要がある。一つの作品は種別に始まり、作家名、作品名、制作年、素材、サイズ、技法といった無数の分類の格子の中にその位置を定められる。同じような原理は例えば美術に関する学術論文、大学の講義、あるいはカタログ・レゾネといった諸制度に通底している。それらは多く「近代」と深く関わっている。河本氏が美術館における近代と現代の区別に拘泥する数少ない、というよりほとんどただ一人の学芸員であった点は留意されてよいだろう。実は「近代美術」とはこのような格子の厳密な設定によって成立している。試みに「作家」という分類を取り上げてみよう。「近代美術」において作家は個人でなければならず、成人でなければならず、多くの場合、男性、さらに言うならば白人男性でなければならなかった。マネに始まり、モーリス・ルイスに終わる「近代絵画史」の中でこのような枠組と矛盾する作家を私たちは一体何人挙げることができるだろうか。
 種別に関しても、「近代美術」はこのような分類格子の厳密な適用を要求する。クレメント・グリーンバーグは有名なテクスト「近代主義絵画」において、近代と絵画という二つの格子の交差の中で、絵画が還元的な営みとして一つの進化を遂げたことを説得的に論じた。グリーンバーグの所論に対して今日多くの批判が寄せられていることは私も理解しているが、彼は対象を絵画というメディウムに限定したがゆえにこれほどの影響力をもつ理論を提出しえたのであり、ネオ・ダダのごときクロスメディア的な表現への敵意も同じ理由による。河本氏が別の展覧会に際して論じたとおり、美術史の編纂を任務とした「近代」美術館がこのような制約から逃れらないことは必然であろう。近代美術館のコレクション・カタログを開いてみるならば、今述べたとおり、作家名から技法にいたる無数のデータが一つの作品を特定する条件として記載されている。そして多くの場合、そのような細目のさらに大きな前提として種別、作品のジャンルが設定されている。つまり大半のコレクション・カタログにおいては例えば彫刻、洋画といった種別に章立てがなされたうえで、作家や制作年に従って作品が配列されている。この点は作家や年代に比べて種別という分類が安定していることを暗示している。しかし少なくとも1960年代以降の美術を念頭に置く時、このようなジャンルの安定性こそが問題とされたこともまた明らかである。しかし単にジャンルの混交ということを主題にしたのであれば、この展覧会は底の浅い内容となってしまったであろう。この展覧会が真に革新的であるのは、企画者の問題意識が作品ではなく「近代美術館」に向けられているからだ。一例を挙げよう。京都国立近代美術館には工藤哲巳の《イオネスコの肖像》が収蔵されている。グロテスクなオブジェのアッサンブラージュによって構成されたこの作品は60年代的なクロスメディアの気風を伝えている。しかしこの作品は本展覧会には収められていない。その理由は《イオネスコの肖像》が「彫刻」に分類されているからではないだろう。工藤の場合、いかに従来の彫刻と異質に感じられるにせよ、作家の意識はジャンルそして「近代美術」という枠組をなんら問うことがないからである。《イオネスコの肖像》は一風変わった「彫刻」として大きな違和感なく、近代美術館のコレクションに収められる程度の作品である。この展覧会はこのような守旧的な作品を問題としない。これに対して同じ「彫刻」に分類されながらもこの展覧会の出発点に位置するのはデュシャンのレディメイドである。知られているとおり、京都国立近代美術館はデュシャンに関する優れたコレクションを有している。有名な《泉》や《壜乾燥機》は既製品に作家がサインすることによって作品として聖別される。これらの作品は既に美術史、さらに言えば現代美術史の劈頭に既に登記されているから、さすがに美術館としても「その他」という項目に分類することはできなかったであろうが、実はこれらこそ「その他」という種別にふさわしい作品ではなかろうか。私の考えではレディメイドとは絵画、彫刻といった近代美術のジャンルの外にある。先に引用したボルヘスの奇怪な分類に倣うならば、レディメイドはいわば「この分類自体に含まれていないもの」といった位置を与えられているのではないか。分類に属しながら分類の外にあることをその成立条件とするきわめてパラドキシカルな存在、その存在を内部に含むことが分類の意味自体を無効化してしまう、きわめて異様な存在としてレディメイドは「近代美術館」に受け入れられるのである。このような図式は直ちにゲーデル問題へと接続可能であるが、本論はレディメイドを論じる場ではないので、これ以上は敷衍しない。
 さて近代美術館が既成のジャンルに分類することが困難な作品を受け入れるためには二つの方法がある。一つは分類概念の可塑性を広げて、強引にいずれかの分類に引き入れる方法であり、本展の出品作であればクルト・シュヴィッタースのメルツ絵画を「油彩画」に分類することがこれにあたる。もう一つは新たにジャンルを加え、ジャンルを逸脱する作品をその中に投入する手法だ。実はこれに際して、近代美術館は二つの項目を設けている。一つはいうまでもなく「その他」であり、もう一つは「資料」である。後者は「作品」に対立するが、実は両者の区別に明確な規定はない。展覧会で壁面に麗々しく展示されるのが「作品」であり、最後のコーナーに展示ケースの中に一括して展示されるのが「資料」と考えるとわかりやすいが、ポスト構造主義を経過した私たちはこのような区別にそもそも意味があるのかという問いを立てる必要があろう。さらに美術館とアルカイヴの関係が様々な角度から検証されつつある今日、「資料」の問題もこれからの美術館にとって大きな課題となるだろう。「マイ・フェイバリット」に出品された作品の多くが「その他」とともに「資料」に分類されている点も、「資料」なる項目が今日の美術館に対して示す批評的な位置を示している。一方、分類の難しい作品をひとまず「その他」という融通無碍のジャンルに放り込む手法も多用されてきた。レディメイドのオブジェから巨大なカラー写真、家具にコーヒーセット、そこに含まれた「作品」のあまりに雑然とした様子、無規則性から私は思わず「シナの百科事典」を連想してしまうのだ。このような項目を立てることによってかろうじて保持される「近代美術館」という制度は一体どのような意味をもつのか。この概念的な展覧会を通覧し、細部から全体へ、瑣末から本質へのみごとな反転に久々にキューレーションという営みの妙を味わった思いがした。
 やや語弊があるかもしれないが、全館を使用した所蔵品展でありながら日本画がほとんど出品されていないこの展覧会から京都国立近代美術館の「名品」は意図的に排除されている。このような展覧会は東京国立近代美術館では開催しえないだろう。かくも過激な展覧会が許容される点にこの美術館特有のアナーキズムを看取することができる。聞くところによれば、近々実施される二回目の事業仕分けでは、国立美術館も対象とされるとのことである。美術館に市場原理を導入しようとする成果主義の台頭に私は心底うんざりしているが、もはや国立の施設もかかる趨勢と無縁でない。果たして今後もこのようなラディカルな展覧会を継続することが可能であろうか。それとも愚劣な収益主義の展覧会を垂れ流す多くの美術館に追随することとなるのか。美術館とキューレーターの真価が問われる状況である。
by gravity97 | 2010-04-11 20:15 | 展覧会 | Comments(0)