「ほっ」と。キャンペーン

b0138838_20415497.jpg きわめて刺激的な論考を読んだ。タイトルが主題を示している。ユダヤ人と近代美術、しかしこれはきわめてデリケートなテーマでもある。本書の中に美術史家エルンスト・ゴンブリッチの1997年の時点における発言が紹介されている。96年にロンドンで開かれた「オーストリア・ユダヤ文化祭」において「世紀末ウィーンの造形芸術におけるユダヤの影響」という講演を依頼されたゴンブリッチは、このような講演のテーマ自体が問題であることを表明するために講演を引き受け、次のように述べたという。「ユダヤ文化という概念は、昔も、今も、ヒトラーとその前身者たちと、その後継者たちによってでっちあげられたものだと私は考えています。」一組の美術を一つの国家や民族と結びつけることは文化本質主義につながる危険性を秘めている。実際にそのような例を私たちは第四章で言及される悪名高い「退廃芸術展」に認めることができる。かかるアポリアを回避するために著者はどのような問題意識に立ったのだろうか。順序が逆となるが、著者の姿勢を知るためにはまず最後の「結」の部分に記された次のパッセージを読んでおいた方がよいだろう。本書の核心でもあるから、少し長くなるが引用する。

 本書は「国家」という作者が著す「美術史」の物語群の中でこれまで居心地悪くしてきた一群の多様な人々を、「ユダヤ美術」という新たな国家の物語に収めることなく、多様なままそれぞれの歴史的コンテクストの中に描き出し、それら原風景の中の肖像画をいわばひとつの部屋にまとめて展示しようとした試みである。2000年にわたって国家をもたす離散していた人々、今から200~300年前まで、絵を描くことも見ることもみずからに禁じてきた人々が、どのように美術というものに関わってきたか。近代資本主義社会、近代美術への移行期、そしてホロコーストという最大の危機に襲われた時期、ユダヤ人はなぜ、どのように美術と関わったのか。危機の後、どのように描き、どのように語ったのか。そのようなことを明らかにできればと考えて書き進めた。

 したがってこれに続いて記述されるとおり、ここで論じられる「ユダヤ美術」は必ずしもユダヤ人としての血統性を墨守する作家たちのそれではないし、現在のイスラエル国家で制作されている作品でもない。著者の関心は一貫して「コスモポリタン志向の同化ユダヤ人」に向けられることとなった。具体的な作家についてはこれから論じるとして、私もまた著者が目を向ける作家たちが、いわば「ユダヤ美術の可能性の中心」であることに同意する。なぜこのような立場のユダヤ人が革新的な表現を確立したかについては慎重な分析が必要であろうが、同化ユダヤ人が置かれた危機や疎外感が逆に作品に一種の普遍性と革新性を与えたのではないかという著者の指摘はおそらく正しい。
 冒頭に最近の研究によって判明した興味深い事実が明かされる。スペインの大画家、ベラスケスが実はマラーノ(豚)と呼ばれる改宗ユダヤ人の家系であり、画家はそれを秘匿して自らの宮廷画家としての地位を築いたのだという。ずいぶん以前に私は小岸昭の「離散するユダヤ人」という研究を読んで、国王のユダヤ人追放令によってスペインから放逐されたユダヤ人たちの運命について知った。確かマラーノとはスペイン国内に留まってひそかにユダヤ教を信教した者たちへの蔑称だったと記憶する。この一事をもっても「ユダヤ美術」について語ることの困難が浮かび上がる。ベラスケスがユダヤ人であったか否かが問題ではない。おそらく美術史の中にはベラスケスのごとく自らの血統を隠しながら作品を発表した画家や彫刻家が存在するが、作家の血統調査は美術史学とは何の関係もないからだ。とはいえ、多くの作家が「ユダヤ系」として知られていることもまた事実である。最初に19世紀と20世紀に活躍した「ユダヤ人作家」のリストが出生地および活動した国とともにリストとして挙げられている。しかし美術史を学んだ私でさえ、19世紀について知る名前はカミーユ・ピサロとマックス・リーバーマンの二人のみだ。20世紀についてはさすがにほぼ知っているが、それでも数名初めて聞く名があった。本書ではここに名が挙がった作家の何人かに焦点化しつつ、ユダヤ人と近代美術の関係が検証される。興味深いことにはいくつかの章には都市の名前も付されている。パリ、ウィーンそしてニューヨーク。新旧大陸をまたぐこれらの地名からもユダヤ人たちがたどった苛酷な運命を透かし見ることができる。
 ベラスケスについて論じた序に続き、「ユダヤ人芸術家の誕生」と題された第一章においてはユダヤ人文化について概観がなされる。教養や教育への深い敬意、厳格な戒律、コスモポリタニズムといったユダヤ文化の特性については私もおおよその知識はあった。中東欧のユダヤ人が使用するイディッシュ語については、最近このブログでこの言語によって執筆されたアイザック・シンガーの『不浄の血』についてレヴューしたばかりであり、実際、この短編集中の「ちびの靴屋」で語られる主人公の生涯は、「ユダヤ人芸術家」たちの運命をたどるがごときではないか。同時にこの章では、ユダヤ人による美術を語る際の困難と関わる、もう一つの注目すべき問題が提起される。それはユダヤ教の核心である偶像崇拝の否定だ。知られているとおり、モーセの十戒の第二戒においてはいかなる像も作ってはならないことが厳命され、実際にユダヤ社会においては絵を描くことはおろか、見ることさえ禁じられ、現在でも厳格なユダヤ教徒は市中でも絵の前を通ることを避けるという。つまりユダヤ教とは本質において絵を描いたり、彫刻を制作することを禁じる宗教なのだ。先の引用の中の「今から200~300年前まで、絵を描くことも見ることもみずからに禁じてきた人々」とはこのことを指す。イメージを禁じられた民族と絵画との関係、かかる主題はとりわけマーク・ロスコとバーネット・ニューマンの作品について論じる際に重要な意味をもつだろう。続いて第一章ではユダヤ人画家の鼻祖とも呼ぶべき三人、フィリップ・ファイト、モーリッツ・オッペンハイム、マウリツィ・ゴットリープの生涯と作品について短く論じられる。いずれも初めて知る画家であった。ファイトとオッペンハイムはドイツ、ゴットリープはウクライナの出身でいずれもロマン主義的な傾向の強い絵画を残している。彼らはユダヤ人として生を受けたことによる時に差別や迫害を受けるが、それはこの後もユダヤ人芸術家たちが体験する苦悩の始まりでもあった。
 続く第二章はパリを舞台にユダヤ人芸術家の活動が語られる。ポグロムと呼ばれるユダヤ人迫害は常に存在したが、ユダヤ人たちは移動することによってそれから逃れた。このような移動は通常は自由意思によってなされたが、時に移動しなければ命を奪われるといった状況も存在したことはこのブログでレヴューした『ブラッドランド』の中で指摘されているとおりである。豊かな才能に恵まれながらもガス室で殺されたため、私たちに知られることがない多くのユダヤ人美術家がいたことに疑いの余地はない。興味深いことには20世紀には二度、多くのユダヤ系の美術家たちが活躍した時期と場所が存在する。一つは19世紀末から20世紀にかけてのパリ、もう一つは1940年代のニューヨークであり、いずれも本書においても詳細に論じられている。これらの時と場所が20世紀美術の二つのクライマックスであったことは単なる偶然であろうか。この点はグローバリズム、あるいは作家の移動という観点からも再検証されるべきテーマであろう。20世紀初頭のパリで焦点化される画家はカリブ海生まれのカミーユ・ピサロとエコール・ド・パリの画家、シャガールである。印象派として知られる画家がカリブ海生まれということを初めて知ったが、ピサロの祖先はマラーノに対して、セファルディムと呼ばれるスペインから追放され各地に逃れたユダヤ人であったらしい。ピサロは同化ユダヤ人としてパリに生き、印象派運動に加わる。ピサロの風景画に人物が点在することを理由にその「ユダヤ性」を論じる研究があるらしいが、このようなくだらない文化本質主義に私は与することはできないし、さらには印象派の点描主義を色覚異常に帰して、さらにそれをユダヤ人に固有の先天的欠陥とみなす議論もあったらしい。かかるグロテスクな主張が「退廃芸術」において繰り返されたことを私たちは知っている。シャガールに関しても、七本の指や頭と体が分離したイメージについてイディッシュ語のイディオムとの関係を指摘する研究があるらしいが、イメージの起源を言語や文化に直結させる発想は私にはやや危険に感じられる。シャガールに関して興味深い点は、彼の親族がソビエトに残されており、しかも戦後まもなくこれらの関係者の何人かが不審死を遂げたという指摘である。先にも触れた『ブラッドランド』の中で検証されたスターリン体制下でのユダヤ人の運命を考えるならば、これらの事実が暗示する問題は明らかである。
 第三章はウィーンを舞台にやや異なった観点からユダヤ人問題が論じられる。ここでは作家ではなくパトロンに焦点が当てられる。ユダヤ人には商業的に成功した者が多かったから彼らが新しい芸術の庇護者としてふるまったことに大きな不思議はない。この章では主にウィーン分離派とウィーン工房のパトロンたちが扱われている。たとえば哲学者のヴィトゲンシュタインの父親であるカール・ヴィトゲンシュタインは鉄鋼業で財をなし、美術のみならず音楽のパトロネージュでも知られていた。クララ・シューマンやパブロ・カザルスがヴィトゲンシュタイン家のサロンで演奏したという逸話も残されている。彼はウィーン分離を支援し、クリムトは彼の娘の肖像画を残している。ドレフェス事件にみられるとおり、民衆の間に反ユダヤ感情が存在したフランスと異なり、オーストリアのユダヤ人たちは皇帝によって庇護されており、これらのパトロンたちのごとき蓄財も可能であった。しかし1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合すると、彼らは財産を没収され、市民権を剥奪されることとなった。実際にこれらのパトロンの中には強制収容所で殺害された者もいたという。このうち、クリムトに自らの肖像画を描いてもらったエリザベート・レーデラーという富豪一族の娘はナチス侵攻後もウィーンに留まり、ユダヤ人迫害から逃れるため自分がユダヤ人の娘ではなく、母親とドイツ人であるクリムトの間の不義の子であり、したがって「第一級混血」であると主張し、迫害から免れようとしたという。財力をもっても抗しがたいナチスの人種的迫害の苛酷さをめぐるなんとも壮絶なエピソードである。この章でパトロネージュの問題が扱われるのはやや唐突にも感じられるが、あとがきに記されているとおり、著者の次なる関心、美術市場というテーマにつながっていくのだろう。
 続く第四章は短い。ここでは退廃芸術展について論じられた後、かかる状況の中でも作品をとおしてナチスへの抵抗を試みた例としてジャック・リップシッツとシャガールの作品が具体的に言及される。退廃芸術展はユダヤ人を直接の攻撃対象とした展示ではないが、キュビスム、シュルレアリスムから抽象絵画にいたる近代美術の正系がことごとく「退廃芸術」とみなされて、没収されて戦費調達のために売却された。これらの作品は来歴不明のままスイスとアメリカへ流出し、今日の国際展における「略奪美術品」問題の端緒となっていることは知られているとおりである。先にクリムトに言及したが、確か先日、クリムトの《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像》の帰属をめぐる映画が封切られたのではなかっただろうか。退廃芸術展は国籍を問わず、モダン・アートに従事する作家たちに強い危機感を与えた。多くの優れた芸術家たちが大西洋を隔てたニューヨークへと亡命を図る。そしてそこにもユダヤ人たちによる新しい美術が胎動していた。
 クロノロジカルに論じられる本書を読み進めるならば、ナチスの弾圧を逃れたユダヤ人の中から新しい画家が出現したような印象を受けないでもないが、ロスコははるか以前、1913年にニューヨークに渡り、ニューマンはマンハッタン生まれである。ただし『ブラッドランド』の記述を思い浮かべるならば現在のラトヴィアに生を受けたロスコの渡米はまさにブラッドランドにおけるソビエトの暴虐から逃れるための命がけの行程であったことが理解される。抽象表現主義を代表するこれら二人の画家がいずれもユダヤ人であったことは彼らの作家研究の一つの主題を形成しており、たとえばニューマンに関するトマス・ヘスの研究は、タイトルはもちろん作品のサイズまでカバラと関連させて論じる相当に強引な内容であったという記憶がある。ここでは本書の指摘の中でいくつか印象に残った箇所について触れておく。ロスコについては「嘆きの壁」の前で祈るロスコの写真と関連して、そこでユダヤ教徒が何を思い浮かべているかという著者の問いへのユダヤ文化研究者、青木偉作氏の返答が興味深い。氏によればそこで教徒は「何も具体的イメージが浮かばないよう様々なイメージを混ぜながら祈っている」とのことである。いうまでもなく先に述べた偶像否定、イメージの否定を反映しているのだが、ロスコの典型的な色面抽象を想起する時、具体的なイメージを結ばないように様々のイメージを混ぜているという説明は腑に落ちる思いがする。ロスコ、そしてニューマンも初期にはギリシア神話やいくつかの宗教との関連を有す作品を制作していたが、ブレークスルーを決行するにあたって、これらの神話的なイメージの重ね描き、パランプセストによってイメージを消し去ったのではないだろうか。ロスコの絵画の瞑想性は内部へ向かうベクトルを有するのに対して、ニューマンは観者の視線を表面で弾く。この問題についてはかつてニューマンの回顧展について論じたブログの中でも指摘した点であるが、ユダヤという補助線を引く時、また別の視野が開ける。著者はヘスよりもむしろイヴ=アラン・ボアに拠りながらニューマンの絵画がいかにユダヤ教と関わるかについて論じる。詳細については本書を読んでいただくのがよいが、私の言葉に言い換えるならば、ニューマンにおいてユダヤ教は(ロスコと同様に)もはや主題のレヴェルとは関係がない。それは召命される場、マコムと関係がある。ボアはイザヤ書における神の顕現とイザヤの召命の部分に注目する。「そのとき、私は主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか』私は言った。『私がここにおります。私を遣わして下さい』」このうち、「私がここにおります」というフレーズが重要だ。顕現した神と同じ場を占めるという体験、これこそがニューマンの絵画の本質である。この点についてはこれまでにも何度か、例えば昨年のMIHO MUSEUMでの奇跡のようなニューマン展のレヴューで論じたが、ユダヤ教においては神と人の間を媒介するものは存在しない。この点は偶像否定という問題とも軌を一にしている。すなわち偶像とは神の似姿であり、神の代理として神と私たちをつなぐ存在であるからだ。ニューマンにおいて芸術とはマコムの創出であり、絵画は何かの代理としてではなく、単に絵画として顕現する。このように考えるならば、ロスコとニューマンの絵画の差異についても理解できよう。重ね描きされることによってイメージがいわば脱イメージ化されるロスコに対して、圧倒的な存在と出会う場として絵画を構想するニューマン、本書の中では両者にそれぞれ「根源的な感情」と「契機」という言葉が当てられている。彼らの絵画は抽象表現主義における色面抽象に分類され、いずれも卓絶した絵画である。しかしユダヤ教というプリズムを介すならば、両者の存立構造が全く異なっていることが明らかとなるのだ。
 かくのごとく多くの発見を誘発する研究であるが、新書という制約上、十分に論じられていない問題も多い。フィリップ・ファイトからバーネット・ニューマンにいたる作家選択の恣意性という問題も検討する必要があるだろう。しかしあとがきによれば本書は一連の研究の「序曲」であるという。ユダヤ人問題は扱うことが難しい切所であるが、それゆえ美術史学に全く新たな展望を開く多くの可能性を秘めていることは本書からも明らかだ。同じ著者による後続する研究が待たれるゆえんである。
 
by gravity97 | 2016-02-16 20:50 | 近代美術 | Comments(0)

b0138838_20171826.jpg 日本の近現代美術に対する理解に新たな一石を投じる『前衛の遺伝子 アナキズムから戦後美術』という研究が刊行された。大逆事件と小川芋銭から説き起こし、イサムノグチと岡本太郎まで、20世紀前半、ほぼ半世紀の日本美術を全く新しい角度から分析する刺激的な論考である。
 私も美術史を専門としているから、ここで扱われた作家や作品、事件や展覧会についてはおおよそ知っていた。とはいえ全く知らない事柄も多い。望月桂と黒耀会、あるいはエロ・グロ・ナンセンスの流行を支え、猥本出版の王と呼ばれた梅原北明、さらには日本におけるファシズム美学のイデオローグ、田代二見といった人物について私は本書で初めて知った。しかしこれまで見落とされていた人物を俎上に上げた点に本書の独自性があるのではない。逆に私は本書を読み進めながら不思議な既視感に襲われた。例えば次のような作品である。林倭衛の《出獄の日のO氏》(1919)、大月源二の《告別》(1929)あるいは内田巌の《赤旗》(1948)。名古屋市美術館における「戦後日本のリアリズム」や日本の近現代美術を通覧する展覧会、あるいは美術館のコレクションとしてこれらの作品を私は何度も見た記憶があり、それぞれ強い印象があるが、いずれも展示の中で覚えた強い異和感も拭い去ることができなかった。本書を通読すると、きわめて独特のパースペクティヴの中にそれぞれの作品がみごとに収められていることがわかる。本書で取り上げられるのはタイトルが示すとおり、明治末以来の「前衛」美術の系譜であるが、造形的、美術史的な立場から社会思想へと議論の軸足を移すことによって思いがけない「近代美術史」が浮かび上がるのである。
 まず八章からなる全体の構成を概観しておこう。足立の問題意識と構成を簡潔に論じた序章に続き、第一章では大逆事件と関連して幸徳秋水が主宰した『平民新聞』に漫画を寄せた小川芋銭を中心にアール・ヌーヴォーや俳画といった様々な運動や領域を横断しつつ当時の美術と社会主義との関係が論じられる。超俗の日本画家という印象をもっていた芋銭と幸徳との関係は意外であったし、漫画というジャンルとの関係においてもこのような問題が従来の美術史研究から見落とされていた理由は容易に推察される。幸徳秋水と交流があった画家としては西村伊作が連想されるが、近年、大逆事件との関係について文学研究の領域で多くの成果が上がっていることを考えるならば、さらに深められるべき余地のある主題である。続く第二章ではマヴォに先行する日本の「前衛」、望月桂と黒耀会の活動が検証される。先述したとおり、いずれも私には未知の作家と集団であり、実に興味深い活動を繰り広げている。望月と黒耀会の作家たちは大杉栄、堺利彦といったアナーキストと親交をもつ一方で、四回にわたって黒耀会展を開催した(実際に四回開催されたかについては本書を参照のこと)。出品作品の調査は相当に困難であっただろうと推測されるが、未来派風の絵画から漫画やリアリズム絵画、さらにはコラージュや抽象絵画まできわめて多様な作品が出品されていたことは興味深い。足立の同定によれば第三回黒耀会展とみなされる「民衆芸術展」には白樺派や与謝野寛、晶子といった著名人も参加する一方で《幸徳秋水の生血》といったタイトルからしてグロテスクな作品が出品されて「官憲の眼は異様に光り二三度繰り返して首を傾ける」といった状況であったらしい。かつては表現に対して検閲という制度が存在したという前提に私はあらためて思いを向けた。大正期の新興美術を取り上げた第三章は本書の一つの山場であろう。この分野に関しては既に五十殿利治の『大正期新興美術運動の研究』という記念碑的な大著が存在するが、本書は全く違う角度から三科およびマヴォの活動に光を当てて興味深い。三科とマヴォの確執について詳細な分析がなされる一方で彼らがめざした「革命」に関してもいくつもの興味深い指摘がなされる。美術におけるアナーキズムの解明は本書の主題の一つであるが、当時のアナーキズムと共産主義(ボルシェビズム)の関係は極めて錯綜している、黒い背広(黒はいうまでもなくアナーキズムの暗喩である。前章の黒耀会、黒の輝きも同じ意味として了解されよう)を着ていた柳瀬正夢が酔って革命歌を歌いながら背広の裏表をひっくり返すと内には真っ赤な繻子が現れ、皆の喝采を浴びたというエピソードはこのあたりの微妙な事情を暗示している。村山知義はもとより、柳瀬、岡本唐貴といった作家についても新たな理解が重ねられ、当時制作された作品にしばしば爆弾というモティーフが認められたという指摘も興味深い。先日より葉山で開かれている村山知義展をまだ私は見ていないが、事前にきわめて有益なインフォメーションを得た気分だ。続く第四章ではやや時代を下って、大正期のいわゆるエロ・グロ・ナンセンスの風潮が分析されるが、ここで興味深い点は、大衆に迎合するかのエロ・グロ・ナンセンスという路線と大衆を啓発すべきプロレタリア美術が必ずしも異なったものではなく、それどころか権力への反逆という点で手を結んでいたことである。エロ・グロ・ナンセンスについてはこれまで社会史、風俗史的な観点から検討されてきたが、美術という視点からも再検討されるべき主題であろう。第五章で取り上げられる主題も今までほとんど分析がなされたことのないテーマである。すなわち戦時下、1941年に瀧口修造と福沢一郎が検挙された「シュルレアリスム事件」、シュルレアリストたちへの弾圧を検証する一方で、このような弾圧を可能にした美術史観、皇国主義的なイデオロギーが『原理日本』という雑誌とそのイデオローグであった田代二見という画家の言説を手がかりに分析される。とはいえ本書では紙数の関係もあり、この問題に関してはまだ十分な研究がなされたとは思えない。シュルレアリスム批判の本質をファシズムの美学によって解明しようという発想、さらに田代による日本のシュルレアリスム批判が、個性主義批判という点で実はシュルレアリスムの本質と深く関わっていたという指摘は鋭い。足立も指摘する通り、これまでのファシズム研究は左翼への弾圧とそれへの抵抗という図式で語られてきたが(シュルレアリスム弾圧についての研究も同様だ)、ファシズム/皇国主義美学という内部からの検証の必要性が主張されているのだ。続く第六章においては近似した問題意識から建築の問題が検証される。すなわち丹下健三が戦時中に発表した一連の建築プランを介して、当時西欧やモダニズムがいかに相対化されたかという問題が扱われる。ファシズムの建築としてはナチス・ドイツにおけるシュペーアなどが連想され、シュペーアに関しては八束はじめによる研究が存在したように記憶しているが、日本のファシズム建築、足立の言葉を用いるならば「大東亜建築様式」をめぐる分析は私の知る限りほとんど先行例がない。ここで詳述する余裕はないが、この問題の射程は実に広い。続く第六章においてもこれまでほとんど論じられたことのない問題が扱われている。すなわちGHQによる占領と前衛美術の関係である。ここで論じたい問題は数多いが一点に絞るならば、検閲の問題だ。大正期以降の前衛美術を概観する中で本書は既に何度も検閲の問題と関わった。まず大正期の社会主義的、共産主義的傾向を秘めた芸術全般に対する検閲と弾圧であり、続いて戦時下のシュルレアリスムに端的にみられる前衛芸術への検閲である。そして戦後も同じ問題がGHQの手によってなされたことを足立はいくつかのアルカイヴを渉猟して検証する。前衛美術会の活動と東宝争議について概観した後、足立は興味深い問題を指摘する。それは当時日本で普通に見られたであろう占領軍の兵士の姿が日本の戦後美術においてほとんど見受けられないことだ。この問題はおそらく戦後文学とも関連づけて考察されるべきであろうが(この主題に関して私が直ちに想起したのは大江健三郎の「人間の羊」である)、描かれた主題ではなく描かれなかった主題について思考することはきわめて困難であり、それゆえきわめて示唆的に感じられる。本書には論及がないが、私の知る限りでは河原温が1955年に《黒人兵》という作品を制作している。この作品と占領軍との関係は今後研究されてよいのではなかろうか。足立も指摘するとおりこのような視点を持ち込む時、いわゆるルポルタージュ絵画についても多くの新たな発見がもたらされる。最後の章では「伝統論争」と関連して50年代以降の建築、陶芸、彫刻といった領域が瞥見され、イサムノグチと岡本太郎、そしてもう一度丹下健三が分析の対象とされるが、この部分は本書における位置づけが不明瞭でややまとまりに欠ける印象である。
 タイトルからわかるとおり、本書では「前衛」という概念によって日本の近現代美術の総括が試みられる。著者が最初に示すとおり、「前衛」にはいくつかの含意がある。すなわち軍隊で本隊に先遣する部隊としての軍事的な意味、政治的には社会主義的、共産主義的な動向、そして芸術における実験的、先駆的な表現である。本書はこれまで美術史においてこのうち三番目の意味として了解されてきた「前衛」概念を押し広げ、日本美術の本質として適用したものである。したがって本書から読み取れるのは、自律的でスタティックな美術史ではなく、きわめて戦闘的でダイナミックな日本の近代美術の姿である。このような理解は作家主義、フォーマリズムのいずれの立場とも異なり、日本の近代美術に対して全く新しい理解を可能とする。「前衛」という言葉のコノテーションもこの中でしばしば変容する。つまり黒耀会周辺ではあからさまに社会主義、無政府主義と直結したこの言葉は、三科やマヴォの活動においては例えば村山知義といったコスモポリタンの活動家を得て、アヴァンギャルド、芸術における前衛として花開く。戦時下において共産党と深い関係をもつシュルレアリスムの同義語として権力によって明らかに敵視された「前衛」は、占領期においては逆にGHQによって検閲を受けるが、ここにも芸術のアヴァンギャルトとしての前衛と、政治的左翼の芸術としての前衛の奇妙な共存が暗示されている。
 このような込み入った関係を分析するために最後に「結」という章が付され、本書のタイトルでもある「遺伝子」という概念を用いて図式化が試みられるが、この部分は蛇足ではなかろうか。足立はリチャード・ドーキンスを引用して生物学の「ミーム」といった概念を用いて説明を加える。日本の近現代美術の様々な側面に様々な意味とともに露出する「前衛」が影響や様式化といった概念になじまないことは理解できるが、添えられた図式は私には意味不明に感じられる。そもそも本書の内容は最後に申し訳のように加えられた短い章で提起された図式的な枠組で理解される範疇をはるかに超えている。日本の近現代美術に潜むかかる可能性を明らかにしたことこそ、本書の魅力であろう。先に私は本書の内容を章ごとに短くまとめたが、このような要約を超えて行間から実に多くの問題が提起される。個々の議論についてはなおも多く検討の余地があるようにも感じられるが、それぞれの章に一篇の論文の主題としても十分な問題が数多く収められ、多産性という点で本書は近来まれにみる充実を示している。日本の近現代美術に関心を持つ者にとっては必読の書といえよう。
by gravity97 | 2012-02-27 20:21 | 近代美術 | Comments(0)

b0138838_21364148.jpg 今年の初めに国立新美術館で開催されたポンピドー・センター所蔵の「シュルレアリスム」展を機縁としているのであろうか、今年に入ってシュルレアリスム関連書の出版が続き、『水声通信』で何度かシュルレアリスムに関する特集を組んだ水声社がこの状況の一つの焦点となっている感がある。この出版社から最近刊行された齊藤哲也という若い研究者のシュルレアリスム研究を読む。
 序章とそれに続く六つの章によって構成された本書のうち、序章はある研究会における口頭発表に基づいており、既に『水声通信』34号に掲載されている。ほかの六章はいずれも書き下ろしであるが、序章に倣ってあたかも講演の記録であるかのような口語体が用いられている。このため語り口は平易な印象を与え、難解な文章が多いシュルレアリスム研究のなかでは異色である。そしてシュルレアリスム研究に対する姿勢そのものが従来の関連書と大きく異なる。各章のタイトルとして「シュルレアリスムとはXか」という共通の問いが立てられている。Xには章ごとに前衛、オートマティスムといったいかにもそれらしき言葉が代入される。だが早まってはならない。著者自身が「はじめに」の中で記すとおり、これらはいずれも偽の命題であり、著者にとってシュルレアリスムは「シュルレアリスムとはXである」という定言を逸脱するとらえどころのなさの中にその本質を開示するのである。
 私はシュルレアリスムの専門家ではないが、齊藤が提起する問題は自分自身に引きつけてもきわめて興味深く感じられた。齊藤の立場を一言で言うならば、シュルレアリスムがはらむさまざまな矛盾、あいまいさを肯定し、むしろこのような非一貫性にその本質を見出す、つまり「シュルレアリスムとはXである」という本質主義、還元主義を排すことによってその核心に迫るというものである。確かにこれまでのシュルレアリスム研究が例えばオートマティスム、複数性、あるいは非人称といった概念によってシュルレアリスムの全幅を説明することに固執したために、難解さや矛盾を帯びざるをえなかったのに対して、このような観点の切り替えは多くの発見をもたらす。同時にこのような転換はいくつかのパラダイム・シフトと結びついている。その一つは齊藤も指摘するとおり、作品から作家への焦点の移行である。従来のシュルレアリスム研究が作品から出発したのに対し、齊藤は矛盾をはらんだ主体としての作家にこそ目を向けるべきだと主張する。いうまでもなくこのような発想は先に述べた還元主義への批判とともにいわゆるモダニズム/フォーマリズムへの批判的な対案を構成する。
 一連の議論を進める中できわめて斬新な比喩が提起される。例えば序章で齊藤は『シュルレアリスム宣言』中の有名な「一語として置き換えることができないほど明瞭に発音されながら、なおあらゆる音声から切り離された一つの奇妙な文句」「窓ガラスをノックするようにしつこくせがんでくる文句」とは我々にとって「電話の着信音」であると喝破する。一見唐突に感じられるが、読み進めるならばこれがきわめて適切な理解であることに納得する。『シュルレアリスム宣言』の構造がミュージックTVなどで音楽のヴィデオとミュージシャンのインタビューを交互に流す番組に似ているという指摘、あるいはブルトンらのロートレアモン解釈が好きなロックバンドをコピーするギター少年の軽率さに似ているという主張、このような発想はこれまでの世代、従来のシュルレアリスム研究ではありえなかったものであり、「《シュルレアリスム》をアップデート」という帯のコピーにふさわしい。以前にも記したことがあるが、近年のシュルレアリスム研究の深まりは研究者の世代が一新されつつあること、そして瀧口修造というあまりに巨大な先行者の影からようやく脱しつつあることを暗示している。
 先に私は齊藤の立場がモダニズム/フォーマリズムという今世紀美術の主流理念に対抗するものであると述べた。本書がシュルレアリスムを主題としている以上、当然にも感じられようが、実はこの研究は両者を止揚する立場をめざしているとはいえないだろうか。図式的な理解であるが、前者が作品の形式を、後者が作品の内容に比重を置くのに対して(このような図式が不安定であることは今や自明であるが、ここではひとまず措く)、本書では作品ではなく作家の態度が問題とされているのである。もう少しわかりやすく述べるならば、シュルレアリスムという問題圏に触れて例えばブルトンが、ルイ・アラゴンが、あるいはテルケル派がどのように自らの態度を選んだかという点が本書の分析の中心とされている。別の言葉を用いるならば、シュルレアリスムを一つの理念によって統御された矛盾なき運動体としてとらえるのではなく、錯綜した共同体として理解すると試みといってもよいだろう。作品の分析ではなく、作家や思想家の態度について論じることの困難さはたやすく予想されようし、加えて齊藤によればシュルレアリスム的な態度とはあいまいさ、矛盾、非一貫性を本質とする。例えば神秘主義、非合理性、革命といった、シュルレアリスムに関連づけられたいくつもの常套句の間をすり抜けるかのような作家たちの(必ずしも作品ではなく)態度は確かにこれまで研究者にとって頭痛の種であった。『シュルレアリスム革命』に「シュルレアリスム、それは生を刈り込むことだ」という有名な一節があるが、いうまでもなくこの断定もまた「シュルレアリスムとはXである」という不毛な定言のヴァリエーションである。美術から文学、多くの作家や批評家を横断しながらていねいにこのような断定の不可能性を証明し、非決定性にシュルレアリスムの本質を求めるという本書の姿勢は従来のシュルレアリスム研究を一挙に相対化するだけの批評性を備えているように感じた。
 シュルレアリスムに触れることによって、人は自らの生に対する態度を選ぶ。それならば本書も一人の研究者が自らの立場を表明した一種の信仰告白ととらえることはできないだろうか。比較的平易な言葉が用いられながらも行間に漂う一種の切実さはこの点に由来する。本書の最終章は「シュルレアリスムは『死んだ』のか」と題され、第二次大戦以後のシュルレアリスムの帰趨をめぐるきわめて興味深い議論が展開されている。本書を読み終える時、答えは明らかだ。モーリス・ブランショを引くまでもない。シュルレアリスムの本質が作品ではなく態度の中に存する限り、それは死ぬことはない。それは今も「光まばゆい強迫」として我々とともに在るのだ。
by gravity97 | 2011-09-05 21:39 | 近代美術 | Comments(0)

 先般、三菱一号館美術館で開かれた「マネとモダン・パリ」展にエミール・ゾラの肖像が出品されていたことは記憶に新しい。偶然の一致であろうか、先日、ゾラの美術論集をまとめた翻訳が「ゾラ・コレクション」の中の一巻として刊行された。表紙にはもちろんマネによるゾラの肖像が掲載されている。
 ゾラがマネの擁護者であることは知っていたが、ここに収められたテクストを読んで、あらためて美術批評家ゾラの見識の高さに驚く。当時のサロンに対する批評に関してはシャルル・ボードレールの一連の批評が名高いが、ゾラの批評はそれと比べても遜色がない。むしろこれまでこれらのテクストが日本語となっていないことに不審の念を抱くが、「ルーゴン・マッカール叢書」の作家、自然主義文学の第一人者との名声があまりにも高かったため、美術批評家としての仕事が軽んじられていたということであろうか。クールベからセザンヌにいたる多様な画家が論じられるが、私のみるところ、これらの批評の一つの中心をなすのは一連のマネに関する論考であり、同時に一連のアカデミズム批判である。ゾラの美術批評に一貫する攻撃的でポレミックなトーンはドレフュス事件に「私は告発する」という一文をもって応接した作家にまことにふさわしい。
 収められた批評の多くがサロン評というかたちをとっていることは、個々の作家批評、作品批評という形式がいまだに確立されていなかったことを示しているだろう。ここに描写される当時のサロンの状況は一種の社会批評としても興味深い。初日には7000人から8000人の「名士」たちが押し合いへし合い会場に参集して「パリからアメリカまであると思うほどの距離」に並べられた無数の絵画を見る。サロンが一つの文化産業として機能していたことをうかがわせるこのような記述は今日では信じ難い。サロン評の特質として、有名無名、多くの作家についての言及がなされ、その中には今日存在さえ忘れられた作家もいる。サロンに出品する無数の作家から美術史に名を残す作家を区別することは容易ではない。ましてやサロンに落選し、酷評を受けているマネとその作品の支持を表明することはそれなりに勇気と自信がいるだろう。ゾラがいかにマネを高く評価したかについては、ゾラが残した多くの美術批評のうち、作家論もしくは作品論の大半がマネと関連しているという一事によっても明らかであろう。本書にはゾラが残した主要な美術批評が網羅されているとのことであるが、同じレアリスムを標榜するクールベについての言及が多いことはともかく、幼なじみのセザンヌについての批評が少ないことは意外であった。晩年にゾラの小説のモデルをめぐって両者の関係が悪化したことと関係があるのかもしれない。
 本書では1865年から96年にいたるゾラの多様な批評が編者によって的確に分類されてほぼクロノロジカルに配列されている。例えば1867年の「エドゥアール・マネ 伝記批評研究」と1884年の「エドゥアール・マネの作品展・序文」を読み比べると18年の経過の中でマネの作品がいかに広く受容されるようになったかが理解される。マネを印象派の代表作家の一人として美術史に組み込むために、様々の戦略が行使されたことは近年、稲賀繁美が『絵画の黄昏』という大著の中で明らかにした点であるが、稲賀の研究の中でゾラはどのような役割を与えられていただろうか。ともかく書きぶりに一種の余裕さえ感じられる後者に比べて、評価の定まらない時期に執筆された前者の方が批評としては鋭い。そして同じ年に執筆された「エドゥアール・マネ 伝記批評研究」と「シャン=ド=マルスにおけるわが国の画家たち」の対照はこの批評集の中でも一つのクライマックスをかたちづくっている。というのもセーヌ川左岸のシャン=ド=マルスとはパリ万国博覧会の美術展が開催された場所であるが、ゾラによれば当然展示されるべきマネの絵画はそこから排除されたのだ。その代わりにそこに展示され、大衆の賞賛を浴びたメソニエ、カバネル、ジェローム、テオドール・ルソーの四人「巨匠」をゾラはこっぴどく批判する。美術の中に一組の対立を組織し、一方を賞賛し、一方を徹底的に批判するという構図が、奇しくもこれらのエッセーが発表されたちょうど100年後に発表されたマイケル・フリードの「芸術と客体性」と同一である点は興味深い。
 『エヴェヌマン』誌上におけるマネへの評価とアカデミズム批判が一部読者の強い反発を招き、遂には同誌上における美術批評の連載が中止されたという逸話が物語るとおり、ゾラの批判は辛辣である。例えばメソニエに対しては次のような調子だ。「愛好家とブルジョア夫婦の賞賛の声によって私はこの画家を正しく判断するに至ったのである。この画家はすべての人々を悦ばせるという稀有の才能を有しているのだ。特にこう言ってよければ、絵画を愛したことなどない人々を悦ばせる才能を持っているのである」続いてゾラはカバネルとジェロームも一刀両断に切り捨てる。仕上げの完成度を競い、主題や描写で大衆に媚びる絵画を否定するゾラの物言いは明快だ。ゾラの批判は一種のマニエリスムと化した当時のアカデミーに向けられている。精巧な技術によって絵画の表面を均一にし、あたかも物質的表面が存在しないようにふるまうこと。いわば映像としての絵画。この時、絵画の成否にはその主題が大きく与ることとなる。批判された「巨匠」たちのうち、とりわけカバネルとジェローム(この二人およびルソーの作品は今日でもオルセー等で比較的見ることがたやすい)が扱う主題の大仰さ、あるいはオリエンタリズムへの傾斜などを想起すると、ゾラの批判が絵画のどのような傾向を対象としていたかはたやすく理解されよう。これに対して、あえて絵画の表面に綻びや物質性を露呈させるマネをゾラは評価する。このようなマネの異質性は先の展覧会と関連させてこのブログでも論じた点であるが、ゾラはマネの革新性を《オランピア》と関連させて次のような言葉できわめて的確に指摘する。「タブローの中に哲学的な意味を探した人々がいた。もっとみだらな他の人々は、そこに猥褻な意図を見出して悪い気はしなかっただろう。さあ、彼らにはっきり言ってください、親愛なる巨匠(マネのこと)よ、あなたは彼らが思っているようなものでは全くなく、あなたにとってタブローは分析のための単純な口実なのだと。あなたは裸の女性が必要だったので、最初に出会ったオランピアを選んだ。あなたには明るくて光に満ちた色斑が必要だったので、花束を置いた。あなたには黒い色斑が必要だったので、片隅に黒人女と猫を据えた。それらすべては何を意味するのか。あなたはそれをほとんど知らないし、私もまた知らない。しかしあなたは画家の、それも偉大な画家の作品を作り上げること、つまり光と影の真実、物と生き物の現実を特別な言葉で精力的に翻訳することに見事に成功したことを、私は知っている」主題性を否定し、絵画の自立性を説くこのテクストは明らかにモダニズムの扉を開くものである。かかる先鋭的な姿勢と比較的穏健なゾラの文学的立場がいかに折衷されるかは今後検討されてもよい課題であろう。そしてモダニズムをめぐっては当然ボードレールの批評との比較がなされるべきであろう。多くのサロン評を執筆したこと、あるいは作品のみならず「公衆」についても深く論じる点など、両者の共通点はともに文学者であったことにとどまらない。この機会に私は久しぶりにボードレールの美術批評を読み返してみたい誘惑に駆られた。
 訳者解説によるとゾラの美術批評は明治期に久米桂三郎によってマネ論が部分的に翻訳されて以来b0138838_2182265.jpg、100年以上も翻訳の機会がなかったとのことである。ひとまずはゾラの知られざる面に光を当て、当時の批評的地政図に新たな視野を開く本書の刊行を喜びたい。
by gravity97 | 2010-09-05 21:08 | 近代美術 | Comments(0)

b0138838_21595689.jpg 書き手とタイトルを聞いただけで思わず手に取ってみたくなる本が存在する。谷川渥の『シュルレアリスムのアメリカ』はまさしくそのような本である。なんといってもタイトルがよい。シュルレアリスムとアメリカ、この二つの言葉を重ねただけで、直ちにいくつものテーマが連想される。早速求めて通読してみると、期待に違わず、示唆に富んだ刺激的な論考であった。
 周知のごとく、シュルレアリスムは1924年にアンドレ・ブルトンが発表した「シュルレアリスム宣言」とともに活動の端緒に就く。この宣言が最初、散文詩「溶ける魚」の序文として発表されたといった事情についてここでは触れない。ピエール・ナヴィルの「シュルレアリスム絵画というものは存在しない」といった言明にも関わらず、視覚芸術の領域で豊かな成果をあげたシュルレアリスムは、成熟するにつれて大西洋の対岸でも重要な結実をみる。もちろんこの背景には第二次世界大戦下、ブルトンをはじめとする多くのシュルレアリストたちがアメリカに亡命したという事情があり、実際の交流はほとんどなかったにせよ、ニューヨークの若い世代の画家たちは、いきなり国際様式たるシュルレアリスムの大家たちを同じ街に迎え、好むと好まざるに関わらず、その影の下で新しい表現を模索することになった。シュルレアリスムの受容をめぐる興味深い、しかしきわめて錯綜した問題を論じるにあたって、谷川は一つの補助線を引く。それは序に示されたブルトン対グリーンバーグという図式であり、この見取り図に沿って多様な主題が整理されていく。
 序を除いて、本書は八つの章によって構成されている。簡単に各章について触れておく。「ブルトンとピカソ 接近遭遇」と題された最初の章においてはプリミティヴィズムの問題が扱われている。ただし当初論集の中の一編として構想されたためであろうか、やや抽象的で必ずしもシュルレアリスムという問題圏に収まる内容ではない。続く第二章ではグラデーヴァという女性的かつ神話的形象を軸にフロイト、エルンスト、ダリそしてブルトンらの論文や作品が横断され、第三章ではグリーンバーグという意外な参照項を介してマグリットにおけるオートマティスムや自己言及の問題が論じられる。ここまでの論文がどちらかといえば作家を横断する印象を与えるのに対して、第四章以下、マルセル・デュシャン、サルバドール・ダリ、アンドレ・マッソンという三人の作家について、短いながら興味深い作家論が展開される。特にダリについては、アメリカそしてグリーンバーグという参照項を得たことによってフェルメールとの関係、スヴェトラナ・アルパースが説くいわゆる「描写の芸術」としての絵画、さらにはロザリンド・クラウスのグリッド論といった通常のダリ論では決して結びつかないような問題圏に次々に接続されていく。このあたりのめくるめくような思考の展開は本書中の白眉といってよかろう。さらに本書の圧巻は「ニューヨーク、1942年」「シュルレアリスムと抽象表現主義」と題された最後の二つの章である。分量的にも多く、内容的にもタイトルと最も深く関わるこれらの章において、谷川は亡命シュルレアリストたちのニューヨークでの活動、そしてシュルレアリスムを独自に継承する抽象表現主義の画家たちの活動をきわめて実証的に検証する。前者ではニューヨークで発行された名高い『VVV』誌の詳細、あるいは同誌にブルトンが寄せた「シュルレアリスム第三宣言」の末尾に書きつけられた「透明な巨人」という謎めいた言葉、さらにはデュシャンが会場に糸を張り巡らす有名なインスタレーションを行った「ファースト・ペイパーズ・オブ・シュルレアリスム」展をめぐるエピソード、後者では今述べた展覧会に出品されたエルンストの《シュルレアリスムと絵画》という奇怪な作品やこれまで日本では論じられることがまれであったロベルタ・マッタがニューヨークのシュルレアリストたちの中で果たした役割など、シュルレアリスムとアメリカの関係の核心となる多様な問題が論及される。これらはシュルレアリスムや抽象表現主義について論じる際には頻繁に言及されながら、これまで例えばカルヴァン・トムキンスによるデュシャンの評伝、ウィリアム・ルービンのジャクソン・ポロック研究などを介して、断片的にしか情報を得ることができなかった問題である。気鋭の美学者である谷川の論文は今までどちらかといえば抽象度が高い印象を受けていたが、本書において谷川は関連する一次文献を渉猟し、具体的な作品に即しながら実証的で説得的な議論を展開している。典拠や注釈も丁寧であり、今後、これらの問題を考えるうえでの資料的な価値も高い。
 本書をとおして多くの発見があった。以前、飯島耕一の著作をとおして、シュルレアリスムとジャック・ラカンが深い関係にあったことを知ったが、本書によって私はレヴィ・ストロースもブルトンと深い交流があり、のみならず二人はマルセイユから同じ船に乗り、カリブ海に浮かぶマルティニクを経由してニューヨークに到着したということを知った。マッソンも一時期滞在していたマルティニクとは世界に四つ存在するフランスの海外県の一つである。シュルレアリスム、構造主義、クレオールの三つ組はなんとも蠱惑的である。そもそも本書のタイトルが暗示するとおり、シュルレアリスムとは本質において移動や文化変容と深い関係をもっていたように感じる。この点はキュビスムと比較する時、明らかであろう。絵画の形式に深く関わるキュビスムは逸脱や変化を許容せず、正統と異端を峻別した。デュシャンをして網膜的絵画との絶縁を決心させた《階段を降りる裸体》をめぐるキュビスム内部の内訌(この経緯についてもデュシャンの章に詳しい記述がある)はこの点と深く関わっている。これに対してシュルレアリスムは変容を拒まない。最後の章でシュルレアリスムと抽象表現主義の関係が論じられるが、エルンストが創出したオシレーションという手法がポロックによって大胆な変奏を加えられて、美術の新たな方向を切り開いたことはこのような可能性を暗示している。私はこのような関係を名指すためには影響というよりもむしろ変容という語が適切ではないかと考える。そしてこの時、おそらく今日、グローバリゼーションあるいはポスト・コロニアリズムと称される問題群が既にモダニズム美術の異数とも呼ぶべきシュルレアリスムに胚胎していたことが理解される。それはシュルレアリスムが本質的にモダニズムを内破する運動であったためであろうか。近年開催された「アジアのキュビスム」といった画期的な展覧会なども参照する時、モダニズム美術を移動、あるいは文化的越境という観点から再検証する必要を強く感じる。そしてこのような観点に立つ時、既にいくつかの先行研究、あるいは関連展覧会があるにせよ「シュルレアリスムの日本」も、今後検証されるべき、魅力的な課題であることはおのずから明らかに思える。
by gravity97 | 2009-04-11 22:02 | 近代美術 | Comments(0)

 『水声通信』の最新号(23号)は「シュルレアリスム美術をどう語るか」を特集している。20号の「思想史のなかのシュルレアリスム」に続き、東京都写真美術館における「シュルレアリストと写真 痙攣する美」を契機に企画されたと思しきこの特集は二つの点に特色がある。まずこれまで文学との関連で論じられることが多かったシュルレアリスムをあくまでも美術の問題として捉え直している点、そして「何を」語るかではなく、「いかに」語るかという点が主題とされている点である。2002年と2006年にいずれもパリのポンピドーセンターで開催されたシュルレアリスムとダダイスムの大回顧展をはじめ、今年もMOMAでダリの回顧展が準備されるなど、今世紀に入って世界的にシュルレアリスムのリヴァイバルが認められ、本特集もこのような傾向に連なるものといえよう。
 シュルレアリスム美術に関する研究は80年代以降、特異なかたちで深められている。端的に述べるならば、これまでモダニズム美術の傍系として美術研究において否定的にとらえられてきたシュルレアリスムを逆にモダニズム美術を相対化する契機として読み直す視点が次々に提起された。シュルレアリスムとは微妙な距離をとるバタイユへの関心、特にアンフォルムという概念への関心が一つの焦点をかたちづくっていることは疑いえない。冒頭を飾る林道郎と鈴木雅雄の公開書簡をはじめ、収録された論文の多くの中でロザリンド・クラウスについて言及され、パルスあるいは水平性といった問題が議論されていることは象徴的であり、この際にはクラウスとイヴ=アラン・ボアによって96年にパリで企画された「アンフォルム」展が主要な参照項となっている。モダニズム美術の限界が露呈された今日、そこで否定あるいは隠蔽された主題を再考する重大なモメントとしてシュルレアリスムが再び脚光を浴びているということであろう。
 b0138838_1650186.jpg林と鈴木の公開書簡は書簡という形式をとっているため、求心的な議論ではないが、この主題に関する最良の論者の対話にふさわしく刺激に満ちている。そのほかの若い書き手の論文は比較的短いこともあって必ずしも説得的ではないにせよ、もはや瀧口修造を参照せずともシュルレアリスムを論じることが可能な新しい世代が登場したことを明確に告げている。
by gravity97 | 2008-04-29 16:50 | 近代美術 | Comments(0)