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優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
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カテゴリ:批評理論( 10 )


藤枝晃雄批評選集『モダニズム以後の芸術』

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 しばらく前から予告されていた藤枝晃雄の批評集がついに刊行された。ペーパーバックながら上下二段組、600頁余という大著である。私の世代であれば藤枝はよく知られた批評家であるが、今日ではその主著を手に入れることはかなり困難だ。ポロックについての名高いモノグラフが10年ほど前に復刊され、そのほか下に示した四冊の論集が刊行されているが、インターネットで確認した限りにおいても中古本としてしか入手できない著作が多い。今日では美術関係者でさえ相当に意識しない限り、藤枝のテクストに触れることは難しい。また藤枝は70年代以降、多くの雑誌に文章を寄稿しているが、これらについても論集に収められていない限り、原典にあたる苦労なしには読むことができなかった。このような困難は私にマイケル・フリードを連想させる。藤枝同様にフォーマリズム批評を代表する論客であったフリードもまた1998年にシカゴ大学出版局より「芸術と物体性」という長大な論集が刊行されるまで、とりわけ1970年前後の現代美術に関するテクストは掲載された美術雑誌を一つずつ参照することによって初めてその鋭利さを知りえたのだった。かかる困難を一挙に解決する本書の出現は大いに喜ばしい。編集方針もこれまでの欠落を補うべく十分に練られている。最初に述べたとおり、1966年以降の半世紀に及ぶ批評を網羅したこの批評集は相当な分量があり、図版を一切欠いている点はテクストの十全な理解よりも多くのテクストの収録を優先する編集方針を反映させているだろう。紙質もよくないが、それゆえこれほどの大著にもかかわらず3000円という、学生でも躊躇なく買うことのできる価格に抑えられている。私もこのような基本方針に賛同する。藤枝の批評は今こそ多くの人に読まれるべきであり、多くのテクストが読まれるべきであると考えるからだ。

 八章によって構成された本書は論文からインタビュー、対談といった多様なテクストから成り立ち、論じられる対象も近代絵画からミニマル・アート、さらには詩論と幅が広い。テクストの選定は批評家本人によるとのことだ。私にとってありがたかったことには1971年の「二つの抽象」というテクストが全文収録されている。これは講談社版の「現代の美術」のうちの一巻、「構成する抽象」にメインテクストとして収録され、藤枝フォーマリズムの真髄とも呼ぶべき論文であるが、この重要な論文を含む画集は今日では入手が難しく私もコピーでしか所持していない。あるいは「絵画の彼方」と題されたバーネット・ニューマン論も『季刊藝術』という今や存在しない雑誌に掲載され、『現代美術の不満』以外には再録されていないため、今日読むことは困難である。望蜀の嘆であることを知りつつ言い添えるならば、1970年前後に『美術手帖』に掲載されたいくつかの論文、さらに現在では参照することが著しく困難な『三彩』に掲載されたジャッド論も加えてほしかった。

 先にも述べたとおり、私は藤枝の批評から強い影響を受けた。針生一郎、中原佑介、東野芳明といういわゆる御三家よりやや遅れて活動を始めた藤枝の文体は独特のごつごつとした手触りをもっている。それは宮川淳のような美文でもなければ、東野芳明のような挑発性やユーモアを帯びてもおらず、むしろ悪文に分類されようし、何よりほかの批評家や作家に対する罵倒と批判が印象的だ。大学から大学院にかけて私はそれらを繰り返し読んだから、今回収められた多くの論文の冒頭を読んだだけでどの雑誌、どの書誌に収められていたかを言い当てることさえできる。主著の一つがジャクソン・ポロックに捧げられていることから理解されるとおり、藤枝の批評は抽象表現主義を主たるフィールドとして育まれた。このうえで藤枝はクレメント・グリーンバーグの強い影響を受けており、作家ではなく作品、アクションではなく絵画を重視する姿勢をとる。藤枝は日本においてもフォーマリズムの批評を確立すべく苦闘を続けた。しかし日本においてフォーマリズムは今日に到るまで十分に受容されたとは言いがたく、罵倒を基本とする独特のシニカルな批評のスタイルもこの状況に由来するかもしれない。端的に日本の「美術批評家」は作品を介して作品とは別のことを語るのが好きなのである。例えば冒頭に収められた「芸術を求めて」というテクストの中では、この論文が書かれた当時、優勢であったフェミニズム批評に対する批判が記されている。すなわちアンディ・ウォーホルの描くマリリンについて「鮮やかな緑色や黄色で乱暴に顔を塗りたくられたモンローのイメージが胸に痛くて、私はいたたまれなかった。/モンローの生涯が悲惨であったことはいまや誰でも知っている。モンローの顔に加えられた乱暴な色のタッチは彼女が受けた様々な暴力の痕跡として、ここに示されたのかもしれない」という千野香織のコメントに対して藤枝は「千野の場合、モンローの伝記がモンローの画像に結びつけられ同情されている。それは美人が描かれていれば絵を美しいと見なしたり、かつての肖像画においてモデルとなった人物がデフォルメされて怒り出すことと大同小異である」と批判したうえで「もし、千野の見方が美術史であるならば、それは美術にとっても他のあらゆる領域にとっても不必要である」と切って捨てる。私も日本における「フェミニズム批評」の「第一人者」であるはずの千野のあまりにも幼稚、反映論そのままのナイーヴな「感想」に失笑した覚えがある。フェミニズム批評は当時の流行の先端であったが、「作品を利用して別のことを語る」タイプの批評に対して藤枝は徹底して批判を加えた。今日においても哲学から精神分析まで、自説を開陳するために作品を横領する小林某から斎藤某にいたる「美術批評」の系譜に私たちは事欠かない。藤枝の仕事はこれらとは異なり、あくまでも作品をその中心に置く。この意味において私はここに収められた論文の中でも時評的なそれより作家論、作品論の方に藤枝の批評の特質がよく現れていると考える。

 なにぶん浩瀚な論集であるから私もまだ完全に通読はしていないが、大半の論文はかつて読んだ覚えがある。次に本書の内容を概観しておこう。収録論文の出典については巻末に発表順に一覧が掲載されているから容易に参照できる。構成はクロノロジカルではなく主題別である。「芸術と批評」と題された第一章においては現代美術とフォーマリズムの方法が大局的な観点から語られる。先に触れた「二つの抽象」あるいは「最後の絵」といった戦後アメリカの色面系の抽象絵画について総括的に論じた文章は今読んでも古びておらず、藤枝の批評の到達点を示している。第二章は上田高弘を聞き手とした語りおろしのインタビュー。後述するとおり北園克衛やデュシャンといった、やや意外に感じられる主題にも言及があり、なかなか興味深い。「情況と動向」と題された第三章は1969年の「アンチ・イリュージョン」から2005年の「アジアのキュビスム」まで、主として展覧会に関する批評が収められている。行動美術展や具体美術展といった意外な対象への展評をなぜここに収めたのか、本人に尋ねたいと考えるのは私だけではないだろう。第四章「歴史とモダニズム」ではポストモダンやアヴァンギャルドといったモダニズム美術と関わる状況論が収められている。続く二つの章は作家論であり、第五章は印象主義からダダイスムまで、第六章では抽象表現主義以降の美術家が論じられる。前者は『美術手帖』に連載され、『絵画論の現在』として刊行された内容がほぼ抜粋され、いくつかのテクストが加えられている。当時のポストモダン状況の中であえて近代の画家たちを論じた意味は、今日、本書によって藤枝の批評を通覧するならばよく理解できる。第六章は藤枝が専門とする抽象表現主義からミニマル・アートにいたるアメリカの戦後美術に関する作家論が大半を占める。一巻の研究書として構想された前章とは異なり、掲載された書誌がばらばらで内容も作家論から私的回想までやや雑然とした印象を与えるが、ニューマンとポロックについての長い論考は本書中の白眉といえよう。「詩論他」と名付けられた第七章では北園克衛やビートニクと藤枝という意外な取り合わせを知ることができる。藤枝が北園の主宰する詩誌と関わり、あるいは留学中にビートニクたちと交流したという事実を私は本書をとおして初めて知った。最後の第八章は内外の研究者や美術史家を交えた対談を収めている。発表の時期にして20年ほどの幅があり、内容としては抽象表現主義に関連した議論が多い。

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 決して読みやすいテクストではないが、まずはこれらの論文に目を通していただくのがよかろう。さいわいこの論集には藤枝批評への導入との呼ぶべき7本のコラムも収められている。例えば藤枝の批評が日本の美術批評において果たした役割に関しては早見堯、選考するフォーマリズム批評との関係については川田都樹子、それぞれ委曲を尽くした解説をあらかじめ読んだうえで各章に向かうのは一つの方法であろう。あらためて通読しながら、私は久々に藤枝の佶屈した文体を堪能した。日本の美術批評は東野芳明に典型的に認められるとおり、書き手としての自らを前面に押し出した書きぶりが多い。これに対して藤枝の文章は一種の客観性、匿名性を装いつつ、実際には断定的であり強引、なによりも攻撃的であった。本書においても書き下ろされた序と後記に相変わらずの藤枝節が健在であり、私は大いに安堵した。最初に述べたとおり、藤枝の文体はどちらかといえば悪文で必ずしも論理的でないが、読んでいるうちに病みつきになるような不思議な魅力を備えている。おそらくかかる魅力は藤枝が作品の質についての判断を恐れないことに由来するだろう。ポストモダン以降、私たちは無際限の相対化の時代にいる。しかし藤枝の作品の質に対する判断は明確でぶれがない。本書の中に「地球がその動きを停止してもオーブリー・ピアズリーがポール・セザンヌよりも、アール・ヌーヴォーがキュビスムよりも高質にして重要だ、ということはありえないだろう。優れた作品は多義的で消耗しない」という言葉がある。今触れたコラムの中で大島徹也が論及するとおり、例えばポロックに関して藤枝は最高傑作とみなされてきた《ブルーポールズ》を「素人受け」として批判する。私も藤枝の評価に同意するが、かくのごとく作品の質を基準として明快な判断を下す点に藤枝の批評の魅力はあり、それゆえ日本の同時代の美術は多くが論じるに値しなかったのであろう。しかしここに収められた論文からは必ずしも判然としないが、藤枝は自らが企画した展覧会でそれまでほとんど知られることのなかった作家を取り上げ、高い評価を与えた点も記憶されるべきであろう。藤枝が評価する作家は時流に合う作風ではなかったから、今日にいたるまで十分な評価を受けているとは言い難いが、日本の戦後美術において一つの系譜をかたちづくっている。一方、かつて藤枝によって見出され、このブログでも論じた山田正亮については近年、近親憎悪に近い批判を加え、あるいは本書に個展のレヴューが掲載されている福島敬恭については「その近年来の変節は、もはや私の関与する範囲をはるかに超えている」として「現代美術の展開」を再版するにあたって文章を削除したことがある。このような潔癖さというか厳密さもこの批評家ならではの個性である。

 本書を卒読してあらためて感じたのは、藤枝の批評におけるデュシャンの重要性である。藤枝の卒論がデュシャンに関する内容であったことは以前何かで読んだ記憶があるが、本書を読み進めるとほとんどの章にあたかも通奏低音であるかのようにデュシャンへの言及があり、第五章には「絵画論の現在」には含まれていなかったデュシャンについての文章が新たに収められている。藤枝にとってデュシャンの重要性はレディメイドに端的に示される「視覚によらない表現」の可能性を提起した点にあるだろう。通常であればこのような表現はフォーマリズムの埒外にある。しかしながら藤枝の批評の独自性は、デュシャンを契機として、それといわば対偶の位置にある表現、すなわち「視覚による視覚の批判」という可能性を探求することによって、反造形的な作品と批評の接点を探ったことにある。このような視座を得ることによって、抽象表現主義、とりわけニューマンからミニマル・アートにいたる現代美術の展開が一望され、藤枝の批評は基本的にかかる視野の中に配置された。デュシャンという反フォーマリズムの作家が藤枝のフォーマリズム批評の豊かな成果を育んだという逆説はなんとも興味深く感じられる。

 日本においてフォーマリズム批評の導入は不幸な歴史をたどった。ハル・フォスターの「反美学」が訳出されたのが1987年、『批評空間』の特集号「モダニズムのハードコア」が発行されたのが1995年、グリーンバーグの批評選集にいたっては2005年の刊行である。つまり日本ではアメリカのフォーマリズムの主要な論文が紹介されるより先に「オクトーバー」系のフォーマリズムを脱構築する言説が導入されたのである。このためフォーマリズムをめぐる議論のダイナミズムはきわめて錯綜したかたちで紹介された。いうまでもなくそれに対応する日本における批評的達成は今日に至るまでほとんど整理されることがなかった。今回、この論集が刊行されることによって、私たちはフォーマリズムとその超剋をめざす言説の数々を同じ俎上に載せて検証することが可能となった。このような作業から学ぶべきものはまだ多いと私は信じている。



by gravity97 | 2017-06-11 16:30 | 批評理論 | Comments(0)

蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』

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 このところブログの更新が滞りがちであったが、上の書影を見ればその理由が理解していただけることと思う。一月近くこの大著を読み続け、知的な興奮に満ちた幸福な時間を過ごしていた。小説であれば数日でこの程度の分量を読むことは不可能ではない。しかし本書は精読を要求し、そもそも研究の対象であるギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』に関する十分な知識が前提とされる。本書の序章と第一章はすでに『新潮』の1月号に掲載され、その折に本書の刊行は時期も含めて予告されていたから、私は本書の発売に先んじて『ボヴァリー夫人』を再読することから始めた。およそ30年ぶりに再読して思うところもあったが、それについては措く。明らかであるのは『ボヴァリー夫人』研究である本書は、研究の対象よりはるかに量が多く内容も濃密であることだ。
 実は本書が執筆されていたことはずいぶん以前から知られていた。蓮實は「フローベールの才能を欠いた友人」として知られたマクシム・デュ・カンなる人物について論じ、本書の姉妹編とも呼ぶべき『凡庸な芸術家の肖像』なる大著を四半世紀前、1988年に上梓した。この書物の成立の理由について蓮實はあとがきのなかで次のように述べている。「すでに書き始められていた『ボヴァリー夫人論』からの逸脱、という解釈は一応は成立する。その間『ボヴァリー夫人論』は放置され、ときに同時進行することがあったとはえ、はかばかしく進展したとはいえないからである。だが、逸脱というからには、ある時期まで、『凡庸な芸術家の肖像』を書こうという意志が抑圧されながらも『ボヴァリー夫人論』執筆の背後に持続しており、それがあるとき唐突に本道から逸れていったことになるのだろうが、事態はそのように進行したのではない」b0138838_16102315.jpgあるいは本書のあとがきによれば、資料の中からみつかった筑摩書房の担当者が記したとおぼしき、蓮實の名と「ボヴァリー夫人論」という二つの書き込みがあるメモには1989年という年記が記されていたという。蓮實は同じあとがきの中で、この浩瀚な論文が成立した経緯について日付を明記しながら説明し、本書がいかなる意味においても「生涯の書物」ではなく「著者の老年期に書かれたテクスト」であることを強調している。しかし本書が少なくとも数十年のスパンで持続された一つの小説への関心によって執筆され、時間を費やして完成されたことに私は深い感銘を覚えた。最近の博士論文の粗製濫造の風潮によって読むに堪えない「博士論文」が活字となる中で、一人の学者が知的な能力のすべてを投入し、その「老年期」にかくも充実した成果として結実させたことに心を打たれるのである。それゆえ読者たる私も思わず襟を正して本書に向かった。
 それにしてもなぜ「ボヴァリー夫人」なのか。私が最初にこの小説を読んだのは中学か高校の頃であった。当時の私はヨーロッパの19世紀文学を濫読していたから、同じ時期にスタンダールやバルザック、ドストエフスキーやトルストイも読んでいたはずだ。といっても毎月の小遣いで買うことのできる本は限られていたから、小説を選択するにあたって唯一の基準は文庫本となっているか否かであり、フローベールの小説を本書しか読んでいない理由は、今回も再読した生島遼一訳の新潮文庫版以外にこの作家の小説を文庫で入手することが困難であったことに尽きる。しかし今挙げた作家のラインナップの中でフローベールは特に印象の強いものではなかった。「ボヴァリー夫人」しか読んでいないことも理由の一つかもしれない。しかし例えばドストエフスキーの長編の思想性、デュマの冒険小説の血湧き肉踊る興奮と比べ、田舎での結婚生活に倦怠した人妻が不倫と借財の果てに自殺するという物語はさほど面白いものではなく、それゆえ今回再読するまで細部についてはほとんど忘れていた。「カラマーゾフの兄弟」でもよい「赤と黒」でもよい、ある程度の小説読みであれば本書より小説として優れた長編を挙げることは困難ではないはずだ。一方、有名な「ボヴァリー夫人は私だ」という言葉に象徴される一連のスキャンダル、作家が風紀紊乱の罪に問われたという背景が蓮實の関心を引いた訳でないことも明らかだ。それどころかこの長大な研究にテクストの外部、作家の個人的閲歴に関する記述はほとんど存在しない。それではなぜこの小説が選ばれたのか。一言で述べるならば、それは本書の「テクスト的な現実」の厚みに由来している。「テクスト的な現実」、それこそが本書の中心的な主題だ。かかる「テクスト的な現実」が例えばスタンダールの、ドストエフスキーの小説にも読み取れるか否かについて私は即断できない。私の考えではおそらく「ボヴァリー夫人」が選ばれた理由はそれが蓮實の専門とするフランス語で書かれていること、そしてそれが「レアリスム小説」の典型とみなされてきたことによる。いうまでもなく「レアリスム小説」と「テクスト的な現実」は無関係であるどころか、後述するとおりしばしば対立する。言葉を換えるならば、蓮實が関心をもつのは優れた小説ではなく、テクストが現実としていかに編成されているかであり、極端な物言いをするならば、ある程度の格を備えておれば、どのような小説を取り上げてもよかったのだ。私たちは本書を「ボヴァリー夫人」について論じた研究とみなしてはならない。本書はテクスト的な現実が小説の中でいかに露出するかについて、たまたま「ボヴァリー夫人」を通して分析した研究なのである。
 それでは次の問い。本書の核心とも呼ぶべき「テクスト的な現実」とは何か。Ⅶ章の末尾のあたりに、今述べた問題とも関連してヒントとなる一文が書きつけられている。少し長くなるが引用する。

 とはいえ『ボヴァリー夫人』という長編小説が、その刊行いらいこんにちにいたるまで、ほぼ百五十年にもわたって、ひたすら「テクスト的な現実」から人目をそらせ、それとは異なるテクスト外的な「現実」へと視線を誘い、それを言語的に表象するものとしての「フィクション」ととらえずにはいられない欲求を多くの人々にいだかせがちな作品とみなされているのも否定しがたい事実である。そのとき、人は「レアリスム」の典型的な作品としてこれをとらえ、多くの場合、「モデル」という「テクスト的な現実」にはおさまりのつかない外部の概念を想起しながら、「テクスト」を読もうとしがちなのだが、それは、ことによると散文のフィクションとして書かれた長編小説の宿命かもしれない。

 ここでも触れられるとおり、「ボヴァリー夫人」についてはしばしばモデル探しがなされた。しかし蓮實はモデルや作者といったテクストの外部を完全に捨象し、テクストに表明された事実のみに即して作品を分析することを試みる。それがどのような発見をもたらすかについては、例えば第Ⅰ章に即して次に論じるとして、ここではこのような読みは私たちが通常小説の読解とみなしている行為と全く異なっている点を指摘しておきたい。私たちは小説を通して作者の意図を読み取ることが読書という行為の本質であるという通念に拘束されてきた。しかし蓮實は作者の意図といった漠然とした概念に全く信を置かない。もしそのようなものがあったとしても、それは何よりも「テクスト的な現実」として作品の中に露呈されていなければならないのだ。構造主義を経過した私たちにとって、このような発想は決して意外ではない。美術の分野で形式的な批評になじんだ私にとって、むしろ当然であるようにさえ感じられるのだが、今でさえ幼稚な批評家たちの文章の中には小説の背後に作者の意図や考えを読み取ることを当然とする発想がしばしば認められる。蓮實の文学研究はこのような読解に徹底的に抗い、徹頭徹尾即物的だ。それでは私たちも本書を章に沿って読み込んでいくことにしよう。

 「読むことの始まりに向けて」と題された序章において、蓮實は本書がフローベールの「ボヴァリー夫人」を論じる内容であるといささか同語反復的な断定を加えたうえで、この小説が発表された19世紀中葉とはジャーナリズムの発達に伴い、「テクストをめぐるテクスト」が成立した時期であることを指摘する。このうえで蓮實はサント=ブーヴからボードレールにいたるこの小説をめぐる「批評的エッセー」の系譜を瞥見する。次に蓮實はそもそも論じられるテクストとしての「ボヴァリー夫人」が不確定、あるいはあいまいな対象であることを論証する。蓮實の論証はヴァリアントをめぐるテクスト・クリティークのレヴェルから乗合馬車の窓の位置をめぐる記述の矛盾といったレヴェルまで多岐にわたるが、このような不確定性の分析こそ本書の主題であることを、蓮實は次のように宣言する。「『「ボヴァリー夫人」論』の著者は、矛盾する『文』の共存がきわだたせる『不確かさ』、あるいは『曖昧さ』を、この作品ならではのフィクションの『テクスト的な現実』と呼ぶことを提案する」先にも述べたとおり、この長い論考の鍵となる概念が「テクスト的な現実」であるから、序章に掲げられたこの文章をしっかりと記憶に留めるならば、以後の蓮實の議論を追うことはさほど困難ではない。
 「ボヴァリー夫人」をめぐる「テクスト的な現実」は第Ⅰ章「散文と歴史」において実に鮮やかに私たちの目の前に提示される。冒頭に蓮實は「ボヴァリー夫人とは何か?」というきわめて単純な問いを提起する。「ボヴァリー夫人は私だ」という作家の有名な言葉なども連想されようが、蓮實の分析は徹底的にテクスチュアルなレヴェルでなされる。蓮實ならずともこの問いに答えることはさほど難しくない。小説の中でマダム・ボヴァリー、つまりボヴァリーというファミリーネームをもつ男性の妻の位置を占める女性は三人いる。シャルル・ボヴァリーの母親、シャルルの初婚の相手であり急死した年上の未亡人エロイーズ、そしてこの小説の主人公たるシャルルの二番目の妻、エンマ・ボヴァリーである。私たちは「ボヴァリー夫人」がエンマ・ボヴァリーの物語であることを疑うことはない。例えば新潮文庫版の裏表紙には次のような簡単な要約が付されている。「田舎医者ボヴァリーの美しい妻エマが、凡庸な夫との単調な生活に死ぬほど退屈し、生まれつきの恋を恋する空想癖から、情熱にかられて虚栄と不倫を重ね、ついに身を滅ぼすにいたる悲劇」しかし原著を精読した蓮實は驚くべき「テクスト的な現実」を発見する。三人の「ボヴァリー夫人」たちは、「ボヴァリー母」「ボヴァリー老夫人」「ボヴァリー若夫人」「彼の妻」といった様々な呼称で呼ばれることはあっても、なんと「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞は一度たりともこの小説の中に書きつけられていないのだ。蓮實の論証は様々なヴァリアントや証言を動員してきわめて実証的になされ、その詳細についてはここでは繰り返さない。蓮實は「ボヴァリー夫人」における「エンマ・ボヴァリー」という記号の物質的な不在こそが「テクスト的な現実」であり、それにもかかわらずこれまでこの点を誰も指摘しなかったと説く。蓮實によれば、それは人が「テクスト」を読むことをあまり好まないからであり、短い紹介や作家の評伝のみならず多くの理論的な研究もこの「テクスト的な現実」を見逃している。この長編の中にあえてフローベールが「エンマ・ボヴァリー」の名を記さなかったことは意図的である。私たちはこのような事実から始めなければならない。つまりエンマ・ボヴァリーの悲劇というフィクションが存在するのではない。私たちに与えられたのは「ボヴァリー夫人」と題され、印刷された活字というひとまとまりのテクストのみなのである。蓮実はこの章を次のように結ぶ。「印刷された活字のつらなりにほかならぬ『散文』のフィクションとして、『ボヴァリー夫人』を『読む』ことが、いま始まろうとしている」
 「懇願と報酬」と題された第Ⅱ章も私には実に刺激的に感じられた。蓮實はまずこの小説の中でさほど重要とも思われない二人の人物の共通性に止目する。一人は最初の「ボヴァリー夫人」、つまりシャルルの母であり、もう一人は舞台となる田舎町に住む薬剤師オメーである。「ボヴァリー母」は物語の最初に登場し、シャルルを都会の中学に通わせることをシャルルの父親に提案する。一方薬剤師のオメーは徹底的な俗物として描かれ、エンマが服毒する砒素とも関わるのであるが、奇妙なことにこの小説は「彼(オメー)は最近レジヨン・ドヌール勲章をもらった」というエンマともシャルルとも無関係な一文で終わる。この小説はシャルルが中学に現れた場面で始まるから、二人はともメイン・ストーリーの外部でありながら、物語の最初と最後、対照的な位置を占めているといってもよかろう。しかし蓮實はこの二人に興味深い共通点を見出す。例えばこの小説においてはごく端役であってもほとんど全ての登場人物にフルネームが与えられているのに対して、ボヴァリー夫人(いうまでもなくシャルルの母)とオメー氏のみは姓で呼ばれて洗礼名についての記述がないという「テクスト的な現実」が存在するのだ。二人はもう一つ、主題的な共通性も有している。「懇願と報酬」というタイトルが暗示するとおり、ボヴァリー母にあっては息子シャルルを都会の中学へ入れること、オメーにあっては端的に自分の叙勲を懇願する。その相手は前者にあってはシャルルの父であり、後者にあっては国王であり、両者の願いは最終的に叶えられるがその経緯は明かされていない。つまり彼らの懇願に対して報酬を与える存在は物語の外に存在するのである。このような分析自体は興味深いが、決して驚くべきものではない。私が圧倒されたのはこのような主題的枠組を作品の形式へと還元する蓮實の発想のしなやかさである。どういうことか。先に私はこの小説の末尾の一文を書き写した。今度は最初の一文に目を止めよう。「私たちは自習室にいた。すると校長が制服でない普通服をきた『新入生』と大きな教師机をかついだ小使いをしたがえてはいってきた。いねむりして連中は目をさました。みんな、勉強中のところを不意打ちくったように立ち上がった」少なくとも、今回「ボヴァリー夫人」を再読して、私は冒頭からこの小説が説話論的にかなり歪な構造をしていることをあらためて認識した。いうまでもない。冒頭の「私たち」である。nousとは一体誰か。新入生とはシャルルのことであるから、おそらく「私たち」とはクラスメイトであろう。引き続いて「新入生」がクラスにとけ込めない様子が記録されるから、おそらくこの判断は間違っていない。しかしこの語り手は名前も与えられることがないまま、いつのまにか「新入生」を彼もしくはシャルルと呼ぶ匿名の語り手へと引き継がれるのだ。「ボヴァリー夫人」において語りの位置はきわめて不自然で、読み手は居心地が悪い。少なくとも冒頭において話者が具体的に物語の中にいるかどうか不明確であり、読み進むに従ってそれが超越的な話者であることが次第に明らかになったとしても、話者の権能、すなわちそれが全能の話者であるか、特定の視野や権能を有した話者か判然としないのである。蓮實はこのような話者とボヴァリー母とオメーの懇願に対して、思いついたように報酬を与える物語の外の存在に同型性を認める。蓮實は次のように記す。

 「僕ら」に含まれる「僕」は、シャルルの母親に息子の中学入りを許したボヴァリー氏のように、あるいは薬剤師オメーに勲章を下賜した匿名の「国王」のように、物語の要請を無視する不可視の「超=説話論」的な力の無根拠な介入によってフィクションを開始せしめ、その役割を終えると物語から撤退するものだった。ただし、その撤退は無償の振る舞いではない。「超=説話論」的な要素の介入や撤退は、非時間的に形象化されうる物語に時間を導入するものだからである。

 作品の主題に関する分析を語りの形式の問題へと転じるアクロバティックな分析から私は例えばマイケル・フリードの60年代の美術批評を連想する。フォーマリズム批評の典型とも呼ぶべきこの時期のフリードの論文においても「テクスト的な現実」ならぬ作品の形式が問われる。それは誰もが読んでいたはずの/見ていたはずの事実である。しかしそこにわずかに兆した綻びによって作品の意味を一変させ、作品についての見方を根底から変える手法は、論じる対象こそ異なるものの蓮實の文学研究における跳躍と似ている。そしてまさにこのような認識論的飛躍こそ、私が優れた批評に期する特質なのである。
 さて、私はこの長大な論考10章中のまだ二つの章について論じたにすぎない。この調子では相変わらずブログの更新がおぼつかない。やや異例であるが、本書のレヴューは二回に分け、まず前半をアップすることにする。残りの章も同様の発見や示唆に満ちていることはいうまでもない。それらについては次回のブログでやや駆け足で論じたい。
 なお蓮實の読者であれば誰でも知っているとおり、蓮實は物語と小説という二つの言葉を意識的に使い分けている。しかしこのレヴューでは両者を蓮實に即して厳密に区別することはあまりにも煩瑣に感じられるため、特にそのような区別をせず、文脈に応じて用いていることをお断りしておく。

12/08/14 追記
上に記したとおり、本ブログについては続けて後編をアップすべく、実際に筆を進めてもみたのであるが、蓮實の大著を自分の関心に沿って要約することは予想以上の難作業であり、何より私の狭い関心によらず、直接本書を通読いただいた方が本ブログの読者にとっても有益であると判断したため、本書に関してはここで筆を擱く。諒とされたい。
代わりという訳ではないが、同じ著者がおよそ40年前に発表した有名な「宣言」の冒頭の一文をアップしておく。

by gravity97 | 2014-08-03 16:14 | 批評理論 | Comments(0)

キャロル・ダンカン『美術館という幻想』

b0138838_2261153.jpg フェミニズムの論客として知られたキャロル・ダンカンが1995年に著した美術館論が翻訳された。「美術館という幻想」という邦訳のタイトルはいただけない。原題は Civilizing Rituals : Inside Public Art Museums であり、ここにおいて儀礼という本書の基本概念が既に提起されているにもかかわらず、「美術館という幻想」では美術館という制度自体が幻想であるような印象を与えてしまうからだ。逆に美術館が今日的、あるいは「教化された」儀礼の典型であり、その拠点である点を論証するのが本論の趣旨であるはずだ。
 第一章でダンカンは本書の基本的な主張である「儀礼の場である美術館」を分析するにあたり、まず理論的な枠組みを説く。しかし私の印象では儀礼やアーティファクト、リミナリティといった中心的な概念がさほどしっかりと吟味された印象はない。ここで提起される概念は第二章以降で行われる具体的な美術館やギャラリーに関する分析の中で十分に機能したようには感じられないのだ。別の言葉を用いるならば第一章における共時的な観点と第二章以降の通時的な観点がうまくかみあっていない。さらに言えば本書で提起される主張は今日ではさほど独自には感じられない。もっともこれは本書が刊行された時期から10年余りの時の経過によるかもしれない。儀礼の場であるかどうかはともかく、フーコーを経由した私たちにとって美術館が中立的で啓蒙的な施設であるといった素朴な理解はもはやありえないだろう。
 もちろん第二章以降のルーブル美術館とロンドンのナショナル・ギャラリー、そしてメトロポリタン美術館とシカゴ美術館などの歴史をたどりながら、王侯貴族のコレクションが「民主化」されていく過程の分析、あるいはワシントンのナショナル・ギャラリーをめぐる寄贈者と美術館の確執、そして最後の章で検証されるニューヨーク近代美術館に内在する男性原理など、具体的な論述はきわめて興味深く、本書の読みどころを形作っている。美術館の成立が国家や国民という概念の成立と同期するという主張や美術館にまつわる様々の「儀礼」の政治性に関する指摘は今日でも新鮮であり、ワシントンの「ナショナル」ギャラリーのコレクションが実は一人の富豪の嗜好によって形成されていることを私は本書を読んで初めて知った。あるいはフリック・コレクションやゲティ美術館、モルガン図書館といったアメリカでも有数の文化施設がいわば血塗られた歴史をもち、さらにゲティ美術館の敷地内にポール・ゲティの墓があり、美術館が文字通り霊廟としての役割を負わされているという指摘は美術館の本質を考えるうえで示唆に富む。
 多くを学んだことを認めつつも、私が本書に感じる異和感は、この研究のライトモティーフとも呼ぶべき儀礼への批判が常に攻撃的、糾弾的な論調を帯びている点に由来する。この点はフェミニズム系の美術史研究において往々に感じられる点であるが、例えば本書においては特にアメリカの美術館のコレクションが大富豪による労働者の搾取のうえに成り立っていることが何度も論じられる。フリック・コレクションをかたちづくったヘンリー・フリックが実際には無慈悲な資本主義者であったにも関わらず、その名前がストライキへの弾圧ではなく美術品と結びつけられて記憶されることへの批判が繰り返されるが、作品の質に対して作家の人格が責任を負わないのと同様に、コレクションの質とコレクターの人格は本来無関係のはずだ。本書を読む時、儀礼への批判が多くコレクターや社会制度への批判と転じていることが理解される。あるいはニューヨーク近代美術館における男性原理の優越を説く最終章の論述はあまりに教条的で硬直した印象を与えないだろうか。もちろんフェミニズム美術史の成果によって、今日の時点ではダンカンの記述が常識として共有されるにいたったという反論はありえるだろう。しかし近代美術館における作品の展示、特に裸婦像の配置が女性差別を無意識化したものであるという理解は今日では通俗的にさえ感じられる。さらにジョーン・ミッチェル、ルイーズ・ネヴェルソン、アグネス・マーティン、エヴァ・ヘスらの作品を「男性の特権性に奉仕するための造りもの」として批判し、これに対して、バーバラ・クルーガー、シンディ・シャーマン、キキ・スミスらの作品が「美術館を男性の手から解放し、その儀礼を書きなおし、新たな問題意識と新しい批判的な見方を提起する」と評価する姿勢には失笑を禁じえない。前者の作家たちに評価を与えたのが、モダニズム/男性原理主義の批評家であったにせよ、それは批評家の言説をとおしてなされたのであり、作品自体にそのような特質を認めることは本来フェミニズムが批判した本質主義の立場ではないか。私ならばむしろ前者の作家たちの作品が実はモダニズム/男性原理主義への根本的な批判を内在させているという発見、逆にクルーガーやシャーマンの作品に男性芸理への迎合を見出すような視点の方が(むろんここではこのような論証が可能かどうかではなく、一つの可能性として指摘している点を理解されたい)今日的な意識を反映しているように感じられるのだ。
 あるいは美術館を論じながらキューレーターに関する議論が全く欠落しているのはなぜであろうか。国王や貴族、あるいは大富豪といった階級が人民や労働者を搾取しながらコレクションを形成したとしても、なぜそれが美術館という制度と同一視されるのか。論文中にワシントンのナショナル・ギャラリーやゲッティ美術館のコレクションがその後、専門家によって補正されたという記述があるが、いうまでもなくこの専門家こそがキューレーターであり、美術館とコレクションの運営に関する実務的な決定権を握っている。むろん彼らも別の意味で儀礼としての美術館に一役買ったかもしれない。しかしダンカンの議論はこれらの職能集団の意味を軽視し、美術館における階級性や性差の告発に終始する。一つの反例を示そう。ダンカンがマッチョで男性主義的とみなすアメリカの抽象表現主義はやはりダンカンによれば男性原理が支配するニューヨーク近代美術館が中心になって組織したヨーロッパへの巡回展によって認知された。しかしこの展覧会を実質的に組織した中心人物が近代美術館の女性キューレーター、ドロシー・ミラーであったという事実、さらにミラーがやはり近代美術館で「X人のアメリカ人画家」という集団展を連続して企画し、戦後アメリカ美術の方向性に大きな影響を与えたという事実は本書の最終章とどのように折り合いをつけるのであろうか。
 訳者もあとがきに記すとおり、本書は1980年代以降、主として英語圏で隆盛したニュー・アート・ヒストリーの一翼を担う研究である。本書を通読して、私はそろそろニュー・アート・ヒストリーそのものも総括されてよい時期に達したのではないかと感じた。むろんノーマン・ブライソンにせよ、T.J.クラークにせよその主著がまともに翻訳されていない日本においてその射程を理解することは難しい。しかし制度批判や表象批判といった理論的、抽象的な議論においてはいくつかの注目すべき研究が残されたにせよ、具体的な作品研究、作家研究においてその成果は乏しいように感じられるのだ。日本において一時一世を風靡したフェミニズム美術史研究の消長もこの問題と関わっている。
 最後に一言付言するならば、ダンカン自身も弁明しているが、美術館という一種普遍的な施設について論じながら、フランス、イギリス、アメリカのみをそのフィールドとしている点も私には疑問に感じられる。それでは日本の場合はどうであろうか。個人コレクションもしくは私立の美術館が主流を占める欧米と比べて、日本においては公立美術館という特殊な運営形態が多い。もちろんそこにも歪んだ「儀礼と権力」が働いている。この点については今後日本人研究者によって解明が進められることを期待したい。

by gravity97 | 2011-10-03 22:08 | 批評理論 | Comments(0)

四方田犬彦『書物の灰燼に抗して』

 四方田犬彦は私がかねてより愛読する批評家である。比較的最近ではテルアヴィヴとコソヴォという峻烈な地に半年ずつ教師として滞在した記録『見ることの塩』、あるいは大学時代の恩師である由良君美との交流と断絶をつづった『先生とわたし』などが印象に残る。『ハイスクール1968』など一連の回想記における事実誤認と自己美化がインターネット上で散々に批判されているが、世代と問題意識が比較的近いためであろうか、扱われる多様な主題もその大半が私の関心の内にあり、新刊が出るたびに必ず店頭で手に取る書き手である。
 四方田の名から最初に連想されるのは映画批評家としての側面であろうか。『映画史への招待』『日本映画史100年』といった概論からルイス・ブニュエルや若松孝二といった特異な監督に関する作家論まで私も四方田の研究から多くを学んだ。さらに四方田は紀行文の名手でもある。今挙げた『見ることの塩』、三島由紀夫の実兄や石川三四郎といった意外な名前が次々に召還されるモロッコ紀行『モロッコ流謫』、さらには自らが居住した東京の下町について様々の薀蓄を傾けた『月島物語』など土地と関係した一連のエッセーも忘れがたい。さらに白土三平から水木しげるにいたる漫画評論からマラーノ文学、中上健次についての卓抜な分析まで関心の幅はきわめて広い。このため、四方田が最初、どのような分野の研究からスタートしたかは意外に知られていない。実は四方田は東京大学の文学部で宗教学を、大学院で比較文学を学び、修士論文はジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」を論じたものであった。この修士論文は後に公刊されたらしいが、私は未読である。これに関連して、かつて80年代に四方田や浅田彰の編集によって発行され、いわゆるニューアカデミズムの牙城といった趣を呈した『GS たのしい知識』という雑誌の創刊号で「反ユートピア」が特集され、四方田が長い論文を寄せていたことも想起されよう。なるほど中上健次を論じた『貴種と転生』でマハーバーラタが引かれ、大島渚を論じた文章の中でジュリア・クリステヴァに言及されるように、四方田のエッセーは常に文化やジャンルを越境する自由さによって特徴づけられていた。しかし多くの映画論、文学論あるいは紀行やエッセーの陰に隠れるかのように、四方田の本来の専門である比較文学の分野についてはこれまでまとまった著作が発表されたことがない。本書の帯に「著者初の比較文学論集」とあるのはこのような意味である。全8章から成る本書はなんらかの機会に発表された文章と書き下ろし論文のアマルガムとして構成されている。しかし既出とされる文章もアンソロジーや訳書の解説、あるいは学会やシンポジウムの原稿といった比較的目に触れにくい機会に執筆されており、私にとっては全て初見であった。テーマとなる対象は映画、小説から絵画、詩と多岐にわたり、論及される人物も数多い。アンドレイ・タルコフスキー、フランツ・カフカ、ウィリアム・フォークナーであれば誰でも知っているだろう。しかしタデウシュ・カントル、センベーヌ・ウスマン、マフムード・ダルウィーシュはどうか。これらの顔ぶれからも地域や文化、ジャンルを横断する四方田のエッセーの特質は明らかである。
 各章は数編の論文から成り立ち、それぞれがゆるやかに一つの主題を形成する。「ノスタルジー」という概念を鍵に何人かの映画監督、作家や思想家たちを渉猟する章もあれば、パゾリーニやル・クレジオといった固有名の周囲を旋回しながら分析を加えた章もある。内容のばらつきはそれぞれの章が成立した経緯と関わっているだろう。しかしながら自らの専門とする領域で議論を進める余裕であろうか、雑然とした印象は受けず、いずれのテクストも犀利で刺激的である。例えば死という主題を扱った「死の領分」という章においては文学、演劇、美術の領域からカフカ、カントル、そしてアンセルム・キーファーという三人のKが召還され(四方田も指摘するとおり『審判』の主人公でもあるKとは、ヨーロッパ語圏では頭文字として使用されることは稀少であり、それゆえ不吉なコノテーションをはらんでいるのだ)、さらに幕間としてウォーホルと私の大好きなピーター・グリーナウェイが導入される。「死と惨禍」を連作のテーマとしたウォーホルはともかく、グリーナウェイの怪作「ZOO」をかかる系譜に並べる四方田の手つきは鮮やかであり、確かに「数に溺れて」「建築家の腹」そして「コックと泥棒、その妻と愛人」といったグリーナウェイのフィルムがいずれも死という主題と親しく戯れていたことに今さらながら気づく。後から述べるとおり、基本的に短いエッセーの集積として成立していることもあり、徹底的な思索がなされることはないが、美術を専門とする私からみても例えばこの章のキーファーとウォーホルをめぐる議論のレヴェルはかなり高い。
 いずれの章も個別に検証すべき多くの問題を提起するが、シュルレアリスムのデペイズマンのように比較文学が既知の作家や作品の思いがけぬ出会いを糧とするのであれば、私には特に二つの章が刺激的であった。まずラフカディオ・ハーンの『怪談』の劈頭を飾る「耳なし芳一」とその翻案であるアントナン・アルトーの「哀れな楽師の驚異の冒険」をめぐる書下ろしの論考である。もちろん私はアルトーが「耳なし芳一」を翻案していたというエピソードを初めて知ったのであるが、残酷演劇の創始者と身体の毀損をモティーフとした血なまぐさい物語の結合はなんとも興味深い。四方田はさらに演奏と恍惚、琵琶法師の社会的帰属、さらには小林正樹によってこの物語が映画化された際に使用された武満徹と秋山邦晴の音楽などにも論及しながら議論を深めていく。私ならばさらに表面としての皮膚というモティーフからデニス・オッペンハイムやサンチャゴ・シエラへと論を敷衍したい誘惑に駆られる。もう一つはイタリアの映画監督(として通常は知られる)パオロ・パゾリーニとイギリスの詩人エズラ・パウンドを重ね合わせる論考である。パゾリーニとパウンド、まるでミシンと蝙蝠傘のような二人が現実に会話を交わしたこと、のみならずパゾリーニが悪名高いフィルム「ソドムの市」の一シーンの中でパウンドの詩篇を引用していることを私は初めて知った。といっても具体的に言及がなされる訳ではなく、砲声の合間、権力者たちの酒池肉林の傍らに置かれたラジオから「詩篇(キャントーズ)」を朗読するパウンドの声が聞こえてくるのだという。四方田も指摘するとおり、登場人物の台詞ならばともかく、背景のラジオの音声、それも映画が制作された国の言語ではない英語で語られる内容が意識されることはありえない。(それがかろうじて可能なのは英語圏の観客であろうが、それにしてもパゾリーニにパウンド、である)私もこのえげつない映画を見たことはあるが、もちろんこのような企みに気づくことはなかった。なぜパウンド、そしてこの作品が引用されたか、四方田の分析はきわめて鋭い。
 表題となった最終章も書下ろしである。「書物の灰燼」という言葉が暗示するとおり、ボスニア=ヘルツェゴビナの廃墟と化した図書館から説き起こし、四方田は二通りの文学者を措定する。私なりにパラフレーズするならば統合の文学者と逃走の文学者。知の宇宙を構築する前者としては例えばボルヘスとエーコ、図書館と僧院はそのメタファーとしてまことにふさわしい。これに対して図書館から、生地から追われ亡命を続ける中で思索する後者の例はベンヤミンとサイードであろうか。前者に一定の評価を与えながらも、四方田がこの章の主題とするのは後者であり、宇宙に対しては星座が彼らのエンブレムとなる。星座、コンステレイションという概念からはたやすくアドルノが想起され、四方田の議論が最終的にアドルノを経由してエッセーの賛美へといたることは必然であろう。四方田は「短く書く者」について語り、それが制度的な学知から絶えず排除されてきたことを指摘する。しかし短く書くことによってしか接近しえない真理もまた存在するのではないか。ここで体系を拒み、統合を否み、意図的に短く書いてきた者たちのリストを考えてみよう。アドルノとベンヤミンは明らかにそのような人たちであった。バルトとカフカはどうであろうか。『アンフォルム』におけるクラウスとボアはどうか。従来否定的な語調とともに語られることが多かった断章、パッサージュ、あるいは事典的配列といった変則的文体は意志的に選び取られる時、逃走の文学にとってきわめて有効な形式となるだろう。
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 私は常々徹底的に考えることの重要性を説いてきた。しかしあらためて本書を通読する時、別の形の思考、つまり徹底的に考えることによって損なわれてしまう思考もあるのではないかと考えるに至った。四方田に倣ってそれをエッセーの思考と呼ぼう。深く考えるなということではない、体系性や整合性を重んじて思考停止することなく、矛盾や齟齬をあえて許容することによって思考のみずみずしさを保つこと。非体系性、矛盾と偶感という点でこのブログに記す記事もまたエッセーである。今名前を挙げた知的巨人たちとは比べるべくもないが、今あなたが読んでいる私の拙い思考は果たしてそのようなエッセーの精神の一端に連なることができるだろうか。

by gravity97 | 2011-06-23 21:09 | 批評理論 | Comments(0)

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』

b0138838_211563.jpg 昨年暮れあたりから関西でも東京でも大きな書店の人文書のコーナーに平積みされた赤い表紙が目についた。長く気になっていた本書を先日買い求め、一日で通読した。なるほど実に面白い。新しい才能の出現であろう。
 とはいえ著者の名前は既に私の記憶にあった。同じ著者の『夜戦と永遠』というこれまた奇妙なタイトルの大著を私は以前手に取った覚えがある。そこには三人の思想家の名前が記されていた。フーコーとラカンはともかくルジャンドルという名は私にとって全く未知であり、本の分厚さに恐れをなしたこともあり、結局求めることはなかった。今回も『切りとれ、あの祈る手を』という意味ありげなタイトルに付された「〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」というサブタイトルはなんとも読者を突き放すかのようだ。本と革命、かかるテーマが正面から提出された時、普通の読者であればひるんでしまうのではなかろうか。
 あとがきを読むならば、本書の刊行は必ずしも著者の意図に沿ったものではなく、むしろ熱心な編集者の慫慂に基づいていることが理解される。私も編集者に感謝したい。本書がなければおそらく私は佐々木中という研究者も、彼が開陳する独特の思想にも触れることがなかったであろうと感じるからだ。
 本書はまず文体において一般的な思想書とは大きく異なる。口語体が採用され、サブタイトルのとおり、少人数の聴き手を相手にした五回にわたる夜話の書き起こしと考えることができよう。語り口は柔らかだ。例えば第一夜は「どうも今年は梅雨入りが遅いようで、ようやく雨がそぼ降る宵が来ましたね。淡水の、鉱物めいた香り満ちた曇る大気の下をくぐり抜けてここまでやって来ました」という言葉で始まる。しかし続けてカフカやルネ・シャール、カヴァフィスの名が唐突に引かれることに読者は当惑するだろう。繰り返し語る中で確信を深めていくような文体もきわめて独特であり、なじむまでにやや時間がかかる。特に第一夜は話題が次々に変わり、問題の輪郭が見定めがたい。そこでは「専門家」と「批評家」が批判され、今は存在しないエトルリアの言語の解読について語られ、フロイトの文体が称揚される。しかしかかる混沌の中から次第に本書の主題が浮かび上がる。それは読書という営みであり、本を読むということが「下手をすると、気が狂うくらいのこと」であることが説かれる。
 「本」に続く第二夜では「革命」の本質が語られる。この話題は第一夜に連なっている。つまり本を読むことは端的に革命の準備なのである。この認識こそが本書で繰り返し説かれることなるテーマだ。一見謎めいた思考であるが、佐々木はこのような認識の理路をわかりやすく説く。佐々木によると人類は少なくとも欧米において六つの革命を経験した。中世解釈者革命、大革命、イギリス革命、フランス革命、アメリカ革命、ロシア革命である。後の四つの革命は歴史的事件として容易に理解されようが、最初の二つは何であろうか。佐々木はこの二つこそ、通常「革命」とは考えられていないがゆえに真に革命の名に値すると説く。このうち「大革命」は日本では宗教革命という別の名前で言及されることが多い。佐々木はまずルターを引きながら、読書と革命の関係を説く。この議論はきわめてわかりやすい。なぜならルターの宗教改革とは聖書を読む運動だったからである。聖書を徹底的に読むことによって腐敗した教会の権威を批判することが「大革命」の本質であり、識字率の問題、あるいは印刷術の発明といったいくつかの歴史的な条件がこの改革と深く関わっている。佐々木はこれらの問題にも論及したうえで「文学こそ革命の本体であり、革命は文学からしか起こらない」と結語する。佐々木の論旨は説得的で感動的ですらある。
 ルターについて語った後、第三夜では大きな迂回がなされ、イスラム教のムハンマドについて論じられる。ムハンマドの「革命」は先述の六つの革命には入っていないが、ここでも「読むこと」は大きな意味をもつ。ムハンマドは40歳の時に天使ガブリエルに会って宗教的転回を果たすが、このエピソードが興味深い。ガブリエルはムハンマドに「読め」と命じ、ムハンマドはこれに抗う。なぜか。ムハンマドは文盲であったからだ。しかしこの神秘体験をとおしてムハンマドは読みえぬものを読み、コーラン(本書ではクルアーン)を残す。ここでも読むことが革命の本質である点が暗示されている。注意すべきはルターとムハンマドの名が挙げられたとしても、佐々木は決して宗教について語っているのではなく、あくまでも読書と革命を論じている点だ。この問題と関連してこの章では原理主義と終末論が厳しく批判されている。批判の対象はオウム真理教はいうまでもなく、アガンベンやコジェーヴにまで及ぶ、批判に際しての舌鋒の鋭さも本書の大きな魅力である。
 続いて中世解釈者革命を論じた第四夜は本書のクライマックスをかたちづくるのであるが、やや難解な印象がある。宗教改革などと比べてもこの「革命」の本質がとらえにくいためである。もちろんこの革命も本、そして読むことと深く関わっている。11世紀末、かつて東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスの命によって編纂された『ローマ法大全』が発見され、その解読が試みられた。この地味な出来事が「中世解釈者革命」であり、もう少し具体的に述べるならば、これによって従来の教会法が書き換えられ、国家の成立が可能となったのである。主権や国家、あるいは近代法といった様々の擬制はこの解読を前提としている。さらに佐々木は議論を敷衍し、このような革命が今日にまでいたデータベースとしての世界、情報革命へと道を開いたと論じる。
 最後の夜、第五夜はやや寛いだ印象だ。ここで佐々木は再び本、そして読むことへ回帰し、希望とともに語りを終える。文学の終焉という私たちもなじんだ発想を佐々木は激しく批判する。その根拠は明快だ。19世紀中葉、ロシアの識字率は10パーセントにも満たなかったという。正確には全文盲が90パーセントを超えていた。10人の友人がいたとすると、その中で文字が読めるのはただ1人いるかいないかという状況である。しかも彼もしくは彼女は字が読めたとしても本が読めるかどうかはきわめて怪しい。しかしこの絶望的な状況の中にドストエフスキーがいたのだ。19世紀のロシア文学といえば、近代文学の絶頂であるかのように感じられるが、『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』がかくも苛酷な状況の中で執筆されたことを知り、私は大いに驚いた。佐々木によればこのような奇跡、このようなサヴァイヴァルは文字が発明され、文学が成立してから実は何度も繰り返されてきたのであり、文学はこのような不可能性の中に胚胎する奇跡なのだ。最後に佐々木はパウル・ツェランとニーチェを引用しながら読むこと、語り直すこと、文学と革命の未来に賭けることを高らかに宣言する。
 私としては珍しく、そしてこのブログとしても例外的に、内容についていささか説明的に記述した。もちろん本書はこのような単純な要約を許すものではなく、その魅力は内容よりもむしろ語り口にあるから、読者には実際に本書を手に取っていただくことを勧めたい。それにしても今日、揶揄的に語られることの多い文学や革命といった主題に正面から挑み、多様な問題に論及しながら12世紀以降、さらには380万年後の未来までを射程に容れて論じる力技には恐れ入る。佐々木に関しては既に『夜戦と永遠』が刊行されており、本書はいわゆる論文という体裁をとっていないにせよ、人文書の分野で未知の新人の文章を読んでこれほどの感銘を受けたのは1998年に一巻の書としてまとめられた東浩紀の『存在論的、郵便的』以来である。本書を読むと、佐々木が寡作である理由も容易に理解できる。しかしそれでもなおもこの書き手の文章をなるべく多く、なるべく早く読みたいと願うのは私だけではないはずだ。

by gravity97 | 2011-05-17 21:05 | 批評理論 | Comments(1)

イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・クラウス 『アンフォルム』

b0138838_915444.jpg 待望久しい現代美術の理論書の翻訳が刊行された。いやむしろ反理論書と呼ぶべきであろうか。イヴ=アラン・ボワとロザリンド・クラウスによって執筆された『アンフォルム』である。難解であるが知的刺激に富み、現代美術に新たな射程を切り開く。
 本書は成立の事情と構成がきわめて独特であり、まずそれについて説明する必要があるだろう。『アンフォルム』は二つの底本をもつ。まず最初に本書はパリのポンピドー・センターで1996年5月21日から8月26日まで開催された展覧会「アンフォルム―使用法(l’informe mode d’emploi)」の際に展覧会カタログという形式で刊行された。ただし通常の展覧会カタログとは異なり、図版ではなく文章が中心の構成であり、後述するとおりアルファベット順に掲載された26のテーマについてボワとクラウスがテクストを執筆している。多数の図版が掲載されているが、大小はあるにせよ全て挿図というかたちをとり、カラーとモノクロが入り混じっており、初めから図版を見て楽しむという発想で編集されたカタログではない。しかも内容と関わる問題であるが、掲載された図版はピカソ、デュシャンからロバート・スミッソン、シンディ・シャーマンまで、時代、表現ともに雑然と混在する印象がある。巻末にチェックリストが付されているから、展覧会に出品された作品を同定することは可能であるが、チェックリストから図版を参照することは相当に困難である。(私はポンピドー・センターの出版物の多くに同じ欠点があるような気がするのだが、気のせいであろうか)展覧会を現地で見ることができなかったので、私は当時パリに留学していた友人にカタログを送るように依頼した。展覧会を見た友人は非常に面白かったという感想とともに会場で配布されていた〈Formless: A User’s guide〉というパンフレットも一緒に送ってくれた。
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なぜ会場で英語のパンフレットが配られていたのか、事情はよくわからないが、実はこの12頁のパンフレットこそ展覧会の内容を最もコンパクトにまとめており、企画の意図を知るうえで大きな助けとなった。それによればこの展覧会は前年に同じ会場で開かれたロバート・モリスの回顧展(この展覧会は私も見た)に連なり、展覧会カタログに寄せたクラウスのテクスト、そこで論じられたモリスによるポロック解釈を出発点としている。モリスのポロック解釈とは「水平性 horizontality」と深く関わっており、「水平性」とはクレメント・グリーンバーグによって確立され、一般にフォーマリズムという名で流布するドクトリンに対して根底的な批判を構成する。このパンフレットの中では具体的にグリーンバーグの名を引用しつつ展覧会の批評的意図を説明するとともに、クラウスとボワによってさらに三つの鍵概念が加えられたことが報告される。それらはパンフレットで紹介される順に「パルス pulse」「低級唯物論 base materialism」「エントロピー entropy」である。この英文パンフレットではそれらの概念が図版とともに簡単に説明され(なんとポロックと白髪一雄の作品が並列して紹介されている)、最後の頁にはフロア・プランまで付されている。それによれば展示もこの順に構成され、展示面積としては「水平性」と「エントロピー」のセクションが広かったようである。
 私の知る限り、開催された時点において、日本ではこの展覧会のレヴューはおろか、紹介された形跡さえない。私は95年にある展覧会の準備のためにロスアンジェルスに滞在していた折、アメリカの美術関係者からクラウスとボワが画期的な展覧会を準備中であると聞いてこの展覧会について知ったことを覚えている。実際にアメリカの美術批評界の反応は早く、批評誌『オクトーバー』が同じ年の秋号で特集を組み、ポンピドー・センターのカタログの巻頭と巻末に置かれたクラウスの「アンフォルムの使用価値」、ボワの「アンフォルムの運命」という二つの論文といくつかの項目を訳出している。もっともクラウスとボワはともにこの雑誌のエディターに名を連ねているから特に驚くには値しない。訳出という言葉を用いたが、二人とも英仏二ヶ国語に通じているから、最初の原稿がどちらの言語で執筆されたか確定することは難しい。ひとまず私は『オクトーバー』に収められた文章を読んでクラウスらの主張を理解しようと試みたことを覚えている。翌97年、『アンフォルム』の英語版となる『フォームレス FORMLESS A User’s Guide』がニューヨークのゾーンブックスから刊行された。今回の日本語訳の翻訳者あとがきによれば、今回の翻訳では仏語版も参照しつつ、「原著者たちが決定版とみなす」英語版を底本として用いたとのことである。両者の異同についてはあとがきと註記の中で詳細に説明されているので参照されたいが、基本的に異同は形式的な面にとどまり、内容的には同一である。
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 書誌的事項について縷述したが、理由があってのことである。アンフォルム/フォームレスが二つの言語を媒介しつつ成立していることは、その内容と深く関わっている。本書がグリーンバーグのモダニズム/フォーマリズムへの批判ないし対案を構成しているとするならば、当然ながらその内容は第二次大戦後の美術を主導したアメリカの現代美術を相対化するという問題と関わっているはずだ。端的に言ってそれはアメリカとフランスという二国間の文化的パワーゲームの最新ヴァージョンであり、このために召還された思想家はジョルジュ・バタイユであった。アンフォルムという概念はバタイユ自らが編集した雑誌『ドキュマン』に書きつけた短いフレーズに端を発している。そこでバタイユは蜘蛛やみみずのように貶められ、形をもたず、何にも類似しない言葉の働きとして「アンフォルム」を事挙げる。日本語に訳しにくい概念であるが、本書で訳者たちは「無形」という訳語を与えている。これまで「不定形」と訳されることが多かったが、あえて新しい言葉を採用した理由としては微妙なニュアンスの問題とともに、アンフォルムという言葉がクラウスとボワが一貫して否定し、「不定形」の訳語が与えられたアンフォルメルという美術運動と近似した語感を与えるという理由があるだろう。ミシェル・タピエ、あるいはジャン・ポーランらが唱導するアンフォルメルとアメリカの抽象表現主義の確執を想起するならば、先に述べたとおり、本書は大西洋を隔てた美術の覇権争いをいわば無意識のうちに反映しているようにも感じられる。
 内容について触れよう。本書を手に取った読者が何よりも異様に感じるのは、本書が通常の研究や論文の体裁を大きくはずれたABC順の事典という構成に基づいていることである。冒頭の「低級唯物論」のセクションに掲げられた項目は、Abattoir、Base materialism、Cadaver、Dialectic、Entropy、Figure、それぞれ日本語に直すならば、屠殺場、低級唯物論、死骸、弁証法、エントロピー、形象である。事典であるから当然とはいえ、相互に無関係な項目が羅列されている。また四つのセクションの最後を画するエントロピーという語がこのセクションで既に項目として与えられている点も奇妙である。このブログでも言及したことがある「シナの百科事典」のようではないか。しかし通読するならば、これら六つのばらばらな項目を通して次第に「低級唯物論」という全体のテーマが浮かび上がってくることがわかる。ちなみ先に述べたように展覧会の構成としては「水平性」が最初に置かれたが、テクストは英語版、仏語版ともに「低級唯物論」「水平性」「パルス」「エントロピー」の順に構成されている。項目の選択にも一貫性はなく、中には「カバの発汗」や「非常に遅い」といったそもそも事典の項目として存在することすら怪しい項目も設定されているが、読み進めるうちに四つのテーマに従って20世紀美術が新しい視野のもとに再編成されことが理解される。きわめて特異で挑発的な構成をとりながらも、二人の執筆者の目的意識は明確である。例えばラウシェンバーグの「ダート・ペインティング」、ポロックのドリップ絵画、ジャコメッティの《宙吊りの球》、ロバート・スミッソンの《螺旋形の突堤》。フォーマリズムの立場からは意味を見出すことさえ困難なこれらの作品はいずれもアンフォルムの四つのテーマと密接に結びついている。ごく簡単にこれらのテーマがいかにしてグリーンバーグ的フォーマリズムを相対化するかを説明しておこう。まず低級唯物論とは視覚的で概念的なフォーマリズムに対して、屠殺場の情景や糞便といった生々しくグロテスクなイメージを喚起し、観念論にフェティシズムで抵抗する。解体された動物の脚や毛皮を撮影したエリ・ロタールの写真がかつて『ドキュマン』にも掲載されたことからわかるとおり、かかる退行とイエラルシーの解体はバタイユが得意とした戦略である。水平性は主としてポロックのドリップ絵画に対するモリス、ウォーホルらによる再解釈の過程でもたらされた。視覚性が人の直立する身体に対して最も受け入れやすいのは垂直の位置に置かれた場合である。制作される過程では水平に置かれた画面を壁面に垂直に据えることによって物体は絵画へと昇華した。これに対して水平性を強調することでここでもイエラルシーの解体が図られる。パルスとエントロピーはいずれも時間と関わる。グリーンバーグはモダニズム絵画における平面化の進行を指摘する一方で、作品の享受に関しては瞬時に全体が把握されることを理想とした。これに対し、パルスとエントロピーにおいては時間性がフォルムを破壊する。いずれの場合もアンフォルムは存在から「数学的なフロックコート」を剥ぎ取り、それが蜘蛛や痰のように何にも類似していないことを明らかにするのである。
 ここで開陳される議論は私にとって全てが目新しいという訳ではなかった。特にクラウスが1993年に発表した『視覚的無意識』(この研究がいまだに部分訳しか存在しないことはきわめて遺憾に感じられる)とこれに遡って88年に発表されたハル・フォスター編集の『視覚と視覚性』に収められた論文においては平面性とパルスの問題が本書の議論をほぼ先取りするかたちで提起されている。また低級唯物論に関してもクラウスのラウシェンバーグ論、ボワのフォンタナ論の中に関連する議論があったように記憶する。これらの問題はおそらく1990年代前半に『オクトーバー』誌を接点とする彼らの活動の中で次第に共通する焦点を結び、ついにこのような形で結実したといえるだろう。実際にはクラウスとボワは20世紀美術の様々な領域から多くの作家、作品を召喚し、フロイトからブルトン、ラカン、デリダまで多様な思想家を援用しながら議論を進める。いくつかの項目はことに難解で、例えば「ゲシュタルト」「等方性」といった項目について、私は正直言ってほとんど理解できない。しかし全幅の理解からは遠くとも、本書からは一つのモデルを介して20世紀美術を読み替えようとする壮大な野心が伝わってくる。そしてさらに重要な点はクラウスとボワがこのような読み替えを展覧会というかたちを通して世に問うたことである。
 展覧会の内容については実見していないからコメントできない。またポンピドー・センターという強力な機関の全面的支援があったからこそこのような野心的な試みが可能であったことは間違いない。しかしひるがえって私は、「アンフォルム」は展覧会という営みに対しても大きな刺激を与えたのではないかと考える。つまりこの展覧会では通常では考えられない基準によって作品が選択され、ありえない作品の配置によって文脈が与えられているのだ。例えばフォンタナにおいてはスリット絵画ではなく、初期の糞便を連想させる彫刻、ヴォルスにおいては絵画ではなく写真、ウォーホルにおいてはシルクスクリーンではなく「ダンス・ダイヤグラム」。これまで周縁的もしくは例外的とみなされた作品によって作家と美術史に新たな関係が結ばれ、(何度も述べるとおり、展示を実見していないから実際に並べられていたという意味ではなく、同じセクションに置かれるという意味においてであるが)ポロックと白髪一雄、あるいはデュシャンの「ロト・レリーフ」とジャコメッティの彫刻が作家の国籍や作品のジャンルといった枠組から解放されて併置されるのである。展覧会とは端的に作品の選択と配置であるが、企画者の批評性が問われるかかるテマティックな展覧会ではまさにこの二つが展示の成否に関わる。「アンフォルム」はクラウスとボワという傑出した批評家とポンピドー・センターの圧倒的なコレクションによって初めて可能とされた異例の展覧会であった。そしてこの「展覧会カタログ」を通読する時、展覧会という制度が本質においてきわめて創造的、批評的な営みであることをあらためて理解することができるだろう。日本語訳の刊行が遅すぎた印象は否めないが、その分、翻訳は行き届いており、丁寧な訳注が理解を深める一助となる。何よりも本書の問題意識を十分に理解したうえで翻訳がなされている印象が強い。
最後に一点、今後考えてみたい問題について触れておく。実はバタイユの再評価はクラウスとボワだけではなく、1995年にジョルジュ・ディディ=ユベルマンが発表した『アンフォルムな類似』が先行している。しかし本書においてボワらはディディ=ユベルマンの立場を全面的に否定している。(特に「形象」の項目)実は「アンフォルム」はポンピドー・センターの「訴訟手続 Procédures」というシリーズの最初の企画にあたるが、この企画は翌97年にディディ=ユベルマンが企画した「刻印 L’empreinte」の後、中絶しているという。私は以前より、アナクロニスムという独特の手法を用いて現代美術に新しい光を当てるディディ=ユベルマンとクラウスやボワの仕事がどのような関係にあるか、関心を抱いていた。バタイユの評価に限らず、今後この問題について考えるうえでも彼らの著作が本書のような適切な翻訳者を介して次々に日本語として紹介されることを切に期待する。

 なお、本ブログではこれまでイヴ=アラン・ボアという表記を用いていたが、今回のみ翻訳に合わせてイヴ=アラン・ボワという表記を用いることとする

by gravity97 | 2011-02-13 09:09 | 批評理論 | Comments(0)

岡田温司『半透明の美学』

b0138838_2215672.jpg 思想家であればラカン、ジョルジョ・アガンベンからジョナサン・クレーリー、概念としては無意識や生政治(ビオス)、注意(アテンション)。岡田温司の著作はルネッサンスから現代美術にいたる様々な美術の営みを、多く美術史の外部で提起された人文学の新知見に基づいて分析する犀利さが持ち味といえよう。今回、本書で扱われるテーマはタイトルからうかがえるとおり「半透明」である。
 美術における半透明という言葉から一つの問題系を連想することはさほど難しくない。透明と不透明という対比を措定するがよかろう。ルネッサンスからデカルト的合理主義にいたる系譜が透明性に価値を見出したのに対して、モダニズム美術においてはメディウムの特性、絵画においては表面の物質性、不透明性が強調された。この点は写真のごとき澄明な視界が開ける近世の風景画とクリフォード・スティルの視線をはねつける画面を比較するならば、端的に了解される。このディコトミーの間にあえて半透明という第三項を提示する時、本書の批評的な位置は自ずから明らかである。
 最初の章を岡田はロザリンド・クラウスとイヴ=アラン・ボアによって提起されたアンフォルムという概念から説き起こす。アンフォルムとは彼らが1996年にポンピドーセンターで企画した名高い展覧会の名でもある。翻訳が完了したとは聞くがいつまでも刊行されないカタログの日本語訳も待たれるところであるが、確かに合理主義とモダニズム、共に距離をとる「半透明」という概念を説くにあたってアンフォルムは適切な出発点である。なぜなら「不本意のモダニズム」というサブタイトルが冠せられたこの展覧会は本質においてモダニズム美術への批判であり、同時にアンフォルムという概念をバタイユから得ている点から明らかなとおり、西欧の合理主義への対案を示すものでもあるからだ。続いて岡田は絵画の起源として影と痕跡と鏡像を挙げ、いずれも媒介性、半透明性と関係がある点を指摘する。巧妙な導入であり、引き続き絵画の問題が扱われることが予想されるのだが、次章で岡田は突如アリストテレスの「ディアファーネス」という概念を導入して議論の方向を変える。私の印象としては本書の奇数章はきわめて具体的で示唆に富むが、偶数章は問題が抽象化され、それぞれの思想家に通暁した者でなければ議論を追うことが難しい。すなわち第2章においてはアリストテレスからアヴェロエス、ロジャー・ベーコン、ダンテといった古代から中世、ルネッサンスにいたる哲学者や作家が論じられ、第4章においてはメルロ=ポンティ、ドゥルーズ、ジャンケレヴィッチそしてデュシャンという20世紀の思想家や作家について言及される。岡田によれば彼らが提起する議論はいずれも半透明の美学と深く関連しており、従来の芸術観を乗り越える可能性を宿している。アリストテレスやアヴェロエスといった古典的な哲学者についいて私は全く無知であり、正直に言って第2章に関してはほとんど理解できない。おそらく多くの読者にとっても読み解くことは難しいのではなかろうか。「半透明」という問題系を歴史的に遡行する岡田の意図は理解できるが、それは視覚的な問題と関わっているはずであるから、聖書やダンテの著作と関連づけて論じられても判然としない印象を受けるのである。第4章においては半透明が今述べた四人、メルロ=ポンティ、ドゥルーズ、ジャンケレヴィッチ、デュシャンという(ジャンケレヴィッチを除いて)比較的知られた思想家と作家によって提起された「肉」、「クリスタル-イメージ」、「何だかわからないもの」、「極薄(アンフラマンス)」という四つの概念と結びつけられて論じられる。ここでもセザンヌの絵画やネオ・レアリズモの映画と関連づけて論じられるメルロ=ポンティやドゥルーズについての記述は比較的わかりやすいが、ジャンケレヴィッチとデュシャンにおける半透明性の主張はやや強引に感じられる。「半透明」という主題に即しながらもドゥルーズのベーコン論ではなく「シネマ」への思いがけない跳躍、あるいはジャンケレヴィッチに関してこれもまた思いがけない『失われた時を求めて』中の《デルフトの眺望》の挿話への言及など、話題としては個人的にさらに深めたい問題もあるのだが、この章をとおして必ずしも岡田のいう「半透明の星座(コンステレーション)」が明らかになったようには感じられないのだ。
 本書の読みどころは「半透明のイコノグラフィー」と題された第3章であろう。ここで岡田は灰色、埃、ヴェールという三つの概念を手がかりに具体的な作品をとおして「半透明」という概念の射程を検討する。ゲルハルト・リヒターに始まり、パウル・クレー、フランシス・ベーコン、ジャコメッティからモランディ、そしてデュシャンの作品が俎上に上げられる一方で、ドラクロア、スーラ、コレッジョからレオナルドといった画家の作品も参照される。ディディ=ユベルマンがいう「アナクロニズム」を例証するかのように時代も表現も異なる作家たちが一つの主題のもとに次々に召還される議論は刺激的である。古典的絵画の範例としての透明な絵画とも、モダニズム絵画の理念である不透明の絵画とも異なった不透明な絵画の系譜はきわめて独特である。例えばリヒター、ベーコン、モランディの三人の名を挙げてみるがよい、いずれも全く共通点がなく、一筋縄ではいかぬ作家たちでありながら、20世紀絵画の本質を体現しているとはいえないか。
 半透明という問題に関して、本書においてはアリストテレスからデュシャンまで、体系的な記述が試みられているが、私の感想としてはむしろ思想家、作家に即して個別に検討した方が問題の輪郭が明らかとなったのではなかろうか。ここで示唆された問題から私はいくつもの関連する具体的な作品を連想することができる。例えば文中でも言及があるとおり、ゲルハルト・リヒターの場合、半透明という主題に連なる一連のグレイ・ペインティング以上に興味深い作例として巨大な鏡のごとき表面をもった絵画が存在する。DIAビーコンで見る者の姿を鈍く反映するこれらの作品の前に立ち、私は非常な衝撃を覚えた。鏡とも物質ともつかないこのような表面は少なくとも絵画のそれとしては類例がない。いうまでもなくそこには鏡像の問題も介入する。あるいはポロックのポアリング絵画についてそれがイメージを誇示/隠匿することによって成立すると考えるならば(この理解の妥当性については大いに議論の余地があるにせよ)、ここにも半透明という概念を適用することができないだろうか。この時、半透明性は痕跡性と深く結びつくはずである。あるいは半透明性とは文字通りモーリス・ルイスのヴェイル絵画とも親和的な概念であり、ルイスの絵画の「視覚性」「平面性」に疑問を投げかける。ここで鏡像や痕跡という言葉を用いたことには意味がある。本書の中で同じ著者による、本書と対をなす『絵画の根源へ―影・痕跡・鏡像』という研究が近く上梓されることが予告されている。半透明という問題は聖書から映画まで射程が広いが、むしろ対象を限定した方が深い分析が可能となるはずだ。そしておそらくそれは絵画という場において最も多産な概念ではないだろうか。タイトルにある影、痕跡、鏡像はこれまでの岡田の著作の中で何度も論じられてきた主題であり、予告される新著が大いに期待されるゆえんである。そしてその前哨という意味において、さらに内容の深さにおいて本書もまた繰り返して読むに値する。

27/01/11追記
本文中で言及のある『アンフォルム』の翻訳はごく最近刊行され、私も本日入手した。この画期的な「事典」についてはこのブログで近くレビューすることとなるだろう。

by gravity97 | 2011-01-20 22:15 | 批評理論 | Comments(0)

岡真理『アラブ、祈りとしての文学』

b0138838_11141238.jpg 昨年暮れより暗然たる思いにとらわれたのはイスラエルによるガザ侵攻によってもたらされた惨禍の報道である。しかし新聞、そしてTV報道の鈍感さを見るがよい。1000人を超す市民が虐殺されているにも関わらず、それをなんの痛痒ともとらえず、ステレオタイプの映像とコメントで一括するこの国のジャーナリズムの退廃に対してさらに言い知れぬ疲弊感を覚える。本書のあとがきは2008年11月の年記をもつ。それから一月も経たぬうちにかかる大虐殺が引き起こされるとは著者も予想しなかったことだろう。
 岡真理はアラブ文学を専攻する女性研究者である。私はこれまでに何冊か彼女の著作を読んだが、それらと比較しても本書は読みやすく、しかも提起する問題は深く重い。アドルノはアウシュヴィッツの後で詩を問い、サルトルはアフリカの飢えた子供の前で小説の意味を問うた。今日、パレスティナの状況を知るにつけ、著者の中で同じ問いが生まれたことに何の不思議もない。本書で言及される小説のほとんどは私が始めて知る作家、作品であったが、苛酷な現実に対してアラブではまさに今多くの文学者が言葉によって格闘していることを知り、あらためて蒙を啓かれる思いがした。
 スーザン・ソンタグを交えたシンポジウムについてのエピソードから語り始められた本書は直ちに9・11以後、さらに悪化するパレスティナ情勢についての暗澹たる報告を交えながら、そのような状況下での一つの希望としての読書、文学へと目を向ける。あまりにもナイーヴな発想と思われるかもしれないが、ガッサーン・カナファーニー、イブラーヒーム・ナスラッラーあるいはユースフ・イドリースといった作家の作品の綿密な分析を介して進められる岡の検証はきわめて説得的である。
 読み進める中でいくつもの発見があった。アウシュヴィッツの地獄を経験した同じ民族が「民なき土地」にイスラエルを建国して、アウシュヴィッツの正確な反復のごとき難民キャンプと大虐殺を再現したことへの疑問は誰でも抱くが、これに対して岡はホロコーストを体験したにもかかわらずではなく、体験したがゆえに「人間とは決してこのように死んではならないという真理」に対する悪魔的なシニシズムをイスラエルという国家が内在化するにいたったのではないかと述べる。この指摘は卓見であり、死者を数値化することによってこのような悲劇を相対化する風潮に対しての批判もきわめて正当である。あるいはホロコーストに比べてナクバ(イスラエル軍によるパレティナ人の強制追放)に関して、徹底的にイメージが欠落しているという指摘は、本書の主題とされる文学という営みとは別に、まさに「すべてに抗う malgré tout」根拠としてのイメージの可能性を示唆するものであり、視覚芸術の領域で真摯に考察されるべき主題であろう。この問題はさらにユダヤ系資本が支配するという欧米の文化産業への批判へと展開することもできる。あるいはユースフ・イドリースというエジプト人作家の「黒い警官」という小説をとおして語られる、それを経験することによって被害者の人間性が根本から破壊されてしまうような暴力についても、私たちは今日いくつもその類例を挙げることができる。暴力を介して加害者ではなく被害者の人間性が毀損されるという逆説は既に絶滅収容所において検証したとおりであるが、イドリースの作品においてはこの問題が植民地という主題と関連して前景化される。
 本書に触発された感想を思いつくままに列挙したが、かくのごとく本書は多様な論点を提起する。一方で岡は一つの言表が誰によってなされかたという点に拘泥する。パレスティナの表象に関しては、発話者の性差、階級、宗教、人種によってその表象の内容も大きく規定される。とりわけアラブ社会の女性は存在自体が既に二重の負性を負っており、岡が女性作家や女性の主人公を意図的に取り上げることはこの問題と密接に関連している。表象という行為に内在する政治性についての認識がサイードの『オリエンタリズム』に由来することは言をまたない。しかしこのような関係性が一定でない点も近年の文化研究が明らかにした点である。被抑圧者が抑圧者に転じる場合もあれば、同一の主体がいくつもの国家や階級に所属することもありうる。支配と被支配の関係がねじれたまま渦巻き、難民やサバルタン、植民地と越境といった主題に事欠かぬアラブ文学がこれらの問題を考察するうえできわめて有効であることもまた明らかであろう。
最後の章で岡は他者の表象という問題に深く切り込む。果たして私たちは他者を表象することができるか。私はかねてからこの問いに対して否定的な見解を抱いていた。当事者でない自分が例えば難民を、サバルタンを、虐殺される市民を表象することができると考えるのはあまりにも傲慢ではないか。1982年にベイルート郊外のシャティーラというキャンプで2000人以上のパレスティナ難民の虐殺事件が発生する。これに取材したジャン・ジュネのルポルタージュ「シャティーラの四時間」を一人芝居として演ずるためにカトリーヌというフランス人女優が現地を訪れる。しかし事件の生々しさに触れて、カトリーヌは現地を案内してくれた看護士に対してそれを演じることができないと言う。これは本書の中で言及されるレバノンのエリヤース・ホーリーという作家の小説『太陽の門』の中のエピソードである。これに対して岡はカトリーヌがそれを演じるべきではなかったかと問う。このような問いかけをなすにあたって第二次大戦中の日本軍における戦時性暴力や済州島蜂起が参照されることからも理解されるとおり、岡にとって「他者の表象」という問題はパレスティナに限定される訳ではない。圧倒的な悲劇に対して「そこにいない者、いなかった者たち」によって書かれるべき「祈りとしての文学」。岡が示すのは他者の表象が不在によってこそ保証されるという一見転倒した、しかしながら透徹した認識である。この見解の当否についてはなおも議論の余地はある。しかし私は本書を読んだことによって「表象の不可能性」を揚言して状況に目を閉ざすペシミズムから身を翻す可能性をかいまみたように感じた。もちろん「祈り」が文学の目的の全てではないし、むしろ私は文学とは本質において快楽とこそ関わるべきであると感じる。しかしこの殺伐とした世界を見渡す時、私たちはなおも「祈りとしての文学」を必要としている。それもきわめて切実に。アウシュヴィッツ、シャティーラそしてガザ。文学を主たるテーマの一つとしたこのブログであえて苛酷な主題を取り上げるゆえんである。

by gravity97 | 2009-02-08 11:18 | 批評理論 | Comments(0)

エドワード・サイード『晩年のスタイル』

 ベートーヴェン、リヒャルト・シュトラウス、ジャン・ジュネ、グレン・グールドあるいはルキノ・ヴィスコンティ。一見脈絡のないこれらの作曲家や作家、演奏家や映画監督の創造の秘密をエドワード・サイードは「晩年性 lateness」という概念で分析する。自らの晩年に執筆された晩年についての研究。
 「晩年」とは本来矛盾を孕んだ概念である。死は唐突に訪れる。人は人の晩年を事後的に規定することはできても、よほど高齢の者でない限り、自らの生のある時期が晩年に属しているか否かを判断することはできない。数少ない例外は余命を告げられるほどの重病を患い、しかも病状の進行が比較的緩やかである場合であろう。91年に白血病の宣告を受け、2003年に没したサイードが最後の著作のテーマとしてかかる主題を選んだことは一種の必然性があったように感じられる。サイード夫人によるまえがきを参照するならば、厳密にはサイードはこの本の完成作業中に他界したということであるが、七編の論考はよく練られており最終稿といってよい。もし本人に心残りがあるとすれば、マイケル・ウッドが寄せた序を自らが執筆することであっただろう。美術では絶筆という言葉があり、人生の最後に手がけた作品から往々にして残酷にも作家の体力の衰えが露呈されるのに対して、『晩年のスタイル』の完成度はみごとであり、いかにもサイードらしい。私は作家の境遇と作品の質は無関係であると考えているが、それにも関わらずこの本が闘病中に執筆されたという事実を知る時、サイードの多くの著作がそうであるようにあらためて知的に鼓舞される思いがする。
 最初に述べたとおり、論文の内容は多岐にわたり、その全幅について論じることは私の能力をはるかに超えている。多くの論文の主題は音楽とオペラであり、指揮者のダニエル・バレンボイムと共著を著し、自らもピアノに向かうサイードに比べて、私にはこのような素養が全く欠けている。「知識人とは何か」を参照するまでもなく、私自身は知識人から程遠い身であるが、「今日の文学的知識人や全般的知識人は、芸術としての音楽にについて実践的な知識をほとんどもっていないし、楽器を演奏した経験、あるいはソルフェージュや音楽理論を勉強した経験もほとんどもっていないし、著名人のレコードを購入したり収集する以外は現実の音楽実践についてのまとまったリテラシーも当然のごとく身につけていない」というサイードの指摘は正当であろうし、それゆえ本書では多くの読み手にとっていささか手ごわい主題が扱われている。しかしながら優れた批評の常として、必ずしも全ての内容が理解できずとも、音楽についての実践的知識をもたずとも、通読する中で自分なりにいくつもの問題意識が触発される。
 「晩年のスタイル」とはアドルノがベートーヴェンについて用いた用語であり、サイードもアドルノに依拠しながら「晩年性」についての思索を深めていく。エウリピデスからプルーストまで、様々な作品や文献を渉猟しながら、主題の周囲を旋回するサイードの文章はいつもながらに優雅であり、思いがけない飛躍や彼らしい自由な発想に満ちている。比較的私が理解しやすかったのはジャン・ジュネとルキノ・ヴィスコンティについて論じた二つの論文であるが、あえて議論を一般化、単純化するならば、サイードがそれぞれの章を割いて論じる芸術家の「晩年のスタイル」に共通するのは、円熟や老成といった境涯を否定するかのように晩年にあってスタイルを変えることを恐れず、時にそれまで営々と築いた成果を破壊してまでも新たな挑戦を続ける姿勢である。ベートーヴェンの「晩年」の作品にしばしば浴びせられた「未完成」という批評やジュネがその「晩年」にパレスチナ問題に関わったことはこのような問題と深く関わっている。様々なジャンルを横断して議論が進められることからも推測されるとおり、「晩年性」という問題は芸術全般に対して普遍的な射程をもっている。そしてこの主題をさらに発展させるうえで、音楽に造詣の深いサイードが美術に関して同様の関心と知識をもたなかった点は私には少々残念に思われる。一つの作品を制作するために比較的長い時間を必要とし、同時的に並行していくつもの実験を重ねることが困難な音楽や文学に比べて、美術の領域こそ様々な「晩年性」が発揮できると考えるからだ。マティスの切絵、ポロックのブラック・ペインティング、あるいは80年代のデ・クーニング、すぐさま様々な「晩年性」の発露を想起することができるし、私は実際にこれらの作品を本書から得た「晩年性」という概念を用いて分析したいという強い誘惑に駆られる。
 しかし優れた作家であっても常に「晩年性」の女神が微笑む訳ではない。むしろ多くの作家は円熟の名を借りた反復と滞留の中で晩年を過ごすのではなかろうか。今、私の手元には奇しくも『晩年のスタイル』が刊行された同じ2006年のロンドンで初演されたスティーヴ・ライヒの[ダニエル・ヴァリエーションズ]がある。「テロリスト」に誘拐、殺害されたジャーナリストの遺言と旧約聖書のダニエル書というテクストをライヒが自家薬籠中の物として編成した楽曲からは確かに「円熟した」ライヒを聴くことができる。ただ、そこに例えば[スリー・テイルズ]との積極的な差異が認められるだろうか。私はこの曲を決して悪いとは思わない。しかしそこに「晩年性」ではなく、「反復性」が感じ取れることは皮肉であろうか。かつては過激な実験を繰り返したライヒが、「武満徹作曲賞審査員」としてこの曲を日本初演したことに私はやや苦い感慨を覚える。
 b0138838_9283042.jpg最後に一言。本書の中で多くの芸術家の名前が引用されるが、最後の論文で思いがけず懐かしい名前に出会った。アレクサンドリアのコンスタンディノス・カヴァフィスという詩人である。生涯に154編の詩だけを残したギリシア人の名はダレルの『アレキサンドリア・カルテット』の中で何度も言及されて見覚えがあった。註を参照すると、カヴァフィスの詩集は近年日本語でも出版されたらしい。翻訳者を知って驚く。果たして中井久夫とは『記憶の肖像』で知られる精神分析医であろうか。

by gravity97 | 2008-09-08 09:29 | 批評理論 | Comments(1)

四方田犬彦『クリティック』

このブログを立ち上げるにあたって、「ネームカード」なる設定を求められ、いくつか自己言及的な言葉を入力してみたがいずれも既に登録されていたため、ひとまず「クリティック」を名乗ることとした。「クリティック」とは四方田犬彦が1984年に著した論文集のタイトルでもある。
80年代初頭、『GS』という伝説的な雑誌の創刊に関わり、浅田彰、中沢新一らとともに「ニュー・アカデミズム」と総称された批評家たちの中にあって、四方田は今日にいたるまで精力的かつ多岐にわたる著作の発表を続けている。ヌードのピンナップから漫画、香水にいたる多様な主題を扱った本書はその後の四方田の活動を予示するかのようである。
『構造と力』、『チベットのモーツァルト』といった当時話題となった著作と比べても、私が本書に深く共感したのは、多様な話題を扱いながら多くの論文が記号論の磁場の中にあったからである。当時、私は丸山圭三郎のソシュール研究に導かれ、記号論が切り開く、驚くべき視界に魅惑されていた。
何人かの先達、とりわけロラン・バルトの影響があからさまであるとはいえ、日本において多様な文化的表象を記号論的な観点からかくも犀利に分析する、見知らぬ若手の批評家が登場したことに私は強い衝撃を受けた。四方田の批評については今後もこのブログの中で論じることとなろうが、本書は「ニュー・アカデミズム」の出発点として私の中で今なお新鮮な印象を与える。
それから20年以上が経過した昨年、四方田は師であった由良君美へ対する敬意と哀切に満ちた回想『先生とわたし』を発表した。この中で、私はこの著作が由良によって「全てデタラメ」と否定されたという事実を知る。四方田の出発点は師弟関係の終焉でもあった。
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by gravity97 | 2008-04-17 09:29 | 批評理論 | Comments(0)