カテゴリ:日本文学( 25 )

村上春樹 川上未映子 『みみずくは黄昏に飛びたつ』

b0138838_20425452.jpg


 帯に記された「ただのインタビューではあらない」という惹句に思わず笑う。『騎士団長殺し』を多くの読者が読み終えた時期という刊行のタイミングはあざといが、川上未映子をインタビュアーとした村上春樹のインタビューは抜群に面白い。既にこのブログでも松家仁之による「考える人」誌上のロング・インタビュー、そして村上自身による「職業としての小説家」という二つの関連する記事やエッセイを取り上げているが、今回も先日刊行された「騎士団長殺し」の創作秘話を含めたこのインタビューについて論じておきたい。

 本書は四章で構成され、いずれも川上から村上へのインタビューというかたちをとっているが、最初の一章のみ2015年に柴田元幸が自ら編集する「MONKEY」誌のために依頼されたものであり、残り三章は「騎士団長殺し」を脱稿後、おそらく最初の読者の一人としてゲラを読んだ川上によって今年の一月から二月にかけて集中的になされたインタビューの記録だ。したがって後の三章においては「騎士団長殺し」についてしばしば言及されるが、川上の関心は個々の作品以上に小説家としての村上にあるから、四つの章は続けて採録されたといっても異和感がないほどなめらかに連続している。「考える人」のインタビューが小説家というより編集者によるそれであったのに対し、かつて村上の朗読会にも参加し、作家である川上による問いかけは同業者としての鋭さ、共感やユーモラスな感覚があって、読んでいてなかなか楽しい。

b0138838_20501433.jpg


 「騎士団長殺し」についてはすでに新聞等で多くの書評、文芸誌で多くの研究が発表されているが、私が読んだ限り特に感心する批評はなかった。おそらくその理由はほとんどの批評がこの長編の内容的な側面ばかりに注目するからであろう。この作品に限らず、村上の作品は精神分析的な読解を受け入れやすい。「騎士団長殺し」にもユング的な元型や穴=井戸といったモティーフ、あるいはフロイト的なファミリーロマンスの反映を確認することは私でさえ可能だ。川上のインタビューからはかかる事後的な確認ではなく、小説が今駆動しているというドライブ感をうかがうことができるように感じる。例えば村上は第二章の冒頭で「騎士団長殺し」という長編が生まれた契機について次のように説く。

「騎士団長殺し」っていう言葉が突然頭に浮かんだんです。ある日ふと。「『騎士団長殺し』というタイトルの小説を書かなくちゃ」と。なんでそんなこと思ったのか全然思い出せないんだけど、そういうのって突然浮かぶんです。どこか見えないところで雲が生まれるみたいに。

 このコメントは実に興味深い。村上と比べるのはおこがましいことを十分に承知しているが、私も展覧会を構想するにあたってしばしばタイトルから入る。そして村上によればさらに二つの要素が「騎士団長殺し」を書き始める際には導き手となったという。一つは物語の中で言及される上田秋成の「二世の縁」という先行するテクスト、もう一つは以前から書き留めておいた「その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの山の上に住んでいた」で始まる小説の冒頭の文章である。それぞれレヴェルの異なる三つの要素から長編が成立する様子を村上は「三人の友達がどこかで偶然一堂に会する、みたいな感じ」と表現している。さらにそこにいたるまでに数年の時間が必要であり、長編小説はほとんど待つ作業であるとまで言い切る。私の場合も数年の間隔を空けてタイトルが到来すると展覧会の内容はかなり具体的に決まる。冒頭の一文にあたるのは具体的な作品であろうし、「二世の縁」にあたるのは先行する展覧会であろうか、かなり強引な対比であるが、村上の創作の秘密と自分の仕事の共通点に思い当たったことは私としては嬉しい驚きであった。

先行する第一章では人称の問題が語られる。周知のごとく「騎士団長殺し」では「私」という一人称が使用される。一人称と三人称の相違についての説明も興味深い。村上によれば「海辺のカフカ」では可能な一人称と三人称の併用は「1Q84」のごとき込み入った内容の小説においては不可能であったという。さらに人称の選択は作家にとって一つの縛りであり、逆にこのような縛りから自由が広がるという。一人称でも「僕」と「私」では印象が大きく異なる。今回、村上の長編において初めて「私」という人称が導入されたことは、村上の加齢によるところが大きいという。同様に三人称の場合、名前の選択も意味をもつ。「1Q84」においては「青豆」という主人公の名前が「突然頭に浮かんだ」ことによって話が進み出したという言葉がある。「騎士団長殺し」ではいうまでもなく「免色」という固有名がそれにあたるだろう。「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を連想させるこの名前は、一種得体の知れない紳士の名前に実にふさわしい。私は人称や固有名詞といった形式的な側面からさらに村上の小説は分析されるべきだと考えるが、そのような研究は少ない。おそらく村上の物語が形式より内容、語られる物語をさらに深読みしたいという誘惑を誘い込むからであろう。実際に川上も「壁抜け」や「井戸」「地下室」といった村上的な主題性へすぐさま話題を転じ、プライベートな「二階」から日本の私小説が扱う「地下一階」、そして村上が主題とする地下の世界である「地下二階」までを図示した自筆のイラストさえも準備してインタビューに臨んでいる。「騎士団長殺し」では「顔なが」が住まう世界が地下二階に相当することは直ちに理解されるが、こういった解釈は「職業としての小説家」の中で河合隼雄などを引きながら何度も論じられた点であるから、私にはさほど面白くなかった。

 私は本書を読んで村上が小説を執筆するにあたってかなりシステマティックな手法を用いていることをあらためて思い知った。どんな日であって毎日午前中に10枚きっかり原稿を執筆するという創作の作法は「考える人」のインタビューにおいてすでに公言されていたが、「騎士団長殺し」に充てられた時間も確かにこのペースを反映しているという。さらに一度書いた原稿に推敲を重ね、第五稿の段階でUSBの状態で出版社の担当者に渡し、プリントアウトした第六稿がゲラとなるというきわめて具体的な説明も興味深かった。再び自分に引きつけてしまうが、最近私は翻訳の仕事に携わっている。私の場合も訳文に何度か推敲を重ね、基本的に第五稿を最終稿として提出している。五回を一つのサイクルとした理由や短編中編における推敲の数についても尋ねてみたい気がする。このような厳密さの一方で、村上によれば登場人物の挙措について作家はあらかじめ予想できないという。「ねじまき鳥クロニクル」と関連して村上は「僕の中から出てきたバットなんだから、これはもう、何かしら小説的な必然性を帯びてくれるだろうという信念がある」と述べる。精神分析的な文脈としても読み取られかねないコメントであり、ここにはシステムに支えられたオートマティズムとも呼ぶべき村上の小説技法の特色が凝縮されている気がする。この点は村上の小説が無意識と結びついていることを暗示しており、(心ならずもフロイト的な用語を用いてしまうが)小説の中に漂うアンキャニーな雰囲気の遠因を成しているだろう。無意識と対立するのはおそらくリアリズムだ。村上は「ノルウェイの森」について、「最初から最後まで、リアリズム文体でリアリズムの話を書くという個人的実験をやったわけです。で、『ああ、大丈夫、これでもう書ける』と思ったから、あとがすごくやりやすくなった。リアリズムの文章でリアリズムの長編を一冊書けたら、それもベストセラーが書けたら、もう怖いものなしです(笑)」と語り、「ねじまき鳥クロニクル」については「ある程度の精度を持つリアリズム文体の上に、物語の『ぶっ飛び性』を重ねると、ものすごく面白い効果が出るんだということが、そこであらためてわかったんです」と述べている。この二つの発言は村上の長編の見取り図としてわかりやすい。確かに村上の小説の中で「ノルウェイの森」の異質さは際立っているし、「ねじまき鳥クロニクル」以降の長編はリアリズムと幻想の絶妙な調和として成り立っており、「騎士団長殺し」もその例外ではない。「騎士団長殺し」について少し触れるならば、すでに多くの論者が指摘する通り、この長編はこれまでの村上の小説に用いられたモティーフのショーケースといった趣があり、安心して楽しめる。おそらく村上の小説を読んだことのない読者にとっては格好の導入であろうが、それを一種のマンネリズムととらえることもできよう。ここではこれ以上この長編について論じることは控えるが、「騎士団長殺し」を読んだ後、本書を読むならば作家と作品についての興味がさらに増すことは断言できよう。

 最初に述べたとおり、作家である川上がインタビュアーであるため、創作の機微に関わるエピソードや突っ込んだ質問もある。「騎士団長殺し」の第一部は「顕れるイデア篇」と題されているが、かかるタイトルにもかかわらず、村上がプラトンのイデア論について全く知らず、川上からイデアについての講釈を受ける箇所には思わず笑ってしまった。村上が過去に発表した作品についてほとんど思い入れがない点には川上ならずとも驚く。引用されていた文章がなかなか上手いと思って確認すると昔書いた自分の文章だったという回想にはさすがに川上も唖然として「村上さんって、いっそ物語が通過して出ていくための器官みたいな感じがしますよね」と答えているが、このコメントも先に述べた「システムに支えられたオートマティズム」という理解の傍らに置く時、含蓄に富む。さらに作家であり女性である川上でなければ問うことができない質問として「女性が性的な役割を担わされ過ぎていないか」というセクションの受け答えは興味深い。「物語とか、男性とか井戸とか、そういったものに対しては、ものすごく惜しみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない。女の人は、女の人自体として存在できない。(中略)いつも女性は男性である主人公の犠牲のようになってしまう傾向がある」という指摘は鋭い。フェミニズム批評においては川上が論じた問題はさらに精緻に分析することが可能であろうし、おそらく村上の小説におけるセックスに関わる描写は読者の反応を二分する。実際私も男女を問わず、性的な主題の扱いゆえに村上の小説を嫌う知人を何人か知っている。女性作家の面と向かっては答えにくい質問であるためか、村上の答えは珍しく歯切れが悪い。「よくわからないけれど」とか「たまたまのことじゃないかな」といった言いよどんだ返事がなされている。しかし川上も二の矢三の矢を継ぐことなく、いささか村上に遠慮した感じがある。私はフェミニズム的な読解が正義であるとも感じないので、必ずしも川上が代弁したような読みに与することはないが、このような会話の流れで「眠り」という、村上において女性が語り手となる最初の作品、私が愛好するまことにアンキャニーな短編が論及された点は嬉しかった。この作品は初めて「ニューヨーカー」に掲載された作品であり、村上を女性作家であると信じる人達からのファンレターに困惑したというエピソードも興味深い。

 まとまりのないレヴューとなり、論じ足りない点も多々あるが、本書は村上を愛読する読者にとっては絶好の入門といえよう。最後に私が本書を読んで一番心に残った言葉を記しておくことにする。「どうして読者がついてきてくれるかわかりますか」と逆に川上に問いかけた後、村上は次のように答える。「僕が小説を書き、読者がそれを読んでくれる。それが今のところ、信用取引として成り立っているからです。これまで僕が40年近く小説を書いてきて、決して読者を悪いようにはしなかったから」次のようにも言い換えている。「なんか変てこなものだけど、この人が悪いものじゃないと言うからには悪いものじゃないだろうと引き受ける、これが僕の言う信用取引な訳です」表現に関わる者、特に言葉の真の意味において前衛的な表現に関わる者にとってこの指摘は重みがある。文学のみならず美術、音楽そして批評、広い意味の作品は受容者が存在して初めて意味をもつ。このブログを始めて今年で9年になる。いくつかの理由によって私はこのブログを匿名で続けており、コメント等にも原則として返事することはないから、書き手である私は具体的な姿を欠いているにもかかわらず、毎日200人前後の読み手がサイトを訪れてくれることに私は励まされて更新を続けている。200人が多いか少ないかはわからないし、村上同様に私も読者の数自体にはほとんど関心がない。それなりの文化的リテラシーが必要なこれらのテクストを書くことと、読んでもらうことは文字り私とあなたの間の信用取引なのだ。願わくば今後もこのような信用に足るクオリティーを備えた批評的言説を書き継いでいきたいものである。

なお、御覧のとおりフォントのポイントがぐちゃぐちゃのきわめて見苦しい表記となっている。何度も記すとおりこれは先般のブログのフォーマットの強制的な変更以来のトラブルであり、責任は全面的にエキサイトの側にある。利用者として早急な改善を重ねて要求する。


by gravity97 | 2017-05-13 21:12 | 日本文学 | Comments(0)

中上健次 ふたたび、熊野へ

b0138838_12111327.jpg
 集英社のクオータリー、『kotoba』は時折、作家の特集を組む。以前も開高健の特集を興味深く読んだ記憶があるが、最新号では生誕70周年ということで中上健次が特集されている。このブログでも以前、17回忌の折りに『ユリイカ』で組まれた特集について論じたことがある。同じ作家の、それも作品ではなく雑誌による特集を二度にわたって評することはこのブログとしても異例ではあるが、中上はそれにふさわしい作家であろう。
 7年前の『ユリイカ』の特集がどちらかといえば作品主義で、それゆえ文学を主たる対象としていたのとは対照的に、今回の特集は中上という作家を中心に据えて、むしろジャンルを超えてこの作家を開いていく印象がある。それは時を経てこの作家が遺した作品の可能性が豊かな結実を生んだことを暗示しているかもしれない。いずれの文章もテーマを定めて比較的短いため、読みやすい。そして柄谷行人や浅田彰、あるいは渡部直巳といった中上特集の常連がほとんど寄稿していない点もこの特集の特徴だ。前回の『ユリイカ』の特集の中で渡部が熊野大学の運営を若手に譲ることを言明していたが、現実に中上の作品を批評する顔ぶれも世代交代している感触がある。実際に今回の特集においては奥泉光といとうせいこうの対談、中上と映画について論じた四方田犬彦のテクストを除いて(偶然ではあるが、この三名はこのブログで何度か論じた私のお気に入りの作家や批評家である)、執筆陣に既視感はない。それどころか、都はるみ、大澤真幸、町田康といった書き手は中上との関係が時に当然、時に不思議に感じられながらも新鮮である。中上は92年に没しているので、今回の特集は中上を実際に知る執筆者と中上以後に活動を始めた執筆者が混在している印象を与える。
 最初に中上の長女、中上紀の解説を付した略年譜が掲載されている。かなり簡略化され、多くの図版が付されているため、逆に長女の目を通した作家の生涯が手に取るように理解できる。あらためて通読し、作家の生涯の短さと活動の広がりを知る。中上は1992年に没した。私が最初に中上の小説、文春文庫版の『岬』を読んだのは1982年頃であったと記憶するから、私は10年ほど作家を意識しながら時代を共有した訳であるが、それにしても短すぎる。しかも初読で中上を理解することは難しい。おそらく中上の小説、特に初期作品を読んだ者であれば同じ感想を抱くであろうが、中上の初期の小説はなんともいえない晦渋さを秘めている。その後も折に触れて私は中上の小説を読んだが、今確認したところ、私が『地の果て、至上の時』を読んだのは新潮文庫に収録されたタイミング、1993年のはずだ。あらためて書庫に降りて私が所持する文庫本の奥付を確認するならば、私が『19歳の地図』から『奇蹟』、『讃歌』から『日輪の翼』にいたる代表作のほとんどを集中的に読み継いだのは1990年代前半という短い期間、つまり中上の死の前後であったことがわかる。今述べたとおり、私は必ずしも中上のよい読者ではなく、作家と同伴しているという意識もなかったから、文庫化された小説ばかりを読んだという事情はあろうが、このブログのBOOKSHELFの0013を参照していただけばわかるとおり、私は中上の小説をほとんど文庫本で読んでいる。これらに加えて、未完という理由で単行本として発表される可能性が低かった小説を集めた集英社版の全集の12巻と13巻を通読することによって私はひとまず中上の小説世界を概観することができたと感じていた。確か柄谷行人が中上の訃報に接した際、書店の店頭に中上の本がほとんど並んでいないという事態に愕然として全集の刊行を決意したと記していた記憶があるが、現実には少なくとも中上の没後、しばらく経過した時点においては代表作が手軽に入手可能な状況があった。しかし20年が経過して再び状況は変わったようである。先般私は池澤夏樹編集の「日本文学全集」の中上の巻に「鳳仙花」が収められているのを目にした。この作品も名作であるから、それ自体は特に不審に感じなかったが、今回の特集に付された主要作品ガイドによればこの長編は二度にわたって文庫化されながらも長年絶版が続いていたということだ。今回、全集の中に収められた理由はこのような不在を補正する意味があったかもしれない。確かに今、アマゾンで検索しても入手可能な中上の小説はそれほど多くない。新たにインスクリプト版の「中上健次集」が刊行されつつあるとはいえ、戦後日本を代表する作家の作品を手に入れるのが容易ではないという事態を出版界は危機感をもって認識すべきであろう。
 やや話が逸れた。生涯の短さに続いて活動の広がりについて触れよう。広がりとはいくつかの含意をもつ。一つは空間的な広がりである。中上は1979年に一年間の予定でロサンゼルスに転居し、その後もソウル、あるいはアイオワ大学(以前このブログで触れた水村美苗の「日本語が亡びるとき」で言及されたワークショップだ)、パリ、ニューヨーク、ハワイといった場所を訪れ、時には長期にわたって滞在している。特集の中では例えば島田雅彦がニューヨークにおける中上、荒木経惟がソウルにおける中上の行状について報告しており、それなりに興味深い。これらのエピソードは作家が本質的にコスモポリタンであることをうかがわせるが、これらの体験、特に欧米での生活体験がほとんど小説に反映されていない点も興味深い。中上の小説では時に東南アジアやラテンアメリカが扱われることはあっても私の記憶する限り欧米の都市が舞台とされたことはない。そして東南アジアやラテンアメリカも常に路地とのつながりにおいて主題化されているのだ。作家が夭逝したことを考慮するにせよ、この点は中上にとって路地の呪縛がいかに強かったかを暗示しているだろうし、さらに言えば路地が解体された後、その遍在性に想到し、「異族」のごとき未完の小説が生みだされるうえで、これらの土地での体験は意味をもったのではないだろうか。もう一つの広がりはジャンルを超えた広がりだ。水谷豊、都はるみ、荒木経惟、菊池成孔、寄稿者を任意に挙げることによっても単に文学を超えた中上の活動の広がりは明らかであろう。そして映画や演劇、歌謡からジャズにいたる異なったジャンルを作家が全力で侵犯していく様子は寄せられた多くのテクスト、そして実に生き生きとした中上の表情を記録した多くの写真からも明らかであろう。私は中上を基本的にモダニストであると感じる。彼の文学的素養は明らかにモダニズムに根ざしており、もし彼に圧倒的な影響を与えた作家を一人挙げろと問われるならば疑いなくフォークナーであろうし、彼が第一次戦後派を全否定した理由もこの点に求めることができるかもしれない。それにも関わらず、中上が絶えずジャンルの越境を試みていたことに私たちは留意すべきであろう。
 ジャンルの越境という点で興味深いのは来年の夏以降、上演が予定されているやなぎみわによる「日輪の翼」のトレーラー公演である。私は彼女が中上のこの作品に強い関心をもっており、将来なんらかのかたちで上演したいという希望をかなり早い時期に本人の口から聞いていた。この作品の上演にあたってやなぎは正攻法と呼ぶべきか、オバたちが乗り込むトレーラーを台湾から買い付けることから始めた。夏芙蓉が描かれた巨大なトレーナーの威容に私もこのブログで論じた二つの機会、すなわち森村泰昌がディレクターを務めた昨年の横浜トリエンナーレ、そして今年春に京都で開かれた京都国際現代芸術祭PARASOPHIAの会場で接した。やなぎと中上のコラボレーションは実に興味深い。グランドマザーズに代表されるとおり、やなぎの作品が多く女性原理を主題としていたのに対し、中上の小説におけるマッチョな男性原理とオリュウノオバあるいはトレーラーの中のオバたちが体現する女性原理の関係は複雑だ。舞台自体が場所をもたず、移動するという発想は路地の遍在性と関わっているだろうか。やなぎがこの特集に寄せたテクストの次のような末尾は来年夏より日本各地で公演されるという、やなぎ版「日輪の翼」への期待をいやがうえにも高める。

 
 オバたちの御詠歌と、路地の若者たちが歌う「ソドムの福音」がせめぎ合い、重機と男女のアクロバットが、けばけばしいネオンに輝く、美しく凶々しい「一瞬」。空にかかった虹をつかもうとするような見世物の浅ましさと哀しさは、究極までいかなければ崇高さに結びつかない。絶え間ない飛翔と落下。中上作品に肉薄できるのは唯一その方法しかないだろう。

 知られているとおり、中上は46歳の若さで他界した。収められたテクストの中である者はラテンアメリカを旅する中上を夢想し、ある者は国会議事堂前で怒鳴っている中上を想像する。生前に一本だけ中上が撮影した映像について論じる者がおれば、書かれることのなかった二つ目の戯曲に思いを向ける者もいる。1986年、40歳の時に熊野で撮影されたという表紙のポートレートがよい。最初に述べたとおり本特集は作家の生誕70年を機に編まれた。しかし私は70歳の中上を想像することができない。早世した作家の姿に思わず「千年の愉楽」に登場する「中本の一統」の若衆たちを重ねてしまうのは私だけではないはずだ。果たして中上も彼らのようにいつか転生して、また私たちの前に姿を現してくれるのだろうか。このような「奇蹟」があながちありえないとも感じられるほどに彼の小説は私たちを今も鼓舞してくれる。
by gravity97 | 2015-12-19 12:13 | 日本文学 | Comments(0)

村上春樹『職業としての小説家』

b0138838_13211983.jpg
 村上春樹の新著が刊行された。「職業としての小説家」というタイトルが示すとおり、小説家としての自分をテーマにしたエッセーをまとめたもので、柴田元幸が主宰する文芸誌『Monkey』に連載された6篇と書き下ろしの5編、さらに河合隼雄についての講演原稿と合わせて12編の文章を束ねている。連載といっても依頼を受けて書いた文章ではなく、特に発表の予定もなく書き溜めておいた文章をこの機会にコンパイルしたといった事情らしい。最後の章のみ河合隼雄を追悼して実際に京都大学で聴衆の前で講演した内容であるという。発表分と未発表分をどのように区別したかはわからないが、テーマは統一されてよく練られており、とても読みやすい。村上のあとがきによれば最初は通常の文体で書いていたが、やや生硬な印象を受けたため、人々を前にして語りかける文体で全体を統一したところ、すらすらと書けたとのことだ。具体的には「小さなホールで、だいたい30人から40人くらいの人が僕の前に座っていると仮定し、その人たちにできるだけ親密な口調で語りかけるという設定で書き直した」とあり、確かに全体にインティメイトな雰囲気のあるエッセーとなっている。
 私は比較的熱心な村上の読者であり、前にも述べたが、地下鉄サリン事件を扱った一連のノンフィクションを除いてほぼ全ての作品に目を通していると思う。村上がいわゆる文壇と距離を置き、公の場にあまり登場しないことはよく知られているが、実際には多くのエッセー、あるいは紀行的エッセーで自らの身辺について語り、あるいはこのブログでも取り上げた『考える人』におけるロング・インタビューでも作家の日常をかなり具体的に説明しているから、本書を読んで新しい発見はさほど多くない。しかしインタビューで引き出された言葉ではなく、作家自らが信念をもって語る小説、そして小説家についてコメントはそれなりに興味深い。まず最終章を除いて、それぞれの章のテーマを示しておく。第一章では導入として「小説家とはどのような人間であるか」というやや抽象度の高いテーマが論じられる。続いて第二章ではデビュー当時の事情が回想される。第三章で村上は文学賞というやや生々しい話題を論じる。思うに毎年ノーベル文学賞の発表が近づくと(もうじきだ)身辺が騒がしくなることに嫌気を感じて、この機会に文学賞についての思いを表明したのではないだろうか。第四章からは小説の書き方に関連する話題が続く。第四章では「オリジナリティー」についての見解が提起される、第五章は「さて、何を書けばいいのか?」というタイトルが内容を示している。第六章は自らを「長編小説作家」とみなす村上がどのように長編小説を執筆するかを具体的に説いて興味深い。第七章では「職業としての小説家」つまり、人が一生の生業として小説を書き続けるためにはどのような条件が必要かについて論じられる。第八章で村上はやや話題を転じて、学校という組織から自分が全く恩恵を受けたことがないと言明する。本書では珍しく社会的な発言がなされる個所である。続く第九章では再び小説において登場人物をどのように造形するかという問題が論じられる。第十章もタイトルが内容を語る。「誰のために書くか」、小説家と読者というテーマだ。そして「海外へ出ていく、新しいフロンティア」と題された第十一章においては、欧米の出版界に自らの作品をいかに紹介していったか、おそらく日本では村上以外に論じることが困難な戦略が具体的に語られる。
 最初に述べたとおり、講演を想定した語りは柔らかく、わかりやすい。本書においては村上がどのようにして小説家になったか、どのような小説家を目指しているかという通時的、個人史についての記述と、村上にとって小説とはどのようなものであるかという共時的、小説論について記述が絶妙に融け合っている。ただし村上の作品を含めて具体的な小説への言及はほとんどない。おそらくそれは本書の重心が小説よりも小説家に置かれていることに起因しているだろう。当然ながらここでは小説家の一つのモデルとして村上自身について語られる訳であるが、本人も述べるとおり、それはかなり異色のモデルかもしれない。作家は毎日、早起きしてコーヒーを飲んだ後、午前中に原稿用紙を10枚分書き、午後は1時間ほどジョギングするというルーティンを30年以上繰り返しているのだ。この点については以前、ロング・インタビューの中でも述べられていた。重要な点は気分が乗らない日でも必ず決まった枚数の原稿を書き、決まった時間、身体を動かすということだ。このような小説家の日常は日々ルーティンワークをこなす労働者のそれに近く、破天荒で破滅型の文士像の対極にある。しかし自分のような作家像が必ずしも特殊でないことを村上はカフカそして初めて名前を聞くアンソニー・トロロープといった作家の生活を引きながら論じる。確かに私も大江健三郎の「泳ぐ男」を読んで初めてフィットネス・クラブに通う小説家というイメージを得たし、中上健次も最初、羽田空港での労役の傍らに初期作品を執筆したのではなかったか。おそらく作家にとって小説を書くことは生活のスタイルの確立と深く関わっている。この点はフォーマリズムと構造主義を学んだ私の認識とも一致する。私たちは自由にテクストを書くことはできない。私たちが書くテクストは既にそれを取り巻く外形的な条件によって規定されているのだ。それは時に一日に書き上げるべき原稿用紙の枚数であり、時に原稿を執筆する環境であり(本書にあるとおり、村上は新しい長編を書き始めるにあたってしばしば自らを国外に流謫したという事実を想起されたい)、時にメイルとラインのいずれによってガールフレンドにメッセージを送るかといった問題と関わっている。内容は形式によってもたらされる。村上にとって生活の外形、つまりストイックかつ単調なルーティンワークとしての日常を確立することが実は小説の主題と深く関わっている点については後でもう一度立ち返ることとしよう。
 本書においては村上が小説を書くことを決意した「啓示」が初めて明かされる。先にも触れたロング・インタビューを読み返すと次のような一節がある。「だから大学を出て店を初めて、借金を抱えて、日々あくせく働いていただけなんだけれど、29歳のある日突然、『あ、書けるかな』と思ったんです。何の根拠もなくただそう思った」インタビューの中で詳細が明かされなかったことも無理はない。それは次のような体験であった。1978年の春、神宮球場におけるヤクルト・スワローズ対広島カープのデイゲームを観戦中に「僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。『そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない』と。その時の感覚を、僕はまだはっきり覚えています。それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした」先発ピッチャーや先頭打者の打席についてのなんとも散文的な記述とエピファニーの到来という劇的なエピソードの対比は微笑を誘う。小説を書くことを決意した村上は試合後、その足で紀伊国屋に赴いて万年筆と原稿用紙を求め、キッチン・テーブルに向かって「風の歌を聴け」を書き始める。続けて語られるデビュー作執筆時のエピソードも興味深い。小説を書き始めたもののうまく書けないことを感じた村上は自分の書いた文章を一回英語に翻訳し、それをもう一度日本語に置き直すことによって自分の文体をつかんだというのである。高校時代から英語のペーパーバックを読み続け、後に多くの翻訳を手掛ける村上であればさもありなんと考えることは正しくない。このエピソードが示唆するのは母語に対する異和感から小説家は自分の文体を築くという教えだ。村上も言及するアゴタ・クリストフのほかにもジョイスやラシュディといった作家を想起するならばこの問題はさらに深めることができようが、それは別の機会に譲る。
 村上も書くとおり、小説を書くこと、小説家としてデヴューすることはさほど難しくない。しかし時の淘汰を経て、小説を書き続けることはきわめて困難である。村上が30年以上も小説を書き続けることができた理由は何か。オリジナリティーについて論じた章における次のようなコメントがヒントになるだろう。

 それでは、何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのが一つの基準になるだろうと思います。もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違った者、不調和なものがあるということになりそうです。

 村上はものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もなく、もし楽しくないのなら、そもそも小説を書く意味はないとまで断言する。私もこれらの言葉に深く共感する。私は小説家ではないが、自分の生に対して同様の信念を抱いているからだ。例えばこのブログである。このブログを開設して早くも7年が経過し、300本以上のレヴューを書き継いだ。最初、私は日々読み続ける本や毎週のように通う展覧会について、未来の自分へのメモランダムとしてレヴューの執筆を始めた。それにあたって私はいくつかのルールを定めた。まず読書にしても展覧会にしても、楽しい経験のみに言葉を与えること、一定の頻度で新しい記事をアップすること(今日にいたるまで10日に1本、1月に3本という目標をほぼ守ってきたと思う)、そしてどんなに仕事が忙しくてもレヴューを書き続けることである。震災と原子力災害以後、最初のルールを守ることが難しくなってきたことは熱心な読者には理解していただけようし、実際には対象に対して否定的なニュアンスとともに言及した記事もいくつか存在する。しかし私もまたこのブログを書くことを苦痛に感じたことは一度もない。人生においては楽しいことのみを経験するという私の処世の方針の一つを体現するのがこれらのテクストであるからだ。私はこれらのテクストの大半を休日に書き上げる。その週に読んだ本や訪れた展覧会について一週間かけて深く思考し、週末に思考に言葉を与える作業は私にとって好ましい一つの知的なサイクルを形作っている。村上と比べることはおこがましいが、それは午前中に決められた枚数の原稿を書き、午後は決められた時間、ジョギングや水泳を楽しむことと似ている。私が長くこのブログを書き続けることができている理由は村上同様、比較的に早い時期にこのような執筆のスタイルを確立したことに求められるだろう。
 話題が逸れた。村上に戻ることにしよう。スタイル、あるいはシステムを確立することの重要さを村上は何度も繰り返す。とりわけ「時間を見方をつける―長編小説を書くこと」と題された第六章では長編小説というフルマラソンをいかに走り抜けるかについて初稿、推敲、助言といった様々なレヴェルに即してきわめて具体的にその過程が開陳される。作家の創造の機微に触れる章であるが、ここでも何を書くかといったことは全く問題とされない。いかに一つの小説を完成に向けて誘導するかという点のみが仔細に論じられる。スタイルの構築という点ではいわゆる文壇との関係も同様であろう。村上の文壇に対する強い拒否感は私の愛好する「とんがり焼きの盛衰」というシュールなショートショートからも明らかであるが、文壇と関係を断ちつつ小説家としての成功を収めるために村上は周到な準備を進めた。それは文芸誌の求めに応じて小説を執筆するのではなく、書き上げた小説を必要に応じて発表するというシステムの整備だ。もちろんこのような贅沢な立場がベストセラー作家としての成功のうえに成り立っていることはいうまでもない。しかしそれは結果であって、初めから村上は文壇や文芸誌といった制度とは無関係に自分の作品を発表することが可能なシステムの構築をめざしていた。村上も述懐するとおり、それが実現したことは幸運の賜物であったかもしれない。しかしそれが村上の強い意志によって可能となったこともまた明らかである。文壇という狭い世界の中に群れず、生活の中に執筆とジョギング、あるいは水泳を同じ重要性とともに組み込むこと、ここからに浮かび上がるのは破滅型文士の対極にある健康的な作家の姿だ。なぜ小説家は健康でなければならないか。村上は次のように説明する。

小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。大きな物語を語ろうとすればするほど、作家はより深いところまで降りて行かなくてはなりません。(中略)作家はその地下の暗闇の中から自分に必要なものを―つまり小説にとって必要な養分です―見つけ、それを手に意識の上部領域に戻ってきます。そしてそれを文章という、かたちと意味を持つもの転換していきます。その暗闇の中には、ときに危険なものごと満ちています。(中略)そのような深い闇の力に対抗するには、そして様々な危険と日常的に向き合うためには、どうしてもフィジカルな強さが必要になります。

この一節はきわめて説得的だ。これまで私は村上の小説について何度か評したことがあるが、その際には表面的な印象とは逆に村上の小説において人間の内面に潜む暗黒について語られていることを繰り返し指摘した。この引用においては作家自らがそのような暗黒こそが小説の主題であること明言している。村上の作品を読み継いだ者であればかかる認識を理解することはたやすい。具体的にはとりわけ「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」といった小説においてこのような暗黒が主題化されているといってよかろう。暗黒を見つめる者は暗黒の中に呑み込まれてしまうというのは誰の言葉であっただろうか。村上は自らのフィジカルな側面を強化することによってかかる暗黒に対抗する。このように考えるならば、本書の最後に一見唐突に河合隼雄への追悼が収められている理由もたやすく了解されよう。心理療法家の河合に対して、村上がシンパシーをもつことは当然であり、次の発言は今引いた言葉の再話にほかならない。「物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。(中略)僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアントと向き合うことによって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。河合先生と僕とはたぶんそのことを『臨床的に』理解しあっていた―そういう気がするんです」村上の小説の核心を突く言葉であり、私は同様の主題が必ずしも純文学の分野に限らず、私の好きな多くの作家にも共有されていることに思いをめぐらす。それにしても中編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』から2年、短編集『女のいない男たち』から1年が経過した。これまで短編、中編、長編は綿密なサイクルのもとに執筆されてきたから、おそらく今、村上は『1Q84』以来、久々の長編小説を一日10枚のペースで執筆しているはずだ。発表はいつになるのだろうか。いずれにせよ私はまた人生に楽しい経験を一つ加えることができそうだ。
by gravity97 | 2015-09-28 13:26 | 日本文学 | Comments(1)

井上光晴『明日』

b0138838_2063242.jpg 数年前より、私は8月がめぐり来るたびに第二次世界大戦と関わる小説を読むようにしている。奇しくも戦後70周年を迎える今年、私が選んだのは1982年に発表された井上光晴の「明日」である。確か黒木和雄によって映画化されたのではなかっただろうか。この中編を私は初めて雑誌に発表された折に読んだ記憶がある。現在は集英社文庫に入っているが、私の記憶が正しければ「すばる」ではなく「使者」という文芸誌に掲載されていたと思う。初読して大きな感銘を受けたが、単行本としては所持しておらず、文庫も1986年に初版が出た後、しばらく絶版であった。先日買い求めた文庫は2012年の第7刷と奥付にある。久しぶりに再読してあらためてこの小説が文学史に残る名作であることを確認する。
 私はこの作品を70回目の長崎原爆忌の日に再読した。サブタイトルとして「1945年8月8日・長崎」とあるから前日に読むべきであったかもしれない。もっとも私は発表当時からこのサブタイトルに異和感があった。かかるサブタイトルとともに「明日」が特定される時、「明日」の意味はあまりにも限定されるからだ。後で論じるとおり、発表時ならばともかく、今日、ここでいう「明日」の意味はもはやフィクションの域を超えている。しかし逆に井上がこの小説を執筆した時点においてはこの小説がかくも切迫感をもつとは感じられなかったかもしれない。一億総中流と呼ばれ、放射能汚染や戦争参加などありえないと誰もが信じていた時代、戦後の日本において最良の時代、パクス・ジャポニカに発表された作品であるからだ。
 タイトルとサブタイトルを読むならば、この小説の内容はほぼ把握されるといってよい。ここに描かれているのは第二次大戦末期、1945年8月8日の長崎の情景であり、「明日」とは長崎に原爆が投下された8月9日のことだ。つまりカタストロフを「明日」に控えた大戦末期の長崎の一日が語られる。詳しくは述べられていないが、作者は本書の執筆にあたってかなりの調査を行った模様だ。あとがきで井上は次のように記している。「一章から零章に至るまで、ストーリイのための虚飾は用いなかった。1945年8月8日、長崎における結婚式は実際に行われており、『無学党』の市役所課長や主任等四人が、物価統制令違反、収賄容疑で逮捕され、浦上刑務支所に収監されていたことも、作り話ではない」ここに記された「長崎における結婚式」がこの物語の焦点だ。この日、三菱製鋼所の行員中川庄治と長崎医大の大学病院に勤める看護婦ヤエの祝言と披露宴が催され、媒酌人を含めて13人が列席する。いうまでもなく戦況は悪化しており、物資が不足する中で精一杯整えられた酒肴には華やかさではなく、弁明がつきまとう。続く章では列席者が次々に焦点化されて、必ずしも8月8日という一日に収斂することのないそれぞれのエピソードが明かされる。例えばヤエの同僚、福永亜矢は三菱長崎造船所の工員、高谷藤雄の子供を身籠っていたが、長崎から呉に派遣された高谷からは何の連絡もなく、懊悩を重ねていた。新婦の叔母、堂崎ハルの夫、彰男は市役所内での権力闘争の結果、冤罪によって収監され、公判を控えている。新郎の義父、銅内弥助は教会を通じて知り合った山口由信のもとに食糧の無心のために出かけるが、精神を冒されて療養所に入院した山口の娘に対しては直ちに家族が引き取ることが命じられていた。路面電車の運転手を務める水本広は彼が目をかけていた石井市松という後輩が逐電したという知らせを受ける。石井は戦死した海軍士官の未亡人と関係を持ち、それを理由に特高から尋問を受けていた。そしてヤエと庄治はぎこちない初夜を迎える。
 井上の作品になじんだ者であれば、読み慣れた長崎の方言を駆使していくつもの物語が重ねられる。それは市井の人物の日常の記録だ。もちろん戦争の末期という時代背景が彼らの上に重い影を落としているが、彼らの生活と私たちの生活に本質的な差異はない。一つの宴席に招かれた人々をとおしてオムニバス形式で時代を点綴する井上の叙述はみごとだ。以前、このブログで集英社版の「戦争×文学」中の一巻、『ヒロシマ、ナガサキ』について論じたことがあるが、例えば原民喜や林京子の作品が原爆投下直後の広島の惨状を描いて衝撃的であるのに対して、「明日」はいわばクライマックスを欠いている。先日、四方田犬彦の『テロルと映画』について論じた際に、テロリスムが映像を媒介としたスペクタクルの形式をとることについて触れた。原爆投下がテロリスムの極限であることは明らかだが、四方田はテロリスムの表象においてスペクタクルを用いなかった稀有の例としてハニ・アブ・アサドの「パラダイス・ナウ」を挙げる。このフィルムにおいてテルアヴィヴに自爆攻撃に向かった二人の青年の帰趨を描くことなく、画面はホワイトアウトする。今回再読して、私は原子爆弾の炸裂を描かずしてその非人間性を描いた小説、スペクタクルによらずテロリスムの表象に成功した例として、この小説も類例のない試みであることが理解できた。先日、私は広島市現代美術館を訪れ、被爆70周年を記念する三部作の展覧会の第一部、「ライフ=ワーク」を見た。この展覧会、さらに同時に開催されていた「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というコレクション展もきわめて充実しており、機会があればレヴューしたいと考えるが、やはりこれらの展示に加えられた作品からも(被爆をスペクタクルととらえることの問題性を理解したうえであえて言うが)、私は原子爆弾による被害をスペクタクルとして表象する方向と、スペクタクルの廃絶として表象する二つの方向が存在することを理解した。むろんいずれかが優れているという意味ではない。私は被爆という惨劇が表象されるにあたってスペクタクルの強化と無化という正反対のヴェクトルが作用していることに関心を抱いたのだ。おそらくこの問題には映画、美術、文学といったメディウムの差異も大きく関与しているだろう。果たして原爆投下は映像を通して表象できるのだろうか。なぜなら爆心地にカメラを置いたとするならば、カメラは原子爆弾が炸裂した瞬間に消滅してしまうからだ。この事実から私が思い浮かべるのは、ジャン・フランソワ・リオタールがホロコーストを評した際に用いた「あまりにも激烈であったため、すべての測定機械を破壊してしまった地震」という比喩だ。この問題は原子爆弾投下と絶滅収容所という二つの表象の臨界を比較する際にも有効な視点を提起するのではないだろうか。いずれも基本的に証人の絶滅をその本質とする蛮行であるからだ。このブログの読者であれば、私がこの問題について様々なジャンル、様々な表現を超えて繰り返し問うてきたことを理解いただけるだろう。奇しくもほぼ同時期に見た展覧会もまた表象の可能性と不可能性をめぐって様々な示唆を与えてくれたことを記しておきたい。
 「明日」に戻ろう。第1章から第9章まで、読者は様々な登場人物に焦点化しながら、そして時に断片的に挿入された当時の手記をとおして(この記録によって、私たちは登場人物たちが8月8日の夜に見た血のように赤い月は決して作者によるフィクションではないことを確認することができる)、その前日の長崎の日常をめぐる。しかし第0章として最後に付された章はやや叙述の手法が異なる。「朝のおだやかな光のみなぎる部屋で、母は縫い上げたばかりの産着を畳む」という一文で始まるこの章は、先に触れた水本広の妻が「ツルちゃんの赤ん坊、生まれたかもしれんね。もう」とただ一度言及した臨月の妊婦、ツル子の内的独白によって語られる。井上であるからプルーストではなくフォークナーに範を仰ぐであろうツル子の語りは冒頭で語られる情景が示す8月8日の早朝に始まり、回想と現実の会話、過去と現在を往還しながら、彼女が産気づき、無事男の子を出産する8月9日の早朝、4時17分までおよそ一日の意識の流れを追う。戦時中のぎすぎすとした人間関係がややもすれば前景化されるほかの章と違い、わが子の誕生を見つめるこの章の語りは柔らかく美しい。この章、そしてこの小説は次のような一文とともに終えられる。「8月9日、4時17分。私の子供がここにいる。ここに、私の横に、形あるものとしているということが信じられない。髪の毛、二つの耳、小さな目鼻とよく動く口を持ったこの子。私の子供は今日から生きる。産着の袖口から覗く握り拳がそう告げている。/ ゆるやかな大気の動き。夜は終り、新しい夏の一日がいま幕を上げようとして、雀たちの囀りを促す」ツル子の疎開した地区に対して「原爆の爆風と熱線は、谷間を通路として、この地をまともに襲った」とのことであるから、新しい生命と産褥の床にある母を苛酷な運命が待ち受けていたことは想像に難くない。井上も本書の刊行後、多くの読者から手紙で問われた母子の安否について、「作者に答えられる言葉はない。(中略)私はただかすかな奇跡を祈るのみだ」とい答えている。通常であれば希望に満ちたコノテーションをもつ「明日」という言葉はこの小説においてはあまりにも重い。
 私たちはこの物語がもはや寓話ですらないことを知っている。井上光晴は1992年に没しているが、彼の没後に発生した二つの震災、95年の阪神大震災と2011年の東日本大震災をとおして、私たちは地震という自然災害によって一つの都市、一つの地域が一瞬にして壊滅する姿を目撃した。さらに福島の原子力災害によって私たちは一夜を境に故郷から人々が永遠に追われるというチェルノブイリ以外ほとんど類例のない惨事、しかも人為的な惨事がこの国では文字通り「明日」にでも起こりうることを思い知った。作家自身によるあとがきには、先に引用した母子の安否についてのコメントに続いて次の一文がある。「九州西域の原子力発電所を主題にした小説を書き進めている途中、チェルノブイリ原発の事件が伝えられて、私のペンは全く動かなくなった」ここで触れられている「九州西域の原子力発電所を主題にした小説」が先にこのブログでも論じた「西海原子力発電所」であることはいうまでもない。「地の群れ」における被爆者差別の問題とともに始まった井上の作品群が「明日」そして「西海原子力発電所」にいたるまで、被爆と原子力発電所、端的に核問題と関わっていたことは明らかだ。(さらに一連の炭鉱を主題とした作品を加えるならば、そこにエネルギーという井上の小説に一貫する主題性が認められることはすでに論じた)現在、戦後最悪の政権のもとで戦争の準備が着々と進められていることは周知のとおりだ。しかしさすがに今後、熱核兵器が戦争というかたちで使用されることはありえないだろうと思う。この一方で今日、鹿児島の川内原子力発電所が再稼働した。新しい規制基準の下で初めての再稼働であるから、今後同様の手続きを経てほかの原子力発電所が再稼働する可能性は高い。ほぼ二年にわたり、原子力発電が一基も稼働せずとも私たちが暑い夏を乗り切ったという事実にもかかわらず、かかる愚行がなされた訳だ。私は今後、原子爆弾ではなく、原子力発電所の事故、もしくはテロによって日本の広い地域が居住不可能となる可能性は高いと考える。その際、人はまさに今日こそがその前夜であったことを知るだろう。井上は核問題とテロに関連させて、本書のあとがきを次のように結ぶ。「うたがいもなく、“今”この現在、人間の立っている場所がそこには明示されている」およそ30年前に記された文章であるが、予言的といってよいリアリティーを秘めた一文だ。今、私たちが立っているのが、まさに「明日」の前夜であることを、二つの原爆忌と敗戦記念日にはさまれた2015年8月11日という日付とともにここに書き留めておきたい。
by gravity97 | 2015-08-11 20:14 | 日本文学 | Comments(0)

いとうせいこう『想像ラジオ』

b0138838_209341.jpg 東日本大震災から4年目の3月11日を前にして、いとうせいこうの「想像ラジオ」を読む。2013年に発表されたこの小説については発表当時から賛否があったと聞く。確かに軽妙な文体の背後に、書くことをめぐる深い問題が提起されており、評価は分かれるかもしれない。私が感心したのは、東日本大震災という未曾有の災害に対して、いとうが正面から対峙していることだ。これはなかなか出来ることではない。本書から連想される類書の一つは村上春樹の「神の子供たちはみな踊る」であろう。村上は自身の生地である阪神間を襲った95年の阪神大震災に触発されてこの連作集を執筆した。しかしいずれの短編においても震災そのものが描かれることはない。例えば冒頭の「UFOが釧路に降りる」は妻に失踪された男が受けた奇妙な依頼をめぐる物語であるが、そこでは妻が失踪の直前、阪神大震災の被害を報じるTVを終日見ていたという記述があるばかりで、具体的に震災に触れる記述はない。ほかの短編においても震災は微妙な残響を残しているものの、直接の主題として描かれることはない。村上ほどの書き手であっても阪神大震災を小説の主題とすることがいかに困難であったかうかがえよう。かかる困難は表象の不可能性という問題と関わっている。このブログの中でも既に多様な作品に即して論じた点であるが、ある人々が体験した大きな災厄について、果たして他者はその代理として表現に関わることが出来るかという問題だ。現在、クロード・ランズマンの「ショア―」が東京で上演されていると聞くが、実際に生存者がいなかった可能性さえ大いにあったユダヤ人絶滅収容所の体験を一体誰がいかに表象しうるか。5時間に及ぶランズマンのフィルムはこの問題についての真剣な応答であった。ランズマンはスティーヴン・スピルバーグの「シンドラーのリスト」を繰り返し批判する。それはスピルバーグが絶滅収容所という本来的に表象不可能な事件を誰にとっても了解可能なメロドラマに転化しているからであり、表現しえないというこの事件の本質を隠蔽してしまうからである。表象しえないものの表象に対して、ランズマンのフィルムはぎりぎり可能な閾を探求している。この問題については最近も深く考える機会があったので、次回のブログで触れるつもりであるが、地下鉄サリン事件に際しては当事者へのインタビューさえ行った村上が、この連作短編集の中であえて直接に阪神大震災に触れなかった点はかかる困難と関わっているだろう。大きな災害を体験した者、端的に述べるならば死者に代わってなにごとかを語るということは傲慢ではないか。東日本大震災を言語によって表象しようと試みる者にとって、かかる問いは最初の躓きの石であるはずだ。以下、このブログでは本書の内容に深く踏み込んで論じる。白紙の状態で小説に臨みたい方はまず書店に向かうことをお勧めする。(単行本の書影を掲げているが、本書はごく最近文庫化されたから、今であれば書店での入手も容易なはずだ)
 いとうは問いの立て方を変えることによって、このアポリアを巧みにかわす。すなわち死者の代わりに語ることは可能かという問いを、死者と言葉を交わすことは可能かという問いに置き換えるのである。この小説の冒頭部を引く。

こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。
 (中略)
でもまあ、まるで時間軸がないのもしゃべりにくいんで、一応こちらの時間で言いますと、こんばんは、ただ今草木も眠る深夜二時四十六分です。いやあ、寒い。凍えるほど寒い。

 この引用だけでもこの小説についていくつかの示唆が与えられる。この箇所において語りは書き言葉ではなく、話し言葉によってなされ、語り手は非時間とも呼ぶべき一種の幽冥の場に存在している。そして2時46分という特定の意味をもつ時刻、具体的には東日本大震災が発生した時刻が記されているのだ。今、思わず幽冥という言葉を用いてしまったが、物語を読み進めるうえで次第に語り手についての情報が与えられる。語り手はDJアークを名乗るラジオ・パーソナリティ。海沿いの町に育ち、結婚して中二の息子をもつ38歳の男性だ。DJアークは高い杉の木に引っかかって、そこからラジオ放送を行っている。彼がパーソナリティを務める「想像ラジオ」という番組は異なったいくつもの時間に向かって届けられ、同じ時間に別の曲をオン・エアすることさえ可能だ。DJアークは時折音楽を流しながら際限のないおしゃべりを続け、しばしばラジオのリスナーから届いたメールや手紙を読み上げる。現実と非現実が混交する語りの中で私たちは両者の境界を探る。第一章の最後でDJアークの同級生を名乗る「箪笥屋のアタシ」という女性はDJアーク、本名芥川冬助が津波によって高い木に向かって流されていくのを目撃したとメールで伝える。これによって私たちは語り手、DJアークが既にこの世にいないことをおぼろげに理解する。
第二章では話者が交代する。語り手は作家のS。この章は震災のボランティアの帰りに福島から東京に向かうバンの車中におけるSの内的独白として語られる。最初にその一月ほど前、航空性中耳炎のためにSの耳が聞こえなくなり、耳の手術を受けたというエピソードが回想される。このエピソードにトマス・ピンチョンの「V」における登場人物の鼻の手術の描写の反映をうかがうことは強引であろうか。いずれにせよ耳の手術というモティーフはこの小説の本質と関わっている。なぜなら聞こえる/聞こえないというディコトミーはこの小説に一貫するライトモティーフであるからだ。内的独白の常としてSの語りはめまぐるしく話題を変える。癌による父の死を看取った経験。バンに同乗しているカメラマンとともに東南アジアを取材した際のエピソード。広島平和公園でのシャーマンたちとの集会、被災地に跋扈する自称霊能者たち。とりとめのない語りの中に死というモティーフが散りばめられていること、そして時折、広島における被爆や東京大空襲といった戦災の記憶が喚起される点には留意する必要がある。この章の最後で同乗者の一人はカーラジオが切られているにもかかわらず、頭の中にDJの語りと音楽が響いてくると述べる。聞こえてくるのはカルロス・ジョピンのボサノバ、[三月の水]だ。この曲は第一章の終りでDJアークがオン・エアした楽曲であり、ここに至ってこの章の冒頭に置かれた「その声が私には聴こえない」という謎めいた一文がDJアークの放送を指していることが理解される。
 第三章は再びDJアークの語りによって構成されている。DJアークは海や津波を連想させる曲を次々にオン・エアしつつ、放送を続ける。この放送は双方向であり、逆にリスナーからも電話やメールを介して情報がもたらされる。DJアークは時に廃墟となった建物に残された会社員、衰弱しつつ横たわる老夫婦からのメッセージを伝え、一方で自身の過去を回想する。多くの人が想像ラジオに耳を傾けているが、想像ラジオが聞こえない人もいるらしい。DJアークは自分の妻にこの放送が届かぬことを不審に感じ、やがてそれは妻が別の側、すなわち生の領域にいるためであると悟る。先に述べたとおり、この小説においては聞こえる/聞こえないという区別が決定的に重要であり、ここから「死者の声」というモティーフが導かれる。これについては後述しよう。第四章は男女の対話によって構成されている。「結局、いまだに僕にはなにひとつ聴こえないんだよ」という冒頭の言葉が暗示するとおり、話者の一人は第二章の語り手、作家Sである。Sには美里という妻がいるが、ここにおける対話の相手は妻ではなくSの恋人であろう。会話の履歴を消す消さないといった言葉がこの点を暗示する。Sの恋人は自分が見た夢について語る。それは杉の木の上に男があおむけに横たわり、その傍らに白黒の鳥に身を代えた自分が位置しているというものだ。男がDJアークであることは明らかである。そして対話の終盤、Sの口をとおして、彼女が震災の前、「秋の天気のひどくいい日」に事故死したことが語られる。二人はともに再会を願って会話を終える。ここでは死者と生者は互いの声を聞き、対話が成立している。最後の第五章は再びDJアークによって語られる。この章では彼が「多数同時中継システム」という手法によってDJアークの語りに対する反応が次々に寄せられる。このような形式から今日誰もが連想するのは例えばブログやフェイスブックの記事に寄せられるコメントであろう。DJアークは自らの初恋や息子の草助の思い出を語る。一方、缶詰工場で働く21歳の女性リスナーから、彼女の平凡な一日を語る比較的長いメッセージが届き、震災以前、東北の地で営まれていた安穏とした生活に私たちは思いを馳せる。物語の最後でDJアークはリスナーたちに励まされて、向こう側の妻と息子の声を聞こうとする。彼らの声を聞くことによって傍らの白黒の鳥、ハクセキレイもはばたきを始め、中空に飛び立つ。それは放送の終了を意味する。自分の後にも次々に新しいDJが出現することを予感しつつDJアークは最後の曲としてSからのリクエスト、ボブ・マーリーの[リデンプション・ソング]をオン・エアする。redemptionが贖い、あるいは救済という意味であることを付け加えることはもはや蛇足であろう。
 以上のように分析するならば、本書が相当に考え抜かれた小説であることが理解される。例えばDJアークというニックネームが芥川という本名からとられていることは明らかであるが、そこにark 箱舟の意味を見落とす者はいないだろう。小説の中でも言及されているとおり、ここでいう箱舟の物語は旧約聖書というよりギルガメシュ神話であろう。この神話の中にも世界を覆い尽くす洪水の物語があり、杉の木、あるいはDJアークの父や兄が語る杉の木に巻き付いた蛇、そしてなによりも最後に鳥が空に飛び立って洪水が引いたことを知るエピソードが認められる。あるいは今述べたとおり、五章から構成されたこの小説は奇数章をDJアーク、偶数章を小説家Sが語り手ないし対話者を務めるかなり図式的な構造をとる。ここで注目すべきはこの小説において話者は常に誰かに語りかけている点である。それは時には固有名をもつ個人であり、時には放送を聞く不特定のリスナーであるが、言葉は必ず誰かのもとに届けられる。この意味において主人公がラジオ・パーソナリティ、あるいはDJという仕事に就いていることは必然的である。このうち、DJアークは死者の側、作家Sは生者の側にいることが暗示されているが、DJアークの放送をSのバンに同乗している青年が聞き取り、あるいはSのリクエストがDJアークによって取り上げられることによって両者の交流の可能性が暗示される。声を上げる、聞き届けることがこの小説の主題であり、最初に述べたとおり、ここでは死者の代わりに語ることではなく、死者と言葉を交わすことが表現されている。
 なぜ、死者と言葉を交わさねばならないか。第四章の対話の中でその理由が明確に語られる。「他の数多くの災害の折も、僕らは死者と手を携えて前に進んできたんじゃないだろうか? しかし、いつからかこの国は死者を抱きしめていることが出来なくなった。それはなぜか?」「なぜか?」「声を聴かなくなったんだと思う」「…」「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者とともに」この会話自体が震災の前に事故死した恋人、すなわち死者との間で交わされていることに留意しよう。ここでは本書の主題が提示されている。先にも述べたとおり、死者の声というモティーフだ。このモティーフ自体は文学にとって決してなじみのないものではない。しかしそれが切実なものとして感じられるのは、多くの人々が死んだ出来事の直後であろう。今引用した対話の冒頭、「他の数多くの災害」の前には東京大空襲、広島、長崎への原爆投下という事件が具体的に記されており、これらについて登場人物の語りの中でも触れられていることは先にも述べた。二つの震災以前にも私たちは多くの人々の死を体験した。それはいうまでもなく第二次世界大戦であり、その直接の影響のもとに創作活動を開始した野間宏や大岡昇平、あるいは埴谷雄高といった第一次戦後派の作家たちの作品は死者の声で満ちていた。このブログでも何度か取り上げた集英社の「コレクション 戦争と文学」の中にも「死者たちの語り」と題された巻があり、そこに収められたいくつもの作品、あるいは同じ全集に収録された多くの作品には死者が戦争について語るという趣向が認められる。戦時にあって死者の語りは特異な出来事ではなかったのだ。戦時と平時。戦後の日本は奇跡的というか単なる偶然として大きな自然災害を受けることがなかった。少なくとも1959年の伊勢湾台風と95年の阪神大震災の間に死者が5000人を超える自然災害は存在せず、平和憲法に守られた日本人は戦地に赴くこともなかった。日本の復興、経済成長がこの間に成し遂げられたことの意味を私たちはもう一度考えてみるべきであろう。しかし注意深く耳をすませば、この時期にあっても私たちは死者の声を聞くことができたはずだ。たとえば石牟礼道子は「苦海浄土」の中で水俣病の犠牲者たちの声を聞き、桐山襲は一連の小説で未完の革命に殉じた若者たちの声を聞いたのではなかったか。おそらく死者の声に耳を傾けることは作家にとって必要な資質の一つである。死者の声による文学、「想像ラジオ」も間違いなくこの系譜に連なり、一つの豊かな結実として私たちの前にある。
 ひるがえって今、私たちに東日本大震災の死者たちの声が聞こえるだろうか。彼らのひそやかな声を「復興」という大きな声が押し潰し、さらに「東京オリンピック」の轟音が私たちの耳を聾している。私はかくも人々が疲弊している時代に、札束で築かれたような大都市で「オリンピック」を開催することの意味が全く理解できない。杉の木を下から見上げながら父親はDJアークがいる場所には放射能が降り注いで何十年も人が入れないかもしれないと告げる。実際にこの国にはそのような場所が存在するし、さらに現在の政権のもとでは死者の声ならぬ軍靴の音さえ聞こえてくるようではないか。最後の場面からは redemption、救済が感じられ、2013年という発表の時点において本書は一種の鎮魂の書と読むことができたかもしれない。しかしそのわずか二年後、奈落に向かって転げ落ちていくこの国で、「強者」がわめき散らす騒音の前に「想像ラジオ」の鎮魂の声はもはや完全にかき消されている。
by gravity97 | 2015-03-08 20:15 | 日本文学 | Comments(0)

大江健三郎『大江健三郎自選短編』

b0138838_9593755.jpg
 大江健三郎の自選短編集が岩波文庫から刊行された。短編集といえども800頁を超える大冊で1957年の処女作「奇妙な仕事」から1992年の「マルゴ公妃のかくしつきスカート」まで23編の短編が収められ、半世紀以上にわたる活動の全貌をほぼ通覧することができる。収録にあたっては全ての作品に加筆修正が施されており、帯に記された「大江短編の最終定本」という言葉に誇張はない。これらの短編は「初期短編」「中期短編」「後期短編」の三部に分類されている。後でも述べるとおり、大江の短編は時期的に偏りがあり、三部構成も分量としてそれぞれおよそ300頁、400頁、100頁とばらつきがある。以前、「晩年様式集」をレヴューした際にも記したが、私は大学以来、時に若干のタイムラグを置きながらも大江の小説を比較的熱心に読み継いできた。なぜか今世紀初めに発表されたスウード・カップル三部作「取り替え子」「憂い顔の童子」「さよなら私の本よ!」を三冊揃って読み落としたことを除けば、大半の小説に目をとおしている。したがってここに収録された短編についてもその多くをすでに新潮文庫、もしくは初出の単行本ですでに読んでいる。正確を期すならば、この短編集に収録されている作品のうち、私が未読であったのは「中期短編」中の連作短編集『静かな生活』に収められた二編、そして「後期短編」としてまとめられた四編のみであった。これまで時を隔てて読み継いできた大江の小説を、短編を連ねて読み返す作業は自分の読書体験を一度巻き戻して早送りするかのようで楽しかった。
 例によってテクスト・クリティークから始めよう。表紙の写真からもうかがえるとおり、今回、本書を刊行するにあたって大江は当初のテクストにかなり徹底的に手を加えている。大江の言葉を借りるならば、「私にとって読み直すことは部分的にであれ書き直すこと」なのだ。実際、大江はあとがきのなかで事実上の処女作「奇妙な仕事」を東京大学新聞に発表した直後、初めて活字になったテクストを繰り返し読んで、直ちに書き直すことを願ったと記している。表紙に掲げられた写真は「空の怪物アグイー」の一部であり、この写真と新潮文庫版を対照するならば写真に示された訂正を経て、本書に収録された最終定本の「空の怪物アグイー」が完成されたことが理解される。写真からうかがえる限りでもかなり徹底的な推敲がなされている。ただしその多くは文彩もしくは時間の経過を理由とした修正であるようだ。先日、『現代思想』の「大学崩壊」という特集を読んでいると、この短編集の冒頭の「奇妙な仕事」において、初出時には東大生である「僕」に対置されていた「女子学生」と「私大生」のうち、「私大生」が「院生」と修正されていることにやや批判的な記述を目にしたが、これは今日的な視点を得て初めて可能な批判であろう。これらの小説の大半を読んだ20年以上前の記憶がもはやおぼろげであることを勘案したとしても、井伏鱒二の「山椒魚」の場合のような内容に関わる修正は加えられていないはずだ。
 収録された23編の短編がいずれも大江の代表作であることに疑いの余地はないが、大江自身は選択の基準を明らかにしていない。あとがきの中に「残すものより除外するものが思っていたより多くなりました」という一文が残されているのみである。先に触れた初期、中期、後期の比率はおそらくはそれぞれの時期に大江が執筆した短編の量に比例しているであろう。小説的完成度とは別に大江は基本的に長編作家であり、代表作が例えば「個人的な経験」、「同時代ゲーム」、「燃えあがる緑の木」のいずれであるかについては議論があろうが、長編であることに疑いの余地はない。そしてあらためて本書を通読して、私は大江が短編を執筆した時期にかなりむらがあることを知った。収録された短編の初出一覧を確認するならば「初期短編」の最後の「空の怪物アグイー」が発表されたのは1964年1月、「中期短編」の最初の「頭のいい『雨の木』」が1980年1月であるから、初期と中期の間に16年もの間隔があるのだ。大江の作品を確認するならばこの間に「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「同時代ゲーム」といった傑作長編が次々に発表されているから、かかる不在は理解できないこともない。しかしこの間にも本書には収録されていないが、私にとっては大江の短編集として強い印象のある「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(私にとってもっとも鮮烈なイーヨーのイメージが刻まれた作品だ)と「見るまえに跳べ」も上梓されており、大江がどのような意識に基づいてここに収録された作品を選んだのか、もう少し説明がほしい気がする。「中期短編」に収められた短編はいずれも独立した短編ではなく、短編連作集から数編が選ばれている。具体的に述べるならば「『雨の木』(レイン・ツリー)を聴く女たち」から3編、「新しい人よ眼ざめよ」から4編、「静かな生活」から2編、そして「河馬に噛まれる」から2編である。同じ時期に発表された「いかに木を殺すか」から本書に収録された短編がない理由は、それが純然たる短編集で連作短編の形式をとっていないためであろうか。「後期短編」としてはややまとまりのない4編が選ばれている。存命中であるにもかかわらず、「後期」と名指すあたりはいかにも「晩年様式集」の著者らしい。ただし「中期」と「後期」の間にはさほど積極的な区別はないだろう。発表順としては先であっても「後期」の範疇に収められている作品もある。
 久しぶりに読み返して、まず初期の短編のみずみずしさに感銘を受けた。初期の作品がサルトルと実存主義の強い影響を受けていることは明らかだ。多くの作品が一種の不条理な状況に追い込まれた人物を描き、出口なしの閉塞が語られる。冒頭の「奇妙な仕事」と「死者の奢り」は犬の屠殺と死体が保存された水槽の保守といういずれもなんとも陰惨なアルバイトに応募した「僕」を主人公としている。平野謙によって同工異曲と評されたらしいこれら二つの短編は吠え続ける実験用の野犬と水槽に浮かぶ死体といういずれも鮮烈なイメージを核としている。肛門に胡瓜を挿入した縊死体、妹の恥毛が写ったカラースライド、あるいは降雨を葉むらに貯める樹木、大江のいくつかの作品はきわめて明確で限定的なイメージから出発しているが、かかる特質は最初期の二編にすでに明らかといえよう。「他人の足」と「人間の羊」は実存的状況への他者の介入を主題としている。実存に他者が介入することは可能か。かかる問題に性的な主題を絡めるのが初期の大江の短編の特質であり、粘液的な文体もこれらの主題に対して効果的に使用されている。この意味においても「セブンティーン」は初期の大江の一つの頂点を画しているだろう。性と政治、鬱屈した青年の内部の葛藤が発表当時の社会的緊張感の中に浮かび上がる。この短編集に、発表直後に右翼の攻撃を受け、今日にいたるまで大江のどの作品集にも収められていない「セブンティーン第二部 政治少年死す」が収録されていない点は残念である。浅沼委員長刺殺事件を扱って当時においてはスキャンダルであっただろうが、もはや当時ほどの衝撃があるとは思えず、何より「セブンティーン」の末尾における主人公の昂ぶりは続編を読むことによって、より明瞭に理解できると考えるからだ。芥川賞受賞作の「飼育」、そして「不意の唖」は初期の傑作中編「芽むしり仔撃ち」と通底する。地名こそ特定されていないが、おそらくは四国の山間部、これ以後の大江の小説で決定的な意味をもつトポスを舞台としている。私はこの二作、そして「人間の羊」がアメリカによる日本の占領という一つの時代を舞台としている点に関心をもった。第一次戦後派の作家たちが大戦を顕在的/潜在的な主題とした多くの作品を発表したのに対して、占領下の日本を扱った文学は比較的少ない。他国による占領というかつて日本が経験したことのない時代は、「遅れてきた青年」である大江によって服従と反抗、閉塞や性的倒錯といった主題へと転換された。この時期は大江が自分たちの「時代の精神」と呼ぶ「不戦と民主主義の憲法」が与えられた時代でもあるが、この一方、江藤淳が明らかにしたとおり、占領政策としての検閲が進められたことも記憶されるべきであろう。そして「初期短編」の最後に収められた「空の怪物アグイー」は大江自身も自らの作品の主題としてきた一種の実存的な危機に直面したことを暗示している。頭に障害をもつ長男、光の誕生である。この個人的なエピソードは直接には「個人的な体験」という傑作に反映されるのみならず、これ以後の大江の小説にほぼ一貫する主題系列をかたちづくる。
 初期の中編が一人称で語られながらも、必ずしも主人公は作家自身に同定されなかったのに対し、中期以降、大江は(光の妹を語り手とした「静かな生活」といった例外は存在するにせよ)自らの実体験を濃厚に反映し、作家自身を語り手とした擬似的な私小説を書き継いでいった。先にも述べたとおり、ここでしばしば連作短編という形式が用いられたことは興味深い。注目すべきはそれらの連作を統一するモティーフだ。例えば最初に収録された「『雨の木』を聴く女たち」連作においては、タイトルに示された「雨の木」、夜中の驟雨を茂みに溜めて翌日の昼頃まで水を滴らせる樹木のイメージが一種の通奏低音として短編集を束ねている。そして多くの場合、先行する文学作品がその傍らに置かれる。「『雨の木』を聴く女たち」ではマルカム・ラウリー、「新しい人よ眼ざめよ」においてはタイトルどおり、ウィリアム・ブレイク。この後、ダンテやサイードがこのリストに加わることを私たちは知っている。障害をもった息子の成長に先人の言葉を重ね、自らの生活を文学的に総括するという大江の基本的な執筆姿勢はこの時期以降、形成されていく。短編の連作という形式は日常の断片を異化して作品化するにあたって有効であったかもしれない。大江の長編に時に浅間山荘事件やオウム真理教事件といった社会的事件の反映をうかがうことができるのに対して、ここに収録された中期の短編では「河馬に噛まれる」に連合赤軍事件の残響が認められることを例外として、大江の日常、とりわけ光との交流の描写が中心となっている。国際会議や取材旅行を理由としてしばしば外国が舞台とされている点も当時の大江の生活を反映しているだろう。さらに大江をめぐる知的なサークルの存在もこれらの短編に大きな影を投げかけている。多く頭文字、時に名前を変えて言及される芸術家や学者たちが、例えば作曲家の武満徹であり、文化人類学者の山口昌男であり、哲学者の中村雄二郎であることは大江の読者であれば誰でも了解されよう。岩波系、あるいは「へるめす」系とでも呼ぶべきこれらの「文化人」たちが今や多く鬼籍に入り、世界樹やトリックスター、中心と周縁、あるいは文化記号論といった80年代文化のキーワードもいささか古びた印象がある。しかし明らかに大江は彼らとの交流から多くを学び、自らの作品の中に生かした。私は例えば山口や中村の80年代の仕事が今日どの程度の普遍性をもちうるかという点には少々懐疑的であるし、実際、近年彼らの仕事について言及される機会は著しく減っているように感じもするが、彼らの仕事に触発されて執筆された大江のこれらの作品の重要性は今後も決して減じることはないであろう。
 ダンテ、アウグスティヌス、ラヴレーから渡辺一夫まで大江が古今東西の師匠(パトロン)たちを自らの作品に招き入れ、傑出した小説群として結実させたことは明らかであり、この自選短編集を読むならば、その経緯がていねいに説明されるかのようだ。先に「晩年様式集」についてレヴューした際、この小説の巻末に記された一つの詩句に、私は大江が小説に託した希望をうかがった。それは次のようなものであった。「私のなかで/ 母親の言葉が、/ はじめて 謎でなくなる。/ 小さなものらに、老人は答えたい、/ 私は生き直すことができない。しかし/ 私らは生き直すことができる。」この短編集の最後に収められた「火をめぐらす鳥」という短編の最後には伊東静雄の次の詩が何度か引かれる。「〈私の魂〉といふことは言へない/その証拠を私は君に語ろう」私は大江が「最後の小説」として執筆した「晩年様式集」の最後に引かれた詩句と「最終定本」として加筆修正したこの短編集の「最後の短編」に引用された詩句の共通性に関心を抱く。果たしてこれらが大江の「最後の長編小説」と「短編小説の最終形」となるのであろうか。おそらく大江自身もよもや80歳を過ぎてから「不戦と民主主義の憲法」が否定され、震災と原子力災害以後の「侮辱の中に生きる」ことになるとは思わなかっただろう。今や私たちはかかる異常事態の中にいる。賞の是非はともかく、「ノーベル賞作家」として国際的にも大きな発言力をもつ大江がかかる不条理、出口なしの実存的状況に対して新作によって応えることを望むのは私だけではないはずだ。
by gravity97 | 2014-10-20 10:06 | 日本文学 | Comments(0)

奥泉光『東京自叙伝』

b0138838_2135565.jpg 先日、レヴューしたポール・オースターもその例であるが、数年にわたってこのブログを続けているとどうしても好みの作家、何度も取り上げる作家が出てくる。オースター同様、奥泉光も新刊を中心に取り上げること、これで三回目となった。本書も奥泉らしい奇想と巧妙な語りが一体となった秀作である。
 「私の記憶と云うのは大変に古くまで遡るのですが、その大半は切れ切れの断片にすぎず、だから纏った人生の記憶の始まりと云う事になると、弘化二年、西暦で云えば一八四五年、この年の正月二十四日、青山権田原三筋町から火が出て、一帯を焼いた火事がありました。これが最初の記憶だ」人を食ったような一文から本書は始まる。全六章から成る本書の第一章は「柿崎幸緒」という人名らしきタイトルが付され、ほかの章も人の名を冠しているから、おそらく柿崎とはこの章の語り手と推察される。そして実際に章ごとに語り手は変わるが、通常の小説における視点の交代とは様相を違える。火事とともに記憶を語り始めた柿崎はまもなく安政の大地震に遭遇し、次のような感慨を得る。「一個の確信が私に出し抜けに押し寄せた。即ち、私が地震に遭うのは今回が初めてではないとの確信だ」火事と地震の記憶が繰り返し刻印された語り手、本書のタイトルを参照するならば、それが何の暗喩であるかは明白だ。本書の語り手は東京という土地のゲニウス・ロキ(地霊)なのである。そして読み進めば明らかとなるとおり、この語り手はしばしば人以外のかたちをとる。ミミズやカゲロウといったエフェメラルな生き物、そしてとりわけ好むのは鼠である。奥泉の小説、例えば『神器 軍艦「橿原」殺人事件』の読者であれば、奥泉の小説の中で鼠に与えられた特権的な位置に馴染んでいるから、さほど驚くこともないだろう。火事や空襲、襲撃などで語り手が危機に陥るや何処からともなく大量の鼠が発生し、語り手を導く。この小説における語り手は、江戸末期に武士の養子となる孤児「柿崎幸緒」から東日本大震災発生時の福島第一原子力発電所の作業員「郷原聖士」まで6人の人物に、小説中で用いられる言葉を使えば「凝集」、私の好む言葉では焦点化しつつ、一世紀半にわたる東京の変貌を語る。レオボルド・ブルームのダブリン、フランツ・ビーバーコップのベルリン、私たちは一つの都市を文学によって表象するいくつかの先例を思い浮かべることができる。それらの小説においては主人公たちの彷徨を介して、都市が空間的に立ち現れるのに対して、本書の特異さは複数の語り手を得て、空間のみならず時間的にも都市像が形成されていく点であろう。東京の地霊という本書のテーマからは荒俣宏の『帝都物語』が直ちに連想される。実際に明治から現代へといたる時間的な広がり、実在の人物を点在させる手法、平将門や震災といったモティーフは両者に共通している。しかし荒俣の小説がウェルメイドな伝奇小説であって、あくまでも伝統的な小説の結構を保っているのに対し、奥泉は小説の形式にも様々の企みをこらす。例えば各章を無数のパートに分割し、それぞれの冒頭に短いレジュメを書きつける手法だ。章の冒頭にその章の梗概を記す手法はさほど珍しくない。例えば今挙げたアルフレート・デーブリーンの『ベルリン・アレクサンダー広場』がその例だ。しかし章の梗概は通常であれば冒頭に書き込まれるのに対して、本書では梗概というより短いキーワードが太い活字とともにきわめて頻繁に地の文章に介入する。キーワードと本文を併置する書式から私が連想したのは小説ではなく歴史の教科書である。b0138838_21354597.jpg縦書きと横書きの差異こそあるが、私が昔学んだ歴史の教科書はその時代のトピックを太ゴシックで短く示したうえで詳細を地の文で解説するという形式がとられていた。両者の相似は本書が一種の歴史記述であることを念頭に置くならば不思議はないが、この部分がなくてもテクストをつなぐことは可能であるから、このような表記はある意図のもとになされている。つまり読者は、次の章の成り行きをあらかじめ目にしたうえで物語を読み進めるのだ。説話論的に述べるならば、本書は先説法の集積によって形成されている。かかる時制は興味深い。ここでは未来を予告しつつ現在が記述される。このような手法がはらむ意味については後で論じるとして、読者の意識を中断する仕掛けは無数のキーワード表記だけではない。この小説は主に口語調の敬体で語られるが、時折奇妙な表記に出会う。ソンナ、コンナ、スッカリ、マアといった副詞や連体詞がなぜか片仮名で表記されるのだ。「この頃はソンナ酒好きでもなかったがマア付き合った」といった調子だ。読み進むうちに慣れてくるとはいえ、このような表記はかなり異様である。レジュメとぎくしゃくした片仮名表記によって物語はたえず中断され、私たちは読書に集中することができない。このような揺らぎは語り手にも共有されている。先にも述べたとおり、本書は主として6人の語り手によって順番に語られるが、それぞれの語り手は必ずしも自らの位置を把握していない。一例を挙げるならば第二章の「榊春彦」に焦点化する前、つまり第二章の最初の部分で「私」は猫、カゲロウ、浅蜊、そして鼠へと次々に焦点化し、しかもそれらの記憶は曖昧である。関東大震災の到来を機に「私」は榊春彦として語りを始めるが、その後も榊の意識の中には様々な生き物の記憶が混在する。語り手の意識のぶれ、一貫した意識の流れをたえず阻害する夾雑物は、小説の形式を介しても暗示され、読み手にも経験されるのである。
 いつもながら形式に拘泥してしまった。内容に戻ろう。先に述べたとおり、本書では江戸末期から現代にいたるまで六人の話者がまるでリレーをするかのように、東京という土地をめぐる物語を語る。「柿崎幸緒」は江戸から明治、幕府の武士から新政府の官員へと変わり身の早い男だ。「榊春彦」は軍隊との関係が強い。陸軍幼年学校から士官学校、陸軍のエリートコースを歩み、英国留学から関東軍、ノモンハン事件に立会い、敗戦にいたるまでの日本陸軍の栄光と転落を体現している。第三章の「曽根大吾」は戦後の裏面史であろうか。曽根は東京大空襲のあたりから記憶を獲得し、闇市で頭角を現し、ヤクザたちとの闘争を繰り返して勢力を拡大し、ヒロポンから取り込み詐欺、不動産売買に手を広げ、裏の世界の顔役となるが、最後は軍の隠匿物資をめぐる暗闘に引き込まれ、車ごと焼き殺される。第四章の「友成光宏」は混乱から繁栄への戦後史の分身だ。京都大学を卒業して商社に勤務し、サンフランシスコ講和条約絡みのアジア賠償、労働争議といった騒然たる世情を背景に勢力を拡大し、保守党政権と密接な関係を築く。一方で皇太子成婚、浅沼委員長刺殺から東京オリンピック、さらにはビートルズ来日といった戦後日本のメルクマールとなった事件とも関わっていたことを自慢する。友成に関してもう一つ特筆すべきは、テレビ放送と原子力発電の日本への浸透を画策した点である。物語の中で友成は「読買新聞」の正刀杉次郎、いうまでもなく読売の正力松太郎とともに戦後日本の核アレルギーを払拭すべく策動するのであるが、実は友成は長崎で被爆も体験している。安保闘争あたりで語り手は友成から離脱し、第五章の「戸部みどり」で初めて女性の視点をとる。時代は昭和から平成へ、バブルの狂熱が東京を包む。八百屋お七の生まれ変わりでもあり、放火現場で自分に覚醒した戸部は都立大学の法学部を卒業し、法律事務所に勤務する一方で、夜な夜な都心のディスコに足を運んではバブルに沸き立つ東京を満喫する。戸部は地下鉄サリン事件や山一證券廃業といった事件にも関わり、彼女自身がバブルの絶頂から崩壊へという時代の病理を正確に再現するかのごとき転落を続ける。最後に登場する「郷原聖士」は先にも述べたとおり、東日本大震災の際に福島第一原子力発電所で自らに覚醒する。この章は比較的短く、原発事故の顛末の後、派遣労働、ネットカフェ、通り魔事件といった比較的最近の出来事が郷原を通して語られる。
 今、ごく簡単に要約したが、このような内容を知ったとしても本書を読む楽しみが損なわれることはない。六人の人物の物語は相互に複雑に入り組み、このあたりはいつもながら奥泉の語りの真骨頂といってよいだろう。そして東京をめぐるおよそ一世紀半の物語も虚実入り乱れたまま物語の中に嵌入し、現実と創作の境界は不明確となっていく。本書の語りの独自性は複数の話者にあるが、興味深いことにこれらの話者は必ずしも相互に排他的ではない。それが典型的に示されるのは第三章の最後の場面だ。曽根は軍の隠匿物資の隠し場所を知るために、ある男を脅してほしいと依頼される。その男とは榊春彦、いうまでもなく第二章の語り手である。友成は自分に会って自分を脅すことを求められるのだ。まことにフィリップ・K・ディックの「スキャナー・ダークリー」的な状況というべきであろう。「榊晴彦はかつて私だった人間にすぎない。いまは全然私ではない。したがって榊は赤の他人である。とコウ箱根へ来る道すがら、私は自分に言い聞かせてきたのですが、実際会ってどうだったかと云えば、これがヤッパリどうにも薄気味悪い」しかしかかる説話論的矛盾を奥泉はあっさりと解決する。つまり語り手が同時に存在する場合は章のタイトルを与えられた話者が優位に立つのである。第三章の終わりで曽根は榊を撃ち殺すが、同時に乗っていた車が炎上する。それを目撃していたのが第四章の語り手、友成であるから、この場面では殺す私と殺される私、そしてそれを目撃する私、三人の「私」が共存している訳だ。動物から人間までさまざまのかたちをとる「私」というトリックがこのような状況を可能にしている。ちなみにかつて「私」であった者の固有名を羅列してみよう。ビートルズ来日時のジョン・レノン、三億円事件の実行犯、三島由紀夫、数々の通り魔事件の犯人。ほとんど錯乱的な内容であるが、実は物語の初めでは一人の人物の中に比較的固く「凝集」ないし焦点化されていた「私」は物語の進行につれて、つまり時代が下るにつれて拡散し遍在することとなる、戸部みどりに至っては超満員のディスコに蝟集する若者たちが全て「私」であるという「原生動物的快楽」を味わいさえするのである。とめどなく増殖、拡散する「私」というテーマは星野智幸の「俺俺」を連想させないでもない。
 さて、交代する語り手というテーマは文学史において一つの主題系列をかたちづくる。それは転生という主題だ。私はこの系譜を形成するいくつかの作品を連想する。例えば三島由紀夫の「豊饒の海」五部作であり、なによりも中上健次の「千年の愉楽」である。中上の小説においては紀州の「路地」を舞台に高貴で不吉な血の宿命で結ばれた若者たちが、淫蕩と悪行の果てに次々に夭逝していく様が描かれ、彼らの短い生涯を見届けるのがオリュウノオバと呼ばれる産婆である。(このような構造が「百年の孤独」の登場人物とウルスラの関係と相似であることはいうまでもない)この時、興味深い問題が浮かび上がる。つまり転生という主題はしばしば反復という問題と結びつくのだ。「千年の愉楽」では半蔵、文彦、オリエントの康といった別々の名前をもつ美貌の青年たちが憑かれたかのように無残な死を繰り返す。この傑作を読み終えた時、私たちはこの反復が実に豊穣であることを知る。中上の死後、熊野大学にも出講した経験のある奥泉が本書を執筆するにあたってこの小説を意識しなかったと考えることは難しい。本稿を書き進めるにあたって「千年の愉楽」をぱらぱらと参照した私は「ラプラタ綺譚」の冒頭に書きつけられた次のテクストに引き寄せられた。

 オリュウノオバは或る時こうも考えた。自分の一等好きな時季は春よりも生きとし生ける物、力のありったけを出して開ききり伸び切った夏、その夏よりも物の限度を知り、衰えが音もなしに量を増し幾つもの管が目づまりし色あせ、緑色なら銀色に、紅い花なら鉄色に変わりはじめる秋、その秋よりも枯れ切った冬、その冬よりも芽ぶく春。オリュウノオバは時季ごとに裏山で鳴く鳥の声に耳を澄まし、自分が単に一人のオリュウではなく、無限に無数に移り変る時季そのものだと思っていた

 引用の最後の部分など「東京自叙伝」を予示するかのようではないか。さらにこのパッセージは奥泉の小説の本質と関わる重大な問題を提起している。前段で言及されるのはいうまでもなく四季の循環である。「東京自叙伝」が歴史、つまり時間を主題としていることは明らかだ。ところで古代ギリシャ人は時間をクロノスの時間とカイロスの時間に区別していた。クロノスが線的に流れる時間であるのに対して、カイロスとは循環する時間であり、端的な例は四季である。中上の引用は「千年の愉楽」における時間がクロノスではなくカイロスのそれ、回帰し、循環する時間であることを暗示している。ひるがえって「東京自叙伝」の場合はどうか。確かにここで語られるのは1845年から2011年まで一世紀半にわたるクロノスの時間、帝都東京のクロニクルである。しかし実はそれは本質においてカイロスの時間、反復される時間ではなかったか。かかる反復を保証する出来事は何か。いうまでもなく震災と火事だ。原子力災害を一種の火災と考えるならば、私たちはこの土地でこれらの二つの災いが幾度となく反復され、2011年3月には凶々しく同期さえしたことを知っている。壊滅の予感。その日以来、私も仕事で東京に行くたびに語り手たちと同様に興奮と緊張を味わう。なぜなら今や、いつ次の大震災が襲うかもしれず、一方で日々放射能によって汚染されているこの都市はもはや一種の死相を呈しているからだ。その一方、このメトロポリスは6年後のオリンピックに向けて、日本中の富を収奪して異様な虚飾をまといつつもある。確かに今日、かくもエキセントリックな都市は世界でもほかに例がないだろう。未来を予告しながら現在を記述する本書の叙述は、東京という都市の繁栄が常に壊滅を前提に築かれていることを暗示しているかのようだ。「マアどちらにせよ、近い将来、東京は壊滅してしまうのだから―と申しますか、すでに壊滅しつつあるわけですから、あれこれ考えても仕方がありません」本書は富士山爆発の幻視とともに幕を閉じる。しかしこのような壊滅もまた東京の転生の一つの相に過ぎないと考えるならば、本書はこの異例の都市にふさわしいまことに特異な「自叙伝」といえよう。
by gravity97 | 2014-07-10 21:37 | 日本文学 | Comments(0)

井上光晴『西海原子力発電所』

b0138838_11213384.jpg 書店で新刊を確認していると、講談社文芸文庫から井上光晴の『西海原子力発電所|輸送』が刊行されていることを知った。思わず自分の不明を恥じる。原子力災害を経験し、このブログで何度もこの問題について論じながら、私はこの二つの小説について全く失念していた。1986年と88年に発表されたこれら二つの小説を私はリアルタイムで読み、いずれも単行本を所持している。執筆された年代から推測されるとおり、これら二つの小説は直接にはチェルノブイリ原子力発電所事故を反映している。実際に井上は『輸送』のあとがきに次のように記している。「小説『西海原子力発電所』の執筆中、チェルノブイリ原発の爆発に直面して、私は急遽テーマを改変したが、今になって思えば、構想した通り、西海原子力発電所の原子炉事故によってこの上もなく汚染されて行く町や港の状況を克明に描写ればよかったのである」西海原子力発電所が佐賀県の玄海原子力発電所を暗示していることはいうまでもない。実際に原子炉事故を体験した私たちには、井上の想像力をもってしても現在のフクシマの惨状を予測しえたかという思いもある一方で、原子力災害から三年が経過し、あまりにも酷い現実はもはやノンフィクションではなく小説によってしか応接できない域に達しているとも感じる。私は直ちに書庫からこれら二つの中編小説を取り出して再読した。先に私は今回の震災と原子力災害の結果、東北地方が国家から見捨てられることを30年以上前に予見した西村寿行のパニック小説について論じた。今引用したとおり、井上は原子炉事故そのものを小説の主題とすることをあえて避けた。(「輸送」ではタイトルが暗示するとおり、核物質の運搬事故によって引き起こされた原子力災害が描かれている)しかしいずれの小説も原子力発電所の本質である差別と非人間性をみごとに主題化してきわめて今日的であり、私はあらためて井上の作家としての感覚の鋭さに脱帽する。今回は物語の内容にも立ち入りながら論じる。
 新しいテーマが扱われているからといって、井上の小説が一新された訳ではない。それどころか本書の幕開けに私は強い既視感を感じた。忌まわしい不審火の原因について人々が口々にあらぬ妄想を口走る冒頭は「西海原子力発電所」の20年前に発表された「赤い手毬」という短編と同一といってよい。物語の舞台はいつもどおり九州西部の荒廃した漁村であり、無人となった炭鉱住宅、マルタンと呼ばれる炭鉱離職者たち、廃坑地域に跋扈する新興宗教といった道具立ては井上の小説で見慣れたモティーフばかりだ。さらに物語の中で重要な役割を果たす廃坑地域を巡業する旅芸人の一座も「ミスター夏夫一座」をはじめとする井上の多くのマルタン小説に登場する。
 焼け跡からは二人の焼死体が見つかる。一人は原子力発電所で勤務中に被曝し、その後精神に変調をきたして自殺した作業員を夫にもつ水木品子、もう一人は原子力発電所で特殊な仕事に従事していると噂される名郷秀次という男である。名郷は親愛会という新興宗教にも関わっており、やはり親愛会に入信している妻をもつ魚市場の主任、小出は独自にこの事件の真相を調べ始める。この過程で登場人物の関係が次第に浮かび上がる。水木品子は夫の死後、自らも精神を病み、放射能の影響で動物の奇形や住民の健康への障害が発生しているという妄言を公然と繰り返していた。寡婦となった水木のもとに愛人然と通っていたのが、この地域を巡業する有明座という旅芸人の一座の役者、浦上耕太郎であり、長崎で被爆した経験のある座長、浦上新五が主宰するこの一座は一連の反原爆・反原発の芝居を主たる演目としていた。一方、名郷は原子力発電所で反原発運動を切り崩す仕事に従事していたことが明らかとなる。水木品子の葬儀に水木と親交があったという二宮ソノ江という女性が出席し、席上で水木は殺されたと主張する。二宮は浦上耕太郎と名郷が知り合いであることも暴露するが、浦上は否定する。火事は謀殺か痴情のもつれか、そもそもなぜ火災の現場に名郷がいたのか。手法を重視する井上の小説らしく、この中編も重層的な構造をとる。物語はしばしば小出に焦点化しながら進行するが、ほかにも複数の視点が交錯し、物語は一人の話者に収斂することがない。さらに物語にはレヴェルの異なるいくつものテクストが混在している。「プルトニウムの秋」という芝居の台本、登場人物の一人が書いた手紙、電気事業連合会が発行するPR誌の記事、アメリカ原子力協会が発行した「核燃料と廃棄物」という核物質輸送マニュアル、このうち「プルトニウムの秋」は実際に井上がこの小説に先立って発表した戯曲らしいが、私は未読である。後の二つも現実に存在する記事とマニュアルであろう。かくして物語という虚構の中に巧みに現実が導入される。そして電力会社が地域の家族の構成員や思想傾向まで個人レヴェルで情報収集しているという噂、あるいは反原発の芝居を上演する劇団に対し、旅費や遊興費は電力会社の負担でアメリカの演劇を視察してこないかと籠絡を試みる場面なども、福島の事故と関連した多くのノンフィクションを読んだ今となっては単なる作家の創作とは感じられない。
 井上は「地の群れ」以来、差別の重層構造という主題に一貫して取り組んできた。「地の群れ」においては被差別部落と被爆者部落というともに差別される集団相互の憎悪を介して差別が再生産される状況が仮借ない筆致で描かれていたが、原子力発電所ほど差別が重層的に構造化されている場所はほかに例がないだろう。東京電力を頂点に下請け、孫請けときわめて入り組んだピラミッド体制が敷かれていることは知られているとおりである。小説中に挿入される「プルトニウムの秋」の中では作業で被曝したことを申請するために就業していたことを証明してほしいと懇願する作業員を発電所の技師が玄関払いするエピソードが語られる。しかし原子力発電所が生み出す差別は就業者間で発生するのみではない。さらに深刻な差別は被害者である被曝者に向けられる。被爆した夫が自殺した後、水木品子は近いうちに西海原子力発電所で事故が発生して近隣の住民が犬か猫のような顔になると触れ回る。被曝者に対する差別のステレオタイプといえようが、福島の原子力災害の後、福島県の若い女性が自らの出身地を隠そうとする事実を知る私たちに水木を笑う資格はない。このように考えるならば、核兵器と原子力発電の同質性もまた明らかとなる。両者はいずれも差別を生産し、共同体を破壊する。かつて私はこのブログで集英社の「戦争×文学」のうちの一巻、「ヒロシマ・ナガサキ」を論じたことがある。そこには広島と長崎の被爆体験と並んで、一編のみ原子力発電所と関わる作品が収められていた。水上勉の「金槌の話」である。しかし水上の小説はどちらかといえば暗示的で寓意的であった。最初に触れた講談社文芸文庫版の井上の新刊の解説を担当しているのが、「ヒロシマ・ナガサキ」に解説を寄せている成田龍一であることは偶然ではない。おそらく「西海原子力発電所」もこのアンソロジーの中に収められるべきであり、それが可能であれば被爆/被曝の連綿たる歴史が日本の戦後史の裏面をかたちづくってきたことはより明確になったであろう。
 今、私は井上の作品において被爆/被曝という主題の連続性が認められることを指摘した。さらに私はもう一つの主題にも注目したい。それは石炭から原子力というエネルギーの転換に関わっている。知られているとおり、井上は「階級」や「妊婦たちの明日」といった多くの小説で廃坑地域における人心の荒廃を描いた。戦時中、炭鉱では徴用された多くの朝鮮人によって石炭が採掘され、戦後もエネルギーの基幹として多くの炭鉱が栄えた。しかし石炭から石油へというエネルギー・シフトの中で多くの炭鉱が閉山に追い込まれ、大量の炭鉱離職者が発生し、共同体が崩壊していった。かかる背景を想起するならば、廃坑と原子力発電所という小説の主題の選択は現実と完全に平仄が合っている。そして実際に福島においてかかる転換は常磐炭田から福島原発へ労働力の転入を引き起こしたのであり、さらにいえば廃坑によって一つの共同体が荒廃し、崩壊していったように(長崎の軍艦島を想起するとわかりやすい)、原子力災害によって近隣の住民が故郷を追われ、結果として共同体が破壊されつつある状況を私たちは今まさに目撃している。炭鉱と原子力発電所、戦後の日本におけるエネルギーの基幹はいずれも資本によって一方的に支配され、想像を絶する峻烈な差別構造によってかろうじて成立していたという事実を井上の小説は明らかにする。さらに「地の群れ」「手の家」「明日」といった長崎の被爆を主題にした一連の小説を想起するならば、井上が生涯にわたって戦時における核兵器、平時におけるエネルギー問題という相互に密接に関連し、しかもともに差別の再生産と深く関わる主題を扱ってきたことが理解されるだろう。
 物語の終盤でもう一つの問題が浮上する。有明座を主宰する浦上新五はかつて長崎で被爆し、この経験によって有明座の前身となる「原子爆弾専門」の浦上座を旗揚げした。しかし水木品子との関係を詰問する新五に対して、浦上耕太郎は原爆が投下された当日、新五は長崎市内にいなかったのではないかと問い、新五の原爆体験は偽物であると糾弾する。これに対して新五は当日ではなく三日後に救援隊として長崎に入ったことを認めながら、自分の立場は被爆者となんら変わるものではないと反論する。ここでは被爆体験が何によって担保されるかという点が問われている。さらにほかの劇団員も同様に被爆を詐称していたことが判明し、反核兵器という一座の存在意義が問われる。体験の詐称はこれに留まらず、浦上耕太郎自身が自ら語っていた/騙っていた幼時の被爆という経歴が、胎内被爆したもう一人の耕太郎の愛人によって虚偽であると断罪されるクライマックスへとつながっていく。ここでは何がフィクションを成立させるかという、井上が生涯をかけて追及してきた問題があらためて浮かび上がるとともに、私は以前見た原一男のフィルム「全身小説家」において、そもそもの井上自身が自らの経歴を虚構として提示していたといったエピソードを連想した。しかし私がここで論じたいのはこの問題ではない。浦上新五の原爆体験の真偽はまさに被爆/被曝という問題に関わるのではないかと考えるのだ。浦上のケースは今日、入市被爆と呼ばれている。すなわち原爆投下後、救援もしくは肉親捜しなどのために広島や長崎に入った者が残留する放射能によって被曝し、放射能障害に苦しむこととなった。これについては先に触れた「戦争×文学」の「ヒロシマ、ナガサキ」の巻でいくつかの小説や戯曲の中で描写されていたことが想起される。原子爆弾の高熱や破壊による直接の被爆ではなく、残留放射能による被曝。それは現在の福島の警戒区域と重なり、実際に福島の原子力災害の後で入市被曝の問題が再びクローズアップされたことは記憶に新しい。今回はあえて論及しなかったが、もうひとつの小説「輸送」において、西海原子力発電所から核物質を搬出するトレーラーが海中に転落する事故の後、事故現場に近接する孤島の老人施設で頻発する健康障害は明らかに入市被爆の症状を連想させる。したがって浦上新五は自身の体験をなんら隠す必要はなかったのだ。原子力災害における被曝がヒロシマ、ナガサキ同様に非人間的な災厄であることを私たちはかつてチェルノブイリで知り、今まさにフクシマで確認しつつある。長崎の原子爆弾と福島の原子力発電所は悪魔の双頭なのである。b0138838_11221577.jpg
by gravity97 | 2014-03-23 11:27 | 日本文学 | Comments(0)

大江健三郎『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』

b0138838_1931194.jpg 最初に断っておくが、私は必ずしも大江のよい読者ではない。大学に入学した直後に読んだ『同時代ゲーム』に感銘を受け、それまでに発表されていた小説(大半が文庫化されていた)については一年ほどかけてほぼ全てを読んだ。その後も『「雨の木」を聴く女たち』から『河馬に噛まれる』にいたる連作短編集、『懐かしい年への手紙』のあたりまではほぼ発表と同時に読んだ覚えがある。しかしこのあたりから、新作の発表と実際に読んだ時期との間にタイム・ラグが生じたようだ。「燃え上がる緑の木」三部作、そして『宙返り』といった大作を私は単行本として所持しているし、読んだ記憶もあるが、やや印象が薄い。このあたりで大江への集中力は途切れてしまい、私は大江が言う「レイト・ワーク」のうち、『取り替え子』に始まる「スウード・カップル」三部作を読んでいない。長江古義人を主人公とした一連の擬似私小説に私はどうにもなじめなかったのである。しかし大江が東日本大震災というよりも福島第一原子力発電所の事故による原子力災害を受けて『群像』に「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」なる小説の連載を開始したというニュースに関心を抱き、連載完結後に刊行された本書を通読した。これから論じるとおり、「最後の小説」にふさわしく、この小説はこれまで大江が発表した小説と複雑に絡み合っている。先行する「レイト・ワークス」はもちろん、初期の短編である「空の怪物アグイー」そして特に『懐かしい年への手紙』はこの小説の前提を構成している。久しぶりに大江の小説を読む準備として、私はまず長らく書斎のNEW ARRIVALの棚に放置していた近年の長編『水死』を通読し、長江古義人の近況を確認した。老境に達した大江の分身である長江、そして大江光の分身としてのアカリとの葛藤が描かれるこの小説も私はそれなりに興味深く読んだ。本来ならばこれに先行する『取り替え子』や『憂い顔の童子』なども通読し、そして何よりも『懐かしい年への手紙』を再読したうえで本書は評されるべきであろうが、大江の長編を読むためにはいささかの覚悟が必要であり、今の私にそれほどの余裕はない。『水死』を通読したうえで、それ以前の小説についてはおぼろげな記憶とともに本書についてレヴューすることとする。
b0138838_194752.jpg
 本書のタイトルはいうまでもなく、大江の友人であったエドワード・サイードの遺著「On Late Style」から引かれている。『晩年のスタイル』として既に邦訳も刊行されているこの刺激的な書物についてはこのブログでも論じた。大江は本書の「前口上として」の中でサイードについて触れ、サイードの著作が「晩年の様式について」であるのに対し、自分の文章は「晩年の様式を生きるなかで」書き記されるため、In Late Style であり、いくつものスタイルの間を動くことになるだろうから、さらに「晩年様式集」とルビをふることにしたと述べている。『水死』において古義人とアカリの決定的な衝突の原因となったのが、サイードの自筆書き込みのある楽譜にアカリがボールペンで書き込みをした事件であったことを想起するならば、これらの小説に亡きサイードの影は色濃い。
 この小説は主人公の長江/大江が東日本大震災の後、破壊された書庫と寝室の間の踊り場で「ウーウー声を上げて泣く」場面から始まる。この小説に登場する人物も私たちは既になじんでいる。長江の息子のアカリ、妻の千樫、娘の真木、長江を先導し、自殺した映画監督の塙吾良、大学の恩師である六隅先生、あるいは作曲家の篁さん、彼らのモデルとなった人物の多くについて私は固有名を与えることができる。一方、ギー兄さんやリッチャン、シマ浦さんといった人物については少なくとも私は特定のモデルが存在するか判断できない。しかし多くが大江の小説に既に登場した人物であり、この意味で本書を含む一連の小説は大江の家族をめぐる一種のサーガを形成している。しかしそこには微妙な変化が兆しつつあるようだ。先に述べたとおり、私は2000年以後に発表された「レイト・ワーク」については『水死』しか読んでいないので、理解の足りない点があるかもしれないが、一つは長江がもはや老齢に達したということだ。長江は今、自分の書いている小説が文字通り最後の小説となるかもしれないという予感を抱きながら小説を執筆する。長江は自らの「晩年のスタイル」を構築しなければならないという強い自覚を抱いている。この自覚は明らかにサイードの著作に触発されたものであろう。『水死』にはアカリと衝突した直後、長江が「大目眩」と呼ぶ発作を起こし、その後も断続的に発作に襲われたことが記されていた。長江にとってもはや死とは自分と無縁でないのだ。そしておそらく長江の加齢とも関係しているが、これまで一方的に小説の中に描かれていた人物たちが長江に反抗を始める。これまで長江に保護される存在であったアカリが長江を拒絶する『水死』は一つの予兆であったかもしれない。『晩年様式集』においては長江によって「一面的な書き方で小説に描かれてきたことに不満をもつ」女性たち、つまり長江の姉のアサ、妻の千樫、娘の真木が「三人の女たち」というグループを結成し、『「晩年様式集」+α』という私家版の雑誌を発行し、長江の語りの妥当性を追及する。彼女たちが語り手となる「三人の女たちによる別の話」と題された章は小説中に四回にわたって挿入され、長江は時に兄、時に父と名指しされるため、この小説は説話論的にはかなり複雑な構造をとる。そして本書ではもう一人の重要な人物が加わる。『懐かしい年への手紙』において主人公の教師であり、最後に不可解な死を遂げたギー兄さんの遺児で、アメリカでTVのプロデューサーとなったギー・ジュニアが来日し、長江にインタビューを行うのである。ギー・ジュニアは「カタストロフィー委員会」なる組織への報告書のためにこのインタビューを行っている。カタストロフィーなる言葉がサイードの『晩年のスタイル』から引かれていることはいうまでもなかろう。サイードにとって晩年性とは「円熟や老成といった境涯を否定するかのように晩年にあってスタイルを変えることを恐れず、時にそれまで営々と築いた成果を破壊してまでも新たな挑戦を続ける姿勢」であった。実際にギー・ジュニアは晩年に意志的にカタストロフィーを避けなかった芸術家としてサイードと篁を挙げ、長江がかかるリストにふさわしいか判定することがインタビューの目的であると述べる。このインタビューは長江の小説の舞台となる「四国の森」でなされており、この点に『晩年様式集』と『水死』の共通性を認めることができるかもしれない。すなわちいずれも長江の生活に闖入してきた者たち、前者ではギー・ジュニア、後者では「穴居人」という劇団を構成する若者たちとの出会いを契機にして長江は自分の根拠地たる「四国の森」に向かい、前者ではアカリの「森のフシギ」の演奏、後者では「メイスケ母出陣と受難」という演劇の上演が物語のクライマックスをかたちづくっている点である。しかし両者には大きな差異もまた存在する。b0138838_1953284.jpg
 今、私は主人公長江をめぐって『晩年様式集』の物語の骨格とも呼ぶべきストーリーを粗描した。一方でこの小説は執筆された時期の大江の活動が濃厚に反映されており、長江と大江は微妙な関係にある。本書は踊り場で「ウーウーと声を上げて泣く」長江と「ダイジョーブですよ、ダイジョーブですよ」と励ますアカリの情景で始まる。既にここに長江とアカリの立場の逆転は暗示されているが、長江の不安の原因は現実の原子力災害によってもたらされた放射能汚染であり、「四国の森」への移動も「アカリをどこに隠したものか、と私は切羽詰っている。四国の森の『オシコメ』の洞穴にしよう、放射性物質からは遮断されているし、岩の層から湧く水はまだ汚染していないだろう!」という一種の避難の意味をもっている。(このような危機感が震災直後、多くの表現者に共有されていたことに私は今一度注意を喚起しておきたい。例えばこのブログで触れた岡田利規。関東大震災後に関西に映った谷崎潤一郎のごとき作家と原子力災害というかつてない災厄によって、移住を強いられる者たちとを比較することは可能だろうか)本書は長江の東京から四国への移動、あるいは二つの土地の間の往復の物語であるが、一方で大江はあえて東京に留まり、時にル・モンド紙のインタビューに答え、反原発集会に参加し、外国人記者クラブでの記者会見に応じる。もちろん私たちも大江がこの時期に続けた様々の抗議活動を知っている。このためこの小説では主人公の長江に奇妙な分裂が認められるのだ。例えば『水死』であれば、私たちは老齢に達した「長江古義人」という主人公が最後の小説を断念し、出生地で自分の作品に基づいた演劇の上演を試み、あるいは障害のある息子アカリとの衝突し、やがて和解する物語であると理解することができる。しかし『晩年様式集』では長江はいつのまにか大江へと分裂し、物語の審級が不明確となるのだ。おそらくこのような破綻は意図的に導入されている。東日本大震災と原子力災害は、かつて『懐かしい年への手紙』の中で「黒い大水」の夜にギー兄さんを失い、『ヒロシマ・ノート』で原爆の非人間性に直面した大江にとって、もはや長江というダブルによって語ることが不可能なほどに自らに、自らの文学に直結した「カタストロフィー」だったのだ。途中からもはや説話的な構造を破壊しても作者が物語に介入する姿勢はサイードのいう「不調和、不穏なまでの緊張、またとりわけ、逆らいつづける、ある種の意図的に非生産的な生産性」であろうか。正直に言って私はこの小説がそこまで円熟や老成からかけ離れた破壊的な挑戦とは感じられなかった。むしろ本書は「レイト・ワーク」のクライマックスであり、全編にみなぎる切迫感と緊張においておそらく大江の小説の一つの頂点をきわめた作品ではないかと考える。大江にとっても困難な小説であっただろう。そしてそれゆえ、物語が一つの希望を感じさせる詩で終えられることに私は深い感銘を覚えたのだ。本書の巻末に掲げられた詩の最後のフレーズを引用してこの文章を終えることとする。

私のなかで/ 母親の言葉が、/ はじめて 謎でなくなる。/ 小さなものらに、老人は答えたい、/ 私は生き直すことができない。しかし/ 私らは生き直すことができる。
by gravity97 | 2013-11-26 19:08 | 日本文学 | Comments(0)

奥泉光『グランド・ミステリー』

b0138838_21215752.jpg
 奥泉光に関してはかつてこのブログでも『シューマンの指』をレヴューしたことがある。その際に記した「奥泉の小説はあまり長くない方がよい」という言葉を撤回しよう。文庫にして1000ページ近いこの大作は傑作と呼ぶにふさわしい。私は以前本書を手に取った覚えがあるが、あまりの長大さと佐世保湾に停泊する軍艦云々という冒頭の描写を読んでそのまま頁を閉じてしまった。刊行の順とは逆になるが、実は私は以前に同じ作家のやはり軍艦を舞台とした長編『神器―軍艦「橿原」殺人事件』を読んでいた。私の印象では奥泉の作品は出来不出来の差が大きく、正直言ってあまり面白くなかった。本書はこの長さで、しかも軍艦というテーマが重複していることに辟易して敬遠したのであるが、文庫化されたことを契機に通読したところ、実に面白いではないか。タイトルにあるとおり、本書は一種のミステリーとしての結構を有しているから、種を明かすことなしにレヴューすることは難しいが、未読の読者の楽しみのために今回はあえて小説の核心には触れず紹介することにしよう。
 この長大な小説も実に奥泉らしい作品である。ミステリー仕立て、つまり謎の提示とその解明という枠組は『ノヴァーリスの引用』や『シューマンの指』といった代表作をはじめ、多くの作品に共通する。日本の軍隊という組織を直接にテーマにした小説としては今述べた『神器―軍艦「橿原」殺人事件』のほかにも私は『浪漫的な行軍の記録』を読んだことがある。さらに複数の時間が錯綜する構造も『石の来歴』をはじめ、いくつもの小説において認められる。つまり本書は奥泉がこれまでの小説で駆使した枠組やテーマ、説話的構造を全て投入した大長編といってよいだろう。
 まず「謎」について確認しておこう。本書はプロローグと七つの章によって構成されている。プロローグでは1934年に佐世保湾で謎の爆発を起こして沈没した水雷艇「夕鶴」について語られる。この短い断章が本書で提起される謎の伏線となることはミステリーの定石である。次いで物語は1941年12月8日の真珠湾、太平洋戦争の開戦時に舞台を移す。ここで語られる謎については文庫のカバーにも記されているから明かしてもよかろう。真珠湾攻撃に出撃し、空母「蒼龍」に無事帰艦した九九艦爆機のパイロット、榊原大尉が帰投直後、コックピットの中で服毒自殺を遂げたのである。ほぼ同じ時期にもう一つの事件が起きる。こちらは航空機ではなく潜水艦、同じく真珠湾攻撃に参加する伊二四号潜水艦の中で特攻任務に就く特殊潜水艇の乗組員が出撃前に艦長に託した遺書が金庫ごと盗まれてしまったのである。なぜ毒殺されたのか、どこに隠されたのか。二つの謎からクリスティーの「三幕の悲劇」とポーの「盗まれた手紙」を連想することは容易だ。そして無関係に感じられる二つの事件が次第にもつれ合って新しい真実を指し示すことも本格推理の常道だ。読み終わってみると確かにこの小説はこれら二つの謎解きと読めなくもないのであるが、小説的技巧に長けた奥泉は文字通り全編を通じて様々なたくらみをこらして読者を惑乱させる。先ほど本書が時間的に錯綜すると述べた。第一章の「真珠湾」以降、奇数章ではそれぞれ「ミッドウェー」、「ソロモン」、「硫黄島」という三つの戦地が章のタイトルに付され、舞台/戦場が次第に日本に近づく様子は開戦以降次第に敗色を濃くしていく日本を暗示している。一方偶数章は戦地ではなく内地を舞台とし、「東京〈1942〉」、「東京〈1943〉」、「鎌倉」というタイトルが場所と時間を示している。タイトルの順序は時系列に沿っており、いくつかのストーリーが並行し、戦地と内地が交錯するとはいえ、語られる事件は真珠湾攻撃から硫黄島での玉砕にいたる太平洋戦争中の比較的短い期間に生起する。ただしこの小説の中には一点、全く異なった時代、すなわち1970年代中盤のエピソードと思しき挿話が存在する。数頁の短いエピソードであり、例によって現実と幻覚のあわいのような書きぶりによって表現されている。実はこの箇所は小説の構造においてきわめて重要な意味をもつのであるが、初読でその意味を理解することは難しいだろう。三人称の語りのほかにも書簡や遺書、既に出版された手記などいくつものレヴェルの違うテクストを並列に織り交ぜる手法も奥泉が得意とするところだ。しかもそれらの手紙や手記の書き手自体が物語の中に登場するのであるから、物語はさらに錯綜する。そしてそれらのテクストは時に相互に矛盾し、互いを参照する。例えば第三章の冒頭で読者は思わず頁を繰って登場人物の名前を確認するだろう。合理的な物語としては説明できない状況が記されているからだ。それぞれの章はいずれも短い断章の積み重ねとしてクライマックスに達するや中断されるかたちで次の物語に引き継がれる。読者の推理や理解は物語の中でいわば宙吊りにされたまま次の物語が始まる。物語の解決を先延ばしにするこのような手法もきわめて効果的である。いくつもの謎が繰り出され、時に合理的に解決され、時に新たな謎を呼び、時にきわめて不可解な幕引きをみる。大森望は解説で本書を「本格ミステリーのモチーフと戦記文学の背景とSFの設定を借り、現代文学の方法論を使って書かれた一大エンターテインメント」と評する。確かにそのとおりではあるのだが、本書を読まない限り、一体どのような小説であるかイメージすることは難しいだろう。試みに私が本書から連想された作家を列挙してみよう。今述べたクリスティーとポーに加えて、スティーブ・エリクソン、フィリップ・K・ディック、チェスタトン、日本であれば吉田満に半村良、あるいは京極夏彦。これまた一つの像を結ぶことが困難な多様な作家たちだ。ミステリー、SF、ノンフィクションから純文学、異なったジャンルを文字通り自家薬籠中のものとして反映させたメタ小説はまさしく奥泉以外にはなしえなかった文学的壮挙といえる。
 先ほど述べたとおり、奥泉の小説はミステリーというかたちをとる場合が多い。しかしながらいわゆる本格推理がエラリー・クイーンにみられるとおり、徹底的な合理性と「読者への挑戦」が示すフェアプレイの精神を本質とするのに対して、奥泉の手法は魔術的レアリズムであり、非合理性を本質としている。狂気や意識の混濁、幻視や妄想といった精神の変調を介して、現実は多層化され、物語は倒錯する。本書においても先に触れた時空的な歪み、すなわち1970年代の銀座が突然に出現する場面は登場人物の一人がソロモン海戦で負傷し生死の境で味わう昏迷の境地に接続されている。しかしこの一方で本書が「グランド・ミステリー」の名に恥じぬ論理的な構築性を帯びていることにも注意しなければならない。ただしそれは実にSF的でアクロバティックな論理であり、常識的な物語の整合とは大きく異なる。この長大な物語のトリックの核心にあたる発想について、これ以上述べることは控えよう。ただしこの点は巻末に付された二つの解説の一つで大森望が明確に分析している。したがって本書を読む前に大森の解説を読むことは控えた方がよい。一つの「合理的」な解釈によって物語を図式化しながら読むよりも、混沌と矛盾の中をたゆたう体験こそが本書を読む醍醐味なのであるから。
 本書をタイトルのとおり、一つのミステリーとするならば、その先例は何か。クリスティーやポーではなく、私が連想したのは東野圭吾の『どちらかが彼女を殺した』である。この小説では最後まで犯人が明示されず、読者が文字通り推理しなければならない。私は講談社文庫版で読んだため、解説をとおして(名指しこそされないものの)あらためて犯人とそのトリックを認識した。『グランド・ミステリー』と大森望による解説との関係はこれに似ている。大森は解説の中で複雑に入り組んだこの物語を再構成して、新たなパースクティヴを設定する。大森の再構成はかなり大胆であるが、確かに『グランド・ミステリー』の錯綜を解き明かしている。この点は先にも述べたとおりこの小説が一面においては論理的に構築されていることを暗示している。しかし大森も記すとおり、これが最終的な解決であるか否かについては疑問も残る。幻想性と論理性の葛藤がこの魅力的な長編をかたちづくり、私たちは両者の間で幻惑される。そして最後に触れておくべきは、本書の魅力はこのような作品の枠組以上に、何よりもその細部に宿っていることだ。初めから謎解きを放棄して、ただ面白い物語を読むという愉楽に身を任せたとしても読者の期待は十分に応えられるだろう。さほど多くない主要な登場人物はいずれも精彩を放ち、魅力的だ。悪役や小人物として描かれる登場人物たちも強い存在感があり、読者は思わず感情移入してしまうだろう。二つの解説の中でいずれの解説者も脇役とも呼ぶべき人物を取り上げ、強い思い入れを表明していることはこの点を示しているだろう。稀代の語り手である奥泉が超絶的な小説技巧と人物造形の巧さを遺憾なく発揮した本書に対して「1990年代最高の一冊に数えられ、超弩級の傑作」という賛辞が与えられたとしても、それはあながち誇張ではなかろう。
by gravity97 | 2013-11-07 21:25 | 日本文学 | Comments(0)