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やなぎみわ「日輪の翼」

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 やなぎみわ本人から「日輪の翼」を舞台化したいと聞いたのは東日本大震災の直後であった。あれから5年、ついに実現したこの公演に千秋楽の大阪会場で立ち会う。もっとも既に横浜や高松における公演の噂は耳にしていたし、舞台として使用される移動舞台車(ステージトレーラー)を私は二年前の横浜トリエンナーレ、昨年のPARASOPHIAの会場でも目にしていたから全く未知の舞台という訳でもない。それにしても中上健次の「日輪の翼」というそれ自体とんでもない小説を、やなぎが舞台化するのである。大きな期待とともに私は名村造船所大阪工場跡地を訪れた。今名前を挙げた二つの展覧会についてはすでにこのブログでレヴューしており、会場となった名村造船所についても「クロニクル・クロニクル」という展覧会のレヴューで触れている。様々な記憶が喚起される一夜となった。今回は小説と舞台の内容にも深く立ち入って論じる。
  「日輪の翼」のあらすじを述べることはさほど難しくない。中上の小説の中では最も読みやすいものの一つであり、私は大阪に向かう車中で再読して舞台に臨んだ。路地が消失した後、オバと呼ばれる七人の老婆(やなぎの舞台では五人とされていた)を冷凍トレーラーの荷台に乗せて巡礼の旅に出た若者たちの物語であり、熊野を起点に伊勢、一宮、諏訪から瀬田、出羽、恐山、そして東京へと日本各地の聖地をめぐるロードノベルである。道行きの途中で息の絶えるオバもいれば、失踪するオバもいる。淫蕩な血を引いた路地の若者たちは行く先々で女を漁り、女と交わる。高速道路を疾駆する鋼鉄の蛇のごときトレーラー。トレーラーは男根であり母胎でもある。卑猥な言葉で青年たちをからかい、どこであろうとオカイサンを炊くオバたち。ここには中上の小説でおなじみのイメージがかつてなく強い喚起力とともに繰り返し現れる。おそらくこの点もやなぎに舞台化を決意させた理由の一つであろう。そもそもオバという存在自体、やなぎの作品にとって異質ではない。My Grandmothers シリーズを連想すればよい。生命力をみなぎらせた老婆たちの姿に私たちは既に見慣れているし、複数の女性が同じコスチューム(今回は「浮浪者風」か)を身にまとうという発想も初期のエレベーターガールをモティーフした作品以来一貫しているではないか。若衆と老婆たちの旅路の果ては東京だ。皇居に参拝し、「天子様がここにおってくれるさか、わしらクズのような者が、生きておれるんやねェ」と嘆賞した老婆たちは忽然と消え去り、二人の若者だけが残される。「アニ、乗らんかい?これからまた、俺ら旅じゃ」最後までオバたちに付き添った二人の若者、ツヨシが田中さんに声をかける場面でこの小説は幕を閉じる。
 最初に中上の小説における「日輪の翼」の位置について説明しておこう。ヨクナパトーファならぬ紀州サーガと呼ばれる中上の小説群にはいくつかの系統が認められる。まず「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」のいわゆる秋幸三部作は、路地と呼ばれる紀州の被差別部落に生を受けた秋幸という青年が異母妹との近親姦と異母弟の殺害という二つのタブーを犯す物語である。蝿の王とも呼ばれる秋幸の実父、龍造との葛藤も重要なテーマであり、「地の果て 至上の時」において龍造は自ら縊死するが、龍造の暗躍によって秋幸らの生活の場であった路地も消滅した。一方、中上には「千年の愉楽」から「奇蹟」にいたる淫蕩で美男、暴力的で短命な男たちの一生を描いた一連の作品を発表している。「日輪の翼」はこれら二つの系統が交差する場所に生まれている。すなわち一方で本書は路地が消滅した後、路地の若者たちがいかに生きたかという路地の後日譚であり、この系列からはさらに「日輪の翼」の続編とも呼ぶべき「讃歌」そして未完となった「異族」が派生する。一方で本書は路地に生を受けた若者たちの列伝の一部としても読むことができる。「日輪の翼」には二人の主人公、ツヨシと田中さん、そしてマサオとテツヤという四人の若者が登場する。不吉な宿命を帯びた若者たちのリストにはいくつもの名を追加することができる、今回の舞台でも名が呼ばれた半蔵とオリエントの康、あるいは郁男や文彦、「千年の愉楽」においては自らが産婆として取り上げ、美形で短命という宿命を生きた若者たちをオリュウノオバが回想する。私が好む記号論的な思考に立つならば前者の系列は路地をめぐる継起的で唯一的な換喩性と関わり、後者の系列は路地をめぐる範列的で選択可能な隠喩性と関わる。両者が交差する点に成立するのが「日輪の翼」である。
b0138838_21291916.jpg 舞台に戻ろう。私が知る限り、やなぎが原作を有する物語を舞台とするのは今回が最初である。しかし今述べた内容からも舞台化の困難さは理解できよう。原作においては移動が主題とされている。オバたちを乗せて高速道路を滑走する大型トレーラー。移動を主題とした物語を一つの場において演じることは可能か。やなぎは単純きわまりない解決策を提示した。すなわち現実の大型トレーラーを舞台とすることだ。台湾でカラオケやら選挙運動に使用される移動舞台車という特殊な車両と出会ったやなぎは、仕様を変更して日本に輸入した。満艦飾のトレーラーはそれ自体がオブジェであり、過去に大規模な国際展で披露されたことは先に述べた通りである。「日輪の翼」は熊野から皇居まで日本各地をめぐる息の長いロードノベルであるが、舞台でも原作に忠実にオバたちの行程がたどられる。ハツノオバの死、キクノオバの失踪、四つの乳房をもつララという風俗嬢との邂逅、原作のかなり細かいニュアンスまで織り込まれているため、直前に原作を再読していた私にとって演じられる物語を追うことはたやすかった。しかし二つの点で演劇特有の潤色がなされていた。まずこの舞台には「日輪の翼」のみならず、いくつかの中上の小説、とりわけ「聖餐」と「千年の愉楽」が色濃く反映されている。劇の中で「マザー、死のれ」という歌を繰り返す「死のう団」の歌手は小説「日輪の翼」においては「少年歌手」という名を与えられているが、「千年の愉楽」に登場した半蔵の息子であり、「聖餐」においては半蔵二世と呼ばれていた少年であるはずだ。あるいは劇中でオバらが歌う盆踊り歌は「枯木灘」から引用され、近親相姦の無残な結末を暗示した「きょうだい心中」であった。後述するとおりこの舞台は音楽劇でもあり、前半のクライマックスにおける歌とダンスの中には「千年の愉楽」に登場するオリエントの康の物語が挿入されている。もう一つの潤色は大型トレーラーの中で上演されるメインストーリーの脇にそれ以上に目を引く二つの舞台を配置したことだ。左側ではクレーン車から垂らされたロープを用いて二人の男女による曲芸的なパフォーマンスが行われ、右側のトラックの荷台ではポールダンスが繰り広げられる。いずれも相当に猥褻なパフォーマンスであり、「神さん、孕ましたろか」と伊勢神宮の石垣に股間を押しつけるツヨシの所作同様に、やなぎの知的で抽象的な舞台に親しんでいた私にはショッキングに感じられた。これまでのやなぎの演劇は映像が多用されることはあっても俳優の身体はさほど強調されることがなかったからだ。しかし「1924 Tokyo-Berlin」における香具師の口上が暗示していた見世物性、土俗性への関心が今回の作品には顕著に認められる。私は今回の舞台から寺山修司の一連の演劇を連想した。そもそもやなぎの写真作品も常に一種の見世物性を漂わせてはいなかっただろうか。
 先ほど述べた二つの潤色を経て、やなぎの「日輪の翼」はさらに深みを増して私たちの前に提示される。やなぎ自身が冒頭で述べるとおり、この劇は祝祭劇であり音楽劇である。原作においては明確に語られることがなかった「半蔵二世」つまり「少年歌手」を演劇の中に取り込むために、トレーラーの奥にはドラムのセットが設えられて、俳優たちは楽器をライヴで演奏し、タップダンスを披露する。野外劇で音楽が演奏される形式からは維新派が連想され、明らかにこの舞台は先日逝去した松本雄吉へのオマージュとしても構想されている。巻上公一らによる音楽も作品の大きな魅力を形作っている。「マザー、死のれ」という歌声は今も私の耳から離れない。これまでやなぎの演劇において、音声はイヤホン、電話やラジオといった媒介を伴い、間接的に伝えられる場合が多かった。これに対して今回はマイクロフォンが使用されていたとはいえ、俳優の肉声と楽器の生演奏が観衆に直接的に訴求し、生々しい印象を受けた。中上の原作を介すことによって演劇が血肉を得た思いがする。それにしても俳優たちが用いる紀州ダイアレクトは強烈だ。台詞の多くは中上の小説の話し言葉であるから、それは中上の言葉の強度でもあるだろう。今のところ具体的な典拠を中上の小説で確認することができていないが、冒頭でマクベスの三人の魔女ならぬ五人のオバたちが「きれいは汚い」という意味の言葉を発していたと記憶する。この傍らに「天子様がここにおってくれるさか、わしらクズのような者が、生きておれるんやねェ」という台詞を置く時、中上/やなぎのラディカリズムは明らかだ。ここでは天皇家と路地すなわち被差別部落の交換可能性が示唆されている。私は「日輪の翼」を初読した際にオバらが皇居を最終目的地としたことをやや不審に感じた。しかし俳優たちの肉声を通して、「アホな人」と「天子様」への思いが同等に語られる舞台を見て、この疑問は氷塊した。路地と皇居は等価であり、それゆえオバたちは失踪したのだ。路地はひとたび消滅することによっていまや熊野から東京の中心にまで遍在する。
 やなぎの「日輪の翼」を見ることによって、私は中上の「日輪の翼」について多くの新たな理解を得ることができた。しかしいまだに謎として残された問いもある。それはトレーラーの傍らで繰り返された曲芸やダンスである。右側のポールダンスについては由来を推測することができる。それは「軽蔑」の中で女主人公、真知子が得意としたダンスであろう。しかし巨大なクレーンから垂らされたロープにつかまってなされた男女の曲芸は一体いかなる意味があるのか。それが性交の暗喩であることはたやすく了解されるが、私はとぐろを巻くように置かれたロープは蛇の暗喩ではないかとも感じた。池に群がる蛇のエピソードは「日輪の翼」中、諏訪の章に記されている。さらにロープとポールが強い垂直性を秘めている点にも注目したい。「日輪の翼」はトレーラーによる移動という徹頭徹尾水平的なヴェクトルを有す小説である。秋幸の血統をめぐる時間的、あえていえば垂直的な物語が路地の消滅とともに終焉した後、かかる小説が執筆されたことは意味をもち、このような特性は「異族」においてさらにスケールアップされる。これに対して、演劇の中にあえて垂直的な軸を持ち込むことによって、私はやなぎが「日輪の翼」だけではとらえきれない中上の小説の豊かさを暗示しようとしたのではないかと感じた。それは血縁や家系と連なる物語であり、トレーラーの上でツヨシやオバたちの物語が進行する傍らで、男女二人の俳優によって、メインストーリーとは直接の関連をもたず、セックスを強く連想させる演技がひたすら続けられたことの意味ではないだろうか。
 やなぎの「日輪の翼」においても「アニ、乗らんかい?これからまた、俺ら旅じゃ」というツヨシの台詞とともに、トレーラーは私たちを置き去りにして出発する。あたかもそこで繰り広げられた情景がたまさかの夢であったかのように、トレーラーの周囲に配されていた舞台や小道具もいつのまにか撤収されている。夏芙蓉が描かれたトレーラーは大きなクラクションを一つ鳴らして夜の町へと疾走して去っていった。蛇行するトレーラーを見送りつつ、私はまた一つ素晴らしい舞台に立ち会えたことに感銘を覚えた。彼らと再び見(まみ)えることはあるだろうか。大阪公演の楽日、横浜、新宮、高松をめぐるツアーの文字通り千秋楽、なんとも深い余韻を残す感動的なフィナーレであった。
by gravity97 | 2016-09-11 21:43 | 演劇 | Comments(0)

12月6日から20日まで、東京芸術劇場における再演を前に、2013年6月10日にアップした記事を、2010年の維新派の瀬戸内芸術祭公演に連なる思い出とともに再掲する。

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 維新派の松本雄吉が寺山修司の「レミング」を演出する。初めてこのニュースを聞いた時、期待と不安を同時に覚えた。後述するとおり、私が自覚的に演劇を見た最初は寺山の「レミング」であり、一方、今日私が最も大きな期待とともに上演に向かうのは維新派の舞台であるから、寺山と松本とは私にとって演劇体験のアルファとオメガといってよい。この二つの傑出した才能が結合する舞台が面白くないはずはない。しかし同時にこの二人ほどスタイルの異なる演出家を想像することも難しい。俳優の特異な肉体を強調し、土俗的で情念的な世界を創り出す寺山に対して、同じ衣装を身にまとい匿名化された俳優がきわめて抽象的な物語を演じる松本。果たして両者に接点はあるのだろうか。しかも市街劇や野外劇を得意とした二人に対して今回の芝居はプロセニアム、完全な舞台上で演じられるのだ。しかし暗転した会場に「世界の果てまで連れてって」という歌が朗々と響き渡り、照明の中に浮かび上がる古代建築風の書き割りの左右から無数の俳優たちが床を踏み鳴らしながら列を組んで行進する冒頭のシーンを見た時、一瞬にして私の不安は解消した。私は歴史的な上演に立ち会ったのではないだろうか。
b0138838_20534491.jpg 1983年の5月下旬であるから、時期としてもちょうど30年前となる。私は八尾西武ホールで天井桟敷の「レミング」を見た。魂が震撼する体験であった。私は演劇が私たちの認識そのものの枠組を変える可能性を秘めていることを初めて知った。同じ月の初めに寺山は没していたため、これは天井桟敷としての最後の公演であり、私はかろうじて間に合った訳だ。少し説明を加えるならば、「レミング」は1979年5月に東京晴海の国際貿易センターで初演され、その3年後に改訂、再演された。すなわち1982年12月の東京、紀伊国屋ホール、そして翌年5月から7月にかけて横浜、八尾、札幌を巡回した公演である。(ただし今回の公演パンフレットに掲載された上演記録には札幌の公演についての記述がない)初演と再演にはいくつかの相違がある。当時の劇評を確認するならば初演は平舞台の大空間の中で演じられたため、主に正面の本舞台と観客の背後の第二舞台が使用されたらしい。これに対して私が見た再演版はホール内の通常の舞台が使用された。内容に関しても主人公の中国人コック見習いが初演では一人であったのに対し、再演では王と通という二人の男になっている。これについて寺山自身は「この劇が独白者の夢にとどまるものではなく、複数の人物の相互性による、夢の社会性を問題にしたかったからである」と述べている。今回の「レミング」でも主人公は二人登場し、再演版を踏襲しているが、パンフレットを確認するならば若干の異同が認められる。つまり寺山版「レミング」において舞台は全16場で構成されていたのに対して、松本版「レミング」ではこのうち、「頭足人」、「王様ネズミに関する記述」、「死都ラトポリス」と題された三つの場面が削除されている。今回、戯曲についても確認したところ、戯曲と上演の間にも微妙な異同が認められることが判明した。興味深いことに削除された箇所は匿名的な登場人物が互いに言葉を掛け合うという、むしろ維新派的な場面であるが、削除されたとしても演劇の流れに影響を与えることはない。全体として実に丁寧に寺山の戯曲が生かされている印象がある。
 最初に述べた通り、異形の俳優を用いる寺山と俳優に匿名性を課す松本は演出の手法において対極に感じられる。実際に83年の「レミング」では舞台上で全裸となる女優、舞台を横切る侏儒の「アフリカ探検隊員」といった寺山らしいスキャンダラスな演出が随所に認められた。これに対して今回の「レミング」は二人の演出手法の違いを実に巧妙に処理していた。つまり中心となる四人の人物、二人のコック見習い、四畳半の畳の下を耕す母親、そして女優影山影子は明確な名前と個性を与えられ、物語の中心に位置する。彼らを演ずる八嶋智人、片桐仁、松重豊、常磐貴子という四人の俳優はTVなどで時折見かけることもあって寺山の芝居とはミスマッチの印象があったのだが、さすがにいずれも抜群に演技が上手い。あらためて感服した。この四人に対して、男、少女あるいは看護婦といった名前をもたない多くの登場人物が対置され、彼らは時に黒いコートを羽織って完全に匿名的な存在として夢の中の人物のように(夢、それがこの作品の主題だ)劇中に介入する。場面が転換されるごとに変化する中心的な俳優と匿名的な俳優の絶妙の関係がこの舞台を支えている。最初、私は寺山と松本の演出法の隔たりを懸念したのであるが、見ているうちにむしろ両者の共通性に思いが至ることとなった。まず思い当たるのは寺山も松本も演劇の様式美を追求し、劇中に視覚的な趣向を凝らす点だ。いずれの舞台もどのシーンを切り取っても絵になる。寺山の芝居が奇怪な装置や不思議なオブジェで溢れていることはよく知られているが、美術出身の松本が作り出す世界もさながら時にインスタレーションのごとき完成度をもち、時に息を呑むような美しさがある。先にも触れたこの劇の冒頭、「マッチ箱の中の大都会」の場面は天井桟敷によって演じられた際にも多くの黒子のような俳優たちが舞台のあちこちで奇妙な動作を繰り返すという、まことに維新派的な内容であったが、今回の舞台の冒頭を飾る夢幻的な情景から逆に私は寺山の「奴婢訓」の幕開けを連想した。私はこの傑作を寺山の没後、その衣鉢を継いだ演劇実験室万有引力の公演として見た。呪術的な音楽の中、無数の奴婢たちが逆光に照らされて観客席に向かって歩み寄る衝撃的なシーンである。興味深いことに「奴婢訓」において俳優たちは舞台の奥から客席に向かって前後方向の動きを示したが、松本版「レミング」においてかかる動作は常に舞台の左右方向、つまり観客と平行になされる。維新派の舞台が常に移動という主題と関わっていたことを想起するならば暗示的といえるかもしれない。そしていうまでもなく音楽だ。私が寺山の演劇に立ち会ったのは今述べた天井桟敷の「レミング」と万有引力の「奴婢訓」の二度のみであるが、いずれもJ.A.シーザーの粘着的な音楽が全編を貫き、(「万有引力」は「天井桟敷」解散の翌日、J.A.シーザーたちが立ち上げた劇団であり、この点からも私の見た「奴婢訓」は初演に忠実であったと考えられる。なお万有引力は「レミング」も1992年に再演している)演劇のトーンに決定的に寄与していた。維新派もまた音楽を重視する劇団であり、今回も舞台の脇に音楽を担当した内橋和久がギター(あるいは彼が日本唯一の演奏者とされるダクソフォンなる楽器であろうか)を抱えて上演に立ち会っていた。内橋によると松本は最初に今回の「レミング」を音楽劇にしたいという意図を伝え、これに対して寺山劇におけるJ.A.シーザーの存在の重要性を十分に認識していた内橋は、逆に音楽をまるごと変えてもよいかとプロデューサーに尋ねたという。プロデューサーは快諾し、かくして音楽に関しても維新派版「レミング」と呼ぶべきリミックス・ヴァージョンが成立した訳である。もっとも今回あらためて確認したところ、最初に流れる(「世界の果てまで連れてって」という歌詞を含む)寺山修司作詞、J.A.シーザー作曲の「カムダウン・モーゼ」という曲は83年版「レミング」のパンフレットに楽譜も掲載されているから、それに基づいて再演されたであろうし、ほかにも劇中で何度か歌われ、第12場のタイトルとされる「行き過ぎよ、影」という曲もJ.A.シーザーの手によるものであろう。しかし内橋は維新派の公演で多用される独特の変則7拍子を劇中のいたるところに取り入れて、寺山の「レミング」を異化する。今回の上演では冒頭の場面をはじめ、匿名の登場人物たちが7拍子のリズムに合わせて踵を打ち鳴らす独特のタップダンスを繰り広げて、現実とは思えないような幻想的な情景が成立していた。
 内容についてはどうか。この作品の主題について寺山は端的に次のように語っている。「『レミング』の主題は、一言で言えば、壁の消失によってあばかれる内面の神話の虚構性の検証である。今日、われわれは無数の壁にとりかこまれている。キャンバス、スクリーン、地表、顔、ありとあらゆる『表面積』の文化。壁はもはや実存主義ばかりではなく、世界の暗喩として存在しているのである」物語はコック見習いが住むアパートの一室の壁が消失する場面から始まる。壁の消失という主題を寺山は枠組の解体というテーマに接続する。つまり劇中に登場する影山影子は往年の大スターであり、彼女の映画を撮るために撮影隊の一行が舞台を横切るが、次第に映画と現実、演劇の境界は不分明になる。影子は映画女優なのか、映画女優を演ずる俳優なのかを決定することができないというまことに寺山的な不条理が発生するのである。あるいは劇中で語られる「遊戯療法」とは患者に医師の役割をさせる治療法であるが、ここにも患者/医師という役割の意識的な転倒、一種の決定不可能性が関与する。そしていうまでもなく夢という主題だ。床板をぶち抜いて登場した母親はコック見習いに対して、ここからは自分の夢であると宣言する。どこまでが誰の夢であるのか、夢の中の夢というフィリップ・K・ディック的なテーマが浮かび上がる。いうまでもなく夢とは演劇の暗喩だ。夢を夢と判定し、演劇を演劇と判定するのはその外部、別の審級においてであり(「エッ、眠っているときでも夢をみることができるんですか」というコック見習いの言葉はこの意味において暗示的だ)、かくして壁の消失は演劇が何によって保証されているかというメタ演劇的な問題を惹起する。この主題を寺山が終生追求したことはよく知られている。確かにこの作品では母親との葛藤(母親のもぐら叩き)、窃視する「屋根裏の散歩者」あるいは様々な街の噂の羅列といった、いかにも寺山好み、あえていえば1960年代的な主題も扱われている。これらの主題が現在の観客にどのように受け取られたかについてあえて私は判断を下さないが、おそらく今回の上演が30年という時を経ても全く古びたように感じられなかった理由は、それが演劇とは何かというきわめて本質的、根源的な問題を問うているからではなかろうか。83年版のパンフレットには(79年の国際貿易センターにおける初演について)扇田昭彦の次のような劇評が転載されている。「つまり、この劇は、本舞台だけに閉じこもろうとする観客の意識そのものが『壁』であること、個我意識の壁の外にはさらに多様な劇が渦巻いていることを、劇構造として巧みにさし示していたのである」文脈を理解しないとややわかりにくいコメントであるが、「壁」が劇中のみならず、観客の意識の中にもあると断じた点はこの演劇の本質を看破している。
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 私は83年の「レミング」の最後の場面を思い浮かべる。一度消失した壁は劇の最後で再び出現する。思いがけない壁の出現に、四畳半の畳の下の母親は「これは自分の夢ではない、誰かが私たちをまるごと夢に見ているのだ」と叫ぶ。私はその時、明確に了解した。この芝居は私たち観客が見た夢なのだ。かくして観客と舞台は一体となる。舞台から主人公たちが退場した後、場内は暗転し、観客の周囲で何かを打ちつける音がする。暗闇の中にコック見習いの声が響く「世界の果てとはお前自身の夢のことだ。だまされるな、おれはあんた自身だ。百万人のあんた全部だ。出口は無数にあったが、入口がもうなくなってしまった」この言葉が誰に向けられているかは明白だ。壁とは観客と舞台との間の壁でもあるのだ。まさに「レミング」とは「壁」の消失をめぐる物語であった。そして天井桟敷の観客に対する数々の荒業を知っていた私は、実際に現実の劇場の入口が封鎖され、自分たちが夢の中、つまり壁の内部に取り残されるのではないかと恐怖した。最後の場面で味わった文字通り劇的な転回、つまり私たちが演劇を見ているのではなく、実は劇場もしくは演劇の中に囚われているという感覚は今思い出しても鳥肌が立つほどに戦慄的であり、私が83年の「レミング」公演を魂が震撼する経験であったと述べた理由もここにある。さらにこの公演で印象的であったことは終演後も一切カーテンコールがなかったことだ。当然であろう。観客と演劇が一体であるならば、わざわざ俳優が登場して、観客が彼らに拍手するような儀式はありえない。演劇は断ち切られるように終わり、私たちはなおもその世界に囚われているという気まずい思いとともに劇場を後にした。83年の「レミング」を見たことによって私は今もなお寺山の世界の虜囚なのである。
 今回の「レミング」にはカーテンコールが存在した。のみならず最後の場面があくまでも虚構としての結構を保っていたのは、先に述べたように83年版の最終場面「死都ラトポリス」が今回の公演では削除されたことと関係があるかもしれない。私たちは一つの物語が舞台の上で完結したことを確認した後に、深い感動とともに俳優たちに心からの拍手を送った。私の考えではこの点にこそ83年版と今回の公演の決定的な差異が存在する。むろん私は両者に優劣をつけるつもりは全くない。演劇の枠組自体を問う試みは確かに寺山の時代には切迫していたかもしれないが、今日、それはもはや自明の前提と考えられている。没後30年という周年事業としてそれに見合った俳優陣の客演で演じられた今回の「レミング」は何よりも舞台としての完成度を求められており、寺山の実験精神を必要としない。寺山を離れても今回の舞台は歴史上に屹立する内容であった。1983年と2013年、30年という時を隔てて一つの優れたテクストが二つの全く異なった舞台に結実したという奇跡、そして奇しくもその両方に立ち会うことができたという幸運に、今私は深く感謝している。
by gravity97 | 2015-12-01 21:06 | 演劇 | Comments(0)

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 これまでこのブログでは文学や美術、演劇といった表現を問わず、多くの作品についてレヴューを重ねてきたが、正直言って今回ほどレヴューの困難な対象を扱うのは初めてだ。それは対象自体がジャンルを横断し、虚実を横断し、言語を横断するからであろう。果たしてこのような作品にいかなる言葉で、いかなる方法で応接することが可能だろうか。
 今回取り上げるのはオーストリアのドイツ語作家エルフリーデ・イェリネクの作品集『光のない』である。収められた四つのテクストはいずれも戯曲であり、特に表題作は2012年の「フェスティバル/トーキョー」で劇団地点によって演じられて大きな話題を呼んだから、決して無名のテクストではない。「光のない。」は昨年も京都で再演されたが、残念なことに私は見逃してしまった。したがって本書はまず文学と演劇を横断する。しかし後で論じるとおり、この作品において両者の関係は決して親和的ではない。本書には「光のない。」「エピローグ?[光のないⅡ]」「雲。家。」「レヒニッツ(皆殺しの天使)」の四編の作品が収められている。タイトルが暗示するとおり、最初の作品の続編として二番目の作品が執筆され、これらはいずれも福島の原子力災害を主題としている。放射線、半減期、計画停電といった言葉が随所に散りばめられたこの戯曲から私たちは震災の直後に味わった未知の不安を否応なく連想する。また「レヒニッツ」とはオーストリアのハンガリー国境の村の名前であり、この地において第二次大戦末期、ナチスの将校と協力者が開いたパーティーの余興として衰弱したユダヤ人180人が参加者たちによって銃殺されたという事件が扱われている。今私は、「主題としている」「扱われている」といった言葉を用いたが、これらの言葉を用いることには躊躇がある。確かにこのような予備知識があれば現実と戯曲との関係をうかがうことは可能だ。しかし予備的な知識がなければこれらの作品が現実を参照していること、あるいは参照する現実を推測することは容易ではないからだ。この意味において虚実の間でこの作品の位置は定めがたい。そして最後は言語だ。いうまでもなくこれらの戯曲はドイツ語で執筆され、林立騎という翻訳者によって日本語に置き換えられている。私はドイツ語が読めないので、初めから原著にあたる努力を放棄してしまったが、おそらくイェリネクも、そして訳者の林も演劇の言語という問題にきわめて意識的であるはずだ。そうでなければかくも異様な文体が戯曲として採用されるはずはない。この異様さが原文に由来するのか、翻訳に由来するのか、それとも両者に由来するのか。私としては興味がある点だ。ジャンル、虚実、言語、三つの層にわたる屈折した横断性が、このテクストをきわめて難解なものとしている。実際私でさえ、しばらく新着の書棚に置いていた本書を何度か読み始めたもののそのたびに挫折し、先日、意を決して出張に携え、ようやく車中で通読することができた。
 試みに「光のない。」の冒頭を抜き出してみよう。長くなるが最初のひとまとまりの台詞である。

 ああ、わたしにはあなたの声がほとんど聞こえない、どうにかしてほしい。あなたの声を響かせてほしい。わたしはわたしを聞きたくない。あなたにわたしをかき消してほしい。ただ、少し前から思っている、わたしはわたしも聞こえない、耳を制御盤にあて、つかもうとしているのに、音を。あなたもそのくらいはできるはず! もっと強く弾いてほしい、難しいはずはない。ここは喚き声ばかり、わたしにはわからない、畜舎? 設備の停止? 設備が停止したらどうして叫ぶのだろう。力づくで押さえているのか。自動停止? だがそれはすべて静まることを意味しない。力は消えることができない、なにかが消えることなど決してない。まだ叫んでいる、怪物の腹の中で、蝉のように、喰われても猫の腹で叫びつづける蝉のように。

 これは一体どのようなテクストなのだろう。異様に切迫した呼びかけであることは直ちに理解できるが、誰が誰に呼びかけているのか、何を呼びかけているのか、理解することは難しい。そして驚くべきことにこの戯曲、そしてこの作品集を通じて、常にこのような緊張と不透明感が持続するのである。確かに「光のない。」においては先に引用した台詞を読み上げるAという話者、そしてもう一人、Bという話者の存在が暗示されている。しかしAとBの関係は判然としない。台詞の中でAは第一バイオリンを、Bは第二バイオリンを割り当てられているという言葉がある。しかし両者の関係は定かではないし、両者の間で交わされるのは対話ではない。そもそもここで語る「わたし」あるいは「わたしたち」とは誰のことであろうか。通常であれば、私たちは言葉を介して、演劇を理解しようとする。そしてここには多くの言葉がある。しかしそれにもかかわらず、これらの切迫した言葉にほとんど説明的/再現的な意味を見出すことができないのだ。上演される台詞にこのような特異な言葉を与えた理由について、訳者はあとがきで演劇の言葉が口語であるというのは日本語における誤解にすぎず、新しい時代の新しい演劇テクストには新しい翻訳が必要と考えたと指摘している。したがって本書における言葉の佶屈は翻訳者によって意図的に選びとられている。
 テクストは文学と演劇の間を往還する。私はフェスティバル/トーキョーに関連したいくつかの映像を検索し、この戯曲が上演される模様を確認してみた。いうまでもなく地点の公演の模様を記録した短い映像、このほか、いとうせいこうらがこのテクストを朗読する模様を記録した映像もあった。おそらくこの「戯曲」をそのままで上演することは不可能であろう。この戯曲は一人の俳優が台詞を記憶して上演するにはあまりに長大で抽象的であるからだ。今述べたとおり、映像の中には2012年のフェスティバル/トーキョーのオープニングの企画としていとうせいこうらがおそらくはこのテクストを朗読する模様が記録された内容があった。いとうを含む二人の話者、そして時に客席近くに置かれたマイクを用いて三人の話者が相互に無関係に緊迫したテクストを読み上げ、時に彼らの音声は機械的に変換される。かかる上演は確かにこの戯曲の本質を反映しているかもしれない。地点による上演は精緻な光の投影による演出と独特の音楽をともなった相当に形式的な内容であったが、短いこともあって、実際の上演の模様をうかがうことは困難であった。しかし舞台の上の張りつめた緊張は明らかで、二、三の劇評を読んだ限りにおいてもこの印象は間違っていないだろう。訳者はあとがきの中で、「ポストドラマ演劇」という潮流に触れている、ハンス=ティース・レーマンという批評家によって提起された「ポストドラマ演劇」においては、言葉は総合芸術である演劇の一要素に過ぎず、戯曲=物語から解放されることによって美術や照明、映像などが独自かつ自立した意味をもつという。私は演劇の専門家ではないので、これ以上議論を深めることはできないが、ロバート・ウィルソンやピナ・バウシュ、日本ではダムタイプやこのブログでも取り上げたやなぎみわの一連の舞台を連想すれば、その広がりを理解することはさほど困難ではない。イェリネクの戯曲は確かに福島の原子力災害やナチス・ドイツにおける虐殺を扱っているが、俳優が存在するのは例えば福島やレヒニッツではない。あえて言えば俳優は観衆とともにこの劇場にいるのだ。私はこのような作品の在り方を現代美術と比較してみたい気もするが、残念ながら今の私にはこの問題を扱う十分な能力と経験はない。「光のない。」におけるAとB、あるいは「レヒニッツ」における「使者」、いずれの俳優あるいは話者もきわめて匿名的な存在であり、そもそもこれらの戯曲に明確な場所や時代の設定はない。訳者も指摘するとおり、これゆえいずれの戯曲も自由に演出され、言葉以外の様々な要素を取り込んだ「ポストドラマ演劇」として存立することが可能なのであろう。極言するならば、これらの戯曲は上演されるたびに異なった舞台として演ずることが可能ではないだろうか。それゆえ私はいつの日か、例えば地点によって演じられたこの舞台を見てみたいと考える。
 とはいえ、この戯曲の内容について語ることは不可能ではない。かなり強引な読みかもしれないが、最後にこの苛烈な戯曲を読みながら私が考えたことを書き留めておきたい。イェリネクはそれぞれの戯曲の最後に関連する文献を挙げている。「光のない。」ではソフォクレスの「イクネウタイ」とルネ・ジラールの「リアルなものの埋もれた声」、そして「エピローグ?」ではソフォクレスの「アンティゴネー」である。「イクネウタイ」という作品については私も初めて聞いたが、訳者によればそれは「死んだ牛から弦楽器がつくられるギリシア神話を劇化したもの」であるという。また「アンティゴネー」に関しても訳者は「戦争が終わり非常事態が収束したとされる国家で、事態が終わっていないと異議を唱える女性をめぐる悲劇」と要約している。非常事態が収束していないことをを否定する国家とはまさに現在の日本を象徴しているといえようし、おそらくこの点に訳者はこの戯曲が日本で上演される意味を見出している。さらに私は「イクネウタイ」における「死んだ牛」というテーマに注目したい。私はこれらの戯曲と福島の原子力災害の関係を説くヒントは「死んだ牛」ではないかと考える。報道管制が敷かれた震災後の日本ではほとんど報道されることがなかったが、福島の原子力発電所の近郊には多くの畜舎があり、(「畜舎」という言葉がこの戯曲の冒頭に引かれていることは先の引用に示したとおりである)そこで飼育されていた家畜は人が立ち去った後、多く繋がれたまま餓死し、豚にいたっては共食いを繰り返したという。死肉を漁る無数の鴉がヒッチコックの「鳥」のように畜舎の屋根に蝟集する地獄のような光景、まことに「光のない」情景について、私は何人かのジャーナリストの記事を通して読んだことがある。イェリネクが「光のない。」を執筆するにあたって核となったイメージは牛の死体が埋葬もされず累々と広がる風景ではなかっただろうか。そしてあまりに残酷であるからほとんど指摘されたこともない事実であるが、死体が家畜である必要はない。震災で原子力発電所の近くに遺棄された人間の死体はそのまま放置されたはずである。ここでイェリネクが「アンティゴネー」を引用した意味が明らかとなる。オイディプスの娘、アンティゴネーはなぜ「非常事態の収束」を否定したか。それは兄の死体が埋葬されずに放置されていたからであり、それはフクシマ後の日本と二重写しとなったのではないだろうか。このように考えるならば、「光のない。」と「レヒニッツ」の共通点も明らかとなる。宴会の余興として銃を手渡された客たちによって虐殺された180人のユダヤ人たち、彼らの死体が埋められた地はいまだに不明であるという。もちろん何度も記す通り、これらの戯曲の中でフクシマの情景、レヒニッツの惨劇が明示的に語られる訳ではない。しかし緊張した文体の中にそれらはおぼろげに、実におぼろげに浮かび上がるのだ。ここに収められた四つの戯曲は本書に初めてまとめられたものであり、作家が意図的に編んだものではない。しかしフクシマとレヒニッツにはもう一つの共通点がある。それはかかる歴史的犯罪に手を染めた者が誰一人処罰されていないことだ。レヒニッツの虐殺の首謀者は海外に逃亡し、司法によって裁かれた者はいないという。フクシマについても東京電力の首脳陣(海外に逃亡した者もいると聞く)をはじめ、かかる政策を推し進めた政界や財界、学界の責任者たちが何ら責任を問われるどころか、原子力発電所の再稼働に向けて時計を逆転させ始めたという目のくらむような不正義の中に今の私たちの生がある。
 フクシマ、レヒニッツ、非常事態が収束していないことを叫ぶ営みこそ文学ではないか。訳者はイェリネクの仕事を次のように紹介している。「その創作活動の初期から現在に至るまで、作品の内外で社会の保守性や男性中心主義を糾弾し続ける姿勢のために政治家やマスコミから非難を浴び、読者の反発を受け、『オーストリアで最も憎まれる作家』として知られる一方、哲学的、歴史的な独自の問題意識から現代社会への問いかけを溢れさせる作品群は、多くの文学、戯曲賞で高く評価されてきた」アンティゴネーとイェリネクがともに女性であることは偶然の一致であろうか。最初に私は戯曲の中の「わたし」や「わたしたち」が誰のことかと問うた。以上の視点に立つ時、おそらくそれは死者であろう。以前レヴューした岡田利規の「地面と床」にも死者の語りが登場した。果たして私たちは死者をとおしてしか時代を表現できない時代を生きているのか。それともこれは何かの徴候なのであろうか。
 既に述べたとおり、このテクストの優れた点は具体的な事件を暗示しながらも、内容としてはきわめて抽象度が高く、演出の自由度が高いこと、そして「上演不可能な戯曲」という特異な存在として、様々のジャンルにおける新しい表現を誘発する点だ。遺棄された死者たちに代わって、この戯曲は新しい表現をまとってこれからも何度も再生することであろう。私はこれからもそのような機会に立ち会いたいと願っている。
by gravity97 | 2014-12-22 16:20 | 演劇 | Comments(0)

維新派「透視図」

b0138838_2221529.jpg 本拠地大阪では10年ぶりとなるらしい。維新派の野外公演、「透視図」に足を運ぶ。会場は中之島GATEサウスピアと記されているが、何かの施設ではなく川沿いの空き地であるため地図があってもわかりにくい。同じように公演会場を探しているらしい人たちとしばらく彷徨したが、目的地を見つけるのにさほど苦労はなかった。倉庫街の一角に無数の屋台が蝟集した路地が突如出現したのだ。私にとって維新派の野外公演を見るのは2010年、瀬戸内芸術祭に際して上演された、犬島の「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」以来二回目であり、その際も炎暑の中、屋台で冷えたビールを飲んだ体験が今も鮮やかによみがえる。開場まで時間があったので、今回も屋台に向かう。週末ということもあって屋台村はごった返しており、中央では大道芸が演じられている。なんと犬島で味わったモンゴル風タコスの屋台が今回も出店しているではないか。泡盛を売っていた幼い兄弟は見つからなかったので、今回はしそ入りジンを求めて腹ごしらえをした
 公演の会場について少し詳しく説明しておこう。今回の演目にとって会場の構造が重要であるからだ。客席は階段状で、演劇が演じられる区画に対して平行に設置されている。舞台装置はきわめて単純だ。場内の撮影は禁じられていたため、維新派のホームページにアップされたイメージを示す。縦横3メートル、高さ50センチほどの同寸同型の舞台が客席に向かって4×4、合計16台設えられている。整然と配置されたグリッド状の空間はタイトルの「透視図」を暗示しているかもしれない。客席をはさんで音響設備と照明装置が壁状に設置され、向かって左側のブースの中では上演中、内橋和久が演奏している様子をうかがうことができた。b0138838_22221824.jpgミニマル・アートのごとき幾何学的な形態の反復は以前見た「ろじ式」を連想させ、背後の安治川の川面と大阪の高層ビルを借景とする手法からは犬島の舞台が連想される。開幕するや、左右のスピーカーから流れる内橋の土俗的な音楽とともに顔を白塗りにした白装束の役者たちが舞台の間の通路を規則的に駆けめぐる。個性のない交換可能な俳優たちが、星の名前や動物の名前、いくつもの交換可能な名詞を掛け声のように連呼しながら演じる維新派の演劇の特性を私はかつて範列的(パラディグマティック)と名づけたが、今回の作品でもかかる特性は遺憾なく発揮されていた。劇の前半では登場する役者の数もいつにも増して多く、匿名的な役者たちが走り続ける印象を受けた。特に前半は抽象度が高い。役者は舞台の間をひたすら走り、曲がり、また走る。以前何かのインタビューで北野武が俳優の演技から意味を剥奪するために、俳優たちにとにかく全力疾走するように命じたと言っていたが、この舞台にも具体的な意味のある言葉、意味のある所作はほとんど認めることができない。以前にも記したとおり、維新派の演劇はきわめて絵画的、視覚的であり、観客は夕闇の中、ライトに照らし出され、反復的な音楽とともに繰り広げられる光景、意味を欠いたスペクタクルの前で一種の戦慄さえ覚えたに違いない。劇中で横向きに並んだ俳優たちが足を踏み鳴らしながら左右に移動する場面があるが、これは昨年大阪で見て、このブログでもレヴューした松本雄吉演出の「レミング」の冒頭場面を直ちに連想させた。役者たちは走り回るだけでなく、途中から様々なオブジェを携えて舞台ならぬ、舞台の間の通路を行き来する。鍋や煙突、シャベルや椅子を抱えて機械的な動作を繰り返す白塗りの人物たちの姿は夢の中の情景のようだ。アルファベットや交通標識、先端に様々な記号をとりつけた棒状のオブジェを抱えて役者たちが行き来する情景は内橋がダクソフォーンを爪弾いて重ねる反復的な音楽を得て、倒錯的なまでに美しい。オブジェの先の記号が一瞬、WORLDという単語をかたちづくったように思えたのは私の錯覚であろうか。
 この一方で、この作品の主題も次第に浮かび上がる。白塗りの役者たちとは異なり、特定可能な二人の俳優が言葉を交わす。それは「羊が一匹、羊が二匹」という就眠の呪文が暗示する「羊」であり、もう一つはGATARO、つまり「河童」である。この作品が水で囲まれた島をめぐる物語なのである以上、この舞台に河童が召喚される理由は明らかであろう。二人の俳優は自分たちが居住した地名を言挙げる。それは大阪で「島」を冠したいくつもの地名であり、八百八橋と詠われた大阪というトポスにあって川=水との親近性はこの演劇の前提を構成している。例えば劇中で語られる浚渫船の物語が宮本輝の「泥の河」を参照していることは明らかであり、私はかつて小栗康平によって映画化されたこの名作を直ちに思い起こした。それは当然であろう。舞台の向こうに広がるのは宮本/小栗の小説/映画の舞台となった安治川河口なのであるから。劇中ではこのような川の中の「島」が例えば「羊」の親の出自である沖縄であり、「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」で主題化された南洋諸島である点が暗示されている。この舞台は南洋諸島、大日本帝国の版図と深い関係を有しているのだ。劇中では東南アジアの都市の名が連呼されるが、このシーンは維新派のこれまでの舞台を再現するかのようではないか。この一方、「透視図」は、この公演が大阪という現実の街で上演されていることを絶えず意識させる。幻想的な舞台の背景にかすむ高層ビルはデペイズマンの効果を示す。大阪の方言が強調されるとともにかつての大阪の風景が叙述される。随所に挿入される「ただいまよりX時X分X秒をお知らせします」という機械的なアナウンスも同様の効果をあげている。時報は演劇が進行している時間をリアルタイムで私たちに告げる。つまりこの演劇は川/海を介して沖縄や南洋といった別の場所を指向すると同時に、観客が2014年の安治川河口、現実の時間と空間の中につなぎ止められていることも意識させるというアンヴィバレンツな構造を有しているのだ。
 劇の終盤に驚くべきスペクタルが繰り広げられる。最初に書いたとおり、観客は一段高い階段状の観客席に座り、碁盤目状に配された舞台とその間の通路で繰り広げられる演劇を目にしていた訳であるが、通路の部分に急に影が差しこむ、私はたまたま一番通路に近い観客席に座っていたので直ちにこの異変に気づいた。過去の芝居に身長4メートルの巨人が出現したことを思い出した私は、思わず観客席の背後を振り向いたが誰もいない。その代わりに通路に落ちた影は濃さを増し、怒濤のような音を立て始めたではないか。通路の部分に大量の濁流が浸入してきたのである。以前にも同様の手法が用いられたかもしれず、維新派の芝居と水の親和性については私も知っている。しかし今回を含めて維新派の野外劇を二回しか見たことのない私にとって、これは実にショッキングな演出であった。明らかに安治川と源を同一とする水流はたちまち舞台を洗い、ひざの高さくらいまで場内を浸した。役者たちは水しぶきを立てて通路を駆けめぐる。16の舞台は水に隔てられて16の島となる。観客席も川の中の島と化す。それまで劇中で暗喩として語られていた「島」はいきなり劇場そのものの換喩として現実化されるのだ。
 この舞台において水は背後から水平に導入される。この点をスペクタクルという観点から考察してみよう。水平的なスペクタクルとはまことに維新派らしいヴィジョンではなかろうか。スペクタクルとは人を圧倒する情景であり、多く垂直的な構造を有しているように思われる。なぜなら圧倒的な存在に直面する体験こそがその本質であり、この問題は抽象表現主義絵画と崇高の問題へと敷衍できる。垂直的なスペクタクルという言葉から私はヒトラーの建築家、アルベルト・シュペーアがナチスの党大会で無数のサーチライトを垂直に照射して演出した「光の大聖堂」を想起する。垂直のスペクタクルが権力や権威と結びつくのに対して、維新派のスペクタクルは一望性、端的に「透視図」としての特性を有しているのではなかろうか。そもそもこの演劇自体が通常の舞台と比べて極端に奥行きのある空間で演じられている。水の流入、役者の動き、この作品においては移動というモティーフが明らかであるが、かかるモティーフは沖縄から大阪、そして大阪においても三度、「島」という文字のついた土地に引っ越したという役者の台詞へと反映されるが、「台湾の灰色の牛」においても移民や流民といった主題が扱われていたことを考えるならば、実は水平性と移動こそ維新派の演劇の本質とはいえないだろうか。今、私は垂直のスペクタクルが権力や権威と結びつくと述べた。これに対して水平性はヒエラルキーを解体する。この点も維新派の演劇の本質と関わっているだろう。何度も記したとおり、多くが白塗りで白装束をまとった維新派の役者たちは個性をもたず、一斉に同じ言葉を発語することによって台詞さえも喪失している。台詞として発せられる言葉が交換可能であるように俳優たちも交換可能なのだ。維新派に看板役者やスターは存在しない。このような水平的なシステムは演劇においてきわめて特異であろう。維新派の役者たちに必要なのはカリスマ性や演技力ではなく体力だ。劇の終盤で濁流に洗われる16の舞台/島の間を役者たちは軽やかに跳躍してめぐりながら退場していった。2010年、瀬戸内海の犬島。2014年、大阪の安治川。島から島へ。次は、いつ、どこで私は彼らと再会することができるだろうか。
by gravity97 | 2014-10-30 22:36 | 演劇 | Comments(0)

岡田利規『地面と床』

 小説家を「炭鉱のカナリア」に準える発想はカート・ヴォネガットに由来し、大江健三郎がどこかで論及していたと記憶している。炭鉱夫は坑道に入る際にカナリアを入れた籠を携える。坑道の空気が悪化した場合、まずカナリアが異常を察知するはずだ。その挙動によって鉱夫に空気の不調を知らせるカナリアのように、表現を生業とする者は時代の空気の不調を最初に感知し、いちはやく社会にそれを警告する義務を負うという。
 私たちの社会も今、著しい不調の中にある。この不調が震災と原子力災害に由来するものであることは明らかだ。あれから二年以上が経過するが、何も解決されないまま時間ばかりが経過している。被災地の「復興」は滞り、原子力災害の責任者たちは誰一人として処罰されず、フクシマの地から流亡した人々は今も故郷に戻ることができない。一方で恥知らずの政権は原子力発電所の再稼働と海外への輸出を画策している。かつて私はこれほどの無力感に襲われたことはない。この国がおそらくは戦争と全体主義の地獄へとずるずると引き込まれていくことを自覚しながら拱手するしかない自分への無念さがある。以前にも記したが、私は5年前、自分がこれから出会う芸術に関わる楽しみに言葉を与えることを目的としてこのブログを開設した。しかしながらこのブログの持続的な読者であれば直ちに理解していただけると思うが、3・11以後、私はいかなるレヴューであっても自分が置かれた危機と無関係に論じることができなくなってしまった。スティーブン・キングのおよそ非現実的なホラーについて論じながらも、私は常に自分たちが置かれた現在へと思いを向けてしまうのだ。私は作品を形式的に批評することを身上としているから、作品にコメントした後に時評的な苦言を添える床屋談義的な物言いは好きではない。このブログが最初と比べて愉快でない、あるいは読みづらくなっていたとするならば、その理由は明らかにこの点にあるだろう。しかし着々と戦争への準備が進められる今日、私はいかなる表現も時代から自由ではないことをあらためて強く感じるし、少なくとも戦争前夜という状況を意識した表現についてはこのブログの中で記録として留めておきたいと考える。b0138838_21461545.jpg 例えばしばらく前になるが、私は神奈川県立近代美術館で「戦争/美術 1940-1950」という展覧会を訪ね、先般、兵庫県立美術館で「昭和モダン 絵画と文学」という展覧会に足を運んだ。どちらも企画力のある美術館らしい堅実でレヴェルの高い展覧会であったが、私は前者からは日本が破滅的な戦争にいたる1940年代の美術が表現のうえで決して戦争による断絶や中断を伴うものではなく、一続きの営みであったことを認識した。おそらく私たちも日常を繰り返す中で気がつかないうちに戦争と統制の時代に足を踏み入れていくのであろう。さらに後者からは貧困の差が拡大し、弱者が弱者であることの責任を問われる倒錯した現在がプロレタリア芸術運動の勃興する1930年前後の日本と何ら変わることがないことをあらためて思い知った。これらの展覧会は私たちの現在を照射する目的で構想された訳ではない。しかしいずれの展示もかつての暗い時代が今まさに反復されつつあることを暗黙裡に語っていた。

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 前置きが大変長くなった。先日発売された『新潮』を読む。この号のハイライトは蓮實重彦による「『ボヴァリー夫人』論」であろう。はるか以前から予告され、まもなく筑摩書房から刊行される大著の序章と第一章が掲載されており、いかにも蓮實らしい独特の文体と綿密な考証は圧倒的である。この大著については全貌が明らかにされてから論じるとして、今回、私が取り上げるのは岡田利規の新作戯曲「地面と床」だ。震災後に構想され、既にヨーロッパを巡回し、京都公演の後、ちょうど今、横浜で公演されているこの舞台を私は未見である。しかし今回、戯曲を読んだだけでも私は岡田の問題意識の深さ、そしてそれが紛れもなく現在の日本と深く結びついていることを知る。東日本大震災に対してすでに多くの表現が応じていることはこのブログでも論じたが、震災ではなく震災後の世界を描いたこの戯曲は、私には震災後まるで箍(たが)が外れたかのようにどこまでも崩れていくこの国の未来が投影された「炭鉱のカナリア」のように感じられたのだ。
 いつもどおりこの舞台もセットはシンプルで登場人物も少ない。私は岡田利規についてはチェルフィッチュによる二つの舞台と『遡行』という演劇論集を読んだ程度の知識しかないが、戯曲のみによっても舞台の模様、上演の様子はおおよそ想像できる。冒頭の記述によれば、舞台上に存在するのは板張りの床のみであり、その背後に字幕を投影するためのスクリーンが張り渡されている。舞台の上手には円形のふくらみをもったオブジェが置かれ、塚をあらわしている。舞台装置としてはこのほか舞台上手端に姿見大の鏡が置かれているが、観客からは見ることのできない方向に向けられているため、その存在に最後まで気づかない観客もいるという。登場人物は五名。由多加と由起夫という兄弟、二人の母で既にこの世になく、幽霊とも名指しされる美智子、由多加と妻である遙、そして由多加たちがかつて助けの手をのばしたが引きこもってしまった、さとみという女性である。かくも抽象的で禁欲的な舞台は俳優の身体さえも必要としないかのようだ。しかし「地面と床」はレーゼドラマでありえない。なぜならばこの舞台は常に複数の言語と関わっているからだ。先に舞台装置としてスクリーンを挙げたが、このスクリーンについては次のような記述がある。「これは、字幕を投影するためのスクリーンである。この劇のすべてのせりふは、もちろん日本語で語られるけれども、そのとき必ず外国語、たとえば英語や中国語の字幕が投影される。ときどき、せりふではない文が、文字として投影されることがある。このときは日本語も投影される。日本語の字幕はこの十字の中に垂直方向に投影され、外国語の字幕は水平方向に投影される」末尾に記されているとおり、この舞台は2013年5月にベルギーのクンステンフェスティヴァルバザールで初演された後、ヨーロッパ7都市を巡回した。外国語による上演に際してはせりふの翻訳が上映されることは珍しいことではない。しかし日本で上映される場合、「地面と床」における言語の投影は単なる翻訳ではなく、私たちを取り巻く多言語的な状況を暗示しているといえるだろう。劇作家そして演出家としてのキャリアをむしろ国外で築いた岡田にとって(この経緯についてはこのブログでもレヴューした『遡行』に詳しい)複数の言語を並置する手法は必要に迫られたものであったかもしれないが、日本人である私たちにとって日本で上演され、日本語で語られる台詞が外国語に翻訳されるという状況は不自然に感じられる。しかしこの点こそが重要なのだ。端的に述べるならば、この舞台は海外で見るか日本で見るかによって意味が異なる。海外であれば字幕は上演の補助手段にすぎないが、日本人にとってそれは不必要な過剰である。それにもかかわらずなぜ多言語が導入されるのか。現在の私たちの多くにとって「グローバリズム」を反映した多言語状況は決して快いものではない。日本語によって意思疎通が可能であるにもかかわらず、現実において私たちの生活の中にもほかの言語、しばしばリンガ・フランカとしての英語が介入しつつある。背後に投影される字幕の速度にいらつきながら、さとみは次のように述べる。「電車とかバスとか乗ると思うんですけど、そうすると英会話の広告とかってものすごくいっぱいあって目に入ってくるじゃないですか、あれをみるとなんかすごく脅迫されてるみたいな気がしてヤーな気持ちになるんですよね、なんか、これからの時代英語できないやつは社会のすごい下層ランクに落ちて掃き溜めみたいに、一生そこから上には絶対あがれないみたいな、そうなりたくなかったら英語しゃべれないと本気でヤバいですよみたいなメッセージでつけ込んでくる感じとかがすごくきらいっていうか、感じ悪いなーって思うんですよ」グローバリズムといわれる現象が端的にアメリカの正義を私たちに押しつけることにすぎず、この国の指導者たちがそれに抗うどころか唯々諾々と従いつつあることを私たちはTPP交渉から中学での英語教育にいたる最近の出来事で知っている。舞台の上で交錯する言語は相互理解や親和とはほど遠く、端的に抗争の中にある。そしてどうやら日本語は劣位にあるらしい。今挙げたさとみの発言に続いて舞台上には次のような字幕が投じられるという。

「あなたは思いますか? 日本語が 消えてなくなる」
「数千年後」(「千」の字がすりかわって)「数百年後」
「あなたは思いますか? ミサイルが海をこえて飛んでくる」
「あなたは思いますか? 日本が 交戦状態にはいる」

 これらの言葉が暗示するとおり、「地面と床」は物語の内容においても、現在の私たちが置かれた状況の暗喩であり、舞台全体に通底する閉塞感は私たちになじみのものである。最初に「遠い未来の日本」という字幕が映示されるが、果たしてどのくらい「遠い」のであろうか。舞台は二つの世界に分かれている。いうまでもなく由多加と由紀夫、遥とさとみは生の側におり、母である美智子は死の世界、地面の下にいる。両者は塚を通して交流するが、由多加が美智子に語りかけるのに対しては、遥は美智子の存在を否定する。「忘却に抗う権利をもつ」死者とは直ちに歴史の暗喩であろう。「死んでいる人の幽霊」とともにさとみという名を与えられた「生きているけれど幽霊みたいな人」の存在も遥は否定する。歴史と弱者、いずれをも否定するさとみのメンタリティーが震災後の私たちにとって何を表象しているかは明らかであろう。劇の冒頭で由紀夫は死者/美智子に対して「いい話を報告」するが、それは「前の勤め先の工場が閉鎖されてよその国へ移って」職を失った自分に新しい働き口が見つかったことであり、劇が進行するにつれて新しい働き口とは「破壊された、歪んだ道をこつこつ、元通りにならしていく仕事」であり、「たくさんの人間が力を合わせて、建物やトンネルを立て直す仕事」であることが判明する。この言葉に震災後の私たちを投影せずに舞台を見ることは不可能であろう。あるいは由紀夫は次のようにも述べる。「お母さん、俺がこうやって働けば、それはそのぶんだけ、俺はこの国を元通りにできたってことなんだよ、そんな仕事にいま俺はくわわっているんだよ。(中略)この国を前みたいに戻そう、いやもっとがんばって前以上にしようという、ものすごいたくさんの力があつまっている、そのあつまりに自分もくわわれているっていう実感がはっきりあるんだよ」このような昂揚にもかかわらず、なぜか深い絶望と不安が劇の全体を覆っている。不安は時に悪夢として具体的なかたちをとる。由紀夫に比べて恵まれた位置にいるはずの由多加夫婦も、由多加は日本と中国が交戦し、中国人兵士が近づいてくるという悪夢にうなされ、遙は美智子という幽霊につきまとわれている。悪夢や幽霊が具体的に何を暗示しているかが問題ではない。この舞台には日本という国が、日本語という言語がもはや存在しなくなる「遠い未来」がおぼろげに投影されているのだ。岡田の戯曲らしく、登場人物の言葉はかみあわず、多くの場合、対話は成立しない。しかし最後の場面で鋭く拮抗する二つの言葉が放たれる。遙は由紀夫に次のように語りかける。「わたしはきっと、そう遠くない将来、この国ではないところにいく。この子とふたりだけでいくのかもしれない。よいところだと思えたら、そこに家を建てる」移住と訣別、おそらくこの言葉には原子力災害後、家族とともに熊本に移住した岡田自身の思いが投じられているだろう。これに対して美智子もまた由紀夫に次のように語る。「由紀夫、わたしは信じてる。あなたの人生が、これからきっとよくなる。この国で、わたしが眠るのと地続きの地面で、これからも生きて、働く、それがむくわれて、あなたは幸せになる。ぜったいに。ねえ、これまでのようにこれからも、ときどきでいい、たいせつな、日本語で、わたしに話しかけて。わたしはそれ以上、なんにも望まない」
 全6場、誌面にしても15ページほどの、おそらくは短い舞台である。しかし私は震災後に私たちが味わっている漠然とした不安、自分たちがかつて足を踏み入れたことのないゾーンに迷い込んでしまったことへの恐怖をこれほど鮮やかに表現した作品を知らない。不安と恐怖、それは震災の再来や単に未だに放射能物質を撒き散らしている原子炉の解体作業だけではない。戦争を目的とした政治、ヘイトスピーチにみられる人倫の崩壊、時代は今やあらゆる局面で私たちを苛んでいる。今、私は表現という言葉を用いたが、おそらくこの戯曲はチェルフィッチュの優れた俳優たちを得て、演劇としても素晴らしい内容となっていることであろう。いくつかの劇評や岡田自身の言葉によればこの舞台は音楽劇としても圧倒的であるという。しかし私はあえて言語作品として「地面と床」を評価したい。先に引用した遙と美智子の言葉に続く、母であり幽霊である美智子の語りによってこの舞台は幕を閉じる。あえてここでは記さないが、最後の美智子の言葉がなんと感動的であることか。このような言葉を紡ぐことができる劇作家と時代を共有していることは、日本と日本語が消滅するかもしれない時代に生きる私たちにとって、かすかな希望であるようじ感じられる。
by gravity97 | 2013-12-22 21:51 | 演劇 | Comments(0)

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 維新派の松本雄吉が寺山修司の「レミング」を演出する。初めてこのニュースを聞いた時、期待と不安を同時に覚えた。後述するとおり、私が自覚的に演劇を見た最初は寺山の「レミング」であり、一方、今日私が最も大きな期待とともに上演に向かうのは維新派の舞台であるから、寺山と松本とは私にとって演劇体験のアルファとオメガといってよい。この二つの傑出した才能が結合する舞台が面白くないはずはない。しかし同時にこの二人ほどスタイルの異なる演出家を想像することも難しい。俳優の特異な肉体を強調し、土俗的で情念的な世界を創り出す寺山に対して、同じ衣装を身にまとい匿名化された俳優がきわめて抽象的な物語を演じる松本。果たして両者に接点はあるのだろうか。しかも市街劇や野外劇を得意とした二人に対して今回の芝居はプロセニアム、完全な舞台上で演じられるのだ。しかし暗転した会場に「世界の果てまで連れてって」という歌が朗々と響き渡り、照明の中に浮かび上がる古代建築風の書き割りの左右から無数の俳優たちが床を踏み鳴らしながら列を組んで行進する冒頭のシーンを見た時、一瞬にして私の不安は解消した。私は歴史的な上演に立ち会ったのではないだろうか。
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 1983年の5月下旬であるから、時期としてもちょうど30年前となる。私は八尾西武ホールで天井桟敷の「レミング」を見た。魂が震撼する体験であった。私は演劇が私たちの認識そのものの枠組を変える可能性を秘めていることを初めて知った。同じ月の初めに寺山は没していたため、これは天井桟敷としての最後の公演であり、私はかろうじて間に合った訳だ。少し説明を加えるならば、「レミング」は1979年5月に東京晴海の国際貿易センターで初演され、その3年後に改訂、再演された。すなわち1982年12月の東京、紀伊国屋ホール、そして翌年5月から7月にかけて横浜、八尾、札幌を巡回した公演である。(ただし今回の公演パンフレットに掲載された上演記録には札幌の公演についての記述がない)初演と再演にはいくつかの相違がある。当時の劇評を確認するならば初演は平舞台の大空間の中で演じられたため、主に正面の本舞台と観客の背後の第二舞台が使用されたらしい。これに対して私が見た再演版はホール内の通常の舞台が使用された。内容に関しても主人公の中国人コック見習いが初演では一人であったのに対し、再演では王と通という二人の男になっている。これについて寺山自身は「この劇が独白者の夢にとどまるものではなく、複数の人物の相互性による、夢の社会性を問題にしたかったからである」と述べている。今回の「レミング」でも主人公は二人登場し、再演版を踏襲しているが、パンフレットを確認するならば若干の異同が認められる。つまり寺山版「レミング」において舞台は全16場で構成されていたのに対して、松本版「レミング」ではこのうち、「頭足人」、「王様ネズミに関する記述」、「死都ラトポリス」と題された三つの場面が削除されている。今回、戯曲についても確認したところ、戯曲と上演の間にも微妙な異同が認められることが判明した。興味深いことに削除された箇所は匿名的な登場人物が互いに言葉を掛け合うという、むしろ維新派的な場面であるが、削除されたとしても演劇の流れに影響を与えることはない。全体として実に丁寧に寺山の戯曲が生かされている印象がある。
 最初に述べた通り、異形の俳優を用いる寺山と俳優に匿名性を課す松本は演出の手法において対極に感じられる。実際に83年の「レミング」では舞台上で全裸となる女優、舞台を横切る侏儒の「アフリカ探検隊員」といった寺山らしいスキャンダラスな演出が随所に認められた。これに対して今回の「レミング」は二人の演出手法の違いを実に巧妙に処理していた。つまり中心となる四人の人物、二人のコック見習い、四畳半の畳の下を耕す母親、そして女優影山影子は明確な名前と個性を与えられ、物語の中心に位置する。彼らを演ずる八嶋智人、片桐仁、松重豊、常磐貴子という四人の俳優はTVなどで時折見かけることもあって寺山の芝居とはミスマッチの印象があったのだが、さすがにいずれも抜群に演技が上手い。あらためて感服した。この四人に対して、男、少女あるいは看護婦といった名前をもたない多くの登場人物が対置され、彼らは時に黒いコートを羽織って完全に匿名的な存在として夢の中の人物のように(夢、それがこの作品の主題だ)劇中に介入する。場面が転換されるごとに変化する中心的な俳優と匿名的な俳優の絶妙の関係がこの舞台を支えている。最初、私は寺山と松本の演出法の隔たりを懸念したのであるが、見ているうちにむしろ両者の共通性に思いが至ることとなった。まず思い当たるのは寺山も松本も演劇の様式美を追求し、劇中に視覚的な趣向を凝らす点だ。いずれの舞台もどのシーンを切り取っても絵になる。寺山の芝居が奇怪な装置や不思議なオブジェで溢れていることはよく知られているが、美術出身の松本が作り出す世界もさながら時にインスタレーションのごとき完成度をもち、時に息を呑むような美しさがある。先にも触れたこの劇の冒頭、「マッチ箱の中の大都会」の場面は天井桟敷によって演じられた際にも多くの黒子のような俳優たちが舞台のあちこちで奇妙な動作を繰り返すという、まことに維新派的な内容であったが、今回の舞台の冒頭を飾る夢幻的な情景から逆に私は寺山の「奴婢訓」の幕開けを連想した。私はこの傑作を寺山の没後、その衣鉢を継いだ演劇実験室万有引力の公演として見た。呪術的な音楽の中、無数の奴婢たちが逆光に照らされて観客席に向かって歩み寄る衝撃的なシーンである。興味深いことに「奴婢訓」において俳優たちは舞台の奥から客席に向かって前後方向の動きを示したが、松本版「レミング」においてかかる動作は常に舞台の左右方向、つまり観客と平行になされる。維新派の舞台が常に移動という主題と関わっていたことを想起するならば暗示的といえるかもしれない。そしていうまでもなく音楽だ。私が寺山の演劇に立ち会ったのは今述べた天井桟敷の「レミング」と万有引力の「奴婢訓」の二度のみであるが、いずれもJ.A.シーザーの粘着的な音楽が全編を貫き、(「万有引力」は「天井桟敷」解散の翌日、J.A.シーザーたちが立ち上げた劇団であり、この点からも私の見た「奴婢訓」は初演に忠実であったと考えられる。なお万有引力は「レミング」も1992年に再演している)演劇のトーンに決定的に寄与していた。維新派もまた音楽を重視する劇団であり、今回も舞台の脇に音楽を担当した内橋和久がギター(あるいは彼が日本唯一の演奏者とされるダクソフォンなる楽器であろうか)を抱えて上演に立ち会っていた。内橋によると松本は最初に今回の「レミング」を音楽劇にしたいという意図を伝え、これに対して寺山劇におけるJ.A.シーザーの存在の重要性を十分に認識していた内橋は、逆に音楽をまるごと変えてもよいかとプロデューサーに尋ねたという。プロデューサーは快諾し、かくして音楽に関しても維新派版「レミング」と呼ぶべきリミックス・ヴァージョンが成立した訳である。もっとも今回あらためて確認したところ、最初に流れる(「世界の果てまで連れてって」という歌詞を含む)寺山修司作詞、J.A.シーザー作曲の「カムダウン・モーゼ」という曲は83年版「レミング」のパンフレットに楽譜も掲載されているから、それに基づいて再演されたであろうし、ほかにも劇中で何度か歌われ、第12場のタイトルとされる「行き過ぎよ、影」という曲もJ.A.シーザーの手によるものであろう。しかし内橋は維新派の公演で多用される独特の変則7拍子を劇中のいたるところに取り入れて、寺山の「レミング」を異化する。今回の上演では冒頭の場面をはじめ、匿名の登場人物たちが7拍子のリズムに合わせて踵を打ち鳴らす独特のタップダンスを繰り広げて、現実とは思えないような幻想的な情景が成立していた。
 内容についてはどうか。この作品の主題について寺山は端的に次のように語っている。「『レミング』の主題は、一言で言えば、壁の消失によってあばかれる内面の神話の虚構性の検証である。今日、われわれは無数の壁にとりかこまれている。キャンバス、スクリーン、地表、顔、ありとあらゆる『表面積』の文化。壁はもはや実存主義ばかりではなく、世界の暗喩として存在しているのである」物語はコック見習いが住むアパートの一室の壁が消失する場面から始まる。壁の消失という主題を寺山は枠組の解体というテーマに接続する。つまり劇中に登場する影山影子は往年の大スターであり、彼女の映画を撮るために撮影隊の一行が舞台を横切るが、次第に映画と現実、演劇の境界は不分明になる。影子は映画女優なのか、映画女優を演ずる俳優なのかを決定することができないというまことに寺山的な不条理が発生するのである。あるいは劇中で語られる「遊戯療法」とは患者に医師の役割をさせる治療法であるが、ここにも患者/医師という役割の意識的な転倒、一種の決定不可能性が関与する。そしていうまでもなく夢という主題だ。床板をぶち抜いて登場した母親はコック見習いに対して、ここからは自分の夢であると宣言する。どこまでが誰の夢であるのか、夢の中の夢というフィリップ・K・ディック的なテーマが浮かび上がる。いうまでもなく夢とは演劇の暗喩だ。夢を夢と判定し、演劇を演劇と判定するのはその外部、別の審級においてであり(「エッ、眠っているときでも夢をみることができるんですか」というコック見習いの言葉はこの意味において暗示的だ)、かくして壁の消失は演劇が何によって保証されているかというメタ演劇的な問題を惹起する。この主題を寺山が終生追求したことはよく知られている。確かにこの作品では母親との葛藤(母親のもぐら叩き)、窃視する「屋根裏の散歩者」あるいは様々な街の噂の羅列といった、いかにも寺山好み、あえていえば1960年代的な主題も扱われている。これらの主題が現在の観客にどのように受け取られたかについてあえて私は判断を下さないが、おそらく今回の上演が30年という時を経ても全く古びたように感じられなかった理由は、それが演劇とは何かというきわめて本質的、根源的な問題を問うているからではなかろうか。83年版のパンフレットには(79年の国際貿易センターにおける初演について)扇田昭彦の次のような劇評が転載されている。「つまり、この劇は、本舞台だけに閉じこもろうとする観客の意識そのものが『壁』であること、個我意識の壁の外にはさらに多様な劇が渦巻いていることを、劇構造として巧みにさし示していたのである」文脈を理解しないとややわかりにくいコメントであるが、「壁」が劇中のみならず、観客の意識の中にもあると断じた点はこの演劇の本質を看破している。
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 私は83年の「レミング」の最後の場面を思い浮かべる。一度消失した壁は劇の最後で再び出現する。思いがけない壁の出現に、四畳半の畳の下の母親は「これは自分の夢ではない、誰かが私たちをまるごと夢に見ているのだ」と叫ぶ。私はその時、明確に了解した。この芝居は私たち観客が見た夢なのだ。かくして観客と舞台は一体となる。舞台から主人公たちが退場した後、場内は暗転し、観客の周囲で何かを打ちつける音がする。暗闇の中にコック見習いの声が響く「世界の果てとはお前自身の夢のことだ。だまされるな、おれはあんた自身だ。百万人のあんた全部だ。出口は無数にあったが、入口がもうなくなってしまった」この言葉が誰に向けられているかは明白だ。壁とは観客と舞台との間の壁でもあるのだ。まさに「レミング」とは「壁」の消失をめぐる物語であった。そして天井桟敷の観客に対する数々の荒業を知っていた私は、実際に現実の劇場の入口が封鎖され、自分たちが夢の中、つまり壁の内部に取り残されるのではないかと恐怖した。最後の場面で味わった文字通り劇的な転回、つまり私たちが演劇を見ているのではなく、実は劇場もしくは演劇の中に囚われているという感覚は今思い出しても鳥肌が立つほどに戦慄的であり、私が83年の「レミング」公演を魂が震撼する経験であったと述べた理由もここにある。さらにこの公演で印象的であったことは終演後も一切カーテンコールがなかったことだ。当然であろう。観客と演劇が一体であるならば、わざわざ俳優が登場して、観客が彼らに拍手するような儀式はありえない。演劇は断ち切られるように終わり、私たちはなおもその世界に囚われているという気まずい思いとともに劇場を後にした。83年の「レミング」を見たことによって私は今もなお寺山の世界の虜囚なのである。
 今回の「レミング」にはカーテンコールが存在した。のみならず最後の場面があくまでも虚構としての結構を保っていたのは、先に述べたように83年版の最終場面「死都ラトポリス」が今回の公演では削除されたことと関係があるかもしれない。私たちは一つの物語が舞台の上で完結したことを確認した後に、深い感動とともに俳優たちに心からの拍手を送った。私の考えではこの点にこそ83年版と今回の公演の決定的な差異が存在する。むろん私は両者に優劣をつけるつもりは全くない。演劇の枠組自体を問う試みは確かに寺山の時代には切迫していたかもしれないが、今日、それはもはや自明の前提と考えられている。没後30年という周年事業としてそれに見合った俳優陣の客演で演じられた今回の「レミング」は何よりも舞台としての完成度を求められており、寺山の実験精神を必要としない。寺山を離れても今回の舞台は歴史上に屹立する内容であった。1983年と2013年、30年という時を隔てて一つの優れたテクストが二つの全く異なった舞台に結実したという奇跡、そして奇しくもその両方に立ち会うことができたという幸運に、今私は深く感謝している
by gravity97 | 2013-06-10 20:22 | 演劇 | Comments(1)

b0138838_20492349.jpg 東日本大震災から二年が経過しようとしている。私は最近船橋洋一の『カウントダウン・メルトダウン』を読み終えて、今回の原子力災害に関わった東京電力の関係者や官僚たちのあまりの愚かさというか無責任、人間としての卑しさに暗澹たる思いを新たにしたところである。この優れたドキュメントにはこのブログで応接するかもしれないが、その作業が楽しいものとなるとは思えない。
 さて、震災と原子力災害という未曾有の事態に対して、作家たちはどのように応接したのだろうか。文学の領域では高橋源一郎の『恋する原発』や川上弘美の『神様2011』が思い浮かび、写真であれば東京都写真美術館における畠山直哉の個展やせんだいメディアテークにおける志賀理江子の「螺旋海岸」(私はこの展覧会は未見だが、先日、国立新美術館での「アーティスト・ファイル」でその片鱗に触れた)などが直ちに連想される。美術ではどうか。いくつか思い浮かぶ作品や展示がない訳ではないが、ほかの領域に比べてまだ明確な例は少ないように感じる。
 震災や原子力災害に対して早い時期に鮮烈な表現で応じたジャンルとして演劇がある。私は見ていないのだが、三浦基が演出したイェリネクの「光のない」がフェスティヴァル/トーキョーで話題になったことは記憶に新しい。そして私は演出家の岡田利規が最近発表したこの演劇論ほど、震災/原子力災害後の表現という主題に対して表現者が先鋭かつ明快に応答したテクストを読んだことがない。私自身は岡田が主宰するチェルフィッチュの公演としては「三月の5日間」と「ホット・ペーパー、クーラー、そして最後の挨拶」の二つしか見ておらず、岡田が直接にこのような主題と関わった「現在地」を知らない。しかし岡田が考えるところはこの演劇論を読めばきわめて明確である。私は何よりも演劇に関する自らの思考をこれほど的確に言語化する能力に圧倒された。
 岡田の名を世界的に高めた「三月の5日間」を初めて見た時の衝撃は忘れることができない。この戯曲は岡田の戯曲集のほかにこのブログでも論じた集英社の「戦争×文学」シリーズ中の一巻、『9・11 変容する戦争』にも収録されているから関心のある方はお読みいただきたい。冒頭、ほとんど何のセットもない舞台に普段着で登場した俳優は観客に向かって突然次のように語り始める。

それじゃ『三月の5日間』ってのをはじめようって思うですけど、第一日目は、まずこれは去年の三月の話っていう設定でこれからやってこうって思ってるんですど、朝起きたら、なんか、ミノベって男の話なんですけど、ホテルだったんですよ朝起きたら、なんでホテルにいるんだ俺とか思って、しかも隣にいる女が誰だよこいつ知らねえっていうのがいて、なんか寝てるよとか思って、っていう。でもすぐ思い出したんだけど「あ、昨日の夜そういえば」っていう、「あ、そうだ昨日の夜なんかすげえ酔っぱらって、ここ渋谷のラブホだ。思い出した」ってすぐ思い出してきたんですね。

 若者の話し言葉でこのように語りながら俳優たちは奇妙な演技を続ける。それは意味のないだらだらとした動きの反復であり、なぜそのような身振りが要請されるのか最初は理解できない。しかし日常の中で私たちは実はそのような動作を繰り返している。岡田は今引いた冗長で日常的な言葉に見合った動きとは何かを懸命に思考した結果、「ノイズ」のような動きと呼ぶ意味のない身振りにたどり着いたと述べる。私が見た二つの舞台はいずれもこのような意識に連なっていたから比較的よく似ており、両方を見ることによってようやく私も岡田の意図するところが了解できた。つまり岡田は演劇というフィクションの中で前提とされる言葉や身振りに全く信を置かず、逆に日常あるいは現実を演劇という場に持ち込もうとしているのだ。私も自分が加わった座談を何度か文字に起こしてもらった経験があるが、話し言葉をそのまま書き起こすならば、それはまさに今引いたような冗長で意味不明な言葉の羅列である。ラウンドテーブルを文字化する時、それは必ず言語の整理、抽象化の作業を介しているのだ。あるいは美術の領域でミニマル・アートが作品からイリュージョンを排して、現実としての作品を提示することが目的としていたことを想起するならば、岡田の試みは理解しやすい。現実の言葉と身振りを舞台に上げた時、果たして演劇として成立しうるかというきわめてラディカルな実験が行われていたのである。
 この演劇論はタイトルが示すとおり、岡田が演出した作品を現在から過去に遡行しながら検証するという斬新な構成をとっている。すべてが書き下ろしではなく、以前に発表したテクストも含まれているが、最初に論じられるのは本書が発表された時点における最新作の「現在地」であり、そこから2004年初演の「三月の5日間」にいたる作品をめぐる思考の深まりが現在から過去へ、逆向きに論じられる。先に述べたとおり私は「現在地」を未見であるが、岡田は本書の冒頭でその内容を次のように要約する。「村と呼ばれる共同体に、ある日不思議な青い雲が出現し、ほどなくしてその雲はこの村が滅びることを告げる不吉な兆しだという噂が流れる。その噂を信じる者もいるし信じない者もいる。見解の相違によって村は分断される。一方は村を見限って宇宙船で飛び立つ。もう一方は、それまでと変わらない村での日常を取り戻す」続けて岡田は、それが震災後の自分たちを問題としていると述べる。岡田の言葉を待たずとも「青い雲」が原子力発電所の事故の暗喩であることは明白だ。疑いなくこの戯曲には岡田の体験が反映されている。幼い子供をもつ岡田は事故後、2011年7月に横須賀から熊本に移住している。しかし岡田はこの演劇の稽古のために稽古場がある横浜を頻繁に訪れ、滞在した。岡田は当時を振り返り、九州に移住したにもかかわらず首都圏に住む人々と一緒に仕事をするということが非常な緊張を自らに強いたと述べている。私も移住こそしていないが、仕事で東京に行くたびに同様の緊張を味わうから岡田の言葉はよく理解できる。しかし問題はその点ではなく、演劇の内容だ。村という共同体、青い雲、宇宙船。これらはいずれもフィクションであり、現実ではない。現実を舞台に上げるという実験から演劇を始めた岡田にとってこれは一種の退行ではないか。実は岡田がこのような新作を構想するうえで、原子力災害は物語の主題のみならず、演劇という営みの本質に関わる問いを投げかけた。それによって岡田は芸術が社会に必要であること、演劇が社会に必要であることを明確に確信したと述べる。次のパッセージは岡田の認識の核心である。重要と思われるので少し長くなるが引用する。

現実社会に対置される強い何か。それはたぶん、フィクションと言い換えるのがふさわしい。僕はいつのまにか、フィクションという概念を通して演劇のことを考えるようになっていた。これまでは、そんなふうに演劇を考えてきたことなんてなかった。それはひとつには、僕がフィクションというものに価値を見出していなかったからである。現実が「本当のこと」でフィクションは「嘘」で「つくりごと」である、というふうに理解していた。そして僕はただの「嘘」や「つくりごと」になんて、興味がなかった。意味があるとは思えなかった。でもそれは誤解だったと考えるようになったのだ。現実とは「本当のこと」ではない。それは現時点においてはさしあたって最有力なフィクションである、というにすぎない。そしてフィクションとはただの「嘘」ではないし「つくりごと」ではない。それは、潜性的な現実なのだ。だから強いフィクションは、現実をおびやかす。現実に取って代わる可能性を、常に突きつけているからだ。この現実はフィクションによって励まされる必要もあるが、僕はそれと同じくらいに、こんな現実はフィクションによっておびやかされなければいけない、というふうにも言いたい。

 原子力災害の渦中にあって東京電力や原子力安全・保安院、そしてマスメディアが垂れ流した嘘やでたらめの数々。現実が「本当のこと」ではないことを知るために私たちはかくも高い代償を払わなければならなかった。しかしここからフィクションが現実に拮抗しうるという認識をつかみ取った岡田の転向は注目に値する。岡田にとって震災と原子力災害は作品の構造そのものの転機になったのみならず、フィクションによって野蛮な現実に拮抗するという決意、演劇のレゾン・ド・エートルに関わる発見の契機となったのである。私はいつの日か「現在地」を見てみたいと願っている。
 現在から「遡行」するという本書の構成上、冒頭に3・11をめぐる議論が置かれ、いきなり議論される演劇の本質に触れる問題の数々に圧倒されるが、本書はどの章を取り出しても示唆に富み、演劇のみならず多様な表現と関わる問題へと広がっていく。登場人物のベタな会話が延々と続く「クーラー」が振り付けやダンスという観点から評価されたというエピソード、安部公房の「友達」を演出した際の違和感と発見、これらはいずれも奥の深い問題を提起している。一方で本書はこの10年ほどの岡田およびチェルフィッチュの活動のドキュメントといった一面も備えており、横浜のSTスポットという小さなスペースから始まった彼らの活動が次第にその舞台を世界に広げていく過程を追うことも興味深い。演劇の場合、主にヨーロッパのいくつの主要な劇場や演劇祭がいわばハブの役割を果たし、そこに出演することによって新たなネットワークに取り込まれ、各地に招かれたり作品を委嘱されたりするようになることが理解された。チェルフィッチュの10年間は一種のサクセスストーリーであるが、その背景には常に演劇を原理的なレヴェルへと差し向ける岡田の強靱な思考が存在する。
 美術を専門としていることもあり、私がことに興味深く読んだのは演劇と美術の関係についての一連の文章である。実は本書が刊行される前に、私は自分の中に岡田の名前を強く焼き付ける一つのテクストに出会っていた。それは世田谷パブリックシアターが発行する『SPT』という演劇理論誌に収録されたテクストであり、先にも触れた安部公房の「友達」の演出について論じたレクチュアであった。その中で岡田は演劇における「具象」と「具体」を区別するにあたって、いきなり具体美術協会の白髪一雄の絵画を参照するのである。デペイズマンではないが、安部公房と具体美術協会の唐突の結合に唖然としたことを覚えている。しかし今回再読すると、岡田の論じるところは理解することが容易で、しかもジャンルを超えた一個の芸術論となっている。岡田の所論をかみ砕くならば、例えばゴッホが郵便配達夫を描く、それは郵便配達夫の具象である。しかしそれを表現しているのは絵具の盛り上がり、量感であり、それを岡田は具体性と呼ぶ。演劇において岡田が重視するのは具象性ではなく具体性である。「三月の5日間」に登場するふにゃふにゃした若者は具象的な存在である。しかしそこにはそれを演じる俳優の具体的な存在を前提としている。具体性とは身体、もしくは肉体と換言することができるかもしれない。岡田はチェルフィッチュの俳優には具体的な身体であることを常に要請するという。このような発想は直ちに美術にも反転できるだろう。
 演劇を説明するモデルとして美術を用いることはなんとも新鮮に感じられる。何度も触れた「三月の5日間」はヨーロッパではキュビスム的という評言をしばしば受けたらしい。これを受けて、2011年に「ゾウガメのソニックライフ」を演出するに際して、岡田はラウシェンバーグのコンバイン・ペインティングを参照したという。演劇とコンバイン・ペインティングである。私はこの演目も見ていないので、詳細をコメントすることはできないが、岡田はラウシェンバーグの手法を「各自がまるで唯我独尊とでもいったふうに、とにかくてんでんばらばらの仕方で強く存在しつづける」演劇へとパラフレイズする。これはなかなか鋭いコンバイン・ペインティングの解釈だ。今、手法という言葉を用いたが、美術と演劇ではメディウムが異なる。岡田は美術作品を方法論のレヴェルで摘出し演劇へと適用する。通常の演劇において俳優や台詞、舞台美術は演劇という全体に対する部分として存在し、全体との関係において意味をもった。これに対して「ゾウガメのソニックライフ」の場合はコンバイン・ペインティングという概念を介して全体に奉仕しない部分としての俳優、俳優についての新しいイメージが成立する。岡田の発想は一つの美術論として演劇を読み解く可能性をも示唆しているだろう。
 岡田の美術との関わりの中でも特筆すべきはドイツ在住の日本人作家、塩田千春とのコラボレーションである。2009年に新国立劇場で「タトゥー」というドイツの現代戯曲を演出した際に舞台美術を任せたことから岡田は塩田と知り合い、逆に塩田の依頼によって作品を執筆する。無数の窓枠を組み合わせた塩田の作品に触発され、閉館後の金沢21世紀美術館の展示室の中で執筆されたテクストは2009年の「架空の部屋について」というパフォーマンスとして結実した。この際に言語や翻訳、ジェンダーといった話題に関して二人の間で交わされた書簡を私は同じ美術館で開かれた「The Inner Voice 内なる声」という展覧会カタログで読んだ。(この書簡は本書にも収録されている。ただし「Inner Voice」では塩田の無数のチューブの中を赤い液体が循環する作品が展示されていた)さらに本書の中では観者の位置や自由度、あるいは眼差しが向けられる時間といった通常では意識されることのない問題がヴィジュアル・アートとパフォーミング・アートを比較する中で次々に浮かび上がる。これらは演劇と美術という別々の領域に自閉していては決して意識されない問題であろう。両者を媒介する作家としてはこのブログでも何度か取り上げたやなぎみわがいるが、演劇という視点を得ることによって、やなぎと塩田の作品の比較についても新しい角度から検証可能かもしれない。
 ひとまず本書の中から私の関心の向かう箇所について論じた。それにしても私は最近これほど知的刺激に満ちたテクストを読んだことがない。本書は演劇という営みに向けられた岡田の真摯な思考の軌跡であると同時にきわめて軽快な読み物だ。この軽快さが独特の文体からもたらされることも疑いない。岡田には『私たちに許された特別な時間の終わり』という「三月の5日間」の小説版と呼ぶべき作品もあるという。これについても近いうちに通読しなければなるまい。
by gravity97 | 2013-03-09 20:55 | 演劇 | Comments(0)

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 やなぎみわの演劇プロジェクト三部作の掉尾を飾る「1924 人間機械」が京都国立近代美術館で上演された。幕開けとなる「1924 Tokyo-Berlin」を同じ会場で見たのが去年の夏であったと記憶しているから、一年も経たないうちにきわめて密度の濃い三つの公演が連続して開かれたこととなる。このような切迫感を関東大震災後に綺羅星のごとく活躍した土方与志や村山知義の上に重ねたとしても決して的外れではないだろう。今回も前二作と同様にレヴューしておきたい。今後、ほかの都市での公演も予定されているが、ここでは内容にもかなり立ち入って論じる。
 最初に上演の前提について触れておこう。「1924 人間機械」は今年初めに葉山の神奈川県立近代美術館で立ち上がり、現在、京都国立近代美術館に巡回中の「村山知義の宇宙」展と深い関係がある。。b0138838_2142224.jpg前にも記したとおり、この三部作はこの展覧会と昨年、各地を巡回した「モホイ=ナジ/イン・モーション」展がともに京都国立近代美術館を会場としたことから構想され、神奈川芸術劇場で上演された「1924 海戦」を中にはさむ形で、ともに京都国立近代美術館という演劇にとってはイレギュラーな施設で演じられている。いうまでもなく演劇の内容が同じ時期に開催中の展覧会と密接に関わっているためであり、「1924 Tokyo-Berlin」ではベルリンのモホイ=ナジが電話を介して、築地小劇場の設立に向かって奮闘する土方与志に語りかけ、「1924 人間機械」ではおかっぱ頭の村山知義自身が主人公として登場する。三部作を時間的に整理するならば、築地小劇場の開設直後、「海戦」を見て興奮した村山が土方のもとを訪れる場面で始まる「1924 Tokyo-Berlin」は1924年の後半の物語であり、「海戦」の舞台稽古のシーンで幕を開ける「1924 海戦」は同じ年の前半、(築地小劇場が「海戦」でこけら落としするのは24年6月13日のことだ)そして「1924 人間機械」も演じられる内容からおそらくは1925年前後を想定した内容と考えられる。ちなみに「人間機械」とは村山が春陽堂から1926年に刊行した著作の名でもある。したがって時間的には若干の錯綜も認められるとはいえ、三つの劇の内容が一年ほどの比較的短い期間を扱っており、さらに演劇自体も一年にも満たない短い期間に実際に上演されていること、いわば物語られる時間と、物語る時間がほぼ一致している点をまず指摘しておこう。やなぎの演劇と村山の展覧会は独立しており、展覧会を見ずとも楽しむことはできるが、この意味でも事前に展示を一巡し、時代背景を頭に入れておけば内容に関する理解は一段と深まる。
 会場とされた美術館一階のロビー部分はこれまでも展示や上映会に使用されたことがあるが、細長く、使いにくい空間である。長方形の長辺の部分に壁に面して客席を設え、ガラス窓越しに疎水を見通す、あまり引きのない空間が上演会場とされた。「1924 Tokyo-Berlin」が「モホイ=ナジ/イン・モーション」展開催中の、来場者でにぎわう美術館内で上演されたのに対して、展示終了後に開始される今回の公演では一般来場者への配慮は必要とされないが、今回も観客は入場の際にワイヤレスのイヤホンを渡され、装着することを求められる。閉鎖的な空間の中で上演された前二作に対して、今回は開放的であるがゆえに空間的な細工が難しい。舞台装置もきわめてシンプルで、二脚の椅子と村山がベルリンから帰朝する際に蔵書や作品を入れて運んだと説明される大きさの異なるいくつもの木箱、そして時折文字や映像が投影されるスクリーンが疏水の風景を遮るかたちで設置されているのみである。舞台に向かって右端にピアノが一台置かれ、ピアニストがベートーヴェンの[ト調のメヌエット]を奏でる情景より演劇は始まる。むろんこの選曲には意味がある。1925年5月、村山は「劇場の三科」でこの曲の伴奏によってダンスを踊るパフォーマンスを繰り広げた。前二作同様、やなぎ、そして脚本のあごうさとしはこの作品の上演にあたって当時の資料や村山の著作を徹底的に読み込んで、作品のディテイルを決定している。左端から登場した村山は独特の扮装でダンスを繰り返す。二脚の椅子にはこの公演でもはやおなじみになった水色の制服姿の案内嬢が座り、時に肉声で時にイヤホンを介して観客に語りかける。これまでの二作が歴史的事実を踏まえ、それを劇化したという点でリアリズムを基調としていたのに対して、「人間機械」は概念的で物語性に乏しい。案内嬢のナレーションや字幕として表示される映像を介して、「意識的構成主義」をはじめとする村山の思想や言葉、ダダイスムの精神などが次々に開陳される。「Tokyo-Berlin」では村山と土方与志の二人、「海戦」では土方と小山内薫が主たる登場人物であったが、「人間機械」は村山一人が狂言回しの案内嬢たちと掛け合いを行う。前二作では築地小劇場の開設前後の物語が語られた。「人間機械」もほぼ同じ時期、1925年の銀座松坂屋と築地小劇場で開かれた「三科」および「劇場の三科」の公演を歴史的背景としている。実際に劇中では松坂屋の紙袋が小道具として用いられ、[ト調のメヌエット]が何度も演奏される。知られているとおり、村山は舞台美術や舞踏にも深く関わり、おかっぱ頭でダンスを踊った。展覧会の会場でこのような事情に親しんだ私たちにとって、村山を主人公にした演劇で、かくも生々しく俳優の身体が現前する意味を理解することはたやすい。(もっとも展覧会をめぐるならば、私たちは村山の仕事の驚くべき広がりに圧倒されるのであるが)
物語性やスペクタクルを排した舞台の上では俳優の身体が強調される一方で、村山以外は匿名化されている。青い制服に身を包んだ案内嬢たちはこれまで同様に個性をもたず交換可能だ。様々な媒体を介して再生される声は錯綜し、台詞自体も発話者を特定することが難しい。発話を多声化するイヤホンは明らかにこの目的のために導入されている。前二作において匿名性は案内嬢や水兵といった職能と関わっていたが、「人間機械」では性別さえも交換可能となる。村山の特徴的なおかっぱ頭は案内嬢たちにも共有されており、さらに劇の中盤で案内嬢の一人がマスクを外すと、女性ではなく男性が演じていたことが判明する。展覧会に展示されていた記録写真の中で村山がまとっていたチュニック風の衣装、長髪に裸足という風体は女性性を暗示しており、時にタイツやハイヒールを着用したというエピソードからは作家自身も性を越境しようとしていたことが暗示されている。トランスジェンダー、あるいはトランスヴェスティズム(服装倒錯)への村山の関心を考慮するならば、このような演出は奇を衒ったのではなく、作家の創造の本質と深く関わっていることが理解されよう。
さて、「人間機械」という言葉、そして1920年代、ドイツといったキーワードから直ちに連想されるのはフリッツ・ラングが1927年に制作した映画「メトロポリス」だ。私は1984年のジョルジョ・モロダー版で見た。劇中でも案内嬢たちが人造人間を制作する映像が映写される。「Tokyo-Berlin」における「電話絵画」の大量生産に従事する案内嬢たちの姿も連想されようし、増殖した無数の案内嬢が展覧会場を闊歩する映像はラングのフィルムからの直接的な引用が認められる。これらのイメージから連想される単純労働、大量生産、階級闘争といった主題が「メトロポリス」と共通することは偶然ではない。そして同様の主題は「1924 海戦」の物語の背景をかたちづくっていた。劇中に登場する「人間機械」とは人体の様々の部位が接合されたグロテスクなイメージであり、実際には案内嬢たちが穴からばらばらに手足を突き出した木箱の集積として提示される。展覧会を参照する時、このイメージの原型を推定することはたやすい。おそらくは『マヴォ』の3号に掲載された住谷磐根、高見澤路直らの半裸で逆立ちしたダンスの有名な写真から着想されたのではなかろうか。b0138838_2145018.jpg「Tokyo-Berlin」同様に展覧会と演劇は相互に反射を繰り返し、展示されていた作品に演劇をとおして新しい解釈が与えられる。
劇の終盤、自らが故障したことを告げながら「人間機械=案内嬢」は、窓ガラスを遮っていたロールカーテンを次々に跳ね上げていく。このカーテンはそれまでスクリーンとして映像が投じられていたから、カーテンの消滅は虚構/演劇から現実へと場が転換したことを暗示しているだろう。ロールカーテンの向こう、ガラスの外にはちょうど満開を迎えた桜が咲き誇っている。この趣向から私は京都芸術センターにおけるやなぎの茶会を連想した。虚構と現実との境界の確定もしくは移行は寺山修司によって徹底的に探求された主題であり、「Tokyo-Berlin」においても観客たちは現実(展覧会場)から虚構(劇場)へ、案内嬢の見世物小屋風の口上とともに呼び込まれた。今回は逆に虚構から現実へと情景が反転する。この反転を受けて最後にやなぎらしい企みが用意されている。案内嬢の指示に従って、観客はロビーの横から美術館のバックヤード、搬入口へと誘導される。観客は移動することによって自分たちが美術館という現実の空間に位置することをあらためて意識する。最初、搬入口のシャッターの方向へと観客の注意を逸らした後、案内嬢はおもむろに反対側の作品搬送用の巨大なエレベーターを指し示す。いうまでもなかろう。エレベーターガールはやなぎの初期作品のモティーフであり、「1924 海戦」においても日本で最初にエレベーターが設置された浅草凌雲閣からはるか宇宙まで上昇していくエレベーターのエピソードが語られた。巨大なエレベーターの扉が開くと、中にはエレベーターガールたちと木枠の中に梱包された村山の姿がある。エレベーターガールは村山を作品として収蔵し、これから地下の収蔵庫へ向かうことを宣言し、扉が閉じられて演劇は終わる。なんとも意表をつく仕掛けであるが、やなぎの作品、「1924」三部作、そして村山の展覧会を見た私たちは快い驚きとともにこの場面に立ち会う。村山のアクションを作品として収蔵するという結末は演劇と美術の奇跡的な結合とも呼ぶべきこの三部作の幕切れにまことにふさわしい。あるいはそこに身体的、行為的な表現さえも作品として収蔵しようとするポスト・メディウム時代の美術館の欲望をうかがうこともできるかもしれない。やなぎの三部作はこれまで演劇の側から言及されることが多かったが、美術館や展覧会という制度に対しても画期的な意味をもつだろう。つまり映像が残されていないため再現困難な村山のパフォーマンスに関して、「1924 人間機械」は演劇をとおした再現の試みとして展覧会を補完する役割を果たしうるのである。今回の展覧会に失われた作品が当時の図録等をもとに原寸に拡大した写真図版として多数出品されていたことはこの意味においても暗示的である。かかる試みの先例として私が連想するのはかつてこのブログでも取り上げたマリーナ・アブラモヴィッチが2005年にグッゲンハイム美術館で開いた一連の歴史的パフォーマンスの再演である。ここでは過去のパフォーマンスを映像や写真で再現するのではなく、作家の身体をとおして新たな解釈とともに再演することが試みられていた。これに関連して、先ほどやなぎの公演と同時期にニューヨークの近代美術館で開催され、演目に[The Man Machine]と[Metropolis]を含むクラフトワークのライヴについても触れたいところであるが、別の機会に論じよう。
限定された人数とはいえ、通常は外部の人間を入れないバックヤードに観客を受け入れる判断は、国立の施設でありながらもリベラルな気風の強い京都国立近代美術館でなければありえないだろうし、作家と美術館の信頼関係が反映されている。もっともこのようなエンディングは建築の構造と密接に関わっており、今後の公演でどのように展開されるか楽しみなところである。
これで三部作が完結した。繰り返しとなるが、これほど短期間に形式も内容も全く異なる三つの舞台を高い完成度とともに実現したやなぎの力量にあらためて感服するとともに、二つの震災が時を隔てて優れた才能の開花を触発したのではないかと感じる。先に私は津上みゆきの作品に触れて、美術という営みが震災に拮抗しうる力をもちうることを確認した。やなぎの作品もまた、かくも苛酷な時代にあって美術/演劇が私たちにとって一つの救いであり、導き手であることを雄弁に語っている。この一年、私たちを取り巻く状況にかくも真摯に対峙した表現がほかにあっただろうか。「勝者」によるくだらないチャリティーや砂漠の国でのサクセス・ストーリーに私は心底うんざりしている。美大生を動員した「人間機械」による製品ではない。確固とした個としての作家が、俳優と、演出家と、多くの関係者と協同した奇跡のような作品の発表に三度にわたって立ち会えたことを私もまた誇りに思う。
by gravity97 | 2012-04-19 21:12 | 演劇 | Comments(0)

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 8月に京都国立近代美術館で見た「1924 Tokyo-Berlin」に続いて、やなぎみわの演劇プロジェクト三部作の二作目となる「1924 海戦」を見るために横浜に出かけた。やなぎにとって本格的な劇場公演は今回が最初となるのではないだろうか。原案・演出・美術をやなぎが務め、前回は演出助手としてクレジットされていたあごうさとしが脚本を担当している。前回のブログと重複するが、最初に少し整理しておくならば、この三部作は京都国立近代美術館で偶然にもモホイ=ナジと村山知義の個展が近接して開催されることから着想され、1924年、関東大震災からわずか10カ月後に旗揚げ公演をした築地小劇場の活動をテーマとしている。主人公は築地小劇場を創設した「赤い伯爵」こと演出家、土方与志。今回のタイトルとなった「海戦」とは築地小劇場のこけら落とし公演の演目の一つとなったドイツの戯曲家ラインハルト・ゲーリングの表現主義戯曲である。以上の前提からこの作品が本質において芝居についての芝居という入れ子状の構造をもち、自己言及的な特質を帯びることは容易に推察される。そして実際に上演された物語は史実と創作、1924年と2011年という二つの震災後の世界が入り乱れる、予想通りに刺激的で知的な内容であった。演劇や大正期の新興美術についての知識に乏しい私にとって手強い対象であるが、記憶が薄れないうちにレヴューしておきたい。
 案内嬢たちに先導されて、観衆は狭い通路を通り、舞台装置の脇を迂回するかたちで客席に導き入れられる。舞台には見覚えがあった。吉田謙吉によって制作された舞台装置は、このブログでも触れた「日本の表現主義」展において紹介されていた。公演に先んじてワークショップの中で制作された舞台装置は一世紀近く以前に制作されたそれを模している。すでにこの時点で私たちが立ち会うのは芝居の中の芝居、一種のデジャ・ヴであることが暗示されている。開演までの間、例によって案内嬢が登場し、会場である神奈川芸術劇場の設備について解説する。ただし前作を見た観客であればともかく、初めてやなぎの演劇に接する観客にとってなぜここで案内嬢が口上を述べるかは必ずしも明確ではなかった気がする。
 冒頭に近い場面に登場するのは案内嬢ならぬエレベーターガールである。やなぎの作品に見慣れた者にとってこれもまたデジャ・ヴの情景である。舞台に映写される映像の中で土方はエレベーターガールとともに日本で最初に電動式のエレベーターが設置された浅草凌雲閣をリアリズム演劇の階から表現主義演劇の階へと上昇していく。エレベーターというやなぎらしい小道具を介した垂直方向の移動とともに、物語は時間的な経過という水平方向のベクトルも兼ね備えている。震災によって灰燼と化した帝都東京に新しい劇場を建設するまでの時の流れが、震災後初めての冬を迎える現在の私たちの現在と同期していることに不思議な感慨を覚える。エレベーターガールに導かれて廃墟と化した東京を目撃した土方は直ちに小山内薫とともに演劇の革新を期して築地小劇場を創設し、「海戦」を含む三つの翻訳劇によって出発する。土方を理論的に指導しながらも何かにつけて金策を依頼する小山内との掛け合いは笑いを誘う。両者の関係は史実に基づいているだろう。この舞台では震災から1924年6月14日の築地小劇場開場にいたる濃密な日々がさまざまな出来事のコラージュとして綴られていく。
 水兵の扮装をした俳優たちの舞台稽古に始まる「海戦」は前作と同様、一つの制約の中に成立している。「Tokyo-Berlin」では美術館の中で演劇を上演するという試みが必然的にもたらす空間的な制約が存在した。多数の一般来場者でにぎわう現実の美術館の空間の中に演劇という虚構の空間をいかにしして挿入するか。これに対して今回は歴史的事実という、あえて言えば時間的な制約が演劇の内容を規定する。物語が進行する中でいくつもの事実が開陳される。例えば陸軍大尉であった土方の父はロシア皇太子が来日した際に平服で儀式に出席したことを指弾されて自殺し、土方に強い影響を与えたプロレタリア作家平沢計七は関東大震災の混乱の中で官憲によって虐殺されたらしい。「Tokyo-Berlin」における空間的制約が観衆にとって明示的、換喩的に内容を規定したのに対して、「海戦」における時間的制約は共示的、暗喩的に演劇の内容に介入する。一方でやなぎは登場人物たちの会話の中にツイッターを折り込み、i Padを通して土方と小山内が対話するといった遊び心も忘れない。
 前回のモホイ=ナジに代わり、この舞台ではメイエルホリドが土方たちに語りかけ、彼が提唱したビオメハニカなる俳優の肉体訓練が舞台の上で繰り返される。土方はベルリンからの帰路、モスクワで実見したメイエルホリドの舞台に刺激されて築地小劇場を構想した。しかし築地小劇場の精神的支柱ともいうべきメイエルホリドは革命の中であっけなく銃殺されたことが劇中で暗示される。幾度となく映示されるタトリンの《第三インターナショナル記念塔》のシルエット(このシルエットと東京スカイツリーのシルエットが重ね合わせられることからも劇中で1924年と2011年がいわば折り返されていることは理解できよう)が示すとおり、ロシア・アヴァンギャルドへの関心は政治と芸術、革命と芸術の関係などと並んでこの三部作を通底するテーマである。ロシアにおいて革命が芸術を圧殺したように、築地小劇場に集う自由な精神の上にも時代が暗い影を落とす。舞台の上で練習に勤しむ俳優たちに対して、客席から練習を中止するように憲兵の声が飛ぶ。舞台ではなく客席で時に土方が俳優たちを指導し、時に憲兵が上演中止を命ずるという演出は劇中劇という本公演の本質をみごとに視覚化している。劇中、土方と小山内の二人は固有の名前をもつが、白い水兵服を身にまとった俳優たちは個性をもたず、時に小山内らが批判するレアリスム演劇の指導者、時に大臣を歴任した土方の祖父、時に憲兵を演じる。このような匿名性を大衆の暗喩とみなすことはやや強引であろうか。
 ゲーリングの「海戦」は第一次世界大戦におけるユトランド沖海戦をテーマとしているという。やなぎはこれを日露戦争における日本海海戦と読み替えて、新しい解釈を与える。この場面は1924年と2011年、現実と虚構が入り乱れる本公演の核心といえるかもしれない。土方の「海戦」は絶叫と轟音が支配し、早口ゆえに「台詞が聞き取れない」と批判されたという。今回の公演でも圧巻と呼ぶべき終盤の場面を念頭に置くならば、やなぎはこのような批判をあえて踏襲する演出を試みているように感じられる。実際に築地小劇場で演じられた「海戦」の伊藤武雄訳によるオリジナルの脚本も残っているであろうから、おそらく初演の模様は今回の「1924 海戦」にも部分的に再現されているだろう。どの部分がいかなる意図のもとに抽出されたかも気になるところである。劇中劇という演出のみならずこの劇は全体として錯綜するコラージュとして成立し、数多くの引用がなされている。一例を挙げるならば、水兵たちが甲板のうえで繰り広げる群像のシルエットはジェリコーの名高い《メデューサ号の筏》をほぼ正確に反復している。最初、私は偶然の一致かと考えていたが、当日渡されたミニガイドを読み返してみると、人名と事項の一覧の末尾に確かにジェリコーの名も掲げられている。さらにこのミニガイドを通読するならば、はるか成層圏の彼方まで上昇するエレベーター、あるいは「革命は北方に吹く風か」といった劇中で何度となく繰り返されるフレーズなどがいずれもロシア、あるいは大正文化と深く結びつていることが了解される。作者のこのような企みに気づくならば、「海戦」の奥行きはさらに広がるだろう。しかし余分な知識がなくともこの舞台は俳優と映像、そして魅力的な様々の舞台装置が一体となった一つのスペクタクルとして十分に楽しむことができる。劇作家、演出家そして舞台美術家の三つの役割を兼ねつつ初めて本格的な舞台に挑んだやなぎの驚くべき才能にあらためて感服した。
 大正新興芸術のきらめきは震災を機に統制を強める国家主義の中に呑みこまれていった。社会主義者への弾圧や治安維持法、劇中のいたるところに私たちは暗い時代の予兆を読み取ることができる。果たしてそれは私たちの生と無関係なのだろうか。まだ軍靴の音こそ聞こえないが、震災に金融不安が追い打ちをかけ、独裁を称揚する愚劣なポピュリストが跋扈する現在と「1924」との間に不気味な暗合を感じるのは私だけではないはずだ。
by gravity97 | 2011-11-12 10:58 | 演劇 | Comments(0)

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 京都国立近代美術館で開催中の「モホイ=ナジ/イン・モーション」展と関連して企画され、同じ会場で上演されたやなぎみわの実験的な演劇「1924」に出かけた。この公演は三部作の最初であり、いずれの作品も1924年、関東大震災からわずか10ヶ月後に旗揚げ公演を成し遂げた築地小劇場の活動をテーマとしているという。三つの公演、とりわけ最初と最後の公演は同じ京都国立近代美術館を会場として偶然にもモホイ=ナジと村山知義の展覧会が開かれることを知って構想されたというから、この三部作そのものはかなり早い時期から準備されていたと考えられるが、今述べた主題からもこの演劇が震災後半年を迎えようとする私たちの生と深く切り結ぶ内容であることは容易に理解されよう。
 今回の公演は独特の上演形態をとる。一つの公演に対して観客の数は限定され、完全予約制とされている。早速申し込んだところ、開演15分前に美術館のエントランスに集合せよという指示とともに「モホイ・ナジ」展のチケット、そして弐圓札と印刷された入場券らしきチケットが送られてきた。あらかじめこの公演が展示室内で上演されること、観客は「案内嬢」によって展示、そして演劇の中に誘われることを知っていたが、美術館は開館中であるから、料金を払って参加する公演の観客と一般の来場者をどのように区別するか、ひとまず私はこの点に興味をもった。実は今回の公演は20年ほど前に先例をもつ。それはやなぎの美術館デビューとも呼ぶべき1994年、兵庫県立近代美術館における「アート・ナウ」の展示であり、当時、エレベーターガールをテーマにした作品を制作していたやなぎは会期中の週末、数名の案内嬢とともに展示作品を解説する展覧会ツアーのパフォーマンスを繰り広げた。その際は会場に居合わせた来場者を巻き込むかたちで実施されたが、今回は不特定多数の来場者の中から公演の観客をいかにして抽出するのだろうか。私の疑問はあっけなく解消された。制服を着た案内嬢に導かれた観客は入口でそれぞれ装着式のトランシーバーを渡され、録音された音声にしたがって会場をめぐる。制服を着た数名の案内嬢が誘導することによって若干の演劇性は確保されるものの、ここで上演は主として音声と結びつく。今日多くの展覧会で音声ガイドを利用する観客が特に鑑賞の妨げとならぬことと同様に、観客としての私たち、さらに演劇が上演されているという事実も一般の来場者にとって意識されることがない。上演が不可視化されているといってもよかろう。むろんここに一つのメタファーを認めることはたやすい。私はこの公演の隠された主題は「同期」ではないかと考える。この演劇をとおして音声は多くトランシーバーという機械を介した音声、おそらくは録音された音声として与えられる。したがって上演の進行と音声が同期することはこの演劇の成否に関わっている。さらにやや先走るが、劇中で登場人物の村山知義もモホイ=ナジの音声による指示に従って「電話絵画」を制作する。ここでも指示と実行の同期が主題とされており、さらにいえばモホイ=ナジと村山のありえざる邂逅は東京とベルリンという空間を隔てた二人の作家の同期と考えられるのではなかろうか。
 案内嬢による解説の内容はさほど特殊なものではない。展示されている作品、あるいはモホイ=ナジの生涯のエピソードが簡潔に紹介される。しかしその中でこの演劇の鍵となる「電話絵画」についての解説がなされ、後半への伏線をかたちづくる。今になって思うが、多様な作品によって構成されたこの大展覧会において中心となるのは写真をはじめとする映像作品である。その中からあえて数点の「電話絵画」を取り出し、演劇の中心に据えるところにやなぎの慧眼がある。案内嬢の解説によれば「電話絵画」とは1922年にモホイ=ナジが看板会社に電話で指示を与えて制作させた5点の作品である。私は確認していないが、おそらく現物は残存していないであろうから、会場で案内嬢たちが恭しく掲げていた「電話絵画」はこの演劇の小道具として制作されたものであろう。案内嬢の解説に従って観客は4階の常設展示室に誘導され、いくつかの作品の解説を受けた後、常設展示室中央の小部屋へと導かれる。ここでも興味深い仕掛けがある。それまで楚々とした声で続けられていた案内嬢の解説は小部屋の前で突然失調し早口大声になるとともに、語りの内容も中性的な作品解説ではなく、見世物小屋を前にした大道芸の口上へと転じる。このあたりは最近のやなぎの関心の所在を示しており、続く公演でどのように展開されるか楽しみである。
 「お代は二円」という口上に従って、「1924」の観客たちは持参した弐圓札を木戸銭として部屋の中に導かれる。いうまでもないがこの場面も音声はトランシーバーを介して伝えられるから一般の来場者は何が起きているか気づくことなく、観客はスムーズに席が設えられた室内に導かれる。このあたりの演出もみごとだ。観客が着席すると、土方与志と村山知義という二人の人物が初めて肉体と肉声を与えられて登場する。ベルリン留学から帰朝した二人はともに新しい演劇の創造を試み、土方は小劇場の旗揚げに、村山は公演のための舞台美術に取り組む。舞台上の二人の動きと会話に加えて、引き続きトランシーバーの音声が重ねられて物語は多声的、重層的な構造をとる。案内嬢に代わり、ここで重ねられるのは例えばモホイ=ナジの声だ。はるかベルリンより伝えられる彼の指示に従って村山は電話絵画ならぬ舞台装置を組み立てる。この部分はこの上演のクライマックスをかたちづくる。実はこれらの舞台装置はこれまで何度か展覧会で取り上げられたことがある。例えば旗揚げ公演の「海戦」の舞台美術はこのブログでも紹介した先年の「日本の表現主義」展で紹介され、さらに村山の手による「朝から夜中まで」の舞台装置はずいぶん以前であるが、1988年に神戸や東京を巡回した「1920年代・日本」展の会場で原寸再現されていたと記憶する。今回の上演は比較的時間が短いこともあり、また劇場ではなく展示室内で少人数によって演じられたこともあって、スペクタクル性や上演効果には乏しい。しかし「1924」は全体として新しい時代の息吹、革新と復興の気概に満ちており、被災後、呆然とする私たちを励ますかのようである。
 案内嬢と電話機。この演劇の二つのモティーフの共通点は先に述べた同期性である。案内嬢は来場者と、電話機においては二人の人物が同期することによって初めてコミュニケーションが成立する。そもそも演劇自体が俳優と観客が同期することによって成立する制度であるから、この意味において「1924」はメタ演劇的な特質を備えているといってよかろう。案内嬢と電話機にはほかにもいくつかの共通点がある。例えば両者はある時代、おそらくは1924年の時点において近代性の指標であったかもしれない。前者はデパートのごとき巨大商業施設の出現によって成立したはずであり、後者は一定の技術の進展によって初めて可能とされる。さらに両者は一種の匿名性を帯びているとはいえないか。制服と制帽を身にまとった案内嬢は個性を剥奪され、交換可能な記号である。声のみによってコミュニケーションを行う電話機もまた送り手と受け手を匿名化する。このような匿名性が「電話絵画」に反映されていることはいうまでもない。看板会社に電話で指示を与えて制作した「電話絵画」は作者を否定したダダ的な試みとみなすこともできようし、ドナルド・ジャッドやカール・アンドレの発注芸術の元祖とみることもできよう。しかしながら「器械による生産」を説き、フォトグラムを制作したモホイ=ナジの展覧会の傍らにあって注目すべきはそれらが作家の手を煩わせることなく、いわば自動的に成立している点である。それらを可能にしたのは作り手の個性や作品のアウラを否定する発想である。ダダイスム、バウハウス、あるいは構成主義といった時代背景を考慮する時、機械と人間、手仕事と大量生産の対比は暗示的であり、案内嬢と音声ガイドを比較すれば了解されるとおり、これらの問題への関心はモホイ=ナジの展覧会と「1924」という演劇の公演のいずれにも共有されている。この時、上演があえて展覧会という枠組の中で挙行された必然性も明らかである。
 公演の終盤、新しい演劇、新しい時代に向かって高揚する土方たちに冷水を浴びせるように岸田劉生の声が重ねられる。京都国立近代美術館のコレクションの中に麗子像があるとはいえ、村山のおかっぱ頭を麗子像に重ねて唐突に劇中に介入する劉生のポジションが少なくとも現時点で私には判然としない。劉生は村山たちが革命によって破壊しようとした体制の象徴なのであろうか。劉生と新興美術の関係については少し調べてみたいと思う。
 やなぎの作品はかねてより演劇的な要素が強く、私は京都芸術センターで開かれた「桜守の茶会」にも臨席したから、今回の公演そのものはさほど意外ではなかった。しかし美術館内における変格的な上演でありながら、かくも知的に洗練され、喚起力に富んだ内容として実現されるとは想像できなかった。次の舞台ではどのような趣向がこらされるだろうか。第二作にあたる「海戦」は11月に横浜で上演される予定である。おおいに期待したいと思う。
by gravity97 | 2011-08-13 10:09 | 演劇 | Comments(0)