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四方田犬彦『テロルと映画』

b0138838_10163317.jpg 四方田犬彦の新刊「テロルと映画」を読む。四方田の著書についてはすでにこのブログでも何度か論じてきた。タイトルが直截に示すとおり、本書は四方田が自身の専門である映画に関してテロリスムという観点から分析を加えた内容である。四方田の著作に親しんだ私にとって、それぞれの章の原点とも呼ぶべき著作を挙げることはたやすい。第1章と第3章はそれぞれスピルバーグの「ミュンヘン」とハニ・アブ・アサドの「パラダイス・ナウ」という二つのフィルムの分析として『パレスチナ・ナウ』において語られているし、第4章はしばらく前に発表された浩瀚な研究書『ルイス・ブニュエル』、第5章はこのブログでも取り上げた『若松孝二 反権力の肖像』と重複する部分が多い。ほかにもインドネシアで制作された「天国への長い道」という作品に関しては、私は未読であるが、最近四方田が精力的に取り組んでいるアジア映画に関する研究の中で言及されているかもしれない。しかし必ずしもオリジナルな分析でないことは本書の意味を減ずるものではない。むしろテロリスムという観点を導入することによって、それぞれの映画監督や作品に新たな補助線を引くことが可能になるように感じた。
 著者もあとがきで述べているとおり、本書を執筆する直接の動機となったのは冒頭で触れられる2001年の同時多発テロではなく、2004年に文化庁の文化交流使としてイスラエル/パレスチナとセルビア・モンテネグロのコソボに一年間滞在した経験であった。この滞在記は『見ることの塩』というまことに苛烈な紀行としてまとめられている。私はモロッコやニューヨーク、あるいは一時期寄寓した月島を題材とした四方田の一連の紀行的エッセーを大いに楽しんだのだが、『見ることの塩』はそれらと印象を違えていた。自爆攻撃の恐怖に日常的にさらされている中東の街と、破壊された墓と燃やされた家が何の手当てもされないまま放置された東欧の街。民族間の憎悪がむきだしにされた土地に異邦人として滞在することの困惑が四方田をとらえる。そこは日常的にテロリスムが吹き荒れる土地であり、バスに乗る際には自爆テロから身を守るためになるべく後部座席に座ることを忠告さえされるような土地である。興味深いことに四方田はいずれの地においてもそこで制作された映画の研究に勤しむ。むろん四方田は映画の研究者であり、おそらく文化庁からも映画に関する研究と啓蒙を目的として「邦人渡航自粛勧告地域」へと派遣されている。しかしこの時、四方田は現地で制作されたフィルムを見て、あるいはそれぞれの地域で意欲的に活動する映画監督との対話をとおして、テロリスムに抗する営みとして映画を再発見したのではないだろうか。最終章が「哀悼的想起としての映画―テロルの廃絶に向けて」と題されているのは暗示的である。
 最初に四方田はテロリスムと映像について、本書の出発点とも呼ぶべき次のような二つの認識を提起する。すなわちテロリスムが人間に向かって何かを訴えるときには、つねに映像メディアを媒介とし、スペクタルの形態をとるという事実。第二にテロリスムの印象は映像に大きく影響されるため、人は現実と映像の境界を識別できなくなるという事実だ。映画がスペクタルである以上、映画がテロリスムと結びつくことは必然といってよい。同時多発テロにおいてワールドトレードセンターが崩落する光景が私たちにとって既視感に満ちていたことはこの理由による。さて、ワールドトレードセンターが主人公たちの背景に屹立している場面を象徴的に挿入したのが、第1章で論じられるスピルバーグの「ミュンヘン」である。この映画についてはかつてこのブログでやはりテロリスムと深く関わる二つの映画「アルゴ」と「ゼロ・ダーク・サーティー」について論じた際に詳しく言及したので、ぜひそちらも参照していただきたいが、スピルバーグのフィルムについて四方田はそれがテロリスムの起源を単純化している点、つまり9・11まで連綿と続くテロリスムの応酬がミュンヘンオリンピック襲撃に始まるかのように描いている点を批判している。つまりオリンピック襲撃はその起源は、さらに遡ってナクバと呼ばれる1948年のシオニストたちによるパレスチナ占領に求めることができるはずだ。かかる起源なき暴力の連鎖こそがテロリスムの本質であるにもかかわらず、あたかも鮫や空飛ぶ円盤の出現といった明確な起点、別の言葉で言えば因果律に置き換える点を四方田は批判するのだ。第2章では同様の単純なステレオタイプの典型が「ダイ・ハード」に求められる。ハリウッド・アクションの典型とも呼ぶべきこの連作においてテロリストはアメリカの外部から到来し、アメリカの白人男性によって打倒される。多くのハリウッド映画同様、テロリストは常に他者であり外部である。これに対して四方田はインドネシアで制作され、同地で発生した爆弾テロを主題とした「天国への長い道」という映画を対比する。私はこの映画は未見であるが、四方田によれば四つの異なった物語が絡み合って進行する多声的なこの映画において、テロリスム、テロリストは他者として画然と分かたれることなく、「外部にして内部という矛盾した存在がテロを発動させる」という分析がなされている。第三章でも二つの映画が対比的に論じられる。いずれも「テロリスト」を主人公としたオリヴィア・アサイヤスの「カルロス」とハニ・アブ・アサドの「パラダイス・ナウ」である。私は後者のみ見ている。前者はタイトルが示すように悪名高きテロリスト、カルロスが次々にテロ事件を引き起こしていく経緯をドキュメンタリー・タッチで描いているという。しかし四方田はそれがカルロスの自己顕示欲を暴くものであったとしてもなんらテロリスムについて学ぶことはないと批判する。これに対して「パラダイス・ナウ」は深く「テロリスト」の内面に入り込む。主人公たちはパレスチナ、ナブルスという街に住む二人の自動車修理工の青年である。彼らは自爆攻撃の志願者を募る機関にリクルートされ、身体に爆薬を巻き付けてテルアヴィヴに向かうように命じられる。映画はこのような機関の頽廃と自爆攻撃がルーティン化されている点を時にユーモラスに描き出す。二人の個人史が明らかになるにつれ、彼らが「テロリスム」に向かう動機も明らかになり、最終的に彼らはそれを「殉教者ヴィデオ」に録画した後に自爆攻撃へと向かうのである。このフィルムは一人の青年の顔がクローズアップされ、画面がホワイトアウトすることによって終わる。私たちが予想するテルアヴィヴにおけるバスの爆発は画面には現れない。最初に四方田がテロリスムとは視覚的なスペクタクルとして表象されると指摘した点を想起しよう。「パラダイス・ナウ」はあえてスペクタクルを拒絶することによってテロリスムの表象を相対化しえたとはいえないだろうか。ここから私が連想するのはこのブログでこれまで何度となく論じてきたテロリスムならざる計画的な大虐殺を主題としたフィルム、クロード・ランズマンの「ショア―」におけるホロコーストの表象である。スペクタクルの禁止という点において両者は共通する。ここにテロリスムをめぐる一種の不可能性が明らかとなる。つまりテロリスムは映像をとおしたスペクタクルとして私たちに提示されるが、スペクタクルとして表象されることによってその本質を失ってしまうのである。この問題については後でもう一度戻るとして、続く第三章においてはテロリスムという観点からルイス・ブニュエルが論じられる。ただしこの章は私がブニュエルの映画をあまり見ていないせいか、やや観念的に感じられた。先に私は四方田のライフワークとも呼ぶべき大著『ルイス・ブニュエル』を通読したのであるが、かくも多様な問題をはらんだ映画監督であるならばテロリスムの問題と関連させることは容易であろう。四方田は「ブルジョアジーの秘かな愉しみ」「自由の幻想」「欲望のあいまいな対象」という70年代のブニュエルの作品、そして実現されず脚本が部分的に残されている「アゴニア」という作品を対象にテロリスムとの関係を分析するが、私にはやや深読みに感じられもした。第四章でも一人の映画監督を軸にテロリスムとの関係が論じられる。若松孝二である。テーマとの関係で直ちに連想される「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」についてはかつてこのブログでも論じたので参照されたい。70年前後の政治の季節にピンク映画を量産し、「ピンク映画の帝王」と呼ばれていた若松が実際にPFLPと交流をもち、一見荒唐無稽な作品が強い政治性を秘めている点については最初に触れた『若松孝二 反権力の肖像』の中で詳細に論じられている。若松が2007年という時点できわめて正統的な手法で連合赤軍事件を記録しようとした理由やその意味については先のブログでも論じたのでここでは述べない。ここでは映画監督とともに扱われた主題が重要である。なぜなら次の二章で論じられる映画もまた70年代に生起した二つの「テロ集団」と関わっているからだ。日本の連合赤軍に対して、ドイツではバーダー・マインホフ・グループ、イタリアにおいては赤い旅団が赤色テロルを繰り広げた。68年の学生叛乱が鎮圧された後、奇しくも日独伊というかつての枢軸国で吹き荒れたテロリスムはどのように映画として表象されたか。このうちバーダー・マインホフ・グループについては2008年にウーリ・エーデルが「バーダー・マインホフ 理想の果てに」という映画を制作し、これについてもこのブログで論じた。事件から半世紀近くが経過しながらも同じ時期に日本とドイツの過激派組織についての映画が制作されたことの暗合は興味深い。(ただしなぜか本書ではエーデルの作品についての言及がない)主として取り上げられる映画はドイツに関してはオムニバス映画の「秋のドイツ」と、この映画にも参加したファスビンダーの「第三世代」、イタリアについてはマルコ・ベロッキオの「夜よ、こんにちは」である。このうち、私は「秋のドイツ」しか見ておらず、さほど強い印象を受けなかったというか、当時はよくわからなかったが、それはこの映画の背景を認識していなかったためであったと本書を読んで理解された。これらのフィルムについての分析は本書に譲るとして、これらの作品に共通するのは70年代のテロリスムを主題としていることだけではない。まず多くの映画が事件から長い時間が経過した後、今世紀に入ってから制作されている。(「秋のドイツ」と「第三世代」は事件の直後、1970年代に制作されているが、ほかの作品はすべて2003年以降に制作されている)そしていずれの作品も、70年代のテロリスムをいわば内面化しており、端的にスペクタクルが不在である。「実録・連合赤軍」には終盤にあさま山荘における銃撃戦のシーンがあるが、篭城犯たちに視点を置いた映像はスペクタクルを欠き、若松が批判した原田眞人の「突入せよ あさま山荘事件」と対照的である。これらのフィルムの選択は明らかに四方田の問題意識に関わっている。第一章で四方田はテロリスムの表象を四つに分類したうえで、本書の主たる対象となる作品は次のような特質をもつと指摘する。「テロリスムの不可能性と不可避性を同時に見つめる、きわめて真摯な意図のもとに製作されたフィルム。製作本数こそ多くはないが、この範疇に属するフィルムは、テロリスムという限界的行為をけっして最初から悪として排除せず、その動機や周囲の状況、事後性の問題に分析的な検討を加えていく。それは世界の映画状況のなかではきわめて少数派であり、多くは作家の名前のもとに論じられる。この範疇には、テロリスト本人が製作に関わったり、彼らがインタビューに応じたものも含まれる」本書において「ミュンヘン」や「ダイ・ハード」、あるいは「夜よ、こんにちは」同様に赤い旅団のモロ首相誘拐事件をテーマとして私も見た覚えがあるジョン・フランケンハイマーのサスペンス、「イヤー・オブ・ザ・ガン」などが否定的に言及される理由はこの点に関わっている。
 先に述べたとおり、テロリスムが映像を介したスペクタクルとして実現されるという前提と本書で分析される映画のほとんどがスペクタルを欠いているという事実。端的に「テロルと映画」と題された書物の中で両者はどのように折り合いをつけるのだろうか。最終章において四方田はベンヤミンを引きながら映画がテロリスムの廃絶に向けて何をなしうるかという重い問題に対して三つの解答を提示する。一つ目は映像を事後性のあらわれとして差し出すこと、二つ目はフィルムの内側で和解と寛容の物語を提示して観客のメロドラマ的な想像力に訴求すること、三番目はスペクタクルの魅惑を排除することである。本書を通読した私たちはこのうち三番目の解答が最も重要かつ困難であることを直ちに理解するだろう。先にも述べたとおり、この問題はランズマンが提起した表象の不可能性という問題と関わっているだろう。しかしそれはあまりにも大きなテーマであり、別の枠組で論じる必要がある。ここでは最後にテロリスムの最新の表象として、スペクタクル性を欠きながら、和解と寛容の精神から最も遠い映像について触れておきたい。それは四方田も本書の注記として短く触れている、ISによる殺害予告の映像だ。愚かな首相のスタンドプレーのために、ISの人質とされた日本人が中東で惨殺されたことは記憶に新しいが、オレンジ色の服を着て砂漠にひざまずかされた人質たちの映像はスペクタクルからほど遠い。しかしながらこの映像はテロリスムの恐怖を伝えるという点で比類がない。人質たちのイメージはインターネットによって誰もが映像にアクセスできるという状況が可能とした新しいテロリスムの表象であり、ISはそれを実に効果的に用いている。四方田も記す通り、テロリスムと映像の関係は今日新たな段階に達し、加速度的に変化しつつあるといえよう。この問題についても別の機会に考えてみたい。

by gravity97 | 2015-07-25 10:18 | 映画 | Comments(0)

「アルゴ」 「ゼロ・ダーク・サーティー」

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 最近、近似したテーマを扱う二つの映画を続けて見る機会があった。一つは今年度のアカデミー賞作品賞を受賞したベン・アフレックの「アルゴ」、もう一つはキャスリン・ビグローの「ゼロ・ダーク・サーティー」である。偶然ではあるが、二つの映画はいずれもCIAのエージェントを主人公として、アメリカと中東の関係を主題としている。しかし内容は正反対というか、ポジとネガとでも呼ぶべき物語となっている。今回は両者を合わせて、そして深い関係をもつもう一本の映画にも触れつつレヴューしておきたい。
 まず最初に二つの物語の粗筋を紹介しておく。まだ見ていない読者の興趣を多少削ぐことになるかもしれないが、いずれの映画も史実に基づいているから、あらかじめ内容を知っていたとしても十分に楽しめるだろう。具体的には「アルゴ」ではテヘランのアメリカ大使館人質事件の際にカナダ大使公邸に匿われていた大使館職員の救出作戦、「ゼロ・ダーク・サーティー」では9・11同時多発テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディンの所在を突き止め、暗殺するミッションが描かれる。「アルゴ」では冒頭でパーレビ国王の圧政に反抗して蜂起した民衆が革命によって国王を追放し、アメリカ大使館に抗議のデモを繰り広げるまでの様子が記録映像を用いて紹介される。革命後の1979年11月、パーレビ王朝をアメリカの傀儡とみなす群衆はアメリカ大使館になだれ込み、大使館員を人質にとる。いわゆるアメリカ大使館人質事件である。この混乱の中で6人のアメリカ大使館職員がカナダ大使の公邸に逃げ込み、秘かに匿われる。イランの革命政府は彼らの存在を知らない。彼らを「アルゴ」というSF映画のロケ地の調査のためイランを訪れた映画関係者と偽り、国外に救出させるべく潜入するCIAエージェントの極秘任務を描いたのが「アルゴ」である。身分を偽っていることが露呈すれば処刑されるかもしれないという恐怖と戦いながら、イスラム革命防衛隊の捜索をかいくぐって巧みに偽装工作を行う主人公たちの物語はサスペンスフルであり、エンターテインメントとしても楽しめる。一方、「ゼロ・ダーク・サーティー」もまた冒頭で物語の背景もしくは前提が語られる。しかしこちらでは画面には何も映示されず暗闇の中でいくつもの声が重ねられる。それが9・11の同時多発テロの犠牲者たちが遺した肉声であることは語られる内容から直ちに理解される。続いてアラブ系と思われる男性に対して延々と繰り広げられる拷問の様子が映し出される。CIAの職員による容赦ない拷問は同時多発テロを実行したアル・カーイダの首領ビンラディンの所在を突き止めることが目的だ。「ゼロ・ダーク・サーティー」の主人公はマヤというCIAの女性分析官である。最初はその凄惨さに眉をひそめていた彼女も泥沼のような拷問とテロの応酬の中で何かに憑かれたかのようにビンラディン追跡にのめりこんでいく。ロンドンでの爆弾テロなど現実に起きた事件も随所に配されているが、すべてが事実か否かについては私には判断できない。おそらく関係者の協力もしくは内通があったのであろう、機微に触れる内部情報も多く盛り込まれており、実に生々しくビンラディン追跡の内幕が描かれる。外車ディーラーのショールームにおける関係者の買収、携帯電話の電波を用いた容疑者の特定、物語はサスペンスフルというよりむしろリアルである。マヤは様々な情報を分析してパキスタン国内にビンラディンが潜む邸宅を特定し、ゼロ・ダーク・サーティー、つまり深夜0時30分と定められたビンラディン急襲の瞬間へ向かってストーリーが収斂していく。
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 この二つの映画は構成にもよく似ている。つまりいずれの物語も最初から予想されるクライマックスに向かってじりじりと収斂していく。すなわち「アルゴ」では大使館員たちのテヘランからの脱出、「ゼロ・ダーク・サーティー」においてはビンラディンの殺害である。前者はいわば隠密的な作戦であったから、これまで私たちが知るところは少なかったとはいえ、おそらく両者が成功裡に終わることを観客は予想しながら物語の帰趨を見守る。クライマックスはテヘラン空港での尋問とパキスタンにおけるビンラディン襲撃である。考えてみればいずれもアメリカという国家によるイランとパキスタンの主権侵害にほかならない。密出国幇助と秘密部隊による暗殺攻撃、どちらも他国の領土内における一種の軍事行動である。しかし二つの映画の後味は大きく異なる。「アルゴ」において大使館員たちを乗せたスイス航空の民間機がイラン領空を脱するラストシーンからは(私がこの映画を日本に戻る帰路のフライトで見たことも影響しているのであろうが)大きなカタルシスが得られたのに対して、同様に成功した作戦から航空機で帰投するシーンであるにもかかわらず、「ゼロ・ダーク・サーティー」の最後、涙を流すマヤのクローズアップはカタルシスからはほど遠い。これは単に前者の任務が救出に関わり、後者のそれが暗殺であるからだろうか。私は後者があらかじめ一つの不在によって呪われていたのではないかと感じる。
 二つの映画の共通点はほかにもある。いずれも語りの視点が主人公たちの側にのみ与えられている点だ。「アルゴ」においては処刑された死体がクレーンに吊されたまま街頭に放置されている情景など、革命防衛隊の暴力が随所で暗示される。しかし実際に彼らはほとんど画面に登場せず、登場したとしても主人公たちの作戦行動の理由や結果を説明する役割しか与えられていない。「ゼロ・ダーク・サーティー」においてはこの点はさらに明瞭で、マヤたちが追うアル・カーイダの構成員たちはCIAの捜索や拷問の対象、つまり主人公たちの関係においてしか描かれることがない。革命防衛隊やアル・カーイダは焦点化されることがないので、私たちはアメリカの視点と論理に従いながら物語を追うことを余儀なくされる。「アルゴ」に対して反革命のプロパガンダ映画としてイラン政府が強く抗議したというエピソードは十分に理由がある。エンターテインメントの骨格をもつ「アルゴ」においてはこのような単視点がそれなりに機能している。私たちはCIAのエージェントや人質たちと一体化し、偽装工作や脱出工作に立ち会う。相手側の動きを知ることがないため、工作の成否は予断を許さず、このため、私たちは最後の瞬間まで脱出の帰趨から目を逸らすことができないのだ。これに対して「ゼロ・ダーク・サーティー」において私たちは主人公のマヤに必ずしもうまく焦点化することができないように感じる。いくつかのヒントとなる事件やエピソードは暗示されるもののマヤの心理の変化、感情の起伏に同調することは難しい。最後まで見終わってもマヤが見せた涙の意味を理解することは困難である。このような不透明感は実はこの映画の全体に漂っており、「アルゴ」の明快さと対照的である。この由来を問うために私は説話的にほぼ同じ構造を有すもう一つの映画を召喚したい。スティーヴン・スピルバーグの「ミュンヘン」である。
 この不吉なフィルムもまた報復と暗殺の物語である。1972年9月、パレスチナ・ゲリラ「黒い九月」はミュンヘン・オリンピックの選手村を襲撃し、イスラエル選手団を人質にとり、イスラエル政府に仲間の釈放等を要求する。イスラエルはこれを拒否し、ドイツの治安当局との銃撃戦の末、ゲリラと選手団の大半が射殺された。この悲惨な事件を受けて、当時のイスラエル首相ゴルダ・メイヤーは主人公であるアヴナーにヨーロッパ各地で活動するパレスチナ人指導者の暗殺を命じる。アヴナーは数名の仲間とともに次々に暗殺計画を実行する。しかし彼らもまた命を狙われ、アヴナーらは不安と恐怖の中で任務を遂行していく。全編にわたって殺戮の応酬が描かれるこの暗欝きわまりない映画はスピルバーグの作品としては珍しく、カタルシスや救いとは無縁である。きわめて興味深いことに「ミュンヘン」もまた「ゼロ・ダーク・サーティー」と同様に冒頭部で物語の起点が示される。いうまでもなく、それは「黒い九月」のメンバーによる選手村襲撃、正確には選手を偽装したテロリストたちがフェンスを乗り越えて選手村の中に忍び込む情景である。(この場面を物語の起点とみなすことには四方田犬彦から強い異議が呈されているが今は措く)最初に歴史的な惨事が示され、それへの国家的な応答/報復としてストーリーが組み立てられている点は「ゼロ・ダーク・サーティー」と同様だ。最後に任務、つまり関係者の暗殺を果たすも精神を病んだアヴナーが暗殺指令を下した上官とニューヨークで再会する場面がある。川沿いの公園を歩く二人の背後に映り込むのが同時多発テロで倒壊した二棟のビルであることはあたかも「ミュンヘン」から「ゼロ・ダーク・サーティー」までひとつながりであり、我々が暴力の連鎖の中に生きていることを暗示するかのようだ。しかし私が論じたいのはこの点ではない。「ミュンヘン」においてアヴナーを精神錯乱にまで追い込んだのは単なる罪悪感や恐怖ではないだろう。それは冒頭に示されたミュンヘン・オリンピック襲撃と関係者の暗殺という自分たちの任務の間に明確な関係が結べない不全感ではないか。彼らはローマで、アムステルダムで次々に標的を殺害する。しかしなぜ彼らを殺害しなければならないか、その理由は最後まで不明のままだ。このためであろうか、起点となるオリンピック襲撃事件の情景はきわめて不自然なかたちでフィルムの中に挿入される。先ほど述べたとおり、冒頭部ではフェンスを乗り越えるテロリストたちが示されるだけだ。選手村内での虐殺は物語の中途で突然挿入される。さらにこの事件のクライマックスであるミュンヘン空港における銃撃戦にいたっては映画の最後のシークエンス、アヴナーが寝室で妻と性交するシーンに重ねられ、銃撃戦の中で人質たちが順番に射殺される場面はアヴナーの射精の瞬間と同期さえするのである。私は劇場でこの場面を見て気分が悪くなったことを覚えている。このような屈折はこのフィルムが原因と結果という単純な説話の図式に収まらないことを暗示しているのではないか。物語全体が悪夢を見ているように、トラウマとなったシーンが間歇的に物語の意識を襲うのだ。
 ひるがえって「ゼロ・ダーク・サーティー」はどうか。私はこの映画もまた不全感に満たされているように感じる。「ミュンヘン」でオリンピック襲撃事件の後、関係者の暗殺が唐突に命じられたように、この映画でも9・11テロとウサマ・ビンラディン暗殺が国家によって何の説明もなく結びつけられる。この経緯を私たちも事実として知っている。同時多発テロ直後、大統領はあたかも待ち構えていたかのようにビンラディンなる固有名を首謀者として名指しした。しかしその十分な根拠を私たちは与えられたのだろうか。その証拠はすべて告発者たるアメリカという国家の手にあるのだ。むろん私はこれが冤罪であると主張するのではない。「ミュンヘン」にみられた説話論的な不備が「ゼロ・ダーク・サーティー」にも認められることを指摘したいのだ。おそらくこの点がこの映画を見終わった後の疲労感と関わっている。繰り返される拷問はビンラディンの所在を突き止めるための手段であり、パキスタンにビンラディンのアジトと思しき邸宅を発見した主人公たちは様々の方法で本人が潜伏している証拠を発見しようと試みる。しかし最後にいたるまで確証は得らないまま特殊部隊が突入する。当然私たちの関心は映像の中にビンラディンが登場するかという点へと向けられるのであるが、生きている彼の姿は一度も登場しない。唯一ビンラディンらしい人物が映像に留められるのは死体として搬送された担架に横たえられた姿であり、しかも私たちはそれを瞥見するにすぎない。「ゼロ・ダーク・サーティー」は実在するCIAや主人公のマヤではなく、ビンラディンの不在をめぐる物語とはいえないか。そして現実にも私たちは彼の死体を確認していない。報道によれば、パキスタンで射殺された死体の写真はあまりにも惨かったため反発を恐れて公開されず、埋葬地が聖地となることを恐れたアメリカ当局によって死体そのものもアラビア海に水葬されたという。少し歴史を遡るならば、同時多発テロ直後、この人物の引渡しをめぐってアメリカはアフガニスタンのタリバン政権に「対テロ戦争」を仕掛け、無数の民間人が死傷することとなったことが想起されよう。私たちは現実においても映画の中でも不在の人物に翻弄され、大きな代償を払うこととなった。この意味で「ゼロ・ダーク・サーティー」は「アルゴ」以上に現実を反映しているといえるかもしれない。それは人質の奪還によってカタルシスを得るといった明快なストーリーがもはや成立しない時代、存在ではなく不在によってしか自分たちの正義を確認できない私たちの現在を象徴しているかのようだ。

by gravity97 | 2013-04-07 11:31 | 映画 | Comments(0)

ジョン・ヒルコート『ザ・ロード』

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 コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』については以前、このブログで取り上げたことがある。文明が崩壊した後の世界を旅する親子の過酷な旅路を描いた物語であった。この小説を原作とした2009年の同名の映画を見る。ジョン・ヒルコートという監督は私にとって未知の名前であったが、なかなか優れた才能である。原作をみごとに視覚化した鮮烈な終末のイメージに思わず引き込まれる。厚く雲が立ち込めた空、降り積もった灰、立ち枯れた林と廃墟と化した街。灰と雪に閉ざされた世界にほとんど色彩は存在しない。ここでは海も森も色彩をもたないのだ。時折、画面に現れる不吉な血の赤だけが、カラー映画であることを想起させる。
 ストーリーも原作に忠実である。小説と同様に見る者は何の説明もないままに終末の世界に放り込まれ、「男」と「少年」とともに道なき道を彷徨する。全編にみなぎる緊張と絶望が見る者を苛む。映画においてもこのような破滅が何によってもたらされたかについては一切語られない。以前にも記したかと思うが、世界の破滅と道行きというこの小説/映画の設定は1980年前後に発表された二つの小説、スティーヴン・キングの『ザ・スタンド』とロバート・マキャモンの『スワンソング』を連想させる。そこでは登場人物たちが生物兵器や熱核戦争がもたらした文明の崩壊や邪悪な存在に決然と対峙した。これに対して、『ザ・ロード』において終末はすでに所与のものである。文明の崩壊に対して抗うことは初めから放棄され、既に終えられた世界をただ生き抜くことが主題とされている。神や奇跡といった超自然的な要素は映画においても一切暗示されることがない。唯一この映画で小説以上に説明が加えられているのは、「少年」の母についてのエピソードだ。文明が崩壊する以前の幸福な思い出、彼女が二人を捨てて闇の中に歩み去る情景などが挿入されている。このうち「男」と「少年」の母が睦みあう情景は暖色を中心とした色彩が用いられている。つまりこの映画においてはカラーとモノクロームという色彩の二分法によって文明の崩壊以前と崩壊以後が画然と区切られているのである。緊迫したモノクロームが映像の基調を形成し、カラー映像が象徴的に使用される手法から私はアンドレイ・タルコフスキーの名作『ストーカー』を連想した。
 『ストーカー』が連想されたことは偶然であろうか。タルコフスキーのフィルムは何かの原因によって(『ザ・ロード』と同様にその理由は明らかにされない)隔離され、立ち入ることが禁止された「ゾーン」という区域にストーカー(今日私たちがなじんだ変質者という意味ではなく密猟者という意味だ)の案内で侵入する男たちの物語であった。この映画が数年後に発生するチェルノブイリ原子力発電所事故を予言していたという説が今日広く流布している。無人の街、木々の立ち枯れた林、『ザ・ロード』の黙示録的な情景もまた、今、フクシマの地に広がる現実の光景を予言するかのようだ。
 ブログの日付を確認するならば私は『ザ・ロード』を2008年7月に読んでいる。そしてつい先日、映画化された『ザ・ロード』を視聴した。私はこの二つの体験の間に目がくらむような懸隔を感じざるをえない。両者を隔てるのは小説と映画という表現形式ではない。それは2008年と2011年という日付であり、それ以前とそれ以後という時間である。断絶は小説を読む私と映画を視聴する私、同じ私の内側に兆しているのだ。『ザ・ロード』を読んだ時、この酷薄な物語にそれなりに感銘を受け、同じ幼い息子をもつ身として「男」に対してある程度の感情移入があったが、なおもそれは現実とは別の世界の物語に対してであった。(もちろんマッカーシーは小説世界の臨場性を際立たせるために様々の形式的技巧を操っている。それについてはかつてのブログを参照されたい)一方で初めて見た『ザ・ロード』の映像からは何重もの既視感が拭えず、映画と現実とは地続きでつながっている印象がある。広大な廃墟と荒廃した山野、人の影のない街。いうまでもなくそれはTVに映し出された震災後の惨状であり、事故を引き起こした原子力発電所周辺の立入禁止区域の映像だ。『ザ・ロード』の映像がそれ以前と以後でカラーとモノクロに分かれたように、私たちも3月11日以後、何の説明もないままに色彩のない世界に放り出されてしまった。「男」と「少年」ではない。今や私たちこそが世界が突然に激変し、以前の世界には絶対に戻れないという非日常的な感覚を味わっているのだ。

by gravity97 | 2011-06-16 22:36 | 映画 | Comments(0)

リドリー・スコット「ブレードランナー」

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 リドリー・スコットの「ブレードランナー」は1982年に公開されたカルト的人気を誇るSF映画である。フィリップ・K・ディックの名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を原作とするが、おおよその枠組は保ちながらも別の物語と考えた方がよいだろう。ディックの小説は映画化されることが多いが、「トータル・リコール」から「マイノリティー・レポート」まで怪作、凡作のオン・パレードという印象が強い中で、さすがにこの映画は原作に拮抗する強烈な現実感を獲得している。ただし封切られた最初はさほどの評判を呼ばなかったように記憶している。私もロードショーではなく名画座でジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」との二本立てで見た。「遊星からの物体X」も怪作と呼ぶにふさわしいめちゃくちゃな内容であり、封切り時に足を運ばなかったのは私の良識のせめてもの抵抗であったか。もっともカーペンター好きの私は「遊星からの物体X」を目当てに名画座に足を運んだのであるが、見終わってみると「ブレードランナー」の印象があまりにも強く、呆然としたことを覚えている。
 先日、この映画をDVDで見直して驚いた。私が30年近く前に映画館で見たフィルムと結末が異なっているのだ。実はこのフィルムはいくつものヴァリアントをもつ。私が視聴したDVDは1992年に発表された「ディレクターズ・カット」と呼ばれるヴァージョンである。見比べるとほかにも多くの異同があるだろうが、ディレクターズ・カットと私が劇場で見たオリジナル(「インターナショナル・ヴァージョン」と呼ぶらしい)の最も大きな相違は結末部である。後者の最後の場面でハリソン・フォード演じるブレードランナー、デッカードは恋人である最新型レプリカント、レイチェルとともに緑の大地の上を滑空する。絶えず雨の降る陰鬱なロスアンジェルスから陽光が降り注ぐ草原への転調は重苦しい物語に対する救いといえば救いであるが、なんとも唐突な印象は否めず、劇場で観た際にも違和感を拭えなかった。これに対して今回DVDで視聴したディレクターズ・カットではこの部分は削除され、物語は断ち切られたまま何の救いもなく終了する。一篇の映画に対して、劇場で上映されたヴァージョンに対して、監督が最終的に手を入れたヴァリアントを「ディレクターズ・カット」として流通させ、さほど変わるところのない二つのフィルムによって倍の収益を得るという、考えようによってはかなりあざとい手法は私の知る限り「ブレードランナー」を嚆矢としている。しかし実に興味深いことに、この二つのヴァージョンのうち、興業的配慮や観客への阿りを排して映画としての完成度を高めたはずの「ディレクターズ・カット」の方が優れているかといえば、そうではなかろう。私の考えでは二つのヴァリアントのうち、映画の主題をより深く実現しているのはプロデューサーの指示で改変され、とってつけたような結末とともに最初に劇場で上映されたフィルムなのである。映画の内容に深く踏み込むこととなるが、この点をディックの小説とも関連させながら形式的に分析しておきたい。
 このカルト映画に関してはいくつもの謎が提起されている。よく知られた謎の一つはレプリカントの数である。人間そっくりに製造され、4年という寿命しかもたず、苛酷な環境での労働に従事することを強いられるレプリカントと呼ばれる人造人間。反乱を起こして地球に潜入したレプリカントたちとレプリカントを「処理」するプロフェッショナルであるブレードランナー、デッカードの死闘が映画の主題であることは直ちに明らかとなる。潜入したレプリカントの人数はヴァージョンによって異同があるらしい。なにぶん私は一度見ただけの記憶しかないので、以下に論じることも含めて記憶に誤りがある場合があるかもしれないが、「インターナショナル・ヴァージョン」においては潜入したレプリカントは6名で、そのうち1名は死亡したという発言があったように思う。ところが映画の中でデッカードによって「処理」される脱走レプリカントは男2名、女2名の計4名であり、1名足りないのである。この矛盾によって残る1名は実はデッカード本人ではないかというまことにディック的な推論が可能となる。(「ディレクターズ・カット」ではレプリカントの数は4人に修正されており、一応の平仄は合っているが、これがかえって物語を貧しくしていることは以下で論じるとおりである)
 この点と深く関わるのが映画そのものの構造と関わるヴァリアント間の相違、すなわちヴォイスオーバーの存在である。私の記憶では「インターナショナル・ヴァージョン」においては少なくとも二箇所、デッカードの声が映像に重ねられる部分がある。一つは冒頭部、中華街ともリトル・トーキョーとも判然としない奇怪な未来都市の雑踏に初めてデッカードが登場するシーンであり、ここでデッカードは自らの語りによって自己紹介する。もう一つは最終部、ルトガー・ハウアー演じるレプリカントの頭目、ロイが目を開いたまま死んでいく映像に重ねられる印象的な語りだ。これに対して「ディレクターズ・カット」においてどちらの場面にもヴォイスオーバーは存在せず、私たちはデッカードの内的な声を聞くことはない。映像に音声を重ねる手法はありふれているが、これによって登場人物の中から主人公が特定される。通常の映画において内的な語りを画面に重ねることができるのは主人公だけである。この結果、映画を見るに際して観客は主人公、「ブレードランナー」であればデッカードにあらかじめ焦点化したうえで物語との関係を結ぶ。しかし「ディレクターズ・カット」において観客はデッカードに焦点化する根拠をもちえず、デッカードは登場人物の一人にすぎない。別の言い方をするならば、デッカードが内的独白を行う前者は一人称の映画であり、デッカードとほかの登場人物が区別されない後者は三人称の映画ということができよう。
 レプリカントはたえず自分とは何かを問う。自分がレプリカントではなく人間であることを証明するものは何か。偽の記憶を与えられたレイチェル、あるいは脱走レプリカントのレオンは憑かれたように幼い時の写真を収集する。写真こそが四年以上前にも自分が存在していたことの唯一の物証なのであるから。それではあなたが人間でありレプリカントではないことを保証するものは何か。荒唐無稽な問いと感じられるかもしれないが、自分が人間であるか機械であるか決定することの不可能性は「贋者」から「変種第二号」までディックのサスペンスフルな短編で頻繁に導入される主題であり、追う者が実は追われる者であったという設定は直ちに『暗闇のスキャナー』の主題ではないか。人間/レプリカントという区別は便宜的なものにすぎない。かかる問いかけは自分とは何かという哲学的な思索へと敷衍することが可能だ。先に述べた最後のシーンで絶命し、降りしきる雨を受けるロイの顔のクローズアップに次のような語りがヴォイスオーバーされる。ロイは自分の寿命を知りたがった。ロイはレプリカントとしての自分がどこから来て、どこへ行くのかを知りたがった。しかし実は自分(デッカード)たちも同じではないか。私も自分に与えられた生の意味、自分がどこから来て、どこへ行くのかを知らない。繰り返しの弁解となるが、私は20年以上前に見た記憶に基づいて書いているので、細部の誤りはあるかもしれない。しかしロイの顔のクローズアップに添えられたヴォイスオーバーは今でも強く印象に残り、「ブレードランナー」が単なるフィルム・ノワールではなく深い思弁性を備えた作品であることに感銘を受ける理由となった。しかしこの部分も「ディレクターズ・カット」では削除されているのである。この映画を通底するディック的な問いが「自分とは何であるのか」と定式化されるならば、それは「私」をとおして問われる時に切迫感をもち、必然的に一人称の話者を要求するはずだ。(ただし原作の『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』にはこのようなテーマは特に設定されていない)「ディレクターズ・カット」における「彼」としてのデッカード、三人称的な視点はこのような緊張を殺ぎ、最後のヴォイスオーバーの不在ともあいまってディック的な問いが明確に提起されることはない。
 私が私であることを保証する要件とは何か。私の考えではそれは記憶と身体である。このうち記憶についてはディックの作品でしばしばその真正性が問われた。「ブレードランナー」において提起された「植えつけられた記憶」という可能性は例えば怪作「トータル・リコール」の原作である「追憶売ります」の主題とされていた。一方、身体に関しても、「マトリックス」から「インセプション」にいたる近年のSF映画においてその根拠が問われている。これらの問題についてはまた別の機会に論じたい。
 最近入手して、今も読み進めているため、以上の分析には必ずしも十分に反映されていないが。加藤幹郎の『「ブレードランナー」論序説』はこの迷宮のような映画がはらむ可能性を主としてシークエンスの分析を用いながら解き明かし、多くの示唆に富む。ヴァンゲリスによる音楽も忘れてはならない。ただし以前私が聞いたLP(死語であろうか)のサウンドトラックと1994年にリリースされたCDはかなり内容が異なるように感じる。手元に以前聴いたLPが見当たらないため、これも記憶による判断となるが、サウンドトラックに関しても当初の編集の方がよかった気がする。映像も音楽も監督や音楽家によってブラッシュアップされる以前のヴァージョンの方が優れていることは「ブレードランナー」という傑作の大いなる逆説ではなかろうか。

by gravity97 | 2011-03-26 11:44 | 映画 | Comments(0)

ウリ・エデル「バーダー・マインホフ 理想の果てに」

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 このブログに映画に関する記事を寄せるのは二回目となる。前回は若松孝二の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を取り上げたから、主題的にあまりにも偏向しているように感じられるかもしれないが、全くの偶然であり、特に意図するところはないことを最初にお断りしておく。また今回は結末についても言及するため、白紙の状態でこの映画を見たい方はお読みにならない方がよいかもしれない。
 西ドイツの暗い70年代については既にファスビンダーらが制作した「秋のドイツ」によって知られているが、この映画が9人の監督によるオムニバス形式で、むしろ事件の余波を描いたのに対して「バーダー・マインホフ 理想の果てに」はアンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフに主導された西ドイツ赤軍(RAF)の活動を事実に即して検証するドキュメンタリーに近い内容であり、この点でも「実録・連合赤軍」を想起させる。フィルムの冒頭の場面は1967年、イラン、パーレビ国王のベルリンでのオペラ観劇に対する学生たちの抗議行動とそれへの弾圧である。多くの学生が暴行を受け、一人の学生が警官によって射殺された事件は後年のバーダー・マインホフ・グループ成立の起源を画した。ベトナム反戦運動を背景に高揚する学生運動、指導者であったルディ・ドゥチュケに対する暗殺未遂など、高らかに掲げられた理想の下で暴力が蔓延する状況は当時の日本にも共通しており、ヨーロッパと日本、この映画と若松のフィルムは同じ現象の表裏を映し出しているようにも感じられる。多くの登場人物の中から次第に活動の中心的な人物が浮かび上がる。左翼系の女性ジャーナリスト、ウルリケ・マインホフと過激派のリーダー、アンドレアス・バーダーの二人である。冷静な論客である前者と粗暴な印象を与える後者の人物造形がどの程度事実に基づいているかは判断する材料がないが、彼らによって創設されたバーダー・マインホフ・グループ、後の西ドイツ赤軍は反帝国主義、反資本主義を唱えて次第に過激化し、武装闘争にのめりこんでいく。銀行強盗、米軍基地や右翼系の出版社への爆弾闘争、さらに要人暗殺。物語は基本的に時系列に従って展開されるため、知識としてこれまでばらばらに知っていた多くの事件や闘争の関係が整理された印象がある。監督であるウリ・エデルは登場人物にも、彼らが攻撃した体制(映像の中にはブラント首相やシュミット首相らしき人物も登場する)のいずれにも加担することなく、事実を淡々と再現する。映画では当時、西ドイツ赤軍が大衆からある程度の共感を得ていたことが暗示されているが、連合赤軍同様、バーダーらの行動に大義を見出すことは難しい。日本と違い銃器の入手が比較的たやすいドイツにあって、武装は容易であるが、強権的な態度をとったという理由で検事総長や高等裁判所長官が銃殺されてよいはずがない。いかなる思想であろうと、人の命を代償とするような思想は唾棄すべきであるというきわめて常識的な感慨を私は抱いた。
バーダーらがパレスチナに赴き、PFLPと合流して砂漠の中で訓練に参加する様子が描かれるが、バーダーは都市ゲリラにこのような訓練は不要と断じてPFLPの指導者たちと反目する。シンパであった弁護士の仲介が暗示されているが、彼らがなぜ、いかにしてパレスチナに赴いたかについてはもう少し説明がほしかった。西ドイツ赤軍という名が中東で勇名を馳せた日本赤軍からとられていることからも理解されるとおり、日本と西ドイツ、ほぼ同時代に活動した二つの運動の関係はなおも検証されるべき余地を残しているように感じるからである。パレスチナとの共闘は西ドイツ国内において別の非劇を生む。1972年、ミュンヘン・オリンピックにおける武装組織「黒い9月」によるイスラエル選手団襲撃とその帰結としての人質とゲリラの虐殺である。私たちはこの映画の中でも触れられたこの事件に基づいてスティーヴン・スピルバーグが「ミュンヘン」という苛烈きわまりないフィルムを制作したことを知っている。四方田犬彦が全否定するこのフィルムに関して私はやや異なった見解をもっており、機会があれば披歴したいと考える。無謀な闘争の結果、西ドイツ赤軍の構成員たちの多くは実際には意外に早い時期に逮捕、収監される。しかし彼らは直ちに法廷闘争に突入し、時に獄中でハンスト闘争を決行し、時に法廷内で傍聴席のシンパたちとともに検事と裁判官を嘲弄する。このような状況は、同じ赤軍を名乗りながらも組織としては無残な「総括」の果てに山岳ベースで自壊し、構成員の多くが刑期を務めて出獄した連合赤軍とは対照的である。刑務所と法廷での闘争の激しさは日本においてはむしろ70年代に連続企業爆破を繰り広げた東アジア反日武装戦線を連想させる。西ドイツ赤軍の構成員たちは自らを囚人と認めることも、裁判所の法によって裁かれることも潔しとせず、刑務当局に徹底的に抵抗する。
今回、私が視聴したDVDには制作者のインタビューなどを収めた特典ディスクも添えられており、それを参照するならば関係者の証言から映像の細部まで当時の記録を綿密に調査して作り込まれていることが理解される。しかしこの映画には決して証言や証拠に基づいて再現することができない部分が存在する。いうまでもなく刑務所の内部である。確かに刑務所内で喫煙し、男女を同じ部屋に収容することを要求するバーダーらの姿からは、日本の刑務制度と異なり、ドイツの収監施設がある程度の自由を許容していることを暗示している。しかし1976年5月、ウルリケ・マインホフは獄中で「自殺」を遂げる。このエピソードのあたりからこの映画は奇妙な晦渋さを帯びる。法廷闘争でのアグレッシヴな姿勢と突然の自殺が結びつかないのである。実際に(この映画では描かれていないが)マインホフの妹と弁護人は彼女の性格と政治的信条に照らしてマインホフが自殺することはありえず、謀殺であると主張した。マインホフの「自殺」に対して西ドイツ赤軍は直ちに反撃し、検事総長や銀行会長といった司法界、経済界の要人を次々に暗殺する。このあたりの描写は「ミュンヘン」におけるモサドの秘密部隊による「パレスチナ・ゲリラ」のシンパに対する連続テロを連想させないでもない。77年になると西ドイツ赤軍の攻撃はさらに加速され、9月に西ドイツ経営者連名会長ハンス・シュライヤーが誘拐され、10月にはルフトハンザ機がパレスチナ人ゲリラによってハイジャックされた。誘拐犯、ハイジャック犯たちはいずれも西ドイツ赤軍のメンバーの釈放を要求する。これに対して当時の西ドイツの首相、ヘルムート・シュミットは一切の取引を行わず、ソマリアのモガディシオ空港に特殊部隊を派遣し、ハイジャック犯3名を射殺、1名を逮捕して乗客全員を救出する。映画の中ではこの事件の直後、独房内で収監されていたバーダーをはじめとする3名のメンバーが一夜にして自殺を図った。ルフトハンザ機ハイジャックが失敗に終わったことによって彼らが絶望して自殺したという解釈は可能かもしれない。しかし法廷や刑務所における彼らの戦闘的な態度になじんだ私たちにとってこのような結末は受け入れることが困難である。このフィルムが謎に満ちた「集団自殺」にどのような解釈を与えるかという点を私は大いに関心があったが、少なくとも映像において制作者は巷間に流布する陰謀説、つまり当局の手によって獄中で全員が虐殺されたという立場をとることはない。しかしそのためのアリバイのように挿入されたいくつかのシーン、例えば弁護士が法廷内で密かに獄外からの通信や武器をメンバーに手渡すエピソードなどは現実には到底ありえない印象を与える。彼らが殺されたとすれば、それは権力の手による密室内の殺人であり、事実であれば国家の正統性さえも危うくする。西ドイツ赤軍に参加した若者たちが、ナチス・ドイツの時代を生きた世代を親としていること、映画の中でもこの理由によって親たちを批判している点は暗示的に思われる。つまりドイツ帝国がナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺という国家犯罪によってその正統性を失ったように、親の世代を批判して登場した西ドイツ赤軍のメンバーたちが監獄の中で国家によって謀殺されたとするならば、ドイツという国家の正統性は二重に否定されるのだ。この映画はきわめて慎重に事件の輪郭を粗描するに留まり、少なくとも検証できない問題については無用の推測を控えている。それゆえ映画の終盤であたかも物語が失調するかのように不自然な死が挿入されることに、私たちは違和感を覚えるが、もしかするとこのような違和感こそが制作者の意図するところであったかもしれない。
それにしても事件から30年以上の年月が経ってようやくこれら一連の事件が映像として総括されたことは、連合赤軍事件同様、バーダー・マインホフ・グループが一つの社会に深いトラウマとして作用したことを暗示している。そしてドイツにおいてもこの事件を芸術の主題とする一連の試みが発表された。最初に触れた「秋のドイツ」もその一つであるが、私にとって忘れることができない作品は〈1977年10月18日〉と題され、ゲルハルト・リヒターが1988年に発表した15点の連作絵画である。リヒターはこの事件に関する資料を丹念に収集し、雑誌の写真や警察の証拠写真に基づいて事件の現場を直接描いた作品から葬儀の模様、マインホフの若い頃の肖像などをモノクロームの大画面に描いた。この連作については既にベンジャミン・ブクローらが興味深い分析を加えており、私もいずれ稿を改めて論じたいが、私はニューヨーク近代美術館でこれらの絵画を見て深い衝撃を覚えた。もちろん主題の重さも無関係ではない。しかしリヒター自身がインタビューの中で西ドイツ赤軍のイデオロギーを拒絶すると述べていることからも了解されるとおり、この衝撃は必ずしも内容によるものではない。むしろこれらの暗鬱な絵画が死者たちと同時に、イヴ=アラン・ボアがいう絵画という形式に対する「喪の作業」であるように感じられたからだ。この問題はこの映画の余白で論じるには深すぎる。ひとまずここでは下に図版を示すに留める。
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by gravity97 | 2011-01-29 20:01 | 映画 | Comments(1)

若松孝二「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」

b0138838_16155.jpg 遅まきながら若松孝二の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見る。連合赤軍による「リンチ殺人」そしてあさま山荘事件から既に40年近くが経過した。多くの日本人にとって既に忘れられた事件かもしれない。これらの事件は当時それなりに深められつつあった左翼思想と大衆による社会変革の可能性を文字通り扼殺し、無気力と沈滞の70年代に道を開いた点で一つのネガティヴなメルクマールを画している。
 観客が学生叛乱についてほとんど知識をもたないことを前提としているためであろう。原田芳雄のナレーションとともに60年安保に始まる学生運動の高まりを当時のニュースフィルムによって次々に提示するやや説明的なカットともに映画は幕をあける。続いて連合赤軍を構成することとなる若者たちが次々に登場するが、個人の背景や経歴はほとんど描かれることがない。映像全体をとおしていえる点であるが、若松は彼らの行動に因果関係や目的、方向性といった関係性を与えることなく、再構成された事実のみを提示する。結果として当時を知らない世代にとってはわかりにくい印象があるかもしれないが、逆に映像は過剰な思い入れや安易な断罪からも免れている。最初に登場するのは遠山美枝子と重信房子という二人の女性活動家である。前者は山岳ベースで無残なリンチ死を迎え、後者はパレスティナの地で日本赤軍を組織するため、いずれも物語の途中で姿を消すが、彼女たちの存在は若松がこの映画を制作した理由と密接に関わっている。1971年、若松は盟友足立正生とともにパレスティナに赴き、「赤軍―PFLP 世界戦争宣言」を撮影する。この時、ガッサーン・カナファーニの紹介状を携え、通訳として同行したのが重信であり、撮影を終えてベイルートに戻った若松は彼らを迎えたゲリラたちが撮影後まもなく全員絞首刑に処せられたことを知る。そしてこの映画を日本で上映する際に若松を手伝ったのが遠山であった。彼女たちは若松と連合赤軍を具体的に結びつけると同時に、パレスティナに向かう重信との別れに際して遠山が涙を流す場面は連合赤軍内部においては存在しえなかった友愛という同志的紐帯を暗示している。友愛ではなく規律が統制する山岳ベースで、メンバーたちは一人また一人と無残な「総括死」を遂げる。カメラは12人に及ぶリンチ殺人の被害者たちがいつ、いかなる理由で、いかにして死にいたらしめられたかを一人一人丹念に追う。何人かの関係者は既に出獄しているし、足立をとおして日本赤軍と太いパイプをもつ若松のことだから、事実関係が厳密に考証されていることは明らかである。私の個人的な感想としては、ひたすら「共産主義化」を唱えて、各人に総括を求める森恒夫と永田洋子の教条性と狂気は誰が見ても明らかであり、映像は戯画的にさえ感じられたが、閉じられた集団における構成員の判断停止は、近年のオウム真理教をめぐる一連の事件でも再現された。淡々と描かれた映像からは彼らの営為を高みから批判する姿勢がないのと同様に彼らを美化する意図もないように感じられた。
 事件からこれほどの時間を経た後で若松がこの映画を製作したことはいかなる理由によるだろうか。このような問いを立てる時、私は日本においてこれらの社会的事件が文学や映画の問題として未だまともに「総括」されていないことにあらためて驚きの念を禁じえない。この事件は当時の左翼思想を奉じる思想家や作家たちに決定的な挫折感を残したが、そのトラウマは今日も残存しているのであろうか。例えば文学の領域で関連する主題を扱い、かつなんらかの意味をもつ例としては、私の知る限り大江健三郎の『洪水はわが魂に及び』しか存在しない。彼らに先行する世代である大江が障碍をもった子供との共生というテーマと絡めながら、1973年というきわめて早い時期にこの事件に対する彼なりの真摯な応答を行っていることは注目に値する。それにしても同世代の作家たちの無残さはどうだ。三田誠広の『漂流記 1972』と立松和平の『光の雨』。当事者たちと同じ世代の作家によって連合赤軍事件を主題として書かれたこれら二つの小説のうち、前者は事件を無意味に戯画化した必然性のないパロディであり、後者は事件に加担した老人が既に終えられた事件を回顧するという通俗的なメロドラマの枠組を脱していない。ともに一人称の語りによるこれらの表象は挫折した革命、残忍で幼稚な権力闘争といった「公式資料」に基づいたステレオタイプによって事件の輪郭をなぞることに終始する。事件を個人の資質や内面へと矮小化し、政治的闘争あるいは革命といった問題の露出を隠蔽するこれらの小説はもう一方の当時者であった警察官僚、佐々淳行による『連合赤軍あさま山荘事件』という自画自賛の武勇伝と本質的に変わるところなく、私にとってはほとんど犯罪的に感じられる。小説の方法論について自覚のない三田や立松のごとき作家に扱える主題でないことは読む前から予想していたが、いずれも読了後、強い不快感が残った。おそらく同様の不全感が若松をこの困難な映画に向かわせたのであろう。若松は今挙げた佐々の回想録を映画化した原田眞人の「突入せよ! あさま山荘事件」を強く批判し、映画は権力ではなく常に弱者の視点に立つべきだと説く。原田の映画があさま山荘を外部から描くのに対し、「実録連合赤軍」の映像は全て山荘の内部にカメラが位置している点は象徴的である。個人的にも親交があった友人たちの闘争をこの程度の映像で「総括」されることに対して、映画監督若松の「このままでは死んでも死にきれない」という思いは当然であろうし、そのような気迫が映像全体から伝わってくる。私は70年代の革命闘争に関してそれなりの関心を抱いていたが、この映像を通して初めて連合赤軍の活動の全幅と限界を理解した気がした。
 当時、同様の暴力はヨーロッパでも渦巻いていた。1977年10月18日、シュトゥットガルトの刑務所に収監されていたいわゆるドイツ赤軍、バーダー・マインホフ・グループのメンバー4名がそれぞれの独房で同時に自殺を図るという不可解な事件が発生する。バーダーらの釈放を求めるドイツ赤軍とPFLPによってハイ・ジャックされ、ソマリアのモガディシオ空港に着陸していたルフトハンザ機がドイツの特殊部隊によって制圧された同じ日の惨劇であった。監視の行き届いた刑務所で囚人が同時に自殺することはありえず、彼らは引渡しを拒んだ当局によって虐殺された可能性がきわめて高い。それから11年後、ゲルハルト・リヒターは「1977年10月18日」と題された15点から成る連作絵画を発表した。それは自殺の状況証拠である現場写真や彼らの葬儀の模様を撮影した写真を拡大したモノクロームの絵画連作であった。現在、ニューヨーク近代美術館に収蔵されたこれらの連作を実見して、私は深い衝撃を覚えた。むろん私に今述べたような知識があったことも関係しているだろう。しかし扼殺痕も生々しい死体やメンバーのポートレート、彼らが収容されていた独房の内景などが描写された、暗鬱たるグレーのフォト・ペインティングは凶々しい暴力が遍在した時代の一つの肖像を提示していたように思えたのである。私がこれらの絵画からダヴィッドの《マラーの死》を連想したこともあながち的外れではないだろう。むろんリヒターは優れた画家であって社会活動家ではないし、なんらかの政治的な文脈でこれらの絵画を制作した訳でもない。しかし革命の幻想を無残に断ち切る一つの事件から長い年月を隔てて、リヒターにおいては絵画、若松においては映画を介して一つの断念が表現されたことはきわめて興味深い。言い換えるならば彼らのような優れた表現者にとっても、自らの世代の政治的挫折に明確なかたちを与えるためには相応の時間が必要とされたということであろうか。
 最後に一点付言するならば、連合赤軍事件に関して、三田や立松ほど声高ではないが、文学の領域でも80年代に一つの画期的な総括がはかられている。それは桐山襲の「スターバト・マーテル」という中篇である。比較的短い小説であり、やや抒情的に感じられもするが、この早世した作家は連合赤軍事件によって革命が退潮した後に都市ゲリラ戦を持続した東アジア反日武装戦線の闘争に取材した傑作『パルチザン伝説』をはじめとする一連の作品を残している。桐山については別の機会に論じたい。
 なお上に掲げた『若松孝二 反権力の肖像』には四方田犬彦が中心となって編集した若松に関する論考とインタビュー、フィルモグラフィーが収録されている。「実録・連合赤軍」についても言及があり、この特異な映画監督の閲歴を知るうえで格好の導入となるだろう。

by gravity97 | 2009-05-09 16:04 | 映画 | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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