Living Well Is the Best Revenge


優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
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カテゴリ:紀行( 3 )


四方田犬彦『土地の精霊』

b0138838_15445261.jpg 私はなぜ紀行文を愛好するのだろうか。このブログにおけるエントリーこそ少ないが、私は見知らぬ地を訪れた印象を記した文章が大好きなのだ。ロレンス・ダレルのコルフ島滞在記、中沢新一のバルセロナ紀行、チャトウィンのパタゴニア旅行記、これまで私は多くの紀行文に親しんできた。おそらくそれは何かに帰属することを好まないという私の気質によっているかもしれない。大学であろうと美術館であろうと私は一つの場所に留まることが好きではないし、所属する組織に帰属意識をもったことなど一度もない。私が四方田犬彦の一連の紀行文を好むのは四方田の生き方への憧憬があるのかもしれない。最近、河出文庫より増補されて再刊されたニューヨーク滞在記『ニューヨークより不思議』に次のような一節がある。

 いつ頃からだろう。旅と旅の境目がつかなくなり、一つの旅のなかにもう一つの新しい旅が、さらに次の旅が胚胎されるようになってしまったのは。日本への帰国はしだいに、この切れ目のない旅の途中にときおり刻みつけられた分節点の様相を呈するようになってきた。(中略)体力の自然の衰えを考えるとそういつまでも続けられるわけがないとは思いながらも、実のところ、無意識のうちに、自分の来たるべき亡命先を探しているのではないかという気がしてくる。

 さすがに私はこの境地まで達することは出来ないが、亡命先を求めて旅から旅を続ける姿勢にはおおいに共感する。本書は1979年から2014年まで、世界各地を訪れた33篇の比較的短い紀行文によって成立している。私は四方田がこれほど多くの土地を訪れていることにあらためて驚いた。というのは、同じ著者の著作を読み継いできた私は四方田がこれ以外にも多くの土地に長期にわたって滞在したことを知っているからだ。このあたりの事情を著者は次のように説明している。「わたしの書きものの中でも『モロッコ流謫』や『台湾の歓び』といった長編のトラヴェルエッセイがコンセプト・アルバムであるとするならば、33の短編からなるこの書物はさしずめ、シングル盤コレクションに似ているかもしれない」今回のレヴューでは四方田のほかの紀行や土地に関するエッセーにも触れながら若干のコメントを加えたいと思う。
 本書は編年体によって構成され、いずれの章も年記と土地の名のみが掲げられている。最初の章は「ソウル 1979」、そして最後の章が「ノーンカーイ 2014」である。ソウルはともかく、ノーンカーイとはどこか。そこがタイの国境の町であることは読み進めてようやく理解される。本書の特徴の一つは語られる土地が一見アト・ランダムに選ばれていることだ。ナポリ、テヘラン、ラサであれば私たちは漠然と土地についての知識をもっている。しかしカメドン、ウルル、テレジンであればどうか。それらの土地がイギリス、オーストラリア、チェコに帰属することを直ちに言い当てることができる者は多くないはずだ。土地も目的も、同行者や面会相手も全く異なったいくつもの紀行は旅行者としての著者を唯一の接点としてつなぎ合わされていく。
 最初の章の舞台がソウルであることは理解できる。四方田が最初に海外の大学で教えた経験はソウルの建国大学校であり、ソウルの経験を四方田は『われらが〈他者〉なる韓国』というエッセー集にまとめている。彼が滞在していた時期、独裁者であった朴正熙が暗殺されたことによって引き起こされた混乱についてはこのエッセー集の中で読んだ記憶があるが、本書の最初の章でも触れられている。ここでは暗殺事件の直後に教え子の女子大学生とフランス料理を共にするエピソードが語られるが、四方田の紀行の魅力は多く現地における食の記憶と関わっている。これに関しては同じ著者による『ひと皿の記憶』と関連させてこのブログでも論じた。そういえば『ひと皿の記憶』には北朝鮮、ピョンヤンにおける貧しい食事の記憶が語られていたのではなかったか。私も旅、あるいは外国での滞在の記憶はしばしばそこで食べた料理の記憶と結びつく。ベルリンでギャラリストに連れられて行ったイタリア料理の美味であったこと、真冬の街頭、ソウルの屋台で駆けつけに注がれた熱いスープ、今はなきワールド・トレード・センターの最上階のレストラン、ウインドウ・オブ・ザ・ワールドにおけるキューレーターたちとの会食、必ずしも豪勢な料理である必要はない。おそらくこれらの料理が記憶に残るのはそれらが旅と同様に一回的な経験であり人生の中で二度と反復されることがないからではなろうか。
 さて、本人が述懐するとおり、四方田はこれまでも何冊かの「コンセプト・アルバム」つまり一つの場所に拘泥した長編のエッセーを発表している。私が読んだものだけを列挙しても1987年のニューヨーク、コロンビア大学への留学を機に執筆された『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』(ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を引いていることはいうまでもない。先にも述べた通り、これに2015年のニューヨーク滞在の紀行を加えて近年『ニューヨークより不思議』として河出文庫から刊行された)、そして長い滞在というより数度にわたる渡航を背景に執筆され、1999年に刊行された『モロッコ流謫』、そして「パレスチナ・セルビア紀行」というサブタイトルとともに2005年に発表された『見ることの塩』、さらに紀行というより自らの住まう地に関する紀行的エッセーであるが1996年の『月島物語』といった系譜だ。台湾の滞在記である『台湾の歓び』については未読であるが、今タイトルを挙げた一連の著作を私は既に読んでいる。このうち『われらが〈他者〉なる韓国』は韓国を主題としているとはいえ雑多な機会に発表された文章がまとめられているからまとまりがない印象がある。逆に『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』はニューヨークで活動する東アジア人というかなり限られたテーマを設定しているため、エッセーに膨らみがない。四方田の紀行文のうち、私が深い感銘を受けたのは『モロッコ流謫』と『見ることの塩』であるが、両者は紀行文として対極に位置するように感じられる。二つの紀行の冒頭を書き写してみよう。
b0138838_21411187.jpg


 マドリッドを発った飛行機は、雲を突き抜けてしばらくすると、ゆっくりとした運行に入る。窓からは白い雲のあいだに、ちらちらと赤茶色の山並みが見える。握られた拳のようなイベリア半島の一番南、比喩を用いるならば小指の根元にあたるリバル山地のうえを、機は横切ろうとしている。

 イスラエルは既にドゴール空港を出発するときから始まっていた。ベン・グリオン空港へと向かうエール・フランス機に乗るため、二時間前に空港に到着すると、この便に乗る乗客たちだけが隔離され、他から離れた地下のチェッキング・カウンターのところに連れていかれた。ここですべての荷物がX線で調べられた。搭乗券を受け取って控え室に向かうと、もう一度荷物の検査があった。

 いずれも目的地に向かうフライトについての描写であるが、期待と緊張、その差異は明らかであり、この対比は二つの紀行を通底するモティーフと関わっている。『モロッコ流謫』はタイトルが示す通り、彼の地に流謫された人々をめぐる物語だ。ポール・ボウルズ、ジャン・ジュネ、ウィリアム・バロウズ、石川三四郎、そして表紙を飾るアンリ・マティス。あなたはこれら流刑の徒のうち、何人を知っているだろうか。モロッコを訪れるたび、四方田は焦点をあてる人物を違えて、いくつもの魅惑的なエピソードが語られる。中でも私が感銘を受けたのはモロッコ大使を務めていた折に四方田を歓待した三島由紀夫の兄、平岡千之という人物との交流である。貴族的な血統、スノビッシュな学識をもちながら、世界に対してシニカルで一種破滅的な達観を漂わせたこの人物は実に興味深く、モロッコという猥雑な土地との対比も鮮やかだ。両者は一種のエピキュリズムにおいて融合する。一方の『見ることの塩』はどうか。「私の見ることは、塩である/私の見ることには、癒しがない」という高橋睦郎のアフォリズムをタイトルとするこの紀行は2004年という同じ年にパレスチナ(正確には四方田が籍を置いたのはテルアヴィヴ大学であり、イスラエルである)とセルビア(同様に正確には四方田はベオグラード民族学博物館に籍を置いた)という二つの土地に文化庁の文化交流使として派遣された際の印象を記したものである。中東と東欧、地域こそ異なるがいずれもきわめて苛酷な土地、憎しみが人々を支配している地域である。あらゆる建物の前でガードマンが訪れる者を誰何し、巨大な壁が生活を分断する都市。名高いホテルが廃墟と化し、「民族浄化」の痕跡がここかしこに残る街。いずれの地においても四方田は現地の映画関係者を訪ね、宗教儀礼や歴史的遺物へ関心を向ける。興味深いことにはこの筆者の紀行としては珍しく、料理に関する言及がほとんどない。例外的に終章で二つの土地の共通点として、人々がブーレカと呼ばれる小麦粉を焼いた軽食を食べていたという記述があるが、マグレブ料理の異国趣味やボローニャの賑やかな田舎料理のとはかけ離れた質素な料理についての短いコメントは食もまたこれらの地では厳しいことを暗示しているかのようだ。通常の旅行記にみられるエキゾチシズムもオリエンタリズムも全く欠いた二つの土地の紀行は、それゆえ私に土地と生という問題についての反省を促した。本書にまとめられた多くの紀行は悦楽と禁欲、豪奢と索漠において二つの極をかたちづくるこれら二つの紀行の中間に位置する。ハバナやエクス・アン・プロヴァンスをめぐる旅は前者に近く、テヘランやチェジュドをめぐるそれは「癒しがない」。そして四方田の関心をプリズムとして様々な主題や人々が浮かび上がる。カルナック(エジプトではなくフランスの地名だ)やサルヴァドール、そしていうまでもなくルルドをめぐる紀行では宗教学者たる四方田は彼の地における宗教儀礼について思いをめぐらし、バーニョ・ヴィニョーニや鶴崗といったおそらく読者が初めて聞く土地に関して土地固有の映画的記憶が論じられる。ハバナでは国外脱出を望む女性に誘惑され、コロンボにおける美術史家若桑みどりとの邂逅をめぐる一章は爆笑を誘う。最初に土地がアト・ランダムに選ばれていると記したが、おそらく本書で言及される土地になんらかの共通点を求めるならば、大都市や観光地を避け、多くが地名を聞いてもどの国に位置するか判然としない小さな町への旅や逗留について記されている点であろう。交通や宿泊において決してアクセスが容易でない土地への偏愛はパレスチナやコソヴォといった苛烈な記憶が刻まれた土地をも旅したタフな旅行者たる四方田ならではのものであろう。さらにもう一点、私が注目するのは本書において今日のIT環境への言及がほとんど認められない点である。もちろん今日、四方田とてフライトや宿泊の手配においてはインターネットを活用しているに違いないし、まだインターネット環境が整備されていなかった90年代中盤まで、そしておそらく通信環境が整っていない辺境への旅は今なおITとは無関係であるかもしれない。しかし私は著者の姿勢に「グローバリズム」に対する静かな拒絶を感じるのだ。今日、世界のどこにいようと私たちは別の場所についての知識を得ることができる。いうまでもなくグーグルアースはこのような欲望を機械的に実現したものだ。グローバリズムとは世界を平準化し、最も安い賃金で生産した製品を最も高額で消費される地域へともたらすシステムの謂である。かかる世界観の下では、価値観を違えた複数の世界が存在してはならない。グローバリズムの進展とインターネットの整備が同期したことは必然的な理由を伴っている。しかしグ-グルアースを介して私たちはよりよく世界を知りうるだろうか。おそらく否である。私たちが別の土地を真に知るためにはそこに出かけて、身体をとおして「土地の精霊」を感受する以外に方法はない。本書がインターネット上にあふれかえる薄っぺらの「旅行記」と本質的に異なるはまさにこの点である。
 書名とされた「土地の精霊」とはラテン語でいうゲニウス・ロキのことだ。いかなる土地にもその土地固有の精霊が宿り、私たちは土地の歴史や風土を通じてこれらの精霊と見(まみ)える。私たちは旅をすることなしにゲニウス・ロキを知ることはない。大学で比較文学を専攻した四方田が論文のテーマとして選んだのがスウィフトの「ガリバー旅行記」であったことは本書の主題と深く関わっているだろう。あるいは四方田が偏愛するルイス・ブニュエルや中上健次といった表現者たちが生涯において何度か移動を繰り返したことも連想されよう。ブニュエルにおいてはメキシコ、中上においては韓国がいわば他者として彼らの表現の転回を促した。グローバリズムにおいて他者は収奪の対象でしかないが、これに対して彼らは他者に身を差し出し、身を預けることによって自らを刷新した。単なるツーリズムではなく、自らの内面を変える契機としての旅。「土地の精霊」と出会う旅の本分はおそらくはこの点にあるだろう。

by gravity97 | 2016-05-29 15:52 | 紀行 | Comments(0)

ブルース・チャトウィン『パタゴニア』

b0138838_0451854.jpg 発端はブロントザウルスの毛皮だ。祖母の家の食堂、飾り棚の中に収められたごわごわで、赤茶色の固い毛が付着した一片の皮。読者を世界の果てへと誘うにあたってまことにふさわしい道具立てではないか。ブロントザウルスの毛皮は祖母のいとこ、船乗りのチャールズ・ミルワードがパタゴニアの氷河から持ち帰った。南米の最南端、パタゴニア。そこはおそらく地球上で日本から距離的にも心理的にも最も遠い土地の一つであろう。未踏の地、荒涼とした土地に関する物語を好む私はたちまちこの紀行文に魅せられてしまった。
 ブルース・チャトウィンの『パタゴニア』は異例の旅行記である。チャトウィンはブエノスアイレスを皮切りに毛皮の正体であるブロントザウルスならざるミロドン、氷漬けの巨大なナマケモノが発見されたマゼラン海峡近くのラストホープという町近くの洞窟まで、パタゴニア一帯を旅する。最初と最後にナマケモノの毛皮をめぐるエピソードがあるから、紀行はそれなりに一つの結構を有しているようにも思えるが、このエピソードも結局のところ、無数の物語の一つにすぎず、チャトウィンは土地から土地へ、人から人へ、行き当たりばったりのような旅を続ける。そもそも彼の道行きには明確な動機や目的地がない。強いて挙げるならば、冒頭に言及されるブロントザウルスの毛皮の発見者、チャールズ・ミルワードの足跡を追うことであり、確かにチャトウィンは各所でミルワードのことを尋ね、この紀行の終盤でミルワードが船長を務めた数奇な航海について語る。しかし著者は彼に対してもさほど思い入れがある訳ではない。ブロントザウルスの挿話が暗示するとおり、この紀行を通して私たちが接するパタゴニアとは奇怪な生物や奇妙な習俗、独裁者と革命家、強盗と先住民が跳梁跋扈する驚くべき新世界、なんとも魅惑的な土地である。本書を読みながら、不思議な既視感ならぬ既読感を覚えた私は半分あたりまで読み進めてようやくその理由を了解した。神話と現実、辺境と文明が入り乱れ、奇怪な物語が際限なく増殖していく様はガルシア・マルケスが描いたマコンドの年代記と同じではないか。マルケスが書いたのは小説であるから、説話的な自由が許される。しかし本書は曲がりなりにも事実に基づいた紀行であるはずだ。巻末の註を読んでさらに驚く。文中のフォークランド紛争を暗示する発言に触れた註によれば、チャトウィンが実際にこの地を訪れたのは紛争が勃発する数年前というから1970年代のことであり、原著を確認すると確かにこの紀行は1977年に発行されている。『百年の孤独』が発表されたのは1960年代であったと記憶する。つまりこの紀行はマルケスが小説に仮託した初源的、神話的な風土がなおも現存し、あまつさえそこを旅することすら出来たという驚くべき事実を暗示している。ラテン・アメリカの文学に親しんだ私にとってこのような発見はなんとも胸の躍る出来事であった。
 ブルース・チャトウィンの名を私は本書を通じて初めて知ったのであるが、作家の経歴もチャールズ・ミルワード並みの華麗さと奇矯さに彩られている。解説によると、チャトウィンはイギリス中部ダービシャーに生まれ、美術品のオークションで知られるサザビーズに最初作業員として勤めるが、次第にその鑑識眼を買われ、印象派絵画の鑑定の専門家として知られることとなる。しかしわずか24歳でサザビーズを退くと、世界各地を旅行し、雑誌記者として数多くの有名人のインタビューを手がける。社交界での交友も華やかで、きわめて魅力的な人物であったらしい。彼は1989年、エイズのため、49歳の若さで没したが、ニューヨークのゲイ・シーンにも親しみ、ロバート・メイプルソープとも旧知の仲であったという。荒涼と未開が混交するパタゴニアと私もよく知っている都市の雑踏、神話と現実はここでも交差する。放浪と社交、病気による早世はバイロン卿を連想させる。
 『パタゴニア』の主題は土地であるが、チャトウィンは人を介して土地について語る。旅の途上で出会った人物、歴史上の人物、空想上の人物、彼らはこの紀行の中に等価に散りばめられている。例えば西部開拓時代の伝説的なアウトローであり、ボリビアで銃撃戦によって死んだとされるサンダンス・キッドとブッチ・キャシディがパタゴニアまで流れついたという物語やダーウィンによってフエゴ島からロンドンへと拉致された先住民の人生が語られると一方で、リオピコという町に住み、パステルナークやソルジェニーツィンを愛読するウクライナ人女医との間で交わされた会話がつづられる。最果ての土地を主題とすることによって、紀行は必然的に移動という問題と深く関わる。スコットランド、プロシア、カナリア諸島。様々な国や地域から、人々はこの地にたどり着く。あたかも現代の流謫の地であるかのようだ。彼らの口から語られる物語、チャトウィンが様々な資料を用いて浮かび上がらせる奇譚の数々はこの地が20世紀後半にあっても、なおも多くの驚異と奇跡、冒険と神話に満ち満ちていることを示唆している。マルケスやバルガス・リョサ、フリオ・コルタサルを愛読してきた私にとって、世界中を遍歴したチャトウィンがラテン・アメリカという土地に触発されて、かくも物語的魅力に富んだ一遍の紀行を書き上げたことは大変痛快に感じられた。
 

by gravity97 | 2009-07-17 00:46 | 紀行 | Comments(0)

井上究一郎『幾夜寝覚』

b0138838_1125673.jpg 『失われた時を求めて』について記すべきことは多い。この小説については今後何度かこのブログで触れることとなろうが、ひとまずその前哨として、一つのイタリア紀行から始めることにしよう。言うまでもなく井上究一郎は筑摩書房版の『失われた時を求めて』を個人全訳した仏文学者であり、第六編の「逃げさる女」の最終校正が手元から離れた後、刊行されるまでの一月の猶予の間に、北イタリアを旅行した記録が本書である。もう少し補足するならば、プルーストのこの小説については現在、鈴木道彦と井上の二つの個人全訳という偉業があり、井上の訳書は日本における最初の個人全訳である。私が通読した新潮社版は井上を含め数名の翻訳者による共訳であり、1989年という時点まで一人の翻訳者の手による翻訳は存在していなかった。私は筑摩書房版を通読していないので、翻訳の比較はここでの問題ではない。「逃げさる女」は最終編となる「見出された時」の直前に位置し、新潮社版では「消え去ったアルベルチーヌ」と題されていた部分である。したがって翻訳が全て終了したことの解放感が井上をイタリアに赴かせた訳ではない。また有名なヴェネツィアの舗石の挿話は「逃げさる女」中にあるが、既に訳稿は提出されているからこの部分の翻訳の内容を確認するための旅行でもない。「逃げさる女」を翻訳する過程でヴェネツィアに行きたいという思いが抑えがたく、知人にも編集者にも告げることなく、おしのびで海彼の地に向かったという述懐が冒頭にある。
 井上にとってイタリアは初めてではない。1971年、プルーストのサントネールにコレージュ・ド・フランスでの発表の後、イタリア全土を旅して以来、四度目のイタリア訪問となる今回の旅行は妻を同伴し、北イタリアをめぐる「北イタリア・ルネッサンス美術の旅15日間」なるパック旅行であった。本来ならば団体旅行にそぐわない人物が、パック旅行に身を潜めるというエピソードから私は(大変失礼な比較であるが)トマス・ハリスの『ハンニバル』中、レクター博士のアメリカ帰還のエピソードを連想してしまった。私も(団体旅行にはなじまないが井上やレクター博士のごとき異能の持ち主でないことは十分に自覚しているので誤解なきように)過去に一度だけ事情があってヨーロッパをめぐるパック旅行に参加したことがある。個人旅行しか知らない私にとって、朝のうちにホテルの部屋の前にスーツケースを出しておけば、違う国のホテルの自室に夕方それが届けられているという体験は衝撃以外のなにものでもなかった。この紀行全体に漂う一種の受動性はこの点と無関係ではない。訪れる場所は多くがあらかじめ定められており、夫人以外の同行者ともエチケットとして一定の会話をしなければならない。しかしこのような条件は紀行を書くにあたってディスアドヴァンテイジとはならなかった。それどころか団体旅行であるがゆえに、行間から浮かび上がるフランス文学の碩学の人間観察もこの書物の大きな魅力である。かつて蓮實重彦は同じ時期に発表された中沢新一のバルセロナ紀行『バルセロナ・秘数3』と比しても井上の文章が「圧倒的」に周到で「洒落て」いると記した。中沢の紀行をわざわざスペインに携えて行った者としては中沢の官能的な文章の肩をもちたくなる気もしないではないが、井上の紀行が近年日本語で書かれた紀行文の最良の一つである点に疑問の余地はない。
 紀行文としての豊潤さについては原文にあたっていただくのがよいから縷述しないとして、例によっていくつか所感を述べる。ローマ、シエナ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ。パック旅行にありがちの多くの都市をめぐる旅とはいえ、この紀行のクライマックスがヴェネツィアにあることは歴然としている。ヴェネツィアとプルーストという主題に関しては無数の研究やエッセーがあり、近年では格調ではやや劣るものの鈴村和成の『ヴェネツィアでプルーストを読む』を私はヴェネツィアに携えて彼の地で読んだ記憶がある。『失われた時を求めて』において出奔したアルベルチーヌの死の知らせを受けた後、主人公の母とともになされたヴェネツィア訪問もまたこの長大な物語の絶頂の一つを形成している。実際にプルーストも1900年にヴェネツィアを訪れており、鈴村によればこの時に作家が宿泊したホテルはダニエリとエウローパの二説があるという。私は『失われた時を求めて』を通読する以前に偶然エウローパに滞在したことがあり、しばらく前にヴェネツィアに滞在した折には鈴村の著書に触発されてダニエリのロビーもわざわざ訪れた記憶がある。作家すなわち主人公のマルセルが投宿したホテルがなおも存在し、往時の風格を保っている点に私はあらためてヨーロッパ的伝統の厚みを痛感した。(ただし前回訪れた際に行ってみると、エウローパはアメリカ資本のウエスティンの傘下に入ってしまっていた。本当にがっかりである。)
 コンブレに始まり、バルベック、パリあるいはマルタンヴィル。『失われた時を求めて』を読む体験は土地の固有名と密接に関わる。「スワンの恋」と「花咲く乙女たち」のそれぞれ一章が「土地の名・名」と題されていたことを想起してもよい。ヴェネツィアというトポスはその中でも特権的な位置を与えられている。プルースト自身が傾倒したラスキンをはじめ、スタンダール、ニーチェからトーマス・マンまで、アドリア海の風光に魅惑された作家や哲学者は数知れない。あまり知られていないが、ユダヤ人ゲットーの起源としてのヴェネツィアの問題も含めてこの都市の都市論的布置もいつか触れてみたい話題である。
 今述べたとおり、『失われた時を求めて』についての考察は土地と分かちがたく結びつく。次回はこの小説の中でも私が最も好きな場面の一つであるバルベック、あの海岸の情景からこの傑作に私なりに切り込んでみようかと思う。

by gravity97 | 2009-01-03 11:26 | 紀行 | Comments(0)