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PAUL McCARTNEY 「OUT THERE TOUR 2015」

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 ロックに関する私の原基ははるか昔、中学時代にかたちづくられたから、よもや自分が仕事に就いてから当時聞いていたミュージシャンのライヴに接することなどありえないと考えていた。しかし時に奇跡が出来する。以前このブログにも記した88年のピンク・フロイドのツアーはそのような神の来臨の一つであったが、それからさらに30年近くが経過した今年、本当に信じられない体験をした。いうまでもない。ポール・マッカートニーのワールド・ツアー「OUT THERE」だ。
 私は少し遅れてきたビートルズ世代に属するから、ポールを最初に意識したのはウイングスを結成する前後のアルバムであったはずだ。[Band on the Run]と[Venus and Mars]という二つの歴史的名盤は私のロックの原点であり、その後に発表されたウイングス名義のいくつかのアルバムも愛聴していた。しかし1980年に来日した際、ポールは大麻の不法所持で現行犯逮捕され、この事件を契機としてウイングスも活動休止状態に入り、私も80年代以降、ポールからは遠ざかってしまった。このブログを書くためにインターネットを検索して驚いたのだが、ポールは80年以降も10枚以上のソロ・アルバムを発表している。しかし私はそれらを聴いておらず、一昨年に発表された[NEW]で久しぶりにポールの歌声を聴いた。知られているとおり[NEW]からは日本でも何曲かチャートインしたし、ダン・フレイヴィンの作品を換骨奪胎したようなカバージャケットも私の興味を引いた。思い起こせば、中学の頃はラジオでヒットチャートをチェックして一喜一憂しながらウイングスやらイーグルスを聴いていたが、そのようにしてロックと接することがなくなったことも80年代以降ポールから遠ざかった理由かもしれない。[NEW]はいかにもポールらしいのびやかな佳作であり、あらためてポールの魅力を再発見することとなった。[NEW]が発表された同じ年、ポールは久しぶりにジャパン・ツアーを行い、大阪、福岡、東京で公演した。もちろん私はそのニュースを知っていたが、正直言ってコンサートに足を運ぼうとまでは思わなかった。しかしこの公演に行った中学以来の親友からとんでもなく素晴らしかったという評判を聞き、彼がわざわざチケットを手に入れてくれたこともあって、今回いそいそと出かけたような訳だ。彼の言うとおりであった。生涯にわたって記憶される最高の夜となった。
 友人の勧めもあって早めに会場に着いた私は、まず記念グッズの特設売り場に並んだ。すでにここにも長蛇の列ができており、レジにたどりつくまでに30分を要した。会場限定のTシャツは既に売り切れており、私はツアーのTシャツとキャップ、公演のパンフレットを求めた。(ただし友人によれば会場限定のTシャツはデザインが一昨年のツアーとほとんど変わっていないとのことだ)ポールのコンサートであれば来場者は必ずこれらのグッズを求めるであろうから、もはやこれは一大産業といってよい。グッズをバッグに収め、さらにビールとチキンナゲットを買い込んで席に向かう。私は東京ドームを初めて訪れた。二階席から舞台ははるか遠いが、両脇に巨大なモニター画面がそびえ立ち、ポールやバンドの映像が映し出されるであろうことが理解された。開場は4時30分、開演は6時30分と記されていたが、ほぼ7時になろうかという頃、ステージが開幕した。
 オープニングは「Magical Mystery Tour」。ポールは既に大阪でも公演を行っており、その際の報道でこの曲でスタートすると聞いていたので驚きこそなかったが、ポールのヴォーカルをライヴで聴くことの感動は予想をはるかに超えていた。続いて[NEW]から「Save Us」が演奏された。このツアー自体も「OUT THERE」と銘打っているから[NEW]から何曲か演奏されることは当然予想されたが、このほかには「New」と「Queenie Eye」という妥当というかポールらしい名曲が演じられた。「OUT THERE TOUR」でありながら「Everybody Out There」は今回演奏されなかった。(23日の公演のサウンド・チェックの際に演じられたという情報がある)三曲目は「Can’t Buy Me Love」、おそらくこれを聴いただけでこの公演に行ったかいがあったと思うファンも多いことではないだろうか。続いて「Listen to What the Man Said」と「Let Me Roll It」というウイングス時代の名曲が続く。既にこのあたりで私は呆然自失の状態である。同行した友人は私以上のファンであり、今回の東京公演はその日が二回目。演奏された曲目のセット・リストはすでにインターネット上で入手可能であったから、あらかじめそれを持参して曲の異同を確認していた。実は今挙げた曲のうち、公演によっては「Magical Mystery Tour」が「Eight Days A Week」に、「Can’t Buy Me Love」が「All My Loving」に、そして「Listen to What the Man Said」が「Jet」にスイッチされていたらしい。ウイングス時代の傑作「Jet」を聴けなかったのは大いに残念であるが、「Listen to What the Man Said」とどちらを選ぶかと問われれば答えることは大変難しい。28日の武道館公演ではこれ以外にも若干の曲目変更があった模様だが、東京ドームではアンコールに「I Saw Her Standing There」と「Can’t Buy Me Love」の二つのヴァージョンがあった以外は同じ曲が同じ順で演奏されたらしい。続いて「Paperback Writer」や「The Long and Winding Road」といったビートルズ時代の名曲が続く。このあたりギターを次々に取り換えながら歌い続けるポールの姿は圧巻だ。私はオペラグラスで舞台の上の、そしてモニターに大きく映し出されたポールを見る。72歳だという。確かに老けている。しかしこれはこの夜、そこにいた者であれば誰でも感じたことであろうが、舞台の上のポールはエネルギッシュで年齢を全く感じさせないのだ。このコンサートは最終的にほぼ3時間、全37曲が演奏されたが、その間ポールは出ずっぱり、ギターとピアノを演奏しながらずっと歌っている。休憩は全くなく、水を飲むことさえない。信じられるだろうか。ここから最後まではひたすら突っ走る感じだ。実際、最初は少し声が出てないかとも感じられたのだが、初期のソロ・アルバムから選ばれた名曲「Maybe I’m Amazed」や「Another Day」のあたりから実に声ものびやかになり、まさにポールの独擅場だ。もちろんバックを固めるバンドも完璧である。以前触れたピンク・フロイドのライヴも完璧に感じられたが、彼らの場合、映像やライトワーク、スモークの演出といったステージ全体が完璧であった。これに対してポールの場合、ステージ自体はさほど凝っていない。あくまでもポールの歌と演奏、そしてバックバンドの力量によって奇跡のようなステージが実現されていた。ゲームソフト用に作曲されたという新曲「Hope for the Future」では背景におそらくゲーム用の映像が流される。そして後半はビートルズ時代の曲が中心に演奏された。「Lady Madonna」や「All Together Now」そして「Eleanor Rigby」、「Ob-La-di, Ob-la-da」といった誰でも知っている名曲が続く。ステージの上で、ポールはレノンとジョージのために一曲ずつを捧げる。思えばポールが日本で大麻所持のために拘束された同じ年、レノンは暗殺され、2001年にはジョージも没した。私は決して熱狂的なビートルズ・ファンではないが、今、自分がポールと同じ場にいるということの意味に思いをめぐらした聴衆は多かったはずだ。コンサートはいよいよ終盤に差し掛かる。ここからはたたみかけるように名曲が続く。まずは「Band on the Run」、まさかこの曲を日本で聴けるとは。ビートルズ時代の「Back in the USSR」そして「Let It Be」。ポールがピアノで弾き語る「レット・イット・ビー」を聴いているのだ。さすがに私もこのあたりで感極まって涙腺がゆるんだ。クライマックスは「Live and Let Die」。「007死ぬのは奴らだ」のテーマ曲として知られるこの曲はメリハリの効いたロックン・ロールで曲と連動して舞台で火柱が爆発し、最高の盛り上がりとなる。最後は「Hey Jude」、ポールの弾き語りに続いて、最後のフレーズをポールと客席が掛け合いで歌う。ポールと一緒に「ヘイ・ジュード」を歌っているのだ。一貫してポールは観衆に向かってサービスを続ける。「カエッテキタヨ」「ゼッコーチョー」「イッショニウタオウヨ」たどたどしい日本語で常に聴衆に語りかけるポールは本物のエンターテイナーである。もちろんこれで終わるはずはない。アンコールも二回。まずは「Day Tripper」定番の「Hi Hi Hi」そして「I Saw Her Standing There」。これで終了かと思っているともう一度ポールが現れた。二回目のアンコールはまず順当に「Yesterday」そしてなんと「Helter Skelter」、偶然ではあるが、先日このブログで椹木野衣の『後美術論』に触れて、ホワイトアルバムに収められたこのなんとも不吉な曲に言及したばかりだ。ロックン・ロールの名曲ではあっても、さほどポピュラーとも思われないこの曲が演じられたことに大いに驚く。そしてラストは[Abbey Road]の最後を飾る名曲「Golden Slumbers」「Carry That Weight」「The End」のメドレーであった。
 今でも夢のように感じられる三時間であった。先にも述べたとおり、私は80年代以降のポールのソロ・アルバムをほとんど聴いていない。知らない曲も多いのではないかと少し危惧していたのだが、ビートルズ時代の曲が多く演奏されたこともあって、ほとんどの曲に聞き覚えがあった。ただしさすがにビートルズのアルバムに収められた曲に関しては、直ちに曲名を思い浮かべることができない曲もいくつかあった。ポールほどのミュージシャンとなるとファンのマニアックさもただものではない。今回、この記事を書くためにインターネットを検索したところ、熱狂的なファンの手によって、全ての公演で演奏された曲目、さらには本公演前に行われたサウンド・チェック(ポールは公演の前に必ずサウンド・チェックを行い、しばしば本公演で演じられない曲目を演奏されるらしい。ごく限られた数の人に対して有料で公開されていると聞いたが、なんと「Junior’s Farm」や「Letting Go」が入っているではないか)のセット・リストが公開されている。今回、かなり具体的かつ詳細に公演の模様を記すことができたのはこのセット・リストの存在に負うところが大きい。私もあらためて演奏された曲目を確認した。ポールは90年頃からステージでもビートルズ時代の曲の封印を解き、今回も半分以上がビートルズ時代の、いわゆるレノン=マッカートニーの曲であった。一方でウイングス時代の曲がやや封印された印象がある。ウイングスを通してポールになじんだ私としてはもう少しこの時期の曲があってもよかったかと思う。実際、ポールの急病によってキャンセルされた昨年の来日公演では「Venus and Mars / Rock Show /Jet」という夢のようなメドレーや「Junior’s Farm」といったウイングス時代の名曲が演奏される予定であったという噂もあり、私と友人は破格の入場料で話題となった最終日の武道館公演では前者のメドレーが再現されるのではないかと話し合った。(実際にはそれまでの公演とほぼ同じ、それどころか、曲目数も少なかったようである)もっともこれらの曲については久しくCDの音源とならなかった3枚組ライヴ[Wings Over America]がようやく2013年に発売されたことによって、今では絶頂期の演奏として聴くことが可能になっている。そもそもポールに演奏してほしい曲のリストを作り始めたならばきりがないし、それこそ3時間どころか丸一日歌い続けても終わらないだろう。今回あらためて感じたのはポールのショーマンシップのみごとさというか、端的にミュージシャン、ロックン・ローラーとして誠実さである。私は音楽であろうと美術であろうと、アーティストに特に人格的な高潔さを求めようとは思わない。しかし多くの場合、優れた作品を作り出すアーティストは人格的にも秀でており、聴衆のためにあれほど熱心に演ずるポールの姿からは、遠く離れた二階席からも、人としての温かさや真面目さが痛いほど伝わってきた。聴衆の年齢層は高めであった。おそらく私より年上であろう、初老に近い男性がアンコールにいたるや口々に「ポール、ありがとう」と叫び出す気持ちは私にも十分に理解できた。
 コンサートが終了し、東京ドームを出ると10時を回っていた。私と友人は水道橋の居酒屋で牛タン料理を肴に、その日の興奮を何杯ものビールで鎮めた。彼とは中学以来の親友だが、高校と大学が別だったこともあり、久しぶりの再会でもあった。当時、田舎の中学の同級生であった私たちはLPレコードとしてリリースされたばかりの[Venus and Mars]に熱狂し、どの曲をシングルカットすべきか熱く論じあったものだ。よもやそれから40年ほどの時を経て彼と一緒にポールのライヴを聴くこととなるとは。震災以来、とめどなく堕ちてゆくこの国にあっても、人生は捨てたものではないとたまさか感じられた瞬間であった。

by gravity97 | 2015-05-07 10:32 | ロック | Comments(0)

PINK FLOYD [The Endless River]

 ツイッターであったかフェイスブックであったか、ピンク・フロイドの新譜が発売されるという知らせに接した際には驚愕した。1994年の[The Division Bell]から20年、よもや今世紀に新しいアルバムが発表されるとは予想していなかったからだ。この間にシド・バレットとリチャード・ライトの訃報が届き、デイヴ・ギルモアが「ザ・ウォール」のライヴに客演してロジャー・ウォーターズとの和解を暗示する映像をユーチューブで見た。以前はピンク・フロイドの新譜は発表されるまでほとんど情報がなかったが、インターネットが発達した今日ではSNSを介して事前に次々に関連情報が入る。今度のアルバムにはロジャー・ウォーターズは関与していないらしい。音源は[The Division Bell]のセッションの際の録音を使用しているらしい。雲海をボートで漕ぎゆく幻想的なジャケットのイメージさえずいぶん以前に確認した。
 アルバムは四つのパートに分かれ、18曲が収められている。最後の「Louder Than Words」を除いて全てインストルメンタルという構成はこれまでのピンク・フロイドのアルバムと比べても異例である。厳密には冒頭の「Things Left Unsaid」と「Talkin’ Hawkin’」には言葉が導入されているが、それらはいわゆるリリックではなく、事前に録音されたレディメイトの音声だ。これら三つの曲に収められた言葉がいずれも「言葉がもつ力」を主題としている点は興味深い。この点はunsaid、talking、words という言葉と関わる三つの語がそれぞれに冠せられていることからも明らかであろう。ただし今述べたとおり、このアルバムは基本的にインストルメンタルであり、メッセージを読み取ることは困難だ。この点こそギルモアのピンク・フロイドとロジャー・ウォーターズを隔てている。周知のごとく、後期のピンク・フロイド、とりわけ[The Wall]と[The Final Cut]はほとんどロジャー・ウォーターズのソロ・アルバムといってよい。これらがきわめて強い社会批判のメッセージを備えていたのに対して、[The Momentary Lapse of Reason]と[The Division Bell]は大半の曲にヴォーカルが入っているとはいえ、先の二つのアルバムに比して社会性は希薄だ。ライナーノートによれば[The Division Bell]は本来二枚組で一枚をアンビエントなインストルメンタルアルバムとする計画もあったということであるから、このアルバムを[The Division Bell]の遅れてきた分身と考えるならばこのような構成は理解できる。
 新しい音源が含まれていないとしても、新作はパワフルで私は十分に堪能することができた。ピンク・フロイドが新譜を発表するにあたって編集に徹底的にこだわることはよく知られている。このアルバムにも最新の音響技術が駆使されていることは容易に想像される。20年の間隔はさすがに長すぎるにせよ、ここで繰り広げられるのは紛れもなくアップデイトされたピンク・フロイドのサウンドだ。ライトのキーボード、ギルモアのギター、そしてメイスンのドラムが絡み合うセッションは[A Momentary Lapse of Reason]以降のギルモアのピンク・フロイドのテイストだ。しかしながら収められた曲のいくつかは「One of These Days」や「On the Run」あるいは「Us and Them」といった初期の名曲を連想させないでもないし、「Summer ‘68」ならぬ「Autumn ‘68」という曲さえ収められているのである。そして新しいアルバムは今までのどのアルバムとも似ていない。この点はピンク・フロイドがデビューからおおよそ半世紀、周囲の音楽状況に全く影響を受けることなく、まさに孤高と呼ぶべきスタイルを貫いてきたことを暗示しているだろう。
 今回は個人的な記憶を記す。私が最初に聞いた彼らのアルバムは[Atom Heart Mother]であった。タイトルもアーティストも示されず牛の姿だけが大きく写ったヒプノシスによるショッキングなデザイン(いうまでもなかろうが、私はLPレコードを求めたのだ)「原子心母」というなんとも絶妙な日本語タイトル。A面の全てを占める原子心母組曲を聴いて私は唖然とした。それまで聴いたどのような音楽とも異なっているのだ。仕事柄、従来の価値観を根底から覆す美術作品に出会うことが数年に一度くらいの頻度である。それは必ずしも新奇な作品という意味ではない。時にはロスコの、時にはキーファーの、そして時にはフェルメールを前に感じたかかるセンセーションを音楽の領域で感じたことはさほど多くない。おそらく私にとってそのような体験の最初だったのではなかろうか。それから私は憑かれたように彼らのアルバムを聴いた。既に[The Dark Side of the Moon]は発表されていた。私がリアルタイムに彼らのアルバムを聴いたのは1975年の[Wish You Were Here]以降である。この時期は比較的コンスタントに新しいアルバムがリリースされたが、それでも数年のブランクがあり、その間彼らに関する情報はほとんどなかった。このあたりも凡百のミュージシャンとは格を絶していた。私は中学後半から高校にかけて一日として彼らのアルバムを聴かずして過ごすことがない、いわばピンク・アディクトとして青春を送った。狂気や孤独といったアルバムの主題が思春期の精神に親和したためかもしれない。1977年の[Animals]も衝撃的であった。ウォーターズのピンク・フロイドの開幕を告げるこのアルバムでは内面に沈潜する代わりに社会が痛烈に批判されていたからだ。実はこの前後、ここに収められた曲の原型を私はいくつかの海賊版(ライヴの音源をレコード化したもの)を通して聴いていたが、それらと比してもこのアルバムの攻撃性は明らかであった。当時は若干の異和感があったが、今から思えば紛れもなく彼らの代表作の一つである。そして1979年の[The Wall]は[Animals]の社会批判をさらに展開しながら、ミュージシャンとオーディエンスを隔てる壁という、きわめて内発的な問題も主題としていた。モントリオールでのライヴの際に態度の悪い聴衆にウォーターズが唾を吐きかけたことから着想されたというこのアルバムもまた名盤中の名盤であり、とりわけ「Comfortably Numb」は私としてはピンク・フロイドの楽曲中のベストではないかと思う。88年の大阪でのライヴでこの曲が演奏された時、私は思わず鳥肌が立った。1983年の[The Final Cut]も素晴らしい。このアルバムは[The Wall]の三枚目、ファイナル・カットという印象が強く、内容としてもウォーターズのピンク・フロイドを強く印象づけたが、結果としてウォーターズのピンク・フロイドの最後のカットとなった。(カットにはレコードの意味もある)
 ギルモアのピンク・フロイドとウォーターズのピンク・フロイド、私はいずれにも強い思い入れがあるから、好悪あるいは優劣を論じることはできない。確かに両者が結合した感のある[The Dark Side of the Moon]や[Wish You Were Here]はプログレッシヴ・ロック史上に残る名盤であろう。しかし私は両者がそれぞれの個性を強調した70年代後半以降のピンク・フロイドのアルバムもそれぞれ愛好するし、さらに言えば、ピンク・フロイドを脱退した後のウォーターズのアルバムも傑作揃いだ。ピンク・フロイドの名義としては87年に[A Momentary Lapse of Reason]が発表される。ウォーターズが抜けた後、新しいアルバムが発表されるとは思っていなかったから大きな驚きであり、何よりも私はこの際のワールド・ツアーを大阪で体験したから、このアルバムには強い思い入れがある。ギルモアのピンク・フロイドの誕生を告げるこのアルバムについてウォーターズは「非常に精巧なピンク・フロイドの贋作」と評したと伝わっている。逆に言えばウォーターズをして「非常に精巧な」と言わしめるほどの傑作であったと考えるべきであろう。同じ時期にウォーターズも[Radio KAOS]を発表し、ツアーを行う。ツアーとしては前者の圧勝であったと聞くが、私はウォーターズのこのアルバムもお気に入りである。大阪で体験した衝撃的なライヴは[Delicate Sound of Thunder]として今でも聴くことが可能だ。そして新譜の発売から7年後、ライヴの発売から6年後にピンク・フロイド名義の新作[The Division Bell ]が発表された。これもほとんど予告なしの突然のリリースであった。ギルモアのピンク・フロイドの円熟を示すアルバムであるが、私はこれに先んじて92年に発表されたウォーターズのソロ・アルバム[Amused to Death]の方に強い感銘を受けていたので、ほかのアルバムほど聴きこんでいない。むしろ今回の新譜の内容を知って最近集中的に聴いた。2002年にウォーターズは来日公演を行っている。この際にはピンク・フロイド時代の曲と[Amused to Death]に収録された曲が披露された。天安門事件や湾岸戦争を主題とした[Amused to Death]はウォーターズの楽曲の本質である社会性がかつてなく濃厚に表明され、ウォーターズのピンク・フロイド時代のアルバムと比しても屈指の名盤ではないかと考える。来日公演は[In the Flesh]のタイトルでCD化されているが、新作の発表からあまりにも時間が経過していたこともあり、88年のピンク・フロイドのライヴほどの衝撃は受けなかった。そしてそれからさらに10年以上が経過してから届いた今回の新譜である。音源が[The Division Bell]の際のセッションであるからウォーターズの関与はありえないし、ウォーターズ自身も早くからこの点を明言していたとはいえ、この時点でギルモアとウォーターズの全面的な和解がなされなかった点は少々残念に思われる。
 今回、ワールド・ツアーは行わず、ピンク・フロイドとしてはこれが最後のアルバムであることが明言されている。彼らの年齢、そして新作発表までのインターバルを考えるならば致し方ないかもしれない。アルバムの最後に収められ、終曲(フィナーレ)という日本語のサブタイトルが付された「Louder Than Words」は文字通りピンク・フロイドの最後の曲となるのだろうか。注意深く聴くとこの曲の最後は最初の「Things Left Unsaid」(二つのタイトルの対照も暗示的だ)の冒頭とつながり、アルバムは一種の円環構造をかたちづくっている。興味深いことにウォーターズの[Amused to Death]も全く同じ構造をとっていた。ジョイスの「フィネガンズ・ウエイク」のごとく、半世紀にわたるピンク・フロイド・サーガもかくして一つの輪廻を終えたということであろうか。なんとも深い余韻を残すアルバムであり、長く彼らの音楽に魅了されてきた者としては聴き終えて万感胸に迫る思いがある。レヴューというより単なる個人的回想を書き連ねてしまった気もするが、さすがの私も個人的感情を交えずにこのアルバムを評することは困難である点を了解いただきたい。
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 なお、今回の新作に関しては日本版に50頁以上に及ぶ「永遠のピンク・フロイド」という別冊の冊子が付いている。立川直樹の巻頭テクストに続いて、レコード会社の歴代担当者が興味深い文章を寄せている。私自身は初期を除いて、ピンク・フロイドのアルバムの日本語タイトルはほとんど感心したことがないが(そのためこのレヴューでは英語タイトルを示した)、日本語タイトル命名の事情やらメンバーとの交流など担当者以外には知り得ない裏話が満載でなかなか楽しめる。これから求める方には日本版の購入をお薦めしておく。

by gravity97 | 2014-11-25 20:50 | ロック | Comments(0)

THE ALAN PARSONS PROJECT / ERIC WOOLFSON [TALES OF MYSTERY AND IMAGINATION]

Nevermore
Thus quoth the raven, Nevermore

 アラン・パーソンズ・プロジェクト(以下、APP)は1975年にアラン・パーソンズとエリック・ウルフソンの二人によって結成された。アラン・パーソンズはピンク・フロイドの[狂気]のエンジニアとして知られる。私が彼らのアルバムを最初に聴いたのは1977年の[アイ・ロボット]であるが、デビュー作は前年の[怪奇と幻想の物語 エドガー・アラン・ポーの世界]である。二つのアルバムのタイトルからすでに彼らの文学性とコンセプト・アルバムへの志向は明らかであろう。いうまでもなく[アイ・ロボット]とはアイザック・アシモフの名作「私はロボット」の原題であり、[怪奇と幻想の物語]にいたっては副題が示すとおり、「大鴉 The Raven」や「アッシャー家の崩壊」といったポーの名作をモティーフにした楽曲が収められている。二人によって結成されたユニットでありながら、そのうちの一人のみの名前を用いているため、エリック・ウルフソンはいささか影が薄い。ウルフソン自身、プロジェクト名に自身の名前が用いなかったことによって自分の私生活に注目されることなく、APPの成功を楽しむことができたことがベスト、友人や家族以外は自分が何をしているのか誰も知らないということがワーストとライナーノーツで語っている。APPは彼ら二人を中心にその都度、セッション・アーティストとともにアルバムをスタジオ録音し、ライヴ活動を一切行わない特殊なユニットとして知られていた。(後年、この原則が崩れることについては後述する)プロジェクトとしては1987年の[ガウディ]を最後に解散し、その後はアラン・パーソンズという名義でパーソンズが単独で活動を続けたような印象があったこともあり、ウルフソンについてはあまり情報がなかった。先年、珍しくウルフソンの名前のみがクレジットされた[Eric Woolfson sings Alan Parsons Project : That Never Was]というアルバムの存在を知り、早速求めた。ウルフソンらしい伸びやかなヴォーカルが楽しめる佳作であったが、関連して検索してみたところ、驚いたことにウルフソンは2009年12月、つまりこのアルバムが発売された直後に64歳という若さで没していたことがわかった。ウルフソン追悼の意味をこめて、今回はアラン・パーソンズとエリック・ウルフソンについて若干書き留めておきたい。
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 アビーロード・スタジオで録音されたという[怪奇と幻想の物語]は80年代以降のAPPに顕著となるポップス路線とは一線を画したブリティッシュ・テイストの名作である。アメリカの作家、ポーへのオマージュとして構想されたという点が面白い。実はこのアルバムのアイディアはウルフソンから提出されたらしい。つまり、エンジニア仲間であったパーソンズに、ポーの作品をモティーフとしたアルバムを制作しないかとウルフソンが持ちかけ、APPのデビュー作が誕生した訳だ。オーソン・ウェルズが朗読する「夢の中の夢」に始まり、「大鴉」へと続く冒頭、不吉ななにものかが次第に形をとっていくような進行は大いに衝撃的であった。自身が「構成の原理」の中で説明しているとおり、ポーは詩を純粋に科学的に構築することが可能であると考え、例えば「大鴉」の中で繰り返される Nevermore の語をその音韻論的な不吉さゆえに選んだのであるが、APPの緻密に構成された楽曲は確かにこのようなポーの厳密さにみごとに対応しているように感じられたのだ。70年代中盤といえば、いわゆるプログレッシヴ・ロックが最後の光芒を放った時期であった。ロジャー・ウォーターズの鮮烈なリリックが突き刺さるようなピンク・フロイド、ライヴで超絶技巧を繰り返すキング・クリムゾンやイエスらに比しても、スタジオ録音に徹し、壮大でありながら緊密で完成度の高いアルバムを次々に発表するAPPは特異な存在であった。第三作[ピラミッド]も特定のテクストにこそ依拠していないが、オカルト的なテーマに基づいて細部まで作り込まれた印象であった。私はこのアルバムから発表されるタイミングでAPPを聴き続けることとなったが、79年の[イヴの肖像]、80年の[運命の切り札]あたりから次第にポップなテイストの曲が加わるようになり、「タイム」、後年の「アイ・イン・ザ・スカイ」といったスマッシュヒットも発表された。私の印象として、APPはパーソンズとウルフソンという資質の異なる二人の絶妙の距離によって曲調が決定されていた。ソリッドでタイトな前者に対してメロディアスな後者、実際に曲がどのようにアレンジされたかについては不明であるが、80年代中盤に発表された[アイ・イン・ザ・スカイ]、[アンモニア・アヴェニュー]、[ヴァルチャー・カルチャー]そして[ステレオトミー]はいずれもプログレッシヴ・ロックにありがちな深刻さとも俗受けを狙ったポップス路線とも一線を画した名盤である。80年代に入ると、初期の文学性、そしてコンセプト・アルバムへの志向は次第に失われ、先述のとおり、87年の[ガウディ]を最後に二人組ユニットとしてのAPPは解散した。
パーソンズはこれ以後もアラン・パーソンズ名義でアルバムの発表を続け、私の知る限り[Try Anything Once](1993)、[On Air](1996)、[The Time Machine](1999)、[A Valid Path](2004)という4枚のアルバムを発表している。日本版は発売されているのであろうか。インターネットで検索したところいずれも比較的入手が難しいようである。興味深いことにこのうちの二枚、すなわち[On Air]と[The Time Machine]はそれぞれ人類の空や宇宙への挑戦、そしてH・G・ウエルズの「タイムマシン」を主題としたコンセプト・アルバムである。ウルフソンが離れたことによってもアルバムの印象はさほど変わらない。この頃からアラン・パーソンズはライヴ・ツアーを始め、94年のヨーロッパ・ツアーと2004年、マドリッドにおけるライヴがアルバムとして残されている。[On Air]のツアーは日本にも巡回した。私は96年に大阪でこのツアーに立ち会った記憶がある。ライヴの印象が薄いのは、元々アラン・パーソンズにとってはライヴにおけるパフォーマンスよりもスタジオにおける緻密なセッションが本領だったからであろう。比較的淡々としたライヴであったことを覚えている。現在のところ、最新作、といっても10年ほど前に発表された[A Valid Path]は「ツングースへの帰還」「チュモランマ」といったタイトルとともに打楽器を主体としたインストロメンタルが多いが、全体を統一するテーマが設定されている訳ではない。最初の「ツングースへの帰還」の独特のギターには聞き覚えがあり、クレジットにデヴィッド・ギルモアの名を見て納得した。パーソンズが[狂気]のエンジニアであったことを想起すれば意外な組み合わせではない。このアルバムはやや雑然とした印象があり、以前のアルバムに収められた曲のリミックス・ヴァージョンが二曲収録されている。そのうちの一つ、「繰り返される夢の中の夢」は[怪奇と幻想の物語]の劈頭を飾る二曲「夢の中の夢」と「大鴉」を合体させていささかチープにアレンジした内容である。驚いたのはこの曲にはアランの息子、ジェレミー・パーソンズが加わっていることだ。私がAPPやピンク・フロイドに耽溺していた頃からもうすぐ40年が経過する。もはやプログレッシヴ・ロックという言葉自体に一種の哀愁を感じるのは私だけではないはずだ。
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最初に述べたとおり、APPは二人組のユニットであったにも関わらず、パーソンズ一人の名前が用いられていたこともあり、私もウルフソンのその後の活動については全くフォローしていなかった。このため、APPの[怪奇と幻想の物語]の続編とも呼ぶべき[More Tales of Mystery and Imagination]というアルバムが2003年にエリック・ウルフソン単独の名義で発表されていたことをごく最近知って大いに驚き、早速聴いてみた。最初に述べたとおり、APPのデビュー作と[怪奇と幻想の物語]もパーソンズではなくウルフソンの呼びかけによって制作されているから、ウルフソンにとってポーへの思い入れが強いことは容易に理解できる。ウルフソンによれば続編の構想は[怪奇と幻想の物語]を発表した直後から生まれていたが、契約していたレコード会社の変更によって不可能になったらしい。このアルバムには10曲が収められており、「落とし穴と振り子」や「モルグ街の殺人」といったよく知られたタイトルの曲もある。[怪奇と幻想の物語]に収録されていた曲が全てポーの作品からタイトルをとられていたのに対して、こちらのアルバムには最後に収められた「IMMORTAL」に端的にみられるとおり、ウルフソンのポーに対するオマージュを暗示する曲目が多い。四半世紀の間隔を隔てて発表されたにも関わらず、二つのアルバムは続けて聞いても全く違和感がない。前者に収められた5部構成の大作「アッシャー家の崩壊」には3部構成の「落とし穴と振り子」が対応し、ジャケットのイメージとして不気味な「大鴉」が用いられていることは御覧のとおりである。後者の特徴はインストロメンタル曲がなく、全ての曲にヴォーカルが入っていることであろう。ウルフソン自身がAPPのヴォーカルを担ったこと、さらにスティーヴ・バルサモという才能のあるヴォーカリストを知ったことがこのアルバム成立の一つの契機であったことがその理由であろうか。
先ほど触れたとおり、APPの歴史は最初のアルバム[怪奇と幻想の物語]の冒頭に収められ,オーソン・ウェルズが朗読するポーの詩、「夢の中の夢」、A Dream within a Dreamに始まる。[More Tales of Mystery and Imagination]の最後に収められた美しいバラード、「IMMORTAL」においてもスティーヴ・バルサモがポーの詩篇の中の一節を、All that we see/ All that we seem/ Is but a shadow of a shadow/ Of a dream within a dream と朗々と歌い上げる。アルファとオメガ、私はこの詩句によってウルフソン/パーソンズの「怪奇と幻想の物語」がひとつのサイクルを閉じ、同時にAPPの活動も壮大な幕を閉じたように思えてならない。もしそうであれば、まことにAPPらしい様式美を漂わせた終幕ではないだろうか。

by gravity97 | 2013-07-06 15:27 | ロック | Comments(0)

KRAFTWERK [Radioactivity]

 以前にも記したとおり、このブログでは時事的な主題を扱わない方針であるが、さすがに3月11日以後、自分が一連のカタストロフと無関係であるとは感じられない。多くの人が述べているとおり、3・11は9・11同様に歴史を画然と分かつ日付であり、それ以前とそれ以後で単にニューヨークやアメリカ、あるいは東北や日本だけではなく世界そのものが全く見知らぬなにものかに変貌を遂げたような不気味な感触を受けるのだ。あの日以来、「終わりの始まり」という言葉が私の脳裏から離れることがない。
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 地震と津波だけならば、過去に例のない規模であるにせよ、人類が体験したことのない災害ではない。今回のカタストロフで最も恐るべき事象は原子力発電所の事故とそれにともなう放射能汚染という未曾有の災厄である。現時点でもなお事故に解決のめどは立たず、汚染はさらに拡散している。放射能汚染によってゴーストタウンと化した町、人体に食品に刻一刻と蓄積される放射性物質。わずか数基の施設の損壊によって国家や民族が一つの単位として危機に直面するという状況はかつて前例がなく、私たちはもはや黙示録的な恐怖の中にいるといってよい。
 
 クラフトワークの「放射能 Radioactivity」を、私は1991年に発表された[The Mix]そして2005年の[Minimum Maximum]中の一曲として聴いた。この曲は当初、1975年のアルバム[Radio-Activity](ハイフンの存在に留意されたい)のタイトル曲として発表されたが、(少なくともリマスタリング版が発売される2009年までは)入手することが比較的難しく、私もまだオリジナル曲を聞いたことがない。最初に1991年のヴァージョンで聴いたことは重要である。[The Mix]においては曲の冒頭で電子的に加工された音声によって四つの土地の名が連呼される。すなわちチェルノブイリ、ハリスバーグ、セラフィールドそしてヒロシマである。ハリスバーグとセラフィールドについては若干の注釈が必要かもしれない。前者は1979年に発生したスリーマイルズ島原子力発電所事故の舞台となったペンシルヴァニア州の州都であり、後者はイギリスの使用済核燃料処理施設が所在する土地の名である。ヒロシマはともかく、ハリスバーグやチェルノブイリという地名は1975年の時点では歴史的な意味をもつことはなかったから、これらの地名はクラフトワークがオリジナル曲をリミックスする段階で加えられた。今述べたとおり私は1975年のアルバムを聴いたことがないので、両者の異同を詳らかにすることはできないが、[The Mix]や[Minimum Maximum]に収められたヴァージョンは、ガイガー・カウンターを連想させる警告的な電子音にStop Radioactivity、放射能を止めろ、という言葉が重ねられ、連鎖反応、突然変異や集団汚染といったオリジナル曲には存在しなかった語句が追加されることによって、明らかに反放射能、反原発という含意を帯びるに至った。1975年に発表されたアルバムは総体として放射能だけではなく、電波や無線といった空中に存在する不可視の波動を主題としていたことを勘案するならば、スリーマイルズ島原発、あるいはチェルノブイリ原発の事故を経たことによって、この曲は新たに一つの政治的なメッセージを賦与されたといえるかもしれない。アウトバーンやヨーロッパ横断特急、電卓やロボット、科学技術と関連しながらも、それ自体は没価値的、即物的な主題を扱ってきたクラフトワークの楽曲がこのようなメッセージ性、政治性を帯びた点をいかに評価するかについては意見が分かれるところであろう。radioactivity is in the air for you and meという当初の歌詞から了解されるとおり、最初に発表されたヴァージョンにおいて[Radio-Activity]は放射能や原子力発電所に対して中立的であったが、80年代の反核運動の高まりを受けて、彼らが自らの姿勢を明確にしたことは大いにありうる。そこには今回の原発事故の報を受けるや、直ちに全ての原子力発電所を停止したドイツという国で共有される核への恐怖感が反映されているかもしれない。それはこれほどの惨事を引き起こしながらもいまだに活断層上に位置する浜岡原発を稼動させる日本の電力会社の人命に対する鈍感さと残酷なまでの対照をなしている。

 それにしても、震災以後、なぜこれほど書くことが苦しいのだろう。私はこの場にくだらない身辺雑記を綴るつもりはないので、常に具体的な対象に対する批評的言説を書いてきたつもりだ。しかし震災後、それ以前にほぼ書き上げていたリドリー・スコットのフィルムに対する記事をアップした以外、文章を書くことが辛く感じられてならない。放射能という概念を手掛かりになんとか書き始めた今回の記事もここまで書いた時点で、(今回の原発事故がチェルノブイリに匹敵するレヴェル7に分類されたという報に触れたためであろうか)もはやこれ以上筆を進めることが困難に感じられるのだ。この問題は端的にカタストロフと表現という問題へと敷衍できるかもしれない。圧倒的なカタストロフの前にあっては、表現するという行為は果たして意味をもちうるのだろうか。
 同じ問いを、私は阪神大震災の折にも自問した。そして私なりの経験と思索をとおして表現と関わる営為を続けることこそがカタストロフへの抵抗たりうるという結論に達した。この意味で私は今回の震災に対する一連の自粛の流れを強く批判したい。美術館であれば展覧会を、劇場であれば演劇を、ホールであれば音楽の公演を通じて日常性を回復することこそが「文化施設」の使命であり、同時にそれらの活動は「被災者への癒し」といった誰も批判できない愚劣なスローガンのもとに集約されるべきではない。あたかも震災も原発事故も存在しなかったかのように日常の一環として、芸術と関わる営みを淡々と続けるべきであると私は信じるし、このブログに関しても早くそのような日常性を回復したいと願っている。しかし日々報道される各地の惨禍、悪化の一途をたどる原発事故の報道を前に、かかる平穏はまだ遠いという思いに駆られる。放射能を止めようとしなかったこの国は人類がいまだ経験したことのない破局、「終わりの始まり」の扉を開いてしまったのではないだろうか。暗鬱な感慨とともにこのブログでもなおしばらく時事的な話題と関連した内容の記事が続くかもしれない。諒とされたい。

 なお、Radioactivity はおそらく[Minimum Maximum]に収録されたヴァージョンと同じライヴの映像を YouTube で見ることができる。

by gravity97 | 2011-04-12 21:09 | ロック | Comments(0)

Manuel Gottsching [E2-E4 LIVE IN JAPAN]

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 とんでもないものが手に入ってしまった。こんなものがこの世に存在してよいのだろうか。しかもそれがアマゾンから普通に送られてくるとは。
 マニュエル・ゴッチングの[E2-E4]については以前このブログでも取り上げた。末尾に関連情報としてゴッチングが06年に来日し、「メタモルフォーズ」というイヴェントで[E2-E4]のソロ・ライヴを行ったらしいと書きつけた。書いてはみたものの、[E2-E4]を(後で触れるベルリンの弦楽アンサンブルと共演した失敗例はあるにせよ)ライヴで再現できるとは思えず、そもそもよりによってマニュエル・ゴッチングがそのような歴史的ライヴを日本で行うことなど普通に考えてありえないから、半信半疑というかおそらく何かの間違いだろうと思っていた。
 ところがこのたびその模様をCDとDVDに収めた[MANUEL GOTTSHICHING / E2-E4 LIVE IN JAPAN]なるセットが発売された。[E2-E4]発売からちょうど25年後にリリースされたこととなる。早速、DVDとCDを陶然とした思いで視聴する。これはまぎれもなく更新された[E2-E4]であり、伝説的なオリジナル録音を凌駕する内容である。果たしてこのようなことが現実にありうるのだろうか。
 今回は詳しいライナーノートが付され、オリジナルの[E2-E4]と今回のライヴが実現にいたった経緯についてゴッチング自身によって詳しい説明が加えられている。まずオリジナルが成立した過程が興味深い。ゴッチングによると1981年の暮れ、クラウス・シュルツとの長いツアーを終えたゴッチングは、長いツアーがもたらした「コンサート・モード」から脱却するために、常に演奏できる状態になっている自宅スタジオのシンセサイザーやシーケンサーを用いて一人だけのセッションを試みた。偶然試みたこのセッションはその全てがスタジオのテープマシーンに録音されていた。1981年12月12日のことである。録音されたテープを聴き返してゴッチングは当惑する。「その曲は完全なバランスを保ちながら流れ、何回繰り返して聴いてもミスや破損が見つからなかった。それまで私はいくつものセッション・レコーディングを自分のスタジオで録ってきたが、これほどの長さと深さにおいて完璧なものはなかった。私にはそれがむしろ不気味に思え、問題でもあった(I found it almost uncanny. And a Problem.)」あまりの完璧さに発表を見合わせたというのがよい。結局、紆余曲折を経た後、ヴァージン・グループ会長のリチャード・ブロンソンの勧めなどもあって、[E2-E4]は1984年に発表され、熱烈な支持者を生んだ。今回の[E2-E4 LIVE IN JAPAN]は2006年8月26日に開かれたMETAMORPHOSEというレイヴ・イヴェントにおけるライヴであり、当然ながら[E2-E4]同様にやり直しのきかない、いわゆる「一発録り」の音源である。同様にワン・テイクで録音された二つの楽曲がいずれも演奏から同じ3年という時を経て発表された。このような一致をジョイスにおける『ユリシーズ』と『フィネガンズ・ウエイク』、ピンチョンにおける『重力の虹』と『ヴァインランド』がともに17年という間隔をおいて発表された事例に準えるのは悪乗りのしすぎであろうか。
 [E2-E4]をライヴで演奏するという考えは当初よりゴッチング本人が抱いていたらしい。しかし実際には機材の運搬や設置の問題で実現は困難であり、比較的コンパクトに実現可能なデジタル・シンセサイザーを用いた演奏はライヴ感が大幅に殺がれるため、解決とはならなかった。実に四半世紀にわたる技術革新の結果を受けてようやく06年に「私を最も熱心に応援し続けてくれたファンがいる日本」でこの奇跡のライヴが可能となったのである。ゴッチングはライヴのアイデアを次のように説く。「コンピュータのプログラム内の音(ベース、コード、メロディ、ドラム、パーカッション)とオリジナルの録音から取り出した音を組み合わせて[E2-E4]の構造と音を全くゼロから作り直すというもの。それはつまり、新しいテクノロジーを用いることによって初めて可能となった全く新しい解釈である」実際の演奏をDVDで確認してみよう。野外のライヴであるからセットとライティングはシンプルだ。壇上に登場したゴッチングはアップルのラップトップに向かって時に額をこすりつけるくらい近づけながらマウスを操作し、時折傍らに置かれたキーボードを操る。私は以前坂本龍一のプライヴェートなライヴで坂本が楽器を一切用いずPCの操作だけで演奏したのを見て驚愕したことがある。電子音楽に疎いため、一体坂本やゴッチングがディスプレイ上のどのような情報をもとに演奏を組み立てているか見当もつかない。最初、私としてはギターを持たないゴッチングにやや当惑した。しかし演奏そのものは完璧だ。先に引いたとおり、オリジナルの録音に新たにプログラムされた音を重ねているため、楽曲の構造自体は明らかに複雑になっている。それにもかかわらず研ぎ澄まされたソリッドな音響の反復はオリジナルと同様、禁欲的でありながら悦楽的というきわめて矛盾した感情を喚起する。先に述べたが、[E2-E4]は05年にベルリンで弦楽アンサンブルとゴッチングが共演するかたちでライヴ演奏され、CDが残されている。しかし演奏時間が15分ほどと短いうえに、妙な抑揚を伴ったストリングスやパーカッションはオリジナルと大きく印象を違え、ゴッチング自身によるギターも変な哀愁を帯びた失敗作である。これに対して、今回、ゴッチングは原曲とほぼ同じ長さのライヴを完全にコントロールしており、緊張感は最後まで途切れることがない。そしてオープニングから35分、全体の半分ほどが経過した時点でついにゴッチングは愛用のギブソンを手に取る。プログラムされた音源に対してゴッチングが爪弾くギターの音響が重ねられ、25年を隔てた二つの即興が緊張と官能の間で照応する様子は圧巻である。上のイメージに掲げるとおり、今回のライナーノートには[E2-E4]発表当時と今回のライヴの模様を撮影した二枚のゴッチングのポートレートが掲載されている。長身白皙、どことなくデュシャンを連想させたかつての美貌はさすがに衰えたとはいえ、ブルーのライトに照らされながら淡々とした態度で時にPCを操作し、時にギターを演奏するゴッチングの姿はめちゃめちゃクールであった。
 実際のライヴも記録の映像にも妙な編集がない点には好感がもてる。デュシャンの名が出たところで悪乗りするならば、[E2-E4]とは「オーガズムの遅延」である。ライヴも映像もクライマックスとは無縁に淡々と続く。映像としては大半がゴッチングの演奏の模様であり、終盤まで客席の反応がほとんど記録されていない点も変な感情移入を排すうえで効果的といえよう。ゴッチングが寄せた文章によると、このライヴは早朝4時、払暁の暗闇の中で始まり、終わる頃には朝日が昇っていたという。その様子はライヴの映像からもうかがえるが、このような時間設定は通常のレイヴ・イヴェントとは大きく異なり、ある程度明晰な意識のもとで知覚されるべき[E2-E4]の時間感覚に見合っているかもしれない。私はレイヴ・イヴェントがどのようなものか全く知らないが、それにしても早朝4時、これほど多くの人がゴッチングのライヴのために伊豆に集ったということが私はいまだに信じられない。観客も若者ばかりであり、私のようなジャーマン・アシッド・ロック、あるいはミニマル・ミュージックとは全く別の文脈で今日この名曲が再評価されていることを暗示している。
 余談となるが、ゴッチングは1996年にアシュ・ラ・テンプルとアシュラの名もクレジットした[PRIVATE TAPES]という6点のアルバムを発表している。タイトルのとおり、ゴッチングがスタジオで私的に録音した内容で、先述のとおり[E2-E4]も同じような経緯を経て今日に残されたと考えられる。「LOTUS」や「ICE TRAIN」といったアシュラ時代の名曲の異なったヴァージョン、あるいはゴッチングのインタビューなどが収められたレアなアイテムである。私は京都のVというショップで偶然見つけて直ちに全点を求めたが、聞くところによると、このCDは1000セットが限定制作され、そのうち500セットがドイツではなく日本で販売されたという。このアルバムはまもなく完売し、今日では中古を探すことも難しいというから、「私を最も熱心に応援し続けてくれたファンがいる日本」というゴッチングの言葉もあながち社交辞令ではない訳だ。このようなファンの存在を考えるならば、このライヴが日本で世界初演されたことも合点がいくが、これまでの生涯で[E2-E4]について知る者に二人しか会ったことのない私としては、今日、若い世代がこの名盤を知るうえで何が接点となったのか、むしろその点を知りたいように感じた。
最後に蛇足ながら[MANUEL GOTTSHICHING / E2-E4 LIVE IN JAPAN]は3000セット限定ということである。

13/02/11追記
最近、朝吹真理子の芥川賞受賞作品『きことわ』を読んでいると、物語の中に[E2-E4]についての言及がありることを知り、驚いた。この小説の中ではチェスとの関係で触れられている。

by gravity97 | 2009-08-15 22:06 | ロック | Comments(0)

PINK FLOYD 〈The Momentary Lapse of Reason Tour 1988〉

 先日、新聞紙上で思いがけずリチャード・ライトの訃報に接した。このブログは時事的な話題を扱わない方針であるが、かつてピンク・フロイドは私にとって神のごとき存在であったから、さすがに触れねばなるまい。
 ピンク・フロイドは過去三回、来日して公演を行なっている。1971年の初来日、箱根アフロディーテでの野外公演は会場に霧が立ち込め、夢か現かという伝説的なライヴとして今に語り継がれている。当時、アンダーグラウンドを志向した若者たちに対する彼らの影響力は絶大で、村上龍はチケットをもたずに会場から追い返されそうになった主人公たちがその場にいたデヴィッド・ギルモアのはからいで入場を許されるという、とんでもない短編を発表している。翌年の二回目の来日ではなんと[The Dark Side of the Moon]がアルバム発売に先んじて全曲演奏され、これもまた伝説の公演となった。
 私は三回目の来日公演に行った。1988年、今から20年前のことである。ロジャー・ウォーターズ脱退後、初めてピンク・フロイド名義で発表された[The Momentary Lapse of Reason]のワールドツアーであった。ピンク・フロイドは[Animals]のあたりからロジャー・ウォーターズのワンマン・バンドという傾向が強まり、ギルモアとウォーターズの対立が深まるとともに、名義の使用にあたって両者の確執が伝えられていた。ほぼウォーターズのソロといってよい[The Wall]、[The Final Cut]が傑作であることは間違いないが、私自身は誰の曲かということにさほど拘泥せずにピンク・フロイドを聴いてきたから、単純に4年ぶりの新譜として新作を聴いた。メッセージ性が強い[Animals]以降の三部作とは趣を違えるものの、全体にウェルメイドの佳作であり、ヒプノシスによるシュールなデザインも秀逸であった。
 公演は「Shine On You Crazy Diamond」で幕を開けた。私にとっては現実に演奏を聴くことは不可能と考えていた神の来臨であったから、ほとんど呆然として聞いた。暗い会場に最初のキーボードの音が轟いた瞬間、私は比喩でなく雷に打たれたように感じた。16年ぶりの日本公演であったせいか、客席は比較的年配の男性が多かった。デイブ・ギルモアが登場すると「おっさん、太ったな」という声がかかり、周囲が爆笑したことを覚えている。「Shine On You Crazy Diamond」が終わると、アリーナの中央に円形のスクリーンが下ろされ、シングルスカルを漕ぐ男の姿が映し出された。[The Momentary Lapse of Reason]冒頭の「Signs of Life」を導入する情景であることはいうまでもない。続く「Leaning to Fly」にいたると映像は水上から空中へ転換され、前半はニューアルバムを中心に、後半はこれまでのアルバムの中でロジャー・ウォーターズの関与が少ない曲を中心に演目が構成されていた。コンサートの途中で客席との間に壁を建て、最後に破壊するという名高い「ザ・ウォール」のツアー(日本では実現しなかったが、私はその片鱗をアラン・パーカーの映画で見た)をはじめ、ピンク・フロイドのコンサートは会場構成も手が込んでいるが、音楽と映像が一体化されたこのコンサートは私にとって完璧に感じられた。視覚効果をこれほどみごとに生かしたロック・コンサートはほかにありえないだろう。しかし一緒に行った同僚は伝説的な72年の「狂気」組曲のコンサートも体験していたから、そのツアーに比べて彼らがあまりにも観客に迎合していると批判していた。(デイヴが日本語で「ミナサン、コンバンワ」と挨拶したのがよくなかったらしい)88年のツアーは興行的にも成功したらしく、まもなく[Delicate Sound of Thunder]というライヴアルバムとして発売された。私が会場で感じたセンセーションもあながち的外れではなかった訳だ。ヴィデオ版も発売されたらしいが、私は未見である。
 さて、一方のロジャー・ウォーターズもこれと前後してソロの新作[Radio KAOS]を発表した。これも私のお気に入りのアルバムである。新作および新作のツアーが今述べたピンク・フロイドのツアーと重なったこと、結果的に新譜とツアーの売り上げがピンク・フロイド側の圧勝となったことも両者の角逐の原因となったらしい。ただし両者は以後数枚のアルバムを発表したが、私はロジャーのコンセプト・アルバムの方が優れていると考える。特に92年の[Amuse to Death]はピンク・フロイド時代を通しても疑いなくロジャーの最高傑作の一つであろう。ロジャー・ウォーターズも2002年に三度目の来日公演を果たす。私はもちろん会場に足を運んだ。この公演はこれに先立って発表された[In the Flesh]というライヴと構成が似ていたため、88年ほどの衝撃はなかった。[Radio KAOS]に収録された曲が選ばれていなかったことも残念であったが、さすがに長年ピンク・フロイドの中心に君臨したベーシストらしい余裕と存在感のあるライヴであった。後年、ギルモアのピンク・フロイドは[The Dark Side of the Moon]をライヴで全曲演じたが(その模様は95年発売の[PULSE]に収められている)、それに対抗するかのように名盤[Wish You Were Here]がほぼ全曲演奏されたことを記憶している。
 ピンク・フロイドは活動時からマスコミ嫌いで知られ、ほとんどメディアに露出することなく、数年間という長いインターバルをおいてそのたびごとに信じられないほど完成度の高い新作を発表した。したがって私はその不在に慣れている。ウォーターズとギルモアの諍いはいささかみっともなかったが、最近は両者に和解の気運が高まっているという。リックの早すぎる死は惜しまれるが、これを奇貨として再結成と四度目の来日ということはありえないだろうか。
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なお厳密を期すならば、[A Momentary Lapse of Reason]はギルモアとニック・メイソンによって制作され、リックはサポート・ミュージシャンとして参加している。88年の公演の際は多くの助演者とともに三人そろって来日したが、上に示したワールドツアーのパンフレットの裏見返しにギルモアとメイソンの二人の写真が掲げられ、リチャード・ライトが写っていないのはこのあたりの微妙な消息を反映しているだろう。

by gravity97 | 2008-09-23 21:13 | ロック | Comments(1)

Manuel Gottsching [E2-E4]

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 マニュエル・ゴッチング(ゲッチングと表記される場合もある)はジャーマン・アシッド・ロックを代表するアシュ・ラ・テンプルのリーダー。1971年にゴッチングとヘルムート・エンケ、クラウス・シュルツによって結成されたアシュ・ラ・テンプルは73年以降、ゴッチング一人のプロジェクトとなり、76年よりアシュラと名を変えた。
 私は中学の頃よりプログレッシヴ・ロックに耽溺していたから、アシュラにたどり着くまでにさほど時間はかからなかった。最初に聞いたのは1978年に発表された[CORRELATIONS]であった。驚いたことに当時は輸入版を捜さずとも国内版が存在し、普通のレコードショップで買うことできた。確か「水平音響への誘導」という意味不明の日本語タイトルが付されていたと思う。口からメタリックな液体を吐き出したようなシュールなジャケットに魅されて「ジャケ買い」したことを覚えている。LPが主流であった時代にはしばしばそのような衝動買いがありえた。特にプレグレッシヴ・ロック系のジャケット・デザインはヒプノシスやロジャー・ディーンのように傑出したデザイナーやデザイナー集団が手がけることが多く、ジャケットのデザインというより一個のアートワークとしてとらえることができた。CDそしてインターネットからのダウンロードへと音源が変わりつつある今日からは想像できない状況である。[CORRELATIONS]の前年に発表された[BLACKOUTS]も確か国内版が存在したはずであり、ほぼ同じ時期に聴いた。いずれのアルバムもシーケンサーとキーボードによってフレーズが反復される中、ゴッチングのギターが何層にも絶妙に重ねられ、トリップ感全開である。
 トリップと記したが、ジャーマン・アシッド・ロックのアシッドとはLSDの俗称である。アシュ・ラ・テンプル名義で発売された「7 Up」はその名のとおり、LSDを溶かしたセブンアップを飲みながら即興的に演じられたという伝説があり、LSDの導師ティモシー・リアリーが関係している。ところでドラッグにアッパー系とダウナー系があることは知られているとおりだが、ゴッチングの楽曲も両者に明確に二分されるように思う。タイトルどおりさざめく光の雨のごとき「Sun Rain」、あるいは後年の作品となるが[Tropical Heat]に収められた「Mosquito Dance」などにおいてはフレーズの反復がひたすらテンションを高めていくのに対して、「Sun Rain」が収められた[New Age of Earth](ニュー・エイジという言葉が76年の時点で使用されている点に留意されたい)中の「Ocean of Tenderness」そして大作「Nightdust」は逆に聞く者の内面へと沈潜していくような趣をもつ。タンジェリン・ドリームやクラウス・シュルツなどを想起するならば、同様の傾向は同時代のドイツである程度共有されていたことが理解されよう。ドラッグという参照項が与えられた時、熱狂と鎮静という、相反する方向性の曲が同じアルバムに収められていることはむしろ自然にさえ感じられる。[New Age of Earth]から[Belle Alliance]まで、つまりアシュラ名義で発表された時期の作品はキーボードとギターのいずれが主体となるかの差はあるが、このような二極を往還する構造をもつ。この時期はレコードからCDへの移行期にあたり、私は[CORRELATIONS]まではLPで、それ以後はCDで所持している。
 1984年にゴッチング名義で発表された[E2-E4]でこのような印象は一新された。60分近いタイトル曲のみが収録されたこのアルバムにおいては反復構造がかつてなく大胆に取り入れられ、最初から最後まで反復によって構成されているといってもよい。比較的類似した構造の曲としては74年に発表された[Inventions for Electric Guitar]に収められた「Echo Waves」が挙げられようが、圧倒的に洗練されている。その頃既に私はミニマル・ミュージックになじんでいたため、この名曲をごく自然に受け入れたが、ミニマル・ミュージックを経由しない聴衆にとってこのような展開はやや意外に感じられたかもしれない。しかし[E2-E4]はスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスの作品とも根本的に異なる。ミニマル・ミュージックがよくも悪くも理詰めに構成され、ある程度聞き込むと反復の規則性や加算構造が理解できるのに対して、ゴッチングの原理は計算ではなく即興であり、この曲は中期アシュラ特有の透明なトランス感に満ちている。先ほど述べたとおり、80年前後にもアッパー系、反復系の名曲がいくつか存在し、例えば[BLACKOUTS]劈頭の「77 Slightly Delayed」はタイトルから推測されるとおり、同じフレーズが微妙に遅れながら反復され、ライヒのいう「位相ずれ」に近い手法がみられた。しかし多くの曲において終盤に一種のカタルシスが準備されていたのに対し、[E2-E4]においてはそのようなオーガズムは最後まで到来しない。しかし一時間にわたって繰り返される音の連なりに耳を委ねることのなんという快楽。おそらく演奏という点においてもゴッチングはミニマル・ミュージックと本質的に異なる。私は難度かライヒの楽曲が演奏される場に立会ったことがある。ライヒの曲は難度が高く、演奏者が緊張を強いられていることが客席からでも容易に理解された。これに対してゴッチングがいわゆる「一発取り」で録音したという[E2-E4]からは適度の緊張とともに演奏に身を任すことのエクスタシーが感じられるのだ。反復が快楽へと道を開く[E2-E4]が後年、ハウス・ミュージックの文脈で再評価されるにいたったことに何の不思議もない。反復と快楽の関係についてはラ・モンテ・ヤングを召還していずれ別の機会に論じてみたい。
 なお[E2-E4]は05年3月に東ベルリンで弦楽アンサンブルとゴッチングの共演で演奏され、ライヴも発売されているが、短縮されたためか、妙なメリハリがあって原曲に大きく劣る。またゴッチングは昨年メタモルフォーズというイヴェントのために来日し、日本でも[E2-E4]を初演したという情報があるが、今のところ詳細を確認できていない。ゴッチングの来日は初めてではなく、アシュラとして97年に来日した際のライヴが現在2枚発表されている。このライヴCDは入手が難しいが、収録された「Echo Waves」を聞くならば、30年の時を経ても全く鋭さの衰えることのないソリッドでパワフルな演奏にあらためてゴッチングという天才ギタリストの真髄に触れる思いがする。

by gravity97 | 2008-08-20 21:13 | ロック | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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