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シルリ・ギルバート『ホロコーストの音楽』

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 「ホロコーストの音楽」(Music in the Holocaust)とはなんとも含みのあるタイトルだ。ホロコーストにおいて音楽はいかなる意味をもったか。そもそもホロコーストに音楽は存在したのか。著者はワルシャワ・ゲットーを生き延びた後、ソビエト連邦での収容所生活を経てイスラエルに移住したユダヤ系ポーランド人祖父母をもち、彼らがその後移り住んだ南アフリカの大学を卒業した後、オックスフォード大学で音楽学と現代史の学位を取得し、アメリカのミシガン大学の助教時代に本書を書き上げたという。このような閲歴に既にいくつもの20世紀の負の歴史が見え隠れしている。
 近年、ホロコーストに関する研究は格段に深化され、例えば最近私は日本語に翻訳された『ホロコースト・スタディーズ』なる研究書さえ書店で見かけた。本書は語り尽くされた感のあるこの主題に「音楽」という新しい視点から切り込む。日本語のサブタイトルが示唆するとおり、本書はホロコーストと音楽の関係を二つの場に即して検証する。一つはユダヤ人が強制的に隔離されたゲットー、もう一つは強制収容所である。序章とエピローグの間にゲットーに関して二章、強制収容所について二章、計四章のケース・スタディが収められている。より具体的に述べるならば、前半ではヨーロッパで最も多くのユダヤ人が暮らしたワルシャワ・ゲットーと高度なユダヤ人文化が認められるリトアニアのヴィルナ・ゲットーが取り上げられ、後半ではザクセンハウゼンとアウシュビッツという二つの収容所が論じられる。このうち、最後の場、アウシュビッツにおいては(実際には収容者たちに近くの鉱山や工場での労働が割り当てられていたにせよ)最終的な目的は収容ではなく、収容者の絶滅に向けられていた。再びの問い。果たしてこのような場所で音楽は可能であろうか。予想されるひとつの解は、それがホロコーストの非人間性に対するひとつの抵抗となりえたというものである。しかし本書から浮かび上がる「ホロコーストの音楽」はそのような予定調和とはかけ離れている。
 まず私たちはユダヤ人のゲットーへと向かう。本書の中で語られるとおり、「ゲットーは『最終的解決』の過渡的な局面であり、大規模な移動と殺戮に先立って、ユダヤ人をまずは集中させる場所として計画された」のである。本書の前半、ゲットーにおける音楽をめぐる記述は収容所の場合ほど極限的ではないにせよ、この問題を考えるうえでの多くの手がかりを与えてくれる。例えばワルシャワ・ゲットーは先に述べたとおり、当時のヨーロッパでも最大級のユダヤ人社会であったから、ユダヤ人としての文化的統一がありえたはずである。当然そこには音楽の伝統もあっただろう。しかしギルバートはそこに無残なまでの分断があったことを語る。次のような証言が残されている。「ワルシャワ・ゲットーでは、大多数の住民の悲劇的な窮乏と、いぜん富裕で、気が遠くなるほどの値段が当然のようにつけられているあらゆる種類のレストラン、ケーキの店、食料品店に出入りする一握りの者たちの栄華とが、きわだった対照をなしている」私たちはナチス・ドイツとユダヤ人を加害者/被害者といった単純な図式で捉えがちであるが、実際には両者の関係は錯綜している。ゲットーのユダヤ人もきわめて複雑な社会構造を形成しており、そこには飽食と飢餓が同居していた。栄華をきわめる「一握りの者たち」にとって音楽は重要な娯楽であった。ユダヤ人評議会や秘密国家警察(ゲシュタポ)の手助けによって開設されたカフェでは豪勢な料理の横で楽士たちの演奏が繰り広げられているが、扉一つ隔てた屋外には無数の孤児や物乞いが存在した。ゲットーには多くの劇場があり、交響楽団も存在した。著者は当時の状況を歴史的資料によって確認しつつ、そこで実際に演奏されていた曲目を特定し、歌われていた歌詞を採譜する。その場限りのエフェメラルな「音楽」、言語化することが困難な「歴史資料」を丹念に検証する点が本書の独自性であることはいうまでもない。ゲットーの中で歌われていた歌の歌詞を分析したギルバートはそこにはゲットーの地獄が記録され、人々を内部から蝕んでいた退廃が暗示され、さらには大量移送される人々の行く末も正確に予見されていたことを指摘する。例えば次のような歌だ。「ユダヤ人は列車に連れていかれる/回転する車輪を/どのようなペンも描けない、/車両は満杯、/神の聖なる名のもとにユダヤ人が連れられていく/トレブリンカ、トレブリンカに。」トレブリンカ、それはクロード・ランズマンの「ショアー」の冒頭で、ポーランド人の農民が戦時中、自分が耕作していた畑の横に建設され、次々にユダヤ人が列車で運び込まれていたことを何の感情も交えずに証言した巨大な絶滅収容所ではなかったか。二章で扱われるヴィルナのゲットーはリトアニアに位置し、最初ソビエトに占領された後、ドイツが支配した。戦前よりヴィルナのユダヤ人たちは独自に高度な文化を育んでおり、音楽についても例外ではない。しかし現実は苛酷だ。最初ここには二つのゲットーが存在したが、職人や労働者が集められたゲットーに対して、孤児や病人、老人が集められたゲットーからは人々が連行されては射殺され、最初収容されていた三万人のユダヤ人の半数以上が殺された。そこではパルチザン運動が組織され、戦闘が繰り広げられた。ここで採譜された歌には悲惨な事件を記録し、自分たちの暗鬱たる未来を予言するのみではなく、パルチザンを鼓舞する内容も多く含まれていたという。一方でゲットーの劇場での音楽の公演は不幸な境遇にある住民を慰安するという目的があった。鼓舞と慰藉、ヴィルナの音楽は正反対の目的のために存在したのだ。ゲットーにおける音楽はなおも文化の内部にあった。続く二章、収容所において私たちはもはや文化とは呼べぬ音楽に出会う。
  「夜も遅く、すでに疲労困憊して、残されたきょう一日の時間を少しでも休みたいと思っているとき、われわれは中庭に立ったまま歌わされるという純然たる虐待を受けた。夜の暗闇の中で、とにかく歌い続けるのである。(中略)この歌唱の最中に多くの者が消耗の極みに達し、死んだ」収容所では歌うことが虐待の手段として用いられていたのだ。あるいは脱走者が処刑される時、収容者によって構成された楽団は処刑の伴奏を行うように求められたという。本書の中には処刑される脱走者を先導しながら楽器を演奏するオーケストラの写真が収められている。さらに彼らが奏でる行進曲は労働部隊が仕事に出かける際に歩調を合わすために演奏されたという。もし足並みを乱せばその者は容赦なく殴打されるのである。もちろん抵抗としての音楽、抵抗としての歌はありえた。ガス室に連行されたチェコのユダヤ人たちがチェコスロヴァキアの国歌を歌いながら、あるいはフランスのユダヤ人たちが「ラ・マルセイエーズ」を歌いながら死んでいったという事実が知られている。クリスティナ・ジブルスカという若い女性の収容者は収容所で生まれて初めて詩を書き、それは「没収財産登録事務所のメドレー」として今日まで記録されている。このような詩だ。「列車はあえぎ、蒸気を吐き出す、それは誰にも聞こえる、スーツケースの山、そして謎めいた異様な煙/責任者が来る、でもそれはどうでもよいこと、大事なのは食物、まだ誰もわれわれを処置していないのだから」アウシュビッツに送られたユダヤ人の荷物を入れたスーツケースが山をなしている図版を見る時、この歌の意味は明確だ。そしてまさにその場でも音楽は機能していた。新しい収容者が到着するたびにオーケストラが動員され、降車場で歓迎の演奏をした。それは巧妙な偽装工作である。絶滅収容所に到着したユダヤ人たちは手入れされた庭、シャワーや更衣室の表示、そしてシュトラウスのワルツやオッフェンバックの楽曲が演奏されていることを聞いて安堵する。彼らが「それほどひどくはないかもしれない」と感じた降車場で実際に行われていたのは移送者の中からガス室に送る者を選別する作業であったのだ。楽士たちはもちろん自分たちの役割を承知しており、中には演奏しながら泣く者がいたが、親衛隊の将校に厳しく叱責されたという。絶滅収容所にも音楽は存在した。そしてその本質についてプリモ・レーヴィは深い洞察を加えている。「曲目は限られていた。十数曲であろうか。毎日、毎朝、毎夕同じ曲である。ドイツ人にとって耳慣れた行進曲と大衆音楽である。いずれも脳裏に深く刻み込まれている。収容所を忘れることができたとしても、最後まで残るのはこれらであろう。それは収容所が発する声であった。幾何級数的に増殖する狂気、もしくは、まずわれわれを人間として無力にしておいて、ついでゆっくり殺そうとする他者の決意の可視的な姿なのである」意志が可視化された音楽、矛盾された表現であるが、音楽がかくも残忍な姿をとった場所をほかに想像することは困難であろう。
 最初に述べたとおり、本書は収容所を被害者と加害者という二分法ではなく、様々な民族や階級、技能や思想をもった重層的な構造としてとらえている。音楽という主題はこのような重層性を見事に抉り出す。いうまでもなく音楽は収容所を管理する側にも存在した。親衛隊の隊員たちは自分たちの楽しみのために、収容者の音楽家たちに公私にわたって演奏を依頼していた。なぜなら彼らにとって音楽とは「文明」の指標であったから。アウシュビッツにおいてオーケストラはほかの収容所に増して援助され、推奨されていたという。絶滅収容所と音楽。誰でもアドルノの箴言を想起するであろうこのような事実に関する次のような指摘は重要である。「音楽に対する彼ら(親衛隊)の関心とその残虐な行為とをまったく矛盾するかのように考えたくなるが、実際には音楽は収容所の歪んだ論理の一部をまぎれもなく構成していたと思われる。なによりもまず、音楽は親衛隊員が洗練されたドイツ文化と個人の『品格』にもとづく自己像を保つことができる枠組を提供したのである。音楽は彼らが従事した職務と乖離するものではなく、まさしくそれに沿うものであった」洗練された趣味をもつドイツ人が列車で到着したユダヤ人の中からガス室に直行すべき者を選別しえたという、西欧的教養、全人的教養を否定する事態の出来を本書は暗示する。かかる事実を説明する一つの手段がハンナ・アレントのいう「悪の凡庸さ」であろうか。官僚性に組み込まれた悪がいかに仮借なく増幅するか。おそらくマックス・ウエーバーまで遡及可能なかかるテーマは本書の隠された主題である。一方で音楽は収容者にとってサヴァイヴするための手段でもありえた。アウシュヴィツ内の収容所の一つ、ビルケナウには四つのオーケストラ風のアンサンブルが存在したが、その一つである女子管弦楽団の楽員たちの待遇は、音楽家の華やかな家系に属し(伯父がグスタフー・マーラーであった)自身もヨーロッパ有数のヴァイオリン奏者であったアルマ・ロゼという女性が指揮者となったことで劇的に改善され、十分な休養や食料が与えられることとなったという。多くの収容者に苛酷な労働が課せられる一方で、労働部隊の出発と帰還の際に楽曲を演奏し、ほかの時間は演奏の練習をしていたという楽員たちの活動はなんともグロテスクに感じられるが、収容所においては演奏や歌唱、さらに写譜といった音楽に関する能力、収容者たちの文化資本は端的に生き延びるための手段に転じていたのである。
 アウシュビッツでは親衛隊の将校たちを相手にしばしばコンサートが開かれた。基本的に収容者たちは参加することができなかったが、何らかの理由でそこに立ち会うことができた収容者たちは音楽に涙を流して聴き入ったという、地獄のような収容所において音楽は彼らにとって避難所であり、おそらくは別の世界で家に家族といる姿を思い描きながら音楽を聴いたのであろうと著者は述べる。しかし一方で同じ音楽を聴く将校や看守たちは何のためらいもなく収容者に暴行を加え、ガス室へと送ったのである。ホロコーストでは音楽の全能と無力が交錯する。今や明らかであろう。ホロコーストとは音楽にとっても決して癒やされることのないトラウマであったのだ。

by gravity97 | 2013-01-25 22:22 | ノンフィクション | Comments(0)

布施祐仁『ルポ イチエフ』

b0138838_21154787.jpg 以前、このブログで堀江邦夫の『原発労働記』について論じたことがある。原子力発電所で日常的に繰り返される下請け労働者の被曝に関するルポルタージュであった。通常の運転を続けている原子力発電所でさえ、あれほどの過酷な労働状況であったから、レヴェル7という史上最悪の事故を起こした原子力発電所の「収束作業」はいかに進められているのか。本書は事故直後から現地に入り、「収束作業」の実情を作業員たちの目線で記録した報告である。「イチエフ」とは事故を起こした福島第一原子力発電所に対する作業員たちの呼称だ。最初に東日本大震災直後、死を覚悟して進められた事故対応の生々しい情景が記され、続いて第二章で作業現場から休憩所、宿舎にいたる作業員たちの生活全般に目を配りながら事故から4ヶ月後の時点における「収束作業」の現実が記述される。ある意味で現在の日本をかろうじて支えている労働者たちを取り巻く環境のあまりの劣悪さには息を呑む思いだ。第三章と第四章ではこのような環境を作り出す構造的な要因が明らかにされる。すなわち多重下請けによる中間搾取、ピンハネの問題、そして東京電力を頂点としてピラミッド状に広がる労働者間のヒエラルキー構造の問題である。さらに最終章では実際に作業中に亡くなった労働者をめぐる補償の問題が扱われる。
 プロローグの最後に次のような注記がある。「なお、原発作業員の大半は日給制の月払いの非正規雇用であり、非常に不安定な弱い立場にある。私の取材を受けたことで、彼らが失職したり、仕事上の不都合を受けたりすることのないよう、とくに断りのない場合以外は原則としてすべて仮名としている」福島第一原子力発電所の「収束作業」の歪みは既にこの注記の中に明らかだ。作業員はこの作業に関して実名で真実を語ることができないのである。それにしても文字通り自分たちの命を削って、汚染された原子力発電所の解体という前例のない作業に取り組む人々に対してもう少しまともな待遇ができないのだろうか。本文中に自分たちの衣服や作業着を洗うために数少ないコインランドリーの前で長時間待たされる作業員たちの姿が描かれているが、筆者も述べるとおり、作業員の数や負担を考慮するならば、無料で使用可能な大規模なランドリー施設くらいすぐにも設置可能であるように思われるのだが。あるいは多くの外資系企業で取り入れられている無料の社員食堂のようなシステムがあってもよいのではないか。おそらくここには原子力発電特有の、作業員を使い捨てと考え、人を人と見ない非人間的な論理が働いている。
 今日ではブログやツイッターというメディアが存在するから私たちは、作業に従事する人たちの声を直接に知ることができる。あるいは先日も線量計を遮蔽するように下請け作業員たちに指示したという事例がスクープされていたように、新聞や雑誌の記事をとおして「収束作業」の進行についておおよその知識を得ることもできる。この「事故」が現在も「収束」から程遠い、つまり今なお崩壊した原子炉からは放射性物質が撒き散らされていることを含めて、私たちは廃炉の目処さえ立っていない困難な事業の全貌を漠然と知っているし、このルポを読んでも関係者による秘密の暴露のごとき新たな知見は得られない。それは現地で進められている作業が、比較を絶するほど困難とはいえ、これまでも何十年も続けられてきた原子力発電所のメンテナンスという不正義の延長に過ぎないからかもしれない。下請けと被曝の闇はこれまでとなんら変わることはないし、本書の中で幾度となく繰り返される「使い捨て」という言葉も『原発労働記』の中で何度繰り返されただろうか。その一方で、本書を読んであらためて思い至ったことも多い。例えば以前より私は通常のメンテナンスに比べて圧倒的な線量を「食う」、事故処理の作業員たちをどこからリクルートするのか疑問に思っていたが、本書を読んでこの謎は氷解した。つまり平時にあっても点検等のメンテナンスのために大量の作業員が各地の原子力発電所で働いていた。今、ほとんどの原子力発電所が稼働していない状況で、それらの人は職を失っている。原子力発電所での勤務の経験をもつ彼らは事故処理にあたっても有能で手っ取り早い代替要員なのである。彼らは平時にあっても戦時にあっても「使い捨て」だ。作業員たちの宿舎の前に停められた車のナンバーが青森、長岡、福井、島根といった原子力発電所の立地地域のそれであるという一見何気ない指摘からはこのような背景がうかがえるとともに、基幹産業をもたない「地方」が原子力発電所という非人間的なシステムに既に絡め取られていることを暗示している。それにしても今後数十年単位と予想される廃炉に向けて十分な人員が集められるとは思えない。このため、現場での線量管理がきわめて杜撰になっていることについても本書の中で詳しい言及がある。複雑な下請け関係によって責任の所在が明確とならず、特に経験の浅い作業員は線量管理のための規則を守らない。そもそも1シーベルト以上の放射線をはらんだ瓦礫、殺人スポットが不規則に点在するような敷地での作業は果たして労働管理という点で許されるのであろうか。しかし目に見えることなく、被害がすぐに発現することもない「低」線量被爆のリスクは事業者の責任をも不可視化する。規定の線量を被曝した東京電力の社員や作業員は被曝線量の少ない部署へと交代する。このような交代が円滑に進んでいるかは大いに疑問であるが、事故現場の高い線量のため、作業員たちはごく短い時間しか作業に従事できない。通常の原子力発電所のメンテナンスに関しても同様であるが、私は労働とは正当な対価によって贖われるべきだと信じる。原子力発電所内の作業が危険であることはいうまでもないが、この危険性ゆえに作業員たちはごく短い時間の作業であるにもかかわらず異常に高額の賃金を得る。むろんそれはピンハネされた命の対価であるが、このようにして得た文字通りあぶく銭のような報酬を多くの作業員は「ストレス発散で全部使っちゃいましたね」と言う。「労働時間が短いので仕事は楽でした。でもあそこで働いても、あとには何も残らないですね。その時のお金だけで、何か技術が身につくわけでもないし、将来病気になっても何か保証があるわけじゃないですからね」。『原発労働記』の中でも触れられていた退廃、命を削る労働の対価がパチンコや飲酒にひたすら浪費されていく現実は福島でも正確に再現されている。今引いた言葉の最後に触れられているとおり、今後、きわめて高い確率で作業員そしておそらくは近隣の住民にも放射能による健康被害が発生するだろう。しかし東京電力そして国家がその事実を死に物狂いで隠蔽しようとすることは火を見るよりも明らかだ。
 このルポの中で私が興味深く読んだのは、作業員たちの宿舎がある湯本という温泉地が歴史的に炭鉱と深い関係にあり、かねてから首都圏へのエネルギーの供給地であったという指摘、そして炭鉱労働と原子力発電所での労働の比較である。常盤炭鉱には「一山一家」という伝統があり、炭鉱労働者間には濃密な人間関係があった。今、「収束作業」にあたる作業員たちも多くが地元出身であり、彼らがあえて危険な作業に従事する理由は故郷を守りたいという強い意識にあるだろう。実際にイチエフでの作業に強い「絆」を感じたとインタビューで語る作業員も存在する。普通の現場ではバラバラに仕事をする作業員たちが、イチエフでは早く作業を終えるために協力している。自分たちは危険手当のためではなく、ここに早く住民が戻れるように作業を続けているのだと彼らは自負を語る。しかし一方で原子力発電所の作業とは「絆とは真逆」と語る労働者たちもいる。両者の違いは何か。布施は端的に危険手当の支払いの有無、つまり原発労働ヒエラルキーの位階の違いであると述べる。身も蓋もない指摘であるが、本書のなかで繰り返して示される労働者間の差別構造を考慮する時、正確な指摘であろう。かつて炭鉱が閉山した後も、炭鉱会社は社員たちの再就職先の確保を優先し(その一つが「フラガール」で知られた常盤ハワイアンセンターだ)、「一山一家」の気風を示したのに対して、彼らの再就職先の一つとなった原子力発電所は複雑な下請け構造によって労働者を分断し、労働者の協同を不可能にした。いうまでもない、それは非正規雇用の拡大によって労働者の連帯と権利意識を奪い、「自己責任」(この言葉が作業現場でしばしば使用されることについても本書中に言及がある)の名のもとに労働者の当然の権利であるセーフティーネットを破壊した「小泉改革」以来の日本社会の縮図であり、息苦しい今日の日本の原型である。
 エピローグで布施は「官邸前デモ」に対する作業員たちの違和感を記し、両者の距離について語る。この指摘は重い。人が人として遇された社会が破壊され、原子炉が崩壊した後も私たちはその「収束作業」を、人と人とが分断される非人間的なシステムに依存しながら進めている。しかし人々はこのような分断を断ち切るためにこそやむにやまれず官邸前に集ったのではないか。私は命を削って作業を続ける不可視の原発労働者と子供たちの世代を思ってシュプレヒコールをあげる可視化されたデモの参加者とをつなぐ回路を一刻も早く構築することが必要だと感じる。この問題に関しては誰もが当事者であるのだから。  
 奇しくも今日、疑いなく原子力発電所の再稼働を目指す勢力が総理官邸に入った。果たして私たちはこの国が、そして私たちの人間性が滅ぶ前に、これらの原子炉を廃炉とすることができるだろうか。

by gravity97 | 2012-12-26 21:20 | ノンフィクション | Comments(0)

安田浩一『ネットと愛国』

b0138838_20523299.jpg 「在特会」という団体がある。正式名称は「在日特権を許さない市民の会」という。名の通り、「在日コリアン」(在特会は韓国系と朝鮮系を区別しないのでひとまずこの言葉を用いる)の特権を剥奪することを求める「右派系市民団体」であり、街頭で派手な挑発活動を繰り広げることで知られている。冒頭で日本有数の在日コリアンタウンとして知られる大阪、鶴橋における街宣活動の模様が語られる。日の丸を掲げてトラメガ(拡声器)を携えた一群の男女が街頭で街宣活動を始める。特定の弾劾の対象がある訳ではない。いわばコリアンタウン全体を相手に、聞くに耐えない差別用語や蔑称を用いて在日コリアンの存在を否定するヘイト・スピーチを繰り返す。会費を伴わない「メール会員」が大部分を占めるにせよ、この団体は今や1万人以上の会員を擁し、右翼系の団体の中でも最大級の勢力を誇る。彼らの活動を体当たりで取材し、記録したノンフィクションが本書である。
 この団体の異様さは冒頭の情景からも明らかだ。まず不特定多数に向けられた極端に攻撃的な挑発(「ハネる」というらしい)、そしてそれを行うのがいわゆる「右翼」然とした構成員ではなく、スーツ姿の会社員やOLといった「どこにでもいるような人々」であることだ。インターネットという補助線を引けば、これらの理由を推測することは可能だ。著者の安田によれば、このような街宣はそれ自体を目的とするというよりも、その模様を動画としてインターネット上にアップロードするために実施される。こういった動画に惹かれて街宣活動に繰り出すのが職業右翼ではなく、彼らのアジテーションに共感した「どこにでもいるような人々」であるという訳だ。人が人に憎悪をぶつける映像を見ても不愉快に感じるだけであろうし、彼らを間接的にも応援するつもりはないから、私は今までそのようなサイトにアクセスしたことはない。しかし在日コリアンに対して憎悪を増幅する回路がインターネットという前提を介して成立したことはたやすく理解できる。
 この会のリーダーは桜井誠という。サスペンダーに蝶ネクタイという奇妙な出で立ちで街宣の先頭に立つ写真が掲載されているが、外見のみならず演説や存在感においても確かにカリスマ的な人物であるらしい。2007年に500名の会員によって設立された在特会は派手な行動とそれをインターネットで公開する独特の手法によって急成長し、今述べた通り、4年間で1万人という規模に膨れ上がる。動画サイトにアップされた桜井の画像には時に数万回というアクセスがあったという。この過程で在特会は次々に派手なパフォーマンスを繰り広げる。不法滞在のため娘を残して両親のみがフィリピンに強制送還を迫られ、入国管理局の非人道的な姿勢が批判された事件に対して、在特会は2009年4月に当局の処置を擁護する「カルデロン一家追放デモ」を行い、当事者の娘がいる中学校の前で一家追放のシュプレヒコールを上げた。インターネットの掲示板にはこのような処分を当然とみなす書き込みが大半を占めたという。同じ年の12月、在特会は京都市にある京都朝鮮第一初級学校に対して激烈なデモを敢行する。この学校には運動場がないため、隣接する児童公園を朝礼や運動会で使用したことが「不法占拠」にあたるとして授業中の学校の前で在日コリアンを追放せよと街宣を繰り返したのだ。あるいは2010年4月には募金を朝鮮学校に送ったとして、徳島県教職員組合の前で街宣行為を行い、最後には事務所内に乱入する騒ぎを引き起こした。後の二つの事件はそれぞれ「京都事件」「徳島事件」と呼ばれ、逮捕者を出すにいたった。これに対して在特会は時に記者会見を開いて自らの正当性を主張した。
 本書ではリーダー桜井の閲歴をはじめ、在特会の活動が丹念に検証される。独特の主張とスタイル、それに伴う運動の高まり、最初は新しい形の保守運動として注目された彼らがあまりのエキセントリックさに旧来の右派陣営から次第に疎んじられる経緯も多くの関係者へのインタビューから浮かび上がる。私が読んだ限りでも在特会の主張には独善的な内容が多いように感じられる。彼らがいう在日コリアンの「特権」、すなわち永住権、通名の使用、生活保護の受給、税制での優遇措置が果たして「特権」と呼ぶに値するかについて今は措く。また桜井をはじめ、個々の会員たちの主張の当否についてコメントすることも控えよう。私自身はいずれも愚劣な主張だと考えるが、たとえ「愚劣」であろうとも自らの信念を主張する自由は誰にでもある。あるいは街宣後の打ち上げで入った居酒屋の中国人店員に南京大虐殺の有無を問い、挙句の果てには店長を吊るし上げ、その顛末を得意げに自分たちのブログに書き込むという振る舞いについても当事者が責任をもてばよい。本書の中に在特会から攻撃された朝鮮学校のOBが彼らの印象を聞かれて「あの人たちだって、楽しくてしかたがないって人生を送っているわけじゃないんやろ。そりゃあ腹も立つけど、なんだか痛々しくて、少なくとも幸せそうには見えないなあ」と述懐する記述がある。この集団に対する私の感想もそれに近い。
むしろ私が関心をもったのは在特会の背後、つまりかかる驕慢な行為を繰り返す彼らの背後にそれを承認する一定の数の人々が存在することである。安田がこのドキュメントの中で繰り返し指摘するのは、街宣活動の場ではここに書き写すこともためらわれるような下品で差別的な言辞で在日コリアンを罵る会員たちが一対一で面談するならば、ごく普通の常識をもった若者であり、家庭人であり、会社員であることだ。街宣車で押しかけるいわゆる強面の「右翼」とは全く異なった人々が活動の主体を務めることと、彼らの活動がインターネットにおいて一定の支持を集めていることはおそらく深い関係がある。私の考えでは、桜井たちの主張や行動は一種の触媒であり、これまで同質性とゆるやかな連帯によって結びついてきた日本の社会(このような社会が望ましいかどうかは別の問題である)を根底から変化させた。在特会の登場は一つの兆候であろう。今、日本には一種の無力感と閉塞感が瀰漫している。それはバブル崩壊後の時代の空気であったが、大震災と原子力災害以後、それはもはや耐え難い絶望感にいたっている。このような状況において排外主義が台頭することを私たちは歴史から学んだ。原子力発電をめぐる迷走から理解されるとおり、まともな政治の存在しない国で弱者を叩いて喝采を浴びる小ヒットラーが跋扈し始めたというのが今日の私たちをめぐる状況ではないか。いつの頃からだろう、この国は弱者への寛容を失ってしまった。遠くはイラクで人質になった日本人ボランティアたちへの常軌を逸したバッシング、近くは不正受給を受けていた生活保護世帯に対する国会議員たちの鬼の首でもとったかのような攻撃。そこに共通するのは、批判する側が「三分の理」をもつことであり、批判される側が弱者である点だ。この点は在特会の活動と一致している。彼らの活動も彼らなりの大義名分を有しており、本音としてのコリアン憎し中国人憎しといったむき出しのレイシズムをかろうじて糊塗している。そして「京都事件」の発端が示す通り、インターネットの匿名性は漠然としたレイシズムを共有する不特定多数の人々をたやすく媒介する。朝鮮学校が児童公園を「不法占拠」しているという一本のメールからかくも激しい攻撃が引き起こされたのであり、不寛容な社会と通報装置、密告装置としてのインターネットはよく親和しているのだ。既にこのブログでも論じたとおり、一方で東浩紀はインターネットに民主主義の未来を見出し、グーグルの技術者たちは理想の未来社会を投影する。しかし私はそこに底知れぬ悪意の広がり、ネガティヴな社会的無意識の反映を認める。安田が報告するとおり、ごく普通の人々が街頭で弱者を罵倒することをためらわない異常な心理とは現実の社会を前にした無力感と仮想現実の中での全能感のギャップとして理解することができないだろうか。
 本書の中では在特会の街宣活動の情景がしばしば描かれる。例えば2011年8月14日の「フジテレビ抗議街宣」に集ったのはベビーカーに子供を乗せた母親や子供を連れた夫婦、カップルや会社員といった人々だったという。彼らは思い思いのプラカードを持参し、シュプレヒコールを上げ、デモの終点では「おつかれ」と互いを労い、感涙する女性もいたという。このような光景を私たちは最近どこかで見かけなかったか。いうまでもなく毎週金曜日に首相官邸前で繰り広げられている反原発集会である。もちろん私は両者を同一視するつもりはないし、実際、在特会は反原発集会にカウンターデモを仕掛けて、参加者に罵声を浴びせているらしい。しかしながら私は両者のメンタリティーがきわめて近い点に興味をもつ。ごく普通の人々が散歩にも出かけるかのように気軽に参加し、しかも警察の誘導に率先して従い、一つの儀式のように示威行為を繰り返す。私は単純にこれら二つをインターネットの光と闇とはとらえない。そもそもインターネットは単なる技術にすぎない。いや、そうだろうか。単なる技術にすぎないインターネットはそれを使用する人々の内面にも影響を与えるのではないか。本書の「ネットと愛国」というタイトルは暗示的である。在特会と反原発集会という正反対でありながらともに私たちがかつて経験したことのない二つの運動は単に組織や動員の方法といったレヴェルではなく、インターネットという全く新しいソーシャル・メディアによって可視化された集合的無意識の表象ではないか。メディアと私たちの集合的無意識の関係についてはこれまでフリードリヒ・キットラーやジョナサン・クレーリーが説得的な議論を提起してきた。東浩紀の『一般意志2.0』もこの問題に関する優れた分析であったが、インターネットと集合的無意識の関係については今後さらに多様な側面から検証されるべき問題であろう。それによって安田のいう「在特会の『闇』」にも新たな光を当てることができるのではなかろうか。

by gravity97 | 2012-10-04 20:54 | ノンフィクション | Comments(0)

キャサリン・メリデール『イワンの戦争』

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 第二次大戦における独ソ戦、スターリン治下の赤軍の実態についてはかねてより関心をもっていた。以前通読したソルジェニーツィンの『収容所群島』の中に大戦中ドイツの捕虜となった多くの兵士がスターリンによって収容所に送られたという記述があったためだ。祖国のために従軍した兵士たちが暖かく迎えられるならばともかく、収容所に送られたという事実は一体に何を意味しているのか。あるいはメイエルホリドをはじめ、多くの作家や文学者がスターリンの粛清の犠牲となったことはよく知られている。ナチス・ドイツの統治下においても退廃芸術展をはじめとする前衛芸術への弾圧が徹底された。かくのごとき相似性を帯びながら体制としては正反対のファシズムとスターリニズムが激突する時、戦争はいかなるかたちをとったか。しかしこれらの問いに直接答える作品や文献を私はあまり知らない。亀山郁夫の『大審問官スターリン』は力作であったが、文化的なバイアスが強いため時代の全体像は見定め難い。高校の頃に読んだショーロホフの『静かなドン』も中央ロシアを舞台としていたが、スターリンが愛読したという逸話が示すとおり、そこに描かれるのは革命期の動乱、独ソ戦の前史であり、まだ戦闘が機械化されていなかった時代の物語だ。
 著者のキャサリン・メリデールはイギリスの歴史家。ロンドン大学の現代史の教授を務め、本書の原著は2005年に刊行されている。巻末に膨大な参考文献が掲げられているが、それ以上にロシア各地の公文書館に保存された文書、そして実際に戦地に赴いた生き残りの兵士たちの証言に基づいて執筆されたことは一読すれば明らかだ。「イワンの戦争」のイワンとは旧ソビエトにおいて最もポピュラーな名前の一つで、転じて赤軍兵士一般の呼称である。アメリカ人をアンクル・サム、イギリス人をジョン・ブルと呼ぶことと同様であり、ちなみにイワンたちが戦ったドイツ軍兵士はフリッツと呼ばれた。このタイトルからも公文書の歴史からは読み取れない、個々の兵士たちの発言や記憶を重視する著者の姿勢がうかがえる。
 最初に歴史的事実を整理しておこう。内容的にはもちろんロシア革命まで遡ることができようが、具体的な事件として本書は1939年のフィンランド侵攻のあたりから説き起こされている。赤軍は当初甚大な被害を受けながらも、最終的には人員と兵器の物量によって勝利し、領土の一部の割譲に与る。同じ年、ドイツはポーランドに侵攻し、中欧とバルト諸国は西からドイツ軍、東から赤軍の脅威にさらされることとなった。しかしこの年の8月に調印された独ソ不可侵条約によって当面、両者の間には均衡が保たれるはずであった。翌年、ドイツはベネルクスへと侵攻し、ソビエトはバルト三国を占領する。そして1941年6月22日、ナチス・ドイツは不可侵条約を破棄してソビエトに侵攻し、泥沼のような独ソ戦が幕をあけた。攻撃を予想していなかった赤軍に対してドイツ軍は最初怒濤のごとく進撃し、モスクワ近郊まで占領を広げた。要衝の地、クリミア半島をめぐっても激しい攻防が繰り広げられ、ドイツ軍はじりじりと勢力を広げた。国家の危機に対してスターリンは1942年7月30日、「一歩も退くな」という簡潔な内容の命令第227号を発令する。実際に息もたえだえであった赤軍にとってこの過酷な指令はカンフル剤となった。この年から翌年にかけてのスターリングラード攻防戦を契機に赤軍は次第に勢力を回復し、占領地を奪回していく。1944年の中盤までに赤軍は一度ドイツ軍の手に落ちたレニングラード、キエフそしてクリミア半島を解放し、さらにルーマニア、ポーランドなどを占領したうえで1945年4月にはベルリンに突入し、翌月、ヒトラーをはじめとする第三帝国の首脳たちの自殺によってヨーロッパ戦線は終結した。さらに付け加えるならば、8月には極東においても日本に対して日ソ中立条約を破棄して満州へ侵攻し、シベリア抑留から北方領土問題にいたる多くの問題の遠因を作りだした。
 教科書的な歴史を記述するならば上のとおりであるが、本書はこのような公的な歴史から読み取ることができない多くの闇に光をあてる。冒頭で著者は「イワンの戦争」が歴史的にみても異様なそれであったことを統計的な数字によって示す。メリデールによればソビエトはこの戦争で多くの市民を含む2700万人もの犠牲者を出したという。このうち800万人が赤軍の兵士であった。第二次大戦の同じ連合国中、イギリス軍とアメリカ軍の戦死者が合わせても50万人程度であったのに対して著しい不均衡が認められる。つまり大戦における連合国の勝利は端的にソビエトの人民と兵士の圧倒的な犠牲の上に築かれたのであり、この点は大戦後、ソビエトが連合国中でも強い発言権を有した理由でもある。なぜかくも大きな犠牲が払われたか。メリデールは独ソ戦が通商や領土をめぐる争いではなかったと説く。彼女によればそれはナチズムとスターリニズム、イデオロギーをかけた闘争であり、相手の全存在を消し去ることを目的とした殲滅戦であった。冒頭で一人の兵士の言葉が引かれる。彼によれば赤軍とは「招集し、訓練し、そして殺す」ことを目的とした「肉挽き機」であった。ほんの一例を挙げるならば、赤軍が訓練した40万3千人の戦車兵のうち、実に31万人が燃料と砲弾の誘爆によって、炸裂し沸騰する車内で個人の判別ができないまでに焼かれたという。私は何よりもまず死者の数、むごたらしい死に圧倒されてしまう。これほどの数の死者を想像することは難しい。しかし数字は多くの場合、戦争の実態を隠す。メリデールはこれらの「客観的」事実を示すとともに、イワンたちの個々の体験を個別に克明に追うことによってこの前代未聞の殲滅戦の実態に迫る。
 長大な研究であるが、編年的な構成で語られるため、事実を追うことは比較的たやすい。イワンたちがいかに招集され、統制され、戦争の中でいかに変質していったかが歴史的経緯とともに語られる。直ちに明らかとなるのは農民の中から徴集された赤軍の兵士たちの大半が最初ほとんど軍隊に対する帰属意識をもたず、職業軍人からかけ離れた存在であったことである。このため国家は軍人を主人公に据えた叙事詩や映画を用いて「英雄的兵士」の姿を鼓吹し、彼らに兵士としてのアイデンティティーを与えようとした。一方でロシア革命の結果、共産主義化された社会は必ずしも人民、とりわけ農民に好意的に受け取られていなかった。猜疑心の強いスターリンによって統制された社会は密告と粛正が日常化し、NKVD、内務人民委員部と呼ばれる秘密警察が絶対的な権力を握っていた。このような統制は赤軍の内部にも浸透し、ポリトルクと呼ばれる兵士教育の中核であり、一種の思想警察とも呼ぶべき多くの政治将校が存在したという。帰属意識も使命感もない多くの兵士たちと兵士たちの統制に目を光らせる将校たち。両者の関係が良好であるはずはない。共産党はクラークと呼ばれる富農たちから農地を取り上げ、農業を集団化したが、この政策は多くの農民たちから反感によって迎えられた。兵士たちの士気は低く、戦地において脱走や投降が続出した。NKVDは彼らに対して、退く者を背後から射殺する「封殺部隊」なる兵士たちを投入し、恐怖によって制圧しようとした。先に述べたスターリンの命令第227号もこのような文脈で理解されるべきであろう。独ソ戦は殲滅線であったから、ドイツ軍は赤軍のみならず投降した兵士たち、一般市民に対しても暴虐の限りを尽くした。おそらくこれらの蛮行を見聞きしたことが、ドイツ軍への憎しみゆえにイワンたちを団結させ、反攻の動機となったのであろうが、それにしても外部と内部、前と後ろに敵を抱えて戦争を遂行するイワンたちが負ったプレッシャーは想像に余りある。今日、戦地で残虐行為を行い、あるいは見聞した兵士たちが帰還後、PTSDと呼ばれる神経症に悩まされることが知られている。ベトナム戦争あたりからクローズアップされた症例であるが、メリデールは聞き取りをとおして独ソ戦に参加した兵士たちの多くにPTSDが認められることを指摘し、いかに苛酷な戦争であったかをあらためて検証する。
 ナチズムとスターリニズムが同じ一枚の写真のポジとネガであるとするならば、そこにはいずれも絶滅収容所という人類史の暗部が写りこんでいた。潰走するドイツ軍を追撃する過程で(アウシュヴィッツに先立ち)赤軍はマイダネクという収容所を解放し、兵士たちはそれが何万人ものユダヤ人を効率的に虐殺する目的で建設された死の工場であったことを知る。ナチス・ドイツによる圧倒的な残虐行為の痕跡に触れたことが、赤軍の兵士たちに精神分析でいう一種の転移として作用したと考えられるかもしれない。「死体からの略奪」と題された第9章においてはマイダネクで人間性の破壊に遭遇した赤軍の兵士たちがハンガリーから東プロイセンを占領する過程で無関係の市民に対して殺人や暴行、そして無数のレイプを繰り返す身の毛のよだつような描写が続く。ドイツ軍にも赤軍にももはや正義はない。それは戦争の一面かもしれないが、その中心に絶滅収容所があったことは暗示的である。
終戦時、多くの赤軍兵士がドイツ軍の捕虜となっていた。ドイツ軍は彼らを奴隷以下の存在として虐待したが、戦後も彼らは解放されることなく、NKVDの厳しい審査を待たねばならなかった。メリデールによれば1945年にスターリンが署名した命令により、中欧の一万人規模の収容の力をもつ70を越える収容所が設立され、その目的は捕虜となっていた赤軍兵士を「フィルターに通して」スパイを発見し、「祖国に対する裏切り者」に罰を課すことであったという。スターリンはこのための設備やノウハウを得るためにさほど苦労はしなかったはずだ。なぜならこの地域には既にユダヤ人を収容してその絶滅をはかった多くの収容所があり、管理者を失ったこれらの施設をソビエトの兵士のための選別の場所に転用することは容易だったからである。収容所を支配し、帰還兵に対して敵意を剥き出しにした監督たちがかつて農地から追われたクラークと呼ばれる富農たちであったという指摘は多くの問題を暗示する。50年代に入ってこれらの地域が共産圏の衛星国として独立するにつれて、同じ施設をソビエトの国内に建設しようという発想が生まれたことは必然の帰結であった。かかる力学の中でベーリング海峡からボスボラス海峡におよぶ無数のグラーグ、収容所群島が成立する。
 冒頭に二つの問いを立てた。本書を読んで、これらの問いのいくぶんかは氷解した。ソビエト共産主義体制の中核にあった密告と相互監視、恐怖と猜疑による支配は社会のみならず赤軍という軍隊そのものを蝕んでいた。赤軍そのものが密告と監視によってようやくその結束を保持されており、兵士たちさえも信用されてはいなかった。そしてスターリンにとっては元捕虜に対する苛酷な扱いは国民に対する一種の見せしめとしての効果があっただろう。メリデールは次のように記す。「戦争はソ連の家族や人間同士のつながりを寸断した。さらに、相手をいたわり、助け合う気持ちや、簡単な礼儀作法まで損なってしまった。地域社会では亀裂が深まり、互いに蔑むような視線を向け合った。囚人、元兵士、民間人は生まれた時から世界が違う人間同士のようだ」このような非人間的な状況が共産主義と必然的に結びつくか否かは判断が難しい。しかし例えば旧東ドイツにおける密告と監視、あるいはポル・ポト治下のカンボジア、北朝鮮の金王朝に設置された無数の収容所を想起するならば、かかる地獄は旧共産圏に時代を問わず存在したことが理解される。その一方でナチズムのようにあからさまな優生思想をまとうことはなくとも、西側にそのカウンターパートが存在したことも明らかだ。独裁政権下の韓国、あるいは軍事政権下の南アメリカやアフリカにおける圧政と秘密警察の系譜を想起するがよかろう。この意味でもスターリニズムとナチズムは合わせ鏡のように20世紀を貫通しているのだ。
 このたび私がこの浩瀚な研究を手に取ったことにはもう一つの理由がある。私は近く、最近翻訳の刊行が完結した、ある長大な小説を読み始めるつもりだ。おそらく今年の私の読書体験のクライマックスとなるこの小説を読み進むうえでは、『イワンの戦争』で論じられた時代背景を理解しておくことが必要不可欠と考えたからだ。これほどの民族の苦難が文学によって総括されないはずはない。しばらく先になろうが、このブログでもその小説について論じることとなるだろう。

by gravity97 | 2012-06-21 20:43 | ノンフィクション | Comments(1)

大鹿靖明『メルトダウン』  朝日新聞特別報道部編『プロメテウスの罠』

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 東日本大震災と原子力災害から一年が経過しようとしている。被災地の復興はまだ道遠く、福島第一原子力発電所の事故にいたっては収束の目途さえついていない状況である。それにしてもなんという国であろうか。原子力災害によってかくも多くの流亡の民が発生し、国中に内部被曝への不安が渦巻いているのに、誰一人責任をとった者はいないのだ。数日前の毎日新聞にアイリーン・美緒子・スミスへのインタビュー記事と彼女が作成した「水俣病と原発事故に共通する国、県、御用学者、企業の10の手口」という表が掲載されていた。さすがにユージン・スミスのパートナーである。あらためて書き留めておく価値のある指摘だ。列挙してみよう。「誰も責任をとらない・縦割り組織を利用する/被害者や世論を混乱させ、賛否両論にもちこむ/被害者同士を対立させる/データをとらない・証拠を残さない/ひたすら時間稼ぎをする/被害を過小評価するような調査をする/被害者を疲弊させ、あきらめさせる/認定制度を作り、被害者数を絞り込む/海外に情報を発信しない/御用学者を呼び、国際会議を開く」事故後そしておそらくこれからの政府や県、東京電力の対応がみごとに整理されている。
 一年が経過してようやく原子力発電所の事故の実相を検証したいくつかのドキュメントが発表され始めた。事故から一年ということもあり、このところそれらのドキュメントや今後の事故の帰趨に関連する本を読み継いでいる。読後感を一言で述べるならば怒りと暗澹たる思いがない交ぜとなった感情だ。この国はもう駄目ではないか。
 『メルトダウン』は福島第一原子力発電所の原子炉のメルトダウン以後、対応をめぐっていかなる迷走が繰り広げられたかを100人以上の関係者への聞き取りによって明らかにした記録である。大鹿靖明という著者の名には覚えがあった。堀江貴文とライブドアの虚飾にまみれた実態を解明した『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』というノンフィクションの著者であり、かつて読んだ際に未知の書き手の調査力と分析力に感心した記憶がある。朝日新聞に今も連載中の『プロメテウスの罠』も連載開始以来、興味深く読んできたが、このたび連載の最初の部分が単行本化された。いずれも何が起きたかを客観的に調査し、記録し、分析するというジャーナリズムの基本に徹した調査報道の力作である。原子力災害直後は政府と東京電力のでたらめな発表に振り回されてまともに機能しなかったジャーナリズムがようやく汚名挽回とばかりに真剣な検証作業を始めた印象がある。
『メルトダウン』は「悪夢の一週間」、「覇者の救済」、「電力闘争」の三部によって構成されており、「悪夢の一週間」では事故直後の関係者の混乱と迷走、無能と無責任が明らかにされる。とりわけ東京電力と原子力安全・保安院の他人事のような対応には呆れかえる。「覇者の救済」においては事故後の対応として東京電力の救済スキームをめぐり、大手銀行、経済産業省、財務省の暗闘が描かれる、いずれの当事者も被害者そっちのけで自らの権益と資金を守ることに汲々とする醜悪なふるまいが赤裸々に描かれる。「電力闘争」では事故を受けて原子力発電からの撤退に舵を切ろうとした管直人が電力会社、経済産業省、大手メディアによって首相の座から引きずり下ろされる経緯が関係者の証言を通して浮き彫りになる。このうち、「悪夢の一週間」で描かれる事件は新聞報道等で多少は知っていたが、大鹿は関係者の取材で当時の状況をさらに踏み込んで検証している。例えば原子炉内の圧力を減らすためのベントという作業が行われないことに業を煮やした官邸側が東京電力から派遣された武黒というフェローに発電所の所長と電話を替わるように命じたところ、武黒は発電所の電話番号を尋ねたという。つまり武黒は現場ではなく、本社と長々と電話を繰り返していたのだ。あるいは比較的知られた事実であるが、一号機が爆発した映像を見て、問い質された原子力安全委員会委員長の斑目は「アチャー」という顔をしてうずくまってしまったという。(『プロメテウスの罠』にも同じ記述がある)最近発表された民間事故調査委員会の報告で当時、管が事故の処理にあたってきわめて細かいことまで問い質したことに対して、一国の首相がこんなことまで口を出すのかと関係者が「ぞっとした」という証言があった。例によって読売新聞は管の指示が現場を萎縮させたといった意図的にミスリードした記事を書いていたが、実際は首相自らが問い質さねば東京電力も原子力安全・保安院もなんら対策を提示できないという状況に「ぞっとした」というのが真実である。これほどの事故を起こしながら、東京電力の厚顔さは目に余る。「覇者の救済」では子飼いの政治家や官僚を用いて、「異常に巨大な天災地変」という免責事項を盾に会社を守ろうと策動していたことが明らかにされる。そもそも震災が発生した時、社長の清水は夫人同伴で奈良観光、会長の勝俣は大手マスコミ関係者をアゴ足付きで引き連れて中国旅行の真最中だったのである(電力会社の日頃からのマスコミ懐柔とジャーナリズムの及び腰の原因はこの一事からも明らかだ)最終的には政府によって拒否されたとはいえ、勝俣は財務省と経済産業省の人脈を用いて免責による企業防衛を画策する。一方、社長の清水は早々と入院して姿を消すが、入院中の4月4日、つまり福島の人々が逃げまどっている最中に赤坂の高層マンションの居室購入ローン残債を一括繰り上げ返済している。大鹿によれば病室に担当者を呼ぶのではなくパソコンを介して手続きした理由は手数料がより安いためであったという。「電力闘争」では東京電力と経済産業省の官僚が陰湿な手段を用いて首相の管直人の追い落としを図る。明らかに初動において管の側にも問題はあったが、おそらくかかる策謀の最大の理由は管が浜岡原発の停止を命じたことにある。管のスタンドプレーによって経済産業省大臣の海江田との間にできた溝を巧妙に利用し、また管の意向で海水注入が停止されたという(結果的には誤報であった)情報を内部の何者かが読売新聞に流し、大きく書き立てることによって管下ろしのキャンペーンは一挙に高まった。読売新聞社主であった正力松太郎が日本の「原発の父」と呼ばれる存在であったことを知れば、驚くには値しないが、今思い起こしても産経新聞と結託したこの時期の読売新聞のヒステリックな反管直人キャンペーンは異常であり、この国のマスコミがいかに電気会社の、そして原子力の下僕であるかは明確である。政官財を巻き込み、魑魅魍魎と呼ぶにふさわしい官僚や政治家たちの暗躍の一端が多くの証言や資料をもとに明らかにされる。一人の政治家を直ちにその地位から引きずり下ろすことができるほどに原子力をめぐる利権はこの国を深く蝕んでいるのだ。
私は特に管を支持するつもりはない。しかしこれら二つのドキュメントを読んで、ほぼ確信できることが一つある。それは少なくとも東京電力の上層部は早い時点で福島第一原子力発電所を放棄し、撤退するつもりであったことだ。もし彼らが撤退していたら、全ての原子炉が壊滅的なメルトダウンを引き起こし、東日本はすさまじい核汚染に見舞われたであろう。3月15日の早朝、東京電力の本社に乗り込んだ管は撤退がありえないことを幹部たちに伝えた。本書で明らかとなる東京電力の幹部たちの行状、そして会社の体質をうかがう限り、発電所の所長など現場にいた何人かの人間を除いて、この会社に当事者としての自覚も被害者への想像力も全く認められない。この撤退をめぐっても、東京電力はいまだに撤退ではなく退避であったと述べ、政府の事故調査・検証委員会の中間報告も官邸側の勘違いと片付けている。しかしその場に臨席したほとんどの関係者が全面撤退として了解しているのであり、まさにこの国は破滅の瀬戸際にあった訳だ。不誠実にも東京電力は当時の検証に全く応じていない。病室に逃亡した清水という男は周囲に対して「おれは二度と過去のことを語ることはない」と言っているという。
『メルトダウン』が東京電力、官僚、マスコミといった当事者の「メルトダウン」を白日のもとにさらけ出したのに対して、『プロメテウスの罠』はこの事態をいくつもの角度から掘り下げている。最後の「官邸の五日間」は事故直後の官邸の緊迫した状況を伝えて『メルトダウン』と重なる部分もあり、最初の「防護服の男」は原子力発電所が爆発した直後、近隣の住民たちが全く情報を得る機会を与えられず右往左往していた様子を生々しく伝える。私が最も興味深く読んだのは「研究者の辞表」と「観測中止令」という二つの章である。「研究者の辞表」では労働総合安全衛生研究所という厚生労働省所管の研究所に勤める木村真三という研究者が事故の報を受けて直ちに旧知のNHKのディレクターとともに現地に放射線の測定に赴くエピソードである。この結果制作された番組が「ネットワークでつくる放射能汚染地図」として大きな反響を呼んだことは広く知られている。しかしタイトルにあるとおり、その代償として木村は職を辞している。現地に出かける直前に木村の携帯にメイルが入る。「放射線等の測定などできることもいくつかあるでしょうが、本省並びに研究所の指示に従ってください。くれぐれも勝手な行動はしないようお願いします」研究所で唯一の放射線の専門家である木村に宛てられた姑息な自粛要請を拒否して、木村は直ちに辞表を提出して現地に向かう。経済産業省であればまだ理解もできるが、原子力災害に対して対処すべき厚生労働省が情報の収集を放棄、そして秘匿しようとするのである。文部科学省も同罪である。文部科学省が所管するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)で得た情報が住民どころか官邸にも届いていなかったことは今や有名な事実であるが、現地では実際の放射線を測定する文部科学省の職員が多数目撃されている。彼らはマスクを装着し、車の中から計器を突き出して測定を重ねたが、その結果を横でマスクもしないで生活している住民には教えようとしなかった。異常な高線量が測定されることを知り、住民たちに避難を呼びかけたのは例えば木村であり、早い時期に現地に入ったフォト・ジャーナリストの広河隆一のような人たちであった。逆に福島第一原子力発電所近くに設置された現地対策本部には本来13省庁から45人が集まって対策を協議するはずであった。しかし実際に集まったのは5省庁の26人であった。住民たちには情報を隠し、自らは理屈をこねて現地に出向くことを恐がる官僚たちに一体どのような「対策」を立案することができるだろうか。「観測中止令」にも同じようなメンタリティが示されている。気象庁の気象研究所は1957年以来、大気と海洋の環境放射能の測定を続けてきた。半世紀以上測定を続けた機関は世界的にも例がない。ところが事故の影響で通常の方法では測れないほどの計測値が出る中で、突如、観測を中止せよとの指示が出る。予算を緊急の放射能モニタリングに回すためという理解しがたい理由である。青山道夫というこの計測に長年携わってきた研究官たちは指示を無視して計測を続ける。「データをとらない・証拠を残さない」最初に掲げたアイリーン・スミスの言葉が連想される。さらに青山らが『ネイチャー』誌に発表しようとした海洋の放射能汚染に関する論文も、研究所そして気象庁の上層部の意向で発表が止められる。記事の中では当時の上席の担当者に取材して、かかる隠蔽と検閲がいかにして引き起こされたかを検証している。しかし彼らは一様に上部からの指示、場合によっては財務省のごとき他の部署からの指示であると答え、責任を感じるどころか恬として恥じることがない。「誰も責任をとらない・縦割り組織を利用する」の見本のような対応である。観測中止令は政治家の介入によって一転して継続となる。中止が命じられていた期間、観測が持続できたことは、ほかの大学や研究機関の研究者が事情を知って消耗品などを分けてくれたからであり、そのことはこの記事が新聞連載された際にも書きつけてある。これに対して文部科学省の対応は次のようなものであった。(ちなみに気象庁は国土交通省の管轄である)原子力安全課の山口茜という係長は気象庁を通じて、青山らにどこの機関から何が提供されたかを報告するように求めた。山口によればそれは消耗品の予算を返却してもらうためだという。記者は次のように記している。「半世紀以上も続いてきた観測が途絶えることには興味を示さず、継続のために研究者が融通しあった消耗品の行方には過敏に反応する」財務省の意向を忖度してとのことであるが、このような質問の意図は文部科学省の暗黙の意志に反する研究者への恫喝ととらえることもできよう。
私は他人に倫理を説くほど自らに自信がある訳でもなく、仕事に対してさほど強い使命感を持ち合わせている訳でもない。しかしそれにしてもこの二つの報告で明らかにされる電力会社や官僚、政治家やマスコミ関係者の倫理感の欠落、他者とりわけ弱者への想像力の欠落は一体何であろうか。自分の身に置き換えた時、さすがの私もこれほどモラルを欠いた対応はできない。ここに登場する多くの人物は高学歴、高収入、いわゆる選良であり、私たちの生活に大きな影響を及ぼす仕事に就いている。今回の原子力発電所の事故ははしなくも現在の日本にあってこれらの選良たちの品性が福島第一原子力発電所並みにメルトダウンしているという現実を明らかにしている。その中にあって少数であっても木村や青山のように自分の力で考え、行動する人々がいたことは唯一の光明といえよう。彼らの行為は英雄的というほどの仕事ではなく、むしろ自分がその場にいたら当然取った行動であるように感じる。しかしそのために一人は職を辞し、一人は職務命令に背いた仕事を続けなければならなかったのだ。何かが本質的に狂っている。
最後に一言付言しておきたい。私は東京電力を一貫して批判したが、現在、現場で多くの下請け労働の方々とともに収束作業にあたっている当事者が東京電力の社員、それも多くが現地採用の社員であることも事実である。本社と出先、東京と地方、東京電力の差別的な位階構造については触れない。端的にこの人たちの努力によって私が今、このような記事を書くことができることを認識するとともに、今も事故現場で収束作業にあたっている人たちには深い感謝をささげたい。

一年後の3月11日に

by gravity97 | 2012-03-11 14:46 | ノンフィクション | Comments(0)

ジャスパー・ベッカー『餓鬼(ハングリー・ゴースト)』

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 1997年に中央公論社から翻訳が刊行されたジャスパー・ベッカーという研究者の『餓鬼(ハングリー・ゴースト) 秘密にされた毛沢東中国の飢饉』がこのほど中公文庫に収録された。以前よりこの問題には関心があったのだが、最初に刊行された際に買い逃し、しばらく入手することが困難であったため、このタイミングで通読した。1958年から62年にかけて、毛沢東の失政がもたらした未曾有の大飢饉の地獄絵を克明に活写したノンフィクションである。
 以前、同じ問題を扱ったフランク・ディケーターの『毛沢東の大飢饉』を通読していたので、この惨事の概要は理解していたが、本書を読んであらためて考えることも多かった。最初に本書の問題点を指摘しておくならば、記述の根拠とされる資料に新聞記事や回想録などの二次的な文献が多く、書誌的事項がしっかり記載されていない。直接のインタビューや取材が引用される場合も日時や場所、取材相手が明記されていない。情報源を秘匿するという意味があるかもしれないが、このため引用について検証できず、オーラル・ヒストリーとしては問題があるのではないだろうか。公文書として遺されたいわゆる「档案」を渉猟して執筆されたディケーターの論文と比べて事実関係を検証することが困難である。もっともディケーターの論文は近年、中国各地の公文書館で档案の閲覧が可能になったことを前提としているから、本書の大半が聞き書きのかたちをとることは仕方なかったかもしれない。半世紀前に隣国にこのような悲惨な状況が発生したことはまぎれもない事実であるにもかかわらず、今日にいたるまで国家によって公式に認められていないことは驚き以外のなにものでもない。
 この大飢饉が失政という人為的な原因に由来することは明らかである。なぜならば第一にこの飢饉は一つの地域ではなく、共産党が支配する中国全土で発生している。広大な中国大陸では一部の地域が干魃や水害のために飢饉を体験することがあったとしても、ほかの地域から食糧を調達することが可能なはずである。一国全体が飢えに苦しむという状況は、飢饉が自然ではなく社会に起因することを暗示している。さらに恐るべきことには無数の民が餓死し、共同体が崩壊し、食人が横行する傍らで、倉庫には十分な食糧の備蓄が存在していたという。十分な食糧が存在したにもかかわらず、必要な者へと流通せず、3000万人(ディケーターによれば4500万人)に達する餓死者が発生したのだ。一体いかなる制度がこのような異常な状況を可能にしたのであろうか。実は20世紀にはいくつかの地域で同様の飢饉が繰り返されている。1930年代初頭のウクライナ、1960年前後の中国、1970年代のカンボジア、そして現在に至る北朝鮮。ただちにいくつかの共通点が浮かび上がる。共産主義と土地私有の否定、そして独裁者の存在。そしてこれらの時代と地域にはさらにもう一つ重要な共通点がある。おわかりだろうか。本書の中には飢えた農民がネズミやゴキブリ、おがくずや土までを口にしたという凄絶な記述があるが、私はこれらのエピソードから直ちにソルジェニーツィンの『収容所群島』の冒頭の印象的なエピソードを連想した。ソルジェニーツィンは『自然』という科学アカデミーのb0138838_13592726.jpg雑誌中の小さな記事に目を留める。それはシベリアのコルイマ河の岸で発掘作業が進められた際に、地下の氷層から数万年前のサンショウウオが凍結された状態で見つかり、その場に居合わせた人々が早速その場でそれらの動物を喜んで食べたという記述である。多くの読者が氷結された生物の新鮮さに注目するであろうこの記事に対して、ソルジェニーツィンは全く別の意味を見出す。「私はその場面が微細な点にいたるまでありありと念頭に浮かんできた。その場に居合わせた人々がどんなに慌てふためいて氷を叩き割り、崇高な魚類学的興味などには目もくれず、氷を融かし、がつがつと腹にためこんだか。(中略)なぜわかったかといえば、私たち自身もその場に居合わせた人々と同類の、強大な囚人族の一員だったからである。この地上で、サンショウウオを喜んで食べることができる唯一の種族は囚人(ゼック)だけである」コルイマとは多くの収容所(ラーゲリ)が所在した土地の名である。ソビエト、中国、クメール・ルージュ、北朝鮮、これらはいずれ悪名高い強制収容所が存在した国家にほかならない。おそらく飢饉と強制収容所は補完関係にある。多くの国民を強制収容所に収容することは手っ取り早い口減らしの政策であり、その恐怖を盾として国民に飢饉という受苦を強いることが可能となるのであるから。この点においても本書の構成は興味深い。ベッカーは毛沢東の大飢饉について語る前に、冒頭部の一章を割いてスターリン治下におけるソビエト、ウクライナの飢饉について分析し、それがほぼ正確に30年後の中国で反復されたことを立証する。(今述べたとおり、それはさらにポル・ポトによって反復され、今もなお金体制のもとで反復されている)また途中でやはり一章を費やして何百万人もの人が収容された強制労働改造所における苦役や拷問、暴力と虐待について論じられている。これらの20世紀の飢餓は、単に食料が不足したそれまでの飢饉とは様相を違える。それが人為的な災害であり、共産主義や強制収容所と深く結びついた事象であることを本書は的確に論じている。
 1958年から62年という時期は、「大躍進」という事業が進められた時期と一致する。「大躍進」とは毛沢東の指導のもとに農業と工業の分野で自由主義の盟主アメリカのみならず、それまで比較的友好的な関係にあったソビエト連邦をも凌駕する経済的な躍進を遂げるべく、繰り広げられた異常なキャンペーンのことである。「大躍進」のために様々なナンセンスな手法が導入された。例えば苗を異常に稠密にうける密植、土を異常に深く耕す深耕といった非科学的な耕作法が党の指示によって導入され、実際には成果を上げるどころか、不作の原因となったにも関わらず、毛主席の指示のおかげで収穫が倍増したといった虚偽の報告が次々に寄せられる。「種・密・土・日・工・管・保・水」という八字憲法と呼ばれる中国農業の基本が示され、全ての農民がこれに従うように求められたが、今みたとおり、それらは似非科学とも呼ぶべき内容であり、結果的にはむしろ農業生産を悪化させた。それにも関わらず、あまりの豊作のために農民たちが余った食糧を家の前に並べたといった虚偽の報告や小学生が実験農場で十種類の新しい穀物を開発したといったとんでもない宣伝がなされたという。実際には1959年に蘆山で開かれた蘆山会議と呼ばれる共産党の最高幹部会議で毛の方針を修正しうる可能性があった。しかしこの場で反対派は逆に駆逐され、引き続く飢餓地獄の幕が開いた。その惨状については本書に詳しい。まず河南省と安徽省という飢饉が最も悲惨だった地域の状況が報告され、次いで四川省や甘粛省、さらにはチベットといった地域における同様の惨劇に言及されることによって、この飢饉が中国全土に及んだことが理解される。続いてベッカーは先にも触れた収容所での虐待、あるいは餓死とは実際にどのような死であるか、そして人肉食の横行といったいくつかのテーマに沿って悪夢のような時代を概観する。身の毛のよだつようなエピソードが次々に紹介され、わずか半世紀前の隣国にこのような地獄が出現していたとはにわかには信じがたい。実際に当時にあってもこのような惨事は隠蔽されていた。最後の章でベッカーは、当時の西側のジャーナリズムや知識人もこの事態を見抜くことができず、それどころかしばしば毛沢東と「大躍進」を高く評価した点を指摘する。フランソワ・ミッテランやハーバート・リードといった西欧の知性さえも実際に中国を訪問しながら異常事態に気づかず、毛を高く評価したコメントを残しているのだ。おそらく日本の進歩的知識人も同様であっただろう。広大な土地で発生していた事象を海外の目から完全に隠蔽することが可能であるとは今日信じられないが、党の高官や訪問者が訪れる場合には、飢えた農民が食用のために剥ぎ取った樹皮の上にペンキで色を塗るような姑息な隠蔽工作が日常化していたという。
 本書を読み終えてもいくつもの謎が残った。例えば飢餓は主として農村部で発生した。とはいえ、都市部の住民が農村部で進行している事態をほとんど知らなかったという点はにわかには信じがたい。実際に農地が荒廃し、餓死者が出現しているにも関わらず、なぜ地方の党組織は多くの収穫があったという偽りの報告を提出したのか。一体、共産党の幹部はどの程度、現実を知っていたのか。もし知っていたとしたら、なぜ何らかの対策をとらなかったのか。人はあまりに巨大な危機に直面する時、集団的な一種の判断停止に陥り、現実ではなく幻想を信じるのかもしれない。このように考える時、私はこのドキュメントを過去、別の国の物語として読むことができない。今なお続く原子力災害の下で私たちもまた判断停止の状態にあるのではないだろうか。事故を起こした原子炉の状態についても、食品の汚染についても東京電力や政府から繰り返される大本営発表以外に私たちは何一つ真実を知らされていないにも関わらず、根拠のない安定を生きている。ここに描かれた惨劇や狂気を自分たちと無関係な歴史的事件とみなすのではなく、未来の自分たちに投影する想像力こそが必要とされるのではないだろうか。  

by gravity97 | 2012-02-13 14:05 | ノンフィクション | Comments(0)

テッサ・モーリス-スズキ『北朝鮮へのエクソダス』

b0138838_2071199.jpg なぜ、無辜の民に対して歴史はこれほどまでに苛酷なのであろうか。たまたまある時代にある地域に生を受けたというだけの理由によって人はかくも苦難に満ちた人生を歩まねばならないのか。東欧や中東、ユダヤ人やパレスチナ人の体験ではない。我々の生きる日本という国のわずか半世紀前の出来事なのである。私は深い衝撃と感動とともに本書を読了した。
 1950年代後半に「在日朝鮮人」を故郷、北朝鮮へと送り届ける「帰国事業」という企てがあったことは知っていた。今でこそこの胡乱な隣国へ帰還した人々がその後、厳しい運命をたどることになったであろうことは予想される。しかし当時、この国は社会主義のユートピアとして帰国者に無償で必要な教育や仕事、医療や住居を与えると宣伝したのである。実際に帰国者を待ち受けていた現実は冷酷であった。帰国船が接岸した北朝鮮の埠頭の荒廃と出迎えの人々の貧しげな様子を見た船上の帰国者が「(日本に)帰らせて、帰らせて」と悲鳴をあげたというエピソードは痛ましい。彼らはどこへ消えて行ったのか。本書は機密指定が解除された文書と関係者の証言によって何重にも隠された真実を少しずつ解明していく。
 冒頭に近い箇所で二つの謎が明らかにされる。まず北朝鮮への帰還船に乗り込んだ人々の多くが北朝鮮ではなくそこに身寄りもないはずの朝鮮半島南部の出身者であったという事実。そして当初は多くとも千人程度と見込まれていた帰還者が結果的には九万人以上にのぼったという事実である。これらの謎は本書の中で必ずしも十分に解明された訳ではない。しかしいくつかの可能な推論が提示され、この事業が類例のない棄民政策であったことがおぼろげに暗示される。真実の解明を困難にした理由の一つはこの事業が表向きは国家ではなく国際赤十字によって主導されていたことにある。真実をたどる旅は東京でも平壌でもなく、ジュネーブから始められる。赤十字国際委員会に保管され、最近、機密指定が解除された文書を読み解く中で著者が感じた不全感が本書の出発点を画した。国家ではなく国際赤十字が事業を進めた理由はきわめて複雑であるが、一言で言うならば、どの国も帰還事業の必要性は認めつつも自分の国が主体となって事業を進めることを公にできない理由があった。当事者たちに悪意はなかったと信じたい。しかし少なくとも善意によって進められた事業ではなく、結果に対して責任をとる者は誰もいなかった。あとがきの中に「ここに書かれている物語では、登場するすべての国の政府がそろって面目ない姿をさらしている」とあるが、確かにどの当事者もこの事業に対して後ろめたい感慨を抱いているだろう。しかし実際に辛酸を舐めたのは国家ではなく名もなき人々なのだ。
 それでは帰還事業はどのようなパワー・ポリティクスの中で可能となったのか。まず日本に関しては、在日コリアンに対する差別と偏見が背景に存在している。戦時中に徴用の名目で日本に強制連行した人々に対して祖国への帰還を図るどころか、戦後、日本政府は彼らを危険分子の集団と見なして弾圧し、一切の生活権を与えない政策をとった。生活保護の対象からも外れ、困窮した人々が「ここではない、どこか」へのエクソダスを夢想することは十分にありうる。もっとも日本政府がこの事業に及び腰となった、より「人道的な」理由を推測することも不可能ではない。第二次大戦後、朝鮮半島は南北に分断され、北は金日成、南は李承晩の独裁的な統治下にあった。冷戦の中で共産主義国家への帰還を政府が公式に認めることはありえなかったが、李承晩政権のもとに帰還した在日コリアンもスパイとして投獄、処刑される可能性がきわめて高かった。つまりいずれの国、いずれの政権に人々を引き渡したとしてもその結果に政府は責任をもてなかった。かかる状況下、在日コリアンたちは北へも南へも渡れず、人権を剥奪された状況で日本に暮らすしかないという出口なしの状態に置かれることとなった。
 帰国事業の闇を解明するために著者はまず韓国の済州島に向かう。今でこそ韓国有数のリゾート地として知られる島であるが、この島ではかつて軍政のもとで大規模な住民虐殺事件が発生した。1948年のいわゆる四・三事件である。かつて私は金石範の大長編『火山島』を読んでこの事件について知った。帰還事業そのものについてはこれまでほとんど闇の中に置かれていたが、その周辺を形成する事象のいくつかは在日の作家によって文学作品の中で検証されている。例えば本書の中にも登場する日本のアウシュビッツ、大村収容所における在日抑留者に対する虐待、あるいは軍政下の韓国における残忍な秘密警察の暗躍については梁石日の『夜を賭けて』と『Z』、さらに本書中にわずかに言及のあるスターリンによるソ連朝鮮人の中央アジアへの強制移住については李恢成の『流域へ』から私は多くを学んだ。これらの小説がなければ私は韓国と朝鮮の人々がたどった数奇な運命について知ることはなかったであろう。在日コリアンのアイデンティティーに関わるこれらの小説に関して、私はいつか体系的に論じてみたいと考えている。済州島に戻ろう。アメリカの軍政下、5万人と8万人とも称される島民が右派勢力によって虐殺されたという。死者の数に諸説があるのは、この時、日本へ脱出した人々の数が不明だからである。日本と朝鮮半島の間に位置するこの島からはもともと日本へ出稼ぎや密入国する者が多く、出身者は日本でも一つのコミュニティーを形成していたという。確か金石範も梁石日も両親が済州島出身ではなかっただろうか。白色テロを恐れて日本へ逃れた人々にとって北朝鮮が帰還の地とみなされたとしても大きな不思議はないだろう。
 帰還事業をめぐって「影の外務省」と称される日本赤十字とジュネーブの赤十字国際委員会は平壌の朝鮮赤十字会を巻き込んで複雑な折衝を開始する。このあたりの入り組んだ状況の解明は本書の読みどころである。大村収容所の状況を視察に訪れた赤十字国際委員会の代表は日本赤十字社の前で北朝鮮への帰還を求めて座り込みを続ける帰国希望者たちを目にする。皇族たちも出席して開かれた赤十字国際委員会歓迎のカクテルパーティー(周知のごとく、日本赤十字の名誉総裁は皇后であり、皇族たちも深く関わっている)と同じ会場の前で着のみ着のまま座り込みを続けるコリアンたち、両者の落差に目がくらむようだ。47人の帰国希望者たちはきわめて複雑な経緯をたどり、二組に分かれて最終的に北朝鮮に「帰還」する。(韓国の妨害によって最初予定されていたイギリスの海運会社は日本への寄港をキャンセルし、最終的には日本の漁船によって密航同然に帰国する)ジュネーブに残された記録によるとこの47人は8家族と5人の独身男性、半数以上が子供であったという。彼らは日本政府と日本赤十字に厄介者のように扱われ、出国後の記録は一切残っていない。どのような思いで彼らは日本海を越えたのであろうか。そして彼らを第一陣として怒涛のような帰国事業が開始される。この背景にも複雑なパワー・ポリティクスが働いている。日本と韓国はそれぞれ釜山と大村に抑留されている自国民をともに解放して、抑留という懸案を決着しようとした。(釜山には領海侵犯で拿捕された日本の漁船員が見せしめ的に抑留されていた)このための舞台が1957年、ニューデリーで開かれた第19回赤十字国際会議であり、具体的には決議第20によって抑留の解決と帰還事業の大枠がかたちづくられた。そしてもう一つの当事者、北朝鮮にとっても機は熟していた。かつて日本に強制連行された自国民の帰還を寛容にも受け入れ、社会主義のユートピアとして自国を宣伝するうえで「帰国事業」は絶好の機会であった。北朝鮮はプロパガンダ雑誌を各国に送って、「夢の共和国」の優越を主張する。今日、それらに掲載された写真はなんとも寒々しい。著者はさらに別の要因も指摘する。つまりこの時期、北朝鮮と深い関係にある中国から朝鮮戦争の際に送り込まれ、その後も北朝鮮に留まっていた「志願兵」たちが撤収を始め、労働力が不足するという事態が発生したのだ。撤収の理由は明らかだ。1958年に始まる毛沢東の失政、「大躍進運動」を救済するために中国国内で大量の兵士が必要となったのである。私は先般、フランク・ディケーターというロンドン大学の中国専門家が書いた『毛沢東の大飢饉』という研究を読んだ。「大躍進」の無残な失敗をモーリス-スズキ同様に当時の記録の丹念な掘り起こしによって検証するディケーターの研究も興味深かったが、悲惨さだけを強調し、毛沢東をはじめとする個々の指導者の糾弾に終始する議論には共感が湧かなかった。個々の人民への共感によらず、ただ指導者を一方的に断罪するディケーターの立場は本書の対極に位置するといってよいが、「帰国事業」の本格化と「大躍進」が破滅的な様相を呈する時期が同期している点は平仄が合う。つまり日本からの帰還者は「夢の共和国」で不足する労働力の穴埋めとなることを期待されたのである。さらに日本国内で帰還事業を実質的に推進したのは朝鮮総連であった。本書によれば朝鮮総連にとって赤十字を介した北朝鮮と日本との交渉は多くの規制に縛られた両国間の送金ルートに風穴をあけるものであり、また帰国する人々は日本に残す財産をそのまま総連に「預けて」いったという。明らかにここにもこの事業の闇が透けて見える。
 拉致問題が明らかとなって以来、日朝関係は冷え切っている。確かに自分の意志で出国したかもしれない。(ただしこの点に関しても、著者は例えば帰国の意思を最終確認した新潟の赤十字センターの施設の構造と確認の状況を分析する中で一つの疑問を呈している)しかし、多くが戦時中に連行され、戦後も人としての権利を奪われた中で北朝鮮への「帰国」を余儀なくされた人々の消息について、今なお誰も追跡しようとはしないし、むろん責任をとる者もいない。本書に収められた証言からは帰国者の多くが粛清され、収容所に送られ、悲惨な生活を送ったことが推測される。最後に近い章で著者は次のように述べている。「21世紀の北朝鮮難民は、1950年代、60年代の帰国者と同じように、グローバルな政治という将棋盤上のいかにも都合のよい“駒”であり、大きな戦略に必要になれば動かされ、必要でなければ忘れられる。国際政治の利害の中でこの人たちの小さな、さまざまに異なる、人間的なニーズを見えなくすることはいともたやすい」私たちはベンヤミンの、サイードの流亡について多少は知っている。しかしかつて半世紀前、日本に住んでいた人々が凍土の共和国でその後どのような運命をたどったかについてあまりに無知ではないか。帰還者の中には多くの日本人も含まれていたはずだ。これを棄民と言わずして何というべきか。しかし驚くには値しないかもしれない。国策であった原子力発電所の事故によってゆえなくして故郷を追われ流亡する福島の人々に対して、この国が彼らの「分断」をはかることはあっても全く手を差し伸べようとしないことを私たちは今まさに目撃している。国家はいともたやすく民を棄てる。半世紀前に私たちはこのことを学ぶべきであった。
 ひとたび見捨てた民に対して国家がかくも冷淡であるのに対して、著者であるモーリス-スズキが帰国者たちに注ぐ眼差しは温かい。ジュネーブに始まった旅は、済州島、東京、平壌、北京そして新潟へと続く。本書は帰国事業という苦い謎を解くための著者の終わりなき紀行でもある。重いテーマを扱いながらも本書にみなぎる生き生きした魅力は学術論文ではなく紀行と省察を繰り返す独特の形式をとった点に求められるだろう。いずれの土地においても著者は歴史に翻弄された帰国者の生に思いをめぐらす。最初に私は衝撃と感動と記した。衝撃についてはもはや説明する必要もなかろうが、感動とは流亡する人々へ寄せられた、国籍も異なる研究者のかくも深い共感に根ざしている。「帰国事業」という問題は想像を絶するほど入り組んでおり、未解明の謎はあまりに多い。日本人である私たちもまた彼女の終わりなき旅に同行する義務があるのではなかろうか。

by gravity97 | 2011-12-06 20:09 | ノンフィクション | Comments(0)

スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』

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 震災以来、このブログもシビアな記事が多い。今回取り上げるドキュメントの内容も今日の我々にとって決して楽しい話題ではない。私も必要を感じなければ、ここで取り上げる一連の記録を読むことはなかっただろう。しかしこれまで原発事故をめぐる一連の状況をフォローしてきた私にとって、これらの本を読むこと、あるいは政府や電力会社が開示しない情報を収集することは今の自分たちにとって死活的に重要であると感じる。
例えば数日前の読売新聞に「生活習慣と被曝 発がんリスクは」という意味不明の記事が掲載されている。「喫煙・大量飲酒、1000ミリシーベルトに匹敵?」という見出しの意図はあまりにも露骨だ。ここでは原発事故によって発生した「異常な」放射線の線量が喫煙や飲酒といった日常的な行為によって相殺されている。この記事の信憑性はひとまず措くにせよ、放射性物質の危険性を喫煙と飲酒のそれと併置して、あたかも日常の、それも相対的に小さな危険であるかのように扱う内容にはあいた口がふさがらない。喫煙や飲酒にリスクが伴うことは誰でも知っているが、私たちはそれを承知したうえ、自分の責任でそれらを楽しむ。これに対して原発事故に伴う放射線は電力会社の犯罪的な不作為がもたらした結果であって、私たちになんら責任はない。二つのリスクは本来全く無関係である。そもそも放射線のリスクが一番高いのは子供たちであって、喫煙や飲酒を日常としている私たちではない。大新聞の記者が「国立がん研究センター予防研究部長」といった肩書きの御用学者と一体になって繰り広げるかかるキャンペーンはこの数日来続く脅迫的な節電キャンペーンとともに、放射能の危険性を隠蔽し、原子力発電の延命を図っている。
『チェルノブイリの祈り』は1998年に単行本として刊行され、今回の原発事故を契機に先月、岩波現代文庫に収録された。無数の関係者からの聞き取りによって1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所の大事故の輪郭を浮かび上がらせている。聞き取りの相手や内容、登場する順序は一見無作為に感じられるが、実はよく練られている。すなわちプロローグとエピローグの位置に「孤独な人間の声」と題された二つの章が配され、その間の主たる三つの章の間には「兵士たちの合唱」「人々の合唱」「子どもたちの合唱」という三つの断章が挿入されている。主たる三つの章に関して、証言者は名前と役職や身分が明記されているが、「合唱」と題された三つの断章に収められた短い証言は証言者の名前をもたない。
とりわけ深い感銘を与えるのは巻頭と巻末に置かれた「孤独な人間の声」という二つの証言である。リュドミーラとワレンチナという二人の女性はいずれも原子力発電所事故の収拾に従事した二人の作業員の妻である。前者は原子力発電所で事故直後に消火作業にあたった消防士、後者は事故によって住民が強制移住させられた村の電気を止める処置を続けた高所作業組立工である。消防士は作業中の大量被曝による急性の放射線障害によって、組立工は被曝による全身のがんによって共にこのうえなくむごい死を迎える。正視に耐えないという言葉があるが、まさに読むに耐えない二人の悲惨な死は最愛の妻の口をとおして語られることによってかろうじて救いをみる。解説の中で広河隆一も記すとおり、放射能はもっとも悲惨な形で人間を死に向かわせる。二人の病状はほとんど人間のかたちをとどめないほどの凄惨さであり、私もここで繰り返すことはしない。しかしそれにも関わらず、死にいたるまで二人の妻は彼らに深い愛情を注ぐ。この凄絶なノン・フィクションが一種の文学性を帯びて成立する理由は、肉親の証言というある意味で客観性を欠いた形式に多くを負っている。さらに付言するならば二つの死のうち、とりわけ消防士ワシーリー・イグナチェンコの死は日本人にとって無縁ではない。チェルノブイリの災厄から13年後、茨城県東海村で起きたJCO臨界事故で、彼と同様に大量の放射線を浴びた大内久さんは懸命の治療もむなしく、やはり長く、筆舌に尽くし難い苦しみの中で死んでいった。リュドミーラの証言は30頁足らずの短い内容であるが、大内さんの闘病に関しては下に示した『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』という詳細なドキュメントが公刊されている。この記録はもともとNHKスペシャルとして放映された番組に基づいており、高線量被曝という未知の恐怖に立ち向かう大内さんの人間としての尊厳、そして家族と医療スタッフの献身には胸をうたれる。私はこのブログで何度かNHKのディレクターによる安易なノン・フィクションを批判したが、このドキュメントは別だ。なぜならかくもいたましくも貴重な記録を文字に残すことはディレクターと遺族、医療者との間に深い信頼関係がなければありえないからだ。今回の原発事故に関してもNHKは早い時期に放射能で汚染された地域を独自に調査し、住民に警告を発するETV特集を放映し、公式発表を垂れ流す御用メディアとの対照を示したが、このような仕事は放射能問題に対する関心と現場主義が日頃より局内で共有されて初めて可能となったのではなかろうか。二人の女性の証言、そしてJCO事故の記録が明らかにするのは、被曝によってもたらされる死がいかに無残で、非人間的なものであるかということだ。この事実を知れば、飲酒と被曝を同一次元で扱う発想はありえない。もちろん先に触れた記事のテーマは急性障害ではなく、数年のレヴェルで発症する晩発性のがんである。しかしそこには原子力発電所に由来する放射性物質によってもたらされる障害がいかに異常なものであるかという認識が完全に欠落している。そして現在、福島で復旧作業にあたっている作業員たちが置かれる環境がチェルノブイリの作業員たちと異なるという証拠を政府も東京電力も今日にいたるまで開示していない。
それにしても恐るべきことに、25年前にチェルノブイリで発生した状況は今日の福島で正確に反復されている。事故直後、着のみ着のままで強制的に避難させられた人々はその後も自宅に戻ることができず、遺棄された地域に残された家畜やペットは次々に殺処分される。避難を試みる者は裏切り者として指弾され、被曝した人々は差別される。当局は一切事実を発表せず、故障したロボットの代わりに生身の作業員が復旧に投入される。したがって私たちは事故の数ヵ月後にチェルノブイリの近隣から運び込まれた牛肉や牛乳を検査した担当者がそれらはもはや食品ではなく放射性廃棄物であったと述懐し、さらにそれらが市場に流通していたと語るエピソードに自らを重ね合わせて慄然とせざるをえない。チェルノブイリにおいては国家がその威信を賭け、軍隊の力によって事故の収束作業、住民の避難や疎開、表土の除染にあたった。むろんそれは私権を制限することに躊躇ない強権的な国家において初めて可能であった対策であろうし、二つの原子力発電所の事故は性格が大きく異なる。しかし当時のロシアと現在の日本のいずれにおいて事故がより適切に処理されているのか、現時点で私は判断することができない。著者スペトラーナ・アレクシエービッチは「見落とされた歴史について」という章において、自らの言葉として次のように述べている。「最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい。チェルノブイリは、私たちをひとつの時代から別の時代へと移してしまったのです」いうまでもなくチェルノブイリをフクシマに置き換えることによって私たちが現在置かれた立場を再確認することができる。
書庫に下りて、タイトルにチェルノブイリの名が冠された関連書のいくつかをあらためて読み返す。歴史は繰り返す。現在、私たちが直面する事態はなんら意外なものではなく、既にこれらの中で報告、もしくは予想されている。これらの書はチェルノブイリ原発事故の直後に刊行されているが、先に述べたとおり、この後も日本ではJCO臨界事故によって放射線被曝の恐ろしさが広く知られ、さらに多くの原発トラブルによって電力会社の欺瞞的な体質も誰の目にも明らかとなったはずだ。私たちはそこから何も学ばなかったのだ。大量の放射線が人体から細胞の再生能力を奪うように、原発事故は共同体に回復不可能なダメージを与えるのではないか。たった一基の原子炉が壊滅的な事故を起こしたわずか三年後、その原子炉が所在していた国家は内部から瓦解した。果たしてフクシマの後も日本という国は存続しうるか。私は確言することができない。
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by gravity97 | 2011-07-04 20:36 | ノンフィクション | Comments(0)

堀江邦夫『原発労働記』

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 福島第一原子力発電所の事故はいまだに収束の糸口さえ見出せないでいる。唯一明らかになったのは、この事故に関して東京電力と政府は国民に対して一切情報を開示する意志がない点である。もはや東京電力や原子力安全保安院が自分たちにとって都合のよい情報以外を発表すると信じる者はいないだろう。私たちは自らの手で情報を集め、自らの頭で分析しければならない。さいわいこの問題に関して比較的正確な分析を提供してくれるであろう何人かの論者の著作が既に発行されている。さらに私たちはインターネットを介して通常であれば知り得ない情報にもアクセスすることができる。いかなる情報と分析を得ることが出来るかは端的に3・11以後のサヴァイヴァルと関わっている。幼い子供をもつ身として私はこの数ヶ月、きわめて切実な思いとともに本や雑誌を読み、インターネットを検索した。
 先日、私は東京を訪れる(正確には東京を経由して旅行する)機会があった。私は震災の直後にも東京に滞在することがあったが、震災後に感じられた息詰まるような緊迫感が早くも奇妙に薄らいでいる気がした。もちろんこれは旅行者である私が数時間滞在した印象であるから、実際に東京が今どのような状況であるかについて正確な判断とはいえない。しかし例えば小出裕章も上に掲げた近著の中で次のように述べている。「ところが時間が経つにつれ、事故の成り行きに楽観的な見方が広がっているようです。1、3号機の原子炉建屋が吹き飛ぶショッキングな映像が流れていた頃、多くの人が西日本や外国に逃げました。首都圏で乳児の摂取制限を超える放射能ヨウ素が検出された頃、人びとはミネラルウォーターの買い占めに走りました。マスクをつけて街を歩きました。ところが報道が少なくなったこともあるのでしょうか。『何とかなりそうじゃないか』という雰囲気が漂っています」続いて小出はこのような楽観論が何の根拠も持たない点を指摘し、最悪のシナリオとしていまだに解決をみていない原子炉が水蒸気爆発を引き起こし、炉心の露出に伴う放射能汚染によって首都圏が壊滅する事態までも想定している。むろんこれは一つの、そして最悪のシミュレーションである。しかし無数の情報が入り乱れる中で、どのような情報を選ぶかは今や私たちの生死に関わる。私が信を置くのは、事故後に突然転向して放射線の危険を唱え始めた原発推進派の学者たちではなく、かねてより原子力発電の危険性を指摘し、それゆえ疎んじられてきた小出のような学者の見解だ。事故後に執筆された小出の書き下ろしは事故の本質と今後の推移を考えるうえで示唆に富む。
 ところで今回の事故を受けて、かねてより原発に批判的だった人々の間にも一種の無力感が蔓延しつつあるような気がする。それは原発を批判しつつもその本当の恐ろしさを知らず、有効な手立てをとらなかったためにこのような大惨事が出来してしまったという自責の念に由来し、放射能の影響が中学生以下の若年層、つまり原発に直接の責任をもたない世代に最も苛酷に現れるという事実はこのような無念さを増幅させる。しかし一方でそれゆえ原発を推進した者が免責されるという倒錯は徹底的に批判されねばならない。いずれのメディアであっただろうか、父が東京電力に勤務する小学生が、なるほど会社も悪いかもしれないが、父は真剣に事態に対応しており、原発に由来する豊かな電力を享受してきた我々全てが事故に責任を負うべきではないかといった投書があったことを伝えていた。冗談ではない。実際に「小学生」による投稿であったか否かについてはひとまず措くにせよ(原発推進シンジケートによってこのような情緒に訴える「投書」が捏造された可能性を私は否定しない)、これは第二次大戦に対する一億総懺悔論と同様の恥ずべき責任転嫁である。刑事処罰も含めて、そして時間的に遡行しても徹底的に責任を追及されるべきは第一に東京電力を筆頭とする電力会社、そして「国策」と称して原子力発電を推進した官僚と政治家たちである。なぜなら彼らは以前より原子力発電の本質的な非人間性と差別性を熟知していたに違いないからであり、私たちが「知らなかった」のではなく、当然伝えるべき情報を彼らが「知らせなかった」のだ。
 私がこのように確言できるのは本書を読んだためである。私は既に1980年代後半、チェルノブイリ原発事故の直後より広瀬隆から水戸巌、高木仁三郎にいたる反原発のイデオローグの著作に親しんでいたつもりであった。しかし最初1979年に『原発ジプシー』というタイトルで現代書館より刊行され、改稿改題のうえ、あらためて出版された本書をこれまで読んでいなかったことは大いに悔やまれる。本書を通読する時、電力会社の暗部、原子力発電所というシステムの犯罪性は最初に本書が刊行された時点で既に明らかであったからだ。
著者の堀江は1978年9月から約半年にわたって、日本各地の原子力発電所で下請け作業員として定期点検に従事する。具体的には福井県の美浜原子力発電所、そして今回の事故を引き起こした福島第一原子力発電所、そして再び福井県の敦賀原子力発電所である。わずか半年の作業を記録したルポルタージュであるが、この短い体験をとおしても原子力発電所がほとんど犯罪と呼んで差し支えない虚偽と搾取、欺瞞と差別のうえにかろうじて成立したシステムであることが明確に浮かび上がる。ことさら新しい知見は得られない。劣悪きわまりない作業環境、杜撰な放射線管理、事故や問題をなりふりかまわず隠蔽しようとする労務体制、複雑な下請け、孫請けによって何重にもピンハネされる給料、そして何よりも放射能障害の恐怖。このような過酷な労働条件から私が連想するのは大陸から強制連行された人々によって維持されていた大戦前の炭鉱であるが、本書でも日本人労働者が作業できないような高線量区域での仕事に従事するためにゼネラル・エレクトリック社から福島や敦賀に大量に派遣される「英語もろくに話せない」外国人労働者についての記述がある。作業員を確保するために暗躍する手配師たちとともに、これらの作業員の存在は原子力発電所の闇の部分を象徴している。下請け作業員たちに危険な汚れ仕事を押し付けながら、原発内で電力会社の社員を見かけることはほとんどない。その一方、休日には乗馬に興じる様子が地元の新聞に紹介されるというのだ。そして堀江の跋文によれば、今日にいたるまで非社員の作業員の被曝量は変わることなく大量であるのに対し、社員の被曝量はごくわずかで、しかも年ごとに逓減している。今、福島第一原子力発電所内で作業にあたっている人々がどのような位階構造をとり、それぞれがどのように異なった被曝環境の下にあるか、本書を読むならば容易に推測することができる。
 10年ほど前、仕事のために北陸線で金沢に向かっていた折、私は敦賀原発で作業に従事していると思われる数人の作業員の会話を偶然に耳にした。季節は真冬であったが、彼らは除染のために冷水のシャワーを浴びること(彼らによれば温水では放射性物質が除去できないとのことであった)が大変に辛いと口々に不平を述べていた。本書にも同様の記述がある。堀江が作業に従事したのは30年以上も前であるからこのエピソードはそれから20年以上が経過した後も状況が全く改善されていなかった点をはしなくも示している。車中の作業員たちが従事していた作業は堀江と同様にテイケン(定期点検)であっただろう。今回の事故と関連して、日本で現在稼動している原発が何基あるかといった図が示されることが多い。以前より私は「日本の電力を担っている」はずの原発の半分近くが常に定期点検中であることに不審の念を抱いていたが、本書を読んでこの点も理解できた。原発を稼動させるためには定期的な点検が不可欠であり、そのためには多くの下請け作業員が必要なのである。そして本書で詳しく記述されているとおり、この作業の中で多くの労働者は不可避的に被曝する。逆に言うならば、下請け作業員たちの大量被曝を前提とすることなしに原子力発電所を運転することは不可能なのである。
 半年ほど各地の原発のテイケンを渡り歩いた後、堀江は肉体的にも精神的にも限界を感じ、さらに被曝の高線量に恐怖を覚えて、退職を決意した。堀江の場合、このルポルタージュを書くことが就業の目的であったから、退職という選択肢がありえた。しかし本書の中に登場し、堀江と人間的な交流をもった多くの同僚たちには退路がない。低賃金で収奪され、被曝によって精神的、肉体的に疲弊し、使い捨てられていく無数の下請け作業員たちによって原子力の「明るい未来」は支えられているのだ。私はあらためて原子力産業に関連する利権の巨大さとその構造的な非人間性に戦慄を覚えた。いうまでもなくそれは私たちが大量の電力を消費していることと全く無関係の問題である。今、福島第一原発ではテイケンとは比較にならないほどに困難で大規模な復旧作業が続けられている。作業員が足りなくなることも危惧されているというが、このような異常事態の中で一体どのようにして作業員がかき集められ、どのような労務管理のもとで作業が続けられているのか。当然ながら東京電力が詳しい情報を発表することはないし、発表されたとしても誰もそれを信用しないという退廃の中に私たちはいる。
 これほどの事故があった以上、原発が設置された地方自治体も現在定期点検中の原発に容易に運転再開の許可を与えると思えない。全ての原発が運転を停止し、それでも電力が不足しないことが判明した時、おそらくこの国は初めて原子力発電という呪縛から自由になる。そしてこの災厄から私たちが何かを学ぶことができるとすればこれ以外の道はありえない。しかし果たしてそのための時間は私たちに残されているだろうか。b0138838_2054044.jpg

by gravity97 | 2011-06-13 20:55 | ノンフィクション | Comments(0)

永江朗『セゾン文化は何を夢みた』

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 辻井喬/堤清二の自伝『叙情と闘争』に続き、「セゾン文化」に関連する書物をこのブログで取り上げるのは二度目となる。著者は永江朗。評論家として知られるが、本書を読むとかつてアール・ヴィヴァン(株式会社ニューアート西武)で働き、渋谷西武にあった洋書店カンカンポアの店長を務めたこともあるらしい。アール・ヴィヴァンやカンカンポアには私もよく通ったから、もしかしたら美術洋書に関して店頭で会話を交わしたことがあるかもしれない。アール・ヴィヴァンのみならず西武美術館や軽井沢の高輪現代美術館でのアルバイトの経験も語られており、「セゾン文化」全般に通暁し、本書の書き手としては適任であろう。単なる内幕暴露やセゾン礼賛ではなく、関係者と適度な距離を保ちながら、時に自分の見解を述べながら淡々と語る姿勢には好感がもてる。序章を除いて全7章から成る本書ではアール・ヴィヴァンにはじまり、リブロ、セゾン美術館、無印良品といった「セゾン文化」と深い関わりのある店やプロジェクトの責任者のインタビューをとおしてそれぞれの文化的、社会的な位置づけが問われる。永江の予想がインタビューの中で当事者によって次々に否定されていく様子はなかなかスリリングである。インタビューに基づいているとはいえ、その内容を逐語的に記録した内容ではないし、ほかにも多くの関係者から聞き取りしたことが語られており、通読すると「セゾン文化」をめぐるアトマスフィアのようなものが理解される。
 本書を通読して、おおよそ1980年代から90年代の初め、つまりバブルと呼ばれた時代に銀座や新宿ではなく池袋と渋谷という街に成立した一つの文化、「セゾン文化」がきわめて異例の事態であったことをあらためて痛感した。時代と場所は重要だ。私もバブル期を体験しているから、当時の空虚な高揚感なくして、あれほどまでに消費を礼賛するコピーが氾濫することはありえなかったことはたやすく了解されるし、池袋と渋谷という、人の行き来はあったとしてもそれまで文化と無縁であった土地だからこそかくも大胆な冒険が可能であったことも推測することができる。本書で言及されるいくつかの店やプロジェクトに関しては既に各種の総括がなされている。セゾン美術館については美術館自身が総括めいた記録を発行しているし、書店リブロに関しては(私自身は未読であるが)関係者による回顧がいくつか公刊されているらしい。しかし「セゾン文化」とは本質において美術館や書店、劇場といった個々のプロジェクトを超えた一つの気風であり、本書のような横断的な視野がなければかかる気風をとらえることは困難であったように感じられる。
 本書を読むと「セゾン文化」をめぐる当時のいくつかのキーワードが浮かび上がる。音楽でいえばアンビエントやミニマル・ミュージック、美術であればデュシャンやジョーンズ、高踏的ではあるが、いずれもかなり癖のある趣味や作家であり、「セゾン文化」という非人称の意志のそれなりの見識をうかがわせる。それを可能にしたのはそこに連なる多様な人脈であろう。例えばリブロでラテン・アメリカ文学のフェアを開いた際に、ブラジル文部省の伝手を頼って作家たちのポートレートを集めたはよいが、どの写真が誰かを確認しなかったために、写真にキャプションをつけることができない。困り果てた担当者を前にマルケスやカルペンティエールの顔写真を次々に同定した人物が、当時、日魯漁業でコンピュータ・プログラマーをして荒俣宏だったというエピソードはもはやシュルレアリスムのデペイズマンの世界だ。本書を読んで実に多くの人物、そして意外な人物がそこに連なっていたことを知った。
 私が個人的に興味をもったのは西武百貨店の文化事業部長であった紀国憲一に関する記述である。確か紀国は西武美術館の館長も務めていたように記憶する。紀国の経歴が興味深い。ニューヨーク駐在中に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」の初演に立ち会ったという紀国は小樽商科大学を卒業した後、大正海上、電通を経て、堤清二の誘いを受けて西武百貨店に入社し、西武美術館の立ち上げに参画した。以前から感じていたことであるが、西武美術館/セゾン美術館は次々に画期的な展覧会を開きながら、学芸員や関連スタッフにいわゆる美学美術史学系の専門家が少ない。もちろんいちはやくゲストキューレーターという制度を導入したこと、一連のロシア関係の展覧会がいわばトップダウンで決められたことからもわかるとおり、展覧会の企画にあたっては西武百貨店本社、さらにいえば堤清二の意向が強く働いたといった理由もあるだろうが、なんとなく素人集団という印象があった。私は否定的な意味でこの言葉を用いているのではない。美学や美術史に思い入れがないがゆえに逆に次々に斬新な企画を打ち出すことが可能となったのではないかと考えるのだ。紀国はインタビューの中で学芸的な志向の強い人は位置づけ、価値づけができたものしか取り上げないから保守的になる、そういう人は必要ないとはっきり言明している。直ちに首肯することはできないものの、きわめて明確な哲学のうえに美術館の方針が構想されていることが理解されるし、彼が当時、文化事業をポスト・モダンという視点からとらえていたことは「セゾン文化」の背景となったバブル期の日本という特殊な時代を考えるうえで示唆的である。今から考えるならば西武美術館/セゾン美術館の展覧会の独特のラインナップ、そして当時の美術界における独特の存在感には紀国や堤のごとき異業種の発想と手法が大きく与っていただろう。文化事業と経営を両立させることの不可能性、別の言い方をするならば「セゾン文化」の分裂的な本質については堤自身もインタビューの中で述べているが、少なくとも西武美術館/セゾン美術館は特殊な時代と特殊なリーダーを得て初めて可能であった現象であり、それゆえ、時代と指導者が変われば直ちに消滅する運命にあった。美術館が冬の時代を迎え、「学芸的な志向の強い」人々が次々に大学教員へと転身していく今日、それをバブルの徒花と見るか、美術館のユートピアとみなすかは判断の難しいところだ。
 本書は堤清二のインタビューに基づいた記事で締めくくられる。例によって多くの文化人との華やかな交流が語られ、消費者の選択肢を広げることがひいては日本人の自立を促すという堤の信念が語られる部分は本書の中で最も鮮烈な印象を与える。一つの企業が文化を戦略として捉え、曲がりなりにも一つの文化を創造したことは日本においてもきわめて異例の状況であった。しかし同時に堤の発言には文化に対する希望というよりはペシミズム、より正確には深いニヒリズムが漂っているように感じられたのは私の思い過ごしであろうか。

by gravity97 | 2010-12-05 20:42 | ノンフィクション | Comments(0)