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優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
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カテゴリ:ノンフィクション( 26 )


牧久『国鉄解体』

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今年は国鉄が分割・民営化され、JRが発足してから30周年という。新聞紙上などでも関連した記事を目にするが、この機をとらえて、国鉄が分割・民営化されるまでの暗闘を記録したドキュメントが刊行された。筆者は日本経済新聞社東京本社社会部に勤務し、昭和43年より国鉄記者クラブに籍を置き、この事件の推移に立ち会った新聞記者である。自らの経験と豊富な資料に基づき、中曽根元首相や故人となった関係者へのインタビューによって裏づけされた本書は読み物として抜群に面白い。本書がこのタイミングで発表された理由もよくわかる。国鉄の分割・民営化を筆者は明治維新に準えるが、100年以上も続き30万人近い職員を抱える巨大組織を解体する作業は誰にとっても苦難に満ちたものであった。「国鉄解体を進めた『若手改革派』にとっても『分割』を阻み『全国一社』の国鉄を守ろうとした『体制派』にとっても、また国労など組合関係者にとっても、そこには策謀と裏切り、変節、保身、憎悪、怨念など、さまざまなに人間の情念が渦巻いていた」恩讐の彼方、本書は30年という時の経過を経て初めて文字として残すことが可能となった記録である。今述べたとおり、分割・民営化を進めた側とそれに抵抗した側、国鉄本社と第二臨調、政治家や運輸省、そして複数の労働組合、本書を読む限り、どの立場にも絶対的な正義はない。筆者は特定の当事者に与することなく、客観的でありながらドラマティックに第二次大戦後最大の労働問題、巨大組織の再編成の実情を伝えているように思われる。

 昭和6241日午前零時、国鉄がJRに代わった運命の日を点描する短い序章に始まる本書は続いて昭和40年代まで遡って国鉄の労使関係の不毛の歴史を概観する。第一章で焦点化される二人の人物は対照的でありながら、国鉄に決定的な影響力を行使した。一人は総理大臣となった田中角栄。田中は昭和47年に発表した「日本列島改造論」において新幹線を含む鉄道網の整備によって日本全国を一日の交通圏に収めようとする壮大な夢を語り、鉄道インフラの普及を徹底的に押し進めた。もう一人は「国労の顔」と呼ばれ、国鉄の労働運動に決定的に関与した細井宗一である。正反対の立場にいる二人であるが、ともに新潟県の出身であり、兵役では同じ連隊の所属し、古参兵の制裁を受ける田中を常に細井が庇ったというエピソードは興味深い。「国鉄なんてものは大きな赤字は困るが、大もうけもしてはならない。運賃を高くしないためにはトントンか、多少の赤字がよい。米国を除いて、先進国が国鉄にしているのはそのため。その国の経済を守るために必要なのだ」という昭和54年の細井の言葉は今日でも示唆に富む。国鉄の解体は一連の民営化路線の大きな成果として喧伝されているが、JR各社が本業以外で大きな収益をあげ、リニア新幹線の敷設といった原子力発電所の維持以外に意味を見出せない異常なプロジェクトに狂奔する姿を見るにつけ、かつて同じ会社に収益や利潤とは別の価値を奉じた人々がいたことは記憶されてよいだろう。

 やや先走った。本書は昭和40年代中盤から語り起こし、当時の熾烈な労使の対立を素描する。国労をはじめとする国鉄の労働組合は当時圧倒的な権勢を誇り、労使協調などありえない壮絶な労働争議や職場闘争を繰り返していた。鉄道が止まることは日常茶飯事といった今日では考えられない状況が描写される。筆者自身による新聞記事から次のような情景が引用されている。「組合側はどんな問題でも分会の役員を先頭にして230人が一団となって区長室に押しかける。ゲバ棒こそないが、交渉のやり方は紛争大学の大衆団交とほとんど変わらない。区長や助役のネクタイを引っ張り、ゲンコツで腹を突く。足で蹴り、手をねじ上げる。『傷にならない程度』の暴力行為が何時間も続く。『バカヤロー』『ノロマ』『ナンセンス』といったバ声。話し合いのできる雰囲気はまったくない」本書を読むとこの時期の労使闘争はいくつかの問題に焦点を結んだことが理解できる。まずELDLと呼ばれた電気機関車、ディーゼル機関車の導入に伴い、かつて蒸気機関車では必要であった機関助手を削減しようとしたことに対して組合側は反発し、各地で闘争を繰り広げる。この闘争に完敗した当局は、昭和44年に磯崎叡が新しい総裁に就くや巻き返しを図り、生産性向上運動、いわゆるマル生運動によって組合の切り崩しを試みる。泊まり込みで講義とディスカッションを繰り返して出席者を洗脳するこの運動は、新興宗教やブラック企業の新人研修を連想させ、今日ではおおいに不気味に感じられるが、このような手法は高度経済成長時代の大企業ではよく用いられていたらしい。余談となるが、生産性本部から派遣され、「トレーナー」と呼ばれた指導者たちのふるまいは宮部みゆきの『ペテロの葬列』の中で大きな役割を果たしていた。この運動の結果、初めは組合から多くの脱退者が出たが、組合側は直ちにマスコミや裁判所を巻き込んで強烈に反撃し、当局批判を繰り広げた結果、逆に優勢に立つ。勝ち誇った組合側は多くの無体な要求を押しつけ、結果的に「二度と元に戻らぬ、労使のささくれだった対立と職場の荒廃」が残された。国鉄の労働組合は当時の社会党の支持基盤として政治的にも大きな力をもったから、労使問題は政局とも深く関わっていた。時期としては田中角栄の政権下で、国鉄の労働組合は専横をきわめる。昭和48年の春闘における順法闘争は不満を抱いた乗客の暴徒化を引き起こした。当時を振り返って書記長自身が「マル生闘争の勝利によって組合員の多くが、何をやっても許されると増長した」と述べている。当時、高崎線には「職員専用列車」と呼ばれるダイヤ上には存在しない列車があったという。それは朝の通勤時間帯に試運転列車と称して運行する列車を踏切で停車させ、付近の国鉄職員の通勤に供していたものであり、「組合員の驕りと慢心、そして安全の軽視はここにきわまっていた」当時、組合側はスト権を確立するためのスト、「スト権スト」なる珍妙なストを繰り返したが、この理不尽なストライキは私の記憶にも残っている。結果としてこのストは両者の力関係に微妙な転換をもたらすが、この時期も労働組合は経営側に対して圧倒的な優位にあり、この責任を負わされた歴代の国鉄総裁は政府自民党からも激しい突き上げにあって次々に破綻し辞職を重ねた。田中角栄によって重用されたエリート総裁でさえアルコール依存症となり午前中の会話は支離滅裂、夕方には総裁室で泥酔していたというエピソードは壮絶である。

 昭和50年代に入ると状況は微妙に変化する。まず当時の混乱した政局を押さえておく必要があるだろう。ロッキード疑獄を経て、田中から三木、福田、大平と政権が次々に変わる。選挙中に急逝した大平を襲った鈴木善幸は行政改革を自らの内閣の主要な仕事と位置づけ、中曽根康弘を責任者たる行政管理庁長官に据えた。中曽根は密かに国鉄改革を断行することを決意する。一方、この頃、後の国鉄解体を内部から進めた「三人組」と呼ばれる若手職員、井手正敬、葛西敬之、松田昌士もそれぞれの持ち場で問題意識を深めていた。中曽根は臨時行政調査会の会長に経団連会長を退いたばかりの土光敏夫、補佐役に山崎豊子の「不毛地帯」のモデルとなった伊藤忠商事元会長の瀬島龍三を担ぎ出し、いわゆる土光臨調を発足させる。国鉄改革もその大きな課題であったが、当時国鉄は井手らが中心になって「後のない経営改善計画」を作成しており、この計画を軌道に乗せることによって弥縫的な「改革」を図るというカードも残されていた。しかし国鉄改革を主要なテーマとした第四部会では次第に「分割・民営化」という処断の可能性が現実味を帯び始めていた。このような事実関係からも理解されるとおり、井手らも最初から分割民営化という路線を推進した訳ではない、経営改善、あるいは分割なしの民営化、当時はいくつかの選択肢が併存しており、さらにプレーヤーも経営陣、労働組合に加えて、運輸省、政府自民党と多岐にわたる。本書を通読して感じるのは国鉄解体が決して予定調和としてもたらされたのではなく、多くの力学の偶然の結果によって現在のかたちに至ったという点である。プレーヤーの一人、自民党は昭和57年に党の交通部会内に「国鉄再建小委員会」を設ける。宮城県選出の国会議員、三塚博が仕切る通称三塚小委員会は以後、分割民営という路線を強力に推し進めることとなった。組合や運輸省との折衝の中で次第にお互いを認知し、ともに分割・民営化の方向を目指していることを知った「三人組」は相当に隠微な手法を用いて、国鉄という組織の腐敗、労働組合との癒着の告発を始める。知り合いのマスコミを通じて不祥事を内部告発し、三塚小委員会に「秘密事務局員」として加わって当局、組合側の双方にとって都合の悪い資料をいちはやく提出し、さらには労使の癒着の甚だしい現場、規律のゆるんだ職場の抜き打ち検査を手配した。労働組合と関係の深い社会党のみならず自民党の国会議員らとも国鉄は深いパイプをもっていたから、利害関係は複雑をきわめる。組織が自己防衛をその本質とする以上、分割・民営化に対する「国体護持派」の抵抗は激しく、三人の「改革派」は経営側、組合側のいずれをも敵に回して、外部の力、具体的には「改革派」の政治家やジャーナリストと気脈を通じて事態の打開を試みる。このあたりの暗闘の描写は凄まじい。一旦、分割・民営化を容認するような発言を行った総裁仁杉に対しては経営側が血相を変えて乗り込み、総裁を軟禁して真意は異なるという文書を書かせては社内報として配布する、三人組は国鉄の腐敗を告発し分割・民営化の必要を説いた書籍を三塚の名で出版し、三塚のもとには(本来ならば正反対の立場にある)右翼と組合の街宣車が押しかけて脅迫を繰り返した。仁杉は秋山機関と呼ばれる一種の秘密機関を設立し組織の検閲と粛清をはかる。一時、「改革派」は地方に左遷され、中央に残った者も四六時中監視された状態での執務を強制される。しかし三人は逆境にあって改革の同志を募り、連判状によって結束を固め、反撃の機会をうかがう。このような闘争の熾烈さはいくつものエピソードからうかがうことができる。例えば秋山機関によって作成された「分割のメリット・デメリット」という極秘資料は仁杉らが更迭された夜に全てシュレッダーにかけられて一部たりとも残っていない。仁杉が解任された理由は自分のシンパと信じて国鉄記者クラブに所属する記者を相手に酒席の場で洩らした「本音」がひそかに録音され、首相であった中曽根に届けられたことによるという。いずれもにわかには信じがたいが、かくも緊迫した状況が当時の国鉄を取り巻いていた訳である。分割・民営化に大きく舵を切った中曽根政権によって仁杉総裁は更迭され、国鉄の命運は決まった。その直後、副総裁に呼ばれた井手がこの場で辞表を書けと迫られたというエピソードも鬼気迫る。

 かくしてついに分割・民営化という方向が定まる。これにあたっては当時首相であった中曽根の意向が大きな意味をもっていた。中曽根はこの路線を推進する三塚を運輸大臣に据え、この問題の一挙解決をはかる。昭和60年のことである。三人組が国鉄の中枢部に呼び戻される一方で、分割・民営化に抵抗した勢力は閑職へと追放されていく。労働組合の対応は大きく分かれた。最大の国労が真っ向から反対したのに対して、動労や鉄労は分割・民営やむなしとして経営側に迎合する。もはや大勢は明白であった。「最後の主戦場」と題された章では労働組合を切り崩す経営側のあざとい手法が明らかとされる。経営側に恭順し「労使共同宣言」を受け容れた労働組合には一定の見返りが与えられる一方で、最後まで対立する国労に対しては雇用安定協約の締結を拒み、労働者の分断と差別化をはかる。国労からは多くの脱退者が生じ、彼らは真国労なる新しい組織を立ち上げる。分割・民営化の結果として多くの余剰人員が発生することは明らかであり、国鉄に残るか、「余剰人員」として遇されるか。当局は組合員たちに残酷な踏み絵を課した訳である。組合と御用組合の熾烈な闘争は山崎豊子の「沈まぬ太陽」を想起させ、時に暴力事件を引き起こしながらこのような死闘が続いた。昭和6110月に修善寺で開かれた国労の臨時大会で執行部は柔軟路線に転じようとしたが、議案は否決され、国労は事実上の分裂状態に陥る。この時、分割・民営化への抵抗は完全に潰えた。翌月に「国鉄改革8法案」が可決され、遂に日本国有鉄道の解体が決定されたのである。しかし人事においては大きな番狂わせが相次いだ。最後の局面で運輸大臣が三塚から橋本龍太郎に交代したのも不規則な人事であったが、粉骨砕身の思いで国鉄「改革」に関わった三人組、そして国鉄解体時の総裁、杉浦喬也らは再出発したJRにおいて要職を充てられることがなかった。彼らの血と涙の結晶である国鉄改革も中曽根にとっては自らのパワープレーの一局面に過ぎなかった。

 本書は読み物としては面白いが、読後感はよくない。無数の人物が登場するが、共感や感情移入できる人物は一人もおらず、暗澹たる抗争の連続と後味の悪い結末が語られるからだ。正義やカタルシスから遠い本書の内容は先に触れた山崎豊子の小説、例えば「華麗なる一族」や「沈まぬ太陽」のそれに近い。本書に主人公を求めるならばおそらくは井手、葛西、松田という三人組であり、彼らは組織内にいながら組織を解体するという困難な任務を担った。しかし彼らが操った権謀術数を知る時、彼らもまたヒーローからは遠い存在である。彼らを国鉄解体に走らせた動機がかつての国鉄の当局と組合の癒着と腐敗であったことは想像に難くない。私も民営化以前のJRの状況を覚えているので、かつての国鉄が乗客や通勤客を一切顧みない傲慢な組織であったことを知っている。本書の終章には「猛き者ついに滅びぬ」というタイトルが掲げられているが、怠業の一方で管理職をつるし上げ、自分たちの専用列車を走らせるような専横を働く者たちが滅びたことは当然であったと今になればわかる。本書においては二つの「連判状」に触れられている。連判状とは時代がかっているが、彼らがこのような手段で結束を固めたことは明らかだ。これらはもし公開されるならば改革派を同定し、過酷な処分を招いたであろうから、自分たちの真剣さを確認する意味もあったはずだ。私は改革派を一方的に支持するつもりはないが、これらの文書の真剣さには深く共感するし、それほどまでにこの巨大な組織は病んでいたのである。

 今日、国鉄改革は成功したといわれる。確かに再建の見込みもなく赤字を垂れ流していた組織の収支が曲がりなりにも回復し、サービスも劇的に改善されたから、この成功はこれ以後引き続く民営化のモデルケースとなった。しかし本書から明らかなとおり、そこには多くの影の部分があったことを忘れてはならない。一つには国鉄の解体にいたる過程できわめて非人間的な状況が生じたことである。解体に伴って大量に発生した「余剰人員」は「人材活用センター」と呼ばれる施設で清掃や単純作業、あるいは炎天下での行軍といった無意味な作業に従事させられた。「国鉄アウシュビッツ」とさえ呼ばれたこの施設には多く国労系の労働組合員が集められたという。先に述べた通り、この背景に労働組合間の確執があったことに疑いの余地はない。国鉄の解体は戦後の日本において一定の影響力を有した労働組合の終わりの始まりであった。本書の最後の節は「55年体制の終焉」と題され、平成元年における総評の解散とそれに代わる連合の結成について言及されている。元号からわかるとおり、同じ年に昭和天皇が死亡し、ベルリンの壁が崩壊した。そして国鉄の解体を契機としてこの国では何かが決定的に変質した。「昭和の解体」という本書のタイトルは象徴的だ。冒頭で「国鉄は赤字は困るが大もうけしてはならない」という言葉を紹介した。この言葉は昭和という時代ににあっては例えば公益とか安全といった収益とは別の、多くの場合それに優先する価値が存在していたことを暗示している。しかしこれ以後、私たちは利潤を唯一の価値観としてひたすら追い求めることとなる。国鉄民営化の「成功」は同じ原理がほかの公共的な事業にも応用可能ではないかという発想を生んだ。これに従って教育、文化といった本来的に市場性とは相容れない分野、具体的には公教育から大学、図書館や美術館といった場にも経済原理が浸透することになった。先日の愚かな大臣の発言からも明らかなとおり、本来ならば「別の価値」によって統御されるべき営みが経済原理という濁流の中で淘汰され、結果としてかつての国鉄同様に荒廃しつつある。まことに国鉄民営化の「成功」は昭和から平成、すべての価値が金銭に一元化される時代への転換を画す出来事であったといえよう。

 本書で詳細に報告される、かつての国鉄の腐敗した内情は実は当時からよく知られていた。誰もが異常と感じながら、圧倒的な権勢を誇る労働組合に対して時の政権さえもが拱手していた内情は本書で詳らかにされている。そして私は、現在もなお、誰もがその不正義を知りながら批判できない一つの体制が存続していると感じる。いうまでもない、原子力村と呼ばれるシンジケートだ。もはやこの産業が差別と不正の上にしか存立しえないことは誰の目にも明らかであるし、彼らが震災の後、スト権スト並に愚劣な「計画停電」によって私たちを恫喝したこともはっきりと記憶しておこう。私たちは原子力発電がほとんど稼働していない状態でいくつもの夏と冬を乗り切った。それにも関わらず、リニア新幹線なる虚妄を振りまいて原子力政策の堅持を叫ぶ論客の一人が葛西である。かつて国鉄という国家的な不正義に対峙した人物が、同様の国家的欺瞞に取り込まれて、中曽根に始まる国家主義的な保守政治の断末魔、最低最悪に劣化した現政権に寄り添う姿は人間の業と呼ぶべきか、まことに無残に感じられる。

 それにしても私はいつまで、レヴューの最後にお決まりの政権批判のコメントを書きつけなければならないのだろうか。90年代、私の批評は政治性を帯びることはほとんどなかったし、形式主義者たる私はこのようなくだらない作業が嫌でたまらない。しかし今や批評に携わる者にとって政治性のない批評はありえないほどに、政治が表現の場に手を突っ込んできている。私たちはかつてなく暗い時代を生きている。

 なおこのブログでは元号は用いないが、今回のみ内容に鑑み、時系列を元号で表記した。



by gravity97 | 2017-04-22 10:14 | ノンフィクション | Comments(0)

サーミ―・ムバイヤド『イスラーム国の黒旗のもとに』

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 「イラクとシャームのイスラーム国」、通常はイスラミック・ステート、ISIS呼ばれる「国家」について私たちは多くを知らない。もちろん後でも触れるとおり、この「国家」によって二人の無辜の日本人が惨殺されたことを私たちは記憶しているし、この「国家」の壊滅に向けて今も多くの戦力が投入されていることを私たちは日々の新聞やインターネットのニュースを介して漠然とは知っている。しかしこのような異形の「国家」がいかにして誕生し、なにゆえ今も大きな影響力を行使しているかについて多くの日本人は無知であり、興味をもつこともない。それはおそらく中東地域に対する知識と関心の希薄さに由来するだろう。石油を介した経済的に死活的な関係は存在するにせよ、日本とイスラームとは直接に国境を接することがない。おそらくはロッド国際空港における日本赤軍によるイスラエルへの公然たる攻撃がアラブ諸国の日本に対する漠然とした好感の根底にある点は記憶されるべきであろう。それゆえ私たちは同胞がイスラームの手によってかくも無残に殺された情景をインターネット経由で目撃し、戦慄したのであった。

 本書はオスマン帝国時代に遡ってこの異形の「国家」の出自を確認し、ムスリム同胞団からアル・カイーダにいたるジハードの系譜の末端に位置づけるとともに、その成立と存立基盤、苛酷きわまりない統治、現在にいたるその不気味な拡張を検証する内容である。きわめて興味深い内容だが、決して読みやすいとはいえない。翻訳の問題もあろうが、それ以上に私たちのイスラームに関する無知によるところが大きい。例えば固有名詞一つをとっても私たちにはなじみが薄く、覚えるのに苦労する。アブーとかイブンといった名前が繰り返され、私たちはあたかも「百年の孤独」を読むかのように、次第にどれがどの人物かわからなくなる。イスラーム特有の特殊な概念が特に説明なく使用されるので意味をつかみかねる場合も多い。主要登場人物については巻末に一覧が掲出されているが、キーワードについても簡単な説明がほしかった。例えばサラフィー主義という言葉が頻出する。私は何度も頁をめくって、それがムスリムの初期の世代を意味する「サラフ」に由来し、「正統カリフが示した初期ムスリムのあり方から歪んだ現在のイスラーム世界を倫理、敬虔さ、実践の面で元に戻そうとする」一種の原理主義のことであると知った。この一方、本書は最近私が関心をもち、このブログでも論じたいくつかの話題、最近ではウェルベックの「服従」の内容と直結している。著者はシリア生まれの歴史家。したがって冒頭の謝辞に掲げられた次の言葉は重い。「本書は最も困難な時期を通して書かれた。私の祖国シリアは戦争状態にあり、社会構造は破壊され、経済は荒れた。死亡した25万人以上の国民の多くは、不幸にも現在続いている暴力の犠牲となり、戦場からの脱出を試みて地中海で溺死した人もいる。1990年代に文通を始めて以来、私に安らぎを与え、寄り添ってくれた友人たちはみな祖国を離れてしまった。純粋にシリアでの大虐殺から逃れて人もいれば、ヨーロッパやアラブ世界で仕事を見つけた人もいる」

 先に述べたとおり、本書においてはまず最初にオスマン帝国時代まで遡ってISISの起源が確認される。それはカリフという制度だ。カリフとは代理人の意、その言葉どおりイスラームの預言者ムハンマドの代理を務める後継者であり、王朝ごとに何人かのカリフが存在したが、1924年にトルコのアタテュルク大統領によってカリフ制度は廃止された。それからほぼ一世紀後にカリフを僭称したのがISISの指導者、アブー・バクル・バクダーディーであり、ISISとカリフ制は深い関係がある。カリフをめぐる逸話からこの制度と暴力との親和性は明らかだ。筆者によれば初代のカリフはほとんど全てが暗殺されている。そしてモンゴルによるイラク侵攻という激動の時代を生きた学者イブン・タイミーヤの過激な主張は後にワッハーブ主義と呼ばれる原理主義的で苛烈な思想として膾炙する。サラフィー主義そしてワッハーブ主義が浸透する社会は厳格な宗教的規律が支配し、破戒者に対しては残酷な刑罰が課せられる。後半で語られるとおり、ISISの支配地においては現実にこのような統治がなされている訳であるが、同様の圧政は今もなおたとえばサウジアラビアでも続いていることは記憶されてよかろう。今日にあっても多くの反体制の活動家が斬首といった残忍な手法で処刑されていることに関しては本書中に言及がある。先日、この国の王族一行が来日し東京で贅沢の限りを尽くしたことが報道されていたが、富の偏在は権力の腐敗と秘密警察の跋扈を招く。本書においても繰り返し言及されるウサーマ・ビン・ラディンがサウジアラビアの出身であったことは必然性がある。本書を通読してあらためて痛感するのは、イスラーム世界が私たちの想像を絶する血に塗れた歴史を抱えていることだ。第二章の「ジハード主義に穏健な人々」から第五章の「イラクのジハード主義者たち」まではISISの前史とも呼ぶべきイラクとシリアを中心としたイスラームの歴史が語られるが、それは虐殺と報復のいつ果てるともなき連鎖だ。例えば1982年にシリア中部のハマーという町で戦闘前線と呼ばれる組織による政府軍への攻撃に対してハーフィズ・アサド(現シリア大統領、バッシャール・アサドの父親)は仮借ない弾圧を加え、政府側の発表でさえ3000人が虐殺され、そのほとんどが一般市民であったという。驚くべきことにこのような事実を私たちはほとんど知らされていない。例えばこの二年前、韓国の光州で起きた蜂起に対しても軍事政権が徹底的な弾圧を加え、多くの市民が殺された。いわゆる光州事件について私たちはそれなりの知識をもっている。しかし私たちは中東の地で繰り返された虐殺と弾圧、拷問と残虐な刑罰についてほとんど何も知らない。これらの章を通読して、私はサラフィー主義に基づいて彼の地で続けられたジハードの歴史をあらためてたどった。ISISの登場にいたる血塗られた歴史は、今挙げた戦闘前線によって幕を開け、ムスリム同胞団へと続き、よく知られたアル・カイーダがそれを襲う。アル・カイーダからさらに二つの集団が分岐する。アブー・ムハンマド・ジャウラーニーが設立したヌスラ戦線とバクダーティーのISISだ。ヌスラ戦線とISISは最初こそ良好な関係を保つが、やがて反目しあい、後者が次第に優勢になる。近年の報道を通じて名前だけ知っていたいくつもの運動や組織に対して本書は歴史的なパースペクティヴを与える。

しかし私たちはこのような歴史を当然として受け入れるべきではない。シリアはかつて平和で穏やかな国であった、著者が謝辞の中で父母についいて触れ、「シリアが最も栄えていた時代を知る世代」と表現するのはこの意味であり、私の記憶によれば聖書の中で「乳と蜜の流れる土地」と表現されたカナンの地とレヴァント諸国は決して遠くないはずだ。以前このブログで論じた「ブラッドランド」のごとく、本来は豊かで平和な土地が歴史的、地政学的な偶然から殺戮の場と変わることを歴史は教える。かかるキリング・フィールドから万を単位とする人々が国を捨てて地中海を渡り、ヨーロッパに向かっている状況を我々は今目撃している。しかし原子力発電所の事故がいつまでも収束せず、新しい戦争へ向かうこの国においては同様のエクソダスがいつ自分たちの身に降りかかるかもしれないという危機感を私たちは抱くべきではないだろうか。

第六章ではいよいよISISの誕生が描かれる。本書を読むならばおそらくアメリカによるイラク侵攻がその淵源であったことが理解できる。同時多発テロへの正義なき報復としてのイラク侵攻は確かにサッダーム・フセインの残酷な統治を破壊した。しかし宗教を拠り所として民衆を苛烈に弾圧したフセインの統治はその残党であるバアス党のメンバーを通じてISISに引き継がれた。その勢力の伸長は一人、指導者のバクダーディーの力に帰せられるべきではなかろう。サラフィー主義に基づいてカリフを待望する宗教的感情、残忍さとアメリカに対する敵意を叩き込まれた旧バアス党の将校たち、特使としてイラクを支配するポール・ブレマーの腐敗した権力(この問題についてはかつて傭兵企業ブラックウォーターについての告発と関連してこのブログでも論じた)、そしてフセイン政権の崩壊に伴い大量に残された武器、これらの条件がISISという鬼子を生んだのである。そしてこの「国家」は決して狂信者の集団ではなく、それなりに統制された組織として成り立っている。本書の中にはバクダーディーがアラビアの学者の本をベイルートで複写させ、ISISの首都であるラッカに届けさせる逸話がある。その際には宛名として「カリフ・イブラーヒム、ラッカ」と書けばよいと指示されたというエピソードはバクダーディーの支配地域に郵便制度が確立していることを暗示している。さらにISISは(アル・カイーダとは異なり)支持者からの寄付のみでなく、制圧した油田地域からの石油を独自の財源としており、経済的な基盤も安定している。さらに彼らはインターネットをきわめて効果的に使い、情報の発信については高度の技術を有している。後述するとおり、この技術を駆使してISISはヨーロッパから多くの若者をリクルートする。彼らの情報操作の巧妙さは世界中を震え上がらせた人質の処刑映像の発信のタイミングにも認められる。筆者によればそのような映像は有志連合による空爆の前後に意図的に流される。空爆前であれば、有志連合の兵士たちに恐怖を与え(捕虜にされたパイロットは火あぶりにされた)、空爆後であれば統治下にある住民を沈黙させる意図があるという。本書には殺害された日本人、湯川遥菜と後藤健二についても言及されている。安倍がイスラエルを訪問して支持を表明した直後に二人が惨殺されたことは明らかなメッセージであろう。愚かな宰相の「外遊」スタンドプレーの犠牲として彼らは貴い命を落としたのである。

「血の家」と題された第七章ではISISが統治する地域での市民の生活が報告される。イスラームの教義に従うことが強制され、女性は全身を黒衣で覆うことを義務付けられ、一人で出歩くことはできない。巡回する警察官による身体検査で香水や煙草、コンドームなどを所持していることがわかれば処罰の対象となる。音楽は否定されているために携帯に着信音やゲームを設定してはならない。公共の場における刑罰と斬首は日常的であり、切断された頭部は見せしめとして腐るまで街路に放置される。恐怖による統制はかつて80年代にイラクでフセインが用いた手法であるという。人身売買も公然化されており、異端とされた女性は性奴隷として売買される。まことに悪夢のような情景であり、そこを逃れる多くの難民が発生する理由も理解できよう。しかし類似した蛮行は西欧の中世にも横行していたから、かかる事態はヨーロッパとイスラームの空間的相違というよりも中世への歴史的逆行ととらえるべきではないか。私は先に「服従」をレヴューした際に、小説の中でイスラーム化されたフランスを中世的と評した。中世の暗黒が地続きに存在する時、西欧が恐怖する理由も理解できる。そして「外国人ジハード主義者」と題された第八章はさらに衝撃的である。タイトルが示すとおり、ここではアラブの他の地域、そして欧米からISISに加わるサラフィー主義者の問題に焦点が当てられている。このような苛酷な土地がなぜ多くの者を惹きつけるのか。むろんインターネットを介した宣伝の巧妙さが一つの理由であろう。私たちは指一本を動かすだけで、宗教社会として理想化されたISISの映像に接することができる。しかし誰しもが想像できるとおり、それは偽の映像だ。使い走りとして車で品物を届けるように命じられ、目的地で仕掛けられた爆弾によって車ごと爆殺される者たち(死後は殉教者として称えられる)、戦闘員として経験が浅いにもかかわらず前線に送られ、後続するプロフェッショナルの兵士たちの盾となって最初に死ぬ者たち。外国人ジハード主義者は大半が使い捨てだ。それにもかかわらずなぜ多くの若者がシリアを、ISISを目指すのか。以前このブログでローレンス・ライトの「倒壊する巨塔」をレヴューした際に、私は次の文章を引いた。「華々しく、しかも意味のある死。人生の喜びや努力のしがいのない政府の抑圧下に暮らし、経済的損失に人々が打ちひしがれている場所では、そうした誘惑はとりわけ甘美に響いた。イラクからモロッコまでアラブ人が統治する各国政府はどこも自由を圧殺していた」9・11の「テロ」に走った若者たちの心情を想定したこのパッセージは今や欧米の報われぬ若者たちにもあてはまる。閉塞に絶望した彼らが「意味のある死」を求めてISISを目指したことはおおいにありうるだろう。しかし彼らが迎える絶望的な状況は「ISISの女たち」と題された第九章において、ヨーロッパからシリアに向かった女性たちのエピソードを通じて明らかにされる。イスラームにとって女性とは抑圧されるべき存在であり、子を産むための道具であった。啓蒙を経過しながらもそれを嬉々として受け入れる女性たちのエピソードはまさにウェルベックの「服従」の主題ではなかっただろうか。

最後の章「ISISの新たな前線」にはISISをめぐる最新の状況が記述されている。シドニーとパリにおけるテロ、後者は風刺雑誌「シャルリー・エブド」をめぐる有名なテロであり、ISISによるテロが今後欧米のいかなる場所で発生しても何の不思議もないという恐るべき可能性が論じられる。そして今さらに不気味な状況が醸成されつつある。「(ISISへの)入国志願者に武器を持ってシリアに来るように呼びかける代わりに、ISISは今や彼らをヨーロッパ内部に留めるように戦略を変更したという。彼らは不信仰の敵の隊列の後方にいて、ISISとの戦争に参加した諸国に攻撃を加えるのだ」2015年、地中海の対岸、リビアのシルトにおいてISIS21名のコプト教徒のエジプト人を誘拐して残虐に処刑する。その際にはわざわざ地中海の海岸が斬首の場と選ばれた。「我々はローマを征服する」というメッセージに対して著者は次のようなコメントを加えている。「現代のジハード主義者はウマイヤ朝のカリフがスペインを征服し、ヨーロッパ大陸にムスリムの支配を樹立した日々に思い焦がれている。レヴァントから進軍したムスリムの軍勢による700年に及ぶヨーロッパ支配への回顧趣味がISISのヨーロッパへの野心を燃え上がらせている」

果たして私たちはどこに向かっているのだろうか。今や世界は憎悪に満ち、ISISから逃れた多くの難民がシリアからヨーロッパを目指しながらも国境を閉ざされて命を落とす。(ISISも難民を偽装してヨーロッパへの侵入を図っているという記述がある)ISISの掃討を叫ぶサイコパスの大統領は自分たちの傲慢な政策こそが20世紀にあってはアル・カイーダを、21世紀においてはISISを生み出したと認識しているはずもなかろう。そして国家主義者に乗っ取られた日本では周囲の国への侮蔑に満ちた言葉と自身についての増長した言葉ばかりが増幅され、戦争への準備が着々と進められている。本書の謝辞は次のように締めくくられている。「政治家は過ちを犯し、体制は計算を誤るが、歴史は常に正しく決着する」私はこのように楽観的にはなれない。不寛容と狂信、イスラーム国は私たちの中にある。



by gravity97 | 2017-03-25 22:51 | ノンフィクション | Comments(0)

三浦英之『五色の虹』

b0138838_15295242.jpg 本書はサブタイトルにあるとおり、日本が中国東北部を満州国として植民地化していた時代、現地に設置された満州建国大学の卒業生たちの人生をたどるドキュメントである。著者の三浦英之は朝日新聞の記者。三浦について、私は本書に先行して別の機会に知っていた。三浦は現在、アフリカ特派員としてヨハネスブルグの支局長を務めているが、以前よりツイッターを通してアフリカの現在を生々しく伝える情報を発信し、最近も現政権の下で日本の自衛隊が配置される南スーダンの苛酷な状況について、タイムリーなレポートを記していたように記憶する。恥ずかしげもなく首相の饗応に応じる御用編集委員がコラムを執筆するこの新聞社にあって、三浦や「メルトダウン」の大鹿靖明ら、きちんとした調査報道ができる若手記者が存在することはせめてもの救いだ。

 歴史の中にはいくつもの闇がある。以前、このブログで取り上げた北朝鮮への帰還事業しかり、中国での大飢饉しかり。あたかもそれがなかったように葬り去られた多くの真実は粘り強い調査を通じてようやく白日のもとに晒される。本書の主題である満州建国大学が闇に埋もれた理由は明らかである。それは満州という日本の植民地、ありえざる場につかのまに花開いたユートピアであったからだ。三浦はかつて新潟支局に赴任していたことを縁として、この大学の卒業生と知り合い、関心を抱いて取材を始める。町田、神戸と関係者を訪ねた後、朝日新聞社の許可を得て、三浦は三週間の取材旅行に出かける。目的地は大連、長春、ウランバートル、ソウル、台北、そしてカザフスタンという広い地域に及ぶ。必ずしも治安や日本との関係がよい地域ばかりではない。三浦によれば、「所属新聞社の推薦状がない限り、中国やモンゴル、カザフスタンなどの国々は取材に必要なビザを発給しない。万が一不正が発覚した場合には海外拠点で勤務する特派員にペナルティーが科せられる恐れがあるため、新聞記者という身分を有して取材にあたる以上、観光ビザで入国するという行為が私にはどうしてもとれなかった」後述するとおり、この取材にあたって検閲に近い妨害を三浦は体験することになるが、この記述は21世紀に入っても世界が厳しい緊張の中にあることを暗示している。実際に先般、社会病質者が下した「大統領令」によって私たちはいまや移動の自由さえ奪われている。この取材旅行に基づいて夕刊に四回にわたる記事が掲載されたとはいえ、2010年にこのような取材旅行が許可されたことに私は新聞社の度量を感じる。それというのも、本書はまさにこの時点に取材がなされたことによって可能になった記録であるからだ。高齢の関係者は次々に他界し、あとがきには取材から本書が刊行するまでに鬼籍に入った登場人物の名前が列挙されている。

 2010年に東京で開かれた建国大学の「最後の同窓会」の模様をプロローグとして、新潟からカザフサタンのアルトマイまで、記者が取材で赴いた地をタイトルとした11の章によって本書は構成されている。比較的短い期間の取材と三週間の海外取材を素材としているから徹底性には欠けるが、スピード感があって読み物としてまとまっている。卒業生を各地に訪ねる内容は一種のオムニバス形式といってよいだろう。卒業生のその後の人生は彼らが生きた国、生きた時期によって実に様々だ。その広がりこそが本書の主題であるといってもよかろう。最初にこの大学について簡単に述べておくならば、満州建国大学とはその名の通り、かつての満州国の首都、長春(新京)に1938年に開学し、敗戦による満州崩壊とともに1945年に消滅した。わずか10年に満たない時期の開設であったが、9期生1,400名の卒業生があったとウィキペディアにある。三浦によればこの大学の在学生は日本政府が傀儡国家満州国の運営を担わせるために日本全土と満州全域から選抜した戦前戦中のスーパーエリートであった。五族共和の実践をめざして開設されたこの大学は日本初の国際大学であり、国内の帝国大学とは異なり、日本人は定員の半分に制限され、残りは中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの学生に配分されていたという。使用言語についても日本語と中国語のほかに欧米諸言語を含めて自由な選択が許されていたという。さらに当時としてはまことに異例なことにこの大学においては言論の自由が認められていたという。学生の国籍や言語の選択はともかく、言論の自由が保障され、学内では日本政府への批判が公然となされていたという指摘にはその真偽は措くとしても驚かされるが、プロローグで語られる同窓会の席上で、同窓生の一人が様々な国籍の同窓生の名を呼び上げて慟哭するというエピソードに、そのような理想郷が存在しえたかもしれないという思いを強くする。

 先に述べたとおり、三浦は日本、中国、モンゴル、韓国、台湾、カザフスタンという六カ国をめぐって取材を続ける。このことからも満州国という傀儡国家の版図の広がりを理解することができるが、興味深いのはそれぞれの国に散らばった同窓生たちの運命が大きく異なることだ。例えば韓国で取材した姜英勲はかつて韓国で首相を務め金日成と会談まで行った人物である。三浦によれば韓国は終戦時より建国大学の出身者を積極的に登用し、政府や軍、大学や企業内に建国大学の人脈が出来ていたという。あるいは台湾で面会した李水清は台湾を代表する製紙企業のトップを務め、子供たちは全員アメリカの一流大学で博士号を取得している。一方、中国で面会を予定していた二人の卒業生はいずれもなお共産党の監視下にあり、終戦後、長春を包囲した共産党軍の籠城戦、多くの市民が餓死したいわゆる長春包囲戦について三浦が不用意な質問をしたため、その時点で取材がすべてキャンセルされた。モンゴルとカザフスタンに住む卒業生たちも監視こそされていないが、韓国や台湾の卒業生たちと比べるならば、決して恵まれた生活をしている訳ではない。本書は取材旅行というかたちをとるから基本的に彼らの現在に焦点を当てているが、おそらくそこまでに彼らがたどってきた道も一様ではない。本書においてもその一端が明かされているとおり、この大学に在籍した中国人、ロシア人、モンゴル人の学生たちは日本帝国主義への協力者とみなされて迫害を受け、殺された場合もあったという。そしてそのような事実を明かすことさえも現在の彼らに危害を及ぼす可能性があるという。本書には三浦の手によるインタビューイたちのポートレートも掲載されているから、おそらくそのような可能性を注意深く取り除いたうえでの刊行であろうが、戦中のある時期、一つの大学に在籍したという事実が半世紀以上も時を経た人々になおも重い影を投げかけているのだ。

 一方で述べたような状況にも関わらず、卒業生たちがなおも連絡を取り合い、同窓生名簿を作成し、同窓会を開くという事実もまた重い。建国大学は教育内容のみならず全寮制で学費も免除されるという厚遇を保証したから150人の定員に対して日本と満州から2万人の志願者があったという。三浦のいうスーパーエリートという比喩は誇張ではないし、実際に姜英勲のように戦後要職に就いた卒業生もいれば、日本でも国立大学の教授となったインタビューイもいる。彼らのポテンシャルはきわめて高い。建国大学への入学は本来ならば未来を嘱望されるべき出来事であったはずであるが、逆にそれが帝国主義への協力の徴、一種のスティグマとみなされた訳だ。独ソ戦においても祖国のために戦い、捕虜となった兵士たちがスパイの疑いをかけられて拷問や苦役の犠牲となった点を私はこのブログのいくつかの記事で検証したが、戦時においては真摯に生きたがゆえに汚名を着せられるという悲劇が洋の東西で繰り返された。したがってここにおいて同窓会名簿に登載されることは生命にまで及ぶ不利益を被る可能性がある。それにも関わらず、「彼らはたとえ国家間の国交が断絶している期間であっても、特殊なルートを使って連絡先をたどり、運良く連絡先が判明すると、手製の名簿に住所や電話番号を書き足していった」かかる熱意の由来を、私はこの大学が一つの理想を掲げ、少なくとも学生たちがそれを共有していたことに求めたいと思う。以前、このブログで「官展にみる近代美術」についてレヴューした。今読み返してみるならば、長春における「満州国美術展覧会」もまた満州国の瓦解まで8回にわたって開かれていた。出品者の中に白系ロシア人らしき名前が含まれていたことは述べたとおりだ。展覧会の開催期間は建国大学が存在した期間とほぼ同期しており、満州国においては敗戦にいたるおよそ8年間の間、五族共和の名の下に一種のコスモポリタニズムの気風が醸成されていたことを暗示している。もちろんそれは所詮満州国という日本の帝国主義が作り出した擬制の上に開いた徒花であったかもしれない。しかし少なくとも一抹の理想主義が存在したからこそ、卒業生たちは弾圧や迫害を承知のうえで、戦後も団結を続けたのではないだろうか。実際、本書の中では三浦が卒業生の一人に同行してカザフスタンを訪ね、同期生のロシア人の再会に立ち会う場面が一つのクライマックスをかたちづくっている。65年ぶりに再会した二人の老人の交流は胸をうつ。これに先んじてこのうちの一人、85歳の宮野泰が自宅にNHKのロシア語講座の教材を揃えていたというエピソードが示される。三浦の賞賛の言葉に宮野は「これでも建大生の端くれであるから」と返すが、それはコスモポリタンとしての自負ではなかっただろうか。満州については今なおあまりに多くのことが手つかずに残されている。建国大学についても「敗戦時に大学に関する資料の多くを焼却し、戦後、それぞれの祖国へと散った卒業生たちが、後世に記録として残されることをひどく嫌った」と本書中にある。しかし満州とは全否定されるべき対象であろうか。近年、文学と美術の領域でようやくそれらを相対化する試みが始まったことを私はこのブログで何度か論じた。民族も国籍も違えた若者たちが集い、時に宗主国である日本を批判するような談論が風発したという建国大学の気風は、たとえそれが選良主義と植民地性を前提にしていたとしても、世界市民という意識へと通じる可能性を秘めていたのではなかっただろうか。

 今や私たちはかつてない憎悪の奔流の中にいる。憎悪を焚きつける言葉が政治家やメディアの口からひっきりなしに流れ、差別と排除が公言される。なぜ国籍や民族が異なるだけで人は憎しみ合わなければならないのか。「五色の虹」の五つとはいうまでもなく五つの民族、虹とは三浦の現在の赴任地、南アフリカでネルソン・マンデラが他民族国家の調和を比喩した言葉である。現在も日本を含む五つの民族は複雑な関係の中にいる。しかしかつて私たちが満州という地で(スローガンとしての政治性は措くとして)「五族協和」という理念をなんとか実現させることができたとすれば、再び同じ理想のもとに手を携えることができない理由はないはずだ。



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by gravity97 | 2017-02-05 15:34 | ノンフィクション | Comments(0)

ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエール『パリは燃えているか?』

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 新版として文庫で再刊されたことを契機にラリー・コリンズとドミニク・ラピエールの『パリは燃えているか?』を通読する。第二次世界大戦末期、連合軍によるパリ解放をめぐる経緯を描いたノンフィクションである。決して読みにくい訳ではないが、あまりにも多くの人物が登場し、抑揚を欠くためであろうか、読み終えるまでに思いがけず時間がかかり、レヴューが遅れた。
 「脅威」「闘争」「解放」の三部から成る本書の主題は第二次大戦末期、パリをめぐる攻防である。タイトルの「パリは燃えているか?」とは連合国がパリに進攻したと聞いたヒトラーが当時ドイツ国防軍最高司令部の置かれていたラステンブルグの掩蔽壕の中で参謀総長に発した問いだ。ヒトラーはパリの占領を司る司令官に、もしパリが敵の手に渡るようなことがあればパリの市街をことごとく破壊して廃墟にせよと命じていた。ヒトラーの厳命は果たして実行されたのか。私たちは答えを知っている。凱旋門もエッフェル塔もルーブルも、パリは大戦以前の風景を今日に伝えているから、ヒトラーの命令は実行されなかった。しかしパリが一時は戦場となりながら、どのような経緯を経て、あるいはいかなる関係者の努力によってその姿を今日まで長らえることとなったか、私は本書を読んで初めて知った。ヒロシマや東京、あるいはドレスデンやスターリングラード、第二次大戦中に爆撃や市街戦によって廃墟となった都市はいくつも存在し、現在でも中東ではISや多国籍軍の手によっていくつもの都市が廃墟へと転じている。ヒトラーの命令の有無を問わず、戦時とりわけ戦争の末期にあってはいかなる都市も焦土戦術によって破壊される可能性があった。パリはいかにしてそのような運命を逃れたのか。
 本書を通読すると1944年8月後半、パリ解放にいたるおおよその流れが理解できる。パリも決して無傷ではなかった。それどころか1944年8月19日、パリ各地で共産主義者レジスタンスを中心とした大規模な暴動が発生する。第二部の「戦闘」とはこの暴動を指す。これに対してヒトラーは「暴動の兆候を初期のうちにつみとるためには、一区域家屋の破壊、暴徒の公開処刑、反乱の怖れある市区の住民の強制疎開など、もっとも精力的な戦術によって対処せよ」と命じる。しかしこの直後、ほとんど奇跡のようなタイミングで連合軍がパリに進軍したことによって、かろうじてパリは虐殺と破壊から免れたのである。暴動の発生から連合軍の入市までわずか一週間足らずの間の出来事であり、何かの手順が狂っていたら、私たちはパリの歴史的史跡や由緒ある建築、そして美術館に収められていた名画の数々を永遠に失っていたかもしれない。
 第一部「脅威」では蜂起の前夜、パリが置かれていた状況が描かれる。既に連合軍はノルマンディーに上陸し、パリへの進撃が予想されていた。しかしドイツ軍の長期の占領によって市民生活には多くの支障が生じ、市民の間ではレジスタンス運動が組織されていた。当時アルジェに亡命政府を樹立していたドゴールはヴィシー傀儡政権を打倒し自らが再びフランスの大統領に復帰するために、迅速なパリへの進攻、そしてパリ解放を連合軍に要請する。しかしアイゼンハワー将軍は連合軍がパリに入った場合、膨大な食料やガソリンを市民たちに供給する必要が生じ、以後の戦略に影響を与えるとして、パリを迂回する戦略を採った。パリにおける抵抗勢力も決して一枚岩ではない。それどころかドゴール派と共産主義者たちは、戦争が終結した後の主導権を握るべく占領下で暗闘を繰り返していた。共産主義者たちの暴動がドイツ軍にパリを破壊する口実を与えることを危惧するドゴールはアルジェから市内のドゴール派レジスタンスに秘密指令を送る。一方、パリ市内の三つの刑務所に収容された政治犯たちの運命はドイツ国防軍の手に委ねられていた。鉄道を利用して彼らをドイツへと移送し、政治犯の収容所へ入れる計画を進められ、パリで銃殺されるか、ドイツの収容所に送られるか、政治犯たちは不安の中で懊悩する。この時期、ドイツ国防軍においてパリ大司令官に抜擢されたのはディートリッヒ・フォン・コルティッツ将軍であった。軍人の名門の家庭に育ったコルティッツは国防軍の信任も厚かった。しかも彼にとって退却戦は最初の経験ではなく、かつて黒海沿岸のセヴァストポリを攻略した際には撤退後、都市を焦土化する作戦に従事したことがあったのだ。コルティッツはラステンブルグでヒトラーから直接に命令を受けるが、度重なる暗殺未遂で人間不信に陥った総統に狂気の徴候を認め(このあたりの事情を私は最近、「ワルキューレ」という映画でつぶさに知った)、あるいは帝国指導員という地位にある党員から近く施行される「親族連座法」という法律について説明され、ドイツという国家自体も狂気に冒されていることを知る。
 通常、戦争を主題としたノンフィクションであれば、戦争に関する意思決定に関わった人物を中心に語られる。しかし本書において二人の著者は膨大な数の人々にインタビューを行い、多くのエピソードを連ねていく。本書の最大の特色は無名の兵士や市民の無数の声を取り込むことによって、パリ解放という歴史的事件を一つの巨大なタピストリーとして紡いでいくことにあるだろう。もちろんコルティッツのごとき重要な人物に関しては繰り返しその動静が語られる。しかし赤痢のために収容所で死ぬ女囚、列車で移送される夫を自転車で追いかける妻、自由フランス軍に合流すると言い残して何年もの間行方知れずとなる夫といった市井の市民のエピソード、無数の悲喜劇が重ねられることによって一つの時代の姿がくっきりと浮かび上がる。その中にはドイツ軍によって撃墜され、フランスのレジスタンスによって匿われたアメリカ人のパイロットや、まもなくパリが解放されるだろうと予言した謎の美女、さらには従軍記者としてパリ一番乗りを目指す若き日のヘミングウェイといった魅力的なエピソードも随所に挿入される。
 第一部に印象的な場面がある。コルティッツはヒトラーの命を受けて、必要があればパリを破壊すべく、大量の爆薬を市内各所に仕掛ける指示を与える。これに対してヴィシー政権下でのパリ市長シャルル・テタンジェはコルティッツを美しいチュイルリー公園を見晴らすバルコニーに誘い出し、アンヴァリッド、ルーブルそしてコンコルド広場に到るパリの絶景を前に、コルティッツが破壊しようとすればできたのに、人類のためにこれらの景観を保存したとすれば、それは征服者にとって無上の光栄ではないかと説く。これに対してコルティッツはテタンジェが市長としてパリを守ろうとしたように、自分も必要があればドイツ将軍としての義務を果たさねばならないと返した。本書のテーマが凝縮されたがごとき箇所であるが、この場面については最後でもう一度立ち戻ることとしよう。
 めまぐるしく視点を変えながら占領下に置かれたパリの状況を概観する第一部に続き、第二部では7月19日、共産主義者の蜂起によって、レジスタンスとドイツ軍の市街戦の舞台となったパリが描かれる。レジスタンスの抵抗は激しいが、パリは占領下にある。最終的にはドイツ軍が勝利し、市民が虐殺されるおそれがあった。実際にこの半月ほど前に同様の蜂起が発生したワルシャワでは赤軍が市民たちを見殺しにしたため、ヒトラーの指示によってレジスタンスたちは虐殺され、市街は徹底的に破壊されていた。私は初めて知ったがパリを救う上で大きな役割を果たしたのは中立国であるスウェーデンの総領事ラウール・ノルドリンクという人物であった。彼は中立国という立場を利用してコルティッツとレジスタンスの双方に働きかけて、一時的な休戦をもたらした。休戦には重要な意味があった。なぜならレジスタンスの抵抗の拠点であったパリ警視庁に対して、コルティッツはその翌朝、空軍による爆撃を考えていたが、パリ警視庁たるやノートルダム寺院やサント・シャペル寺院からわずか数百メートルしか離れていなかった。パリの中心が空爆されるという最悪の事態はかろうじて回避され、籠城するレジスタンスたちの命も救われた。
 蜂起の勃発に伴い、状況は加速する。ドゴールはイギリスを経由した命がけの飛行の末、フランスに帰還する。120秒分の燃料を残してノルマンディーに着陸したドゴールが身繕いするために一枚の剃刀の替刃を同行者たちと共有したというエピソードは著者たちの綿密な調査を裏付けている。ドゴール派と共産主義者は蜂起の是非をめぐって意見を違えるが、蜂起が発生した以上、ドイツ軍による弾圧と虐殺を防ぐためには連合軍の迅速なパリ入城を促すしかない。複雑な任務を担った情報員がドイツ軍の警戒をかいくぐって連合軍と接触をとるために密かに出発する。コルティッツは暴動に関する情報をヒトラーにあえて小出しにするが、ヒトラーからは8月23日に第772989命令が伝達される。そこにはパリをなんとしても死守せよという命令とともに「セーヌ川にかかっているパリ地区の架橋の破壊を準備せよ。もし、敵の手中に渡すときには、パリは廃墟となっていなければならぬ」という指示が書き込まれていた。このノンフィクションを執筆するために著者たちはコルティッツに対して10日間にわたるインタビューを試みたとのことであるが、なぜか本書にはコルティッツの内面に踏み込んだ描写が少なく、彼の思いを追うことは難しい。おそらくある時点でコルティッツはパリを破壊しないことを決意したのであろう。軍人としての義務とこの決意は折り合わない。コルティッツにとっても唯一の解決策は自らが破壊命令を下す以前に連合軍がパリに入ることであった。コルティッツはノルドリンクに対してパリへの進軍を促すべく、連合軍やドゴールのもとに密使を送ることを提案する。ドイツの警戒網を突破できるようにコルティッツの名による通行許可書を与えられた各国の情報部員たちが、お互いか何者か知らぬまま目的地へと向かう情景は映画の一シーンのようだ。
 情報員や密使たちの働きによって連合軍は最初の方針を変えてパリへ進軍し、ぎりぎりのタイミングでパリを解放する。もちろんなお圧倒的なドイツ国防軍が駐留しているから、部分的な戦闘は引き続き、「解放」と題された第三部においても戦闘の記述が絶えることはない。本格的な市街戦が繰り広げられ、戦車同士が交戦する。しかし戦闘の傍ら、街のあちこちで「ラ・マルセイエーズ」が歌われ、解放を告げる教会の鐘が街中に鳴り響く情景は感動的だ。コルティッツはフランスの正規軍に降伏し、ドイツ国防軍に戦闘の終結を宣言する。次々にパリに入って来るアメリカ兵たちをパリジャンとパリジャンヌは熱狂的に受け入れる一方で投降した占領者たちに対しては容赦ない。そして市民たちの怒りは対独協力者にも向けられた。ドイツの兵士たちが捕虜としてフランスの正規軍によって保護されたのに対し、ドイツ兵と親密な関係にあった娘たちが上半身を裸にされ、頭を剃られ、首にプラカードを吊されてさらし者にされ、ドイツ軍と無関係な多くの市民が誤解や密告の結果、無残にも殺された。パリ解放の裏面史と呼ぶべきこのような情景を、私は例えばクロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」あるいは先日レヴューしたロレンス・ダレルの『コンスタンス』によって知っている。連合軍の到来によってパリが解放された後、政敵たちを圧したドゴールが再び民衆の前に姿を現した場面で本書はひとまず幕を閉じる。
 パリが破壊を免れたことによって多くの人命が救われたことはいうまでもない。しかしそれだけではない。パリの建築が残されたのだ。建築とは単なる景観ではない。それは端的に都市の記憶ではないか。テタンジェがチェイルリー宮からパリの美しい景観を一望しつつ、コルティッツに都市の破壊を思いとどまるように説得する場面は象徴的である。最近私は五十嵐太郎の『忘却しない建築』という著作を読んだ。奇しくもこの小説(正確には本書が映画化された「パリよ、永遠に」)に触れて五十嵐は次のように語る。「街は誰のものか。歴史の層を積み重ねてきた街は、おそらく今生きている我々だけのものではない。目に見えるものだけでなく、過去に存在してきた人々の歴史的なエピソードを含め、都市は膨大な記憶の容器である。これを破壊することは、物理的な『モノ』の消去を超え、もっと大きな禍根を将来に残すだろう」五十嵐のテクストは直接には東日本大震災を主題としているが、都市が記憶の容器であるという発想には深く同意する。ナチス、そしてヒトラーの政策は広く記憶の絶滅と関わっていたのではなかろうか。一つの民族を根絶するという発想と一つの都市を破壊するという発想は記憶の根絶という点で共通している。そしておそらくパリがかかる暴虐から免れた理由は、結果的にパリが大規模な空襲を経験しなかったことと深く関わっているだろう。実際にコルティッツのもとには共産主義者たちの蜂起の拠点であった警視庁を空爆せよという要請、さらには夜間、パリの北東地区全域に波状爆撃を行って一挙に壊滅させ、「夜が明けた時には犬一匹、猫一匹、パリの北東地区は生きていない」状況を作り出すという提案もなされたのである。結果的にコルティッツはこれらの要求を認めなかった。戦略爆撃とは攻撃を加える側と受ける側の著しい非対称性に特徴をもつ。加害者は反撃を受ける可能性のない場所から一方的に他者を蹂躙する。そこに被害者への想像力が働く余地はない。本書には戦車による市街戦、つまり地上戦についての言及はしばしば認められる。兵士が固有名をもつ地上戦は個人へのインタビューによって記録することができる。しかし匿名化された空爆という体験は個人のレヴェルでは検証できないのではなかろうか。先に私は第二次大戦中に破壊された都市の名を列挙した。このうちヒロシマ、東京、ドレスデンはいずれも空爆によって壊滅した。被爆、空襲、空爆については被害を受けた側の記録―文学、ノンフィクションを問わず―は存在しても、加害者側の記録は存在しない。そしてこのような非対称的な戦闘の最新版がドローンによる無差別攻撃であることはいうまでもない。
 本書のタイトルは暗示的である。このノンフィクションは一つの都市がヒトラーという稀代の記憶破壊者から解放された記録と考えることができるかもしれない。アドルノを引くまでもなく、同じナチスによる絶滅収容所においてはバッハを聴き、ゲーテを読むインテリたちがユダヤ人を虐殺することになんら痛痒を感じなかった。これに対して、パリという都市の文化的蓄積、建築という記憶が少なくともコルティッツという司令官の琴線に触れて、焦土戦術も辞さないと述べた軍人に人間的な反省の機会を与えたのではなかっただろうか。コルティッツが戦後どのような処遇を受けたかについて本書には記されていないが、回顧録を出したという記述からはおそらく戦争犯罪を厳しく問われることはなかったと予想されるし、そもそも本書の巻末には8月28日付で西部軍総司令官からヒトラーに送られたコルティッツの訴追書が掲げられているが、その中ではコルティッツがパリ防衛司令官としての責任を果たさなかったとして弾劾されていた。
 私がコリンズとラピエールの共著を読んだのは実は二冊目だ。ずいぶん以前に『第五の騎手』というフィクションを読んだ覚えがある。この小説はリビアのカダフィ大佐がニューヨークに核爆弾を仕掛けてアメリカを脅迫するというスリリングなサスペンスであったが、いずれの著作も都市の破壊という問題と関わっていることに今気づいた。最初にも触れたとおり、今日でもISと多国籍軍は空爆そして地上からの攻撃によって都市と建築、すなわち記憶の破壊を継続し、近未来において核兵器によるテロが発生する懸念さえ表明されている。兵器による都市の破壊という主題は決して過去に属していない。それは現在であり、おそらくは未来においても繰り返されるだろう。

by gravity97 | 2016-04-07 10:08 | ノンフィクション | Comments(0)

ティモシー・スナイダー『ブラッドランド』

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 実証的な歴史研究でありながら、本書の内容はまさに戦慄的だ。ブラッドランド、流血地帯とはバルト海と黒海の間、ドイツとかつてのソビエト連邦(以下、ソビエトと呼ぶ)にはさまれた地域である。何枚もの地図が示されるから、誰でもその広大な版図を具体的に知ることができる。現在の国名でいえば、ポーランド、ベラルーシそしてウクライナ。ヨーロッパ東部にあってこれらの国は決して貧しい地域ではない。肥沃な大地に恵まれたこの地域はむしろヨーロッパに食糧を供給する恵まれた土地であったはずだ。しかし1930年代後半から第二次世界大戦の終結にいたる期間、この地域は飢餓と殺戮、文字通りの地獄と化した。そしてさらに驚くべきはかくも凄惨な事実に関して私たちがほとんど無知であったことだ。その理由についても本書はいくつもの示唆を与える。大著ではあるが、まことに読み進むのが辛く、それゆえレヴューまでに時間がかかったことを言い添えておく。
 1940年前後の東欧で多くの流血があったとするならば、通常私たちは次のように理解するだろう。おそらく犠牲者の大半は絶滅収容所に連行されたユダヤ人であり、それはヒトラーの指示のもとに遂行された人類史においても未曾有の犯罪であったはずだ。この認識は一面では正しい。しかし本書を通読するならば、それが氷山の一角にすぎないことが直ちに理解される。ブラッドランドにおいてはソビエトとドイツ、二つの国家の間で、スターリンとヒトラーという悪魔のごとき指導者のもと、一つの民族、一つの階級を根絶するという想像を絶した政策が幾度となく遂行されたのだ。単にドイツの東、ソビエトの西に位置する地域に居住したという理由によって、無数の人々がいわれのない無残な死を遂げた。著者は冒頭で次のように述べる。「ヨーロッパで起きた大量殺人は、たいていホロコーストと結びつけられ、ホロコーストは迅速な死の大量生産と理解される。だがこのイメージはあまりに単純ですっきりしすぎている。1933年から45年までの間に流血地帯で殺された1400万人の民間人と戦争捕虜は食糧を絶たれたために亡くなっている。つまりヨーロッパ人が20世紀の半ばに、恐るべき人数の同胞を餓死させたというわけだ」
 恐るべき大量殺戮は1933年にスターリン治下のソビエト、ウクライナで幕を開ける。1932年までにスターリンは第一次五カ年計画によって工業化と集団化を強力に推進し、土地と自由を農民たちから収奪していった。さらにスターリンは富農(クラーク)と呼ばれる階級の絶滅を宣言する。それは革命につきものの一種の階級闘争ともみなされようが、誰が富農かという判断は国家によってなされたのだ。富農たちは強制移住させられ、シベリアからカザフスタンまで連なる強制収容所(グラーク)に収容され、強制労働を課せられた。本書には割れた陶器や素手によって凍土を掘って建設された運河についての言及がある。直ちに記憶が蘇った。この運河とはかつてソルジェニーツィンが「収容所群島」において「手押し車とツルハシだけでわずか20カ月の間に建設された」と表現した北海運河(ペロモルカナル)のことだ。農場が集団化されたことで食糧は国家によって統制されることとなった。食糧の供給が国家によって管理される中で、スターリンは殺人を政策として実行した。つまり一つの地域から食糧を強制的に徴発することによって、おびただしい人々を意図的に餓死させたのである。本書においてはブラッドランドを舞台にソビエトとドイツという二つの国家が殺人を正式の政策とて採用し、官僚たちの手によって計画的に遂行されたという事実が白日の下にさらされる。その結果生じる事態、例えば1932年から33年にかけてウクライナに生じた飢餓地獄、カニバリズムと餓死の蔓延についてスナイダーは多くの資料を駆使して具体的に記述する。読むのも辛いこれらの悲惨が「政策」として貫徹されたとはにわかには信じがたい。以前、このブログでジャスパー・ベッカーの『餓鬼』をレヴューした際、1950年代後半、中国の大飢饉においても同様に土を食う人々が存在する一方で倉庫には穀物が蓄えられていたことについて触れた。同じ状況がウクライナでも発生していた訳であり、この点は独裁的な共産主義国家においては国家が人民の生殺与奪の権限を握っていたことを暗示しているだろう。何人かの西側のジャーナリストが飢餓の状況を伝えている。しかしこの事実は西側に明確に伝えられることはなかった。一つには飢餓で苦しむ地域があったとしても、そこを通過するだけのジャーナリストたちにとってそれは単に地域的な凶作、一時的不運と認識され、政策の結果としてもたらされたとは信じることができなかっただろう。そして50年代の中国同様に、政治家など重要人物の訪問にあたってはかかる状況は巧妙に隠蔽され、革命に対する左翼的な知識人のシンパシーも働いて、よもや人為的な飢餓が発生しているとは想像できなかったのであろう。
 富農たちを対象とした階級テロルに続いて民族テロルが吹き荒れる。そのターゲットはドイツとソビエトにはさまれた地域に住むポーランド人たちであった。NKVD(内務人民委員部)という秘密警察がベラルーシやウクライナでポーランド作戦と呼ばれる民族虐殺を開始した。1937年に彼らに示された命令00485号は「ポーランド軍事組織のスパイ網を完全に排除すること」を求めた。彼らは拷問と密告によってたやすく反革命のスパイを見つけ出し、逮捕することができた。でっちあげられた彼らの罪状についての報告書をアルバムにまとめてモスクワに送り、係官が確認する「アルバム方式」と呼ばれる裁判においては一日に2000件の死刑判決が行われたこともあったという。そして複雑な政治状況がこの地にさらなる混迷を生む。1939年8月、政治的に和解しうるはずもないファシズムと共産主義、ヒトラーとスターリンはポーランドの抹殺のために奇怪な妥協を行う。モロトフ=リッペントロップ協定、いわゆる独ソ不可侵条約によって、ポーランドはバルト海と黒海を結ぶモロトフ=リッペントロップ線なる境界によって国土を二分された。この結果、ポーランドの東側はソビエトに、西側はドイツに組み込まれ、いずれの側であろうとこの地に住むポーランド・ユダヤ人たちを残忍な死が待ち受けることとなった。この直後の9月、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、これを理由としてソビエトもまたポーランドに進駐した。ソビエトはポーランド人に対してきわめて苛酷な政策によって民族の抹殺を図る。一つは知識人層を絶滅する「斬首作戦」である。奇しくもヒトラーも次のように述べている。「奴隷階級に貶めることができるのは、上層部を失った民族だけだ」私たちは例えば文化大革命下の中国、クメール・ルージュのカンボジアにおいてまず知識人たちが迫害され、虐殺されていったことを知っている。本書を読んで私はようやくこの意味を理解した。一つの国家、一つの民族を奴隷化するためにはまず知識人層を根絶することが必要なのだ。このような施策の残酷さについてスナイダーは次のように説いている。「(ポーランドの知識人層の抹殺は)近代性という概念そのものへの、あるいはこの国の啓蒙思想を体現する存在への攻撃にほかならなかった。東ヨーロッパの社会にとって『知識階級』は誇りであった。彼らは民族のリーダーとしての自覚を持ち、特に国家を失い苦境に陥った時期には、書くこと、話すこと、そして行動によって民族の無かを守り、継承していく役割を担っていた。(中略)二つの占領国による大量殺人はポーランドのインテリゲンツィアがその歴史的使命を立派に果たしたことを示す悲劇的な証拠だったのである」続く抹殺の第二段階としては、ソビエトとドイツでは異なった手法が用いられた。ソビエトは自国の法制度をポーランド東部に持ち込み、多くの人々を意志とは無関係に強制移住させることを可能とした。広大な不毛の地を擁することによって初めて可能となる施策であるが、かかる政策の下、多くのポーランド人が中央アジア、シベリアに追放されて多くが餓死した。ここでも一つの文学的記憶が蘇った。かつて私は李恢成の「流域へ」という小説を読んだことがある。この小説においてはソビエト崩壊後、在日朝鮮人である主人公が当局の招きに応じて、中央アジアを訪れるのであるが、その目的はスターリンによって沿海州から強制移住させられた高麗族、いわゆるロシア朝鮮人の状況を視察するためであった。この小説を読んだ際にはなぜ朝鮮人が中央アジアに移住させられたのか理解できなかったが、本書を読んで得心した。当時満州を経由して日本がソビエトへ侵攻することを恐れていたスターリンにとって、日本と内通する可能性のある東洋系の民族を全く縁故のない土地に追放することは意味があったのだ。一方、ドイツはここで初めて安楽死という政策を導入する。新たに領土に加えられたヴァルテラント国家大管区において、アルトゥール・グライザーという司令官は精神病院の患者を銃殺と一酸化炭素によるガス殺に処した。ドイツ国内の精神病者、身体障害者、ジプシーらも「存在に値しない命」としてガス殺されるまで、ほとんど時間は必要とされなかった。この章の記述の中には先日、レヴューしたシンガーの「不浄の血」の舞台となった地名が何度も登場する。さらに一人の日本人の名前も記されている。リトアニア領事の杉原千畝である。出国ビザを発給して多くのユダヤ人を救ったことで知られる杉原はポーランド人将校にも脱出ルートを提供した。本書において杉原はソビエトの機密に通じたインテリジェンスの専門家として描かれている。
 1941年6月22日、ドイツは奇襲攻撃によってソビエトに侵攻した。これによってブラッドランドの歴史は新しい時代に入った。スナイダーは次のように総括する。「第一期(1933-38)にこの地で起きた大量殺人はほとんどがソビエトによるものであった。第二期(1939-41)には両国はほぼ同数の人々を殺した。第三期(1941-45)にはドイツによる政治的な殺人が大半を占めた」独ソ戦ほど悲惨な戦争は例がないだろう。この問題についてはすでにこのブログで論じた「イワンの戦争」において詳しく分析されていた。この戦争はファシズムと共産主義の間の殲滅戦であり、一切の妥協はなかった。当初の戦闘で100万人規模のソビエト人捕虜が発生した。しかしドイツ軍はこれらの捕虜に一切人道的な配慮を払わなかった。ヒトラーはソビエト兵を虐待することによって、逆の立場であれば自らも処刑されるという恐怖心をあおったのだ。「アポカリプスの経済学」と題された第五章においてはこのような捕虜の虐待と虐殺の事例が延々と記述される。戦局が悪化したことをヒトラーはユダヤ人組織の陰謀とみなす。ソビエトの侵攻にユダヤ人の虐殺によって応酬するという倒錯した論理が成立した。そしてドイツに対するパルチザン活動も活発化する。1942年5月27日、ユダヤ人問題の「最終解決」を提案し絶滅政策の中心であったラインハルト・ハイドリヒが暗殺される。いうまでもなくこのような抵抗に対してナチス・ドイツは残忍きわまりない報復で応じるが、この事件をきわめて斬新な視点で小説化したローラン・ビネの「HhHH」についても既にこのブログで論じた。スナイダーはこのような抵抗と弾圧の最大の例として翌年のワルシャワ・ゲットー蜂起についても詳しく検証している。かかる殺戮の応酬、熾烈な殲滅戦の果てに、ソビエトはじりじりと反攻し、モロトフ・リッペントロップ線以西を次第に領土として回復しながらベルリンに迫った。大戦末期にソビエト軍はこのような「死の工場」をいくつか解放する。彼らはそれが一つの民族を効率的に絶滅するための場所であることを知り、この戦争の最も悲惨な部分を知ることになる。これらの絶滅収容所の「解放」に立ち会ったのが、このブログでレヴューした「人生と運命」の著者、ワシーリー・グロスマンであった。私は本書を読んでクロスマンがかかる大著を執筆した動機がよく理解できた。あるいはこの小説に向けられた「『人生と運命』は読むのではなく、すべてはこんなふうではなかったと―現在あるもののためにこれほどの犠牲は払われなかったと―遠慮がちに願いながら、それを生きてみる本である」という言葉の意味もまた理解できたように感じる。今日、私たちがブラッドランドについての文学的考察を「人生と運命」以外にほとんど知らないことは、ソビエト当局の弾圧の厳しさを暗示しているかもしれない。ソビエトによる絶滅収容所の解放は複雑な意味をもつ。彼らはこれらの施設の意味を知り、直ちに別の目的に転用した。今度はドイツ軍の捕虜、そして実に皮肉なことにドイツ軍によって捕虜とされたソビエト軍捕虜もまたスパイ容疑でこれらの収容所に収監されたのだ。多くの絶滅収容所がソビエトの手によって解放されながら、そこで行われていた蛮行が当初明らかとならなかったことは一つにはこのような理由による。このような収容所の例としてはアウシュヴィッツがよく知られているが、実はこの収容所は強制労働施設と殺害施設を組み合わせた特殊な施設であり、ヘウムノ、ソビブル、トレブリンカといった絶滅を目的とした収容所とは異なっていた。アウシュヴィッツでは骨と皮のような囚人が解放されたが、この点は囚人たちがまだ生きていたことを示している。東側にあった収容所ではユダヤ人たちは到着後数時間内に殺されていたのだ。これらの収容所の体験を扱ったフィルムがクロード・ランズマンの「ショアー」であり、ナチス・ドイツの絶滅政策の徹底性は連合国側の想像をはるかに絶していたといえよう。
 ナチス・ドイツの敗北もまた新たな暴虐を呼び込む。「イワンの戦争」にも記されていた通り、男たちが戦場に駆り出された地で赤軍の兵士たちはその地にいた女性たちをことごとく強姦し、老人や子供たちを殺害しながら西進した。スナイダーはこの暗澹たる歴史を粗描したうえで、戦後、ポーランドの国境を画定するうえでスターリンが行った強制移住による民族浄化について記述する。かかる民族の撹拌が土地にまつわる虐殺の記憶を薄め、証拠を失わせたことに疑いの余地はない。スターリンにとってはこの大戦で最も大きな犠牲を払ったのはユダヤ人ではなくてソビエトのロシア人でなければならなかった。これゆえブラッドランドにおけるユダヤ人の運命は意図的に隠蔽されたのである。「スターリニストの反ユダヤ主義」と題された章においては、戦後においてスターリンが繰り広げたユダヤ人弾圧のためのいくつもの謀略が論じられる。確かこれらの事件についても「人生と運命」の中で語られていたはずだ。
 それにしてもなんと多くの人の命が奪われたことであろうか。「人間性」と題された最終章でスナイダーは次のように記す。

ナチス政権とスターリン主義政権は、流血地帯で合わせて1400万人もの人々を殺害した。そのはじまりは、スターリンが政策として指示したソヴィエト・ウクライナの飢饉だった。これにより300万人以上が命を奪われた。さらに1937年、38年とスターリンの大テロルによって殺戮が続き、およそ70万人が銃殺された。その大半は農民か民族的少数派の人々だった。その後ソ連とドイツは手を結び、協力してポーランドとその知識人層を破壊し、1939年から41年までの間におよそ20万人を殺害した。やがてヒトラーがスターリンを裏切ってソ連侵攻を命じると、ドイツはソヴィエト人捕虜と、包囲したレニングラードの住民を故意に飢えさせ、400万人以上を死に追いやった。ドイツは占領下のソ連、ポーランド、バルト諸国でおよそ540万人のユダヤ人を銃殺またはガス殺した。ドイツとソ連は互いに煽りあい、さらに大きな罪を重ねた。ドイツが民間人50万人以上を殺害する結果となったベラルーシやワルシャワのパルチザン戦争はその一例だ。

 あたかも本書のアブストラクトのごとき総括であるが、ここで注意しなければならないのは、著者のスナイダーが本書の中で一貫して、これらの人々の生に意味を与えようとしていること、彼の言葉を借りるならば「数字を人に戻す」ことを試みていることだ。1400万人の死、私たちはこのような数字の前にたじろぐ。例えば今、日本でも歴史修正主義者たちが南京大虐殺の犠牲者の人数を「修正」することによって、それが取るに足らない事件であったかのように歪曲する工作が続けられている。もちろん多くの人が殺されたことは事実として認識されるべきである。しかし私たちはそれを数字の多寡の問題とみなしてはならない。最終章でスナイダーは一つの提案をする。大量虐殺の犠牲者、私たちはそれを数百万人という末尾の位をゼロとする「丸い」数字で表現する。しかし概数ではなく実数として理解してはどうか。例えばトレブリンカに送られた人数を約80万人ではなく、78万863名と記述する時、私たちは末尾の3名に思いを向けることができる。具体的にはそれらの三人が本書で語られた犠牲者たちの一人ではなかったかと想像することができるというのだ。それによって失われた三つの命が代替不可能なかけがえのないものであったことを私たちは知る。なぜそうしなければならないのか。本書の最後に記された次の言葉は実に重い。

ナチスとソ連の政権は、人々を数値に変えた。その中には、推定することしかできないものもあり、かなり正確に洗い出せるものもある。われわれ研究者の責務は、それらの数値をさがし出し、総合的な見地から考察することだ。そしてわれわれ人間主義者(ヒューマニスト)の責務は、数値を人に戻すことだ。それができないとすれば、ヒトラーとスターリンは、この世界を作り変えただけでなく、われわれの人間性(ヒューマニティ)まで変えてしまったことになる。

 様々な文学的記憶をたどりながら本書を読み継いで、私はこの言葉に深く共感する。ブラッドランドの死と生を数字ではなく個の体験として読み解くことは研究者のみならず私も含めた文学に携わる者にとっても決定的に重要ではないだろうか。そしてブラッドランドの体験は決して私たちと無関係ではない。しばらく前のブログで私は石原吉郎の生と詩について論じた細見和之の評伝について触れた。いうまでもない。シベリア抑留とは日本人によるブラッドランド体験にほかならない。奇しくも先月号の『現代詩手帖』では石原吉郎が特集されている。巻頭の細見を含む三人の鼎談と本書は私にとって地続きのように感じられた。関心のある方は是非併読していただきたい。
 そして本書で論じられた狂気ももはや他人事ではない。マイノリティーに対する憎悪をこめた差別が公言され、人文科学に関する学知が軽んじられる現在の日本とヒトラーが台頭した時期のドイツは不気味なほど似ている。いちいち具体的な事例を挙げずとも理解できよう。検閲と恫喝、密告と監視、戦時体制に向けて着々と準備を進める現在の政権が存在する限り、本書で検証された地獄、ブラッドランドがいつ日本で再現されても不思議はない。まことに時機を得て訳出された戦慄すべき研究といえよう。

by gravity97 | 2015-12-06 21:07 | ノンフィクション | Comments(0)

アンドルー・ファインスタイン『武器ビジネス』

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 原題は The Shadow Worldであるから「影の世界」。「武器ビジネス」とはあまりに直截なタイトルであるような気もするが、Inside the Global Arms Tradeというサブタイトルが示すとおり、グローバルな武器売買の内側を描いて衝撃的な内容である。私は自分が生きている世界がこれほどの不正義に満ちていることを知り、あらためてうちのめされる思いであった。
 上下巻合わせて800頁に及ぶ大部の論考であり、決して読みやすくはない。無数の固有名詞が登場し、私は何度も頁を繰り戻してはそれぞれの意味を確認しつつ読み進めた。略称や法律用語、専門用語が多用され、後でも触れるとおり構成は入り組んでいる。しかし調査の積み重ねの中から明らかになる重い事実から目を逸らしてはならないという思いとともに最後まで読み通した。
 訳者あとがきによれば、著者のアンドルー・ファインスタインは「1964年、南アフリカのケープタウンで生まれ、ケープタウン大学、カリフォルニア大学バークレー校、ケンブリッジ大学などで学んだ後、ANC(アフリカ民族会議)所属の下院議員となるが、南アフリカ軍の武器購入をめぐる収賄事件の調査をANCの上層部によって止められたことに抗議して議員を辞職、現在はイギリスに移住」とのことだ。本書の中で仄めかされるとおり、おそらくはユダヤ系の出自をもち、著者の経歴や教育、人脈を通じた多国籍的なバックグラウンドが本書の成立を可能としたように感じる。全六部によって構成される本書の読みづらさの一因はそれぞれの章の主題が見定め難いことに依っているだろう。逆にこの点を整理すると本書の見通しはかなりくっきりとする。第一部では伝説的な武器商人、バジル・ザハロフの生涯を切り口に「武器ビジネス」の本質が明らかとされる、19世紀の中頃に生まれ(ザハロフは本名や生地同様、生年も秘密のヴェールに覆われている)、第一次世界大戦で荒稼ぎしたザハロフの手口は秘密主義、賄賂による誘導、交戦国のいずれにも武器を納入する非道徳的な手口など20世紀以降巨大化する一連の武器産業の不正と強欲をみごとに象徴している。続く第二部と第三部では近年の武器ビジネスの退廃が主に二つの問題を通して論じられる。一つは1960年にイギリスでいくつかの企業を合併させて成立した巨大な企業グループ、ブリティッシュ・エアロスペース(BAE)による数多くの不正工作の暴露である。その中心となるのはマーク・サッチャー、かつてのイギリス首相の息子が深く関わったサウジアラビアに対する大掛かりな武器ビジネス、1985年に調印された「アル・ヤママ」取引だ。攻撃戦闘機約100機をはじめとする莫大な武器の納入と支援業務によってBAEは430億ポンド以上の純益を得たという。武器ビジネスにおいては政治家や議会に対するロビー活動が死活的な重要性をもつ。この取引が成功した背景としてはイスラエルのロビイストが力をもつアメリカからの武器の買い付けが不可能であったこと、BAEがきわめて巧妙なロビー活動を繰り広げたことがある。しかしそれを「ロビー活動」などと呼べるだろうか。本書を読むと武器ビジネスとは結局のところ賄賂の遣り取りであることが理解される。サウジアラビア側のパートナーは王族の一員、バンダル王子であるが、既に本書の冒頭において彼が愛用する価格7500万ポンドの巨大なエアバスが「アル・ヤママ」契約を成立に導いた王子に対して、BAEから贈られた「ささやかな余禄」であったことが明かされている。以前、このブログでローレンス・ライトの『倒壊する巨塔』について論じた際に、私は中東において現在も、王族やその眷族が権勢と贅沢を恣にする一方で、多くの民衆は塗炭の苦しみにあえいでいる点に触れたが、この契約はまさにこのような構造が何によってもたらされているかを雄弁に語る。端的に言って、サウジアラビアの王族たちにとって武器などどうでもよいのだ。彼らにとっては契約と引き換えにBAEから渡される莫大で不正な賄賂こそが目的であり、非合法の賄賂を受け取るにあたって武器ビジネスとは格好の隠れ蓑であった。彼らは英領ヴァージン諸島の銀行を通じてこれらの不正な蓄財の証拠を消す。取引は高額であるが、非人道的な商品の特性ゆえに公的な記録は残されることがなく、しばしば契約自体が秘密のうちに結ばれる。私たちは武器ビジネス、死の商人といった言葉から、人を殺すために用いる道具が商品として扱われることの非人道性に思いをめぐらす。しかし本書を読んで、取引の具体的な内容以前に大金を不正に遣り取りする手段として武器ビジネスが用いられていることを私は知った。当事者にとってはどのような武器を商うかは二次的な意味しかもたないという退廃。第四部で詳しく論じられるジョージ・ブッシュ政権の関係者のみならず、今触れたマーガレット・サッチャーの息子、あるいはミッテラン大統領の息子、そしてサウジの王子たちといった政権の中枢と緊密な関係もつ者たちがこのビジネスに深く関わっていることは武器ビジネスをめぐる闇の深さを暗示している。今や世界最大の武器ビジネス企業の一つであるBAEは本書のいたるところに登場するが、第二部と第三部で扱われるもう一つの主題は武器ディーラーである。彼らも武器取引同様に闇の中の存在だ。私は本書を読みながらアンドリュー・ニコルのフィルム「ロード・オブ・ウォー」を思い出したが、当然の連想であった。本書に登場するロシア人武器ディーラー、ヴィクトー・バウトこそ「ロード・オブ・ウォー」の主人公のモデルなのだから。映画の中でニコラス・ケイジ演じる武器商人はモラルを欠いたビジネスを通して次第にその内面を崩壊させていったが、現実において武器ディーラーたちは世界を舞台にあくどい取引を繰り広げる。崩壊後のユーゴスラビア、リベリアとシエラレオネ、あるいはタンザニア、世界の紛争地を舞台に多くの武器ディーラーが暗躍した様子が膨大な資料を博捜して明らかにされる。一方でこれらの「死の商人」たちが、ナチ・ドイツの元工作員らによって設立された「メレックス」という会社にその起源をもつことも指摘される。「メレックス」の末裔たちが冷戦下の世界に広がっていく様子はスリラー映画を見るかのようだ。例えばチャールズ・テイラー、バウトとも関係の深いこのリベリアの大統領はシエラレオネに侵攻し、数万を単位とする人々を虐殺し、あるいは手足を切断した。テイラーはシエラレオネで採掘されたダイヤモンドと武器を交換することによって、中央アフリカにおびただしい武器を流入させる。このような武器が結果的に多くの虐殺を引き起こしたことは本書で語られるとおりであるが、それらの武器がこの地域に必要だったとは感じられない。武器はいわば賄賂を受け取るための通貨として持ちこまれたにすぎないが、通常の商品とは異なり、結果として多くの悲惨を引き起こした。先に私はオイル・マネーの帰属によって現在の中東に貧困と奢侈の絶望的な格差が存在する点を指摘したが、同様の状況は豊かな地下資源の分配をめぐって中央アフリカでも発生した。本書では虐殺と凌辱、少年兵と無数の武器に彩られた暗黒のアフリカ現代史が生々しくつづられる。読み通すにはそれなりの覚悟が必要だ。
 先に述べたとおり、第二部と第三部ではサウジアラビアとイギリスによる「アル・ヤママ」取引、著者によれば「貿易史上、おそらく最も腐敗した商取引」の帰趨と旧ユーゴや中央アフリカといった紛争地における武器ディーラーたちの暗躍という必ずしも関係のない二つの主題が交互に記述される。しかしこれらの不道徳な行いに対して、司法や捜査当局は決して座視していた訳ではない。プロローグではチャールズ・テイラーとともに虐殺に加担したウクライナ生まれのイスラエル人、レオニード・ミニンがミラノ近郊のホテルで逮捕された場面が描かれる。一方、「アル・ヤママ」取引についてはイギリスの重大不正捜査局(SFO)の捜査員たちがその不正を暴くべく熱心に活動する。しかしBEAのロビー活動、そしてサウジアラビア政府当局の抵抗にあって遂には捜査の中止が命じられる。このような指示にはおそらくトニー・ブレアが関与しており、ブレアの名を引かずとも、この取引が元々サッチャー政権の下で積極的に進められたことを想起するならば、国家的な隠蔽工作が存在したことは明白だ。この結果、本来ならば一つの政権にとって破滅的な収賄スキャンダルとなるべき事件は闇に葬られ、誰一人処罰されることはなかった。本書を読み進めることの困難は武器ビジネスをめぐって、いたるところで不正義が横行し、最終的に不正義が勝利することを確認することの不快さに由来しているかもしれない。誰も処罰されない巨大な犯罪。これについては最後にもう一度立ち戻ることにしよう。
 「兵器超大国」と題された第四部はタイトルが示す通り、最大の戦争国家アメリカをめぐる武器ビジネスに話題が移る。ここにおいてもありとあらゆる不正と欺瞞、虚偽と隠蔽が流通している。著者はまずジョン・マーサ、チャーリー・ウィルソン、ダーリーン・ドルーヤン、ランディ・カニンガムという四人の人物と彼らが引き起こしたスキャンダルに焦点を当てて、アメリカにおける武器ビジネスの歴史を粗描する。ヴェトナム帰還兵として初の連邦議員になったマーサは国防総省の支出を管理する委員会の委員長として莫大な予算を背景に利益誘導を行い、下院議員を務めたウィルソンはCIAを通じて無数の武器弾薬をアフガニスタンのムジャヒディンたちに供給した。ムジャヒディンたちはそれらを手にソビエトにゲリラ戦を仕掛けたが、ソビエトが撤退した後、軍閥政治が跋扈するアフガニスタンには好戦的なイスラム教徒と潤沢な武器が残された。自らが蒔いた種がアメリカ国内でどのような禍々しい花を咲かすこととなったか、2001年にブッシュ・ジュニアは知るところとなる。空軍の高官だったドルーヤンは兵器企業のボーイングと癒着して違法な契約を結び、「トップ・ガン」を詐称するいかがわしい経歴をもつカニンガムは兵器企業に公然と賄賂を要求し、見返りに彼らの便宜をはかった。本書を読むならば、アメリカの武器ビジネスが腐敗する理由は明らかだ。「回転ドア」と呼ばれ、政府と私企業の間を同じ人物が幾度となく行き来するシステムによって、兵器産業の意志はたやすく政策に反映される。ブッシュ・ジュニア政権の高官の多く、例えばディック・チェイニーが「ハリバートン」のCEOとなった一事はそのあからさまな例である。彼らは国家の政策を自らが深く関わる兵器産業に都合のよいものへと誘導することによって私腹を肥やしてきたのだ。さらにファインスタインが軍産議複合体と呼ぶシステム、軍と産業界、そして議会の三つ組みは武器ビジネスの拡張を構造的に保証してきた。本書で中心的に扱われる時代は比較的近年、1980年以後であるが、共和党であろうと民主党であろうと、大統領が誰であろうと、軍産議複合体に支配された体制は変わることがなかったことが明らかとなる。しかしこのためにアメリカが払った大きな代償もまた明らかだ。アフガニスタンに侵攻したソビエトへのゲリラ勢力への支援としてムジャヒディンたちに提供された大量の武器は皮肉にも同じ地へ侵攻したアメリカ軍を苦しめることになる。本書を読むならば武器ビジネスにおいてサウジアラビアが果たした大きな役割が理解できるが(このような意外な組み合わせはスウェーデンと武器ビジネスの間にも指摘できよう。ノーベル賞で知られるアルフレート・ノーベルは、ザハロフ、ドイツのアルフレッド・クルップと並ぶ「死の商人」の原型であった)その王朝に連なるビン・ラディンが同時多発テロの首謀者であったことはきわめて暗示的だ。そしていうまでもない。20世紀のアフガニスタンでの過ちはイランとイラクで繰り返されている。本書ではこれらの地域における武器ディーラーと政権との癒着についても詳細に論じている。「ロード・オブ・ウォー」において主人公が武器ビジネスをとおして自らの内面を荒廃させていく様子は暗示的であった。中東で武器ビジネスに深く手を染めたアメリカは今も自らの兵士たちの血によってその代償を払い続けており、愚かな首相が日本ではなくアメリカの議会で約束したことによって、日本人もまたこれから中東で一片の正義もない血を流すこととなるのだ。本書では軽く触れるに留まっているが、このような武器ビジネスの最新形態が民間の傭兵組織である。この問題についてはかつて『ブラックウォーター 世界最強の傭兵企業』のレヴューで論じた。
 第五部の「キリング・フィールド」において著者は再び現代のアフリカの暗黒に目を向ける。同じ主題が第二部と第三部でも扱われているから重複している印象もあるが、おそらくここには南アフリカに生まれたファインスタインの強い思いが反映されているだろう。ANCの議員を務めていたファインスタイン自身がBEAの絡んだ収賄事件の処理をめぐって議員を辞したという経歴については先に示した。ネルソン・マンデラに率いられ南アフリカの希望の星であったANCが武器ビジネスの中で腐敗したことについての無念さは本書の中にうかがえる。明らかにこの点は本書執筆の直接の動機であろう。武器は人を堕落させる。私たちは本書を読んでこの命題を知る。確かにここで論じられるアフリカのいくつかの国家にはまともな政治は存在していない。しかし悪徳の代償としての武器がこれほど大量に流入していなければ、ここで記述されたほど大きな悲惨は存在しなかっただろう。そもそもそれらの武器は主としてヨーロッパから輸入されたものではなかったか。直ちに思いつく作品を挙げても、「ロード・オブ・ウォー」のみならずフーベルト・ザウパーの「ダーウィンの悪夢」、伊藤計劃の「虐殺器官」そして高野和明の「ジェノサイド」、ジャンルを超えて表象されるアフリカの悲惨は常に武器ビジネスの影に同伴されていたことを私たちはもう一度想起すべきであろう。ルワンダ、コンゴ、アンゴラ、ソマリア、スーダンとダルフール、そしてエジプト、リビア、コートジボワール。第五部では「アンナ・カレーニナ」冒頭の「不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっている」という言葉を連想させるかのように地域を違え、状況を違えながらもいずれも貧困と暴力のショーケースとも呼ぶべきアフリカ大陸の現実が武器ビジネスという観点から照射される。多くの資源に富んだ本来ならば豊かな大陸がかくも無残な状況を呈している一つの理由はそこに流れ込み飽和する武器に求められるだろう。そして今やアフリカ大陸にはアメリカとヨーロッパに代わって中国が大きな影響を与え始めていることが示唆される。「影の世界」のパワー・ポリティクスも次第に変わりつつあるのだ。
 「第六部 終局」においては本書に登場した人物の本書執筆時、2011年の時点における状況が記されている。明暗は大きく分かれる印象だ。本書に登場した武器ディーラーは多くが死亡するか収監され、さすがによい人生を送っているようには思えない。これに対して武器取引に関わった企業や政府関係者、政治家はほとんど罪を問われることなく現在も権勢を誇っている。武器ビジネスの特質を二つ挙げるならば、一つはあまりにも膨大な資金が流入しているため、もはや国家でも統制できない状態になっていることだ。それは国家の中枢に深く食い込み、国家と一体化している。ブッシュ・ジュニアからオバマに代わっても利権構造は盤石なのである。第二点として、武器ビジネスにおいてはいかなる不正があっても罪に問われない。先に述べたとおり、武器のディーラーあるいはブローカーは時に司直の手によって断罪されることがある。しかし本体ともいうべき多国籍企業や政府関係者は常にその手から逃れ、罪を問われない。ここには企業が国家に優越するというグローバリズムの悪夢が反映されているだろう。収益のみを求める企業が国家より優位に立つ時、もはや彼らの不正を裁く手立てはない。本書に先んじて私はフランスのジャンーナリスト、マリー・モニク=ロバンが著した「モンサント」という告発を読んだ。このノンフィクションも戦慄的な内容であり、農業分野において多国籍企業が世界を蚕食している様子を明らかにしている。私は企業とは基本的に倫理的な存在であると考えていたが、モンサント社、あるいは本書で言及される多くの企業、さらにブラックウォーターといった多国籍企業の活動はもはや非人道的、反社会的ともいってよい。そして私たちの首相はこれらの企業にとっても「世界で一番活動しやすい国」を作り出すことを誇らしげに語っているのだ。
 巨大な裏金によって国家、政権を裏側から支配し、罪に対して誰も責任をとらない「影の世界」、日本にもこのような企業が存在する。いうまでもなく東京電力であり、日本の電力会社は潜在的に同様の反社会性を秘めている。そして今やこれらの電力会社は反社会性をむき出しにしてやみくもに原子力発電所の再稼働に向けてひた走っている。これほど悲惨を引き起こした福島第一原子力発電所の事故に対して東京電力の関係者は誰一人責任を取っていないことに私たちは絶望したが、これは欧米の武器ビジネスで繰り返されてきた不正義の延長であったことにあらためて気づく。欧米の武器ビジネスが主題とされているため、本書でアジア、日本について言及される個所は少ない。わずかに「ロッキード・マーティン」による贈賄工作がいわゆる「ロッキード事件」として日本の政界に激震を与えたことが記述されているだけだ。しかし逆に言えば、この点は少なくとも戦後、日本の企業には武器ビジネスと直接に関係しないだけの良識があったことを暗示している。いや良識ではない、端的に憲法という拘束がかかる関与を許さなかったのだ。しかし安倍という戦後最悪の内閣のもとで憲法の実質的な無効化と軌を一にして武器輸出も合法化されようとしている点は周知のとおりだ。戦後70年が経過した現在、武器によって他国民を殺すことを是とするか否か、私たちはまさにその瀬戸際にいるのだ。明後日、8月30日に安保関係立法そして安倍政権に反対する大規模な抗議集会が全国で開かれる。私もこのような集会に初めて足を運ぶつもりだ。

by gravity97 | 2015-08-28 21:24 | ノンフィクション | Comments(0)

ジェレミー・スケイヒル『ブラックウォーター 世界最強の傭兵企業』

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 今や私たちは、大江健三郎が「私らは侮辱の中に生きている」と述べ、白井聡が「卑劣漢であることがバレた卑劣漢が卑劣な振る舞いを躊躇う理由はない」と表現した為政者たちの放縦の中にある。私もこれまでの人生の中で時代が悪くなっているとか息苦しくなっていると感じたことは何度かある。しかしこの数年のこの国の異常さは全く未知のものである。私は日本が何か邪悪な存在に乗っ取られたような印象さえ覚えている。その契機は明らかだ。三年前の大震災と原子力災害がこの国の姿を変えてしまったのである。前者の復興からははるかに遠く、後者にいたっては未だに何も解決されないまま放置されている。私たちは漠然とした破滅の予感、終わりの始まりを感じながらそれを口にすることをためらっている。
 アメリカも同様だ。そしてやはり暗転の契機ははっきりしている。2001年の同時多発テロは単にいくつかの施設が破壊され、多くの人命が失われたにとどまらず、アメリカという社会の在り方を根本から変えてしまったように感じるのだ。万人にとって自由な社会から一部の権力者によって支配された暗黒への転落、本書はこの過程を傭兵企業という主題に沿って綿密に検証している。読後感は重く、同時に私はここで論じられる問題がもはやアメリカに限定されないことを直ちに理解した。異民族、異文化への不寛容と敵意は在特会のヘイトスピーチに、膨大な利権を一部の者たちが独占する一方で危険な汚れ仕事を貧困層に押しつける構図は原子力発電をめぐる問題に正確に対応している。

 本書は「バグダットの血の日曜日」と呼ばれる事件から説き起こされる。2007年9月16日、バグダットのニスール広場でアメリカの傭兵企業ブラックウォーターの車列に近づいた民間人の車に対してブラックウォーターの契約要員が手当たり次第に銃を乱射し、イラク人17人が死亡し、20人が負傷した。死者の中には幼児や女性も多く含まれ、遺体は判別できないほどの損傷を被っていた。乱射というより大虐殺という言葉がふさわしい。殺された人々に何の落ち度もないことが多くの証言によって証明されている。しかしこの虐殺の犯人たちは今のところ誰一人として処罰されていない。イラク当局はアメリカ軍に対して厳重に抗議したが、アメリカ軍はブラックウォーターが国務省の権限下にあり、軍の管轄外であると答えた。イラク内務省はブラックウォーターの国外への追放を発表したが、その四日後にブラックウォーターはイラクに戻っている。この事実はイラクに主権が存在しないこと、ブラックウォーターがアメリカの占領政策の根幹と関わっていることを暗示している。なぜ虐殺者が処罰されないのか。その根拠も明確である。2003年から04年にかけて連合国暫定当局長を務めていた大使、ポール・ブレマーはバグダットから脱出する直前に指令17号として知られる命令を発した。この指令はイラクでアメリカのために活動している民間契約要員に完全な免責を与えるという内容であり、これによってイラク政府は契約要員が犯した犯罪をイラク国内の法廷で起訴することができなくなったのである。実際にブラックウォーターをはじめとする武装契約要員の中でイラク人に対する犯罪によって起訴されたものは一人も存在しないという。目のくらむような不正義ではないか。
 ブラックウォーターがいかにして成立したか。著者のスケイヒルはまず創設者であるエリック・プリンスの生い立ちを丹念に取材する。ブラックウォーターが正式に営業を開始したのは比較的最近、1998年5月のことである。プリンスの父、エドガー・プリンスはミシガン州ホランドで自動車部品の巨大な工場を営む実業家であり、町の人口の4分の1近い人々を雇用していたという。プリンスの姉がマルチ商法で悪評高いアムウェイの創設者の息子と結婚していたといった情報も興味深いが、63歳で急死したエドガーを継いだプリンスはまもなく父の会社を売却し、軍と政治に接近を始める。プリンスは海軍特殊部隊(SEAL)に配属され、そこでブラックウォーターの構想を練り始める。SEALはアメリカ軍で最も重要な部隊の一つであるにもかかわらず訓練施設が貧弱であった。軍事訓練は民間の事業としても成立すると考えたプリンスは除隊三ヶ月後の1996年12月にブラックウォーター・ロッジ・アンド・トレーニング・センターを設立し、ノースカロライナ州に警備訓練のための広大な施設を建設する。コロバイン高校での銃の乱射をはじめとする数々の暴力事件の発生、そして小火器による警備業務の外部委託という政府の方針などによって次第にブラックウォーターの存在感は増す。そしてこの民間会社の運命を決定づけたのはいうまでもなく9・11であった。「9・11以後の環境は、エリック・プリンスとブラックウォーターの同僚たちに、会社の将来の繁栄を思うままに描き込むことのできる何も描かれていないキャンバスを提供した。制約はといえば、想像力と人材だけのようだった。ラムズフェルド国防長官は、就任当初から、ブラックウォーターのような民間企業が米国の戦争で担う役割を劇的に拡大する決意でおり、9・11をきっかけにこの政策は急展開していた」私はプリンス及びこの企業の役員たちがキリスト教右派の信条を信奉している点に注意を喚起しておきたい。彼らは同性愛、妊娠中絶、安楽死などに反対し、「州の財源を用いて」刑務所で囚人をキリスト教に教化するプログラムを導入し、神の下に一つの国民であることの崇高性を強調する。彼らの言動にレーガンからラムズフェルドへ連綿とつながる神権政治への憧憬をうかがうことは容易だ。したがって彼らにとってイスラムとの戦いは異教に対する宗教戦争を含意していた。この点を理解するならば、軍とブラックウォーターを問わず、中東におけるアメリカの作戦行動がかくも非寛容で残虐であったことの理由の一端が理解される。
 続いて本書ではブラックウォーターとアメリカのイラク支配においてメルクマールとなった二つの事件についていくつかの章が割かれる。ファルージャとナジャフ、私にも聞き覚えのある二つの都市が舞台だ。サダム・フセインにシンパシーをもつスンニ派の住民が多いファルージャは一貫してアメリカ軍の占領に反抗し、これに対してアメリカ軍はこの街を「侵攻以来、米国当局者は反抗した都市がどうなるのかの残忍な見せしめにしようとしてきた」しばしば「誤爆」によって市民に多くの犠牲者が発生し、2003年4月、学校を接収して占領軍本部としたことに抗議した市民たちに対するアメリカ軍の無差別攻撃は6名の子供を含む少なくとも13名の死者を招いた。ファルージャで日常的に反米意識が高まっていたことは想像に難くない。ほぼ同じ時期にバグダットに着任し、フセインの大統領府に乗り込んだアメリカの占領当局総督のブレマーはプリンス同様に保守派カトリックでネオコンとも深い関係を有していた。この悪名高い人物は9・11直後に次のように語っている。「過去10年間に我々が行ってきた弱腰の攻撃ではなく、より強固な報復に出なくてはならない。(中略)今回はテロリストとその支持者を粉砕しなければならない。これは一つあるいは複数の国との戦争を意味する。長い戦争になるだろう。すべての戦争がそうであるように一般市民の犠牲者が出るだろう。(中略)けれども最後には、いつも通りアメリカが勝利する」ブラックウォーターは高い契約料と引き換えに、イラク人の憎悪の対象となったブレマーの警護を引き受ける。ブレマーは「脱バース体制」化の名のもと、次々に命令を発し、イラクの復興に欠かせない学校教師や医師、公務員といった優秀な人物、そしてイラク軍の軍人を排斥した。イラクの命運はアメリカが握っているというブレマーのメッセージは明確であり、多くの失業者と失業兵士は潜在的なゲリラの供給源となった。この一方で多くの多国籍企業がイラクに入り込み、収奪と強欲の限りを尽くしたのだ。2004年3月30日、4名のブラックウォーターの特殊部隊員がファルージャ近郊で基地に物資を輸送するトラックの護送という任務に就く。規定によれば装甲車で6名の要員で実施されるべき作業は、後部に鋼板が装備されただけのジープで、しかも4名によって遂行された。ジープは途上で銃撃を受け、300人以上の群衆に襲撃された。4名の隊員は惨殺され、切断され黒焦げになった死体は10時間近くもユーフラテス川の上に吊された。このイメージは映像に記録され、アメリカ国内に配信された。この事件から直ちに連想されるのはリドリー・スコットが「ブラックホーク・ダウン」で描いたソマリア、モガディシオにおける戦闘である。この際もソマリアの民兵に惨殺されたアメリカ兵の死体が陵辱され、悲惨な映像に衝撃を受けたクリントン大統領はソマリア内戦からの撤退を決めた。しかしファルージャでは逆の結果を生む。殺されたのはアメリカの兵士ではないが、時に軍がなしえない汚れ仕事を引き受けていた完全武装の戦闘員であった。しかしこの悲劇は現地に食料を輸送する民間人が惨殺されたというストーリーにすり換えられ、アメリカ軍に徹底的なファルージャ制圧の口実を与えたのである。この点からもわかるとおり、アメリカ軍とブラックウォーターは共犯関係にあるといってもよかろう。そしてもう一つの街、ナジャフにおける戦闘で両者の関係は逆転する。2004年4月4日、ナジャフの占領軍本部の警護を請け負っていたブラックウォーターは、本部を取り巻く700人から2000人といわれる群衆に向け銃撃を行い、「数百」人の死者が出たという。交戦の状況をブラックウォーターはヴィデオで撮影し、その映像がインターネット上に流出している。時に差別的な言葉を弄しながら、群衆の中の戦闘員を巧みに射殺していく様子はブラックウォーターの兵士たちがプロフェッショナルであることを示している。そして彼らはそこにいた海兵隊員たちを明らかに指揮しているのである。ここでは傭兵と正規軍の立場が逆転している。これらの事件をとおして、イラクにおけるブラックウォーターの暗躍、そして創始者たるエリック・プリンスの存在は次第にアメリカ国内にも知られる。民主党を中心に傭兵企業という不道徳な存在を弾劾する動きも始まるが、ブラックウォーターとプリンスは様々なロビー活動と大物弁護士を用いた法廷闘争、さらにはCIAエージェントや国防総省監察長官といった悪名高き大物(彼らの不道徳な行状は本書の中で詳述されている)を社内に迎え入れることでこれらの攻撃をかわした。本書を読むと大統領ジョージ・ブッシュを頂点とした右派の人脈がアメリカという国家を蚕食し、イラクを戦場にすることによって得られる利権を独占していることが如実に理解される。
 ブレマーの後任のイラク大使、ジョン・ネグロポンテもきわめていかがわしい経歴の持ち主である。彼はレーガン政権下で中米、ホンジュラスの大使を務めたが、その際には軍事政権を支援し、左派ゲリラを残忍に弾圧する右派民兵を「死の部隊」として編成した。ホンジュラスやニカラグア、そしてエルサルバドルで自ら実践したこのような手法、すなわち宗教や民族の違いを利用し、自らの手を汚すことなく、現地人の部隊による処刑や拷問の恐怖政治を道具として占領地を支配する手法はイラクにも応用された。中南米とイラクとのつながりはこれにとどまらない。ブラックウォーターはどこから人材を得ているか。グローバリズムが広がる今日、その答えは明確だ。人件費が安い第三世界から兵士を徴募し、イラクに送ればよいのだ。ヨルダン、コロンビア、ルーマニア、ネパール、世界の様々な地域から兵士たちは徴募される。兵器を扱った経験があればよい、英語が理解できればさらによい。本書にはブラックウォーターの代理人を名乗る男によってコロンビアで契約書を読む暇もなく集められた兵士たちが四時間以内に空港に行くように命じられ、直ちにヨルダン経由でバグダッドに運ばれ、契約書の不正に気づいて抗議しても、帰りたければ自費で帰れ、さもなければ街角に置き去りにすると言って脅されるエピソードがあるが、さもありなんという印象だ。そしてブラックウォーターがことに重宝するのはチリ人だという。ここにもアメリカの負の遺産が影を落としている。このブログでも何度か言及した1973年9月11日のピノチェットのクーデターの後、CIAに後押しされた軍事政権はアジェンデ支持者に対して残酷な弾圧を行った。1500人の民間人が虐殺されたとされるこの弾圧に携わった特殊部隊員たちは経験においても技術においてもブラックウォーターの「業務」にうってつけであった。本書中、「チリの男」と題された章においては、二重国籍をもつ元チリ陸軍士官の活動をとおして、ブラックウォーターの外国人要員のうち最大の規模を誇るチリの奇襲部隊員たちがいかにしてこの会社にリクルートされたかが検証されている。考えてもみるがよい。拷問や密殺を専門とする元特殊部隊の兵士たちが正規軍として軍紀に縛られることなく、しかもイラク国内での行動について免責されたうえで、ゲリラと一般人の区別がつかない街に放たれた時、どのような振る舞いに及ぶだろうか。
 本書の終盤ではブラックウォーターのアメリカへの「帰還」が論じられる。2005年8月、ハリケーン、カトリーナが上陸したニューオリンズにブラックウォーターは「ハリケーンの救援活動」の名目で乗り込む。しかし重武装した彼らの活動はどう見ても自警団のそれだ。実際、彼らは裕福な事業家に雇われ、ハリケーンに襲われた街で彼らを護衛した。ニューオリンズは一種のショーケースだったかもしれない。9・11と震災の後、ショック・ドクトリン、大規模な災厄に便乗して、平時では不可能な政策を実施することがアメリカでも日本でも続けられてきた。先に私は内戦状態にある近未来のアメリカを描いたポール・オースターの「闇の中の男」についてレヴューしたが、今でさえゲーテッド・コミュニティーの中に住まい、ゲートの外の住民を敵とみなす現在のアメリカの富裕層にとってブラックウォーターは心強い守護者とみなされるかもしれない。
 民営化は時流ではあろう。しかし私は決して民営化、つまり効率に基づいて運営してはならない分野が存在すると思う。一つはいうまでもなく教育と文化だ。これらは見返りを求めない投資であるはずだ。しかし今や公教育も民営化の波に洗われ、大学はもはや教育機関とは呼べないほどの惨状を示している。人文科学の廃部が公然と説かれる一方で、多くの学生は就職のための踏み台としか考えていない。先日も日本の大学をランクづけし「グローバル化」に備えるという、ほとんど狂気としか思えない施策が発表された。そして美術から伝統芸能にいたる広い文化もまた効率性の名のもとに淘汰されて当然という発想がまかり通っている。私の考えではかかる変化はこの十数年ではない、この数年のうちに急速に進んでいる。日本においてそれが震災と原子力災害、そして戦後最悪の政権の誕生と同期していることは決して偶然ではない。そして軍隊もまた民営化してはならない領域ではないだろうか。正規の軍隊であれば軍紀が存在し、法律によって縛られ、一定の正義が存在する。しかしブレマー治下のイラクでみたとおり、傭兵企業には統制する根拠がない場合さえ存在するのだ。ニスールの虐殺の被害者の家族たち、ファルージャで惨殺されたブラックウォーターの社員の遺族たちはブラックウォーターを相手に現在、アメリカ本国で困難な裁判闘争を続けている。ブラックウォーターがいかに自己正当化しようとも、所詮彼らは金銭のために働く私兵である。私はこのような存在がアメリカという国家の内部に深く食い込み、世界中で活動していることに大きな恐怖を覚える。ブラックウォーターに批判的な下院議員は次のように述べる。「突如として、多くの国家よりも強力な一営利企業が世界中を闊歩し、お望みの場所で必要なら政権交代を起こし、しかもそうした行動にアメリカ政府があらゆる支援を提供する事態になった。こうした状況は、民主主義について、国家について、世界政策に対して影響力をもつのは誰かにについて、国家間の関係について、様々な問題を提起している」ブラックウォーターが企業である以上、彼らは仕事の機会を増やすべく活動を行うはずだ。そして彼らの仕事とは国家や宗教、民族や階級の間の憎悪と反目、不信と差別を前提として成立しているのである。
 本書は多くの問題を提起しており、まだ十分に論じていない問題も多く残されているが、最後に一点、不気味に感じられたエピソードを紹介しておく。ネグロポンテの退任の直前、2005年4月21日、ブラックウォーターのアメリカ人傭兵6名が搭乗していたヘリコプターが撃墜された。ブラックウォーターにとってもファルージャ以来の大きな損害であった。この際、ゲリラたちは墜落の直後には生きていたブルガリア人パイロットを見せしめにその場で銃殺し、その模様を映像として記録し、アル・ジャジーラに渡した。私は中東の専門家ではないので間違っているかもしれないが、映像を送りつけたグループはイラク・イスラム軍を名乗ったという。彼らは現在、大きな問題となっているイスラム国の前身ではないだろうか。欧米人に対する憎悪、処刑の情景を記録し、TV放送やインターネットで公開する手法の共通性が不気味に感じられた。報道されているとおり、アメリカはイスラム国を壊滅するためにシリアへの空爆を開始した。ブラックウォーターがこの作戦のどこに位置しているかはわからないが、先に述べたとおりこの戦争は仮借なき宗教戦争へと発展する可能性が高い。世界は新しい大戦、正規軍によらない、宣戦布告なき世界大戦に突入したのではないだろうか。そして国民に問うことなく、愚かな政権が集団的自衛権の行使を勝手に容認した私たちの国もこの戦争と無関係ではないはずだ。

by gravity97 | 2014-09-29 20:19 | ノンフィクション | Comments(0)

辺見じゅん『収容所から来た遺書』

b0138838_14132296.jpg 収容所にラーゲリとルビがふってあるから、ポーランドや北朝鮮ではない。スターリン治下のシベリア、矯正収容所ならぬ強制収容所を舞台とした感動的なノンフィクションが本書である。このレヴューでは内容の核心にも触れることをあらかじめお断りしておく。
 第二次大戦後、満州や樺太といった地域からソビエトの軍隊によってシベリアに連行された日本人は民間人も含めて60万人近くに及び、今なおその実数は確認されていない。彼らはシベリアの強制収容所に抑留され、苛酷な労働を課せられておよそその一割、7万人が抑留中に死亡したという。ソルジェニーツィンが「ベーリング海峡からボスポラス海峡にいたる」と形容した収容所群島は多くの日本人も巻き込みながら稼働していた訳だ。(ちなみにソルジェニーツィンが収容所生活を送ったのは1945年から53年であるから時期的にもここで描かれる内容とほぼ同期している)収容所内で信望を集めながら、無念にも病死した一人の抑留者の遺書が遺族のもとに死後三年を経て届けられる。しかし便箋二枚に認められた遺書は確かに夫が遺したものでありながら、夫の筆跡ではなかった。しかも同じ遺書はこの後、何度も妻の元に届けられる。昭和29年に病死した夫の「七通目」の遺書が届けられたのは昭和62年の夏、死後33年目のことであった。
 思わせぶりな書き方となったが、本書は決してミステリー仕立ての構成ではない。エピローグと筆者によるあとがきを読むならば、今述べた謎が明らかになるが、すでに本編の中でこの謎は解明されている。このノンフィクションは敗戦を経て多くの日本人(正確には韓国人や少数民族も収容されていた)が極寒のシベリア、強制収容所で味わった辛苦を記録するのみならず、そのような境遇でも友情と連帯が存在したこと、言葉や文学が希望を紡いだことを証して深い感銘を呼ぶ。本書の魅力はなによりも抑制された筆致にあるだろう。例えば同じシベリア抑留を扱った小説として私は山崎豊子の『不毛地帯』の冒頭を想起する。そこでは本書にも登場する関東軍参謀、瀬島龍三をモデルとした壹岐正という人物の受難が描かれる。これに対して本書には壹岐のごとく英雄然とした人物は一人も登場しない。それどころか最初のいくつかの章を読む限りではどの人物が主人公として焦点化されるかさえも明確ではない。フィクションである『不毛地帯』の劇的な構成と対照的な語りからは、むしろ「こんな日が、彼の刑期のはじめから終わりまでに3653日あった。閏年のために、3日のおまけがついたのだ」という印象的な一文で結ばれるソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』が連想されるだろう。そしておそらくこのような単調さこそが収容所の生活を正確に反映している。しかし私たちの主人公は無事に「刑期を終える」ことはできなかった。
 プロローグから第一章にかけて時間的なカットバックの手法が認められるが、語られる物語はほぼ時間軸に沿っている。第一章はウラルのスベルドロフスク、第二章はハバロフスクにあった収容所を舞台としている。プロローグにおいては日本に帰国するため、スベルドロフスクから列車で移送される日本人たちの中の数名がハバロフスク直前で呼び出され、何処へともなく連れ去られる。その中の一人、ロシア語の通訳をしていた山本幡男という人物のスベルドロフスク、ハバロフスク、二つの収容所における活動が次第に浮かび上がるにつれて、読者は山本こそ本書の主人公であることを理解する。といっても山本は英雄的な行動とは無縁である。「ウラルの日本人俘虜」「赤い寒波」と題された最初の二章においては、むしろ収容所の日本人たちの日常、彼らが置かれた厳しい状況が丹念に書き込まれる。極寒のシベリアにおける容赦ない強制労働、乏しく貧しい食糧、寒さと南京虫やシラミに苛まれる毎日、ソビエト兵たちの暴行と日本人同士の密告と反目。私には想像すらできない地獄が広がっていたことはおぼろげに理解できる。私はこのブログの中でこのような極限状況を主題としたいくつもの文学やノンフィクション、思想書について論じた。ナチスの絶滅収容所とは異なり、ラーゲリは囚人の絶滅を目的とはしていなかった。(ソルジェニーツィンが『収容所群島』の中で描くとおり、囚人は「機械を用いずに運河を造る」ための労働力であったから死んでいるよりは生きている方が望ましい)しかし帰国の展望もないまま、異郷で苛酷な労働を強いられる虜囚たちの心境はいかなるものであっただろうか。一方で収容所を管理するソビエト側としては、多く軍属の収容者を効率的に就労させるためには日本軍というシステムを収容所に組み込む必要があった。このために管理側によって「シベリア民主運動」が組織され、しかもそれは次第に変質する。この経緯を辺見は厚生省の記録に基づいて三期に分類している。すなわち当初の「懐柔期」、抑留一年目以降の「増産期間」、そして昭和23年以降の「教育期間」である。ソビエト側の対応、ラーゲリの組織化はこの三期で大きく異なるという。すなわち「懐柔期」においては日本軍の位階制は温存され、兵士と将校は待遇を違えたまま遇された。ハーグ条約が適用されていた訳である。しかし敗戦によって日本軍の組織は既に意味をなさなくなっていた。「増産期間」には兵士たちの中でもインテリ層がかつての将校に反抗し、ソビエト側の巧みな指導に基づいて「反軍」「反帝国主義」闘争が引き起こされ、マルクス主義の学習会が組織された。しかし「教育期間」になると「増産期間」を主導したインテリ層は理論先導、教養主義的としてむしろ排斥される。代わってソビエト指導部の方針に盲従し、活動的な農民、労働者層の人材が重用され、思想的に洗脳されたうえでアクチブと呼ばれる攻撃的な指導層となった。アクチブたちは「前職者」、つまり戦時中に日本軍に協力した収容者を狩り出しては吊し上げて糾弾した。本書中に山本が「豆を煮るに豆殻を焚く」という中国のことわざを引用する場面があるが、逆境の中で同じ日本人同士が互いに協力することなく、ソビエト側に対して密告や告発を繰り返す状況はラーゲリの地獄の一端をかたちづくっていただろう。かつて社会主義運動にも参加したインテリ、山本の境遇はこのようなパワーバランスの中で大きく変化する。「増産期間」において山本は「日本新聞」という収容所当局に翼賛的な新聞と関わり、同志会という勉強会を主宰する。しかし「教育期間」にいたるや「前職者」の烙印を押されて、アクチブたちの糾弾の標的とされたのであった。もっとも山本は決して社会主義に共感をもつインテリとして収容所の体制に迎合した訳ではなかった。山本は同志会の友人の不慮の死に対しては当局に猛然と抗議し、収容所の中で秘密裡に句会を主宰する。第三章の「アムール句会」においては「教育期間」の寒々とした相互監視の中で山本を中心として「アムール句会」と名付けられた句会が密かに続けられた状況が明らかになる。誰がスパイかわからぬ状況下にあって、句会の存在は信用できる相手にしか伝えることができない。そして収容所の中で文字を残すことはタブーであるから、参加者たちはセメント袋を短冊として用い、煤煙を水に溶かした墨汁と馬の尻尾を用いた筆で句を清記し、句会が終わると短冊は土に埋められ、刻んで便所に捨てられたのだ。私は極限的な状況において俳句という営みが彼らの生のよすがとなった点に感銘を覚える。かつて私はこのブログで「死刑囚」、大道寺将司の『棺一基』という句集について論じた。極限状況で死と向かいあうことを余儀なくされた人々が言葉、それも俳句というミニマルな表現形式を選んだことに私は一つの必然性を感じる。言い換えるならばわずか17文字で表現される俳句という言語芸術は死に拮抗しうるのだ。私はそれが31文字の短歌ではなく俳句であることに興味を抱く。
 考えてもみるがよい。わずか17字の文字を残す。それさえもラーゲリでは懲罰の対象となりえたのだ。このブログのごとく、自由に自分の思考を開陳することが自由ではない状況や体制がありうることを本書は明らかにする。しかし逆に自らの感慨を17字の文字に置き換えるというただそれだけの営為が多くの抑留者の人間性をかろうじて繋ぎ留めたのではなかろうか。極限的な状況において鉛筆や絵筆、あるいは楽器を手にすることで人がその尊厳を保ちえたというエピソードは珍しいものではない。創造とは人にとって精神の自由の証であるからだ。いかなる境遇であっても人は精神が自由である限り、人間として生きることができるのだ。ペンと紙がなくとも山本たちはセメント袋と溶かした煤煙でかかる尊厳を確保した。山本が句会を始めたことによって、多くの抑留者は精神的な拠り所を得る。山本の朴訥な人柄、そして句作への熱意は多くの友人の魂を救ったのではなかろうか。それゆえ山本は多くの抑留者に慕われ、本書は過酷な記録ではあるが救いがある。おそらくこれは先にも述べたとおり、シベリアの収容所が囚人たちに強制労働を強いたとしても絶滅収容所でなかったことと関係しているだろう。抑留者たちの生活は悲惨であるにもかかわらず、本書にはナチスの絶滅収容所でムーゼルマン、回教徒と呼ばれた歩く死体のような人々についての記述はない。この点は証言の可能性という問題と関連して深く思考されるべきであろう。
 抑留が長期化するにつれ、収容所をめぐる状況は次第に改善される。相変わらず収容所の監督たちによって酷使されながらも、抑留者たちは少しずつ余裕を得て、正月を祝い、野球や演劇に楽しみを見出すことができるようになる。昭和27年6月には日本との手紙のやり取りが許可される。もちろん当局の検閲は介在するが、抑留者たちは自分たちの無事を日本の家族に知らせ、近況を伝えることができるようになった。文通の再開は抑留者たちに悲喜こもごもの反応を引き起こす。第四章の「祖国からの便り」においてはこのあたりの事情が多くの証言をもとに詳細に語られる。そしてスターリンの死と、いわゆる雪解けを経てついに一部の抑留者の帰国(ダモイ)が実現されることになる。しかしこの時、山本は病に冒され、死の床にあった。長い抑留生活は確実に病状を悪化させ、山本は帰国を前に死を覚悟して、母、妻、そして子供たちに宛てて三通、そして「本文」と題された前置き、合わせて四通の遺書を書く。文字を残すことは禁じられている。いかにしてこの遺書は遺族のもとに伝えられたか。遺書が記されたノートの最初には次のように書かれていたという。「敬愛する佐藤健雄先輩はじめ、この収容所において親しき交わりを得たる良き人々よ! この遺書はひま有る毎に暗誦、復誦されて、一字、一句も漏らさざるやう貴下の心肝に銘じ給へ。心ある人々よ、必ずこの遺書を私の家庭に伝へ給へ。七月二日」病室で没する二月前に書かれたことが日付からわかる。なんと山本は記憶によって遺書を遺族に伝えるように依頼したのである。残された仲間たちはこれらの遺書、特に子供たちに宛てた遺書が単に個人の遺書ではなく、ラーゲリで空しく死んだ人々が祖国のすべての人へ宛てた遺書であることと理解し、山本の願いを実現しようとする。もちろん遺書を所持していたことが露見すれば直ちに営倉送りになる。任務を担った者たちは手分けをして、遺書の写しを隠し持ち、時折読み返しては自分の暗誦している内容と一致しているかを確認する作業を繰り返すこととなったという。このようなエピソードから連想されるのはレイ・ブラッドベリの『華氏451度』の最後の場面ではなかろうか。未来世界において、本を焼くことを職務としていた主人公モンターグは次第に焚書という行為に疑問をもち、ついには当局から追われ、レジスタンスたちと合流する。どんな本を持ち出したのかと尋ねるレジスタンスの指導者に対してモンターグは「伝道の書」と「黙示録」の一部であると答え、本の所在を問われると自分の頭を叩いてみせる。これに対して指導者は自分がプラトンの「共和国」であると答えるのだ。b0138838_14142121.jpg
 山本の没後三年が経過した昭和32年、大宮に住んでいた山本の妻のもとをシベリア帰りの山村昌雄と名乗る男が訪れ、「私の記憶してきました山本幡男さんの遺書をお届けに参りました」と告げ、便箋を渡す。続いて野本貞夫という抑留者から便箋25枚にわたって山本の思い出と死亡当時の状況、「遺書」と山本が遺した多くの詩や句を記録した手紙が届く。さらに愛知県からは「子供等へ」の遺書、兵庫県からは「妻よ!」の遺書が届く。そして福岡からは瀬崎清が字体まで真似て遺書全文を写したノートを持参する。その半年後、同じ島根県の県人会に属す新見此助から六通目の遺書が届いた。遺書はこれが最後ではなかった。最初に書いたとおり、33年後の昭和62年に横浜から七通目の遺書が届いた。それは糸巻きにカモフラージュして組み込まれ、実際に暗誦に用いられた写しの現物であった。
 ここに登場する人物は名も職位も無き存在であり、ここで語られる物語も辺見のルポルタージュがなければ世に伝えられなかった可能性は大いにある。しかしここで明らかにされる物語は私たちの胸をうつ。私たちはここから何を読み取ることができるだろうか。遺書/手紙の遅延というモティーフはポーの『盗まれた手紙』からマルケスの『コレラの時代の愛』にいたる文学上の主題系列を形成する。あるいは宛先に届いた手紙とは死の暗喩であるというデリダ/ジジェク的な解釈も収容所という場を念頭に置く時、いくつかの問題を提起するかもしれない。しかし私は次の二つの点のみを指摘して本論を終えたい。本書には山本の遺書以外にも多くのテクストが収められている。多くはシベリアで作られた詩や句である。先にも述べたとおり、収容所では文字を残すことは禁じられていたから、これらの詩や句も多くは記憶を介して今日に伝えられたはずだ。おそらく俳句という短詩形は記憶するうえでも比較的容易であり、それゆえラーゲリの極寒をも生き延び、今日に伝えられたのであろう。なぜアムール句会の参加者は大きな危険を冒しても、収容所の中で句作したのか。先にも述べたとおり、私は俳句を作ることは彼らにとって生きる理由となったのではないかと考える。人はパンのみで生きるにあらずという。極限的な生活であるからこそ、創造あるいは芸術は必要とされたのではなかろうか。芸術という営みが人間にとって本源的であることを本書は示唆している。多くの場合、芸術はなんらかの記録として残される。しかし記録が存在を許されない世界が存在する。書き付けが見つかれば帰国途上であってもシベリアに逆送されるかもしれないというリスクを負って抑留者たちは山本の遺書を伝えねばならなかった。あるいは収容所の真実をわずか四枚の写真によってしか「もぎ取る」ことができなかったポーランドの絶滅収容所。直接にはマッカーシズムへの批判として構想されたブラッドベリのディストピア小説はこのような世界の暗喩である。しかしこのような世界にあっても記憶は存在しうる。物理的な記録が焼き尽くされた時、記憶こそが唯一の抵抗手段なのである。「収容所から来た遺書」は芸術による救済と記憶による抵抗の物語だ。そして記憶が私たちの身体と分かち難く結びついている以上、生ある限り抵抗への希望は存在するのだ。

by gravity97 | 2014-02-04 14:27 | ノンフィクション | Comments(0)

手嶋龍一『宰相のインテリジェンス』

 筆者の手嶋龍一はかつてのNHKワシントン支局の支局長。2001年の同時多発テロに際してはワシントンからTVに出ずっぱりで次々と的確な情報を伝え、強い印象を残した。その後、作家に転じ、ワシントンにおける独自のコネクションを生かして、インテリジェンスに関するノンフィクションや小説を著している。私もそのいくつかを読んだ覚えがある。佐藤優との対談『インテリジェンス 武器なき戦争』はとりわけ興味深かった。
 本書はかつて2011年に『ブラック・スワン降臨』というタイトルで刊行された。文庫化にあたって改題し、全面的な改訂を施したという。「ブラック・スワン」とはありえない事態が現実化することの謂。同時多発テロ、東日本大震災、原子力災害。確かにいずれもこのわずか10年ほどの間に降臨したブラック・スワンたちだ。そして今や私たちはいつ再びブラック・スワンが舞い降りるかもしれない時代を生きている。
 内容はあまりまとまりがない。第1章ではパキスタンでビン・ラディン暗殺のミッションが遂行された際にオバマ大統領がいかにして情報の保秘に成功したか論じられる。パキスタン政府内に内通者がいる状況ではあらかじめパキスタンに通告することはできない。ブラック・ホークという特殊なヘリコプターを用いて海軍の特殊部隊が極秘に潜入し、ビン・ラディンを殺害して帰投する。一つの国家の主権を無視した危険なミッションについて私はこのブログで触れた映画「ゼロ・ダーク・サーティー」でその詳細を知ったが、確かにこのミッションは作戦を関係者にいかに秘匿するかという点こそが作戦の成否に関わっていた。続く第2章ではビン・ラディンの行方をつきとめるため、アメリカの国内法が及ばないキューバからの租借地に建設されたグアンタナモ海軍基地で捕虜たちに虐待を加えながら、情報を集めていった模様が語られる。これもまた「ゼロ・ダーク・サーティー」で活写されたとおりだ。軍の協力がなければグアンタナモへの取材もありえないから、手嶋と海軍の関係はスリリングである。かくして得られた情報に基づいて実行されたビン・ラディン殺害がインテリジェンス管理の成功例とするならば第3章で扱われるのはその失敗例。つまり事前の多くの情報を得ながらも、当局が同時多発テロを防ぐことができなかった顚末が語られる。このあたりの記述は手嶋がブッシュ、オバマ政権内部に何人ものディープ・スロートを擁していることをうかがわせる。この問題に関してははこのブログで触れたローレンス・ライトの『倒壊する巨塔』にも詳しい記述があったことを覚えている。第4章は同時多発テロ当日、ワシントン支局長であった手嶋がいかに采配をふるかったかの記録。手嶋は11日間にわたって昼夜連続の中継を担ったという。第5章もインテリジェンス管理の失敗例が語られる。テロへの報復としてブッシュはイラク戦争に突き進んだが、よく知られているとおり、開戦の根拠とされた大量破壊兵器は遂にイラクで発見されることがなかった。手嶋によればそれは「カーブボール」と呼ばれる情報源からもたらされた偽の情報であったという。しかも同様の誤った情報は無数に存在していた。情報をインテリジェンスという意味のあるそれに変えるためには分析、解析する担当者の手腕が問われることは当然といえば当然だ。ここで明かされる秘話も興味深い。小泉首相当時、イラクの核兵器開発に関する資料を持ち込んだイラク人が赤坂プリンスホテルにVIP待遇で長期滞在したという。小泉政権が官房機密費を用いてこれを遇したが、実際にはそのような資料は存在せず、最終的に逐電した男は詐欺師であったという。もしそのような資料が存在したならば、小泉政権としては窮地に追い込まれていたブッシュ政権に対してなにがしかの貸しを作ることができたが、逆に資料が偽物であれば大きなスキャンダルになっていたはずだ。このエピソードは日本もかかるインテリジェンスをめぐる戦場の最前線であることを示唆している。6章と7章では民主党政権下で悪化した日米関係、そして中東での作戦行動のために東アジアでのアメリカのプレゼンスの弱体化、そしてこれに代わる中国とロシアの台頭が論じられる。かかる困難な状況をもたらした当事者として手嶋は日本の政治家のみならず、アメリカの政権担当者に対してもきわめて辛辣な批判を投げかける。ここで提起された状況が今日さらに深刻化していることは明らかだ。そして最後の章で手嶋は東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故をめぐって菅政権の対応の稚拙さ、そして対照的なアメリカの危機管理の手際よさについて論じる。
 先に述べたとおり、今やいつ次の大地震が発生するかもしれず、かたや福島第1原子力発電所の事故は収束の見通しさえ立っていない。さらに愚かな政権のために隣国との緊張もかつてなく高まっている。ブラック・スワンが何羽も頭上を舞っているような状況の中で本書を読むことはそれなりの切実さを伴う。それにしてもインテリジェンスとは奥深い世界だ。無数にあふれる情報の中から、意味のある情報を選び、情報の真偽を見定め、必要な相手に伝えることができて初めて情報はインテリジェンスへと転じる。このあたりの機微について私は手嶋と佐藤優の著作から多くを学んだ。手嶋は本書の中で「インテリジェンスの世界に完璧な情報など存在しない」とまことに身も蓋もない言明を行っている。確かにそうかもしれない。本書でも触れられているとおり、アメリカという大国が地球の裏側まで派兵し、多くの犠牲とともに敢行した戦争に全く根拠がなかったといった話はにわかには信じ難い。ブッシュとネオ・コンが偽の情報と知りつつあえて開戦したという疑惑は残るにせよ、イラク戦争がアメリカのインテリジェンス収集の歴史に大きな汚点を残したたことに疑いの余地はない。現在、オバマ政権がシリアに軍事介入しようとしているが、多くの同盟国が協調の姿勢を示さないことはインテリジェンスの扱いを誤った際の禍根の深さを暗示しているだろう。
 本書を読んで私があらためて強く意識したのは、インテリジェンスとは内容の真偽もさることながら、その扱い、誰に知らせて誰に知らせないかという点こそが重要であることだ。ビン・ラディン暗殺は確かに標的の所在についてのインテリジェンスを得たことから始まった。しかし一方でこのミッションはインテリジェンスを秘匿し、関係国はもちろん大統領の身辺にさえその進行を隠し通したことによって初めて可能となったのだ。本書の冒頭にこのエピソードを配置した手嶋の意図は明らかである。
 さて、この原稿を書いている途中で2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定された。国民が疲弊し、放射能に汚染され、隣国へのヘイトスピーチが公然と唱えられる国でオリンピックを開催するとは、私にはブラックユーモアとしか思えない。そしてこれによってこの国は効率とか収益とかいった経済的価値に代えて国際社会に対して誇りうる新しい価値を提示する最後の機会を失ったことも確かであろう。それにしてもオリンピック招致に関するマスコミの翼賛的報道はどうだ。そしてインターネット上にはオリンピック招致を寿がぬものは非国民だといったコメントが次々にアップされている。
 ブエノスアイレスでのスピーチで私たちの「宰相」は事故を起こした原子力発電所が完全にコントロールされ、汚染水もブロックされていると主張した。公衆の前で平然と嘘をつくことができるのも確かに政治家の一つの資質であろうからそれ自体には驚かない。しかしこの発言によって事故を完全にコントロールし、汚染水をブロックすることはこの政権にとって死活的に重要な案件となった。もちろん素人の私が見てもそのようなことができるはずはない。今後、この政権は原子力災害に関するインテリジェンスをどのように扱うことになるだろうか。東京電力から提供される情報がでたらめであることは今後も変わらないだろうから、これに関してはインテリジェンス以前の問題だ。おそらくこの政権は原子力災害に関するインテリジェンスの秘匿に狂奔することとなろう。私たちはオリンピック招致の代償としてこれから原子力災害の帰趨についてクリティカルな情報を何も知らされることのない7年間を送ることになるはずだ。本書の中でも最後の「著者ノート」に安倍についての言及がある。小泉政権時の官房副長官としてインテリジェンスをめぐる外交の苛烈に触れた安倍がインテリジb0138838_22183142.jpgェンスを集約する日本版NSC(国家安全保障会議)の設立を画策していることは報道されているとおりだ。この機関がかかるインテリジェンス統制の走狗となることもまず間違いないだろう。

by gravity97 | 2013-09-12 22:25 | ノンフィクション | Comments(0)

シルリ・ギルバート『ホロコーストの音楽』

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 「ホロコーストの音楽」(Music in the Holocaust)とはなんとも含みのあるタイトルだ。ホロコーストにおいて音楽はいかなる意味をもったか。そもそもホロコーストに音楽は存在したのか。著者はワルシャワ・ゲットーを生き延びた後、ソビエト連邦での収容所生活を経てイスラエルに移住したユダヤ系ポーランド人祖父母をもち、彼らがその後移り住んだ南アフリカの大学を卒業した後、オックスフォード大学で音楽学と現代史の学位を取得し、アメリカのミシガン大学の助教時代に本書を書き上げたという。このような閲歴に既にいくつもの20世紀の負の歴史が見え隠れしている。
 近年、ホロコーストに関する研究は格段に深化され、例えば最近私は日本語に翻訳された『ホロコースト・スタディーズ』なる研究書さえ書店で見かけた。本書は語り尽くされた感のあるこの主題に「音楽」という新しい視点から切り込む。日本語のサブタイトルが示唆するとおり、本書はホロコーストと音楽の関係を二つの場に即して検証する。一つはユダヤ人が強制的に隔離されたゲットー、もう一つは強制収容所である。序章とエピローグの間にゲットーに関して二章、強制収容所について二章、計四章のケース・スタディが収められている。より具体的に述べるならば、前半ではヨーロッパで最も多くのユダヤ人が暮らしたワルシャワ・ゲットーと高度なユダヤ人文化が認められるリトアニアのヴィルナ・ゲットーが取り上げられ、後半ではザクセンハウゼンとアウシュビッツという二つの収容所が論じられる。このうち、最後の場、アウシュビッツにおいては(実際には収容者たちに近くの鉱山や工場での労働が割り当てられていたにせよ)最終的な目的は収容ではなく、収容者の絶滅に向けられていた。再びの問い。果たしてこのような場所で音楽は可能であろうか。予想されるひとつの解は、それがホロコーストの非人間性に対するひとつの抵抗となりえたというものである。しかし本書から浮かび上がる「ホロコーストの音楽」はそのような予定調和とはかけ離れている。
 まず私たちはユダヤ人のゲットーへと向かう。本書の中で語られるとおり、「ゲットーは『最終的解決』の過渡的な局面であり、大規模な移動と殺戮に先立って、ユダヤ人をまずは集中させる場所として計画された」のである。本書の前半、ゲットーにおける音楽をめぐる記述は収容所の場合ほど極限的ではないにせよ、この問題を考えるうえでの多くの手がかりを与えてくれる。例えばワルシャワ・ゲットーは先に述べたとおり、当時のヨーロッパでも最大級のユダヤ人社会であったから、ユダヤ人としての文化的統一がありえたはずである。当然そこには音楽の伝統もあっただろう。しかしギルバートはそこに無残なまでの分断があったことを語る。次のような証言が残されている。「ワルシャワ・ゲットーでは、大多数の住民の悲劇的な窮乏と、いぜん富裕で、気が遠くなるほどの値段が当然のようにつけられているあらゆる種類のレストラン、ケーキの店、食料品店に出入りする一握りの者たちの栄華とが、きわだった対照をなしている」私たちはナチス・ドイツとユダヤ人を加害者/被害者といった単純な図式で捉えがちであるが、実際には両者の関係は錯綜している。ゲットーのユダヤ人もきわめて複雑な社会構造を形成しており、そこには飽食と飢餓が同居していた。栄華をきわめる「一握りの者たち」にとって音楽は重要な娯楽であった。ユダヤ人評議会や秘密国家警察(ゲシュタポ)の手助けによって開設されたカフェでは豪勢な料理の横で楽士たちの演奏が繰り広げられているが、扉一つ隔てた屋外には無数の孤児や物乞いが存在した。ゲットーには多くの劇場があり、交響楽団も存在した。著者は当時の状況を歴史的資料によって確認しつつ、そこで実際に演奏されていた曲目を特定し、歌われていた歌詞を採譜する。その場限りのエフェメラルな「音楽」、言語化することが困難な「歴史資料」を丹念に検証する点が本書の独自性であることはいうまでもない。ゲットーの中で歌われていた歌の歌詞を分析したギルバートはそこにはゲットーの地獄が記録され、人々を内部から蝕んでいた退廃が暗示され、さらには大量移送される人々の行く末も正確に予見されていたことを指摘する。例えば次のような歌だ。「ユダヤ人は列車に連れていかれる/回転する車輪を/どのようなペンも描けない、/車両は満杯、/神の聖なる名のもとにユダヤ人が連れられていく/トレブリンカ、トレブリンカに。」トレブリンカ、それはクロード・ランズマンの「ショアー」の冒頭で、ポーランド人の農民が戦時中、自分が耕作していた畑の横に建設され、次々にユダヤ人が列車で運び込まれていたことを何の感情も交えずに証言した巨大な絶滅収容所ではなかったか。二章で扱われるヴィルナのゲットーはリトアニアに位置し、最初ソビエトに占領された後、ドイツが支配した。戦前よりヴィルナのユダヤ人たちは独自に高度な文化を育んでおり、音楽についても例外ではない。しかし現実は苛酷だ。最初ここには二つのゲットーが存在したが、職人や労働者が集められたゲットーに対して、孤児や病人、老人が集められたゲットーからは人々が連行されては射殺され、最初収容されていた三万人のユダヤ人の半数以上が殺された。そこではパルチザン運動が組織され、戦闘が繰り広げられた。ここで採譜された歌には悲惨な事件を記録し、自分たちの暗鬱たる未来を予言するのみではなく、パルチザンを鼓舞する内容も多く含まれていたという。一方でゲットーの劇場での音楽の公演は不幸な境遇にある住民を慰安するという目的があった。鼓舞と慰藉、ヴィルナの音楽は正反対の目的のために存在したのだ。ゲットーにおける音楽はなおも文化の内部にあった。続く二章、収容所において私たちはもはや文化とは呼べぬ音楽に出会う。
  「夜も遅く、すでに疲労困憊して、残されたきょう一日の時間を少しでも休みたいと思っているとき、われわれは中庭に立ったまま歌わされるという純然たる虐待を受けた。夜の暗闇の中で、とにかく歌い続けるのである。(中略)この歌唱の最中に多くの者が消耗の極みに達し、死んだ」収容所では歌うことが虐待の手段として用いられていたのだ。あるいは脱走者が処刑される時、収容者によって構成された楽団は処刑の伴奏を行うように求められたという。本書の中には処刑される脱走者を先導しながら楽器を演奏するオーケストラの写真が収められている。さらに彼らが奏でる行進曲は労働部隊が仕事に出かける際に歩調を合わすために演奏されたという。もし足並みを乱せばその者は容赦なく殴打されるのである。もちろん抵抗としての音楽、抵抗としての歌はありえた。ガス室に連行されたチェコのユダヤ人たちがチェコスロヴァキアの国歌を歌いながら、あるいはフランスのユダヤ人たちが「ラ・マルセイエーズ」を歌いながら死んでいったという事実が知られている。クリスティナ・ジブルスカという若い女性の収容者は収容所で生まれて初めて詩を書き、それは「没収財産登録事務所のメドレー」として今日まで記録されている。このような詩だ。「列車はあえぎ、蒸気を吐き出す、それは誰にも聞こえる、スーツケースの山、そして謎めいた異様な煙/責任者が来る、でもそれはどうでもよいこと、大事なのは食物、まだ誰もわれわれを処置していないのだから」アウシュビッツに送られたユダヤ人の荷物を入れたスーツケースが山をなしている図版を見る時、この歌の意味は明確だ。そしてまさにその場でも音楽は機能していた。新しい収容者が到着するたびにオーケストラが動員され、降車場で歓迎の演奏をした。それは巧妙な偽装工作である。絶滅収容所に到着したユダヤ人たちは手入れされた庭、シャワーや更衣室の表示、そしてシュトラウスのワルツやオッフェンバックの楽曲が演奏されていることを聞いて安堵する。彼らが「それほどひどくはないかもしれない」と感じた降車場で実際に行われていたのは移送者の中からガス室に送る者を選別する作業であったのだ。楽士たちはもちろん自分たちの役割を承知しており、中には演奏しながら泣く者がいたが、親衛隊の将校に厳しく叱責されたという。絶滅収容所にも音楽は存在した。そしてその本質についてプリモ・レーヴィは深い洞察を加えている。「曲目は限られていた。十数曲であろうか。毎日、毎朝、毎夕同じ曲である。ドイツ人にとって耳慣れた行進曲と大衆音楽である。いずれも脳裏に深く刻み込まれている。収容所を忘れることができたとしても、最後まで残るのはこれらであろう。それは収容所が発する声であった。幾何級数的に増殖する狂気、もしくは、まずわれわれを人間として無力にしておいて、ついでゆっくり殺そうとする他者の決意の可視的な姿なのである」意志が可視化された音楽、矛盾された表現であるが、音楽がかくも残忍な姿をとった場所をほかに想像することは困難であろう。
 最初に述べたとおり、本書は収容所を被害者と加害者という二分法ではなく、様々な民族や階級、技能や思想をもった重層的な構造としてとらえている。音楽という主題はこのような重層性を見事に抉り出す。いうまでもなく音楽は収容所を管理する側にも存在した。親衛隊の隊員たちは自分たちの楽しみのために、収容者の音楽家たちに公私にわたって演奏を依頼していた。なぜなら彼らにとって音楽とは「文明」の指標であったから。アウシュビッツにおいてオーケストラはほかの収容所に増して援助され、推奨されていたという。絶滅収容所と音楽。誰でもアドルノの箴言を想起するであろうこのような事実に関する次のような指摘は重要である。「音楽に対する彼ら(親衛隊)の関心とその残虐な行為とをまったく矛盾するかのように考えたくなるが、実際には音楽は収容所の歪んだ論理の一部をまぎれもなく構成していたと思われる。なによりもまず、音楽は親衛隊員が洗練されたドイツ文化と個人の『品格』にもとづく自己像を保つことができる枠組を提供したのである。音楽は彼らが従事した職務と乖離するものではなく、まさしくそれに沿うものであった」洗練された趣味をもつドイツ人が列車で到着したユダヤ人の中からガス室に直行すべき者を選別しえたという、西欧的教養、全人的教養を否定する事態の出来を本書は暗示する。かかる事実を説明する一つの手段がハンナ・アレントのいう「悪の凡庸さ」であろうか。官僚性に組み込まれた悪がいかに仮借なく増幅するか。おそらくマックス・ウエーバーまで遡及可能なかかるテーマは本書の隠された主題である。一方で音楽は収容者にとってサヴァイヴするための手段でもありえた。アウシュヴィツ内の収容所の一つ、ビルケナウには四つのオーケストラ風のアンサンブルが存在したが、その一つである女子管弦楽団の楽員たちの待遇は、音楽家の華やかな家系に属し(伯父がグスタフー・マーラーであった)自身もヨーロッパ有数のヴァイオリン奏者であったアルマ・ロゼという女性が指揮者となったことで劇的に改善され、十分な休養や食料が与えられることとなったという。多くの収容者に苛酷な労働が課せられる一方で、労働部隊の出発と帰還の際に楽曲を演奏し、ほかの時間は演奏の練習をしていたという楽員たちの活動はなんともグロテスクに感じられるが、収容所においては演奏や歌唱、さらに写譜といった音楽に関する能力、収容者たちの文化資本は端的に生き延びるための手段に転じていたのである。
 アウシュビッツでは親衛隊の将校たちを相手にしばしばコンサートが開かれた。基本的に収容者たちは参加することができなかったが、何らかの理由でそこに立ち会うことができた収容者たちは音楽に涙を流して聴き入ったという、地獄のような収容所において音楽は彼らにとって避難所であり、おそらくは別の世界で家に家族といる姿を思い描きながら音楽を聴いたのであろうと著者は述べる。しかし一方で同じ音楽を聴く将校や看守たちは何のためらいもなく収容者に暴行を加え、ガス室へと送ったのである。ホロコーストでは音楽の全能と無力が交錯する。今や明らかであろう。ホロコーストとは音楽にとっても決して癒やされることのないトラウマであったのだ。

by gravity97 | 2013-01-25 22:22 | ノンフィクション | Comments(0)