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Living Well Is the Best Revenge

蔡國強

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 1989年に広島市と広島文化財団によって設置されたヒロシマ賞は、美術家を賞の対象として三年に一度、受賞者が選ばれる。これに合わせて毎回、広島市現代美術館で受賞作家の展覧会が開かれてきた。七回目の今年は蔡國強が選ばれ、来年一月まで「蔡國強」展が開催されている。作家のスケールに見合った充実した内容の展覧会である。
 会場に入ると、竹で串刺しにされた合成樹脂製の二頭の巨大な鰐の背中一面、空港のセキュリティーチェックで没収された先の尖った品々を突き刺した《先へ進んでください、見るべきものはありません》という大作が目に入る。サディスティックな作品でありながら、どこかユーモラスな印象を与える点がこの作家の持ち味であろう。巨大な鰐が無数のフォークやカッターナイフで攻撃されている様子は明らかに9・11の寓意であり、最初、ニューヨークのメトロポリタン美術館の屋上庭園に設置されたというから、マンハッタンを睥睨するこの対の鰐をやはりマンハッタンを見下ろしていたもう一つの対へのレクイエムとみるのは強引であろうか。会場にはこのほか一連の火薬ドローイングのほかに、世界各地で行なわれたパフォーマンス「キノコ雲のある世紀」の記録写真、今回の展覧会のために制作された巨大な火薬ドローイング、そしていわき市の砂浜に埋没していた木造の廃船を引き上げて移設したインスタレーションなど存在感のある作品が展示されていた。中でも圧巻は二つのスクリーンに同時に投影される、蔡が過去に行なった火薬を用いるパフォーマンスの記録映像である。私が蔡の作品にあらためて強い印象を受けたのはロンドンのロイヤルアカデミーでのグループショーであった。この際のパフォーマンスの映像も紹介されており、カタログを参照するならば、それは2002年の《マネー・ネット》という作品である。パフォーマンスこそ実見しなかったが、会場の前庭で繰り広げられた花火のパフォーマンスの壮麗な映像に当時も息を呑む思いであった。そして今回、さらに衝撃を受けたのは2005年にエディンバラとバレンシアで発表された《ブラック・レインボウ》という作品である。それまでの作品と異なり、白昼に挙行されるこのパフォーマンスにおいては都市の中空に無数の黒雲が弧を描くように炸裂する。その形状はまさに黒い虹を連想させる。映像からもその印象は圧倒的である。夜間に実施される火薬パフォーマンスが美しくはあっても、限られた観衆に対して比較的限定された場所で行なわれるのに対して、《ブラック・レインボウ》は白昼、都市の上空で炸裂し、市民全員によって目撃される。《ブラック・レインボウ》においては斜め方向に花火が打ち上げられるのに対して、翌年、ニューヨークで発表された《晴天黒雲》は垂直に打ち上げられた花火の爆発がマンハッタンの上空に密集する黒雲をかたちづくる。その印象は美とはほど遠く、きわめて不穏である。このパフォーマンスは最初に触れた串刺しの鰐と同時に発表されたが、都市と黒煙の取りあわせが多くのニューヨーク市民に5年前の惨劇を想起させたことは想像に難くない。
 展覧会の開幕にあたって、蔡は10月25日に原爆ドームの横でパフォーマンス「黒い花火」を実施した。今述べたニューヨークのプロジェクトのヴァリエーションであることは明白である。展覧会場ではこの模様を記録した映像も上映されており、私はこれをみて深い感動を覚えた。原爆ドームの脇に黒々とたなびく煙の柱、それは明らかにキノコ雲だ。ヒロシマという地で爆発をモティーフとした作品を発表し、のみならず黒いキノコ雲を現出させる。それがいかなる意味をもち、どれほど危険なことか、誰にとっても明らかである。逆に言えば自己の表現に対する深い信頼がなければ作家は決してこのような作品を発表することはできないだろう。
 この発表と前後して、東京の若手作家集団が広島市上空に飛行機雲で「ピカッ」という文字を書いて批判され、予定されていた展覧会を「自粛」し、被爆者に「謝罪」するという茶番を演じたが、この事件は逆説的にも蔡の表現の深さを際立たせたように感じる。彼らの表現は思いつきや悪ふざけの域を出るものではないことは明らかだ。もし彼らがなんらかの芸術的確信とともにこの表現を行なったのであれば、安易に反省や謝罪をすべきではないし、少なくともそのような覚悟もなく作品を発表する者に美術家を名乗る資格はない。この事件に関して彼らが「ピカッ」ではなく「No More Hiroshima」と書けばよかったというなんとも的外れというか能天気なコメントも見かけたが、確かに彼らの表現はこのコメントに見合う程度の愚劣さである。つまり「ピカッ」は「ノーモア・ヒロシマ」や「植民地解放のための原爆投下」といった無数の選択肢の中からたまたま選ばれたにすぎず、恣意的でメタフォリカルな記号である。これに対して蔡の黒雲はキノコ雲との形状の一致というメトニミックな関係を有し、ヒロシマにおいて実現されるべき強い必然性を帯びている。さらに別の観点に立つならば、原爆ドーム脇に生じた黒雲は原爆投下後のキノコ雲と強い類似性をもつ点で類像的な記号(アイコン)であるが、煙とは本来的に爆発の結果として生じる指標的な記号(インデクス)である。かくのごとく蔡のパフォーマンスは直ちに記号をめぐる様々の思考を発動させるが、もちろんこれゆえ優れているのではなく、作品としての圧倒的な強度において凡百の「反戦的」な表現の中に屹立するのである。私の考えでは、現実の都市空間に突如出現する黒雲を目撃する体験は崇高という感情に近い。「絵画に関して私が必要と感じることは、それによって人に場の感覚を与えることである。つまり見る者が自分がそこにいる感じ、それゆえ自分自身を意識することである」というバーネット・ニューマンの言葉こそがかかるパフォーマンスにふさわしい。「場の感覚」をとおして、1945年のヒロシマと2008年の広島が重ねられる。それは美術以外では媒介することのできない奇跡である。おそらくこのパフォーマンスのアリバイの一つとして、反戦、鎮魂といった意味づけは今後もなされるだろう。しかし繰り返しになるが、蔡のパフォーマンスは反戦という誰も批判できないメッセージとは全く関係がない。一つの都市を廃墟にした惨劇に拮抗する強度をもった表現を同じ都市を舞台に実現した点において深い感銘を与えるのである。
 このような社会性の強い作品を美術館という公的機関が実施することの困難は容易に想像がつく。キノコ雲のパフォーマンスにあたっては、思いつくだけでも消防、警察、近隣の町内会、そして河川を管轄する国土交通省との折衝が必要であろうし、この内容であれば当然被爆者団体にも説明する必要があろう。そしてこのような煩瑣で事務的、非芸術的な手続きこそが作品の根幹に関わることはいうまでもない。以前、私はある新聞社の文化事業部員から今、世界で一番展覧会に手間のかかる作家は蔡であると冗談交じりの嘆息を聞いたことがあるが、今回の展示を見てもさもありなんという印象である。ヒロシマ賞受賞展という背景が追い風として働いたかもしれないが、間違いなく多くの困難を一つ一つ解決して充実した回顧展とパフォーマンスを実現させた広島市現代美術館に敬意を表したいと思う。
 実は私は蔡が日本に滞在していた時期に、京都の小さな画廊で語らった記憶がある。気さくで人当たりのよい作家が20年ほど後によもや北京オリンピックの芸術監督として活躍するとは想像もできなかった。会場では北京オリンピックのオープニングの華やかな映像も上映され、この意味でも今回の受賞はタイムリーであったといえよう。蔡の作品は明らかに一つのスペクタクルである。オリンピックという場でスペクタクルと政治が結びつくことの危険性はレニ・リーフェンシュタールを想起するならば明らかである。私は蔡がオリンピックの芸術監督となったと聞き、開会式の壮大なページェントを見て、優れた才能がこのまま体制に呑み込まれるのではないかと一抹の不安を感じた。しかし今回の展示を見て不安は解消された。ヒロシマという難題に挑戦し、これほどみごとに応えた作家が美術に対して抱く信念は国家という枠組をはるかに超えている。

図版は広島平和メディアセンターのホームページより転載
by gravity97 | 2008-11-27 21:53 | 展覧会 | Comments(0)