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Marina Abramovic [Seven Easy Pieces]

 マリーナ・アブラモヴィッチは1950年にユーゴスラヴィアに生まれ、70年代以降、多くパートナーのウーライとともに数々の伝説的なパフォーマンスを繰り広げた。日本も何度か訪れ、数年前に丸亀と熊本で個展が開催されたことは記憶に新しい。
 私も何度か彼女と会ったことがある。大柄で端正、貴族的な美貌の持ち主であり、会話はウィットに富む。しかし彼女が演じるパフォーマンスはいずれも過激きわまりない。ナイフや剃刀で身体を自傷するマゾヒスティックな一連のパフォーマンスに加えて、例えば1974年、ナポリにおける「リズム0」というパフォーマンスでは、来場者に対して、全ての責任を作家が負うことを保証したうえで、傍らのテーブルの上の品々を作家に対して用いるように求めた。机上に置かれた香水、花束からナイフ、銃にいたる品々は彼女のパフォーマンスに一貫するきわめて不穏な本質を暗示している。実際にパフォーマンスの中で彼女の衣服は剃刀で切り裂かれ、観衆は彼女に対して攻撃的な集団と彼女を守ろうとする集団に分かれたという。
 2005年の秋にニューヨークのグッゲンハイム美術館でアブラモヴィッチがとてつもないパフォーマンスを準備しているという噂をかねてより聞いていた。その後、60年代以降演じられた主要なパフォーマンスをアブラモヴィッチ自身が再演する内容であることが判明したが、残念ながら私は実見することがかなわず、上演された後も機能不全の状態にある日本の美術ジャーナリズムからは何の情報も得ることができなかった。ようやく昨年、これら一連のパフォーマンスを記録したカタログが刊行されたことを知り、直ちに入手して目を通してみた。
 アブラモヴィッチが演じる以上、えげつない演目が中心となるだろうとは予想していたが、正直言って、ここまでやるかという印象の選択である。Seven Easy Pieces と題され、七日間にわたって演じられた7つのパフォーマンスは、いずれもよく知られた作品であり、パフォーマンスの歴史を回顧するという展覧会の趣旨に応じると同時に過激さにおいてもパフォーマンス芸術の極点をかたちづくっているといって過言ではない。例えば第二夜に再演されたヴィトー・アコンチの「シード・ベット」は1972年にソナベント・ギャラリーで初演されたセンセーショナルな作品である。アコンチは会場となったギャラリーに斜めの床を設え、会期中、床下に潜みながら、不可視の来場者を想像して自慰行為にふけった。アブラモヴィッチもアコンチ同様にグッゲンハイム美術館の中央に設えた舞台の下に潜み、絶えず性的な妄想を口にしながらマスターベーションを続け、幾度となくオーガスムに達する。彼女が独白する妄想やあえぎ声は舞台の下に仕込まれたマイクを通して来場者に筒抜けとなる。これが延々7時間にわたって続けられたという。このパフォーマンスにおいて演者は徹底的に不可視であったのに対して、翌日の「ジェニタル・パニック」においては、1969 年のヴァリー・エクスポートによる初演時と同様、革ジャケットと黒いジーンズ姿のアブラモヴィッチがマシンガンを抱いて椅子に座り、逆に来場者を睥睨する。しかも彼女のジーンズは股間の部分が切り取られ、性器が露出されているのである。エクスポートはこのパフォーマンスをミュンヘンのポルノ映画館で観客に対して実施し、「お前たちが見ているものこそ現実であり、それはスクリーンの上にはない」と挑発した。アブラモヴィッチは美術館というさらに公共性の高い場で性器を衆目に晒したまま、傲然と来場者を見据える。さらに一連のパフォーマンスのクライマックスとして、第六夜にアブラモヴィッチ自身の「トーマス・リップス」が再演された。1975年にインスブルックで発表されたこのショッキングなパフォーマンスは、全裸のアブラモヴィッチが舞台の上で1キロの蜂蜜と1リットルのワインを摂取した後、自らの腹部を剃刀で星型に切り裂き、氷の上に横たわるという内容である。初演の際にはあまりの凄惨さに耐えきれなくなった観衆がアブラモヴィッチを氷のベッドから引き離して終了したといういわくつきの演目が今回は深夜まで演じられた。いずれのパフォーマンスも再演とはいえ、観客が受けたであろう衝撃は想像に余りあるし、日本の公共的な空間では上演不可能な演目であることもまた明らかである。
 作家自身がseminal(播種的)と呼ぶ、問題提起的なパフォーマンスが選ばれていることもあり、いずれの演目についても優に一篇の論文をもって応じることできる。いくつかの演目については今後このブログにおいて詳しく検討してみたい。ひとまずここでは全体と関わる問題を一点のみ論じておくこととする。それはパフォーマンスという芸術の可能性の本質と関わっている。これらのパフォーマンスはアブラモヴィッチとほぼ同世代の作家によって60年代後半から70年代にかけて演じられた。カタログの冒頭に彼女は短いイントロダクションを寄せ、上演に際して次のような条件を課した点を言明している。

1.(初演した)作家に許可を得ること
2.再演にあたって著作権料を支払うこと
3.パフォーマンスに新しい解釈を加えること

最初の二つはパフォーマンスを最初に演じた作家に対する敬意と義務と関わっている。しかしこの二点にとどまっていてはパフォーマンスという表現形式は継承、発展されえない。そもそもこれまで行為の芸術とは、一度限り、その場限りのエフェメラルな事件であり、再現不可能と考えられてきた。それゆえパフォーマンスを歴史的に回顧する多くの展覧会においては、多く行為の記録を写真ないし映像として提示するか、関連するオブジェを展示するという手法が用いられてきた。例えば1998年にロスアンジェルス現代美術館で開かれた「アウト・オブ・アクションズ」といった画期的な展覧会でさえ、このような限界の中にあった。パフォーマンスの中心に位置しながら、このような手法によって決定的に欠落する要素、それは作家の身体である。そして身体もまた時間や場所と同様に代補しえない要素と考えられてきた。パフォーマンスは特定の時間、特定の場所、特定の身体と関わり、それゆえ再現、代補されえない。自明に感じられるこれらの前提に対してアブラモヴィッチは異議を唱える。彼女は自らの身体を担保として先行する優れたパフォーマンスに「新しい解釈」を加えるのである。いかなる解釈が可能となるか。先に挙げた例に即して検討しよう。アコンチとアブラモヴィッチは公共空間で来場者からは不可視のまま(しかし公然と)自慰というきわめてプライヴェイトな行為を行なう。しかし両者は全く異なったかたちで受容されるだろう。なぜならそこにはジェンダーが介入するからである。アコンチのセンセーショナルなパフォーマンスは男性と女性、いずれが演じるかによって全く異なった意味を獲得する。あるいはポルノ映画館でなされたエクスポートの挑発は美術館という場に持ち込まれることによって、新しい解釈を与えられる。そしてここにもジェンダーが影を落としている。公共の場で男性が性器を露出した場合、警備員によって拘束されることは間違いない。しかしグッゲンハイム美術館の中で女性によってなされた同じ行為はむしろ警備員の存在によって混乱なき実施を保証されるのである。2005年の秋、ニューヨークで繰り広げられたのは本来的に再現不可能なパフォーマンスという表象が別の身体を介すことによって全く新しい意味を獲得するという奇跡のような実験であった。パフォーマンスの再演が多くの場合、みじめなパロディとしかなりえないのに対して、かかる奇跡が先人のパフォーマンスに真摯に向かい合うアブラモヴィッチという傑出した才能によって初めて可能となったことはいうまでもない。
 リドリー・スコットのフィルム「ブレードランナー」は、レプリカントと呼ばれる人間そっくりの人造人間と人間を区別するためのテストの場面で幕をあける。そのテストとは試験官が語る一つの残酷な情景に対して、被験者がいかに対象に感情移入できるかを瞳孔の測定で判定するものであった。人は他者への共感によって機械と区別されるのだ。私はアブラモヴィッチのパフォーマンスも本質において、他者への共感という問題と深く関わっているように感じる。彼女のいくつかのパフォーマンスが予期せぬ観衆の反応によって中断、終了したことを想起しよう。彼女のパフォーマンスが苦痛や快楽というきわめて身体的な感覚と関わっていることはこの問題と関係している。今回、パフォーマンス終了後、多くの観衆は涙を流していたという。2005年の秋、私はグッゲンハイム美術館にはいなかった。しかし彼らが味わったセンセーションを私はカタログを介してさえも容易に感受することができる。このような共感が9・11以後のニューヨークという「特定の時間」と「特定の場所」で交わされたことを通して私はパフォーマンスという芸術が秘めた大いなる可能性に触れた思いがする。
 なお、この連続パフォーマンスについては、現場に立ち会った渡辺真也氏の日本語による詳しい報告をインターネット上で閲覧することが可能である。言及しなかったパフォーマンスの詳細等についてもあわせて参照されたい。

使用図版については Photograph by Kathryn Carr Copyright The Solomon R. Guggenheim Foundation, New York.
by gravity97 | 2008-06-10 22:01 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)
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