STEVE REICH [Octet / Music for a Large Ensemble / Violin Phase]

 音楽に関して専門的な批評を加えることは少々荷が重い。個人的な回想を記す。
 スティーヴ・ライヒを聴き始めたのは大学院の頃だ。「砂漠の音楽」がリリースされた時期であったと記憶している。ただし当時、ライヒのアルバムは比較的手に入れにくかったこともあり、私は「ドラミング」、「シックス・ピアノズ」そして「18人の音楽家のための音楽」とほぼ発表順に彼の作品を聴いた。ジャーマン・アシッド・ロックに親しんでいた私にとって、ミニマル・ミュージック、とりわけ位相ずれを基本的な構成原理とするライヒを受け入れることに全く抵抗はなかった。
 日仏学館でレッスンを受けた帰りによく立ち寄っていたMというショップで「大アンサンブルのための音楽」というライヒのアルバムを見つけた。まだCDが登場する以前であり、買ったばかりのLPを私は直ちに行きつけのバーに持ち込んだ。その店のマスターは現代音楽を好み、新しく手に入れたアルバムを時折一緒に聴くことがあった。
 アルバムには「大アンサンブルのための音楽」「ヴァイオリン・フェイズ」「オクテット(八重奏曲)」といういずれも15分ほどの曲が収められている。およそ1967年から1980年にかけて、つまり70年代のライヒは初期の実験性が適度に洗練される一方、後に「テヒリム」や「砂漠の音楽」の中で顕在化する声を介した主題性はまだ希薄で、作曲家が言うとことの「ゆるやかに移りゆくプロセスとしての音楽」の可能性、ミニマル・ミュージックの形式としての可能性を一作ごとに深める印象があった。私個人としてはライヒの最良のディケイドであったように思う。
 ライヒの楽曲は注意深く聞くことを聴取者に強いる。レコードに針を落とした瞬間から私は全身を一個の耳に変えて、いくつもの楽器、あるいは録音されたヴァイオリンと実演されるヴァイオリンの間に生じるずれと反復に集中した。ずれと反復の中から発生する甘美な音のシステム。規則の機械的な履行の中に生じる官能性。これらは明らかにミニマル・アートと通底する。そして不要な要素を削ぎ落とすことによって逆にあらわとなる硬質で繊細なニュアンス、それは何杯も口にしたジンのドライな感触と共鳴するかのようであった。深夜の暗いバー、杜松の香り、そしてライヒ。一組の情景が今でもくっきりと脳裏によみがえる。初読ならざる初聴でこれほど強い印象を与えた楽曲、聴いた状況まで鮮明に記憶された楽曲は私の生涯にあまり例がない。
 
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 私のほかに誰も客は訪ねて来なかった。私たちは二度続けてこのアルバムを聴いた。
by gravity97 | 2008-05-21 21:51 | 現代音楽 | Comments(0)

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