BEACON, 2003.6.19

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 2003年であるから、もう15年も前のこととなる。展覧会の出品交渉でニューヨークを訪れていた私は、訪れた作家やギャラリストたちが異口同音にごく最近開設された新しい現代美術の展示施設について語るのを聞いた。ディア・アート・ファウンデーションがニューヨーク郊外に開設したディア・ビーコンである。知られているとおり、ディア・アート・ファウンデーションは1980年代以降、アメリカ各地に現代美術に関する先端的で恒久的な展示施設を開設し、私もそのいくつかを訪れたことがある。例えばウォルター・デ・マリアの《アースルーム》はその名のとおり、50立方メートルの黒土によってギャラリーの内部を深さ50センチメートルほどまで埋め尽くした作品である。確認したところ、1968年、ドイツのギャラリーで最初に発表されたこの作品はディア・アート・ファウンデーションの手によって1980年に「ニューヨーク・アースルーム」としてソーホーに移設された。しっとりとした土の質感を湿度の低いニューヨークでどのように保持しているのか不思議に思ったことを記憶している。あるいは同じ作家による《ライトニング・フィールド》も私は訪れたことがある。ニューメキシコ州の何もない平原を半日ほどドライブし、たどり着いたクマドという辺鄙な町(この町には《ブロークン・キロメーター》の恒久展示施設もあったと記憶する)に設けられたディア・アート・ファウンデーションの事務所を訪ね、カウボーイのごとき管理者が運転する4WDに乗り換えてさらに悪路を1時間、アースワークの伝説的な作品を訪ねた体験については、いずれこのカテゴリーで振り返ることもあろうから、ここでは詳述しない。さらに以前に記したドナルド・ジャッドのチナティ・ファウンデーションも確か最初はディアが運営に関与しており、ジャッドとの間で裁判沙汰になったのではなかっただろうか。
 
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 ディアに関しては、もう一つ私には忘れられない記憶がある。このファウンデーションは1987年以来、DISCUSSIONS IN CONTEMPORARY CULTURE という新書版の叢書を何冊か発行した。とりわけ最初に発行され、ハル・フォスターによって編集された薄緑色の冊子中、「1967/1987 美術と理論の系譜学」と題されたシンポジウムではマイケル・フリード、ロザリンド・クラウス、ベンジャミン・ブクローというグリーンバーグ門下そしてオクトーバー系の批評家たちがディスカッションを行っている。ちなみに1987年とはこのディスカッションが行われた年、1967年とはフリードが「アート・アンド・オブジェクトフッド」を発表した年だ。このディスカッションはミニマリズムの規範的な論文の書き手とその批判的な乗り越えをはかる論客たちが切り結んだ奇跡のような機会であったから、私はこのディスカッションを文字通り舐めるように読み込み、1991年にフリードが来日して東京で講演した際にはフリードの発表の冒頭部分にサインさえ求めたのであった。冊子としては貧弱であるが、内容において実にゴージャスなこの叢書はその後も継続的に刊行され、翌年、やはりフォスターによって編集された「視覚と視覚性」においてもマーティン・ジェイ、ジョナサン・クレイリー、ロザリンド・クラウス、ノーマン・ブライソンそしてジャクリーン・ローズといった論客たちが刺激的な議論を交わしている。大学院の後輩たちとこの論集の読書会を開いて、それぞれの論者になり替わって議論したことは楽しい思い出である。さいわいこちらの冊子は『視覚論』というタイトルで2000年に平凡社から訳出されている。つまりディア・アート・ファウンデーションはフォーマリズム批評とそれを批判的に継承するいわゆるオクトーバー派を結ぶうえでテクスチュアルな貢献を行ったのであり、彼らと問題意識を共有する私にとってこれらの冊子で提起された問題がどれほど重要な指針となったかについては容易に想像していただけるだろう。視覚性、凝視(ゲイズ)、あるいはパルス、90年代中盤に私はこれらの主題についていくつかののテクストを記した覚えがある。
 ディア・ビーコンに戻ろう。小雨の降る初夏の昼下がり、私は当時イェール大学に留学していた同行者とグランド・セントラル駅で待ち合わせた。ディア・ビーコンはメトロノースでハドソン川沿いに北上し、1時間半ほどの距離にあるから、半日を費やす小旅行となる。ビーコン駅で降りて、駅から歩いて15分ほどの距離に煉瓦造りの平屋の広大な施設が見えてくる。かつてはナビスコ社が包装資材の製造をしていた工場であったと聞いた。出張して初めてこの施設の存在を知った訳であるから、当然ながらどのような作品が展示されているかについてほとんど予備知識がないまま私はそこを訪れた。展示の手法としてはさほど目新しさはない。一人の作家に広い空間が与えられ、連続個展形式で展示は構成されている。最初の部屋にはマイケル・ハイザーが巨大な石を壁龕したインスタレーションが設置されていたと記憶する。現在はどうか知らないが、少なくとも当時は会場内に展示作品についての資料やパンフレットはほとんど用意されていなかったから、以下の記述は記憶を頼りにしており、不正確さを伴うことを初めにお断りするが、それにせよ展示されていた作品はいずれも今も強く印象に残っている。ここに展示された作品に特徴的な点としては、コミッションワークであるか否かはともかく、多くが巨大な空間を想定した大作でほかの場所に移動することが不可能であるように感じられた点だ。例えばアンディ・ウォーホルに関しては巨大な「シャドウズ」シリーズが画面を連ねて壁面を埋め尽くしている。一種の抽象性を宿した作品が反復されることによってポップ・アートというよりミニマル・アートを連想させる独特の効果をあげていた。
b0138838_1049558.jpg 今述べたとおり、基本的に展示は一人の作家に一つの区画が充てられており、順路による展示的効果には乏しい。したがって以下の印象も個別的となるが、部屋ごとに私は圧倒的な作品と対面した。例えばマイケル・ハイザーは先に述べた巨石の壁龕のほかに広い部屋の床を円錐や角錐のかたちにくり抜いて底が見えないほどの深い穴を展示していた。ロバート・スミッソンと並んでアースワークを代表するハイザーの作品を私はあまり見たことがないが、この作品をとおして充実ではなく虚としての量塊というハイザーのコンセプトを確認することができたように思う。知られているとおりハイザーは有名な《ダブル・ネガティヴ》をはじめ、アメリカ中西部の砂漠の地表を掘り崩した一連の彫刻を発表したが、空虚によってマッスを造形するという彼の手法はビーコンの経験がなければ未だに理解できなかっただろう。ハイザーの穿った穴は足を滑らせて落ちるならば大怪我を招くような危険さを秘めていたが、スミッソンの出品作もひけをとらない。割れたガラス片を一面に撒布した作品が展示されている。うずたかく積まれた鋭く尖ったガラス片は危険きわまりなく、先端恐怖症の私としては見ているだけでも背筋が寒くなる思いであった。以前私は同様に板ガラスを粉砕したバリー・ル・ヴァの作品を見たことがある。これらの作品は床に素材を撒布するフロア・ピースと呼ばれる手法が当時、作家たちの間に膾炙していたことを暗示し、同時に当時共有されていた独特の素材観を反映しているだろう。いうまでもなくこれらの作品は作品として聖別されることなく現実の中に場所を占めることが重要であるから、作品の周囲に柵や結界が存在しないことは当然であるとはいえ、施設の管理責任が問われる日本の美術館では想像できない展示状況であった。美術史的に述べるならばこれらの作品はミニマル・アートが解体していく過程で発表された訳であるが、ミニマル・アート以上に場との関係を強めたこれらの作品はディア・ビーコンという格好の場を得て実に力強く感じられた。逆にドナルド・ジャッドやダン・フレイヴィンら、ミニマル・アートの作家たちの作品は綺麗に並べられてはいるが、これらの猛々しい作品の傍らではむしろ洗練され過ぎているように感じられた。
 壁面に設置された作品も興味深かった。ブリンキー・パレルモとハンネ・ダーヴォベンはいずれも名前は知っていたが、これほどの数の作品を見るのは初めてであった。いずれもミニマルおよびコンセプチュアル系の優れた作家であり、私は十分に堪能した。どのような経緯でここに収められたかはわからないが、それ以前も以後も私はこの二人の作家をこれほどまとめて見る機会はない。コンセプチュアル・アートに関連してはソル・ルウィットのウォール・ドローイングと河原温のデイト・ペインティングも充実した展示であった。そういえば、私にディア・ビーコンを訪ねるように勧めてくれた関係者の一人はルウィットのもとで働くドラフトマンであり、まだ存命されていた河原氏をソーホーに訪ねたのも同じ滞在中ではなかっただろうか。平面作品の中でも私が最も感銘を受けたのはゲルハルト・リヒターのグレー・ペインティングであった。ガラスにエナメル塗料を塗布したこの絵画は当然ながら何も表象せず、ただ室内を自らの中に映し出していた。ミニマリズムの極限において作品が絵画と物体のいずれであるかという問いを誘発したことはよく知られているが、私は同じ問いが21世紀に入って、ミニマリズムとは全く異なる文脈に立つリヒターの作品を通して繰り返された点に興味を抱いた。絵画を窓ととらえる伝統的な立場に対して、モダニズムは鏡という対案を提示した。文字通りガラスにエナメルを塗布することによって、現実の鏡としての絵画を提示したこれらの作品はリヒターの絵画の中でも特異な位置にある。この二年後、金沢で再びグレー・ペインティングを含む大規模な回顧展を見ることができたのは私にとっておおいに幸運であった。
奥に進むと部屋は次第に狭くなり、むきだしの煉瓦の物質感はさらに濃厚になった。ルイーズ・ブルジョアの蜘蛛を模した立体は六本木ヒルズのそれを連想させ、リチャード・セラの曲面の立体は部屋の中に押し込められた印象がある。展示をめぐるほぼ最後に私は思いがけない作品を発見した。初めはそれが作品であるかどうかわかならなかった。背後に窓を備えた狭い部屋の中央に汚らしいゴムの塊がうずたかく積まれている。しばらく眺めてようやく私は思い当たった。これはリチャード・セラが1967年に発表した名高いソフト・スカルプチュア、《スキャター・ピース》ではないか。
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 私は以前より図版を介してこの作品を知っていたし、実見していないとはいえ、セラの初期作品の中でもお気に入りの一点であった。まさかこの廃物のごときゴムの塊が《スキャター・ピース》であったとは。私が作品を同定できなかったことにはいくつかの理由がある。私はモノクロ写真を通してこの作品を知っていた。色彩を失うことによって作品は一種の抽象性を宿し、しかもモノクロ写真において散らかったゴムの塊はフォトジェニックな効果を帯びていた。モノクロ写真だけではそれが何か識別しがたい一種の神秘性まで秘めていた作品が、単に散らかった汚らしいゴムの塊にすぎないことに気づいた時、私は強い衝撃を受けた。あらためて顧みるに、私はセラの作品をほとんどモノクロ図版でしか知らない。私はニューヨーク近代美術館における二度にわたる回顧展のカタログをはじめ、セラの主要な作品集、展覧会カタログをほぼ所持しているが、いずれにおいてもセラの作品は全てモノクロ写真で収録されている。もちろんセラの作品は多くが色彩を欠いているし、色彩があったとしてもそれは素材の固有色であって表現とは無関係だ。しかしあえて作品集やカタログをモノクロ図版のみによって構成する点に作家の作意も明らかであろう。この問題はさらに検討されてよいのではなかろうか。《スキャター・ピース》を前にして、私は作品のあまりの卑俗さに驚いた。スキャター・ピース、ばらまいた作品とは床を支持体もしくは地として、雑多な品々を撒布した作品の総称であり、同じ時期に、バリー・ル・ヴァ、カール・アンドレあるいはロバート・モリスといった作家たちがこれに連なる作品を制作している。ディア・ビーコンでもスミッソン、そして広くとらえるならばハイザーの作品がこれに連なることは理解できようし、工場の広大な室内がこれらのフロア・ピースの展示を可能としたといえるかもしれない。これらの作品はクラウス/ボアが論じた水平性という主題と深く関わっている。クラウスがフロイトを援用しつつ説くとおり、ポロックの作品は水平の状態、すなわち制作の過程では自然に属すが、垂直に展示することによって文化へと転じる。セラの場合、最初私が作品であると認知できなかったことはそれが床の上に積み重ねられていたことも大きな理由だと思う。ここで注意すべきは作品の背後に窓が配されていることだ。作品集を参照するならば、《スキャター・ピース》はなんとドナルド・ジャッド旧蔵の作品であり(ただし2007年のニューヨーク近代美術館の展覧会カタログでは「個人蔵」という表記に代わっている)、確かジャッド・ファウンデーションからの長期貸与である旨がキャプションにも記されていたと記憶する。作品集に掲載された図版は当然ながらビーコンでの展示とは異なるが、同様に背後に三つの格子状の窓が配されている。このような写真の構図、そして作品の配置は水平性と垂直性の対比を際立たせるものであり、私はおそらく作品の移設設置に関わったであろうセラ本人がどのような意図のもとに、ディア・ビーコンのこの区画を選んだのかという点にも関心を抱いた。
 述べてきたとおり、ディア・ビーコンには多くの多様な作品が展示してある。あらためてそれらを通覧する時、私は自分の美的感性が最も深く共鳴するのは1960年代後半、ミニマル・アートが解体していく過程で成立した一群の作品であることを再度認識した。中原佑介の言葉を借りれば、そこでは作品が「名状しがたいもの」として出来し、私たちはそれが美術であるか否かという問いから始めなければならないからだ。この意味でディア・ビーコン訪問はきわめて有意義な機会であった。半世紀前に発表されたエフェメラルな作品と同じ空間をともにする体験など誰が想像することができようか。それを可能とした文化的度量にも深い感銘を受けたことはいうまでもない。展示を見終えて、私はいつものように優れた作品を見た後の満ち足りた気分をワインとともに反芻すべく、同行者と施設内のカフェに向かった。唯一残念だったことにはカフェにはアルコール類が置かれていない。私はルートビアで我慢するしかなかった。

[付記]施設内は撮影不可であったため、外観以外のイメージはDIAのホームページをはじめとするインターネットから引用した。不都合なイメージがあれば連絡いただきたい。
by gravity97 | 2018-01-14 11:00 | SENSATION | Comments(0)