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Living Well Is the Best Revenge

宮内悠介『エクソダス症候群』

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 火星を舞台にしたSFには名作が多い。思いつくままに挙げるだけでもレイ・ブラッドベリの「火星年代記」は言うにおよばず、フィリップ・K・ディックの「火星のタイムスリップ」、日本では神林長平の「あなたの魂に安らぎあれ」といくつもの作品が浮かぶ。宮内悠介についてはすでに「ヨハネスブルグの天使たち」についてこのブログで論じたが、本作も今挙げたマーシャンSFの系譜に連なる新たな傑作である。巻頭のアブストラクトに「舞台は火星開拓地、テーマは精神医療史」という言葉があるが、まさに火星と精神医療という二つの要素のアクロバティックな結合が本書の核心である。小説の内容にも立ち入りながら論じる。

 舞台は近未来。テラフォーミングが進む火星、開拓地に唯一の精神病院、ゾネンシュタイン病院に一人の若い医師が赴任する。若い医師、カズキ・クロネンバーグはかつて日本の大学病院に勤務していたが、恋人が特発性希死念慮と呼ばれる理由のない自死を選んだことにより、自責の念に駆られて火星開拓地へと自らを流謫したことが比較的早い段階で明らかになる。まずここでは特発性希死念慮(ISI)なる「精神病」が一つの鍵である。着任早々、カズキは救急外来の担当を命じられ、騒然たる現場で患者たちの「治療」にあたる。そもそも精神病院に「救急外来」が存在することは奇妙に思われるが、火星という異郷の地では精神疾患を突発する患者が多いということであろうか、医師の一人は、今日は月(ファボス)の位置が悪いと本気とも冗談ともつかぬ言葉を口にする。外来の雑踏の中でカズキは何人かの症例が一致していることに気づく。小説のタイトルとなった「エクソダス症候群」だ。エクソダス症候群とは統合失調症と同様に幻覚や妄想を伴うが、強い脱出衝動、具体的には火星から地球へ「脱出」しようとする強い欲求を伴うことで知られる。外来病棟の喧噪が一段落し、チーフのリュウ・オムスク、看護師のカタリナといった同僚たちとつかの間の休憩をとっていたカズキの前に院長のイワン・タカサキが現れ、いきなりカズキを救急病棟である第七病棟の病棟長に任命する。

 今、私は本書の冒頭を要約した。さすがに手練れの著者による巧妙な導入である。すでにこの部分に本書の核となるアイディアがいくつも盛り込まれている。さらに読み継ぐならば、この病院にはかつてカズキの父も勤務していたが、何らかの事件を起こして病院から追放されたであろうことが示唆されるとともに、カズキの火星への「帰還」の一つの理由がその真相の解明であることをうかがわせる。カバラの「セフィロト(生命)の樹」状に病棟が配置されたゾネンシュタイン病院には全部で10の病棟があるが、そのうち特殊病棟とよばれる第五病棟、医者に見放された患者を収容する病棟はチャーリー・D・ポップなる患者にして病棟長が支配しており、彼はカズキの父親の一件についても知悉しているようだ。カズキの前に姿を現したチャーリーは18世紀の癲狂院に始まる精神病者の隔離施設について語る。そこで繰り広げられる治療の名を借りた虐待と拷問をチャーリーは「18世紀の暗黒」と呼ぶ。いうまでもなかろう。ここで語られる話題はミシェル・フーコーが「狂気の歴史」の中で論じた問題であり、思想史的な射程をはらんでいる。この点は章のエピグラフにフーコーが引用されていることでも理解できよう。チャーリーは精神医療の歴史を語り続ける。やがて精神病者の収容施設は次第に洗練され、ウィーンの「阿呆塔」にみられる開放的な施設が誕生する。精神病は治癒可能とみなされ、回復可能な患者のために次々に病院が建てられた。ドイツにおけるそのような麗しき試みの一つが火星の診療施設の名前の由来となったゾネンシュタイン病院である。しかし精神医療の理想、ゾネンシュタイン病院はその後どうなったか。チャーリーは戦慄的な言葉を口にする。「ガス室が作られ、それがアウシュビッツのガス室のプロトタイプとなった」かくして精神医療の暗部に光が当てられる。ナチスドイツの優生政策が精神医療と手を携え「生きるに値しない命」が淘汰されたことは例えばこのブログで論じた「ブラッドランド」の中でも記述されていた。最終的にはユダヤという民族へと拡大される「生きるに値しない命」という発想が最初、精神病者に対して適用されたことは歴史的にも明らかだ。チャーリーはこのような暗黒はその後も続いていると断じる。例えば戦後、アメリカを中心に広まった精神外科、前頭葉白質切裁術(ロボトミー)であり、21世紀における患者に対する多剤大量処方である。我々は進歩しているのか後退しているのか、チャーリーは次のように断言する。「精神医学の歴史とは、つまるところ、光と闇、科学と迷信の強迫的なまでの反復なのだよ」その果てに生じたのが突発性希死念慮であり、エクソダス症候群であった。そして彼はカズキに父についての情報が収められたメモリースティックを渡す。それが病棟のコンピュータに挿入された瞬間、なんらかのウイルスが病院内のコンピュータを汚染するであろうことをカズキは予感する。

 未読の読者も多いだろうから、これ以上ストーリーに踏み込んで内容を紹介することは控えよう。多くの登場人物とさまざまな謎を巻き込みながら物語は展開する。カズキの父、イツキはこの病院で何を企てたのか。チャーリーあるいは院長のイワンはどのように関わったのか。第七病棟の入院患者たちはカズキといかなる関係を結ぶのか。あるいは特殊病棟の通称、EL棟とは何を意味するのか。これらの問いは物語の後半で解答を与えられるから、本書を一種のミステリーと読むことも可能であろう。本書で引用されるフーコーの言葉は次のように結ばれている。「18世紀末になると、ただ一つだけ緩和策がとられたが、それは、狂気が何であるかを証拠立てるのは狂気自体であるかのように、狂人を見世物にする世話を別の狂人にまかせたことであった」この引用は本書の主題を凝縮している。地球から孤絶した火星の精神病院、そこで「狂人」たちを世話する医師たちも実は「狂人」ではないか。比較的早い時期にカズキもまた「エクソダス症候群」に罹患している可能性が示唆される。ここではないどこかへの憧憬。そもそもそれがカズキを火星へと向かわせたのではないか。しかしこの症状の発現はカズキの場合は複雑だ、次第に明らかにされるとおり、カズキは火星に生まれながら地球に放逐されたからだ。カズキにとってエクソダスとはいずれの星への志向であるのか。さらに「妄想」をふくらませてみよう。エクソダス症候群とは何か。「脱出衝動を伴う妄想や幻覚。それまで平穏に暮らしていたはずの患者が、突然、海外の辺境や紛争地帯を目指したりするようなケースも、一部は、この病によるものと目されている」「エクソダス症候群」は架空の精神病であるが、今日、私たちはこのような「症例」を現実に知っている。ここではないどこか。恵まれた環境にいたはずの若者たちが911の同時多発テロに赴き、あるいはISの戦士となるべくシリアへ向かう。広く「西欧社会」を蝕むこのような「症例」は実に現実におけるエクソダス症候群と呼べるのではないか。

 深読みに過ぎるだろうか。再び「狂人」の問題に戻ろう。人の狂気を判定するのは誰か。普通に考えるならば精神医療に携わる者であろう、しかし私たちは彼らが「精神病者」たちに加えた虐待の事実を知る時、―いうまでもなく第五病棟の病棟長にして最古の患者、チャーリー自身がこのような二重性を体現しているが、彼が語る精神医療の負の歴史を知るならば、私たちは患者と医者のいずれが狂気に冒されているか、直ちには判断できない。誰が人を狂人と見立てるのか。そもそも精神医療とは医学なのだろうか。それは「狂人の世話を任された狂人」のふるまいではないのか。正気と狂気の境界は古今多くの小説において作品の主題とされてきた。本作品を通して繰り返されるいくつかのモティーフがある。閉鎖、監禁、強迫観念。あるいはチャーリーが言及したガス室という主題も本書の終盤において別のかたちで繰り返される。これらは多くが密閉された空間と関わっている。閉鎖された空間に置かれた時、人はいかなる行動を希求するか。いうまでもない、そこからの脱出、エクソダスであり、本書のタイトルは象徴的である。最初に火星開拓地と精神医療史の組合せをアクロバティックと評した。しかし以上の点を勘案するならば、両者の結びつきは必然かもしれない。なぜなら火星そのものが巨大な密室であり、精神病棟と考えることができるからだ。ここでは触れるに留めるが、本書の中で明らかとなる近未来の二つの精神疾患、エクソダス症候群と突発性希死念慮の関係もまたきわめて暗示的である。

 最初に私は火星を舞台にしたいくつかのSFについて言及した。私はこのうちディックの「火星のタイムスリップ」と本書の関係が気になる。やはり荒廃した火星に植民した人類の物語であるディックの小説の中で、物語の鍵を握る少年は時間に対して特殊な能力をもつが、彼は分裂病とみなされている。ディックにはほかにも精神疾患を主題としたいくつかの長編があるが、小説の中に登場する様々なガジェット同様に火星と「精神病」を結びつける発想に私はディックの影響をうかがう。考えてみるならば以前レヴューした「ヨハネスブルグの天使たち」におけるロボットと人間の交渉という主題は、ディックにおいては自分が人間か機械か判別ができないというアイデンティティーの危機へと変奏された。本書においても正気と狂気を誰が区別するかという共通する主題が語られていたことを念頭に置く時、本書をディックへのオマージュと考えてもよいかもしれない。


by gravity97 | 2017-09-23 13:42 | エンターテインメント | Comments(0)