Roger Waters [Is This the Life We Really Want ? ]

b0138838_21145742.jpg
 よもや自分が生きているうちに「私らは侮辱の中に生きています」という中野重治/大江健三郎の叫びがこれほどまでに切実に感じられることがあるとは思わなかった。安倍晋三とその一党、人間としても最低最悪、下劣で無恥な無法者たちによってこの国の進路が歪められたことに怒りといった言葉では到底表現できない無念さを覚える。2017615日、奇しくも樺美智子の命日に参議院で強行的に採決された共謀罪法案は私たちの内面にまで立ち入って処罰を加えることを可能とした点において、これまでこの愚劣な政権によって重ねられた数限りない戦後民主主義に対する蛮行とさえも一線を画している。この日付は日本において表現の自由という理念が敗戦から今日まで、わずか70年余しか保持されえなかったことを暗示している。おそらく今後は多くの密告者が登場するはずだ。「人生と運命」の中の「あらゆる人間は密告する」という警句を私たちは銘記すべきである。

 暗鬱とした思いの中でロジャー・ウォーターズの25年ぶりの新譜[イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?]を聴く。こんな生を私たちは本当に望んでいたのか、限りなく頽落していく世界の中でこのタイトルは重い。前作[アミューズド・トゥ・デス(死滅遊戯)]がリリースされたのは1992年であり、歌詞の中に天安門事件や湾岸戦争が登場していた。ピンク・フロイド時代においても、ほとんどロジャーのソロ・アルバムであった[ファイナル・カット]においてフォークランド紛争が言及されていたことを想起するならば、ロジャーが常に現実と密接に関わる楽曲を発表してきたことは理解されよう。ロジャーは90年代以降、[ザ・ウォール]のライヴに全力を傾注していたから(残念ながら日本での公演はなかったが、今回のライナーノーツによれば2010年から13年にかけてのワールド・ツアーは「ソロ・アーティストとして史上1位の興行収入」を上げたとのことだ)、しばらく新しいアルバムについての情報は途絶えていたが、私の記憶では一番最近にロジャーの新曲を聞いたのはパレスチナ問題と関連して難民を支援する小規模のコンサート、もしくは関連する会議上でのライヴのインターネット中継においてであった。映像には「If I had been God」というタイトルが付されていたから、そこでは新しいアルバムに収められた「Déjà vu」が演奏されていたはずだ。イスラエルがパレスチナの入植地に建設を進める分断の「ウォール」への思いがあったかもしれない。後述するとおり、社会的な問題に断固として関わる姿勢は今日まで続いている。

 鼓動と秒針という「狂気」を連想させる短いインストロメンタル、「ホエン・ウィ・ワー・ヤング」に始まり、「もし自分が神であったら」というロジャーらしい妄想的な歌詞に始まる「デジャ・ヴ」そしてゆるやかな曲調の「ザ・ラスト・レフュジー」と楽曲がシームレスにつながっていく点はこれまでのアルバムと共通している。例によって歌うというよりつぶやく、もしくはささやくようにメッセージが添えられる。続いて「ようこそマシーンへ」を彷彿とさせる機械的なリフレインとともに始まる「ピクチャー・ザット」。このディスクはロジャー単独の名義のアルバムとしては4枚目になるが、最も近い印象を与えるアルバムを挙げるとするならば、ピンク・フロイド時代の「ファイナル・カット」ではないだろうか。ロジャーが頻繁に用いる、ラジオの音声を用いたSEも随所に使用されているとはいえ、先年発表されてこのブログでもレヴューしたデイヴ・ギルモアのピンク・フロイドによる[エンドレス・リヴァー]におけるエンジニアリングの緻密さと比較するならば、多く弾き語りに近い比較的なシンプルな内容であり、アルバムとしての抑揚には乏しい。以前のアルバムに時折認められたロックンロールの要素はほとんど存在せず、全体の曲調はむしろ暗鬱である。アルバムのタイトルとされた「イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?」において、このような生を私たちが本当に望んでいたのかと反問されるのは例えば学生が戦車に轢かれる現実、捕虜になったジャーナリストが見放される現実、大馬鹿者が大統領に就任する現実である。最初は前のアルバムでも言及された中国の共産党による弾圧、最後はトランプの大統領就任であるが、二番目の現実は安倍の中東訪問の際のスタンドプレーによってISによって虐殺された二人の日本人のことと考えても大きな間違いはないだろう。私たちがこのような生を望んでいないことはいうまでもない。現実からの覚醒を説く「スメル・ザ・ローゼズ」に続いて、「ウエィト・フォー・ハー」から「パート・オブ・ミー・ダイド」にいたるゆるやかなメドレーでこのアルバムは幕を閉じる。

 「アミューズド・トゥ・デス」では天安門事件や湾岸戦争を遠く離れた場所からTVで視聴する私たちの姿が批判的にとらえられていた。2013年より制作が始められたこのアルバムでも私たちを取り巻く状況が生々しく現れる場面がある。ドローン(もしも私が電子装置の眼を備えて、異郷の空を巡回するドローンだったら)あるいは難民(波で洗われる海辺で砂の中に形見を探す最後の難民)といった歌詞がそれだ。ドローンと難民は象徴的だ。近い過去に私たちは望んでいたような生が実現するかもしれないと一縷の夢をもちえた時期があった。変革を叫ぶバラク・オバマが大統領に就任した瞬間である。しかしその任期の間、アメリカ人兵士の犠牲を抑えるために大量のドローン兵器が導入され、結果的に多くの無関係の市民が殺戮された。あるいは南スーダンやシリアから逃れる大量の難民に対してもオバマは積極的に関与したようには思えない。私たちは苦い感慨とともにそれなりに誠実であったこの大統領の時代を回顧する。オバマの政権のもとで増大した社会の疲弊の代償は大きかった。ドナルド・トランプという社会病質者が大統領の座に就いたのだ。ロジャーは大統領選が戦われていた昨年の10月、メキシコシティのソカロ・スクエアにおけるライヴで「ピッグス」の背景に戯画化したトランプを映示し、鼻を鳴らして嘲笑した。知られているとおり、1977年に発表された「アニマルズ」に収録されたロジャーの手による「ピッグス」の歌詞は次のようなものだ。

 デカい面したそこの豚男 / ハハ、お前は全く裸の王様だ / 金をたんまりもって大物面したお前 / ハハ、お前は全く裸の王様だ

 あたかもトランプを揶揄するようではないか。さらにロジャーはこの5月から「USTHEM」という北米ツアーを開始した。私はルイスヴィルでの公演の模様をYOU TUBEで見たが、私が視聴した限りにおいては新しいアルバムからは三曲、「デジャ・ヴ」「ザ・ラスト・レフュジー」「ピクチャー・ザット」が演じられた模様である。ツアーのタイトルからも了解できるとおり、新しいアルバムのためのツアーではなく、ピンク・フロイド時代の楽曲を中心とした構成である。御覧のとおり、コンサートの途中で巨大なスクリーンに「トランプは豚だ」という字幕が映示される。

b0138838_21160032.jpg

さらに「ピッグス」の終盤においては「国境なき国家は全く国家などではない。我々は壁を築かねばならない」「私の美点は私がとてつもなく富裕であるということだ」といったトランプの暴言が次々に画面に投影され、「そこの豚男」というロジャーの歌声が重ねられる。トランプという史上最悪の大統領に対して徹底して攻撃を加えるロジャーの姿から私は反体制としてのロックの真髄、そしてアメリカにかろうじて残された希望を感じた。ひるがえってこの豚男に気持ちの悪い秋波を送る、やはり史上最悪の宰相が政権を握る日本において、このような批判は可能であろうか。自分たちの権益は死にもの狂いで守る一方、身内の醜聞をもみ消し、批判者に対しては公安当局と御用メディアを通じて卑劣な攻撃を加える為政者のふるまいを私たちは目にしたばかりだ。これは私たちが望んだ生ではない。私たちの国も大物面した豚男によって支配されている。今こそ私たちもロジャーのように反撃しなければならない。



by gravity97 | 2017-06-19 21:20 | ロック | Comments(0)