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優雅な生活が最高の復讐である

牧久『国鉄解体』

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今年は国鉄が分割・民営化され、JRが発足してから30周年という。新聞紙上などでも関連した記事を目にするが、この機をとらえて、国鉄が分割・民営化されるまでの暗闘を記録したドキュメントが刊行された。筆者は日本経済新聞社東京本社社会部に勤務し、昭和43年より国鉄記者クラブに籍を置き、この事件の推移に立ち会った新聞記者である。自らの経験と豊富な資料に基づき、中曽根元首相や故人となった関係者へのインタビューによって裏づけされた本書は読み物として抜群に面白い。本書がこのタイミングで発表された理由もよくわかる。国鉄の分割・民営化を筆者は明治維新に準えるが、100年以上も続き30万人近い職員を抱える巨大組織を解体する作業は誰にとっても苦難に満ちたものであった。「国鉄解体を進めた『若手改革派』にとっても『分割』を阻み『全国一社』の国鉄を守ろうとした『体制派』にとっても、また国労など組合関係者にとっても、そこには策謀と裏切り、変節、保身、憎悪、怨念など、さまざまなに人間の情念が渦巻いていた」恩讐の彼方、本書は30年という時の経過を経て初めて文字として残すことが可能となった記録である。今述べたとおり、分割・民営化を進めた側とそれに抵抗した側、国鉄本社と第二臨調、政治家や運輸省、そして複数の労働組合、本書を読む限り、どの立場にも絶対的な正義はない。筆者は特定の当事者に与することなく、客観的でありながらドラマティックに第二次大戦後最大の労働問題、巨大組織の再編成の実情を伝えているように思われる。

 昭和6241日午前零時、国鉄がJRに代わった運命の日を点描する短い序章に始まる本書は続いて昭和40年代まで遡って国鉄の労使関係の不毛の歴史を概観する。第一章で焦点化される二人の人物は対照的でありながら、国鉄に決定的な影響力を行使した。一人は総理大臣となった田中角栄。田中は昭和47年に発表した「日本列島改造論」において新幹線を含む鉄道網の整備によって日本全国を一日の交通圏に収めようとする壮大な夢を語り、鉄道インフラの普及を徹底的に押し進めた。もう一人は「国労の顔」と呼ばれ、国鉄の労働運動に決定的に関与した細井宗一である。正反対の立場にいる二人であるが、ともに新潟県の出身であり、兵役では同じ連隊の所属し、古参兵の制裁を受ける田中を常に細井が庇ったというエピソードは興味深い。「国鉄なんてものは大きな赤字は困るが、大もうけもしてはならない。運賃を高くしないためにはトントンか、多少の赤字がよい。米国を除いて、先進国が国鉄にしているのはそのため。その国の経済を守るために必要なのだ」という昭和54年の細井の言葉は今日でも示唆に富む。国鉄の解体は一連の民営化路線の大きな成果として喧伝されているが、JR各社が本業以外で大きな収益をあげ、リニア新幹線の敷設といった原子力発電所の維持以外に意味を見出せない異常なプロジェクトに狂奔する姿を見るにつけ、かつて同じ会社に収益や利潤とは別の価値を奉じた人々がいたことは記憶されてよいだろう。

 やや先走った。本書は昭和40年代中盤から語り起こし、当時の熾烈な労使の対立を素描する。国労をはじめとする国鉄の労働組合は当時圧倒的な権勢を誇り、労使協調などありえない壮絶な労働争議や職場闘争を繰り返していた。鉄道が止まることは日常茶飯事といった今日では考えられない状況が描写される。筆者自身による新聞記事から次のような情景が引用されている。「組合側はどんな問題でも分会の役員を先頭にして230人が一団となって区長室に押しかける。ゲバ棒こそないが、交渉のやり方は紛争大学の大衆団交とほとんど変わらない。区長や助役のネクタイを引っ張り、ゲンコツで腹を突く。足で蹴り、手をねじ上げる。『傷にならない程度』の暴力行為が何時間も続く。『バカヤロー』『ノロマ』『ナンセンス』といったバ声。話し合いのできる雰囲気はまったくない」本書を読むとこの時期の労使闘争はいくつかの問題に焦点を結んだことが理解できる。まずELDLと呼ばれた電気機関車、ディーゼル機関車の導入に伴い、かつて蒸気機関車では必要であった機関助手を削減しようとしたことに対して組合側は反発し、各地で闘争を繰り広げる。この闘争に完敗した当局は、昭和44年に磯崎叡が新しい総裁に就くや巻き返しを図り、生産性向上運動、いわゆるマル生運動によって組合の切り崩しを試みる。泊まり込みで講義とディスカッションを繰り返して出席者を洗脳するこの運動は、新興宗教やブラック企業の新人研修を連想させ、今日ではおおいに不気味に感じられるが、このような手法は高度経済成長時代の大企業ではよく用いられていたらしい。余談となるが、生産性本部から派遣され、「トレーナー」と呼ばれた指導者たちのふるまいは宮部みゆきの『ペテロの葬列』の中で大きな役割を果たしていた。この運動の結果、初めは組合から多くの脱退者が出たが、組合側は直ちにマスコミや裁判所を巻き込んで強烈に反撃し、当局批判を繰り広げた結果、逆に優勢に立つ。勝ち誇った組合側は多くの無体な要求を押しつけ、結果的に「二度と元に戻らぬ、労使のささくれだった対立と職場の荒廃」が残された。国鉄の労働組合は当時の社会党の支持基盤として政治的にも大きな力をもったから、労使問題は政局とも深く関わっていた。時期としては田中角栄の政権下で、国鉄の労働組合は専横をきわめる。昭和48年の春闘における順法闘争は不満を抱いた乗客の暴徒化を引き起こした。当時を振り返って書記長自身が「マル生闘争の勝利によって組合員の多くが、何をやっても許されると増長した」と述べている。当時、高崎線には「職員専用列車」と呼ばれるダイヤ上には存在しない列車があったという。それは朝の通勤時間帯に試運転列車と称して運行する列車を踏切で停車させ、付近の国鉄職員の通勤に供していたものであり、「組合員の驕りと慢心、そして安全の軽視はここにきわまっていた」当時、組合側はスト権を確立するためのスト、「スト権スト」なる珍妙なストを繰り返したが、この理不尽なストライキは私の記憶にも残っている。結果としてこのストは両者の力関係に微妙な転換をもたらすが、この時期も労働組合は経営側に対して圧倒的な優位にあり、この責任を負わされた歴代の国鉄総裁は政府自民党からも激しい突き上げにあって次々に破綻し辞職を重ねた。田中角栄によって重用されたエリート総裁でさえアルコール依存症となり午前中の会話は支離滅裂、夕方には総裁室で泥酔していたというエピソードは壮絶である。

 昭和50年代に入ると状況は微妙に変化する。まず当時の混乱した政局を押さえておく必要があるだろう。ロッキード疑獄を経て、田中から三木、福田、大平と政権が次々に変わる。選挙中に急逝した大平を襲った鈴木善幸は行政改革を自らの内閣の主要な仕事と位置づけ、中曽根康弘を責任者たる行政管理庁長官に据えた。中曽根は密かに国鉄改革を断行することを決意する。一方、この頃、後の国鉄解体を内部から進めた「三人組」と呼ばれる若手職員、井手正敬、葛西敬之、松田昌士もそれぞれの持ち場で問題意識を深めていた。中曽根は臨時行政調査会の会長に経団連会長を退いたばかりの土光敏夫、補佐役に山崎豊子の「不毛地帯」のモデルとなった伊藤忠商事元会長の瀬島龍三を担ぎ出し、いわゆる土光臨調を発足させる。国鉄改革もその大きな課題であったが、当時国鉄は井手らが中心になって「後のない経営改善計画」を作成しており、この計画を軌道に乗せることによって弥縫的な「改革」を図るというカードも残されていた。しかし国鉄改革を主要なテーマとした第四部会では次第に「分割・民営化」という処断の可能性が現実味を帯び始めていた。このような事実関係からも理解されるとおり、井手らも最初から分割民営化という路線を推進した訳ではない、経営改善、あるいは分割なしの民営化、当時はいくつかの選択肢が併存しており、さらにプレーヤーも経営陣、労働組合に加えて、運輸省、政府自民党と多岐にわたる。本書を通読して感じるのは国鉄解体が決して予定調和としてもたらされたのではなく、多くの力学の偶然の結果によって現在のかたちに至ったという点である。プレーヤーの一人、自民党は昭和57年に党の交通部会内に「国鉄再建小委員会」を設ける。宮城県選出の国会議員、三塚博が仕切る通称三塚小委員会は以後、分割民営という路線を強力に推し進めることとなった。組合や運輸省との折衝の中で次第にお互いを認知し、ともに分割・民営化の方向を目指していることを知った「三人組」は相当に隠微な手法を用いて、国鉄という組織の腐敗、労働組合との癒着の告発を始める。知り合いのマスコミを通じて不祥事を内部告発し、三塚小委員会に「秘密事務局員」として加わって当局、組合側の双方にとって都合の悪い資料をいちはやく提出し、さらには労使の癒着の甚だしい現場、規律のゆるんだ職場の抜き打ち検査を手配した。労働組合と関係の深い社会党のみならず自民党の国会議員らとも国鉄は深いパイプをもっていたから、利害関係は複雑をきわめる。組織が自己防衛をその本質とする以上、分割・民営化に対する「国体護持派」の抵抗は激しく、三人の「改革派」は経営側、組合側のいずれをも敵に回して、外部の力、具体的には「改革派」の政治家やジャーナリストと気脈を通じて事態の打開を試みる。このあたりの暗闘の描写は凄まじい。一旦、分割・民営化を容認するような発言を行った総裁仁杉に対しては経営側が血相を変えて乗り込み、総裁を軟禁して真意は異なるという文書を書かせては社内報として配布する、三人組は国鉄の腐敗を告発し分割・民営化の必要を説いた書籍を三塚の名で出版し、三塚のもとには(本来ならば正反対の立場にある)右翼と組合の街宣車が押しかけて脅迫を繰り返した。仁杉は秋山機関と呼ばれる一種の秘密機関を設立し組織の検閲と粛清をはかる。一時、「改革派」は地方に左遷され、中央に残った者も四六時中監視された状態での執務を強制される。しかし三人は逆境にあって改革の同志を募り、連判状によって結束を固め、反撃の機会をうかがう。このような闘争の熾烈さはいくつものエピソードからうかがうことができる。例えば秋山機関によって作成された「分割のメリット・デメリット」という極秘資料は仁杉らが更迭された夜に全てシュレッダーにかけられて一部たりとも残っていない。仁杉が解任された理由は自分のシンパと信じて国鉄記者クラブに所属する記者を相手に酒席の場で洩らした「本音」がひそかに録音され、首相であった中曽根に届けられたことによるという。いずれもにわかには信じがたいが、かくも緊迫した状況が当時の国鉄を取り巻いていた訳である。分割・民営化に大きく舵を切った中曽根政権によって仁杉総裁は更迭され、国鉄の命運は決まった。その直後、副総裁に呼ばれた井手がこの場で辞表を書けと迫られたというエピソードも鬼気迫る。

 かくしてついに分割・民営化という方向が定まる。これにあたっては当時首相であった中曽根の意向が大きな意味をもっていた。中曽根はこの路線を推進する三塚を運輸大臣に据え、この問題の一挙解決をはかる。昭和60年のことである。三人組が国鉄の中枢部に呼び戻される一方で、分割・民営化に抵抗した勢力は閑職へと追放されていく。労働組合の対応は大きく分かれた。最大の国労が真っ向から反対したのに対して、動労や鉄労は分割・民営やむなしとして経営側に迎合する。もはや大勢は明白であった。「最後の主戦場」と題された章では労働組合を切り崩す経営側のあざとい手法が明らかとされる。経営側に恭順し「労使共同宣言」を受け容れた労働組合には一定の見返りが与えられる一方で、最後まで対立する国労に対しては雇用安定協約の締結を拒み、労働者の分断と差別化をはかる。国労からは多くの脱退者が生じ、彼らは真国労なる新しい組織を立ち上げる。分割・民営化の結果として多くの余剰人員が発生することは明らかであり、国鉄に残るか、「余剰人員」として遇されるか。当局は組合員たちに残酷な踏み絵を課した訳である。組合と御用組合の熾烈な闘争は山崎豊子の「沈まぬ太陽」を想起させ、時に暴力事件を引き起こしながらこのような死闘が続いた。昭和6110月に修善寺で開かれた国労の臨時大会で執行部は柔軟路線に転じようとしたが、議案は否決され、国労は事実上の分裂状態に陥る。この時、分割・民営化への抵抗は完全に潰えた。翌月に「国鉄改革8法案」が可決され、遂に日本国有鉄道の解体が決定されたのである。しかし人事においては大きな番狂わせが相次いだ。最後の局面で運輸大臣が三塚から橋本龍太郎に交代したのも不規則な人事であったが、粉骨砕身の思いで国鉄「改革」に関わった三人組、そして国鉄解体時の総裁、杉浦喬也らは再出発したJRにおいて要職を充てられることがなかった。彼らの血と涙の結晶である国鉄改革も中曽根にとっては自らのパワープレーの一局面に過ぎなかった。

 本書は読み物としては面白いが、読後感はよくない。無数の人物が登場するが、共感や感情移入できる人物は一人もおらず、暗澹たる抗争の連続と後味の悪い結末が語られるからだ。正義やカタルシスから遠い本書の内容は先に触れた山崎豊子の小説、例えば「華麗なる一族」や「沈まぬ太陽」のそれに近い。本書に主人公を求めるならばおそらくは井手、葛西、松田という三人組であり、彼らは組織内にいながら組織を解体するという困難な任務を担った。しかし彼らが操った権謀術数を知る時、彼らもまたヒーローからは遠い存在である。彼らを国鉄解体に走らせた動機がかつての国鉄の当局と組合の癒着と腐敗であったことは想像に難くない。私も民営化以前のJRの状況を覚えているので、かつての国鉄が乗客や通勤客を一切顧みない傲慢な組織であったことを知っている。本書の終章には「猛き者ついに滅びぬ」というタイトルが掲げられているが、怠業の一方で管理職をつるし上げ、自分たちの専用列車を走らせるような専横を働く者たちが滅びたことは当然であったと今になればわかる。本書においては二つの「連判状」に触れられている。連判状とは時代がかっているが、彼らがこのような手段で結束を固めたことは明らかだ。これらはもし公開されるならば改革派を同定し、過酷な処分を招いたであろうから、自分たちの真剣さを確認する意味もあったはずだ。私は改革派を一方的に支持するつもりはないが、これらの文書の真剣さには深く共感するし、それほどまでにこの巨大な組織は病んでいたのである。

 今日、国鉄改革は成功したといわれる。確かに再建の見込みもなく赤字を垂れ流していた組織の収支が曲がりなりにも回復し、サービスも劇的に改善されたから、この成功はこれ以後引き続く民営化のモデルケースとなった。しかし本書から明らかなとおり、そこには多くの影の部分があったことを忘れてはならない。一つには国鉄の解体にいたる過程できわめて非人間的な状況が生じたことである。解体に伴って大量に発生した「余剰人員」は「人材活用センター」と呼ばれる施設で清掃や単純作業、あるいは炎天下での行軍といった無意味な作業に従事させられた。「国鉄アウシュビッツ」とさえ呼ばれたこの施設には多く国労系の労働組合員が集められたという。先に述べた通り、この背景に労働組合間の確執があったことに疑いの余地はない。国鉄の解体は戦後の日本において一定の影響力を有した労働組合の終わりの始まりであった。本書の最後の節は「55年体制の終焉」と題され、平成元年における総評の解散とそれに代わる連合の結成について言及されている。元号からわかるとおり、同じ年に昭和天皇が死亡し、ベルリンの壁が崩壊した。そして国鉄の解体を契機としてこの国では何かが決定的に変質した。「昭和の解体」という本書のタイトルは象徴的だ。冒頭で「国鉄は赤字は困るが大もうけしてはならない」という言葉を紹介した。この言葉は昭和という時代ににあっては例えば公益とか安全といった収益とは別の、多くの場合それに優先する価値が存在していたことを暗示している。しかしこれ以後、私たちは利潤を唯一の価値観としてひたすら追い求めることとなる。国鉄民営化の「成功」は同じ原理がほかの公共的な事業にも応用可能ではないかという発想を生んだ。これに従って教育、文化といった本来的に市場性とは相容れない分野、具体的には公教育から大学、図書館や美術館といった場にも経済原理が浸透することになった。先日の愚かな大臣の発言からも明らかなとおり、本来ならば「別の価値」によって統御されるべき営みが経済原理という濁流の中で淘汰され、結果としてかつての国鉄同様に荒廃しつつある。まことに国鉄民営化の「成功」は昭和から平成、すべての価値が金銭に一元化される時代への転換を画す出来事であったといえよう。

 本書で詳細に報告される、かつての国鉄の腐敗した内情は実は当時からよく知られていた。誰もが異常と感じながら、圧倒的な権勢を誇る労働組合に対して時の政権さえもが拱手していた内情は本書で詳らかにされている。そして私は、現在もなお、誰もがその不正義を知りながら批判できない一つの体制が存続していると感じる。いうまでもない、原子力村と呼ばれるシンジケートだ。もはやこの産業が差別と不正の上にしか存立しえないことは誰の目にも明らかであるし、彼らが震災の後、スト権スト並に愚劣な「計画停電」によって私たちを恫喝したこともはっきりと記憶しておこう。私たちは原子力発電がほとんど稼働していない状態でいくつもの夏と冬を乗り切った。それにも関わらず、リニア新幹線なる虚妄を振りまいて原子力政策の堅持を叫ぶ論客の一人が葛西である。かつて国鉄という国家的な不正義に対峙した人物が、同様の国家的欺瞞に取り込まれて、中曽根に始まる国家主義的な保守政治の断末魔、最低最悪に劣化した現政権に寄り添う姿は人間の業と呼ぶべきか、まことに無残に感じられる。

 それにしても私はいつまで、レヴューの最後にお決まりの政権批判のコメントを書きつけなければならないのだろうか。90年代、私の批評は政治性を帯びることはほとんどなかったし、形式主義者たる私はこのようなくだらない作業が嫌でたまらない。しかし今や批評に携わる者にとって政治性のない批評はありえないほどに、政治が表現の場に手を突っ込んできている。私たちはかつてなく暗い時代を生きている。

 なおこのブログでは元号は用いないが、今回のみ内容に鑑み、時系列を元号で表記した。


by gravity97 | 2017-04-22 10:14 | ノンフィクション | Comments(0)

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