サーミ―・ムバイヤド『イスラーム国の黒旗のもとに』

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 「イラクとシャームのイスラーム国」、通常はイスラミック・ステート、ISIS呼ばれる「国家」について私たちは多くを知らない。もちろん後でも触れるとおり、この「国家」によって二人の無辜の日本人が惨殺されたことを私たちは記憶しているし、この「国家」の壊滅に向けて今も多くの戦力が投入されていることを私たちは日々の新聞やインターネットのニュースを介して漠然とは知っている。しかしこのような異形の「国家」がいかにして誕生し、なにゆえ今も大きな影響力を行使しているかについて多くの日本人は無知であり、興味をもつこともない。それはおそらく中東地域に対する知識と関心の希薄さに由来するだろう。石油を介した経済的に死活的な関係は存在するにせよ、日本とイスラームとは直接に国境を接することがない。おそらくはロッド国際空港における日本赤軍によるイスラエルへの公然たる攻撃がアラブ諸国の日本に対する漠然とした好感の根底にある点は記憶されるべきであろう。それゆえ私たちは同胞がイスラームの手によってかくも無残に殺された情景をインターネット経由で目撃し、戦慄したのであった。

 本書はオスマン帝国時代に遡ってこの異形の「国家」の出自を確認し、ムスリム同胞団からアル・カイーダにいたるジハードの系譜の末端に位置づけるとともに、その成立と存立基盤、苛酷きわまりない統治、現在にいたるその不気味な拡張を検証する内容である。きわめて興味深い内容だが、決して読みやすいとはいえない。翻訳の問題もあろうが、それ以上に私たちのイスラームに関する無知によるところが大きい。例えば固有名詞一つをとっても私たちにはなじみが薄く、覚えるのに苦労する。アブーとかイブンといった名前が繰り返され、私たちはあたかも「百年の孤独」を読むかのように、次第にどれがどの人物かわからなくなる。イスラーム特有の特殊な概念が特に説明なく使用されるので意味をつかみかねる場合も多い。主要登場人物については巻末に一覧が掲出されているが、キーワードについても簡単な説明がほしかった。例えばサラフィー主義という言葉が頻出する。私は何度も頁をめくって、それがムスリムの初期の世代を意味する「サラフ」に由来し、「正統カリフが示した初期ムスリムのあり方から歪んだ現在のイスラーム世界を倫理、敬虔さ、実践の面で元に戻そうとする」一種の原理主義のことであると知った。この一方、本書は最近私が関心をもち、このブログでも論じたいくつかの話題、最近ではウェルベックの「服従」の内容と直結している。著者はシリア生まれの歴史家。したがって冒頭の謝辞に掲げられた次の言葉は重い。「本書は最も困難な時期を通して書かれた。私の祖国シリアは戦争状態にあり、社会構造は破壊され、経済は荒れた。死亡した25万人以上の国民の多くは、不幸にも現在続いている暴力の犠牲となり、戦場からの脱出を試みて地中海で溺死した人もいる。1990年代に文通を始めて以来、私に安らぎを与え、寄り添ってくれた友人たちはみな祖国を離れてしまった。純粋にシリアでの大虐殺から逃れて人もいれば、ヨーロッパやアラブ世界で仕事を見つけた人もいる」

 先に述べたとおり、本書においてはまず最初にオスマン帝国時代まで遡ってISISの起源が確認される。それはカリフという制度だ。カリフとは代理人の意、その言葉どおりイスラームの預言者ムハンマドの代理を務める後継者であり、王朝ごとに何人かのカリフが存在したが、1924年にトルコのアタテュルク大統領によってカリフ制度は廃止された。それからほぼ一世紀後にカリフを僭称したのがISISの指導者、アブー・バクル・バクダーディーであり、ISISとカリフ制は深い関係がある。カリフをめぐる逸話からこの制度と暴力との親和性は明らかだ。筆者によれば初代のカリフはほとんど全てが暗殺されている。そしてモンゴルによるイラク侵攻という激動の時代を生きた学者イブン・タイミーヤの過激な主張は後にワッハーブ主義と呼ばれる原理主義的で苛烈な思想として膾炙する。サラフィー主義そしてワッハーブ主義が浸透する社会は厳格な宗教的規律が支配し、破戒者に対しては残酷な刑罰が課せられる。後半で語られるとおり、ISISの支配地においては現実にこのような統治がなされている訳であるが、同様の圧政は今もなおたとえばサウジアラビアでも続いていることは記憶されてよかろう。今日にあっても多くの反体制の活動家が斬首といった残忍な手法で処刑されていることに関しては本書中に言及がある。先日、この国の王族一行が来日し東京で贅沢の限りを尽くしたことが報道されていたが、富の偏在は権力の腐敗と秘密警察の跋扈を招く。本書においても繰り返し言及されるウサーマ・ビン・ラディンがサウジアラビアの出身であったことは必然性がある。本書を通読してあらためて痛感するのは、イスラーム世界が私たちの想像を絶する血に塗れた歴史を抱えていることだ。第二章の「ジハード主義に穏健な人々」から第五章の「イラクのジハード主義者たち」まではISISの前史とも呼ぶべきイラクとシリアを中心としたイスラームの歴史が語られるが、それは虐殺と報復のいつ果てるともなき連鎖だ。例えば1982年にシリア中部のハマーという町で戦闘前線と呼ばれる組織による政府軍への攻撃に対してハーフィズ・アサド(現シリア大統領、バッシャール・アサドの父親)は仮借ない弾圧を加え、政府側の発表でさえ3000人が虐殺され、そのほとんどが一般市民であったという。驚くべきことにこのような事実を私たちはほとんど知らされていない。例えばこの二年前、韓国の光州で起きた蜂起に対しても軍事政権が徹底的な弾圧を加え、多くの市民が殺された。いわゆる光州事件について私たちはそれなりの知識をもっている。しかし私たちは中東の地で繰り返された虐殺と弾圧、拷問と残虐な刑罰についてほとんど何も知らない。これらの章を通読して、私はサラフィー主義に基づいて彼の地で続けられたジハードの歴史をあらためてたどった。ISISの登場にいたる血塗られた歴史は、今挙げた戦闘前線によって幕を開け、ムスリム同胞団へと続き、よく知られたアル・カイーダがそれを襲う。アル・カイーダからさらに二つの集団が分岐する。アブー・ムハンマド・ジャウラーニーが設立したヌスラ戦線とバクダーティーのISISだ。ヌスラ戦線とISISは最初こそ良好な関係を保つが、やがて反目しあい、後者が次第に優勢になる。近年の報道を通じて名前だけ知っていたいくつもの運動や組織に対して本書は歴史的なパースペクティヴを与える。

しかし私たちはこのような歴史を当然として受け入れるべきではない。シリアはかつて平和で穏やかな国であった、著者が謝辞の中で父母についいて触れ、「シリアが最も栄えていた時代を知る世代」と表現するのはこの意味であり、私の記憶によれば聖書の中で「乳と蜜の流れる土地」と表現されたカナンの地とレヴァント諸国は決して遠くないはずだ。以前このブログで論じた「ブラッドランド」のごとく、本来は豊かで平和な土地が歴史的、地政学的な偶然から殺戮の場と変わることを歴史は教える。かかるキリング・フィールドから万を単位とする人々が国を捨てて地中海を渡り、ヨーロッパに向かっている状況を我々は今目撃している。しかし原子力発電所の事故がいつまでも収束せず、新しい戦争へ向かうこの国においては同様のエクソダスがいつ自分たちの身に降りかかるかもしれないという危機感を私たちは抱くべきではないだろうか。

第六章ではいよいよISISの誕生が描かれる。本書を読むならばおそらくアメリカによるイラク侵攻がその淵源であったことが理解できる。同時多発テロへの正義なき報復としてのイラク侵攻は確かにサッダーム・フセインの残酷な統治を破壊した。しかし宗教を拠り所として民衆を苛烈に弾圧したフセインの統治はその残党であるバアス党のメンバーを通じてISISに引き継がれた。その勢力の伸長は一人、指導者のバクダーディーの力に帰せられるべきではなかろう。サラフィー主義に基づいてカリフを待望する宗教的感情、残忍さとアメリカに対する敵意を叩き込まれた旧バアス党の将校たち、特使としてイラクを支配するポール・ブレマーの腐敗した権力(この問題についてはかつて傭兵企業ブラックウォーターについての告発と関連してこのブログでも論じた)、そしてフセイン政権の崩壊に伴い大量に残された武器、これらの条件がISISという鬼子を生んだのである。そしてこの「国家」は決して狂信者の集団ではなく、それなりに統制された組織として成り立っている。本書の中にはバクダーディーがアラビアの学者の本をベイルートで複写させ、ISISの首都であるラッカに届けさせる逸話がある。その際には宛名として「カリフ・イブラーヒム、ラッカ」と書けばよいと指示されたというエピソードはバクダーディーの支配地域に郵便制度が確立していることを暗示している。さらにISISは(アル・カイーダとは異なり)支持者からの寄付のみでなく、制圧した油田地域からの石油を独自の財源としており、経済的な基盤も安定している。さらに彼らはインターネットをきわめて効果的に使い、情報の発信については高度の技術を有している。後述するとおり、この技術を駆使してISISはヨーロッパから多くの若者をリクルートする。彼らの情報操作の巧妙さは世界中を震え上がらせた人質の処刑映像の発信のタイミングにも認められる。筆者によればそのような映像は有志連合による空爆の前後に意図的に流される。空爆前であれば、有志連合の兵士たちに恐怖を与え(捕虜にされたパイロットは火あぶりにされた)、空爆後であれば統治下にある住民を沈黙させる意図があるという。本書には殺害された日本人、湯川遥菜と後藤健二についても言及されている。安倍がイスラエルを訪問して支持を表明した直後に二人が惨殺されたことは明らかなメッセージであろう。愚かな宰相の「外遊」スタンドプレーの犠牲として彼らは貴い命を落としたのである。

「血の家」と題された第七章ではISISが統治する地域での市民の生活が報告される。イスラームの教義に従うことが強制され、女性は全身を黒衣で覆うことを義務付けられ、一人で出歩くことはできない。巡回する警察官による身体検査で香水や煙草、コンドームなどを所持していることがわかれば処罰の対象となる。音楽は否定されているために携帯に着信音やゲームを設定してはならない。公共の場における刑罰と斬首は日常的であり、切断された頭部は見せしめとして腐るまで街路に放置される。恐怖による統制はかつて80年代にイラクでフセインが用いた手法であるという。人身売買も公然化されており、異端とされた女性は性奴隷として売買される。まことに悪夢のような情景であり、そこを逃れる多くの難民が発生する理由も理解できよう。しかし類似した蛮行は西欧の中世にも横行していたから、かかる事態はヨーロッパとイスラームの空間的相違というよりも中世への歴史的逆行ととらえるべきではないか。私は先に「服従」をレヴューした際に、小説の中でイスラーム化されたフランスを中世的と評した。中世の暗黒が地続きに存在する時、西欧が恐怖する理由も理解できる。そして「外国人ジハード主義者」と題された第八章はさらに衝撃的である。タイトルが示すとおり、ここではアラブの他の地域、そして欧米からISISに加わるサラフィー主義者の問題に焦点が当てられている。このような苛酷な土地がなぜ多くの者を惹きつけるのか。むろんインターネットを介した宣伝の巧妙さが一つの理由であろう。私たちは指一本を動かすだけで、宗教社会として理想化されたISISの映像に接することができる。しかし誰しもが想像できるとおり、それは偽の映像だ。使い走りとして車で品物を届けるように命じられ、目的地で仕掛けられた爆弾によって車ごと爆殺される者たち(死後は殉教者として称えられる)、戦闘員として経験が浅いにもかかわらず前線に送られ、後続するプロフェッショナルの兵士たちの盾となって最初に死ぬ者たち。外国人ジハード主義者は大半が使い捨てだ。それにもかかわらずなぜ多くの若者がシリアを、ISISを目指すのか。以前このブログでローレンス・ライトの「倒壊する巨塔」をレヴューした際に、私は次の文章を引いた。「華々しく、しかも意味のある死。人生の喜びや努力のしがいのない政府の抑圧下に暮らし、経済的損失に人々が打ちひしがれている場所では、そうした誘惑はとりわけ甘美に響いた。イラクからモロッコまでアラブ人が統治する各国政府はどこも自由を圧殺していた」9・11の「テロ」に走った若者たちの心情を想定したこのパッセージは今や欧米の報われぬ若者たちにもあてはまる。閉塞に絶望した彼らが「意味のある死」を求めてISISを目指したことはおおいにありうるだろう。しかし彼らが迎える絶望的な状況は「ISISの女たち」と題された第九章において、ヨーロッパからシリアに向かった女性たちのエピソードを通じて明らかにされる。イスラームにとって女性とは抑圧されるべき存在であり、子を産むための道具であった。啓蒙を経過しながらもそれを嬉々として受け入れる女性たちのエピソードはまさにウェルベックの「服従」の主題ではなかっただろうか。

最後の章「ISISの新たな前線」にはISISをめぐる最新の状況が記述されている。シドニーとパリにおけるテロ、後者は風刺雑誌「シャルリー・エブド」をめぐる有名なテロであり、ISISによるテロが今後欧米のいかなる場所で発生しても何の不思議もないという恐るべき可能性が論じられる。そして今さらに不気味な状況が醸成されつつある。「(ISISへの)入国志願者に武器を持ってシリアに来るように呼びかける代わりに、ISISは今や彼らをヨーロッパ内部に留めるように戦略を変更したという。彼らは不信仰の敵の隊列の後方にいて、ISISとの戦争に参加した諸国に攻撃を加えるのだ」2015年、地中海の対岸、リビアのシルトにおいてISIS21名のコプト教徒のエジプト人を誘拐して残虐に処刑する。その際にはわざわざ地中海の海岸が斬首の場と選ばれた。「我々はローマを征服する」というメッセージに対して著者は次のようなコメントを加えている。「現代のジハード主義者はウマイヤ朝のカリフがスペインを征服し、ヨーロッパ大陸にムスリムの支配を樹立した日々に思い焦がれている。レヴァントから進軍したムスリムの軍勢による700年に及ぶヨーロッパ支配への回顧趣味がISISのヨーロッパへの野心を燃え上がらせている」

果たして私たちはどこに向かっているのだろうか。今や世界は憎悪に満ち、ISISから逃れた多くの難民がシリアからヨーロッパを目指しながらも国境を閉ざされて命を落とす。(ISISも難民を偽装してヨーロッパへの侵入を図っているという記述がある)ISISの掃討を叫ぶサイコパスの大統領は自分たちの傲慢な政策こそが20世紀にあってはアル・カイーダを、21世紀においてはISISを生み出したと認識しているはずもなかろう。そして国家主義者に乗っ取られた日本では周囲の国への侮蔑に満ちた言葉と自身についての増長した言葉ばかりが増幅され、戦争への準備が着々と進められている。本書の謝辞は次のように締めくくられている。「政治家は過ちを犯し、体制は計算を誤るが、歴史は常に正しく決着する」私はこのように楽観的にはなれない。不寛容と狂信、イスラーム国は私たちの中にある。


by gravity97 | 2017-03-25 22:51 | ノンフィクション | Comments(0)