ミン・ティアンポ『GUTAI 周縁からの挑戦』

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 ミン・ティアンポが2011年にシカゴ大学出版局から刊行した『GUTAI Decentering Modernism』がこのたび翻訳された。2013年のニューヨーク、グッゲンハイム美術館における回顧展以来、このグループが再び注目を集め、何人かの作家の絵画が信じられないような価格で取引されるようになったことは知られているとおりだ。ミンとアレクサンドラ・モンローによって企画されたこの展覧会を私も見たが、かつてこのブログでもレヴューしたとおり、批判的な印象を抱いた。したがって同じ企画者がこの集団をどのように英語で検証しているか、多少の危惧の念をもって本書を読み始めた訳であるが、実に興味深い内容であった。最後に述べる通り、私には同意できない部分もあるとはいえ、本書は具体美術協会(以下、具体)についての全く新しいアプローチであり、具体をとおしてモダニズム美術史観を相対化するきわめて野心的な研究である。ひるがえって本書は今触れた展覧会の意味を再考する契機ともなるように感じた。
 具体というグループを扱いながら、本書は通史のかたちをとらない。確かに理論的フレームワークを論じる序章に続いて、リーダーの吉原治良の経歴に始まり、日本の戦後美術の前史を高橋由一まで遡って論じる第一章以降、具体の活動はほぼクロノロジカルに検証されているが、それは意図されたものではなく、各章ごとに興味深いテーマが設定されている。それらを個別に述べるならば、「距離の相互詩学」と題された第二章においては郵便システム、第三章では『具体』という機関誌、第四章ではメルクマールとなる三つの具体美術展、すなわち1955年の東京、58年のニューヨーク、59年のトリノにおける展示が取り上げられる。そして第五章以降においては資料が少ないことを理由にこれまでほとんど論じられることのなかったいくつもの展示に光を当てられる。第五章では62年のグタイピナコテカの開設と65年、アムステルダムにおける「ヌル1965」、そして同年パリにおける具体美術展、第六章では「ヌル1965」の数カ月後にグタイピナコテカで開かれた第15回具体美術展、67年、阪神パークにおける「グタイグループによる宇宙時代の美術展」、そしてよく知られた70年、大阪万国博での発表である。このような構成を確認するだけでこれまでの具体研究にはありえなかった二つの視点が導入されていることが理解されよう。それはまず具体の活動を広く世界的な規模で確認することであり、第二にこれまで低い評価しか与えられることがなかった60年代以降の具体の活動に新しい意味を与えることである。具体の評価についてはすでに一つのクリシェがかたちづくられている。それは初期具体の野外展やアクションに大きな意義を認め、1957年のミシェル・タピエとの接触によってアンフォルメル絵画へと転身することによってそのオリジナリティーが殺がれたという見解であり、かかる発想は具体の活動時から今日まで、例えば最近ではミンも引用する現代美術に関するエンサイクロペディアとも呼ぶべき『Art Since 1900』の中でイヴ=アラン・ボアが論じるところでもある。本書はこのような通説に対する根底的な批判である。しかしこれにあたって彼女が提起する「文化重商主義 cultural mercantilism 」という概念は必ずしも有効ではない。本書の意義は単純にその実証性に求められるべきであり、新しい理論的モデルの構築は必要なかったように感じる。むしろハロルド・ブルームの「影響の不安」という概念を拡張することによって事足りたのではなかろうか。
 ミンは大学院時代にインターンとして、当時、芦屋市立美術博物館に移管されていた具体に関する資料、ことに吉原治良旧蔵の資料の整理にあたっており、具体の研究者としてのアドバンテージの一端はこの経験に負っている。この成果は本書にも十分に反映されている。一例を挙げよう。ミンは吉原が具体を回顧した文章を引用しつつ、その典拠として『具体』誌の13号を挙げる。この箇所を一読し、私は不審に感じた。なぜなら『具体』誌は10号と13号を欠号としているからだ。しかし註を参照するならば、ミンは吉原のアトリエに遺された資料中、吉原の手書きによって13号の雛形に添えられたコメントを例証としてかかる記述を行っている。緻密な資料調査に感心するとともに、この点に本書の一つの限界も存しているように感じた。現在は大阪新美術館準備室に保管されているこれらの資料はまだアーカイヴとして整えられていないため、参照することが容易ではない。つまり本書においては典拠をこれらの資料群に置いた記録や発言について、関係者以外はその真正性を確認することが容易ではない。もちろんこれはミンの責任ではないし、世界的にみても資料として第一級の価値がある(それゆえ芦屋市立美術博物館の経済的危機が叫ばれた際には、海外の美術機関が一括して買い付けるのではないかという噂が流れた)これらの資料が遠からずアーカイヴとして整備され、可能であればインターネットを介した検索が可能となることを望むのは私だけではないだろう。
 やや話が逸れた。本書の理論的枠組とオリジナリティーの問題を扱った序章と第一章は抽象度が高く、先にも述べたとおり作業仮設もうまく機能しているとは思えない。筆者は序章の最後の箇所で本書の目的を次のように記している。

本書は非大都市型モダニズムのトランスナショナルな研究の拡大に寄与するものだと考えている。こうした研究はモダニズムを漸進的に再考する方向に向かってきたが、本書ではよりラジカルな視座を提唱したい。つまり、いかに文化重商主義の言説が影響という概念を通じて非西洋のモダニズムを周縁化したかを分析し、作家間の相互詩学的関係を考察するための正確かつ柔軟な方法を提案したい。この方法論を用いて、本書はモダニズムの物語、領域、そしてそれらの核心となる特徴さえも再考する方法論を構築する。

 翻訳の問題もあろうが、わかりにくい文章である。読者はここで立ち止まって考えるより次章に進むのがよい。「作家間の相互詩学的関係」が具体的に論証されるからだ。続く第二章でミンはまず具体と海外の作家たちの「トランスナショナル」な関係が郵便というシステムを用いて深められたことを説得的に論証する。郵便を用いた交渉は多様なレヴェルにわたっている。例えば裕福な実業家であった吉原のアトリエに戦前より海外の美術雑誌や展覧会カタログが国際郵便によってほぼリアルタイムで届けられていたことは既に指摘されてきた。この中で彼女は1951年、『アートニューズ』5月号に掲載されたロバート・グッドノーの有名な記事「ポロックが絵画を描く」に注目する。ミンによればこのテクストを吉原はわざわざ書き写し、その中には「抽象から具体(concrete)をめざす」という言葉があったという。この言葉が具体という集団の名称、あるいは具体美術宣言に影響を与えたとするならば、興味深い指摘であろうし、具体とポロックの関係を強く暗示する挿話である。郵便システムに関しては、郵送によって世界中の作家や批評家に送られた『具体』誌をめぐるそれが連想されようが(その一部がポロックのアトリエに届いたことはいうまでもない)、ミンは意外な主題につなげる。それは年賀状である。IT環境の発達した今日においても年賀状は視覚的な情報発信の手段であるが、当時会員間で交わされた年賀状に着目したミンはそれがメールアートの先例であったこと、さらにそれが小さなサイズのオリジナル作品という発想を導出し、第11回具体美術展の際に会場に置かれた「具体カードボックス」という作品カードの「自動」販売機へと展開されたと論じる。本書にはかつて具体からルドルフ・スタドラーに送られた多数の年賀状の図版も掲出されているが、年賀状をミニチュア絵画ととらえる発想は示唆に富み、具体におけるコンセプチュアル・アートの萌芽をこの点に求めることも可能であろう。かかるポータビリティは1960年に大阪高島屋上空に下絵を拡大した海外作家の作品をアドバルーンで吊り下げた「インターナショナル・スカイ・フェスティヴァル」、さらに60年代には一連の海外での作品発表の際におけるインストラクションへと展開されるという。実はこの問題は『具体』誌とも深く関わっている。この冊子をめぐっては具体初期を彩る神話がよく知られているが、ミンが注目するのは1962年に発行される予定であった第13号であった。知られているとおりこの号はグタイピナコテカ開設時のパンフレットにその予告が写真とともに掲載された幻の雑誌であり、その詳細は今日もよく知られていない。ミンは次のように解説する。「1962年に具体がグタイピナコテカの開館に合わせて『具体』誌の特別記念号を出版する計画を立てた時、メンバーは表現媒体と展覧会場としての機関誌という初期の試みに立ち返った。(中略)構造としては13号の前半ではひとりにつき2作品の割り当てで作品掲載の予定だったようだ。それぞれ絵画作品の複製と葉書大の手描きのマルティプルの実物を貼り込んで併置するというアイデアである」具体がきわめて早い時期にマルティプルという発想を美術に持ち込んでいたことはこれまで指摘されることのなかった重要なポイントである。ここからはデュシャンやコンセプチュアル・アートと具体という新しい関係線を引くことも可能であろう。さらにミンは『具体』誌の発行部数や配布先についても詳細に言及するとともに、フランスで発行された『ロボ』という雑誌について言及する。ジャン・クレイ(あの美術史家のジャン・クレイであろうか)によって編集されたこの雑誌は1971年に発行された5/6号で具体の特集を組み、しかもそこではタピエへの批判的な視点が加えられていたという。この雑誌についてはこれまでの具体研究ではほとんど言及がない。このような新しい知見が得られることも本書の大きな魅力であり、それは世界各地で調査を続けた筆者の行動力と語学力に多くを負っている。
 しかしこれらの新知見以上に、私は本書をとおして具体が置かれた状況について全く新しい光が当てられたことに注目したい。私がそれを強く感じたのは「具体美術展の地政学」と名づけられた第四章である。ここでは具体の活動の中心であった具体美術展を軸にまさに美術の地政学が論じられる。最初に述べたとおり、タピエとの接触を機にアンフォルメルの一翼としての立場を鮮明にした具体は1958年、日本各地を巡回した「新しい絵画世界展」において、ヨーロッパのアンフォルメル、アメリカの抽象表現主義そして日本の具体という新しい国際様式のフロントを大胆に示した。このあたりの事情を確認したうえで、ミンは同じ年、ニューヨークのマーサ・ジャクソン・ギャラリーで開かれた第6回具体美術展と翌年トリノで開かれた第7回具体美術展に注目する。これら二つの具体美術展に関する今までの定説は、ニューヨークの展覧会は抽象表現主義の亜流として酷評され、トリノの展示は資料が残されていないから詳細が不明というものであった。海外で開催された展示であるから資料調査が困難であることは当然とはいえ、この二つの展覧会は具体研究における一種のブラックボックスとなっていた。ミンは当時の資料を読み込んで前者についての批評が、具体におけるアクションや実験的な側面にあえて目を閉ざし、絵画に集中することによってもたらされた意図的な批判であった点を実証する。私が感心したのはミンがニューヨークとパリの間の美術の覇権をめぐる闘争の一端としてこのような状況を実証的に分析している点である。具体の様々な前衛性に関する情報は十分に与えられていたにもかかわらず、ニューヨークの美術界は具体の活動を単に絵画の問題へ矮小化して否定した。具体を尖兵としたタピエとジャクソンの世界戦略は破綻する。確かに時期といい場所といい、ニューヨークの具体展はパリとニューヨークの間の美術をめぐる覇権争いのメルクマールとなる出来事であった。私は日本の作家集団がこの歴史的局面に深く関与したことをあらためて思い知った。そしてさらに興味深いのはかかる現代美術のパワーゲームの中で具体は単に欧米の批評に左右される存在ではなく、時に自らもプレーヤーとして欧米の美術界に伍したという指摘である。ニューヨークにおける批評家たちの反発を目の当たりにした吉原はトリノの展示においては戦略を違える。いうまでもなく絵画そしてアンフォルメルの要素を切り詰めて、具体の前衛性を正面に押し出したのである。このうえでも雑誌が大きな役割を果たしたことは注目に値する。具体はあらかじめ『NOTIZIE』誌の特集を用いて自分たちの活動を紹介し、東洋の未知の前衛集団として自らをアピールした。ニューヨークでの冷遇に対してヨーロッパでの成功は続く60年代の具体の評価と密接に結びつくこととなる。
 かかる視点を得る時、先に述べたアドバルーンを用いた展示、「インターナショナル・スカイ・フェスティヴァル」の評価も変わってくる。この国際展の開催、そして出品者の顔ぶれは具体の世界的な認知、針生一郎の言葉を借りるならば「国際的同時性」を暗示している。したがってミンはタピエとの接触によって具体の創造性が衰えたという通説には与しない。それどころかまさにこの接触を契機として具体は自らの表現の同時代性を意識し、さらに新しい冒険に乗り出した。その答えの一つが62年に開設された常設展示場、グタイピナコテカであることは言を俟たないだろう。ミンはそこを訪れた著名な作家や批評家を列挙してその国際性を強調する。さらに65年、アムステルダムのステデリック美術館で開催された「ヌル1965」と実現にはいたらなかったがその後、やはりオランダのスヘフェニンゲンで企画された「海上のゼロ」の構想についての詳細な検証からは、60年代にあって具体が再び絵画からオブジェや立体へと活動の中心を移そうとしていた様子がうかがえる。一方でタピエもまた具体の絵画によって巻き返しを図る。奇しくも同じ65年にパリ、スタドラー画廊で開かれた具体パリ展であり、展示は絵画のみで構成されていた。私たちはこれまでこれらの展示を同じ年にヨーロッパで開かれた具体による連続デモンストレーションとみなしてきたが、そこには美術の主流、海外での認知をめぐる関係者の激烈な暗闘が隠されていたのである。そして疑いなく吉原のリーダーシップに基づいて、具体はかかるパワーゲームに主体的に参加していた。
 かかる問題意識に立って、ミンは同じ65年にグタイピナコテカで開かれた第15回具体美術展に具体の一つのピークを認める。吉原が円によるハードエッジ抽象に転じ、キネティック・アートやオップ・アートに分類される多様な作品が発表されたこの展示は初期のアンフォルメルの牙城として具体とは一線を画すものの、これまでむしろ初発時の創造性の衰退を示すものとして否定的に言及されることが多かった。これに対してミンはこのような多様性を肯定し、それが端的に「ヌル1965」に参加したことによって得られた自信に裏打ちされていると説く。これは同時に具体におけるアンフォルメルの終焉を画す意味をもち、タピエによる具体の専横の終焉であった。この後、具体はいくつかのインターメディア系の展示に参加し、多くの前衛作家が反対を表明した万国博覧会にもあえて「具体美術祭り」で応えた。しかし具体にはもはやさほどの時間は残されていなかった。72年、オランダでのスカイ・フェスティヴァル再現についてオランダ大使と電話で会話中、吉原は脳出血で倒れ、まもなく他界する。傑出したリーダーに支えられた具体にとって吉原の不在は集団の解消を意味した。かくして60年代に具体が提起した国際的同時性という問題は十分に深められることなく、またその後の具体研究においても等閑視されてきたことをミンはあらためて指摘する。
 実際にはミンの議論は相当に入り組んでおり、単純な要約を許すものではないが、以上で少なくとも本書の核心についておおよその見取り図を与えたことと思う。最初に述べたとおり、このような研究は語学に通じ、日本人ではない研究者によって初めて可能な発想である。本書を読んで、私は近年きわめて近似した意識に基づいて執筆された研究が上梓されたことを想起した。本ブログでもレヴューした池上裕子の「越境と覇権」である。池上も時間的な影響関係ではなく、空間的な交渉を主題として、1964年のラウシェンバーグの活動を論じたが、本書においても具体という集団の歴史ではなく、空間的な関係が主題とされている。資料の綿密な調査、存命の関係者へのインタビューといった点においても共通点を有する二つの研究が、1960年代中盤、モダニズムの首都の座をめぐってパリとニューヨークが角逐を繰り広げていた時期に焦点を当てていることは偶然ではないだろう。(いうまでもなくこの点がミンの具体研究の独自性でもある)モダニズムにおいては中心と周縁という関係が成立する。モダニズムの中心において洗練された前衛は変形を被りながら、周縁へと伝播する。キュビスムからシュルレアリスムまで私たちはこのようなモデルをいくつも指摘することができる。これに対して池上においては移動、ミンにおいては相互詩学や同時性といったキーワードを介して、時間ではなく空間、伝播ではなく同期が論じられる。中心はもはや一つではなく複数、さらに「脱中心化」というモデルさえも提出される。これらの発想はモダニズムがもはや金科玉条ではなく、その相対化が図られた1990年代より顕著となり、展覧会としては、1989年、ポンピドーセンターで開かれた「大地の魔術師たち」、1998年、ロスアンジェルス現代美術館における「アウト・オブ・アクションズ」、1999年、クイーンズ美術館における「グローバル・コンセプチュアリズム」などが連なる。私はソビエト連邦が崩壊した時期よりかかる趨勢が力を得たことは偶然ではないと考えるし、美術史研究の分野に応用されて多くの成果を生んだ「グローバル・アート・ヒストリー」の研究者の多くが非欧米系の女性であることもまた一種の必然性を秘めていると感じる。
 本書はきわめて独特の研究であり、多くの新しい知見を得ることができたが、最後に私の立場からいくつかの問題点を指摘しておきたい。まず60年代中盤の具体に対する肯定的な評価に私は同意することができない。これまでにも具体の活動がその全幅において回顧された機会は何度かある。近くは2012年に国立新美術館で開かれた「具体 ニッポンの前衛 18年の軌跡」がこのような展示であった。このブログでもレヴューしたとおり、具体の作品が歴史的に概観された場合、60年代以降の作品の脆弱さは誰が見ても明らかであり、この印象は今回本書に掲出された、例えば第15回具体美術展の会場写真を見ても変わることがない。作品はばらばらで展示も散漫で希薄に感じられる。「新たな自信とエネルギーに満ちた具体メンバーは素材、テクノロジー、空間、そして動きを使って、真に革新的成果をみせた」というコメントは過褒に過ぎる。第五章以降、国際性や同時代性に注目するあまり、本書からは作品に対する価値判断という視点が失われたように感じられる。国際性を論じるうえでは62年の常設の展示施設の設立は決定的に重要であり、それゆえミンは従来の三期区分に対して、グタイピナコテカ設立以前と以後という具体の二分法さえ提起する。しかし私はこのような国際的同時性の検証は60年代ではなく、むしろ初期から中期の具体についてこそ試みられるべきではないかと考える。むろんそこにはタピエという毀誉褒貶の激しいプレーヤーが介在した。しかしモダニズムの核心とも呼ぶべき彼らのオリジナリティーはミンも説くとおり、この時期にこそ横溢しており、さらに当時の彼らには明らかに国際的同時性への自覚があった。歴史に「もし」はありえないとはいえ、私はタピエなき具体を夢想する。タピエが介在せずとも、具体の絵画が当時において世界的な評価を受けたと考えるのはあまりに無邪気な認識であろうか。しかし実際にタピエと接触する以前に具体の絵画はサイズや物質性、あるいはアクションの介在といった点において、すでに抽象表現主義に比肩しうる資質を獲得していたと私は考えるのだ。つまりタピエやヌル、あるいはゼロを経由せずとも、すでに複数のモダニズムは存在していたのではないか。そして本書には具体の絵画についての言及がきわめて少ない。印刷物に掲載された写真、マルティプルのミニチュア作品、下絵を引き延ばしてアドバルーンから吊り下げた作品、それらはモダニズムの外部にあって興味深いエピソードではあるが、本書を読む限り、少なくとも初期の具体の活動の中心に絵画が存在し、しかも高いクオリティーを秘めていたことを理解することは困難である。絵画を軽視することは具体にとってその可能性の中心を素通りする偏った見解である。
 あらためてグッゲンハイムにおける具体展を振り返るならば、本書における主張が随所に取り込まれていることがわかる。児童美術や具体カードボックス、「間主観的な」落書板といった本書で言及されたアイテムが展示に組み込まれ、遊戯性やインターメディア性が強調される一方で、絵画はその自立性を意図的に弱めて展示されていた。これらへの批判はすでにこのブログで行っているので繰り返さないし、逆に本書を読むことによってあらためてこの展覧会の暗黙の意図を了解することができた。私は日本の戦後美術史にそれなりに通暁しているから本書をある程度相対化して論じることができる。しかし多くの英語圏の読者にとっては今後、本書とグッゲンハイムの展覧会カタログが具体に関する理解の基礎となるはずだ。それなりに興味深い視点であるが、今述べたとおり、私はそれらによって具体の達成の本質が検証されたとは考えない。自らの国で成立したきわめて独自な運動であるにもかかわらず、その評価において私たちはいまだ「中心」からはるかに離れた「周縁」にいるのかもしれない。
by gravity97 | 2017-01-05 21:00 | 現代美術 | Comments(0)

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