「endless 山田正亮の絵画」

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 東京国立近代美術館に「endless 山田正亮の絵画」を訪ねる。素晴らしい展示であったが、それゆえ山田正亮という画家の不幸についてあらためて思いをめぐらす。山田については1990年に美術出版社から作品集が刊行され、生前の2005年には府中市美術館で展覧会が開催されているから、これまでもその画業を知ることは必ずしも困難ではなかった。しかし山田については経歴、そして作品についてかねてから疑問が呈され、これらが枷となって国立美術館レヴェルでの回顧的な作品の検証が困難であった。展覧会の挨拶にある「2010年の画家の逝去を経て6年、今私たちは、彼の社会へのある種独特な向き合い方に対して毀誉褒貶が重ねられてきた生前の状況から距離を取り、山田正亮の生と作品の総体を冷静にみわたすことができるようになったといえるでしょう」というもってまわった言い回しはこういった事情を暗示している。多くの困難を克服して開催された今回の展覧会については関係者の労を多とするとともに、そもそもかかる困難も作品の本質と深く関わっていたのではないかと思う。
 私の知る限り、山田については作家と作品に対して、二つの疑惑が指摘されていた。一つは当初、画家の経歴として記されていた「東京大学文学部中退」が詐称であるとされた事件であり、これによって同じ東京国立近代美術館でかつて予定されていた回顧展がキャンセルされたという。一方、作品についても制作年代を偽った、あるいは近作を過去作として発表したという疑惑がささやかれてきたという。今回の展覧会カタログでは巻末の「編集されざるもの―年譜にかえて」という企画者による長い注記によって両方の疑問について答えられている。すなわち前者については1990年頃までの出版物に記載されていた「1954年 東京大学文学部中退」という履歴の記載が1994年の『美術手帖』1月号において「東京府立工業高専卒」と修正されたが、いずれについても記録による裏付けはなされていないというものであり、後者については展覧会を準備するにあたって計1,100点以上の作品を実見し、そのうち4割以上については専門家による科学的調査を行った結果、「1.100点のうち数点、画面に損傷が生じた作品について、作者本人が経年後手を加え、その結果当初の画面をとどめていないと判断できるものが見出された。とはいえ、新作を意図的に旧作として発表するという『年代詐称』にあたるようなケースは見られなかった」と記されている。慎重な物言いではあるが、この展覧会を開くことの意義を強く確信した企画者の思いが伝わる内容である。しかしそもそもモダニズムの画家にとってこれらは問題となるような瑕疵であろうか。むろん学歴詐称は不正である。しかしながら私たちがモダニズムの絵画に求めるのは作品の質であって作家の意図や人格、ましてや学歴ではない。例えば藤枝晃雄のごとき日本におけるフォーマリズム批評の第一人者がこの点を理由に山田をことさらに批判することに私はかねてより不審を感じていた。これについては事実関係の確認の問題であるから今後の検証に任せるとして、私にとってより重要に感じられるのは作品の制作年の問題である。これについても例えば制作年を偽って作品を売買したような事実があれば、一種の犯罪であろうが、今引用した箇所からも明らかなとおりそのような事実はない。今回のカタログに作品の科学的分析についての論文が寄せられ、会場にも同じ問題に関する説明パネルが掲出されている点は、かかる批判への反証であろう。
 作品の本質と無関係なゴシップ的な話題に紙幅を費やすことは消耗的であるが、学歴の問題はともかく作品の制作年の問題は山田のみならずモダニズム絵画の在り方全般と関わる。私の理解ではモダニズムの絵画は多く次のような特質を秘めている。まず作家は多作であり、作品はシリーズによって深められ、シリーズによる作品の変化は劇的である。例えばピカソが好例だ。ピカソほど旺盛な作品制作で知られる作家はほかに例がなく、青の時代に始まり、キュビスムからシュルレアリスム、ばら色の時代へと同じ作家とは思えないほどの激しい変化をみせながらも常に時代の先端で活動を続けた。戦後においても多作とシリーズ制作で知られる作家としては例えばモーリス・ルイスとフランク・ステラを挙げることができよう。ルイスは早世したにもかかわらず600点に及ぶ作品を制作し、しかもほとんどがヴェイル、アンファールッド、ストライプという三つの類型のいずれかに分類される。ステラもことに初期から中期にかけてはブラック・ペインティングに始まるいくつものシリーズによって作品を深めてきた。このうちルイスについては初期に制作したアンフォルメル系の絵画については作品を処分したため、今日カタログ・レゾネを参照しても確認することが困難である。画家がある時点で意に沿わなくなった過去の作品を処分するこということは決して珍しいことではない。独特の静物画で知られるジョルジョ・モランディが自らのイメージを固定化するために一部の作品を破棄し、のみならず批評家による批評にまでも介入した点については岡田温司がモノグラフの中で詳細に論じている。もっとも作品の成立にどの程度まで作家が関与するかという問題は単純ではない。以前の作品に後年作家が手を加えることは比較的よくあることであり、美術館泣かせである。私も作家が修復という名目で手を入れたため、美術館が収集した当時と様相を違えてしまった作品をいくつか知っている。あるいはデ・クーニングの有名な《女Ⅰ》も個展で発表され、ニューヨーク近代美術館が購入を決めた後も収蔵されるまでに作家が手を入れたというエピソードが残っていたと記憶する。
 山田の画業は典型的なモダニストのそれだ。展覧会の挨拶においては「絵画との契約」と表現された圧倒的な専心の結果、油彩と紙作品をあわせて5,000点にのぼる作品が残された。山田の作品がいくつものシリーズに分類されることは明らかであるが、山田はシリーズを名付けることすらせず、Workという総称の後に、50年代であればB、60年代であればCといった機械的な分類番号を割り振っている。初期の静物画から抽象に移行した後は、同心矩形やストライプといった一目で識別可能ないくつかのパターンをそれこそ数限りなく試行し、しかも新しいパターンへの移行は劇的である。海外の作家を視野に入れたとしても、先に述べたモダニズム絵画の条件をこれほど過不足なく満たした作家を思いつくことは困難であろう。このような作家に対して作家の成長とか作品の成熟といったクロノロジカルなモデルを適応することに果たして積極的な意味が見出せるだろうか。例えばルイスが制作した無数のヴェイル絵画に時間的な展開を求めることは困難であり、作品はいずれも非時間的な類型のヴァリエーションとして成立している。山田正亮の絵画もまた時間的な契機を欠いているのではないか。後で述べる通り、Workがアラベスク、同心矩形、ストライプの順に制作されたことは間違いない。しかし個々のシリーズ内のクロノロジーはたとえ作品番号がそれを暗示しているとしても確証がないし、そもそもそれを問うことに意味がない。制作された年代の不確定性が山田の絵画の本質と関わるというのはこのような意味においてである。
b0138838_20425376.jpgモダニズム絵画の範例として、山田の作品はこれまで形式的な観点から論じられることが多かった。さいわいにも今回の展覧会を契機として企画者の中林和雄、あるいは松浦寿夫、早見堯といった批評家たちが力のこもった作品論を発表しており、その一部は今回の展覧会カタログ、そして『ART TRACE PRESS』の02号、今回の展覧会に合わせるかのように発行された04号に掲載されている。また私は未読であるが、この研究会の報告書とも呼ぶべき書籍としてこのたび水声社から刊行された『絵画との契約-山田正亮再考』もミュージアムショップで目にした。今回、あらためてこれらの論文や鼎談のいくつかを読んで感じるのは、山田の絵画とフォーマリスティックな分析の親和性である。実際、『ART TRACE PRESS』の04号に掲載された対談においては、府中市美術館での展示の際になされた松浦と林道郎の公開対談に際して、当時、府中市美術館の館長であり、山田についても興味深い論文を執筆している本江邦夫が、話題が形式に集中し過ぎている点を叱責したといったエピソードも披露されている。実際、私は今回、今述べたいくつかの論文を集中的に読んで、山田の絵画についてのフォーマリスティックな分析はこれらにほぼ尽きているという印象さえもった。これに対して、本江、そして本江の論文を評価する峯村敏明はやや異なった観点から山田に論及している。知られているとおり、山田は1978年の康画廊での連続個展まで日本の美術界からほとんど黙殺され、学歴詐称問題が浮かび上がった頃からは一種の禁忌のごとく扱われていたから、この機会にこれらの目利きたちによる多くの批評を得たことは作家にとって幸いであった。しかしむしろこのような機会は作家の生前にこそ準備されるべきではなかったかと感じる。
 これほど多くの山田の絵画が公開されたことは初めてであり、私も大きな感銘を覚えた。今触れた文章の中で多くの論者も指摘しているとおり、山田の絵画は大きく三つの時期に分けることができるように思われる。まずStill Life と名づけられて番号が振り当てられた初期の静物画を中心とした具象的な作例。これらもあらためて通覧するならば実に興味深く、今後多くの研究を生むであろう。続いてWork という総称が与えられ、山田の作品の大半を占める膨大な作品群。これらの一連の作品は50年代後半にアラベスクとかジグソーパズルと呼ばれる Work B と呼ばれる作品群に始まる。これらのオールオーバー絵画も実に豊饒だ。山田の色彩感覚はすでにこの時点で完成していることが理解されるし、アンフォルメル旋風が吹き荒れていた当時の日本の美術界の中でかかる作品をこつこつと制作していた点は驚くべきことと感じられる。同心矩形をモティーフに扱った一連の作品に続いて、1960年頃より Work C と呼ばれる代表作、ストライプ絵画の制作が始まる。ヴァリエーションを伴いつつ会場に並べられた無数のストライプは圧巻である。続いて山田は一連のグリッド絵画、そして均等に機械的なストライプが反復される絵画を制作する。Work C と Work D に分類されるこれらの絵画も山田の代表作であり、この時期の最後、先に述べた康画廊における発表で山田は広く注目を浴びることになった。この後、80年代の Work E のあたりから作風はやや変化する。筆触が強調され、それまで描かれることのなかった斜交する線が描かれることとなるのだ。おそらく康画廊の個展である程度体系的に作品を通覧したこと、そしてもしかするとニューペインティングの抬頭も影響を与えていたかもしれない。ただし Work E そして90年代に始まる Work F は時に大きなサイズの作品が制作されることはあっても、これまでの作品と比べてやや甘く感じられることを何人かの論者が指摘しており、今回作品を実見して私も同じ印象をもった。そして三番目の時期を画すのは1997年に始まる Color と呼ばれる作品群だ。いくつもの色彩が塗り込められたそれぞれに異なるほぼモノクロームの色面から成る最晩年の作品は、作家がタイトルを違えたことが示唆するとおり、Workとは別の構造によって成り立っている。ただし今回の展示では冒頭に Color の連作が置かれているから、山田の作品を何の予備知識もなくまとめて見る者にとっては画業の展開を理解することは容易でないかもしれない。あらためてこれらを通覧して私は先に述べた二番目の疑惑が全く根拠のないものであることを確信した。山田の絵画の展開は決してわかりやすいものではない。しかしそこにはぶれることのない歩みがある。これほど真摯に絵画に向かい合った画家が意図的に作品を改作したり、過去作を模した作品を制作することはありえないだろう。むしろ私が関心をもったのは、Color における作品の突然の転調である。作家はこの理由を明確に語っている。すなわち1995年の時点で Work シリーズは「その円環を形成した」として、作家自らによって完了を宣言され、続くColor シリーズが始められたのである。峯村は山田のこのような物言いに「うそ臭さ」を感じたと述懐しているが、それは直線的に展開し、「円環を閉じる」ことがないモダニズム美術との間の違和感ではないだろうか。山田の場合、何がかかる円環を保証したか。展覧会を見て私はこの点を理解することができた。それは1948年から1972年までの年記をもつ自筆の制作ノート56冊である。その詳細についてもカタログ中で説明されているが、なんとも中途半端な年代の幅、その存在が知られたのが今世紀に入ってからであること、ノートでありながら配列や構成については可変的な可能性が残されていることなど、なお多くのテクスト・クリティークの必要が残されている。展覧会場にはこれらのノートも陳列され、カタログにもその一部が収録されている。絵画のスケッチとそれについてのコメント、日記的時事的な記録が混在するこのノートが制作に関する一種の覚え書であることは明らかだ。確かにこのノートには個々の作品についてのかなり具体的な説明や図示があるから、両者の密接な関係は明らかである。おそらく今後も両者の関係の究明は関係者によって続けられようし、文献や書誌を好む「美術史家」にとってかかるノートが恰好の研究材料であることもまた明らかである。しかし同時にこのようなノートの存在はモダニズム絵画の本質に反する。なぜならモダニズム絵画とは直接性によって特徴づけられており、図表や写真、なかんずく言語の介在を許容しないからである。この展覧会は典型的なモダニズムの画家の中心的な画業の展開を、間接的、言語的な二次資料によって保証するという倒錯を示しているとはいえないだろうか。
 かかる保証が成立しえない Color を、山田が初期作品同様に自らの画業から意図的に切断したことはおおいにありうる。さらにいえば、モダニズム絵画という圏域の外にあってもColorは画業の上に屹立しているという自負もありえたかもしれない。私はひとまずこれらの絵画についての判断を保留する。今回、あまりにも多くの作品を一度に見たため、山田の絵画を見る体験がいわば飽和状態に達して、個別の作品についての判断を下しかねるためだ。このような経験は私にとってもまれであるが、きわめて幸福な体験であったことを言い添えておく必要があるだろう。Color が図表的、言語的な補助を必要としない作品であったことは書き留めておく意味がある。そもそも色彩とは図示できず、言語による説明が困難な絵画の要素である。山田が「絵画との契約」の果てにかかる絵画へと逢着したことは私にはなにかしら暗示的な出来事であったように感じられるのだ。
 本ブログにおける展覧会のレヴューとしてはきわめて異例なことに、具体的な作品について論じる以前にほぼ紙数が尽きてしまった。最初に述べたとおり、かかる迂回を経たうえでなければ作品へと向かえないことは作家にとって不幸であるかもしれないが、私は山田の作品は総体として一つの体系をかたちづくっており、作品と同様にかかる体系、あるいは体系の外部について語ることを不可避的に要求すると考える。先に言及した関連文献において何人かの論者が指摘するとおり、かかるシステムは直ちに言語のそれを連想させる。したがって私は記号論を援用することによって、このような体系そして個々の作品についてさらに深い分析を加えることができるのではないかと考える。実際に今回のカタログに収められたテクストにおいては沢山遼がロマン・ヤコブソンを援用しながら、山田の作品を分析している。私はもう一度会場に足を運び、子細に山田のノートを確認しつつ、作品とあらためて向き合う必要を感じる。さいわい東京での会期は長く、終了後、京都国立近代美術館への巡回も予定されている。私は今後何度かこの展覧会に足を運ぶつもりだ。そしておそらくはもう一度、作品のレヴェルにおいて山田の画業について論じることとなるだろう。
Commented at 2017-02-13 04:37 x
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by gravity97 | 2016-12-23 20:44 | 展覧会 | Comments(1)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック