Living Well Is the Best Revenge

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優雅な生活が最高の復讐である

中島らも『中島らも 短編小説コレクション 美しい手』

b0138838_22474677.jpg中島らもが急逝というか不慮の死を遂げてから、もう10年以上の歳月が経った。しばらく前であるが、ちくま文庫からエッセイ・コレクションに続いて短編小説コレクションが刊行された。編者は小堀純。かつて「ぷがじゃ」の編集長を務め、演劇批評でも知られている。今、「ぷがじゃ」という固有名を挙げたが、この雑誌は1980年代を関西で過ごした者にとっては懐かしく感じられるだろう。私が中島の名を初めて知ったのは正式名称を「プレイガイドジャーナル」というこの雑誌に連載されていたカネテツデリカフーズの「微笑家族」という奇怪な広告記事の制作者としてであったはずだ。ただし今確認したところ、「ぷがじゃ」は実質的に1987年に廃刊されているから、私がこの広告を初めて見たのが、この後、最初朝日放送が発行していた「Q」という情報誌を乗っ取るようなかたちで進出した東京資本の関西版「ぴあ」のいずれであったかは判然としない。ここに「Lマガジン」、通称エルマガを加えて、四半世紀前の関西における情報誌の乱立というか戦国時代もそれなりに興味深い問題ではあるが、それはこのレヴューの主題ではない。
b0138838_2249980.jpg  私はこれまでにずいぶん多くの中島の小説、エッセー、自伝的エッセーを読んできた。私が感じた共感は80年代から90年代の関西という自分の生活圏が中島とシンクロナイズしていたからであろうし、ことに阪神大震災以前の阪神間というトポスは私にとって懐かしいものであるからだ。私は中島がエッセーの中で言及する店や場所の多くに心当たりがあり、実際に訪れたこともある。中島の生活史を知るうえでは朝日新聞のサービス誌に連載された「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」を読むのがよかろう。尼崎の歯科医の息子として生まれた中島は灘校(灘中と灘高を総称してこう呼ぶらしい)に進む。しかしそこで完全にドロップアウトした中島は神戸で「フーテン」生活を送り、シュルレアリスムやロック、ドラッグに馴染んでいく。この後、中島は有名大学に進む友人たちを横目に大阪芸術大学に進学するが、富田林の地の果てに所在する大学にはほとんど通うことなく異能のコピーライターとして頭角を現す。中島自身も記す通り、中学高校における異様なテンションの高さと大学における暗転の対比は印象的である。しかし中島によるとさらにこの後、「超絶的に明るい、おじさん時代」が横たわっているとのことであり、私が知っているコピーライター、劇団の主宰者、放送作家や作家といういくつもの顔をもつ中島はこれ以後のことであろう。
 前置きが長くなった。本書には未発表の二編を含めて、1989年から2004年の間に執筆された15編の短編が収録されている。私は中島の短編をずいぶん読んだつもりであったが、それでも読んだことがある短編はごくわずかであった。もっともどの小説もテイストとしてはよく見知ったものであり、ホラーやロック、小噺、プロレスといったおなじみのテーマが満載されている。この中で未発表の二編、特に表題とされた「美しい手」は中島としてはかなり異質の、抒情性の高い佳作である。編者の解説によればこれらの小説の原稿は死後に発見され、おそらくは中島が広告代理店に勤務していた1983年から86年の間に執筆されたまま放置されていたであろうとのことだ。つまり中島としても最も初期の作品である。「美しい全ての手は哀しい。/封も切られず捨てられた手紙のように哀しい。夜明け前のガソリン・スタンドのように哀しい。ささくれたヴィオラの弓の馬の毛のように哀しい」という詩的な文章に始まり、断章風の文章が連ねられている。小噺風の断章もあれば、回想風の断章もあるが、最後に落ちをつけてまとめるあたり、才人たる中島の片鱗が早くもうかがえる。先に異質と記したが、確かに作家として正式にデビューする以前に執筆されたと思しき冒頭の二編は本書に収められたほかの短編とはテイストがやや異なる。しかしこのような抒情性は決してほかの小説に認められない訳ではない。例えば「今夜、すべてのバーで」という長編はアルコール依存症として入院した中島の自伝的な小説であり、例によって飲酒をめぐるドタバタの繰り返しであるが、読後になんともいえない寂寥感が残ったことを覚えている。おそらくそれは中島の破滅願望と関わっているだろう。周知のとおり、中島はしばしば著書の中で自らの自殺念慮について記しているし、2003年には大麻取締法で逮捕されている。突然の死も飲酒した後の階段からの転落が原因であった。躁鬱病、ドラッグ、アルコール依存は長編短編を問わず中島の小説の主題系を形成しており、エッセーもそれに関連した内容が多い。そしておそらくその裏返しであろうが、中島は人として常に一種の含羞を漂わせていたように感じる。私は中島とは面識がないが、彼の死後、多くの関係者が故人を偲ぶ文章を発表している。それらを参照する限りにおいても彼が過激な書きぶりとは対照的なナイーヴな性格であったことは間違いないだろう。この意味で「美しい手」と「“青”を売るお店」という繊細な味わいの二編を冒頭に置いた構成は作家本人をよく知る小堀ならではの配慮であり、「私は『美しい手』が出版されれば、もう編集者を辞めてもいいと思った。この作品が陽の目を見るまでは死ねないと思った」という述懐もあながち編者としての気負いばかりではなかろう。中島は早世したが、よい編集者に恵まれたと思う。
 ほかの作品にも触れておこう。いずれも甲乙つけがたい怪作揃いである。「日の出通り商店街 生き生きデー」は商店街の日常に年に一度、誰を殺してもよい日がめぐってくるという設定のドタバタ劇。筒井康隆の「銀齢の果て」なども連想されようが、中島らしく格闘技に関する蘊蓄が随所で語られる。格闘技といえば「お父さんのバックドロップ」も実在のプロレスラーを念頭に置いた一種のファンタジーである。「ねたのよい」と「寝ずの番」はそれぞれロックバンドのギタリストと噺家のプロフェッショナリズムと関わる短編。いずれも中島の実体験と関係しているのではないだろうか。前者は伝説のロッカー、山口富士夫へのオマージュと呼ぶべき作品であり(このレヴューを記すために確認したところ、山口も喧嘩の仲裁に入って突き飛ばされ、脳挫傷で2013年に没している。因縁というべきであろうか)、後者は噺家の師匠の死後に集った弟子たちによる師匠をめぐる艶笑小噺であり、この類の下ネタを中島が愛好していたことも想起される。「ココナッツ・クラッシュ」と「琴中怪音」はいずれもどこともしれない国における一種の奇譚であり、中島敦を連想させるなどと書けば褒めすぎであろうか。「邪眼」と「EIGHT ARMS TO HOLD YOU」はいずれもグロテスクな味わいの短編である。私はこれらが収められた「人体模型の夜」こそ、中島の短編集中のベストではないかと思う。この短編集に収められた短編は海外で言えばロアルド・ダールあたりを彷彿とさせる奇妙な後味を残す。小松左京や筒井康隆、かつては日本でもSFの分野を中心にこのような書き手、このような短編が多く発表されていたが、近年ではあまり読んだ記憶がない。「クロウリング・キング・スネイク」と「DECO-CHIN」も中島らしい短編だ。前者は蛇へと変身していく姉の姿をコミカルに描き、後者はロッカーによる自らの身体毀損、身体改造を主題としている。特に後者は相当にグロテスクで反倫理的な内容である。本書の巻末、「本書のなかには今日の人権意識に照らして不適切な語句や表現がありますが、時代的背景と作品の価値にかんがみ、また著者が故人であるためそのままとしました」という但し書きは明らかにこの短編を指している。しかし明治大正の小説ならばともかく、10年ほど前に書かれた小説に対して「今日の人権意識」もあるまい。逆にこの点は中島の確信犯的な悪趣味を反映している。そして転落事故の三日前に脱稿され、ゲラが出た時に著者は集中治療室にいたというこの短編をあえて選んだところに編者の思いが反映されているように感じた。
 本書に先だって刊行され、同様に「今日の人権意識」云々といったエクスキューズが付された「中島らも エッセイ・コレクション」とともに、本書は特に初めて中島に接する読者に対してはよい導入となるだろう。しかしこれはまだ序の口にすぎない。それぞれの短編をさらに過激にしたような長編がいくつも存在するし、そもそも小説、エッセーというカテゴリーからは抜け落ちる多くのテクスト、コントや悩み相談への回答、広告、漫画や対談の中にこそ、この作家の本質を垣間見ることができるのではないだろうか。テクストの無秩序な広がりこそが中島らもという鬼才の輪郭をかたちづくっており、それゆえ事故による早世が惜しまれるのだ。しかしあえて問うならば、かかる夭折を本人が無意識に欲していたということはありえないか。私は先に「阪神大震災以前の阪神間というトポス」について論じた。1980年代にあって阪神間モダニズムの揺籃の地、尼崎から神戸にいたる地域は気候においても風土においても一種のパラダイスであった。しかし1995年の阪神大震災によって、この地域は壊滅的な打撃を受けた。幼い頃より親しみ、とりわけ青年期を過ごした美しい街が文字通り灰燼に帰したことを中島はどのように受け止めただろうか。私の知る限り中島に阪神大震災に言及した文章やエッセーはないように思う。しかし逆にこの不自然な沈黙こそが、中島の思いを暗示しているのではないだろうか。最初に述べたとおり、本書に収められた小説はほとんど全てが震災以後に執筆されている。これに対して叙情性に富んだ二つの短編、あるいは「今夜、すべてのバーで」といった小説が震災以前に執筆されていたことは何かしらの意味があるのであろうか。中島の自己破壊衝動、生に対するペシミズムというよりニヒリズムについてはいくつかの理由を想定することができる。それは生来のものであったかもしれず、薬物やアルコール依存の副産物であったかもしれない。しかし私は震災のトラウマもまたそこに大きく働いているように感じるのだ。思うに中島が世に出た1980年代とはおそらくこの国にとっても最も幸せな時代であった。それから二つの震災を経験し、私たちは経済的な余裕、そして精神的な余裕を失っている。今日、私たちを蝕む自己破壊衝動とニヒリズムに対して、中島はいわば「炭鉱のカナリア」として自らの生を代償として警告したのではなかっただろうか。
by gravity97 | 2016-10-12 23:02 | エンターテインメント | Comments(0)

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