井上光晴『明日』

b0138838_2063242.jpg 数年前より、私は8月がめぐり来るたびに第二次世界大戦と関わる小説を読むようにしている。奇しくも戦後70周年を迎える今年、私が選んだのは1982年に発表された井上光晴の「明日」である。確か黒木和雄によって映画化されたのではなかっただろうか。この中編を私は初めて雑誌に発表された折に読んだ記憶がある。現在は集英社文庫に入っているが、私の記憶が正しければ「すばる」ではなく「使者」という文芸誌に掲載されていたと思う。初読して大きな感銘を受けたが、単行本としては所持しておらず、文庫も1986年に初版が出た後、しばらく絶版であった。先日買い求めた文庫は2012年の第7刷と奥付にある。久しぶりに再読してあらためてこの小説が文学史に残る名作であることを確認する。
 私はこの作品を70回目の長崎原爆忌の日に再読した。サブタイトルとして「1945年8月8日・長崎」とあるから前日に読むべきであったかもしれない。もっとも私は発表当時からこのサブタイトルに異和感があった。かかるサブタイトルとともに「明日」が特定される時、「明日」の意味はあまりにも限定されるからだ。後で論じるとおり、発表時ならばともかく、今日、ここでいう「明日」の意味はもはやフィクションの域を超えている。しかし逆に井上がこの小説を執筆した時点においてはこの小説がかくも切迫感をもつとは感じられなかったかもしれない。一億総中流と呼ばれ、放射能汚染や戦争参加などありえないと誰もが信じていた時代、戦後の日本において最良の時代、パクス・ジャポニカに発表された作品であるからだ。
 タイトルとサブタイトルを読むならば、この小説の内容はほぼ把握されるといってよい。ここに描かれているのは第二次大戦末期、1945年8月8日の長崎の情景であり、「明日」とは長崎に原爆が投下された8月9日のことだ。つまりカタストロフを「明日」に控えた大戦末期の長崎の一日が語られる。詳しくは述べられていないが、作者は本書の執筆にあたってかなりの調査を行った模様だ。あとがきで井上は次のように記している。「一章から零章に至るまで、ストーリイのための虚飾は用いなかった。1945年8月8日、長崎における結婚式は実際に行われており、『無学党』の市役所課長や主任等四人が、物価統制令違反、収賄容疑で逮捕され、浦上刑務支所に収監されていたことも、作り話ではない」ここに記された「長崎における結婚式」がこの物語の焦点だ。この日、三菱製鋼所の行員中川庄治と長崎医大の大学病院に勤める看護婦ヤエの祝言と披露宴が催され、媒酌人を含めて13人が列席する。いうまでもなく戦況は悪化しており、物資が不足する中で精一杯整えられた酒肴には華やかさではなく、弁明がつきまとう。続く章では列席者が次々に焦点化されて、必ずしも8月8日という一日に収斂することのないそれぞれのエピソードが明かされる。例えばヤエの同僚、福永亜矢は三菱長崎造船所の工員、高谷藤雄の子供を身籠っていたが、長崎から呉に派遣された高谷からは何の連絡もなく、懊悩を重ねていた。新婦の叔母、堂崎ハルの夫、彰男は市役所内での権力闘争の結果、冤罪によって収監され、公判を控えている。新郎の義父、銅内弥助は教会を通じて知り合った山口由信のもとに食糧の無心のために出かけるが、精神を冒されて療養所に入院した山口の娘に対しては直ちに家族が引き取ることが命じられていた。路面電車の運転手を務める水本広は彼が目をかけていた石井市松という後輩が逐電したという知らせを受ける。石井は戦死した海軍士官の未亡人と関係を持ち、それを理由に特高から尋問を受けていた。そしてヤエと庄治はぎこちない初夜を迎える。
 井上の作品になじんだ者であれば、読み慣れた長崎の方言を駆使していくつもの物語が重ねられる。それは市井の人物の日常の記録だ。もちろん戦争の末期という時代背景が彼らの上に重い影を落としているが、彼らの生活と私たちの生活に本質的な差異はない。一つの宴席に招かれた人々をとおしてオムニバス形式で時代を点綴する井上の叙述はみごとだ。以前、このブログで集英社版の「戦争×文学」中の一巻、『ヒロシマ、ナガサキ』について論じたことがあるが、例えば原民喜や林京子の作品が原爆投下直後の広島の惨状を描いて衝撃的であるのに対して、「明日」はいわばクライマックスを欠いている。先日、四方田犬彦の『テロルと映画』について論じた際に、テロリスムが映像を媒介としたスペクタクルの形式をとることについて触れた。原爆投下がテロリスムの極限であることは明らかだが、四方田はテロリスムの表象においてスペクタクルを用いなかった稀有の例としてハニ・アブ・アサドの「パラダイス・ナウ」を挙げる。このフィルムにおいてテルアヴィヴに自爆攻撃に向かった二人の青年の帰趨を描くことなく、画面はホワイトアウトする。今回再読して、私は原子爆弾の炸裂を描かずしてその非人間性を描いた小説、スペクタクルによらずテロリスムの表象に成功した例として、この小説も類例のない試みであることが理解できた。先日、私は広島市現代美術館を訪れ、被爆70周年を記念する三部作の展覧会の第一部、「ライフ=ワーク」を見た。この展覧会、さらに同時に開催されていた「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というコレクション展もきわめて充実しており、機会があればレヴューしたいと考えるが、やはりこれらの展示に加えられた作品からも(被爆をスペクタクルととらえることの問題性を理解したうえであえて言うが)、私は原子爆弾による被害をスペクタクルとして表象する方向と、スペクタクルの廃絶として表象する二つの方向が存在することを理解した。むろんいずれかが優れているという意味ではない。私は被爆という惨劇が表象されるにあたってスペクタクルの強化と無化という正反対のヴェクトルが作用していることに関心を抱いたのだ。おそらくこの問題には映画、美術、文学といったメディウムの差異も大きく関与しているだろう。果たして原爆投下は映像を通して表象できるのだろうか。なぜなら爆心地にカメラを置いたとするならば、カメラは原子爆弾が炸裂した瞬間に消滅してしまうからだ。この事実から私が思い浮かべるのは、ジャン・フランソワ・リオタールがホロコーストを評した際に用いた「あまりにも激烈であったため、すべての測定機械を破壊してしまった地震」という比喩だ。この問題は原子爆弾投下と絶滅収容所という二つの表象の臨界を比較する際にも有効な視点を提起するのではないだろうか。いずれも基本的に証人の絶滅をその本質とする蛮行であるからだ。このブログの読者であれば、私がこの問題について様々なジャンル、様々な表現を超えて繰り返し問うてきたことを理解いただけるだろう。奇しくもほぼ同時期に見た展覧会もまた表象の可能性と不可能性をめぐって様々な示唆を与えてくれたことを記しておきたい。
 「明日」に戻ろう。第1章から第9章まで、読者は様々な登場人物に焦点化しながら、そして時に断片的に挿入された当時の手記をとおして(この記録によって、私たちは登場人物たちが8月8日の夜に見た血のように赤い月は決して作者によるフィクションではないことを確認することができる)、その前日の長崎の日常をめぐる。しかし第0章として最後に付された章はやや叙述の手法が異なる。「朝のおだやかな光のみなぎる部屋で、母は縫い上げたばかりの産着を畳む」という一文で始まるこの章は、先に触れた水本広の妻が「ツルちゃんの赤ん坊、生まれたかもしれんね。もう」とただ一度言及した臨月の妊婦、ツル子の内的独白によって語られる。井上であるからプルーストではなくフォークナーに範を仰ぐであろうツル子の語りは冒頭で語られる情景が示す8月8日の早朝に始まり、回想と現実の会話、過去と現在を往還しながら、彼女が産気づき、無事男の子を出産する8月9日の早朝、4時17分までおよそ一日の意識の流れを追う。戦時中のぎすぎすとした人間関係がややもすれば前景化されるほかの章と違い、わが子の誕生を見つめるこの章の語りは柔らかく美しい。この章、そしてこの小説は次のような一文とともに終えられる。「8月9日、4時17分。私の子供がここにいる。ここに、私の横に、形あるものとしているということが信じられない。髪の毛、二つの耳、小さな目鼻とよく動く口を持ったこの子。私の子供は今日から生きる。産着の袖口から覗く握り拳がそう告げている。/ ゆるやかな大気の動き。夜は終り、新しい夏の一日がいま幕を上げようとして、雀たちの囀りを促す」ツル子の疎開した地区に対して「原爆の爆風と熱線は、谷間を通路として、この地をまともに襲った」とのことであるから、新しい生命と産褥の床にある母を苛酷な運命が待ち受けていたことは想像に難くない。井上も本書の刊行後、多くの読者から手紙で問われた母子の安否について、「作者に答えられる言葉はない。(中略)私はただかすかな奇跡を祈るのみだ」とい答えている。通常であれば希望に満ちたコノテーションをもつ「明日」という言葉はこの小説においてはあまりにも重い。
 私たちはこの物語がもはや寓話ですらないことを知っている。井上光晴は1992年に没しているが、彼の没後に発生した二つの震災、95年の阪神大震災と2011年の東日本大震災をとおして、私たちは地震という自然災害によって一つの都市、一つの地域が一瞬にして壊滅する姿を目撃した。さらに福島の原子力災害によって私たちは一夜を境に故郷から人々が永遠に追われるというチェルノブイリ以外ほとんど類例のない惨事、しかも人為的な惨事がこの国では文字通り「明日」にでも起こりうることを思い知った。作家自身によるあとがきには、先に引用した母子の安否についてのコメントに続いて次の一文がある。「九州西域の原子力発電所を主題にした小説を書き進めている途中、チェルノブイリ原発の事件が伝えられて、私のペンは全く動かなくなった」ここで触れられている「九州西域の原子力発電所を主題にした小説」が先にこのブログでも論じた「西海原子力発電所」であることはいうまでもない。「地の群れ」における被爆者差別の問題とともに始まった井上の作品群が「明日」そして「西海原子力発電所」にいたるまで、被爆と原子力発電所、端的に核問題と関わっていたことは明らかだ。(さらに一連の炭鉱を主題とした作品を加えるならば、そこにエネルギーという井上の小説に一貫する主題性が認められることはすでに論じた)現在、戦後最悪の政権のもとで戦争の準備が着々と進められていることは周知のとおりだ。しかしさすがに今後、熱核兵器が戦争というかたちで使用されることはありえないだろうと思う。この一方で今日、鹿児島の川内原子力発電所が再稼働した。新しい規制基準の下で初めての再稼働であるから、今後同様の手続きを経てほかの原子力発電所が再稼働する可能性は高い。ほぼ二年にわたり、原子力発電が一基も稼働せずとも私たちが暑い夏を乗り切ったという事実にもかかわらず、かかる愚行がなされた訳だ。私は今後、原子爆弾ではなく、原子力発電所の事故、もしくはテロによって日本の広い地域が居住不可能となる可能性は高いと考える。その際、人はまさに今日こそがその前夜であったことを知るだろう。井上は核問題とテロに関連させて、本書のあとがきを次のように結ぶ。「うたがいもなく、“今”この現在、人間の立っている場所がそこには明示されている」およそ30年前に記された文章であるが、予言的といってよいリアリティーを秘めた一文だ。今、私たちが立っているのが、まさに「明日」の前夜であることを、二つの原爆忌と敗戦記念日にはさまれた2015年8月11日という日付とともにここに書き留めておきたい。
by gravity97 | 2015-08-11 20:14 | 日本文学 | Comments(0)