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Living Well Is the Best Revenge

スティーヴン・キング『ドクター・スリープ』

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スティーヴン・キングが2013年に発表した「ドクター・スリープ」の翻訳が刊行された。なんと1977年に発表された「シャイニング」の続編とのこと。読む前から期待が高まる。「シャイニング」を私はパシフィカ版で翻訳された直後に読んだ。いわゆる幽霊屋敷を主題とした傑作であり、この前後に次々に翻訳された「呪われた町」「キャリー」ともども、初期作品を立て続けに読んでたちまち私はキングという未知の作家に魅了された。パシフィカ版は今手元にないため、私はまず同じ訳者による文春文庫版の「シャイニング」を再読してから「ドクター・スリープ」に向かうことにした。本書のレヴューにやや時間がかかったのはこのためである。しかしこの迂回、あるいは準備は必要であった。30年以上の時を隔てて発表された「シャイニング」と「ドクター・スリープ」を通読することによって二つの小説の世界ははるかに広がるように感じられるからだ。
 このところ私はキングの長編が翻訳されるたびにこのブログでレヴューしてきた。私はこれまで「暗黒の塔」シリーズ以外、ほとんどのキングの長編を読んできたが、実はキングの長編にはかなり出来不出来のばらつきがある。これまで私は「悪霊の島」「アンダー・ザ・ドーム」「11/22/63」についてレヴューしたが、今となってみれば「悪霊の島」はさほどの名作ともいえない。しかし09年の「アンダー・ザ・ドーム」、11年の「11/22/63」そして13年の「ドクター・スリープ」とほぼ2年ごとに発表された作品の完成度の高さには目を見張る。この作家は60歳を超えて新たな黄金期に入ったかのようだ。「シャイニング」は「呪われた町」、「ペット・セマタリー」と並んで初期のキングを代表する屈指の名作であったが、キングとしても初めて先行する作品の続編として構想した本書は「シャイニング」に完全に拮抗している。今回は「シャイニング」にも論及しながら、内容にもかなり立ち入って論じる。
スティーヴン・キング『ドクター・スリープ』_b0138838_226219.jpg「シャイニング」は後にスタンリー・キューブリックによって映画化され、これも歴史的なフィルムであるから先にキューブリックの映画をとおしてこの小説を知った者も多いだろう。しかし両者はいくつかの重要な点、とりわけ結末部において決定的な相違がある。言うまでもなく「ドクター・スリープ」は小説「シャイニング」の続編であるから、両者を混同するとわかりにくくなる。この意味でも事前に「シャイニング」を再読することをお勧めする。「シャイニング」のストーリーを手短にまとめるならば次のとおりだ。作家を志望するジャック・トランスは冬の間閉ざされるコロラドの由緒あるホテル、オーバールックホテルに管理人として赴任する。雪に閉ざされて外界から途絶するオフシーズン、この大きなホテルを保守することがジャックの仕事であった。しかしこのホテルには呪われた歴史があり、悪霊に憑依されていた。一方、ジャックの5歳の息子、ダニーは「かがやき(シャイニング)」と呼ばれる一種の超能力をもち、言葉を介さずに意思を疎通したり、他者の思考や未来を読むことができた。ダニーは空想の中で交信する想像上の友達、トニーから、ホテルは忌まわしい場所であるから行くべきではないという警告を受けるが、母ウェンディとともに父に同行する。穏やかな日々とともに平穏に始まった一家三人の暮らしはいくつかの不気味な予兆とともに暗転し、ホテルが雪に閉ざされる頃からジャックは精神に変調を来す。ジャックはホテル内に出没する幽霊のような者たちから、長年断っていた(実際には存在しない)酒を勧められ、妻と息子を殺すように唆される。雪によって隔絶された世界に次第に狂気が渦巻いていく描写はキングの独擅場といえようし、キューブリックの映画も原作をかなり改変しながらも鬼気迫るものであった。未読の読者もいることと思うから、物語の結末はここでは述べないが、「ドクター・スリープ」はオーバールックホテルの惨劇を生き延びたダニーの36年後の物語である。
 序章とも呼ぶべき「その日まで」という冒頭の章においては、いわば本編への緩衝として「シャイニング」の3年後、8歳のダニー、ダン・トランスの物語が語られる。(ちなみに「シャイニング」においても最初の章は「その日まで」と題されて、オーバールックホテル到着までのトランス一家の物語が語られているから両者は韻を踏んでいるともいえようし、いずれの小説にも「生死の問題」と題された章が存在する)ここではダンはなおも惨事のトラウマを引きずり、同時に「かがやき」と呼ばれる能力が健在であることも暗示されている。ダンほどではないが「かがやき」の持ち主で「シャイニング」においてダニーを救った黒人のコック、ディック・ハローランも登場する。ここでハローランがダニーに授けた「忌まわしい存在」への対処法は物語の終盤で大きな意味をもつこととなる。続いて既に成人となったダンが登場する。しかしあろうことか、ダンもまた亡き父、ジャックを破滅へと追い込んだアルコール依存へ落ち込みかけている。おそらくここにはかつて薬物に依存していたというキングの実体験が反映されていよう。アルコール依存との相剋は「シャイニング」「ドクター・スリープ」を通底する裏のテーマなのである。この章の最後でダンは一つの恥ずべき行いを犯し、以後の彼を苦しめるトラウマとなるが、これは「シャイニング」においてジャックが怒りにまかせて幼いダニーの腕を折った事件が何度となくフラッシュバックするエピソードを反復している。このほかにも「シャイニング」と「ドクター・スリープ」の対照はいたるところに認められる。
 ダンはアメリカ各地のホスピスで看護師として渡り歩いている。禁酒と飲酒を繰り返す生活が定職と定着を許さないのだ。ニューハンプシャー州のフレイジャーという町に流れてきたダンは、トニーの「ここがその場所だよ」という声を聞く。ダンは再び自分の中の「かがやき」が増したことを知り、ここから物語が起動する。同じ頃、フレイジャーの近郊の町で一人の女の子が生まれる。出生時に羊膜をかぶって生まれたというエピソードはいうまでもなく「シャイニング」におけるダニー誕生のエピソードの再話であり、この少女、アブラもまた強い「かがやき」をもっていることを暗示している。アブラは幼少時からサイコキネシスや予知といった超能力を使い始めるが、娘の力を彼女の両親、デイヴィッドとルーシーが初めて思い知ったのは2001年9月11日のことであった。この日、同時多発テロの発生を感知したかのごとく同じ時刻、幼いアブラは原因不明のパニックをきたして大声で泣き続けるのみならず、両親にそれぞれテロの現場を幻視さえさせたのであった。そしてアブラと同様に同時多発テロを予知し、ワールドトレードセンターの対岸に陣取ってその一部始終を見守る一団がいた。ローズ・ザ・ハットという女性のリーダーに率いられた「真結族 true knot」たちである。彼らは人間から「命気(スチーム)」と呼ばれる生気を吸い取りながら生き続ける長命の邪悪な種族であり、多くの人間が苦しみ死んでいく場に臨場しては命気を補給していたのである。同時多発テロの惨劇の場に彼らが赴いたのは、そこがありえないほどの栄養補給の場であったためだ。しかし長い年月が経つ間に彼らも少しずつ数を減らし(彼らの場合は「死ぬ」ではなく「転じる」と呼ばれる)、リーダーのローズにとって自分たちの勢力をいかに保持するかが喫緊の問題であった。彼らにとって「かがやき」をもった者の命気はことに貴重であり、彼らはそのような存在、多くは年少者を誘拐し、残忍な方法で殺害し、犠牲者たちから命気を吸い取ることによって生きながらえようとしていた。ダン、アブラ、そして真結族という三つの物語が出揃ったあたりで、物語は加速する。ダンとアブラは出会う前から互いを感知する。ダンはアルコール依存から脱しようとする者たちの会合で無意識のうちにメモ帳にアブラの名前を書き留め、アブラはダンの勤め先の黒板にメッセージを浮かび上がらせる。しかし彼らが互いに感応しあったように、「真結族」、とりわけローズも彼らの存在を感知する。ブラッドリー・トレヴァーという「かがやき」をもつ少年をローズたちが誘い出して殺したことを知って、アブラは「真結族」に強い敵意を抱く。そしてトレヴァーの命気を吸ったことは「真結族」にとって別の意味で決定的な意味をもった。第1部の最後の一文「おなじその二年のあいだ、『真結族』の血流のなかでなにかが眠っていた。それはブラッドリー・トレヴァー、別名、野球少年のちょっとした置き土産とでもいうべきものであった」はキングらしく暗示に富んだ先説法である。
 第2部以降、互いに様々の策略を弄して繰り広げられる正邪の死闘について、ここでこれ以上触れることは控える。ダンはアブラの父親のデイヴィッド、ダンとアブラをともに知る医師のジョンとともに、あるトリックを用いてローズたちに挑む。これ以後のジェットコースターのような展開はキングの近作に共通している。予想されたことではあるが、物語は終盤において「シャイニング」の舞台となった呪われた地、オーバールックホテルの廃墟へと向かう。明示はされないが、「シャイニング」においてホテルに憑依した悪霊と「真結族」は同一であるかもしれない。両者はともに「かがやき」を持つ子供、「シャイニング」であればダニー、「ドクター・スリープ」であればアブラを自らの中に取り込もうとする。あるいは「ドクター・スリープ」においてローズは直接アブラやダンの意識に語りかけるが、これは「シャイニング」においてダニーを救おうとオーバールックホテルへ向かうハローランを、悪霊が彼の意識に直接語りかけることによって恫喝したことと似ている。「真結族」については作中でバンパイアという言葉が用いられるが、確かに彼らのふるまいは血液ではなく精神力を貪るバンパイアといってよく、この点から太古よりのバンパイア伝説、キングであれば「呪われた町」に登場する邪悪な存在も連想されるかもしれない。一方で「シャイニング」において邪悪な存在は名をもたず、一種の匿名的な幽霊であるのに対して、「ドクター・スリープ」においては固有名詞と人格をもち、複数の具体的な存在として描かれる。「シャイニング」においてオーバールックホテルという場に憑依した正体不明の悪霊は「ドクター・スリープ」においては擬人化されている。物語の怖さという点で「シャイニング」の方が一枚上手に感じられるのはこのせいであろうか。「アンダー・ザ・ドーム」「22/11/63」はいずれもどちらかといえばSF的な設定の物語であり、そのためか先ほどジェットコースターと呼んだリーダビリティーに富んでいた。正統的なホラーに回帰した本作でも、「シャイニング」や「ペット・セマタリー」にみられた物語全体に霧のように立ち込める不分明な恐怖に代わり、具体的でわかりやすい擬人化された悪との闘争が描かれている。この点は本書を論じるにあたって評価が分かれる点かもしれない。
 「シャイニング」においては冬の間、雪によって隔絶されるホテルに閉じ込められた恐怖、移動できないことの恐怖が描かれる。この点も「ドクター・スリープ」とは対照的だ。「真結族」は多くのオートキャンプ場を所有し、多くの車を連ねてそれらをめぐりながら生活している。忌まわしい行為を通じて通常の人間とは比較にならない長命を得た彼らにとって、同じ場所に留まることは自分たちの異質さを周囲に気づかせる危険があるからだ。あるいは久しぶりにトニーの声を聞いてニューハンプシャーの小さな町に留まることを決意するまで、ダンもまた移動によって人生を消費してきた。移動と滞留という対立的な主題からキングの小説を分析することも可能ではなかろうか。「呪われた町」や「スタンド」、あるいは「セル」においては移動が優勢であり、「ミザリー」や「アンダー・ザ・ドーム」では滞留もしくは移動の不可能性が主題とされている。「シャイニング」と「ドクター・スリープ」を同じ物語の前編後編と考えた場合、滞留から移動へ、主題が逆転する様は興味深い。
最初に述べたとおり、「ドクター・スリープ」は36年後のダニーの物語であり、小説自体も「シャイニング」の36年後に発表されているから、物語の時間と現実の時間は同期している。そして物語自体も一つの歴史的現実と接している。いうまでもなく9・11の同時多発テロだ。警察署に保管されたビュイック、突然に立ちこめる霧、なにげない品物や現象が実はこの世界とあの世界を隔てる皮膜であり、それが破れておぞましい恐怖が私たちの現実になだれ込んでくる状況をキングはいくつもの作品の中で迫真的な筆致で描いた。思えば同時多発テロもそのような特異点、皮膜の破れではなかっただろうか。日常の背後に広がる暗黒、キングが繰り返し描いた闇はもはや超自然的なそれではなく、私たちの時代に遍在する。私は村上春樹から宮部みゆきにいたる現代日本の小説に同様の闇を認めることができるし、それはディケンズからドストエフスキーにいたる西洋文学の主流にも共通している。私がキングを読む切実さのゆえんでもある。
by gravity97 | 2015-06-30 22:08 | エンターテインメント | Comments(0)