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Living Well Is the Best Revenge

ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲』

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 私の場合、未知の作家の小説をいきなり読むことは比較的珍しい。今回取り上げるのはそのような珍しい例だ。今年の夏に岩波文庫に収録されるまで、「ラデツキー行進曲」という作品はもちろん、作者のヨーゼフ・ロートについても全く知らなかった。今年は第一次世界大戦勃発から100年という。かかるサントネールにあたって、「サラエヴォでの皇太子暗殺を一つのクライマックスとする小説」という言葉に引かれたことが一つ、ユダヤ系オーストリア人という出自をもち、ナチス・ドイツが台頭する時世に作家として活動したというロートの経歴に関心を抱いたことが一つ。読み終えてみるとトロッタ一族、三代にわたる端正な歴史小説であり、いろいろと思いをめぐらす契機となった。
 この小説に国籍を求めることは難しい。今述べたとおり、作者のロートはユダヤ系オーストリア人であるが、解説によればこの作品はベルリンの酒場でドイツ語によって書かれた。ロートはオーストリア=ハンガリー二重帝国の東端のユダヤ人の町に生まれ、帝都ウィーンで学び、ベルリンでジャーナリストとして活躍した後、ナチスに追われ、パリで没した。もしオーストリア国籍の取得が少しでも遅れていたら、彼は多くのユダヤ人とともに殺されていたかもしれない。実際にロートの最初の妻は強制収容所のガス室で殺害されている。日本人は国籍と民族、言語が一致することを自明と考えがちである。このような理解は鎖国を続けた島国という特殊な社会とトポスの結果にすぎないとはいえ、ユダヤ人としての出自をもち、オーストリアの国籍を「獲得」し、ドイツ語を用いるロートのごとき存在、「放浪のユダヤ人作家」の境遇を理解することは私たちにとって相当に難しい。オーストリア生まれの作家としてはヘルマン・ブロッホとロベルト・ムージルが思い浮かぶが、この二人は「ドイツの作家」というイメージが強く、実際このように記すにあたって、私はあらためて二人の出生地を確認する必要があった。国家が比較的強いアイデンティティーをもった西欧と比して、中欧と東欧の作家は「国民作家」というアイデンティティーを獲得しにくいように思われる。かつて私は仕事でウィーンを訪れ、郊外をドライブしたことがある。少し走ったたけで「ハンガリーまでXマイル」といった標識を見つけ、これほどの近距離に所在する国が冷戦下では別々の体制として成立していたという事実にあらためて驚いたことを覚えている。実際にこの物語はオーストリア=ハンガリー二重帝国の瓦解、ハプスブルグ朝の没落を潜在的な主題としており、巻頭に掲載された旧オーストリア=ハンガリー帝国の地図が示すチェコ、オーストリアからボスニア、ルーマニアそしてウクライナを含む広大な版図を見るならば、民族主義、国家主義の高揚が第一次世界大戦の引き金となったことはたやすく了解される。
 前口上が長くなった。小説の内容について述べることにしよう。最初に述べたとおり、この長編はトロッタ家の三代の物語である。祖父のジポーリエはソルフェリーノの戦いで皇帝を狙った銃撃を身代わりに受けて負傷し、マリア・テレージア勲章と貴族の称号を与えられ、トロッタ一族の礎をかたちづくった。しかし「ソルフェリーノの英雄」は物語の最初の章で早々に退場する。彼の息子、フォン・トロッタ=ジポーリエは父親から職業軍人となることを禁じられ、(現在はチェコに位置する)メーレンという土地の郡長を務める。フォン・トロッタは物語の中ではしばしば固有名詞ではなく、「郡長」と記述され、彼の息子、本編の主人公がカール・ヨーゼフ・フォン・トロッタがカール・ヨーゼフもしくはトロッタ少尉と記述されることと対比を示している。私はドイツ語における親称や尊称の表記については全く知識をもたないが、このあたりの書きぶり、つまり「テクスト的現実」は『ボヴァリー夫人論』の著者であれば興味を抱くかもしれない。騎兵幼年学校に入学して、軍人としての道を歩み始めたカール・ヨーゼフは祖父のごとき英雄の資質を欠いていた。帰省した折には父親の郡長を警護する警備隊員の若い妻に誘惑され、不倫関係の果てに妊娠した妻は難産で急死する。所属する部隊ではユダヤ人軍医と親密な関係を築いていたが、彼の妻を深夜に自宅までエスコートするという不注意なふるまいの結果、侮辱を受けた軍医は決闘に赴いて命を落とす。(解説によると、オーストリア文学には「若き将校と人妻の許されざる恋」という伝統があるとのことだが、本当だろうか)この事件の責任をとって、カール・ヨーゼフは帝国の辺境、ロシアとの国境地帯の狙撃部隊に転属となった。絢爛たるハプスブルグの首都ウィーン、そしてカール・ヨーゼフが勤務する辺境。この小説では両者の対比も重要な主題となっている。「君主国の北東部、オーストリアとロシアとの間の国境は、そのころ最も奇妙な地域の一つだった。(中略)というのも彼らは世界から遠く離れて、東と西のはざまに、夜と昼のはざまに挟まれて暮らしていたからであり、彼ら自身、夜が生み落とし、昼間に徘徊する一種の生きた幽霊だったからである」辺境という主題を得るならば、直ちにフォークナーから井上光晴にいたる一連の小説を連想することができようし、辺境と首都の対比はそのまま地方と東京、現在の日本を見る思いだ。
 辺境にも不吉な影が落ちる。将校たちが投宿するホテルの支配人プロートニッツァーはカジノを開設し、多くの将校たちが賭博に耽溺することとなる。カジノで多くの借金を作った親友のヴァーグナー大尉は国境の森で自殺し、この地で権勢を誇るホイツキニ伯爵の知人、フォン・タウスィヒ夫人と次第に深い仲となったカール・ヨーゼフもウィーンでの密会のたびに散財を繰り返し、多くの借金を負う。剛毛工場ではストライキが頻発し、ストライキを組織した労働者たちと対峙した軍隊の発砲で死者が出る。満たされぬ恋、多くの借金、そして事件の責任に懊悩するカール・ヨーゼフは軍隊を辞めることを決意し、父親である「郡長」に手紙を送る。長らく仕えていた召使のジャックが没した後、代わりとなるべき従僕を見つけることができないまま不遇の時を過ごす郡長は息子の変心にうちのめされる。いくつものエピソードが絡み合いながら進行する様子はドストエフスキーでもよい、バルザックでもよい、一昔前の大文字の「小説」でおなじみであり、それゆえこの小説にもクライマックスが存在する。それは竜騎兵連隊の創立百周年事業(ここでもサントネールだ)が華やかに挙行されている最中の出来事である。激しい雷雨が人々を襲い、時を同じくして一つの不吉な知らせがもたらせる。伝令から連隊長に渡された手紙には「帝位継承者、噂によれば、サラエヴォで殺害される」と記されていた。オーストリア=ハンガリー二重帝国の解体を告げる第一次世界大戦の幕開けであった。戦闘は直ちに拡大する。終盤において二人の登場人物の死が語られる。一度は軍隊を辞しながらも、開戦とともに再び軍服を着たカール・ヨーゼフは前線でバケツに水を満たしている時に銃撃され、英雄とはかけ離れた死を迎える。そして息子の死を知った郡長もまた、深い嘆きとともに「ソルフェリーノの英雄」の肖像画を前に事切れるのである。いくつもの挿話をとおして語られるトロッタ一族の歴史は没落、あるいは斜陽と呼ぶにふさわしく、それはまたハプスブルグの王朝、オーストリア=ハンガリー二重帝国の姿と重ねられている。
この小説にはいくつものダブルが存在する。そもそもオーストリア=ハンガリー二重帝国という名称の中にこのような二重性は暗示されているではないか。直ちに了解される二重性は、いずれも銃撃によって息子が父親より早く殺される二組の親子だ。いうまでもなく郡長とカール・「ヨーゼフ」という本書の二人の主人公に対して、皇帝フランツ・「ヨーゼフ」とサラエヴォで暗殺された皇太子が重ねられる。単に相似するばかりではない。実際に郡長は息子の名誉を回復するために皇帝に謁見し、皇帝の支持を得る。この箇所も本書の一つのクライマックスを形成している。サラエヴォ事件が帝国の没落、そして最初の世界大戦の契機となったことは知られているとおりであり、カール・ヨーゼフの死もトロッタ一族の没落を暗示している。さらにもう一つのダブルはこの小説で描かれている時代とこの小説が執筆された時代のそれだ。先にも述べたとおり、「ラデツキー行進曲」は第一次世界大戦の前夜を舞台としているが、実際にこの小説が執筆されたのは第二次世界大戦の前夜、1932年である。1929年の大恐慌を受けて、失業と破産が相次ぐドイツにあって、この年の総選挙でナチスは第一党となり、翌年の政権奪取に向けて時代が大きな転機を迎える。ユダヤ系オーストリア人であったロートにとって、このような情勢が何を意味したかは明らかだ。本書は第二次大戦の予兆の中で第一次大戦の勃発をめぐる状況を描いた小説といえるかもしれない。本書にはロート自身によって書かれたまえがきが収録されている。やや長くなるが冒頭と最後を引用する。「歴史の残酷な意志が私の古き祖国、オーストリア=ハンガリー君主国を打ち砕いたのです。私はこの祖国を愛していました。私は愛国者であると同時に世界市民であることを、オーストリアの全ての民族の中で、オーストリア人でありドイツ人であることを許してくれたこの祖国を愛していたのです。私はこの祖国の美徳と長所を愛していました。そして祖国が滅び、失われてしまった今もなお、この祖国の欠点や弱点を愛しています。この祖国はこうした欠点や弱点をたくさんもっておりました。この祖国は自らの死をもってそうしたものを償ったのです。(中略)諸民族は消え去り、諸帝国も吹き消されていきます。消え去り、吹き消されていくものから、記憶に値するものを、そして同時に人間的―特徴的なものをしっかり記録に留めることが、作家たる者の義務なのです。作家は盲目的かつ軽率に見える歴史が見捨てる個人的な諸々の運命を一つ一つ拾い上げるという、崇高にして謙虚な使命を担っているのです」1932年、ユダヤ系オーストリア人のロートによってしか到達しえなかった見事な認識ではなかろうか。中盤から帝国の辺境に舞台を転ずるこの小説には多くの民族が登場する。スロヴァキアからルーマニア、ウクライナにいたる土地に居住する民族が一つの帝国の中に受容されたという事実は記憶されるべきであろう。民族主義の高まりの中でかかる理想は否定され、皇位継承者の暗殺という悲劇を生んだ。そして先に述べたとおり、まさにこの小説が執筆されていた時代にはありえた「オーストリア人でありドイツ人であること」、つまり世界市民という理念はナチスの台頭によって無残にも消滅する。そしてユダヤ人であるロートにとって、民族主義と優生思想が結合したナチズムは端的に自らの生命をも脅かす恐怖としてその生涯に暗い影を投げかけることとなったのだ。本書は第一次大戦と第二次大戦の戦間期を生き、ファシズムと共産主義のはざまの土地に置かれた者によってしか描くことのできないテーマを扱っている。私たちはロートが「祖国」と読んだ世界帝国の瓦解からホロコーストの地獄まで、つまりこの小説が描いた時代とこの小説が執筆された時代がわずか四半世紀ほどしか離れていないことに思いをめぐらすべきではなかろうか。時代は私たちが考えるよりはるかに早く荒廃するのだ。今日の日本においても。多くの戦死者という代償を払ってようやく私たちが獲得したいくつかの原理を為政者たちは姑息な手段によっていともたやすく破壊した。その一方、戦争に向けての法整備は着々と進められている。私たちは2014年という年をいかなるメルクマールとして振り返ることになるだろうか。奇しくも衆議院選挙を一週間後に控えてこのレヴューをアップする今日はかつて日本が米英に開戦を宣告した日でもある。1914年、サラエヴォのカール・ヨーゼフ、1932年、ベルリンのヨーゼル・ロート、そして2014年の私たち、これらの場所はさほど離れていはいないのではなかろうか。
by gravity97 | 2014-12-08 21:33 | 海外文学 | Comments(0)