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優雅な生活が最高の復讐である

大江健三郎『大江健三郎自選短編』

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 大江健三郎の自選短編集が岩波文庫から刊行された。短編集といえども800頁を超える大冊で1957年の処女作「奇妙な仕事」から1992年の「マルゴ公妃のかくしつきスカート」まで23編の短編が収められ、半世紀以上にわたる活動の全貌をほぼ通覧することができる。収録にあたっては全ての作品に加筆修正が施されており、帯に記された「大江短編の最終定本」という言葉に誇張はない。これらの短編は「初期短編」「中期短編」「後期短編」の三部に分類されている。後でも述べるとおり、大江の短編は時期的に偏りがあり、三部構成も分量としてそれぞれおよそ300頁、400頁、100頁とばらつきがある。以前、「晩年様式集」をレヴューした際にも記したが、私は大学以来、時に若干のタイムラグを置きながらも大江の小説を比較的熱心に読み継いできた。なぜか今世紀初めに発表されたスウード・カップル三部作「取り替え子」「憂い顔の童子」「さよなら私の本よ!」を三冊揃って読み落としたことを除けば、大半の小説に目をとおしている。したがってここに収録された短編についてもその多くをすでに新潮文庫、もしくは初出の単行本ですでに読んでいる。正確を期すならば、この短編集に収録されている作品のうち、私が未読であったのは「中期短編」中の連作短編集『静かな生活』に収められた二編、そして「後期短編」としてまとめられた四編のみであった。これまで時を隔てて読み継いできた大江の小説を、短編を連ねて読み返す作業は自分の読書体験を一度巻き戻して早送りするかのようで楽しかった。
 例によってテクスト・クリティークから始めよう。表紙の写真からもうかがえるとおり、今回、本書を刊行するにあたって大江は当初のテクストにかなり徹底的に手を加えている。大江の言葉を借りるならば、「私にとって読み直すことは部分的にであれ書き直すこと」なのだ。実際、大江はあとがきのなかで事実上の処女作「奇妙な仕事」を東京大学新聞に発表した直後、初めて活字になったテクストを繰り返し読んで、直ちに書き直すことを願ったと記している。表紙に掲げられた写真は「空の怪物アグイー」の一部であり、この写真と新潮文庫版を対照するならば写真に示された訂正を経て、本書に収録された最終定本の「空の怪物アグイー」が完成されたことが理解される。写真からうかがえる限りでもかなり徹底的な推敲がなされている。ただしその多くは文彩もしくは時間の経過を理由とした修正であるようだ。先日、『現代思想』の「大学崩壊」という特集を読んでいると、この短編集の冒頭の「奇妙な仕事」において、初出時には東大生である「僕」に対置されていた「女子学生」と「私大生」のうち、「私大生」が「院生」と修正されていることにやや批判的な記述を目にしたが、これは今日的な視点を得て初めて可能な批判であろう。これらの小説の大半を読んだ20年以上前の記憶がもはやおぼろげであることを勘案したとしても、井伏鱒二の「山椒魚」の場合のような内容に関わる修正は加えられていないはずだ。
 収録された23編の短編がいずれも大江の代表作であることに疑いの余地はないが、大江自身は選択の基準を明らかにしていない。あとがきの中に「残すものより除外するものが思っていたより多くなりました」という一文が残されているのみである。先に触れた初期、中期、後期の比率はおそらくはそれぞれの時期に大江が執筆した短編の量に比例しているであろう。小説的完成度とは別に大江は基本的に長編作家であり、代表作が例えば「個人的な経験」、「同時代ゲーム」、「燃えあがる緑の木」のいずれであるかについては議論があろうが、長編であることに疑いの余地はない。そしてあらためて本書を通読して、私は大江が短編を執筆した時期にかなりむらがあることを知った。収録された短編の初出一覧を確認するならば「初期短編」の最後の「空の怪物アグイー」が発表されたのは1964年1月、「中期短編」の最初の「頭のいい『雨の木』」が1980年1月であるから、初期と中期の間に16年もの間隔があるのだ。大江の作品を確認するならばこの間に「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「同時代ゲーム」といった傑作長編が次々に発表されているから、かかる不在は理解できないこともない。しかしこの間にも本書には収録されていないが、私にとっては大江の短編集として強い印象のある「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(私にとってもっとも鮮烈なイーヨーのイメージが刻まれた作品だ)と「見るまえに跳べ」も上梓されており、大江がどのような意識に基づいてここに収録された作品を選んだのか、もう少し説明がほしい気がする。「中期短編」に収められた短編はいずれも独立した短編ではなく、短編連作集から数編が選ばれている。具体的に述べるならば「『雨の木』(レイン・ツリー)を聴く女たち」から3編、「新しい人よ眼ざめよ」から4編、「静かな生活」から2編、そして「河馬に噛まれる」から2編である。同じ時期に発表された「いかに木を殺すか」から本書に収録された短編がない理由は、それが純然たる短編集で連作短編の形式をとっていないためであろうか。「後期短編」としてはややまとまりのない4編が選ばれている。存命中であるにもかかわらず、「後期」と名指すあたりはいかにも「晩年様式集」の著者らしい。ただし「中期」と「後期」の間にはさほど積極的な区別はないだろう。発表順としては先であっても「後期」の範疇に収められている作品もある。
 久しぶりに読み返して、まず初期の短編のみずみずしさに感銘を受けた。初期の作品がサルトルと実存主義の強い影響を受けていることは明らかだ。多くの作品が一種の不条理な状況に追い込まれた人物を描き、出口なしの閉塞が語られる。冒頭の「奇妙な仕事」と「死者の奢り」は犬の屠殺と死体が保存された水槽の保守といういずれもなんとも陰惨なアルバイトに応募した「僕」を主人公としている。平野謙によって同工異曲と評されたらしいこれら二つの短編は吠え続ける実験用の野犬と水槽に浮かぶ死体といういずれも鮮烈なイメージを核としている。肛門に胡瓜を挿入した縊死体、妹の恥毛が写ったカラースライド、あるいは降雨を葉むらに貯める樹木、大江のいくつかの作品はきわめて明確で限定的なイメージから出発しているが、かかる特質は最初期の二編にすでに明らかといえよう。「他人の足」と「人間の羊」は実存的状況への他者の介入を主題としている。実存に他者が介入することは可能か。かかる問題に性的な主題を絡めるのが初期の大江の短編の特質であり、粘液的な文体もこれらの主題に対して効果的に使用されている。この意味においても「セブンティーン」は初期の大江の一つの頂点を画しているだろう。性と政治、鬱屈した青年の内部の葛藤が発表当時の社会的緊張感の中に浮かび上がる。この短編集に、発表直後に右翼の攻撃を受け、今日にいたるまで大江のどの作品集にも収められていない「セブンティーン第二部 政治少年死す」が収録されていない点は残念である。浅沼委員長刺殺事件を扱って当時においてはスキャンダルであっただろうが、もはや当時ほどの衝撃があるとは思えず、何より「セブンティーン」の末尾における主人公の昂ぶりは続編を読むことによって、より明瞭に理解できると考えるからだ。芥川賞受賞作の「飼育」、そして「不意の唖」は初期の傑作中編「芽むしり仔撃ち」と通底する。地名こそ特定されていないが、おそらくは四国の山間部、これ以後の大江の小説で決定的な意味をもつトポスを舞台としている。私はこの二作、そして「人間の羊」がアメリカによる日本の占領という一つの時代を舞台としている点に関心をもった。第一次戦後派の作家たちが大戦を顕在的/潜在的な主題とした多くの作品を発表したのに対して、占領下の日本を扱った文学は比較的少ない。他国による占領というかつて日本が経験したことのない時代は、「遅れてきた青年」である大江によって服従と反抗、閉塞や性的倒錯といった主題へと転換された。この時期は大江が自分たちの「時代の精神」と呼ぶ「不戦と民主主義の憲法」が与えられた時代でもあるが、この一方、江藤淳が明らかにしたとおり、占領政策としての検閲が進められたことも記憶されるべきであろう。そして「初期短編」の最後に収められた「空の怪物アグイー」は大江自身も自らの作品の主題としてきた一種の実存的な危機に直面したことを暗示している。頭に障害をもつ長男、光の誕生である。この個人的なエピソードは直接には「個人的な体験」という傑作に反映されるのみならず、これ以後の大江の小説にほぼ一貫する主題系列をかたちづくる。
 初期の中編が一人称で語られながらも、必ずしも主人公は作家自身に同定されなかったのに対し、中期以降、大江は(光の妹を語り手とした「静かな生活」といった例外は存在するにせよ)自らの実体験を濃厚に反映し、作家自身を語り手とした擬似的な私小説を書き継いでいった。先にも述べたとおり、ここでしばしば連作短編という形式が用いられたことは興味深い。注目すべきはそれらの連作を統一するモティーフだ。例えば最初に収録された「『雨の木』を聴く女たち」連作においては、タイトルに示された「雨の木」、夜中の驟雨を茂みに溜めて翌日の昼頃まで水を滴らせる樹木のイメージが一種の通奏低音として短編集を束ねている。そして多くの場合、先行する文学作品がその傍らに置かれる。「『雨の木』を聴く女たち」ではマルカム・ラウリー、「新しい人よ眼ざめよ」においてはタイトルどおり、ウィリアム・ブレイク。この後、ダンテやサイードがこのリストに加わることを私たちは知っている。障害をもった息子の成長に先人の言葉を重ね、自らの生活を文学的に総括するという大江の基本的な執筆姿勢はこの時期以降、形成されていく。短編の連作という形式は日常の断片を異化して作品化するにあたって有効であったかもしれない。大江の長編に時に浅間山荘事件やオウム真理教事件といった社会的事件の反映をうかがうことができるのに対して、ここに収録された中期の短編では「河馬に噛まれる」に連合赤軍事件の残響が認められることを例外として、大江の日常、とりわけ光との交流の描写が中心となっている。国際会議や取材旅行を理由としてしばしば外国が舞台とされている点も当時の大江の生活を反映しているだろう。さらに大江をめぐる知的なサークルの存在もこれらの短編に大きな影を投げかけている。多く頭文字、時に名前を変えて言及される芸術家や学者たちが、例えば作曲家の武満徹であり、文化人類学者の山口昌男であり、哲学者の中村雄二郎であることは大江の読者であれば誰でも了解されよう。岩波系、あるいは「へるめす」系とでも呼ぶべきこれらの「文化人」たちが今や多く鬼籍に入り、世界樹やトリックスター、中心と周縁、あるいは文化記号論といった80年代文化のキーワードもいささか古びた印象がある。しかし明らかに大江は彼らとの交流から多くを学び、自らの作品の中に生かした。私は例えば山口や中村の80年代の仕事が今日どの程度の普遍性をもちうるかという点には少々懐疑的であるし、実際、近年彼らの仕事について言及される機会は著しく減っているように感じもするが、彼らの仕事に触発されて執筆された大江のこれらの作品の重要性は今後も決して減じることはないであろう。
 ダンテ、アウグスティヌス、ラヴレーから渡辺一夫まで大江が古今東西の師匠(パトロン)たちを自らの作品に招き入れ、傑出した小説群として結実させたことは明らかであり、この自選短編集を読むならば、その経緯がていねいに説明されるかのようだ。先に「晩年様式集」についてレヴューした際、この小説の巻末に記された一つの詩句に、私は大江が小説に託した希望をうかがった。それは次のようなものであった。「私のなかで/ 母親の言葉が、/ はじめて 謎でなくなる。/ 小さなものらに、老人は答えたい、/ 私は生き直すことができない。しかし/ 私らは生き直すことができる。」この短編集の最後に収められた「火をめぐらす鳥」という短編の最後には伊東静雄の次の詩が何度か引かれる。「〈私の魂〉といふことは言へない/その証拠を私は君に語ろう」私は大江が「最後の小説」として執筆した「晩年様式集」の最後に引かれた詩句と「最終定本」として加筆修正したこの短編集の「最後の短編」に引用された詩句の共通性に関心を抱く。果たしてこれらが大江の「最後の長編小説」と「短編小説の最終形」となるのであろうか。おそらく大江自身もよもや80歳を過ぎてから「不戦と民主主義の憲法」が否定され、震災と原子力災害以後の「侮辱の中に生きる」ことになるとは思わなかっただろう。今や私たちはかかる異常事態の中にいる。賞の是非はともかく、「ノーベル賞作家」として国際的にも大きな発言力をもつ大江がかかる不条理、出口なしの実存的状況に対して新作によって応えることを望むのは私だけではないはずだ。
by gravity97 | 2014-10-20 10:06 | 日本文学 | Comments(0)

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