「中村一美展」

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 国立新美術館で「中村一美展」を見る。久しぶりに絵画を見て圧倒される体験を味わった。150点に及ぶ巨大で難解、異様な緊張感を帯びた作品の数々が並ぶ。美術館における中村の個展はこれが初めてではないが、いずれの会場も訪れるにはやや遠く、これほどの規模で中村の作品に接する、私にとっては初めての体験となった。もっとも私は比較的早くから中村の絵画に注目し、90年代中盤あたりまでコンスタントに中村の個展に通ったため、見覚えのある作品も多い。しかしそれ以降は数年の間隔をあけて開かれる南天子画廊での新作発表くらいしか作品を見る機会がなく、作品の展開をたどることはかなり困難に感じられた。したがって今回の展覧会はあらためて中村の作品の展開、その連続と断絶に触れる得がたい機会であったが、それを言葉にすることはかなり難しい。そしてとりわけ「鳥としての絵画」以降の作品はおそらくは言語化の困難と深く関係する晦渋さ、一種の異様さを秘めているように感じられる。
 現代の画家に関して、新美術館ではこれまでも松本陽子や辰野登恵子の作品を写真家との二人展という形式で紹介してきた。この際にもクロノロジカルな構成は意図的に放棄されていたが、今回も会場の途中に初期作品が挿入されるというややイレギュラーな構成がとられていた。しかし基本的には1980年以降の作品が年代を追ってシリーズごとに配置され、ゆるやかな時系列を構成している。ごく初期の作品を除いて、今回の展覧会では中村の画業がほぼクロノロジカルに「空間としての絵画」「社会意味論(ソーシャル・セマンティックス)としての絵画」「鳥としての絵画」の三つに大別され、それぞれのセクションがさらに三つないし四つのシリーズに分類されている。中村がデビューした直後の作品、すなわち「空間としての絵画」の最初の二つ、「Y型」と「斜行グリッド」の二つの連作は比較的わかりやすい。それらはともに東京芸術大学の芸術学科で中村が研究した抽象表現主義の影響を反映している。濃厚なストロークが残された「Y型」はデ・クーニング風のアクション・ペインティングを連想させるし、「斜行グリッド」においては中村が論文の主題としたバーネット・ニューマンのジップ絵画が参照されている。しかしこの二つの連作において既に抽象表現主義を批判的に克服しようとする中村の意図は明らかだ。前者においては画面に連作名が示すY字型の構造がこれみよがしに挿入され、アクションと構築性の両立が図られている。一方後者においてもタイトルが暗示するとおり、斜行線というモダニズム絵画のタブーによって画面を構築することが図られている。知られているとおり、ニューマンはモンドリアンを批判することによって近代絵画の克服を試みたが、両者はともにディアゴナルな構造を忌避した。なぜならそれは奥行きというイリュージョンを喚起するからだ。しかしY字型も斜行グリッドも本来的に斜線を内包している。マスキングテープで形成されたシャープな線条からはミニマリズムも連想されるが、中村があくまでも絵画の問題として初期作品を制作していることも明らかだ。なぜならハードエッジによる斜行グリッドとほぼ同じ時期にストロークによっても同じ構造が描かれており、作家の関心が画面の仕上げではなく構造に向けられていることを暗示している。これらの構造の由来についても中村は明言している。それは山間の樹木であり、桑の木であり、紫式部日記絵巻に描かれた蔀戸である。一見抽象的でありながら、中村の絵画が具体的な参照源を有している点は注目に値する。中村は明確な歴史意識をもった画家であり、端的に抽象表現主義の超克をめざしている。中村は絵画のみならず多くの文章も残しており、幸いにも著作選集としてまとめられている。b0138838_10195467.jpg初期の重要なテクスト「示差的イメージ」においては絵画を二種に分け、そのうち「非具象であれ、具象であれ、描かれたものがその描かれたものをストレートに表出しているもの。イメージ即イメージの絵画」として抽象表現主義を挙げる。そしてこれに対して自らが求める方向は別種、すなわち「非具象であれ、具象であれ、描かれたものがその描かれたものを提示しはするが、それだけでは解決のつかないあるものを、指向あるいは示唆しているもの。そこでは描かれたものと、その指向との間に一種のズレ(示差)が生じ、その結果意味が生み出される」と述べている。中村の文章は絵画同様に難解であるが、この言明は比較的わかりやすい。つまり中村は絵画が形式的強度として成立したポロックやニューマンの絵画を批判的に乗り越えようとしている。モダニズムを絵画において批判することと言い換えてもよいだろう。このような探求にあたって中村は絵画の主題性、あるいは日本という極東に位置することを繰り返し揚言している。ニューマンが絵画の主題に拘泥したことはよく知られている。しかしクレメント・グリーンバーグ流の教条的フォーマリズムにおいて主題の問題は往々にして軽視され、グリーンバーグ自身「全ての優れた絵画はニューヨークを経由する」という文化帝国主義的なコメントを臆面もなく表明していたことを考慮する時、中村が示すフォーマリズムへの対案は注目に値する。さらに付言するならば中村はかつて「絵画の消滅」という小論で宮川淳の文人的、文学的美術批評に対して徹底的な批判を加えた。ここでこれ以上論及する余地はないが、同様にフォーマリズムから出発した者として私は中村の宮川批判が今日もある種の「美術批評家」たちに対して有効であるように感じる。
 作品に戻ろう。批判的であるにせよ、抽象表現主義、フォーマリズムを参照項としているから「Y字」と「斜行グリッド」は比較的わかりやすい。私が中村の絵画に最初に関心を抱いたのはこの理由による。しかし続く「開かれたC型」そして「社会意味論としての絵画」以降の中村の歩みはあえてわかりにくさ、言語化の困難さを自らに課すかのようである。中村は「ダイアゴナルから開かれたCへ」という短い文章を残している。「部分的な奥行きとヴォリュームのための『開かれたC型』。それは水平方向へ畳み込むように配置される。『開かれたC型』と連動する車線の還元化された形体は、依然として斜めにズレこむ空間を形成する。この『開かれたC型』と斜線による形体は、超越的形体でもなく、いわゆる構成的形体でもない。それらは、空間に潜む精神の触発作用と深く関わるものだ」作品を参照することなしに理解することが困難なコメントであるが、「精神の触発作用」という言葉がやや唐突に記されている点に留意しておきたい。この時期、中村は洋の東西を問わず先行する表現に触発されて独特の構成を確立したように思われる。中村が参照するのは「西園寺縁起」という参詣図やマティスの《会話》という作品であり、いずれもきわめて特殊な作品である。これらの作品から中村が抽出したのはいわば絵画の骨格のようなものではなかっただろうか。つまり「開かれたC型」、「連差―破房」、「破庵」といった連作は、それぞれに異なった骨格としか呼びようのない抽象的な、絵画のあり方のタイポロジーを示しているように感じられるのだ。このように考えるならば、90年代の中村の絵画の意味に新しい角度から光を与えることができるかもしれない。中村の絵画とは、絵画が強度を帯びる骨格の探求であった。確かに抽象表現主義にもそのような姿勢は認められ、例えばニューマンのジップ絵画はこのような骨格をぎりぎりまで切り詰めたものと考えることができよう。しかし中村は絵画をその形式の内部で完結させることを拒む。抽象表現主義の探求は絵画という形式を単線的に進める中での取り組みであったから、作品の強度の由来はわかりやすく、言語化が比較的容易である。これに対して先に引いた「示差的イメージ」の中で説くとおり、中村は絵画を形式ではなく一種の指向性としてとらえる。同じ連作という手法を用いても、モダニズム絵画におけるそれが一つの主題を順列組み合わせ的に試す手段であったのに対し、中村は連作をとおして作品の間にずれを生起し、そこに意味を求めようとしているのだ。モダニズム絵画が本質主義的であるのに対して、中村の絵画は間テクスト的といえるかもしれない。一つの作品について語ることはまだたやすい。しかし作品相互の差異について語り、それを作品の本質として提起することは容易ではない。中村の絵画の難解さ、それについて語ることの難解さはこの点に由来する。そしてこれらの絵画において中村が主題の必要性を繰り返す点にもう一度私たちは注目しなければならない。例えば《潅木と虐殺》あるいは《ネガティヴ・フォレスト》、これらのタイトルはベトナム戦争におけるアメリカの非人道的行為、枯葉剤作戦などを暗示しており、中村は作品を解説する文章の中で9・11テロや溶鉱炉に落ちて死んだ友人の父親といった生々しく、多く暴力や死と関連するテーマに触れている。
 先ほど私は絵画の骨格という言葉を使った。「開かれたC型」に始まるいくつかの連作をあらためて一望するならば、画家は絵画の骨格を手探りしながら楽しんで実験している様子がうかがえて、この時期の作品、特に横長の絵画は中村としては珍しく多くのびやかな印象を与える。会場には多くのドローイングも展示されている。作家はまずドローイングをとおして連作の骨格を見定め、ペインティングで骨格に肉付けしているのではないだろうか。連作の中では時に激しいストロークが、時に斜行グリッドを連想させる直線が用いられ、Y字やストライプといったかつての/新たな骨格も自由に導入される。中村は自らの絵画が抽象でも具象でもなく、Social Semantic(社会意味論)を扱うと述べている。確かにこれらの絵画が何かを参照しているか否か、表現主義的かミニマリズムかといった問いは意味をなさない。絵画はそれ自体で自足せず、かといって何かを参照することもない。このような絵画を支えるのは苛烈な主題への絶えざる回帰であった点は留意されるべきであろう。さて、「社会意味論としての絵画」の多くが死や暴力といった重い主題と関連していたことについては先に触れた。今回の展覧会を見て、今世紀に入って中村の絵画に大きな転機が訪れたことが理解される。すなわち「採桑老」を一つの転機として、一種の再生、死から生への転換が図られているように感じられるのだ。この転機に当たって桑の木が大きな役割を果たした点は興味深い。中村が何度も述懐するとおり、桑とは養蚕を営んでいた母方の実家をとおして中村の原風景とも呼ぶべきイメージであり、出発点の「Y字」にも投影されていたことが想起されよう。「採桑老」とは死を招くという不吉な伝承を伴った雅楽でもあるが、桑という言葉から次のシリーズ「織桑鳥」が触発され、中村はそれに「フェ―ニッ―クス」、不死鳥というルビをふる。「私にとって『不―死―鳥』とは同一のものが甦ることを意味するのではなく、似ても似つかない姿、全く異形の姿を以て出現すべきものを意味するのだ」中村によれば鳥とは現代における災厄であり、例えば紛争地帯に介入する軍産複合体とまで具体的に名指しされている。「我々はそれを、死滅させ、全く異質な姿形へと再生させねばならないだろう」死滅したもの、それは養蚕業であり、桑畑であろうか、しかし私はここで暗示されているのは何よりも「絵画の死」ではないかと考える。むろん20世紀以降、絵画は常に死を宣告され、現実に映像表現の圧倒的な隆盛の前で、今日絵画は衰退している。私は「採桑老」と「織桑鳥」を経て、つまり「絵画の死」の後にあって中村が「鳥としての絵画」という圧倒的な連作を開始したことに感動を覚える。
 この連作はまさに「全く異形の姿」をとる。私は何度かこれらの絵画を南天子画廊の個展で見たことがある。しかし正直よくわからなかった。それまでの絵画と比べてもきわめて異質に感じられたのだ。中村は「存在の鳥」について次のように記している。「《存在の鳥》とは、あらゆる存在の飛翔についての絵画である。存在は飛翔しなければならず、飛翔しうるもののみが存在である」いうまでもなく「存在」とは「絵画」と読み替えられるべきである。カタログによれば、「存在の鳥」とはこれまでで最大の連作であり、すでに300点を超えるという。「存在の鳥」の骨格は比較的わかりやすい。上に掲げたカタログの表紙に掲出された作品からも明らかなとおり、それは羽を広げた鳥を模しており、画面左上に左向きの頭部とくちばしを暗示する形態が描き込まれ、多く画面中央下に足を連想させる二本の線が表出されている。今までと同様に中村はこのような骨格を定めたうえで「空間の鳥」を自由に変奏する。色面がモノクロームへと転じ、あるいはストロークの強調によって、鳥の形象が定かでない作品もあるが、その場合でも作品の骨格は残されている。作品は垂直的な印象を与え、大画面が多い。私は事後的に図版に縮小されたイメージをもとに羽を広げた鳥と記したが、会場でこのような判断はなされえない。実際に直面する時、作品はなんとも名状しがたい。私が今まで見た絵画の中で近似した印象を受けた例はクリフォード・スティルの巨大な色面抽象である。両者は異様さにおいて一致する。したがってこの絵画はタイトルと骨格においてこそ鳥を連想させるが、もはや鳥の似姿として実現されていると考えるべきではない。中村が言うとおり、これは存在の飛翔についての絵画であり、飛翔という力動性、現実からの跳躍、一つの指向性こそが主題とされているのだ。これと関連して、この連作において画面の物質性がかつてなく強調されている点も注目に値する。チューブから捻り出されたような物質感のある絵具、それもピンクやエメラルドグリーンのメタリックな色彩が用いられる場合が多い。私はこの一種凶暴にさえ感じられる物質性の強調に興味を抱いた。なぜならこれほど強調されているにもかかわらず、それらは物質というよりイメージとして機能しているように感じられたからである。おそらくその理由の一端は最後の部屋の特殊な設えに起因しているだろう。なんと「存在の鳥」連作18点が展示された部屋は壁面がオレンジに塗られ、過去の作品から引用された斜行グリッドのパターンがウォール・ペインティングとして描かれているのである。ホワイトキューブを否定するこのような壁面を背景とした時、「空間の鳥」の異様さは相対化される。そもそも蔀戸を連想するまでもなく、斜行グリッドは建築と深く関わっていた。かかるインスタレーションにおいて絵画はその飛翔の場を建築ではなく絵画の内部に準備する。必然的にそこには新しい示差が発生する。
 そもそも中村が説くように作品の差異によって意味が発生するのであれば、一つの連作がある程度まとまって展示され、相互に参照しえて初めてその意味を確認することができるはずだ。したがっていくつもの連作がまとまって紹介されたこのような展覧会によって作家の探求は明瞭となる。画廊で見た際にはよくわからなかった「存在の鳥」の意味が私なりにつかめたのは多くの作品を比較することができたからであろう。ソシュールに倣うならば、この大展覧会においては作品がその場に不在の作品との間に紡ぐパラディグマティックな意味と、斜行グリッドの上に配置された「空間の鳥」が紡ぐサンタグマティックな意味の両方を見て取ることができる。常に記号論的な意識に基づいて作品を制作してきた中村にとって本展はその集大成といってよいだろう。絵画という営みの本質に触れる作品の数々に圧倒されるとともに、今日なおこのような展覧会が可能であることに日本の美術館への一抹の希望を感じた。
by gravity97 | 2014-05-07 10:25 | 展覧会 | Comments(0)

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