ホセ・ドノソ『隣りの庭』

b0138838_2254722.jpg このところ、ホセ・ドノソの小説が再び注目を浴びている。先般、水声社から『境界なき土地』が刊行され、同じ出版社から『夜のみだらな鳥』の復刊が予定されているらしい。さらにずいぶん以前より翻訳が進んでいると聞いていた長編『別荘』も近く刊行されると聞く。ドノソというと『夜のみだらな鳥』のイメージが強烈すぎるためか、ラテン・アメリカ文学において最重要の作家の一人でもあるにもかかわらず、これまで十分に紹介されてきたとは言い難い。私も大学の頃に「集英社版世界の文学」の一巻として刊行された『夜のみだらな鳥』を読み、グロテスクなイメージの横溢に幻惑されたことを覚えているが、それ以来ドノソの小説から遠ざかっていた。これを機に再びドノソの再評価が進むと見越して、しばらく前に求めていた『隣りの庭』という長編を読む。この作家、やはりただものではない。
 このブログとしては異例であるが、最初に作者の閲歴についてやや詳しく述べておく。それというのも作家の個人史がこの小説と深く関わっているからだ。ドノソは1924年にチリ、サンティアゴのブルジョアの家庭に生まれた。青少年時にドノソは英語による教育で知られた学校に通い、同級生には外交官である父と共に当時サンティアゴに移住していたカルロス・フェンテスがいたという。20歳を過ぎるとドノソは首都を去り、数年間にわたりパタゴニアからアルゼンチンを放浪する。チリに戻った後は英文学を学び、プリンストン大学からの奨学金を得て、アメリカでも生活を送った。この後、50年代にはチリの大学に職を得て英語を教える一方で小説の創作を始めたが、ブエノスアイレスをはじめとする南米各地に長期滞在を繰り返し、67年にはヨーロッパに渡り、ポルトガルを経てスペインに落ち着くこととなる。この時期、69年にスペインで発表した『夜のみだらな鳥』はチリの名門の一族の呪われた宿命をグロテスクでオブセッションに満ちた文体で描いた悪夢のような小説として衝撃を与えた。この後、ドノソはチリへの帰国を予定していたが、73年、ピノチェットのクーデターが発生し、帰国を断念し、スペインに留まる。アメリカに後押しされたピノチェットの軍事政権のもとで政治家のみならず数多くの文化人、知識人も拷問、殺害され、多数の亡命者が出たことは知られているとおりだ。78年に発表された『別荘』と81年に発表された本書はチリの知識人にとってはトラウマとも呼ぶべきこの事件を、前者においては暗示的に、後者においては明示的に主題化している。実はドノソは80年にチリに一時帰国したらしいが、祖国の状況に失望し、すぐにスペインに戻ったということである。本書が執筆された時期がこの直後であることは興味深い。今ウィキペディア等を参照したところ、ドノソは96年にチリで没している。したがって最晩年を祖国で送ったと考えられるが、どの時点でチリに戻ったかについては今私の手元にある資料ではわからない。
 ラテン・アメリカの文学については以前より不審に感じていたことがある。いわゆるラテン・アメリカ文学といわれる作品の中には確かに蜃気楼の町マコンドの年代記や、密林の中の「緑の家」と呼ばれる娼家を舞台にした物語など、ラテン・アメリカのエキゾチシズムを漂わせた作品が多い。しかしその一方で多くの作品がヨーロッパを舞台にしているのだ。例えばコルタサルの『石蹴り遊び』は「ラ・マーガと会えるだろうか? たいていぼくが出かけてセーヌ通りを行き、コンティ河岸に出るアーチをくぐれば、すぐにも、川面に漂う灰色にくすんだオリーブ色の光の中に彼女の姿が見分けられたものだ」という印象的な一節で始まり、あるいは本書と同じ選集に収められたフェンテスの不気味な傑作『遠い家族』もパリを舞台にしている。何という小説であっただろうか、マルケスにもシャルル・ド・ゴール空港でのトランジットをテーマにした短編があったことを記憶しているし、リョサは『悪い娘の悪戯』でパリ、ロンドン、マドリッドそして東京を遍歴するファム・ファタルを描いた。『隣りの庭』もまた主たる舞台はスペイン、バルセロナとマドリッドである。先に述べたとおりドノソは実際にスペインで長く暮らしたから、それ自体は驚くに値しないかもしれない。しかしラテン・アメリカの作家たちがヨーロッパと深い関係を結んでいる点には留意する必要があるだろう。これは一つには彼らが給費留学生や外交官として、あるいは父親の仕事に帯同してヨーロッパに長く滞在したことに起因しているだろう。さらにボルヘスに典型的にみられるとおり、ラテン・アメリカのブルジョアは子弟にヨーロッパで教育を受けさせる場合が多く、後にラテン・アメリカ文学の主流をなす作家たちは世代や国籍を超えて旧世界そして旧世界の文学と親和している。アングロ・アメリカではなくヨーロッパとの関係の深さは興味深い。
 『隣りの庭』に戻ろう。この小説は明らかに作家自身を投影したフリオ・メンデスという小説家を主人公とする。フリオの経歴はドノソを連想させ、ピノチェットによるクーデター、反革命を逃れてバルセロナで小説を執筆している。妻のグロリアとの関係は危機をはらんでおり、彼らの息子のパト(パトリック)は両親のもとを逃れ、モロッコのマラケシュにいるらしい。物語はフリオが友人のパンチョ・サルバティエラから夏の間、マドリッドのパンチョの邸宅を管理する仕事を依頼されることから始まる。この小説は物語的な起伏には乏しい。フリオとグロリアはバルセロナで彼らの友人の息子でパトの知り合いであると称するビジューという青年と出会い、ビジューは次々にトラブルを引き起こす。パンチョの依頼を受けた二人は一つの夏をマドリッドで過ごし、彼らの周囲では様々の事件が突発する。フリオは作品を書き上げるが、ラテン・アメリカの作家のスペインでの発表に絶対的な権限をもつバルセロナのヌリア・モンクルスなる女性編集者の支持を受けることができず、グロリアは故意か事故か判然としない自殺騒ぎを引き起こす。チリで母が没したという知らせが入るが、フリオは帰国せず、のみならず遺産である父母の邸宅の処理をめぐって祖国にいる兄との間に確執を引き起こす。マドリッドに現れたビジューはパンチョの屋敷にあった絵画を持ち逃げする。フリオとグロリアはパトとの再会を期してモロッコに向かうが、異郷の街は彼らに悪夢のごとき体験を強いる。『隣りの庭』ではドノソらしい喚起的で粘着的な文体をとおしてこれらのエピソードが並行して継起する。文中にしばしば直接導入される英語やフランス語は今述べたラテン・アメリカ文学のコスモポリタニズムを反映し、小説の中に散りばめられたカヴァフィスからエリオットにいたる引用は作家の文学的素養の深さを物語っている。『夜のみだらな鳥』や『別荘』と異なり、この小説は現実との間に強い接点をもっている。例えばフリオは何人かの作家に対する羨望の念を隠さないが、そこでは実際に小説の中に登場するエクアドルのマルセロ・チリボーガなる架空の作家を除いて、マルケス、リョサ、フェンテスら「ラテン・アメリカ文学のブーム」をかたちづくった実在する作家たちの名前が挙げられる。さらに小説中にはフリオとグロリアがウィリアム・スタイロンの『ソフィーの選択』を読むという記述がある。スタイロンの小説は1979年に発表されており、本書が1981年に発表されたことを考えるならば、物語の背景とされた時期を具体的に特定することができる。したがってこの小説は現実と地続きであり、この意味において私は本書がチリの反革命を明示的に主題化していると述べた。解説によればヌリア・モンクルスなるバルセロナの女性編集者にも実在のモデルがおり、現実にこの小説の翻訳権もこの女性を介して取得されたという。
 さて、ここで私たちは小説のタイトルに注目しなければならない。「隣りの庭」とは暗示的なタイトルである。小説の中でそれが何を意味するかは明白だ。それはフリオが夏の間、管理を任されたマドリッドのパンチョ・サルバティエラの屋敷に隣接するプールのある大邸宅の庭であり、フリオはそこで客や男たちと戯れるピネル・デ・ブレイ伯爵夫人の姿を窃視する。しかし「隣りの庭」とはもう一つの含意をもつ。それはヨーロッパから見たチリ、亡命者にとっての祖国である。解説によればドノソ自身、訳者に対して「あれはピノチェットのクーデターの時のチリや当時起きたことを、対岸から眺めながら想像して書いたものです」と本書の意図を語ったという。しかし実際に体験においてドノソとフリオの間には微妙なずれがある。すなわち先に述べたとおり、ドノソは実際にはクーデターを体験していない。民主的に成立したアジェンデ政権が暴力によって打倒される情景は広く世界に報道されたから、ドノソはスペインでその一部始終を見届けたはずだ。アジェンデが大統領官邸でクーデター軍に果敢に応戦し、有名なラジオ演説の後に絶命したエピソードはこのブログで紹介したアジェンデの姪、イザベル・アジェンデの『精霊たちの家』の中で文学的に総括されている。一方、フリオについてはチリでピノチェットのクーデターを経験し、この後、当局によって6日間にわたって監禁され、大学の職を失ったというエピソードが語られる。小説中では何度も「9月11日」という日付が繰り返されるが、それは同時多発テロではなく、ピノチェットによるクーデターが起きた日付である。この事件の後、フリオは母や兄をチリに残してバルセロナに渡る。しかしバルセロナで彼らが交流するチリ人たちはパスポートにLを付されて帰国が許されないのに対して、フリオは自由意志で帰国が可能であり、それゆえ母の危篤が伝えられるや逡巡するのである。バルセロナの亡命チリ人たちが反軍事政権という点において結束しているのに対して、故国に家族を残すフリオの立場は微妙である。そもそもチリの民衆はアジェンデにどのような態度をとっていたのか。フリオは次のように語る。「母は9月11日を忘れた。母はピノチェットの名を頭からぬぐい去った。そして二つのイデオロギーを互いに隔てる日付と境界線を消し去るあの新しい狂気の助けを借りて、母はアジェンデの過ちをどこまでも延長した。おかげで、この新たな死者たちも飢餓もすべてアジェンデの罪となった」フリオの母は祖国への絶望を表明し、国外へと脱出するフリオに理解を示しつつ次のように語る。「出ておゆき、あなたたちにはそれができるんだから。議会のない国が何の役に立つの?私はここにとどまるしかないわ。外国で何ができるの?この年でどうやって生きていけるというの、私の家の外で、私の庭の外で」かくのごとく「隣りの庭」とは多義的な意味をもつ。この時、フリオの心情はごく自然に祖国を外から眺める「亡命者」ドノソのそれに重ねられるだろう。
 さて、私たちは「亡命者の文学」という系譜をたどることができるだろうか。おそらく定義することも困難な系譜であろうが、私が直ちに思い浮かべるのは例えばジョセフ・コンラッド、ミラン・クンデラ、ウラジミール・ナボコフといった作家たちだ。世代も作風も異なるが、中欧出身の作家が多いことは興味深い。中欧とラテン・アメリカは政治的に不安定な地域である点で共通し、さらに体制こそ異なるがいずれの地域も独裁的な政権の統治、もしくは干渉を受けた点で共通する。一方、コンラッドやナボコフが母語とは異なる言語を用いて作品を執筆しなければならなかったのに対して、ラテン・アメリカの作家たちは多く母語であるスペイン語を使用し、このため比較的早くからヨーロッパやアメリカに受け入れられ、ドノソがいう「ラテン・アメリカ文学のブーム」が到来した。ちなみにラテン・アメリカ文学を欧米に紹介するうえで重要な役割を果たしたのが、この小説でも言及されるバルセロナのセイクス・バラルという出版社であり、同社が設立したブレーべ図書賞という文学賞はしばしばラテン・アメリカの作家たちに与えられたため、スペイン国内でスキャンダルを引き起こし、この結果、受賞を逸した小説が『夜のみだらな鳥』であったという。
 本書は内容的にも「隣りの庭」を眺めるごとく、スペインから故国の現実を見据え、しかもこの作家が得意とする寓意的な手法によらない点で興味深い作品であり、完成度はきわめて高い。そして最後に付け加えておかねばならないのは、この小説は内容のみならず形式においても実に独特の説話論的技巧がこらされている点だ。直接読んでいただくのがよいから、詳細については触れないが、最後の章、いわばエピローグにあたる部分に驚くべき仕掛けがなされている。かかる自己言及的、メタ物語的な技巧はドノソが小説の方法に関しても自覚的であることを暗示している。神話的な深みをもった物語、寓意と暗喩に富んだ絢爛たる物語を紡ぐ作家が小説の形式、方法論にもきわめて先鋭な意識を持つ点で思わず私は中上健次を連想した。ドノソはなお未訳の作品が多い。『夜のみだらな鳥』を再読するには覚悟が必要だ。私としてはこれもまた傑作の呼び声高い『別荘』の刊行をひとまず待つこととしよう。

by gravity97 | 2014-01-23 22:57 | 海外文学 | Comments(0)
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