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優雅な生活が最高の復讐である

「Gutai : Splendid Playground」 「Tokyo 1955-1970 」

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 ニューヨークの二つの美術館で日本の戦後美術に関する二つの展覧会が開催された。グッゲンハイム美術館における「Gutai : Splendid Playground」とニューヨーク近代美術館における「TOKYO 1955-1970」である。後者は2月25日で終了したが、10日間ほど二つの展覧会の会期が重なる時期がある。ニューヨークの主要な美術館で日本の戦後美術がこれほどの規模で紹介される機会はおそらく二度となかろうから、この期間をめがけて駆け足でニューヨークを訪れた。
 グッゲンハイム美術館の展示から始めることにしよう。これまでにも1994年の「Japanese Art After 1945 : Scream Against the Sky」や2009年の「The Third Mind」といった日本およびアジアの現代美術に関連した展覧会でキャリアを築いてきたアレキサンドラ・モンローと日本に留学して具体美術協会(以下、具体)の調査を行い、2011年には『GUTAI : Decentering Modernism』という研究書を発表したミン・ティアンポという二人のキューレーターによる企画である。活動中の1958年にニューヨークで具体美術展を開催したことがあるから最初ではないにせよ、これまで主としてヨーロッパで紹介が続いた具体にとって初めてのアメリカでの本格的な回顧展となる。もっとも実はしばらく前から世界的にこのグループへの関心が高まっていた。昨年の国立新美術館での回顧展は一つの呼び水と考えられるし、ニューヨークでもマキャフリー・ファイン・アートで何人かの作家の個展が開かれ、ニューヨーク近代美術館は最近村上三郎の《投球絵画》を購入している。(この作品は「TOKYO 1955-1970」で展示されていた。この展覧会が終了後は引き続きグッゲンハイムで展示されると聞いている)先般のもの派に関する紹介もあって、今やニューヨークのマーケットでは日本人作家の作品がかつてなく高騰しているといった下世話な話も耳に入っていたから、本展覧会はある程度、機が熟すのを待って開かれたといえるかもしれない。
 展示は基本的にクロノロジカルに構成されている。来場者はまず山崎つる子の赤い蚊帳に迎えられ、訪れた子供たちが楽しそうに出入りしていた。国立新美術館での展示同様、最初の野外展の紹介にかなり力が入れられ、再制作されたオブジェも展示の随所に配置されている。具体誌も陳列され、このグループが早くから海外との交流を進めたことが容易に理解される。アクションについては写真による紹介が多い。白髪一雄の「泥に挑む」はともかく村上三郎の「紙破り」も恒例の再演がなされず、(ほぼ同じ時期にシカゴに巡回した「DESTROY THE PICTURE」展では、企画者の前LAMOCAチーフ・キューレーター、ポール・シンメルが再演したと聞いた)大きな写真図版で再現されていた。多くの場合、絵画の傍らには関連したアクションを記録した映像が流されていた。同じ作家の作品は固めて展示される場合が多いが、18年もの長きにわたって活動した集団であるから、同じ作家の異なった時期の作品や絵画とオブジェがそれぞれ別々に展示される場合も多く、個展形式によるグループの回顧という形はとらない。昨年の国立新美術館での回顧展がグループとしての輪郭を正確に示すために、会員が増えた60年代後半以降に加入した作家の作品も丹念に加えていた印象があるのに対し、今回の展示では必ずしもグループを総体として提示する意図が認められない。国立新美術館での回顧展がこの集団の網羅的、客観的な紹介をめざしたのに対し、グッゲンハイムの場合は展示に濃淡がつけられ、この集団に一つの解釈を与えることが意図されているように感じられる。螺旋形の壁面を上がっていく独特の建築に従って順路は時系列を追って一方向的であるが、展示の中に例えば「パフォーマンス・ペインティング」や「ネットワーク」といったいくつかのキーワードを設定することによって具体の作家たちに共有された問題系も浮かび上がるように配慮されている。このあたりの演出は巧みであり、例えば比較的散漫なイメージがある後期の具体についても「エンヴァイロメント」という概念を導入することによって一つのパースペクティヴを与えるとともに、この主題が初期以来、具体に一貫された問題意識に連なる点が暗示されている。具体についてほとんど知識をもたないアメリカの観衆に対してクロノロジーとテーマ展示を折衷した構成は、明確な具体のイメージを与える。ちなみにカタログも同様の構成がとられ、具体の活動を通時的に紹介しながら、多くの作家たちに共有されたいくつかのテーマも示されている。展覧会は手練のキューレーターによる過不足のない展示として実現され、私が訪れた日も多くの来場者で賑わっていた。新聞等の展評も好意的であると聞く。
 展示を見ながら、私は企画者のいくつかの意図に気がついた。まずこの展示においてはリーダーである吉原治良にさほど重きが置かれていない。むろん有名な円の絵画をはじめ、いくつかの主要な作品は展示されているが、扱いはほかの作家と同列である。この点は昨年の国立新美術館における回顧展で吉原が独立したコーナーを与えられ、具体結成以前の作品を含めて画業が通覧されていたのと好対照である。これまで国内で具体の作家を紹介する場合は師である吉原と会員たちを区別することが多かったが、このような構成は国外において、しかも吉原も含め第一世代の作家たちがほとんど鬼籍に入ったことによって初めて可能となったように感じる。この結果、この集団は水平的な構造として理解される。別の言葉でいえば、そこに存在した集団を律する規範、それは悪くいえば吉原の独裁であったかもしれないが、この集団が一人のリーダーの意志のもとに統率されていたという事実が見えにくくなっている。第二に展示において絵画の占める比率が比較的小さいように感じられる。この点は具体の評価そのものと深く関わる点であるが、野外展などに出品されたオブジェ、あるいはその写真がクローズアップされる反面、絵画はそれが描かれるアクションのヴィデオ、あるいは関連するオブジェやドローイングとともに配置されることによって、いわば分断されて展示される。むろんこのような展示によって絵画の背景はよく理解されるから、その意図は明確だ。しかし結果として来場者はここに並べられた絵画をアクションの結果、オブジェの反映としてばらばらに理解するのではないだろうか。第三にこの点とも関わるが、展示においてもカタログにおいても写真や映像の占める比率が比較的高いように感じられる。今回の展示では私にとっても未見の資料が展示されており、それはそれで興味深かったが、私はこれらの特質によって具体の活動の本質の一つがあいまいとなってしまうのではないかと考える。それはこの集団の活動の中心が絵画であったという事実だ。おそらく来場者はこの集団が絵画を量産した画家集団であるとは理解しないだろう。このような理解はこれまでも具体評価の一面を構成していた。特に初期に明確であった野外展や舞台展、アクションに注目し、作品発表の多様性を強調する立場。これはハプニングの先駆者としての具体を評価し、アンフォルメルの指導者、ミシェル・タピエとの接触によってグループの先鋭さが失われたという具体評価のクリシェと一致する。今回の展示の最後になぜか活動の中期、1960年のインターナショナル・スカイ・フェスティヴァルの写真が展示されていることはこの点を暗示しているだろう。それではこのような展示から何が浮かび上がるか。
 私の考えではこのような展示は、具体の活動を欧米のモダニズム美術とは別の位相に封じ込めることを目指している。今述べたとおり、展示を見る限り、この集団が絵画の制作を活動の中心に置いたことは理解しがたい。アクション、オブジェ、空間造形あるいは映像や概念芸術の先駆、それこそ何でもありの特異な前衛作家集団として受け取られるだろう。確かにそれが具体の一面であることは認める。しかしこのような側面がニューヨークの美術館で強調されたことの政治的意味について私たちは意識しなければならない。この展覧会のプランが伝えられた最初から、私は「playground 遊び場」というタイトルに強い違和を感じていた。実際に会場の印象も遊び場に近い。野外展に展示された参加型のオブジェが会場に配置され、写真も掲出される。巨大な吹き抜けには元永定正の着色した水を用いたオブジェが張り巡らされて、それはどこにいても目に入るから、無意識のうちに展示全体を象徴する。子供たちが遊ぶ野外展の写真、真剣な創作というより一見、子供の悪戯のようなアクション、出口には(実際に野外展でも展示されていた)落書きボードが設置され、来場者は思い思いの感想を書き付けていた。冒頭のセクションは「play : an inhibited act」と題され、彼らの活動をあたかも、やりたい放題の遊びとみなすかのようだ。野外展の作品にも吉原の厳しい審美眼が働いていたことを知る私としては、このような見解には同意できない。さらに注目すべきはこのセクションにおける児童誌『きりん』の扱いだ。この展示では作家たちが関わったこの雑誌がとりわけ大きく取り上げられていた。私の考えではこの扱いは強引すぎる。具体と児童美術が無縁という訳ではない。しかしそれは当時の関西の美術状況や前衛書との関係、あるいはミシェル・タピエと協同して開催された国際美術展に比して取るに足らない問題ではないか。同時代の美術との関係を等閑視し、代わってオブジェの遊戯性、児童画との親近性を強調する展示は、具体の独自性を認めながらも、所詮、それが欧米のモダニズム美術から見るならば、コップの中の嵐ならぬsplendid playground の中の児戯であったことを暗示するかのようだ。しかし果たしてそうか。本論は具体について本格的に論じることを目的としていないため、いくつかの可能性を指摘するに留めるが、まず指導者吉原治良が阪神間モダニズムを体現する作家であった点は留意されるべきだ。戦前より吉原は海外の美術雑誌を取り寄せて、ヨーロッパのモダニズム絵画に知悉していた。「誰も描いたことのない絵を描け」という吉原の指導はオリジナリティーに重きを置くものであるが、吉原は作品を評価するにあたって形式のみをその基準としており、具体的にはモンドリアン的な抽象絵画の克服という目標を掲げ、児戯どころかきわめて明確な歴史意識を反映させていた。しかし先に述べたとおり、この展覧会で吉原ではむしろ作家の一人として取り上げられ、このような思想が具体を律した点を理解することはできない。さらに具体の絵画について述べるならば、まずこれらの絵画が抽象表現主義やアンフォルメルの絵画とともに国内外で展示されたという事実は無視されるべきではない。確かに先にも触れたニューヨーク展の際に彼らの絵画は抽象表現主義の亜流に過ぎないと酷評を受けた。しかし実は彼らの初期絵画は同時代の絵画と比しても遜色はないのではないか。例えば作品のサイズだ。今回の映像からもうかがうことができるが白髪一雄や嶋本昭三のアクション・ペインティングは当時世界的にみても破格の大きさであり、ポロックやニューマンを凌ぐ。この問題はこれまで全く論じられたことがないが重大であると私は考える。あるいは機械的オートマティスムと身体的オートマティスムが一つの集団において同期したことをどのように考えるか。さらには「Destroy the Picture」ではないが、欧米では60年代以降に露わとなる絵画を破壊するという機制が50年代中盤の絵画、しかも新しい絵画の創造という難問と取り組む中で多くの作家に共有されたのはなぜか。思いつくままにいくつか挙げたが、これらの問題は当時の最前衛の絵画に共有されたラディカリズムと関わっている。つまり本人たちは自覚していなかったにせよ、具体の作家たちの実践は同時代の絵画の超克という意識に根ざした真摯な応答であったのだ。しかし面白主義のオブジェや「子供の遊びのような」アクションを強調することによってかかる革新性、同時代性は隠蔽されている。
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 次に私たちはニューヨーク近代美術館の展示を訪れることにしよう。全館を使用したグッゲンハイムとは対照的に「TOKYO 1955-70」は会場がなんとも手狭だ。同じ階で「INVENTING ABSTRACTION 1910-1925」という特別展が同時に開催されていたが、なんとか会期と会場の調整ができなかったのだろうかと思う。この展覧会のために近代美術館は何度か研究会を開き、調査チームを日本に送り込んだと聞く。その成果は後述する論文集にも反映されており、入念な準備がなされた展覧会であることは直ちに了解できるが、それだけにもう少しゆったりとした展示を望みたかった。ここでも絵画、彫刻は言うに及ばず、写真や建築、実験映画からポスターにいたる幅広いジャンルで日本の戦後美術が総花的に紹介されている。しかしここにも一つの意図が見え隠れしている。今述べたとおり、会場には多数の作品がぎっしりと押し込まれた印象で、展示の文脈を見渡すことが難しい。東松照明のケロイドの写真に始まり、具体美術協会についてもいくつかの代表作が展示され、フルクサスと関係の深いハイレッド・センター周辺の資料やオブジェに続いて、タイガー立石の和製ポップ、そしてもの派による一連の作品まで、展示は一応クロノロジカルに構成されているが、ジャンルが多岐に及ぶこともあり、主要作品の変遷や運動の隆替といったかたちで美術史を読み解くことは困難とされている。私はこのような困難さは日本の戦後美術の本質も深く関わっていると考えるが、ここでその詳細については立ち入らない。この展覧会に先行する1986年のポンピドー・センターでの展覧会、先にも触れた94年のアレキサンドラ・モンローによるグッゲンハイム美術館での展示と比しても、コンテクストの希薄さは逆に今回の展示を特徴づけている。この結果、会場が狭いこともあって作品は相互に関係を作るというより、ばらばらに自己を主張している印象を与える。この結果、一群の作品がひときわ強いインパクトを与える。それは読売アンデパンダン展周辺で発表されたグロテスクなオブジェである。特に菊畑茂久馬による表面にびっしりと五円玉を貼り付けた一対の丸太のオブジェ《奴隷系図》と、無数の男根状のオブジェを天井から吊り下げた工藤哲巳の《インポ分布図とその飽和部分における保護ドームの発生》(驚いたことにこの作品は現在、アメリカのウォーカー・アート・センターに「収蔵」されているのだ)はほぼ同じ場所に展示され、展示効果はともかく会場で異彩を放っていた。《奴隷系図》は道祖神を模しているから、それぞれの丸太の中心にペニスとヴァギナを連想させる造形が施されている。私はこの会場に性器や身体器官を連想させる作品、裸体と関連する作品があふれかえっていることにいささか辟易としてしまった。赤瀬川原平の《ヴァギナのシーツ》、ハイレッド・センターの原寸大のブループリント裸体像、三木富雄の耳のオブジェ、映像に目を移せば全裸の男女が奇怪なアクションを繰り広げるゼロ次元の「いなばの白うさぎ」や土方巽の暗黒舞踏。戦後美術に認められるこれらの系譜については既に椹木野衣が『日本・現代・美術』の中で黒田清輝まで遡って「裸のテロリストたち」という一章を費やして論じており、私たちはこのリストに白髪一雄の「泥に挑む」や篠原有司男の一連のアクションを加えることもできるだろう。
 しかしそれにしてもなぜ裸体と性器なのか。むろん並べられた無数の作品の中からこのような主題のみを取り出すことは恣意的という謗りを免れないかもしれない。しかしながら私はこれら二つのキーワードが示唆するとおり、日本の戦後美術においては身体が、時に描かれた身体として時に描く身体として常に同伴したように感じるし、それゆえこの展示に一種の必然性も感じる。ここで私たちはグッゲンハイムの展示にも立ち戻ることができる。小児性や遊戯、身体や裸体、これらの概念が強調されることによって、西欧における「成熟した大人が真剣に取り組む視覚と関わる営みとしての美術」、それをモダニズム美術と読み替えてもよかろうが、その対極にある営みとして日本の戦後美術が了解されるのではなかろうか。偶然であろうが、先にも触れたとおり、同じフロアで同時期に開催されていた「抽象の発明」と題された展示を訪れるならば、このような対比はさらに明確である。「抽象の発明」は1910年代に世界各地で同期した抽象表現の成立をキュビスムから未来派、ロシア構成主義からダダイスムにいたる多様な作家と作品をとおして回顧する、やや教科書的とはいえ興味深い展示であった。そこでは抽象表現の成立というモダニズム美術の里程標が、ヨーロッパの作家による真剣な探求の結果として、知的に洗練された視覚的営為として達成されたことが明らかにされている。ニューヨーク近代美術館で来場者は通常全館観覧可能なチケットを求めるから、大半の来場者は二つの展覧会を一緒に見ることになり、二つの展覧会は対比されるはずだ。「抽象の発明」では一つの興味深い映像が上映されていた。それはマリー・ウィグマンというドイツの舞踏家の振り付けによる「抽象ダンス」であり、舞踏の抽象化、身体の抽象化が図られているといった解説が付されていた。1910年代のヨーロッパを扱った展覧会で「抽象ダンス」が上映される一方、半世紀後の東京を扱った展覧会で上映されているのはゼロ次元と暗黒舞踏なのだ。抽象性と具体性、観念性と土俗性、二つの展覧会を続けて見るならば両者の異質性が際立つことはいうまでもない。今回のカタログの表紙にはハイレッド・センターの活動の中で顔中に洗濯バサミを付けたまま歩行する中西夏之の写真が用いられている。何も見えない状態で痛みを感じながら歩く作家の姿は視覚ではなく身体と深く結びついた日本の戦後美術、欧米のモダニズムとは全く異質の営みを象徴するかのようではないか。
 展覧会は常に一種の政治性を帯びる。作品の選択とはほかの作品を排除することでもあるから、私は例えば山口長男や斎藤義重の不在を理由にこの展覧会を批判しようとは思わない。いかなる作品の選択し、いかに配置するかは企画者の見識である。しかし同時にこのようにして表象された具体の活動、日本の戦後美術が誰の、いかなる無意識を反映しているかについては自覚的でなければならないと考える。今回の展覧会を機にニューヨーク近代美術館は『ポスト・ウォーからポスト・モダンへ』という日本の戦後美術に関する基礎的文献を網羅した論集を刊行した。日本側の協力者もあり、きわめて充実した内容であるが、私が驚いたことにはこのような論集はこれが初めてではなく、既に中東ヨーロッパやブラジル、中国といった地域の美術に関しても同様に基礎文献をコンパイルした論集が同じ美術館の手によって出版されているのだ。一つの機関をとおして世界の現代美術に関する基礎文献が英語へと翻訳紹介されていくことはある意味では画期的であるが、別の意味では極めて危うい。とりわけ日本の戦後美術に関してはここ数年の展覧会に関連して刊行されたカタログ、あるいはアメリカの大学に提出された多くの博士論文などによって英語での蓄積が進み、今後日本よりも英語圏において研究が活発となる事態も予想されるだろう。私たちが日本の美術を検証するにあたって欧米という鏡、英語という言語を介すという倒錯した状況も今後大いにありうる。そもそも今回の展覧会自体が鏡に映った自分たちの姿なのだ。もはや鏡に映ったことを喜んでいる場合ではないだろう。今や鏡の歪みを意識し、場合によっては鏡像を補正することが私たちに求められているのではないだろうか。

 例によって辛口のレヴューとなったが、二つの展覧会はわざわざニューヨークまで足を運んだことが報われる充実した内容であった。多くの困難を乗り越えて、これら二つの展覧会を実現した関係者に敬意を表したい。この過程で整理された日本の戦後美術に関する情報は今後英語圏で共有されることとなるだろう。そして戦後美術への関心が高まっているのはアメリカのみではない。このところ日本国内でも1970年代の文化、1950年代美術、最近では実験工房に焦点を絞った優れた展覧会が続いている。海外の有名美術館の三流コレクションを並べた展覧会ばかりが目を引く昨今、美術館にとって基本とも呼ぶべきこのような展覧会が連続して企画されていることは大いに喜ばしい。同時にかかる高まりを一過性の流行に終わらせることなく、日本の戦後美術という異例の営みに本質を解明することがまさに私たちに求められているように感じる。
 なお、今回の展覧会には膨大なテクストが付随する。早い時期にレヴューする必要を感じたため、これらについてはまだ読み込んでいない時点での所感であることを最後に付言しておく。
by gravity97 | 2013-03-04 17:43 | 展覧会 | Comments(0)

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