「美術にぶるっ!」

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 先日、東京国立近代美術館の開館60周年記念展「美術にぶるっ!」を訪れた。周年にコレクション展が開かれた場合、アリバイ的な味気ない展覧会となる場合が多いが、さすがに近代美術館、一筋縄ではいかぬ刺激的な内容となっている。このところ、海外、特にアメリカで日本の戦後美術を主題とした展覧会が次々に開かれ、英語による原資料の紹介、そして作品研究が進められている。私としてはこのような状況に一つの危機感を抱いているが、それについては別稿で論じることとして、かかる趨勢に対して一矢を報いた内容としてもこの記念展の意義は大きい。
 「美術にぶるっ!」はいつものコレクション展示同様、4階に始まり、時代を下るにつれて階下へと降りて行く。最初にベスト・オブ・ベストと呼ぶべき作品を一室に集めたり、開館の折りに収集された作品で展示の一角を構成したり、それなりに工夫もある。作品に付されたコメントもよく練られており、美術館の建築を取り入れた展示も含めて、若手のキューレーターの視点がうかがえて楽しめる。展示では人の表現、前衛の登場、戦争の世紀といったテーマに基づいて編年体で日本の近代美術史が紹介される。このうちいくつかのテーマについてはこの美術館で、あるいはほかの美術館で近年、一つの企画展の主題とされたことが思い起こされる。テーマのみならず作品も見慣れたものが多いからさほど新鮮な印象はないが、この美術館の使命は日本の近代美術の「正史」を編纂することであり、このような「正史」への批判は当然ありうるとしても、ひとまずはこの展覧会では多くの名品を一度に見ることができることを純粋に楽しめばよいと思う。大観の《生々流転》であれ劉生の切り通しであれ、今まで何度も見たことがあるにもかかわらず、付されたコメントを介して個人的に新たな発見があり、この美術館のコレクションの層の厚さをあらためて思い知る機会となった。しかしそれだけでは最初に述べた通り、名品揃いであってもキューレーションの要素が少ない味気ない展覧会でとなっただろう。今回の展示の注目すべき点は一方で名品をたどる水平的な構成をとりながら、通常企画展が開催される一階の展示室において展覧会に垂直に切り込むかのようなきわめて批評性の高い一連の展示がなされていることである。いうまでもなくこの展覧会の第二部と位置づけられた「実験場 1950s」である。
 このような二部構成自体は特に目新しくはない。第一部に出品された作品が展示の構成上、東京国立博物館等から一時的に借用された内容を含むとはいえ、基本的にコレクションから出品され、その意味でも「MOMATコレクションスペシャル」と銘打たれていたのに対して、第二部は明確な意図とともに他の美術館から借用された作品群と東京国立近代美術館のコレクションによって構成されている。つまりコレクション展と企画展が並立しながら、全体としては企画展も通時的な構成の中に組み込まれるという二重構造によってこの60周年展は成立しているのである。《騎龍観音》など近代洋画の濫觴から時代を下りながら作品を巡覧した観者は二階のあたりで奇妙な中断を体験する。近代美術館が所蔵する海外作家の作品を集めたコーナーは国籍の違いによって説明できるにせよ、日本の近代美術の文脈が唐突に断ち切られ、荒川修作や高松次郎の概念的な作品に出会うこととなるのだ。一階に降りると私たちはこの中断の意味を知る。欠落していた時代、とりわけ1950年代を集中的に取り上げる「実験場 1950s」の展示に立ち会うからだ。そして第二部に歴史的、通史的な文脈は初めから存在しない。
 第二部の展示において1950年代が特集された理由、正確に述べるならば1952年が起点とされた理由は単純だ。1952年は東京国立近代美術館が開館した年であり、周年展にふさわしい。しかしここで冒頭に展示されるのは作品ではない。それは原爆投下から7年後の広島市の復興の模様を撮影した朝日ニュースの映像である。映像は新しい家並みを映し出して戦争からの復興が順調である点を示しながらも、原爆投下直後の酸鼻極まりない被害と広島の光景、あるいは52年当時も残存する被爆の影響についても詳しく述べている。いうまでもなくここには2012年が二重化されている。被爆直後の焦土と化した広島のイメージからは東日本大震災の津波によって廃墟と化した東北の被災地を連想せずにはおられず、同様に半世紀後に原子力災害として放射能による災厄が同じ日本で繰り返されたことに思いを向けずにこの映像を見ることは困難である。私はこの映像から直ちに椹木野衣が日本の戦後美術(椹木の場合は1955年以後が想定されていたが)を一種の「悪い場所」、閉じられた円環とみなしたことを連想した。今回の展示に同じ意図があるかどうかはひとまず措き、展示は50年代の美術を政治的な文脈との関連において検証し、その際には記録映画や写真、週刊誌や宣伝文書といった異なったジャンルの表現が多く参照されている。私はこのような発想と展示が先日まで埼玉県立近代美術館で開催されていた「日本の70年代 1968-1982」の展示と近似している点に興味を抱いた。企画者の鈴木勝雄はこの展示と関連して刊行された論集の冒頭で今回の企画の動機を列挙している。まず美術という制度の中で自閉する既存の美術史によっては50年代美術の豊饒を把握することができないこと、そしてこれまで50年代美術がリアリズムとモダニズムの二律背反的な対立として捉えられてきたことへ違和感などである。続いて鈴木は文化の政治性を美術史の文脈において論じることの必要性と「リアリズム」概念の再検討、そしてこれまで広く「リアリズム」と括られてきた表現の変遷や形式に対する分析の必要性を説く。鈴木によれば本展に先行して目黒区美術館における「1953年ライトアップ」と名古屋市美術館における「日本のリアリズム」という二つの展覧会が存在するが、これらの観点に立つならばいずれも不十分であった。私も両方の展覧会を見たが、確かに前者からはなぜか「社会主義リアリズム」が排除され、後者は大量の作品をただ羅列した趣であり(それはそれで展示の手法として一つの明確な意図のもとになされたと考えるが)、いずれも不徹底な印象があった。今回は重要な作品が網羅されるとともに記録映像が充実し、当時の熱気を背景に作品が制作された必然性が強く意識される。たとえば亀井文夫の記録映画の横に中村宏の《砂川五番》が置かれ、北朝鮮への帰還事業を伝えるニュースの横に曹良奎の《密閉せる倉庫》や《マンホール》が展示されている状況からは、時代の熱気と閉塞感がともに伝わってくる。私の記憶によれば後者の作者はこれらの鮮烈な作品を発表した後、北朝鮮に「帰還」し、その後の消息が不明となったのではなかっただろうか。
 個人的に私が関心をもったのは「静物としての身体」と題されたコーナーである。鶴岡政男の《重い手》と阿部展也の一連の絵画、村岡三郎の《背》、浜田知明の「初年兵哀歌」そしてなによりも河原温の「浴室」シリーズ、これらの一連の作品は手法も表現もそれぞれ異なるにも関わらず、明らかに一つの時代の気風を表象している。先に触れた論集の中で大谷省吾は「静物としての身体」というセクションのタイトルそのものが死体を暗示しているという興味深い指摘を行っている。これらの作品の息詰まるような閉塞感から私が連想したのは欧米の絵画ではなく、野間宏の「暗い絵」や椎名麟三の「深夜の酒宴」といった同時代の文学であった。論考の中で大谷も浜田知明の「初年兵哀歌」と野間の「崩壊感覚」で表象された二つの縊死体を対比的に論じ、さらに河原温の「浴室」と大江健三郎の「死者の奢り」における死体の集積に言及して論を終えている。これらの作品はすべて死体を主題としている。序論でも指摘されるとおり、当時は花田清輝や佐々木甚一といったジャンルを超えたイデオローグが存在したという事情はあったにせよ、文学と美術がきわめて親和し、主題において共通性をもつのみならず、形式的な比較さえ可能であることにこの時代の表現の特異性をみる思いがする。この意味において通時的な分析を一度解除したうえで、ジャンルの横断性に50年代美術の特質を認める本展の姿勢は有効といえよう。
 以上の点と深く関連するが、今回の50年代の特集展示を見て私が強く印象づけられたのはジャンルや作家を横断して実にさまざまの身体が登場することだ。あたかもコレクション展示の中でも圧倒的な存在感を見せつけた藤田嗣治の《アッツ島玉砕》中に累々と横たわる死体のごとく、作品の中に身体が表象される。最初の部屋に展示された被爆者のケロイドの写真はこの意味においても象徴的である。50年代をとおして繰り返し私たちが出会うのは切断され、積み重なり、時に不気味に変形し、虐待の跡を留めた身体である。同じ時代、海外に目を向けるとやはり人体を主題とした記念碑的な作品が存在する。デ・クーニングの《女》、フォートリエの《人質》。第二次大戦の記憶も生々しいこの時代に身体が作品の共通の主題とされたことは時代の必然であったかもしれないが、これらと比してもこの時期に日本で描かれた身体の異様さは突出している。「実験場50s」においては主として50年代の具象的な表現をたどりながら、この点が確認された。しかし私は同じ系譜を60年代以降の美術、そして同じ時代の抽象絵画の中にも伏流水のごとく認めることができるのではないかと考える。すなわち読売アンデパンダン周辺、具体的には工藤哲巳、荒川修作、あるいは三木富雄から赤瀬川原平にいたる作家のオブジェに執拗に反復される切断された器官のイメージ、あるいは性器や胎児を連想させるグロテスクなイメージ。一方で今回は展示された作品が少なかった50年代の具体美術協会の活動において作家の身体は泥と格闘し、紙の衝立を破り、絵具壜をカンヴァスに叩きつけた。前者を河原温の(この展示には加えられていないが)「死仮面シリーズ」(1955/56)に、後者を反基地闘争の写真にとどめられた参加者の肉体と熱気と関連づけることは決して強引ではないだろう。この意味においてもこの展示で紹介され、「実験場」と名づけられた50年代美術は実に日本の戦後美術の原基なのである。
 ひるがえってこれらの表現に徹底的に欠落している要素、それは視覚性という主題である。視覚と身体を対立的にとらえることに議論の余地は大いにあるが、作品の視覚的な在り方がこれらの作品においてさほど重視されていないことは明らかである。いうまでもなくこのような美術の在り方は欧米のモダニズム美術の対極にある。再び「MOMATコレクション」に戻るならば、明治期以降の日本の近代美術にあって萬鐵五郎、岡本唐貴らわずかな例外を除いて、絵画の視覚的、形式的な探求がなされたことはなく、60年代以降の美術はもはや視覚ではなく概念や観念が主題とされている。例えば辰野登恵子や中村一美のごとき、絵画の形式的な探求者が日本にいなかった訳ではない。しかし意図的であろうか偶然であろうか、彼らが登場する80年代以降の美術を欠いたことによってこの展覧会は日本の近代美術の充実と同時に一群の作品の不在を強く意識させる内容となっている。私は欧米の「美術史」を規範とみなす立場には立たない。しかしここで日本の近代美術の正史として登録された作品群は、逆説的にも充実ではなく欠落をとおして美術史における近代日本の特殊性を物語っている。b0138838_2246959.jpg

by gravity97 | 2012-12-04 22:49 | 展覧会 | Comments(0)