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Living Well Is the Best Revenge

「与えられた形象 辰野登恵子 柴田敏雄」

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 展覧会は既に終了しているが、「与えられた形象」と題され、国立新美術館で開催された辰野登恵子と柴田敏雄の二人展について触れておきたい。作品の質の高さはいうまでもなく、展覧会という営みについても深く再考を促す刺激的な内容であった。二人の作品についても論じたい点は多いが、それには個別の論考が必要であり、相当の準備が必要となるだろう。ここではあくまでも展覧会をとおして喚起された思考の断片を記録するに留めておく。
 国立新美術館における大型の二人展には先例がある。それは2009年に開かれた松本陽子と野口里佳の二人展であり、二つの展覧会にはいくつもの共通点がある。いずれも同じ学芸員によって企画され、絵画と写真というジャンルの異なった表現を取り上げている。さらにいずれの展覧会も統一的なタイトルが付され、広い会場を贅沢に使った展示がなされていた。しかし両者には差異も存在する。例えばカタログだ。松本と野口の二人展がそれぞれの作品を収録した二分冊として発行されたのに対して、片手では持ちきれないほどの重量の今回のカタログでは辰野と柴田の作品が同じ一冊の中に収められている。私は松本/野口展も見たが、私の記憶が正しければ、この展覧会では二人の作品が別々に、つまり連続する二つの個展という形式で展示されていたように思う。これに対して、今回はかなり特殊な展示がなされていた。すなわち二人の作品は交互に展示され、しかもその配列はクロノロジーに依らない。例えば辰野であればS字形や花模様といったイメージが導入された80年代のよく知られた作品からスタートした後、70年代の格子のミニマリズムへと遡行し、21世紀に制作された近作に続けて、東京芸術大学在学時に描かれた覚しき初期の具象絵画が展示される。そして辰野の通時的な脈絡を欠いた展示のいたるところに柴田の写真作品が挿入される。柴田の場合、展示は写真集などにまとめられたシリーズごとに編成されているが、辰野と同様に新作や初期作品を含めて時代的な振幅は大きく、クロノロジカルな構成はとられていない。時間的文脈を意図的に脱落させる展示の手法は今回の展覧会において個々の作品以上に前景化されている印象がある。
 辰野と柴田は東京芸術大学の油画科の同級生であり、さらに付け加えるならば二人とも現役で入学している。二人が入学したのは1968年という「政治の季節」であったが、二人ともそのような政治性から距離を置いていることは初期作品を見るならば、明らかであろう。彼らは同級生の鎌谷伸一とともに学生運動の余波で誰もいない教室を使って「コスモス・ファクトリー」というスタジオを開設する。村松画廊で開催された「コスモス・ファクトリー」の三人展ポスターが出品されているが、そこには明らかにアメリカのコミックが引用され、右端にはドナルドダックの姿さえ認められる。彼らとディズニーの取り合わせは意外であるが、そもそもこのスタジオの名前はアメリカのロック・バンド、クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイヴァルのアルバムからとられているという。彼らが自らの表現を育むにあたってアメリカの大衆文化が素地を形成したという事実は興味深い。さらに注目すべきは二人がともに版画という表現に関心を寄せた点である。アメリカの大衆文化と版画、両者の共通点は複数性と反復性であり、それらは同時代のポップ・アートの中にも色濃く反映されている。資質的にポップ・アートから最も遠くに感じられる辰野と柴田がかかる表現と親和したという事実は単に時代を共有したという以上の意味をもつように私は感じる。このカタログには二人の対談のほかに、多くの示唆に富んだ作家の言葉が収録されている。80年代に自らの絵画に導入したイメージについて辰野は次のように語る。「これらのモティーフをとり上げたと言っても、それ自体に関心があった訳ではありません。ですから、絵の主題というわけではありません。むしろ、一種の口実のようなものです。私が1970年代から一貫して関心のあったのは、連続性であり、また連続性の遮断や断絶です。それは連続的なパターンやモティーフを通じて表現されるのです」グリッドを用いた初期のシルクスクリーンを想定するならばこの言葉はたやすく理解される。そして今述べた複数性と反復性は同一の画面においては連続性として表出されると考えられないだろうか。一つの画面に連続して反復される単位とそれからの逸脱。このように考える時、私は柴田の初期の写真においても連続性とその遮断という構造が頻繁に現れていたことは重要な意味をもつように思う。柴田が取り上げるのは道端の法面(切取り、盛り土によって形成された人工の斜面)であり、石垣であり、風景の中の堰堤(砂防ダム)であった。罫紙のごとき格子模様とコンクリートで固められて分割された斜面、辰野と柴田がともにグリッドという単位から出発したことは示唆的ではなかろうか。
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 ところでロザリンド・クラウスはよく知られた論文の中でグリッドについて次のように論じている。「近代の全美学的生産の中で、これほど執拗に持ちこたえ、同時に変化を受け付けなかった携帯は、他にはなかったと言って差し支えないだろう。印象的なのは、グリッドの探求に捧げられた生涯の絶対数ばかりではなく、探求というものがこれ以上不毛な地を選択することはできなかっただろうという事実である。モンドリアンの経験が十分明らかにしているように、発展とはまさにグリッドが拒むところのものだ」グリッド構造はそれ自体で自足しており、展開しえない。そしてこのような構造は展覧会という制度にも拮抗するのではないか。展覧会、とりわけ一人の作家の個展において、作家は生涯をかけて作品を展開、発展させるという認識が共有されている。もちろん変化が「発展」とみなされない場合もありうる。しかしその評価はともかく、作品が変化を遂げることは自明であり、それを跡づけることが多くの場合、展覧会の意味であった。一人の作家が青年期の多くの習作を経て、壮年期に独自の表現を樹立し、老境に入るや円熟の域に達する。通常であればこのような理解に基づいて作家の個展は構成されている。そこで重視されるのは習熟、深化、円熟といった作品相互の通時的な文脈である。本展の企画者が二人展という形式を用い、先に述べたとおりあえて時間的な文脈を脱臼させて展示を構成する時、そこには辰野と柴田の作品の構造そのものが反映されているのではなかろうか。記号論的に述べるならば通常の展覧会が作家の時間的「成長」を前提とした連辞論的な構造を前提としているのに対して、「与えられた形象」は相互に交換可能な連合的な関係に基づいた展覧会として成立している。二人展という枠組自体が二人の作家の交換可能性を暗示しているだろう、さらにひるがえって辰野の70年代のシルクスクリーン、モティーフの連続によって特徴づけられる80年代の絵画、より明瞭で識別可能な対象が描かれた2000年代の絵画、これらをたまたまその時期に制作された交換可能なシリーズと考えることはできないか。影響や成熟といった「近代」絵画に密接に結びついた作業仮説に拘束されている限り決してありえない発想であるが、そもそも作家は「成長」、「成熟」しなければならないのであろうか。それに代わって「選択」することはできないか。柴田の作品を
b0138838_10344176.jpg通覧するならばこのような可能性が理解できる。法面、ダム、堰堤あるいは高速道路沿いの夜景、柴田のモティーフが法面から堰堤へと変化したとしてもそれは写真家の成熟を意味しないことは明らかだ。柴田の写真からベルント&ヒラ・ベッヒャーが給水塔を撮影した一連の作品を連想することはたやすい。彼らの作品が暗示するとおり、70年代のコンセプチュアル・アートには明らかに成熟とか完成といった概念を否定する契機が含まれていた。それは端的にモダニズムの否定であり、近代という枠組に束縛された展覧会という制度に対する批判でありえた。
 クリフォード・スティルの絵画に対する共感を語り、抽象表現主義を継承したいと述べる辰野が真正のモダニストであることは明らかだ。二人展という形式をとるにせよ、辰野の代表作をほぼ網羅し、国立新美術館という壮大なホワイトキューブの中で実現された本展は一面では日本のモダニズム絵画の最良の部分を紹介する試みである。その一方で辰野と個人的に親交があり、資質的に多くの共通点をもつ柴田の写真を辰野の絵画の傍らに確信犯的に挿入することによって、この展覧会は辰野の絵画を支えてきた体系そのもの、さらにいえば展覧会という制度そのものの中に軋みを生じさせる。この二人展が優れた作品に出会うことの喜びとともに強い緊張感を見る者に強いる理由はこの点にあるだろう。
 例によって主として展覧会の形式的な側面について論じた。二人の作品、特に辰野の絵画の「展開」について論じたい問題は多いが、展覧会レヴューという本論の枠組を超えてしまう。別の機会に譲りたい。 
by gravity97 | 2012-11-10 10:47 | 展覧会 | Comments(0)