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Living Well Is the Best Revenge

伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』

伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』_b0138838_21491348.jpg 伊藤計劃と円城塔はほぼ同世代、日本のSFの新世代と嘱望された二人の若手である。ともに2007年に発表した世評の高い二つの作品『虐殺器官』と『Self-Reference ENGINE』を私はいずれも比較的早い時期に読んでいる。しかし9・11以後の泥沼のような世界的内戦状況を言語の問題と絡めてリアルなポリティカル・フィクションとして語る伊藤とSFというよりボルヘスやバーセルミを連想させる優雅なメタ・フィクションを得意とする円城からは作家の資質としてずいぶん異なった印象を受けた。無念なことに伊藤は数作を発表した後、34歳で早世したが、円城はその後も多くの作品を発表し、先般芥川賞を受賞したことは知られているとおりである。同じ世代に属し、ともにハヤカワSFシリーズでデビューした二人に交友があったことは予想されるが、よもや二人が一篇の新作長編を上梓するとは想像していなかった。しかも今記したとおり、伊藤は既に他界しているから、二人が語らいながら一つの作品を構想することはありえない。そもそも先に述べたとおり、二人の作風の間には大きな懸隔があるのではないか。
 いくつもの疑問とともに本書を読み始めた私の不安は直ちに解消された。この小説においては二人の作家の特異な個性がなめらかに融合し、稀代のスチームパンクとして成立しているのだ。正確にはこの小説は伊藤が書き遺したわずか30枚の原稿をプロローグとして、それ以降を円城が書き継いで成立した。完成までに3年以上かかったとのことであるが、さもありなん、伊藤の構想が見事に生かされた圧倒的なエンターテインメントに仕上がっている。
 最初に伊藤が遺したプロローグを簡単に要約しておく。この内容を知ったとしても読書の楽しみが減じることはない。舞台は18世紀のロンドン、ロンドン大学医学部の講義の中で主人公、ジョン・ワトソンは死者の復活実験に立ち会う。この実験が大学で公然と行われていることが暗示するとおり、ここに描かれるもう一つの世界では死者の復活とは科学の一環であり、復活した死者たちは軍隊や鉱山で使役されている。実験にあたって主任教授セワードは特別ゲストとしてアムステルダム大学から死者復活に関する第一人者、ヴァン・ヘルシング教授を学生たちに紹介する。実験をめぐる質疑の中でヘルシングに認められたワトソンはイギリスの諜報機関の一員として、アフガニスタン奥地に築かれているという「死者の王国」の真偽を確認するため中央アジアに派遣されることとなる。ルビを駆使した凝った文体で語られる物語の中にはいくつもの引用が認められる。ワトソンとはいうまでもなくコナン・ドイルが創造した名探偵シャーロック・ホームズの相棒であり、プロローグの内容はホームズが『緋色の研究』において初めてワトソンに会った際に、軍医として彼がアフガニスタンに派遣されていたことをみごとに推理して驚かせたというエピソードと合致している。ヴァン・ヘルシングがブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』に登場し、ドラキュラと対決する人物であることはいうまでなかろう。『屍者の帝国』においてはヘルシングもワトソン同様にイギリスの諜報員という役割を与えられ、物語の中で重要な役割を果たす。
 伊藤の小説の円熟を暗示するなんとも魅力的な導入であるが、円城はかかる設定をさらに押し広げ、伊藤同様にペダンティックな文体でその後のワトソンの冒険を書き継いでいる。死者を復活させる技術はともかく、冒頭で歴史的事実を踏まえた現実的な設定の中に文学上の架空の人物を登場させる手法になじんだ読者はアフガニスタンで死者たちの復活を操る黒幕が『カラマーゾフの兄弟』に登場したカラマーゾフ家の三男、アリョーシャであっても、ワトソンとともに死者の王国の謎を解明する仲間の一人が『風と共に去りぬ』に登場する伊達男、レット・バトラーであったとしてももはや驚かないだろう。さらに深読みするならば、第一部においてワトソンがロシアのエージェント、クロソートキン(コーリャ・クロソートキンもまた『カラマーゾフの兄弟』に登場したアリョーシャに心酔する少年であった)らと川を遡ってヒンズークシ山脈の彼方に「神の王国」の探索に出かけるという物語はこのブログで論じたコンラッドの『闇の奥』、さらにはそれを脚色したコッポラの『地獄の黙示録』の再話にほかならない。
 蘇生した死者という主題を扱った小説や映画は数多いが、本書に登場する死者はゾンビではなくフランケンシュタインの物語と深く関わる。したがって本書ではメアリー・シェリーの手によるゴシック・ホラーがしばしば参照され、ヴィクター(フランケンシュタインを創造した科学者)の残した手記が重要な役割を果たす。「ザ・ワン」という名を与えられ、かつて北極に消えたクリーチャー、死体から作られた人造人間は陰の主役として物語の中で次第にその姿を現す。円城は様々の歴史的事実、神秘思想を博捜して、物語に具体的な輪郭を与える。アフガニスタンの奥地で「ザ・ワン」をめぐる秘密を知ったワトソンらは、続く第二部で流出したヴィクターの手記を追って明治期の日本へと向かい、入り乱れるいくつもの秘密結社と暗闘を繰り広げた後、かつてのアメリカ北軍の将軍、後の18代アメリカ大統領グラントとともにリッチモンド号でアメリカに向かう。このブログを書くにあたってグラントの経歴を調べてみたところ、グラントは実際に日本を訪れ、物語の中にあるとおり、浜離宮で明治天皇に謁見している。このあたりの虚実をないまぜにした筆運びはみごとである。第三部で舞台はアメリカに移り、「ザ・ワン」の驚くべき正体が明らかになる。最後に主人公は再びロンドンに戻り、東向きの世界一周の果てに物語は閉じられるのであるが、その詳細についてこれ以上詳しく触れることは控えよう。登場人物が歴史あるいは文学の中に刻まれた固有名をもち、具体的な場所や事件を参照するにもかかわらず、語られる内容は抽象度が高く、理解することは決して容易ではない。『屍者の帝国』は一方では実在あるいは空想上の人物、怪物や死者、神秘思想と秘密結社がロンドンからカイバル峠、東京の浜離宮からプロヴィデンス(このロード・アイランドの地名にラブクラフトの影をうかがってしまうのは私だけだろうか。ラブクラフトにも死体蘇生者をめぐる作品がある)といった様々な土地を舞台に派手な銃撃戦や大立ち回りを演じ、どんでん返しが続く荒唐無稽な物語であるが、その一方できわめて思弁的な問いをめぐる謎解きでもある。それは人の意識を構成するのは何かという問いであり、そもそも死者の蘇生という主題はこの問題と深く関わっている。物語の最終盤でこの問いに一つの答えが与えられる。ここでその詳細には触れないが、読み終えてみると、ここで開陳される思想はまことに伊藤計劃と円城塔のいずれにもふさわしく、あらためて私は二人の共作としてこの傑作が奇跡のように成立した理由を理解できた気がした。
 今述べたとおり、フランケンシュタインあるいは人造人間というモティーフをめぐっては、ゴーレム伝説からラブクラフト、本多猪四郎にいたる脈々たる系譜が存在する。本書は哲学的な難解さを秘め、ストーリー自身もかなり複雑である。私にとってこのような晦渋さは主題を反映し、むしろ好ましく感じられるが、最後に同じテーマを扱った純然たるエンターテインメントを紹介しておこう。比較的最近に翻訳が完結したディーン・クーンツの「フランケンシュタイン」三部作である。現代のニューオリンズを舞台とし、フランケンシュタイン伝説を換骨奪胎したこの三部作ではフランケンシュタインを創造したヴィクターが悪の権化として、人造人間による世界征服を企てる。対するはヴィクターによって創造されながらも正義に目覚めたフランケンシュタイン(作中ではデュカリオンという名を与えられている)とニューオリンズ市警の警察官たち。設定だけで苦笑してしまう安っぽさこそクーンツの身上だ。クーンツには同様にマッド・サイエンティストによる人間改変というテーマを扱った『ミッドナイト』というページターナーもあるが、サスペンスフルな導入、意表をつく展開と映画を連想させる場面の切り替え、玉石混淆の感が強いクーンツの作品の中でもこの三部作、特に開幕の一巻『フランケンシュタイン 野望』は出色といえよう。翻訳の順番の巡り合わせが悪かったためか、80年代に『ファントム』や『ストレンジャーズ』といった傑作が次々に紹介されたにもかかわらず、その後は凡作のオンパレードという印象を払拭する久々のクーンツ節であった。併読されたい。
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by gravity97 | 2012-11-01 21:53 | エンターテインメント | Comments(0)