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「『具体』ーニッポンの前衛 18年の軌跡」

b0138838_14441259.jpg 具体美術協会の活動の全貌を紹介する「『具体』―ニッポンの前衛 18年の軌跡」展が国立新美術館で始まった。1954年に芦屋で結成され、1972年にリーダー吉原治良の死去とともに解散した「グタイ」は日本の戦後美術において海外に最もよく知られた作家集団である。今回の展覧会の売り物は彼らの活動の全幅を初めて東京で紹介した点であるという。グローバリズムが喧伝される今日、東京で回顧されることに何か意味があるのかとも感じられようが、このグループが甘んじてきた地政学的な不利益を考えるならば一定の感慨がある。具体は当初から東京を意識し、実際に何度も大規模な発表を東京で行ったにも関わらず、東京の美術界から徹底的に黙殺された。かつてクレメント・グリーンバーグはすべての優れた美術はニューヨークを経由すると言い放ったが、日本においてもこれまで美術に関する展示施設や大学、ジャーナリズムや批評家が集中する東京で評価されることなくして、注目されることは困難であった。これに対し、具体は東京ではなく、海外での評価を足がかりに戦後美術史に楔を打ち込んできた。この経緯もきわめて興味深い。活動時には1950年代後半、フランスのミシェル・タピエにアンフォルメルの作家集団として高く評価され、一方、1966年に発行された大著『アッサンブラージュ・エンヴァイロメンツ・アンド・ハプニングス』においてハプニングの理論家アラン・カプローは初期の具体にみられたアクションをハプニングの先駆として評価する。これら二つの立場が、以後、具体の評価を二分するようになることはよく知られているが、さらに重要な意味をもつのは、比較的近年の具体再評価の動向である。すなわち1986年にポンピドーセンターで開かれた「前衛芸術の日本」において戦後美術の出発点と位置づけられ、破格の扱いを受けたことに始まり、90年前後には兵庫県立近代美術館が組織したいくつかの展覧会がヨーロッパを巡回し、99年のパリ、ジュ・ド・ポーム美術館における具体展、あるいは97年のロサンジェルス現代美術館における「アウト・オブ・アクション」、あるいは2006年、デュッセルドルフにおける「ゼロ」といった展覧会では海外の美術館が自らの手によってグループの活動やパフォーマンス芸術における位置づけ、ゼロ・グループとの関係などを検証した。そして来年にはニューヨークのグッゲンハイム美術館においてアレクサンドラ・モンローの企画する具体展が準備されているという。それを見越してであろうか、プレヴューの会場には欧米のディーラーもしくはバイヤーらしき人々も見かけた。ここで論じる余裕はないが、それぞれの時代に具体の作品が欧米のどのような視線のもとに要請されたかについては今後も検証されるべきであろう。
 展覧会に向かおう。東京で初めて具体を紹介するにあたって、企画者は正攻法で臨んだ。すなわち作品の配置には厳密なクロノロジーを適用し、18年もの長きにわたる活動を時間軸に沿って紹介している。展覧会のプロローグで私たちは作品や宣言ではなく、ただ一冊の雑誌に出会う。具体の最初の活動は『具体』と題された小冊子の発行であり、逆にこの冊子のタイトルとして「具体」という名が考案されたのである。なにげない導入であるが、初期具体の活動の特異さを考えるうえでは巧みな演出である。具体はこの冊子を世界各地の作家や批評家に送り、ともに新しい美的規範を樹立することを求めた。戦前より欧米の美術雑誌に親しんでいた吉原ならではの戦略であり、このグループの最初の事業が機関誌の発行であったことは記憶されてよい。続いて第二室で来場者は巨大なオブジェ群に出会う。これらはやはり活動の端緒に芦屋川の河畔で開催された野外美術展に出品された作品である。(厳密にはこの展覧会は芦屋市美術協会の主催であり、具体はグループとして参加した)真夏の野外に出品されたという事情から、巨大で派手、さらに安価な素材で制作されたこれらのオブジェのほとんどは会期終了後に解体撤去され、今日に残されていない。これらの伝説的オブジェを今日見ることができるのは、現在兵庫県立美術館に収蔵されている山村コレクションという具体に関する画期的なコレクションの中で美術館であれば尻込みする再制作という手法が積極的に取り入れられたこと、さらには芦屋市立美術博物館の手によってこの野外展が1992年に同じ場所で再現され、当時存命であった作家たちによって制作のノウ・ハウが再確認されたという理由による。サイズが大きいため、これまでの具体に関する展覧会では会場入口などにいわばモニュメント的に展示されることが多かったこれらの作品を一室に集約することで、このような活動が具体の本質と深く関わることが理解される。今回の展示が暗示しているのは初期の具体の活動が絵画や立体の制作といった通常の美術制作とは全く異なった次元にあったという事実である。私の考えではこのような指摘は重要であり、それを展示によって示す点にこの展覧会の批評性が示されている。次のセクションにようやく絵画が登場する。しかし意外なことに最初期に制作された絵画は小ぶりなものが多い。それらの絵画は物質性が濃厚で、時に金属や異素材が導入されている。作家同士の作品の類似性、ドローイングとの関係など、会場でいくつもの発見があった。
 会場入口に設けられた村上三郎の「紙破り」(今回は、家のふすまを破って父の元にたどりついた行為が作家にインスピレーションを与えたという村上の子息によって演じられていた。このパフォーマンスは作者以外によっても代行される場合があり、海外を含めた具体の回顧展では定番である)の裂け目から入場した私たちは、かかる曲折を経たうえでようやく激しいアクションと圧倒的な絵画の数々、スクリーンに映示される舞台上でのパフォーマンス、《電気服》をはじめとするショッキングなオブジェに彩られた1950年代後半の具体、具体神話の核心へとたどりつく。今回の展示で私はあらためて具体の活動の多様さ、そしてそこで発表された多くの作品の強度を確信した。私が驚くのは、かくも多くの発表や作品が集団の中で生成されたことである。いうまでもなくこの時代、ニューヨークでは抽象表現主義と一括される作家たちがアメリカの絵画の幕開けを宣言する多くの傑作を発表していた。両者の関係についてもさらに検証されるべき余地はあるが、基本的に個々の作家のブレイクスルーとして達成されたニューヨーク・スクールの作家たちに対して、具体の作家たちは吉原スクールの一員として軽々と世界的にも特筆されるべき作品を量産したのである。確かにこのグループがメンターとその弟子たちという旧態依然とした構造をとったこと、作家間のレヴェルの格差(この場合吉原も作家の一人と考えられる)、そして何よりもタピエと接触するや、作家集団としての主体性を放棄してアンフォルメルに追随した点など、今日にいたるまで批判されるべき点は多々ある。しかしそれにも関わらず、残された作品を実見するならば、私はこれほどの質の作品を集団として制作したグループが日本の戦後美術史はもとより、世界的もほとんど例がないことを確言することができる。そして最初に述べたとおり、これほどの作品が批評の側から完全に黙殺されたことも異常と呼ぶほかない。
 今回の展示は作品をクロノロジカルに配置する一方で、いくつかのトピックについてはテーマ的な展示を行い、両者が相互を補完している。例えば『具体』誌、海外との交流、万国博覧会での「具体美術まつり」といったその歴史を点綴するエピソードがうまく紹介されていた。特に吉原治良の回顧展示では具体結成以前の作品も含めて、この稀代のモダニストの全貌がコンパクトに紹介され、展覧会に奥行きを与えている。このようなテーマの一つとして具体の作家たちが作品を常設したグタイピナコテカの内部が模された展示室がある。ここに展示された白髪一雄や村上三郎の1960年前後の絵画は、この集団の創造の絶頂をかたちづくっているといってよいだろう。今回の展示はほとんどが国内の美術館からの借用であり、しかもその多くが比較的近年収蔵されている。この20年余の具体評価の高まりを反映したものであり、喜ばしく感じると同時に、何人かの作家については既に検証されつつあるとはいえ、今後も個々の作家のレヴェルで作家研究、回顧展による検証などが必要に思われた。
 60年代前半、中期の具体においては新しく加わった作家の作品もさほど異和感なく展示に溶け込んでいる。松谷武判、向井修二、前川強ら、3Mと呼ばれる一世代若手の作家たちの作品も物質性や記号性の強調、不透明な表面と濃密な存在感において具体の伝統に連なる。しかし60年代後半、ライト・アートやキネティック・アートといった当時の最新流行を持ち込む作家たち、とりわけハードエッジ抽象の若手が加わることによって具体の気風は大きく変わる。むろん吉原がブレイクスルーを遂げて一連の円の絵画に到達したことがその背景にあるかもしれない。しかし1965年以降、具体の表現が急速に散漫となっていく印象はおそらく来場者のほとんどが感じるだろう。一人新たな境地に達した吉原を除いて、多くの有力な会員が退会し、創立以来の会員の作品も著しく弱体化する。80年代以降、東京で開かれた数少ない具体の回顧展が活動の初期と中期に焦点をあてて、いわばその絶頂においてグループを回顧したのに対して、結成から解散までを射程に収めた今回の展覧会は作家集団の凋落という一面も仮借なく伝えている。知られているとおり、具体にとって実質的に最後の活動は1970年の万国博覧会における「具体美術まつり」であった。今回の展示ではその模様を記録した珍しい映像も出品されている。「もはや戦後ではない」という言葉が流行した時代に誕生したグループが万国博とともにその活動を停止する。カタログの章解説にあるとおり、「戦後日本の高度経済成長と歩調を合わせるかのように、ひたすら明るく前向きに、独創的、革新的な表現を追い続けた『具体』であったが、その活動が高度経済成長の絶頂点を象徴する大阪万博でフィナーレを迎えたことは、あまりにもできすぎた偶然と言うほかはない」
 カタログも具体の18年の活動を過不足なく伝え、充実している。具体に関しては既に1992年に芦屋市立美術博物館の手によって決定版とも呼ぶべき資料集が刊行され、最近ではこのブログでも触れた『具体』誌の完全復刻版も出版されたから、資料的な面の充実はそちらに譲り、ヴィジュアル的な側面にも意を注いだ美しい内容だ。初めて具体に触れた東京の若い人々にもよい導き手となるだろう。冒頭に企画者の比較的短い概論が掲載され、各論として先述の万国博との関係に触れたエッセイと、「ヌル」や「ゼロ」といったグループとの関係、そして建築との関係を論じたエッセイが掲載されている。いずれも新しい視点であり、興味深い。この展覧会ではこれまで語られることが少なかった後期の具体に焦点をあてることが一つの目的とされており、二つのエッセイはこのような問題意識に即しているだろう。しかしあえて言うならば、私たちは具体の絶頂とも呼ぶべき1960年前後の絵画に対しても今なお明確な批評言語で対峙していないのではない。白髪一雄の作品がジャクソン・ポロックの作品と並んで「アンフォルム」展のカタログに掲載されていたことは記憶に新しい。この展覧会は具体の絵画の達成をあらためて世界的な視野から再検討するよい機会となるだろう。具体という異例の集団が提起した問題の輪郭を知るうえでも必見の展覧会といえよう。
by gravity97 | 2012-07-18 14:47 | 展覧会 | Comments(0)