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Living Well Is the Best Revenge

キャサリン・メリデール『イワンの戦争』

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 第二次大戦における独ソ戦、スターリン治下の赤軍の実態についてはかねてより関心をもっていた。以前通読したソルジェニーツィンの『収容所群島』の中に大戦中ドイツの捕虜となった多くの兵士がスターリンによって収容所に送られたという記述があったためだ。祖国のために従軍した兵士たちが暖かく迎えられるならばともかく、収容所に送られたという事実は一体に何を意味しているのか。あるいはメイエルホリドをはじめ、多くの作家や文学者がスターリンの粛清の犠牲となったことはよく知られている。ナチス・ドイツの統治下においても退廃芸術展をはじめとする前衛芸術への弾圧が徹底された。かくのごとき相似性を帯びながら体制としては正反対のファシズムとスターリニズムが激突する時、戦争はいかなるかたちをとったか。しかしこれらの問いに直接答える作品や文献を私はあまり知らない。亀山郁夫の『大審問官スターリン』は力作であったが、文化的なバイアスが強いため時代の全体像は見定め難い。高校の頃に読んだショーロホフの『静かなドン』も中央ロシアを舞台としていたが、スターリンが愛読したという逸話が示すとおり、そこに描かれるのは革命期の動乱、独ソ戦の前史であり、まだ戦闘が機械化されていなかった時代の物語だ。
 著者のキャサリン・メリデールはイギリスの歴史家。ロンドン大学の現代史の教授を務め、本書の原著は2005年に刊行されている。巻末に膨大な参考文献が掲げられているが、それ以上にロシア各地の公文書館に保存された文書、そして実際に戦地に赴いた生き残りの兵士たちの証言に基づいて執筆されたことは一読すれば明らかだ。「イワンの戦争」のイワンとは旧ソビエトにおいて最もポピュラーな名前の一つで、転じて赤軍兵士一般の呼称である。アメリカ人をアンクル・サム、イギリス人をジョン・ブルと呼ぶことと同様であり、ちなみにイワンたちが戦ったドイツ軍兵士はフリッツと呼ばれた。このタイトルからも公文書の歴史からは読み取れない、個々の兵士たちの発言や記憶を重視する著者の姿勢がうかがえる。
 最初に歴史的事実を整理しておこう。内容的にはもちろんロシア革命まで遡ることができようが、具体的な事件として本書は1939年のフィンランド侵攻のあたりから説き起こされている。赤軍は当初甚大な被害を受けながらも、最終的には人員と兵器の物量によって勝利し、領土の一部の割譲に与る。同じ年、ドイツはポーランドに侵攻し、中欧とバルト諸国は西からドイツ軍、東から赤軍の脅威にさらされることとなった。しかしこの年の8月に調印された独ソ不可侵条約によって当面、両者の間には均衡が保たれるはずであった。翌年、ドイツはベネルクスへと侵攻し、ソビエトはバルト三国を占領する。そして1941年6月22日、ナチス・ドイツは不可侵条約を破棄してソビエトに侵攻し、泥沼のような独ソ戦が幕をあけた。攻撃を予想していなかった赤軍に対してドイツ軍は最初怒濤のごとく進撃し、モスクワ近郊まで占領を広げた。要衝の地、クリミア半島をめぐっても激しい攻防が繰り広げられ、ドイツ軍はじりじりと勢力を広げた。国家の危機に対してスターリンは1942年7月30日、「一歩も退くな」という簡潔な内容の命令第227号を発令する。実際に息もたえだえであった赤軍にとってこの過酷な指令はカンフル剤となった。この年から翌年にかけてのスターリングラード攻防戦を契機に赤軍は次第に勢力を回復し、占領地を奪回していく。1944年の中盤までに赤軍は一度ドイツ軍の手に落ちたレニングラード、キエフそしてクリミア半島を解放し、さらにルーマニア、ポーランドなどを占領したうえで1945年4月にはベルリンに突入し、翌月、ヒトラーをはじめとする第三帝国の首脳たちの自殺によってヨーロッパ戦線は終結した。さらに付け加えるならば、8月には極東においても日本に対して日ソ中立条約を破棄して満州へ侵攻し、シベリア抑留から北方領土問題にいたる多くの問題の遠因を作りだした。
 教科書的な歴史を記述するならば上のとおりであるが、本書はこのような公的な歴史から読み取ることができない多くの闇に光をあてる。冒頭で著者は「イワンの戦争」が歴史的にみても異様なそれであったことを統計的な数字によって示す。メリデールによればソビエトはこの戦争で多くの市民を含む2700万人もの犠牲者を出したという。このうち800万人が赤軍の兵士であった。第二次大戦の同じ連合国中、イギリス軍とアメリカ軍の戦死者が合わせても50万人程度であったのに対して著しい不均衡が認められる。つまり大戦における連合国の勝利は端的にソビエトの人民と兵士の圧倒的な犠牲の上に築かれたのであり、この点は大戦後、ソビエトが連合国中でも強い発言権を有した理由でもある。なぜかくも大きな犠牲が払われたか。メリデールは独ソ戦が通商や領土をめぐる争いではなかったと説く。彼女によればそれはナチズムとスターリニズム、イデオロギーをかけた闘争であり、相手の全存在を消し去ることを目的とした殲滅戦であった。冒頭で一人の兵士の言葉が引かれる。彼によれば赤軍とは「招集し、訓練し、そして殺す」ことを目的とした「肉挽き機」であった。ほんの一例を挙げるならば、赤軍が訓練した40万3千人の戦車兵のうち、実に31万人が燃料と砲弾の誘爆によって、炸裂し沸騰する車内で個人の判別ができないまでに焼かれたという。私は何よりもまず死者の数、むごたらしい死に圧倒されてしまう。これほどの数の死者を想像することは難しい。しかし数字は多くの場合、戦争の実態を隠す。メリデールはこれらの「客観的」事実を示すとともに、イワンたちの個々の体験を個別に克明に追うことによってこの前代未聞の殲滅戦の実態に迫る。
 長大な研究であるが、編年的な構成で語られるため、事実を追うことは比較的たやすい。イワンたちがいかに招集され、統制され、戦争の中でいかに変質していったかが歴史的経緯とともに語られる。直ちに明らかとなるのは農民の中から徴集された赤軍の兵士たちの大半が最初ほとんど軍隊に対する帰属意識をもたず、職業軍人からかけ離れた存在であったことである。このため国家は軍人を主人公に据えた叙事詩や映画を用いて「英雄的兵士」の姿を鼓吹し、彼らに兵士としてのアイデンティティーを与えようとした。一方でロシア革命の結果、共産主義化された社会は必ずしも人民、とりわけ農民に好意的に受け取られていなかった。猜疑心の強いスターリンによって統制された社会は密告と粛正が日常化し、NKVD、内務人民委員部と呼ばれる秘密警察が絶対的な権力を握っていた。このような統制は赤軍の内部にも浸透し、ポリトルクと呼ばれる兵士教育の中核であり、一種の思想警察とも呼ぶべき多くの政治将校が存在したという。帰属意識も使命感もない多くの兵士たちと兵士たちの統制に目を光らせる将校たち。両者の関係が良好であるはずはない。共産党はクラークと呼ばれる富農たちから農地を取り上げ、農業を集団化したが、この政策は多くの農民たちから反感によって迎えられた。兵士たちの士気は低く、戦地において脱走や投降が続出した。NKVDは彼らに対して、退く者を背後から射殺する「封殺部隊」なる兵士たちを投入し、恐怖によって制圧しようとした。先に述べたスターリンの命令第227号もこのような文脈で理解されるべきであろう。独ソ戦は殲滅線であったから、ドイツ軍は赤軍のみならず投降した兵士たち、一般市民に対しても暴虐の限りを尽くした。おそらくこれらの蛮行を見聞きしたことが、ドイツ軍への憎しみゆえにイワンたちを団結させ、反攻の動機となったのであろうが、それにしても外部と内部、前と後ろに敵を抱えて戦争を遂行するイワンたちが負ったプレッシャーは想像に余りある。今日、戦地で残虐行為を行い、あるいは見聞した兵士たちが帰還後、PTSDと呼ばれる神経症に悩まされることが知られている。ベトナム戦争あたりからクローズアップされた症例であるが、メリデールは聞き取りをとおして独ソ戦に参加した兵士たちの多くにPTSDが認められることを指摘し、いかに苛酷な戦争であったかをあらためて検証する。
 ナチズムとスターリニズムが同じ一枚の写真のポジとネガであるとするならば、そこにはいずれも絶滅収容所という人類史の暗部が写りこんでいた。潰走するドイツ軍を追撃する過程で(アウシュヴィッツに先立ち)赤軍はマイダネクという収容所を解放し、兵士たちはそれが何万人ものユダヤ人を効率的に虐殺する目的で建設された死の工場であったことを知る。ナチス・ドイツによる圧倒的な残虐行為の痕跡に触れたことが、赤軍の兵士たちに精神分析でいう一種の転移として作用したと考えられるかもしれない。「死体からの略奪」と題された第9章においてはマイダネクで人間性の破壊に遭遇した赤軍の兵士たちがハンガリーから東プロイセンを占領する過程で無関係の市民に対して殺人や暴行、そして無数のレイプを繰り返す身の毛のよだつような描写が続く。ドイツ軍にも赤軍にももはや正義はない。それは戦争の一面かもしれないが、その中心に絶滅収容所があったことは暗示的である。
終戦時、多くの赤軍兵士がドイツ軍の捕虜となっていた。ドイツ軍は彼らを奴隷以下の存在として虐待したが、戦後も彼らは解放されることなく、NKVDの厳しい審査を待たねばならなかった。メリデールによれば1945年にスターリンが署名した命令により、中欧の一万人規模の収容の力をもつ70を越える収容所が設立され、その目的は捕虜となっていた赤軍兵士を「フィルターに通して」スパイを発見し、「祖国に対する裏切り者」に罰を課すことであったという。スターリンはこのための設備やノウハウを得るためにさほど苦労はしなかったはずだ。なぜならこの地域には既にユダヤ人を収容してその絶滅をはかった多くの収容所があり、管理者を失ったこれらの施設をソビエトの兵士のための選別の場所に転用することは容易だったからである。収容所を支配し、帰還兵に対して敵意を剥き出しにした監督たちがかつて農地から追われたクラークと呼ばれる富農たちであったという指摘は多くの問題を暗示する。50年代に入ってこれらの地域が共産圏の衛星国として独立するにつれて、同じ施設をソビエトの国内に建設しようという発想が生まれたことは必然の帰結であった。かかる力学の中でベーリング海峡からボスボラス海峡におよぶ無数のグラーグ、収容所群島が成立する。
 冒頭に二つの問いを立てた。本書を読んで、これらの問いのいくぶんかは氷解した。ソビエト共産主義体制の中核にあった密告と相互監視、恐怖と猜疑による支配は社会のみならず赤軍という軍隊そのものを蝕んでいた。赤軍そのものが密告と監視によってようやくその結束を保持されており、兵士たちさえも信用されてはいなかった。そしてスターリンにとっては元捕虜に対する苛酷な扱いは国民に対する一種の見せしめとしての効果があっただろう。メリデールは次のように記す。「戦争はソ連の家族や人間同士のつながりを寸断した。さらに、相手をいたわり、助け合う気持ちや、簡単な礼儀作法まで損なってしまった。地域社会では亀裂が深まり、互いに蔑むような視線を向け合った。囚人、元兵士、民間人は生まれた時から世界が違う人間同士のようだ」このような非人間的な状況が共産主義と必然的に結びつくか否かは判断が難しい。しかし例えば旧東ドイツにおける密告と監視、あるいはポル・ポト治下のカンボジア、北朝鮮の金王朝に設置された無数の収容所を想起するならば、かかる地獄は旧共産圏に時代を問わず存在したことが理解される。その一方でナチズムのようにあからさまな優生思想をまとうことはなくとも、西側にそのカウンターパートが存在したことも明らかだ。独裁政権下の韓国、あるいは軍事政権下の南アメリカやアフリカにおける圧政と秘密警察の系譜を想起するがよかろう。この意味でもスターリニズムとナチズムは合わせ鏡のように20世紀を貫通しているのだ。
 このたび私がこの浩瀚な研究を手に取ったことにはもう一つの理由がある。私は近く、最近翻訳の刊行が完結した、ある長大な小説を読み始めるつもりだ。おそらく今年の私の読書体験のクライマックスとなるこの小説を読み進むうえでは、『イワンの戦争』で論じられた時代背景を理解しておくことが必要不可欠と考えたからだ。これほどの民族の苦難が文学によって総括されないはずはない。しばらく先になろうが、このブログでもその小説について論じることとなるだろう。
Commented by まろ at 2012-09-14 19:59 x
 この本、注文しました。読んでみたくなったきっかけは、新聞の書評でしたが、ブログ記事を読ませていただき、ますます読みたくなりました。
 ありがとうございました。
by gravity97 | 2012-06-21 20:43 | ノンフィクション | Comments(1)