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Living Well Is the Best Revenge

やなぎみわ「1924 人間機械」

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 やなぎみわの演劇プロジェクト三部作の掉尾を飾る「1924 人間機械」が京都国立近代美術館で上演された。幕開けとなる「1924 Tokyo-Berlin」を同じ会場で見たのが去年の夏であったと記憶しているから、一年も経たないうちにきわめて密度の濃い三つの公演が連続して開かれたこととなる。このような切迫感を関東大震災後に綺羅星のごとく活躍した土方与志や村山知義の上に重ねたとしても決して的外れではないだろう。今回も前二作と同様にレヴューしておきたい。今後、ほかの都市での公演も予定されているが、ここでは内容にもかなり立ち入って論じる。
 最初に上演の前提について触れておこう。「1924 人間機械」は今年初めに葉山の神奈川県立近代美術館で立ち上がり、現在、京都国立近代美術館に巡回中の「村山知義の宇宙」展と深い関係がある。。b0138838_2142224.jpg前にも記したとおり、この三部作はこの展覧会と昨年、各地を巡回した「モホイ=ナジ/イン・モーション」展がともに京都国立近代美術館を会場としたことから構想され、神奈川芸術劇場で上演された「1924 海戦」を中にはさむ形で、ともに京都国立近代美術館という演劇にとってはイレギュラーな施設で演じられている。いうまでもなく演劇の内容が同じ時期に開催中の展覧会と密接に関わっているためであり、「1924 Tokyo-Berlin」ではベルリンのモホイ=ナジが電話を介して、築地小劇場の設立に向かって奮闘する土方与志に語りかけ、「1924 人間機械」ではおかっぱ頭の村山知義自身が主人公として登場する。三部作を時間的に整理するならば、築地小劇場の開設直後、「海戦」を見て興奮した村山が土方のもとを訪れる場面で始まる「1924 Tokyo-Berlin」は1924年の後半の物語であり、「海戦」の舞台稽古のシーンで幕を開ける「1924 海戦」は同じ年の前半、(築地小劇場が「海戦」でこけら落としするのは24年6月13日のことだ)そして「1924 人間機械」も演じられる内容からおそらくは1925年前後を想定した内容と考えられる。ちなみに「人間機械」とは村山が春陽堂から1926年に刊行した著作の名でもある。したがって時間的には若干の錯綜も認められるとはいえ、三つの劇の内容が一年ほどの比較的短い期間を扱っており、さらに演劇自体も一年にも満たない短い期間に実際に上演されていること、いわば物語られる時間と、物語る時間がほぼ一致している点をまず指摘しておこう。やなぎの演劇と村山の展覧会は独立しており、展覧会を見ずとも楽しむことはできるが、この意味でも事前に展示を一巡し、時代背景を頭に入れておけば内容に関する理解は一段と深まる。
 会場とされた美術館一階のロビー部分はこれまでも展示や上映会に使用されたことがあるが、細長く、使いにくい空間である。長方形の長辺の部分に壁に面して客席を設え、ガラス窓越しに疎水を見通す、あまり引きのない空間が上演会場とされた。「1924 Tokyo-Berlin」が「モホイ=ナジ/イン・モーション」展開催中の、来場者でにぎわう美術館内で上演されたのに対して、展示終了後に開始される今回の公演では一般来場者への配慮は必要とされないが、今回も観客は入場の際にワイヤレスのイヤホンを渡され、装着することを求められる。閉鎖的な空間の中で上演された前二作に対して、今回は開放的であるがゆえに空間的な細工が難しい。舞台装置もきわめてシンプルで、二脚の椅子と村山がベルリンから帰朝する際に蔵書や作品を入れて運んだと説明される大きさの異なるいくつもの木箱、そして時折文字や映像が投影されるスクリーンが疏水の風景を遮るかたちで設置されているのみである。舞台に向かって右端にピアノが一台置かれ、ピアニストがベートーヴェンの[ト調のメヌエット]を奏でる情景より演劇は始まる。むろんこの選曲には意味がある。1925年5月、村山は「劇場の三科」でこの曲の伴奏によってダンスを踊るパフォーマンスを繰り広げた。前二作同様、やなぎ、そして脚本のあごうさとしはこの作品の上演にあたって当時の資料や村山の著作を徹底的に読み込んで、作品のディテイルを決定している。左端から登場した村山は独特の扮装でダンスを繰り返す。二脚の椅子にはこの公演でもはやおなじみになった水色の制服姿の案内嬢が座り、時に肉声で時にイヤホンを介して観客に語りかける。これまでの二作が歴史的事実を踏まえ、それを劇化したという点でリアリズムを基調としていたのに対して、「人間機械」は概念的で物語性に乏しい。案内嬢のナレーションや字幕として表示される映像を介して、「意識的構成主義」をはじめとする村山の思想や言葉、ダダイスムの精神などが次々に開陳される。「Tokyo-Berlin」では村山と土方与志の二人、「海戦」では土方と小山内薫が主たる登場人物であったが、「人間機械」は村山一人が狂言回しの案内嬢たちと掛け合いを行う。前二作では築地小劇場の開設前後の物語が語られた。「人間機械」もほぼ同じ時期、1925年の銀座松坂屋と築地小劇場で開かれた「三科」および「劇場の三科」の公演を歴史的背景としている。実際に劇中では松坂屋の紙袋が小道具として用いられ、[ト調のメヌエット]が何度も演奏される。知られているとおり、村山は舞台美術や舞踏にも深く関わり、おかっぱ頭でダンスを踊った。展覧会の会場でこのような事情に親しんだ私たちにとって、村山を主人公にした演劇で、かくも生々しく俳優の身体が現前する意味を理解することはたやすい。(もっとも展覧会をめぐるならば、私たちは村山の仕事の驚くべき広がりに圧倒されるのであるが)
物語性やスペクタクルを排した舞台の上では俳優の身体が強調される一方で、村山以外は匿名化されている。青い制服に身を包んだ案内嬢たちはこれまで同様に個性をもたず交換可能だ。様々な媒体を介して再生される声は錯綜し、台詞自体も発話者を特定することが難しい。発話を多声化するイヤホンは明らかにこの目的のために導入されている。前二作において匿名性は案内嬢や水兵といった職能と関わっていたが、「人間機械」では性別さえも交換可能となる。村山の特徴的なおかっぱ頭は案内嬢たちにも共有されており、さらに劇の中盤で案内嬢の一人がマスクを外すと、女性ではなく男性が演じていたことが判明する。展覧会に展示されていた記録写真の中で村山がまとっていたチュニック風の衣装、長髪に裸足という風体は女性性を暗示しており、時にタイツやハイヒールを着用したというエピソードからは作家自身も性を越境しようとしていたことが暗示されている。トランスジェンダー、あるいはトランスヴェスティズム(服装倒錯)への村山の関心を考慮するならば、このような演出は奇を衒ったのではなく、作家の創造の本質と深く関わっていることが理解されよう。
さて、「人間機械」という言葉、そして1920年代、ドイツといったキーワードから直ちに連想されるのはフリッツ・ラングが1927年に制作した映画「メトロポリス」だ。私は1984年のジョルジョ・モロダー版で見た。劇中でも案内嬢たちが人造人間を制作する映像が映写される。「Tokyo-Berlin」における「電話絵画」の大量生産に従事する案内嬢たちの姿も連想されようし、増殖した無数の案内嬢が展覧会場を闊歩する映像はラングのフィルムからの直接的な引用が認められる。これらのイメージから連想される単純労働、大量生産、階級闘争といった主題が「メトロポリス」と共通することは偶然ではない。そして同様の主題は「1924 海戦」の物語の背景をかたちづくっていた。劇中に登場する「人間機械」とは人体の様々の部位が接合されたグロテスクなイメージであり、実際には案内嬢たちが穴からばらばらに手足を突き出した木箱の集積として提示される。展覧会を参照する時、このイメージの原型を推定することはたやすい。おそらくは『マヴォ』の3号に掲載された住谷磐根、高見澤路直らの半裸で逆立ちしたダンスの有名な写真から着想されたのではなかろうか。b0138838_2145018.jpg「Tokyo-Berlin」同様に展覧会と演劇は相互に反射を繰り返し、展示されていた作品に演劇をとおして新しい解釈が与えられる。
劇の終盤、自らが故障したことを告げながら「人間機械=案内嬢」は、窓ガラスを遮っていたロールカーテンを次々に跳ね上げていく。このカーテンはそれまでスクリーンとして映像が投じられていたから、カーテンの消滅は虚構/演劇から現実へと場が転換したことを暗示しているだろう。ロールカーテンの向こう、ガラスの外にはちょうど満開を迎えた桜が咲き誇っている。この趣向から私は京都芸術センターにおけるやなぎの茶会を連想した。虚構と現実との境界の確定もしくは移行は寺山修司によって徹底的に探求された主題であり、「Tokyo-Berlin」においても観客たちは現実(展覧会場)から虚構(劇場)へ、案内嬢の見世物小屋風の口上とともに呼び込まれた。今回は逆に虚構から現実へと情景が反転する。この反転を受けて最後にやなぎらしい企みが用意されている。案内嬢の指示に従って、観客はロビーの横から美術館のバックヤード、搬入口へと誘導される。観客は移動することによって自分たちが美術館という現実の空間に位置することをあらためて意識する。最初、搬入口のシャッターの方向へと観客の注意を逸らした後、案内嬢はおもむろに反対側の作品搬送用の巨大なエレベーターを指し示す。いうまでもなかろう。エレベーターガールはやなぎの初期作品のモティーフであり、「1924 海戦」においても日本で最初にエレベーターが設置された浅草凌雲閣からはるか宇宙まで上昇していくエレベーターのエピソードが語られた。巨大なエレベーターの扉が開くと、中にはエレベーターガールたちと木枠の中に梱包された村山の姿がある。エレベーターガールは村山を作品として収蔵し、これから地下の収蔵庫へ向かうことを宣言し、扉が閉じられて演劇は終わる。なんとも意表をつく仕掛けであるが、やなぎの作品、「1924」三部作、そして村山の展覧会を見た私たちは快い驚きとともにこの場面に立ち会う。村山のアクションを作品として収蔵するという結末は演劇と美術の奇跡的な結合とも呼ぶべきこの三部作の幕切れにまことにふさわしい。あるいはそこに身体的、行為的な表現さえも作品として収蔵しようとするポスト・メディウム時代の美術館の欲望をうかがうこともできるかもしれない。やなぎの三部作はこれまで演劇の側から言及されることが多かったが、美術館や展覧会という制度に対しても画期的な意味をもつだろう。つまり映像が残されていないため再現困難な村山のパフォーマンスに関して、「1924 人間機械」は演劇をとおした再現の試みとして展覧会を補完する役割を果たしうるのである。今回の展覧会に失われた作品が当時の図録等をもとに原寸に拡大した写真図版として多数出品されていたことはこの意味においても暗示的である。かかる試みの先例として私が連想するのはかつてこのブログでも取り上げたマリーナ・アブラモヴィッチが2005年にグッゲンハイム美術館で開いた一連の歴史的パフォーマンスの再演である。ここでは過去のパフォーマンスを映像や写真で再現するのではなく、作家の身体をとおして新たな解釈とともに再演することが試みられていた。これに関連して、先ほどやなぎの公演と同時期にニューヨークの近代美術館で開催され、演目に[The Man Machine]と[Metropolis]を含むクラフトワークのライヴについても触れたいところであるが、別の機会に論じよう。
限定された人数とはいえ、通常は外部の人間を入れないバックヤードに観客を受け入れる判断は、国立の施設でありながらもリベラルな気風の強い京都国立近代美術館でなければありえないだろうし、作家と美術館の信頼関係が反映されている。もっともこのようなエンディングは建築の構造と密接に関わっており、今後の公演でどのように展開されるか楽しみなところである。
これで三部作が完結した。繰り返しとなるが、これほど短期間に形式も内容も全く異なる三つの舞台を高い完成度とともに実現したやなぎの力量にあらためて感服するとともに、二つの震災が時を隔てて優れた才能の開花を触発したのではないかと感じる。先に私は津上みゆきの作品に触れて、美術という営みが震災に拮抗しうる力をもちうることを確認した。やなぎの作品もまた、かくも苛酷な時代にあって美術/演劇が私たちにとって一つの救いであり、導き手であることを雄弁に語っている。この一年、私たちを取り巻く状況にかくも真摯に対峙した表現がほかにあっただろうか。「勝者」によるくだらないチャリティーや砂漠の国でのサクセス・ストーリーに私は心底うんざりしている。美大生を動員した「人間機械」による製品ではない。確固とした個としての作家が、俳優と、演出家と、多くの関係者と協同した奇跡のような作品の発表に三度にわたって立ち会えたことを私もまた誇りに思う。
by gravity97 | 2012-04-19 21:12 | 演劇 | Comments(0)