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Living Well Is the Best Revenge

ジャスパー・ベッカー『餓鬼(ハングリー・ゴースト)』

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 1997年に中央公論社から翻訳が刊行されたジャスパー・ベッカーという研究者の『餓鬼(ハングリー・ゴースト) 秘密にされた毛沢東中国の飢饉』がこのほど中公文庫に収録された。以前よりこの問題には関心があったのだが、最初に刊行された際に買い逃し、しばらく入手することが困難であったため、このタイミングで通読した。1958年から62年にかけて、毛沢東の失政がもたらした未曾有の大飢饉の地獄絵を克明に活写したノンフィクションである。
 以前、同じ問題を扱ったフランク・ディケーターの『毛沢東の大飢饉』を通読していたので、この惨事の概要は理解していたが、本書を読んであらためて考えることも多かった。最初に本書の問題点を指摘しておくならば、記述の根拠とされる資料に新聞記事や回想録などの二次的な文献が多く、書誌的事項がしっかり記載されていない。直接のインタビューや取材が引用される場合も日時や場所、取材相手が明記されていない。情報源を秘匿するという意味があるかもしれないが、このため引用について検証できず、オーラル・ヒストリーとしては問題があるのではないだろうか。公文書として遺されたいわゆる「档案」を渉猟して執筆されたディケーターの論文と比べて事実関係を検証することが困難である。もっともディケーターの論文は近年、中国各地の公文書館で档案の閲覧が可能になったことを前提としているから、本書の大半が聞き書きのかたちをとることは仕方なかったかもしれない。半世紀前に隣国にこのような悲惨な状況が発生したことはまぎれもない事実であるにもかかわらず、今日にいたるまで国家によって公式に認められていないことは驚き以外のなにものでもない。
 この大飢饉が失政という人為的な原因に由来することは明らかである。なぜならば第一にこの飢饉は一つの地域ではなく、共産党が支配する中国全土で発生している。広大な中国大陸では一部の地域が干魃や水害のために飢饉を体験することがあったとしても、ほかの地域から食糧を調達することが可能なはずである。一国全体が飢えに苦しむという状況は、飢饉が自然ではなく社会に起因することを暗示している。さらに恐るべきことには無数の民が餓死し、共同体が崩壊し、食人が横行する傍らで、倉庫には十分な食糧の備蓄が存在していたという。十分な食糧が存在したにもかかわらず、必要な者へと流通せず、3000万人(ディケーターによれば4500万人)に達する餓死者が発生したのだ。一体いかなる制度がこのような異常な状況を可能にしたのであろうか。実は20世紀にはいくつかの地域で同様の飢饉が繰り返されている。1930年代初頭のウクライナ、1960年前後の中国、1970年代のカンボジア、そして現在に至る北朝鮮。ただちにいくつかの共通点が浮かび上がる。共産主義と土地私有の否定、そして独裁者の存在。そしてこれらの時代と地域にはさらにもう一つ重要な共通点がある。おわかりだろうか。本書の中には飢えた農民がネズミやゴキブリ、おがくずや土までを口にしたという凄絶な記述があるが、私はこれらのエピソードから直ちにソルジェニーツィンの『収容所群島』の冒頭の印象的なエピソードを連想した。ソルジェニーツィンは『自然』という科学アカデミーのb0138838_13592726.jpg雑誌中の小さな記事に目を留める。それはシベリアのコルイマ河の岸で発掘作業が進められた際に、地下の氷層から数万年前のサンショウウオが凍結された状態で見つかり、その場に居合わせた人々が早速その場でそれらの動物を喜んで食べたという記述である。多くの読者が氷結された生物の新鮮さに注目するであろうこの記事に対して、ソルジェニーツィンは全く別の意味を見出す。「私はその場面が微細な点にいたるまでありありと念頭に浮かんできた。その場に居合わせた人々がどんなに慌てふためいて氷を叩き割り、崇高な魚類学的興味などには目もくれず、氷を融かし、がつがつと腹にためこんだか。(中略)なぜわかったかといえば、私たち自身もその場に居合わせた人々と同類の、強大な囚人族の一員だったからである。この地上で、サンショウウオを喜んで食べることができる唯一の種族は囚人(ゼック)だけである」コルイマとは多くの収容所(ラーゲリ)が所在した土地の名である。ソビエト、中国、クメール・ルージュ、北朝鮮、これらはいずれ悪名高い強制収容所が存在した国家にほかならない。おそらく飢饉と強制収容所は補完関係にある。多くの国民を強制収容所に収容することは手っ取り早い口減らしの政策であり、その恐怖を盾として国民に飢饉という受苦を強いることが可能となるのであるから。この点においても本書の構成は興味深い。ベッカーは毛沢東の大飢饉について語る前に、冒頭部の一章を割いてスターリン治下におけるソビエト、ウクライナの飢饉について分析し、それがほぼ正確に30年後の中国で反復されたことを立証する。(今述べたとおり、それはさらにポル・ポトによって反復され、今もなお金体制のもとで反復されている)また途中でやはり一章を費やして何百万人もの人が収容された強制労働改造所における苦役や拷問、暴力と虐待について論じられている。これらの20世紀の飢餓は、単に食料が不足したそれまでの飢饉とは様相を違える。それが人為的な災害であり、共産主義や強制収容所と深く結びついた事象であることを本書は的確に論じている。
 1958年から62年という時期は、「大躍進」という事業が進められた時期と一致する。「大躍進」とは毛沢東の指導のもとに農業と工業の分野で自由主義の盟主アメリカのみならず、それまで比較的友好的な関係にあったソビエト連邦をも凌駕する経済的な躍進を遂げるべく、繰り広げられた異常なキャンペーンのことである。「大躍進」のために様々なナンセンスな手法が導入された。例えば苗を異常に稠密にうける密植、土を異常に深く耕す深耕といった非科学的な耕作法が党の指示によって導入され、実際には成果を上げるどころか、不作の原因となったにも関わらず、毛主席の指示のおかげで収穫が倍増したといった虚偽の報告が次々に寄せられる。「種・密・土・日・工・管・保・水」という八字憲法と呼ばれる中国農業の基本が示され、全ての農民がこれに従うように求められたが、今みたとおり、それらは似非科学とも呼ぶべき内容であり、結果的にはむしろ農業生産を悪化させた。それにも関わらず、あまりの豊作のために農民たちが余った食糧を家の前に並べたといった虚偽の報告や小学生が実験農場で十種類の新しい穀物を開発したといったとんでもない宣伝がなされたという。実際には1959年に蘆山で開かれた蘆山会議と呼ばれる共産党の最高幹部会議で毛の方針を修正しうる可能性があった。しかしこの場で反対派は逆に駆逐され、引き続く飢餓地獄の幕が開いた。その惨状については本書に詳しい。まず河南省と安徽省という飢饉が最も悲惨だった地域の状況が報告され、次いで四川省や甘粛省、さらにはチベットといった地域における同様の惨劇に言及されることによって、この飢饉が中国全土に及んだことが理解される。続いてベッカーは先にも触れた収容所での虐待、あるいは餓死とは実際にどのような死であるか、そして人肉食の横行といったいくつかのテーマに沿って悪夢のような時代を概観する。身の毛のよだつようなエピソードが次々に紹介され、わずか半世紀前の隣国にこのような地獄が出現していたとはにわかには信じがたい。実際に当時にあってもこのような惨事は隠蔽されていた。最後の章でベッカーは、当時の西側のジャーナリズムや知識人もこの事態を見抜くことができず、それどころかしばしば毛沢東と「大躍進」を高く評価した点を指摘する。フランソワ・ミッテランやハーバート・リードといった西欧の知性さえも実際に中国を訪問しながら異常事態に気づかず、毛を高く評価したコメントを残しているのだ。おそらく日本の進歩的知識人も同様であっただろう。広大な土地で発生していた事象を海外の目から完全に隠蔽することが可能であるとは今日信じられないが、党の高官や訪問者が訪れる場合には、飢えた農民が食用のために剥ぎ取った樹皮の上にペンキで色を塗るような姑息な隠蔽工作が日常化していたという。
 本書を読み終えてもいくつもの謎が残った。例えば飢餓は主として農村部で発生した。とはいえ、都市部の住民が農村部で進行している事態をほとんど知らなかったという点はにわかには信じがたい。実際に農地が荒廃し、餓死者が出現しているにも関わらず、なぜ地方の党組織は多くの収穫があったという偽りの報告を提出したのか。一体、共産党の幹部はどの程度、現実を知っていたのか。もし知っていたとしたら、なぜ何らかの対策をとらなかったのか。人はあまりに巨大な危機に直面する時、集団的な一種の判断停止に陥り、現実ではなく幻想を信じるのかもしれない。このように考える時、私はこのドキュメントを過去、別の国の物語として読むことができない。今なお続く原子力災害の下で私たちもまた判断停止の状態にあるのではないだろうか。事故を起こした原子炉の状態についても、食品の汚染についても東京電力や政府から繰り返される大本営発表以外に私たちは何一つ真実を知らされていないにも関わらず、根拠のない安定を生きている。ここに描かれた惨劇や狂気を自分たちと無関係な歴史的事件とみなすのではなく、未来の自分たちに投影する想像力こそが必要とされるのではないだろうか。  
by gravity97 | 2012-02-13 14:05 | ノンフィクション | Comments(0)