『短編コレクションⅠ』

b0138838_1340177.jpg 一昨年、発売されてすぐに買い求めた記憶があるのだが、ずっと書棚に積んだままになっていた河出書房新社版、池澤夏樹編集の世界文学全集中の『短編コレクションⅠ』を先日ようやく通読した。私はどちらかというと長編読みであるし、同じ作者ならばともかく世界中から集められた作家たちの短編アンソロジーはとりかかるまでのハードルが高かった。しかし一度読み始めると予想以上に面白く、数日のうちに読了してしまった。
 全集中、短編コレクションは二巻に分かれている。『短編コレクションⅡ』が20世紀のヨーロッパ文学から選ばれているのに対して、本書は地域としては南北アメリカ、日本も含めたアジア、アフリカ、アラブから作品が選ばれている。本書の書き手の方が新鮮であることはいうまでもない。収録された20の短編のうち、私がこれまでに読んだことのある短編はわずかに3編、全く初見の作家が5人いた。日本語に初めて訳された短編は4編であるから、大半の作品はすでに翻訳が存在しているとはいえ、これほど広い地域にわたる作家たちの小説に目をとおすことは困難であり、やはりプロの読み手として池澤の面目躍如といえるのではなかろうか。池澤と問題意識が似ているためか、私好みの作品が多い。本全集に収録された長編のいくつかについても既にこのブログで応接しているが、この短編集も十分に楽しむことができた。
 ハルキ・ムラカミが毎年ノーベル文学賞の受賞候補の常連として取りざたされる理由は小説の内容以前に、それらが英語に翻訳されているという単純な事情に依っている。絵画や音楽とは異なり、言語に基盤を置く芸術は言葉や国家という壁を越えることが難しい。私たちはプルーストやドストエフスキーの大長編であれば(読破するかはともかく)たやすく手に入れることができるが、ナイジェリアやレバノンの作家の小説はたとえ英語で書かれていたとしても生涯のうちにいくつ読むことがあるだろうか。翻訳という作業が介在することを考えるならば、これらの国の小説に関して、私たちは長編より短編の方が接近しやすい。本書に収められた作家の中にはレイモンド・カーヴァーのように短編のみによって知られる作家もいるが、張愛玲やトニ・モリソンのごとく短編にもかかわらず長編の風格をもち、それゆえ長編を読みたいという誘惑に駆られる作家もいる。本書はあまりなじみのない国の作品を中心とした現代文学のショーケースとして、きわめて有意義な短編集といえよう。
 多様な国籍の多様な作品が収められており、レヴューは容易ではないが、いくつか所感を記しておこう。最初に述べたとおり、本書には非ヨーロッパ圏の現代文学が収められており、日本と中国を別にすれば、アングロアメリカと第三世界の小説が中心と考えてよいだろう。この対照はなかなか興味深い。この短編集には7編のアメリカの作家の作品が収められているが、その大半はポスト・モダン風というか、実験的な手法が用いている。具体的にはドナルド・バーセルミ、ジョン・バース、リチャード・ブローティガンらの作品は内容以前に手法の前衛性に特徴がある。フォークナーに始まるアメリカのモダニズム文学の末裔といってよかろう。総じて短く印象が薄い。これに対してそれ以外の地域の作品は多くがその内容、つまりなんとしても小説として表現したいテーマが存在し、主題の切実さに満ちている。従って排水設備を古今の名詩に置き換えるという奇抜なアイデアのみによって一編の短編を構成したブローティガン(ただしこの作品はブローティガンの中でも特異な例であろうが)の作品と炎熱の中でユダヤ人兵士がパレスチナ人にふるう暴虐と凄惨な応酬を描いたガッサン・カナファーニの短編をそれぞれ両端に置くならば、前衛とレアリズム、形式性と主題性を指標としてここに収められた作品群をこの間に配置することが可能であろう。主題性の強い作品に共通するのは抑圧された生とそれへの抵抗というテーマである。今挙げたカナファーニや金達寿、高行健が1950年前後のパレスチナ、冷戦下の韓国、文化大革命時の中国における政治的抑圧をそれぞれの角度から作品化するのに対して、「肉の家」のユースフ・イドリースと「猫の首を刎ねる」のガーダ・アル=サンマーンはアラブ世界における女性と性の抑圧を鮮烈な表現として提示する。いずれもこれらの小説を読むことなくして、私たちはこのような不正義が存在することを知らなかっただろう。それは端的に第三世界に関して私たちが情報を得ることが少ないことに起因する。今なおこのような主題に連なる表現が成立することに私は苦い感慨がある。文学とはなおも虐げられる者の手の中にあるのだ。先般、私は高橋源一郎の『恋する原発』を読了した。この小説については別に論じる機会もあるだろうが、今まさに私たちが体験しつつある不正義、原子力災害が日本の文学者によって総括される日は来るのであろうか。
 むろん小説の主題は抑圧された生だけではない。同じ第三世界でもアラブやアフリカに比して圧倒的に多くの作品が日本語に翻訳されているラテン・アメリカからはフリオ・コルタサル、オクタビオ・パス、フオン・ルルフォの三人の作家の作品が紹介されている。ルルフォのみ私にとって初めて読む作家であった。巻頭のコルタサル、「南部高速道路」は以前、岩波文庫に収録されていた短編集で読んだことがある。パリ郊外の高速道路の渋滞の中で神話的な共同体が形成され、渋滞が解消されるとともに終焉するという内容は現実と幻想、現代と神話が混交するラテン・アメリカの作家ならではの幻想譚である。私はコルタサルとカルロス・フェンテスは現在でも指折りの短編の名手だと考えるが、その才能を遺憾なく発揮したこの短編は本書の劈頭にふさわしい。あるいはカナダの酷寒の中で少年と犬をめぐる悲劇的な逸話を一人称で語るアリステア・マクラウドの「冬の犬」も清冽な読後感を残す佳品である。悲劇という点でいうならば、レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど役に立つこと」は完成度という点でこの短編集の白眉ではなかろうか。私は以前からカーヴァーの短編はいくつか読んでいたが、この作品は未読であった。誕生日に交通事故に遭った少年の両親を主人公として、彼らを取り巻く人々の感情の機微をとらえたこの作品は最後の場面における和解が深い余韻を残す傑作である。
 最初に私はこの短編集をショーケースに喩えた。収録作品を選ぶ際に池澤が日本人である私たちにとって未知の生、未知の感情と深く関わる作品を選んだことは明らかである。池澤自身が次のように語っている。「ぼくは世界が多様であることを証明したいと思い、せいいっぱい手を広げてさまざまな短編をいくつもの国と言語から集めた。むずかしかったのはこの2巻に収まるところまで厳選することだった」収められた短編の中では特に二つの作品がこのような多様性と関わっている。トニ・モリソンの「レシタティフ―叙唱」は最初、孤児院で出会った二人の女の子がそれぞれに厳しい環境で成長する中で何度か出会い、交感する様子を描いた短編である。時に反発し、時に共感しあう二人の女性の姿が生き生きとした訳文をとおして描かれる。二人の肌の色が違うことは直ちに明らかとなるのだが、この小説のポイントはトワイラとロバータという二人の主人公がどの人種に属すのかということが最後まで明らかにされない点である。つまり私たちはトワイラであるかもしれずロバ―タであるかもしれない。人種という与件を超えて人は人として他者と交流しうることが暗示されている。この小説はモリスンが公刊した唯一の短編であるということだが、人種問題を主題としたいくつもの長編を発表してきた作家がここに込めたメッセージは明らかであろう。もう一篇、トロントでトルコやオランダといった雑多な国からの留学生が暮らす寄宿舎での顛末を描いたマーガレット・アトウッドの「ダンシング・ガールズ」は本短編集の理念をそのまま小説とした感がある。主人公のアンをめぐって家主のノーラン夫人や下宿人たちが引き起こす騒動は一種のスラップスティックといった趣があるが、他者を理解し、受け容れるとはどのようなことかという問題と関わっている。都市計画を学び、来るべき都市のデザインを夢想するアンは物語の最後で、いかなる人種や国籍をも排除しないユートピアの美しいイメージを抱く。本書に収められた物語をとおして人と人が赦しあうことの絶望的なまでの困難さと政治や性差に由来する多くの抑圧を知り、個人的悲劇とつかのまの和解に触れた後、ここに記されたイメージは一つの癒しのように感じられた。
 沖縄出身の目取真俊の「面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)」という短編が最後を飾る。日本に居住する作家から二篇、在日朝鮮人の金達寿が日本語で書いた李承晩政権下の韓国の物語と、一人の女性が自らの生を沖縄のダイアレクトによって語るこの小説を選んだ点に池澤の批評的な意図は明らかだ。日本語を用いながらも、この二篇の短編は国家と国語に異和を唱える。具体的には金の用いる漢字と仮名が入り混じったたどたどしい表記、目取真の多くルビで表記される(それは小説のタイトルに既に明らかだ)沖縄の方言は「正統な」日本語を意志的に逸脱するのだ。目取真に戻ろう。ガジマルの樹上から少女に向かって一人語りされる女性の半生、語り手の苦難はたやすく沖縄という地域の受苦のメタファーであることが理解される。文中で暗示される沖縄海洋博における皇太子への襲撃事件は桐山襲の『聖なる夜聖なる穴』を連想させた。哀切を帯びた物語であるが、語りは勁い。物語の幻想的な奥行きともあいまって、まつろわぬことへの強い意志がうかがえ、それはここに収められた作品の多くの通奏低音をかたちづくっている。

by gravity97 | 2012-01-23 13:44 | 海外文学 | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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