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Living Well Is the Best Revenge

テッサ・モーリス-スズキ『北朝鮮へのエクソダス』

b0138838_2071199.jpg なぜ、無辜の民に対して歴史はこれほどまでに苛酷なのであろうか。たまたまある時代にある地域に生を受けたというだけの理由によって人はかくも苦難に満ちた人生を歩まねばならないのか。東欧や中東、ユダヤ人やパレスチナ人の体験ではない。我々の生きる日本という国のわずか半世紀前の出来事なのである。私は深い衝撃と感動とともに本書を読了した。
 1950年代後半に「在日朝鮮人」を故郷、北朝鮮へと送り届ける「帰国事業」という企てがあったことは知っていた。今でこそこの胡乱な隣国へ帰還した人々がその後、厳しい運命をたどることになったであろうことは予想される。しかし当時、この国は社会主義のユートピアとして帰国者に無償で必要な教育や仕事、医療や住居を与えると宣伝したのである。実際に帰国者を待ち受けていた現実は冷酷であった。帰国船が接岸した北朝鮮の埠頭の荒廃と出迎えの人々の貧しげな様子を見た船上の帰国者が「(日本に)帰らせて、帰らせて」と悲鳴をあげたというエピソードは痛ましい。彼らはどこへ消えて行ったのか。本書は機密指定が解除された文書と関係者の証言によって何重にも隠された真実を少しずつ解明していく。
 冒頭に近い箇所で二つの謎が明らかにされる。まず北朝鮮への帰還船に乗り込んだ人々の多くが北朝鮮ではなくそこに身寄りもないはずの朝鮮半島南部の出身者であったという事実。そして当初は多くとも千人程度と見込まれていた帰還者が結果的には九万人以上にのぼったという事実である。これらの謎は本書の中で必ずしも十分に解明された訳ではない。しかしいくつかの可能な推論が提示され、この事業が類例のない棄民政策であったことがおぼろげに暗示される。真実の解明を困難にした理由の一つはこの事業が表向きは国家ではなく国際赤十字によって主導されていたことにある。真実をたどる旅は東京でも平壌でもなく、ジュネーブから始められる。赤十字国際委員会に保管され、最近、機密指定が解除された文書を読み解く中で著者が感じた不全感が本書の出発点を画した。国家ではなく国際赤十字が事業を進めた理由はきわめて複雑であるが、一言で言うならば、どの国も帰還事業の必要性は認めつつも自分の国が主体となって事業を進めることを公にできない理由があった。当事者たちに悪意はなかったと信じたい。しかし少なくとも善意によって進められた事業ではなく、結果に対して責任をとる者は誰もいなかった。あとがきの中に「ここに書かれている物語では、登場するすべての国の政府がそろって面目ない姿をさらしている」とあるが、確かにどの当事者もこの事業に対して後ろめたい感慨を抱いているだろう。しかし実際に辛酸を舐めたのは国家ではなく名もなき人々なのだ。
 それでは帰還事業はどのようなパワー・ポリティクスの中で可能となったのか。まず日本に関しては、在日コリアンに対する差別と偏見が背景に存在している。戦時中に徴用の名目で日本に強制連行した人々に対して祖国への帰還を図るどころか、戦後、日本政府は彼らを危険分子の集団と見なして弾圧し、一切の生活権を与えない政策をとった。生活保護の対象からも外れ、困窮した人々が「ここではない、どこか」へのエクソダスを夢想することは十分にありうる。もっとも日本政府がこの事業に及び腰となった、より「人道的な」理由を推測することも不可能ではない。第二次大戦後、朝鮮半島は南北に分断され、北は金日成、南は李承晩の独裁的な統治下にあった。冷戦の中で共産主義国家への帰還を政府が公式に認めることはありえなかったが、李承晩政権のもとに帰還した在日コリアンもスパイとして投獄、処刑される可能性がきわめて高かった。つまりいずれの国、いずれの政権に人々を引き渡したとしてもその結果に政府は責任をもてなかった。かかる状況下、在日コリアンたちは北へも南へも渡れず、人権を剥奪された状況で日本に暮らすしかないという出口なしの状態に置かれることとなった。
 帰国事業の闇を解明するために著者はまず韓国の済州島に向かう。今でこそ韓国有数のリゾート地として知られる島であるが、この島ではかつて軍政のもとで大規模な住民虐殺事件が発生した。1948年のいわゆる四・三事件である。かつて私は金石範の大長編『火山島』を読んでこの事件について知った。帰還事業そのものについてはこれまでほとんど闇の中に置かれていたが、その周辺を形成する事象のいくつかは在日の作家によって文学作品の中で検証されている。例えば本書の中にも登場する日本のアウシュビッツ、大村収容所における在日抑留者に対する虐待、あるいは軍政下の韓国における残忍な秘密警察の暗躍については梁石日の『夜を賭けて』と『Z』、さらに本書中にわずかに言及のあるスターリンによるソ連朝鮮人の中央アジアへの強制移住については李恢成の『流域へ』から私は多くを学んだ。これらの小説がなければ私は韓国と朝鮮の人々がたどった数奇な運命について知ることはなかったであろう。在日コリアンのアイデンティティーに関わるこれらの小説に関して、私はいつか体系的に論じてみたいと考えている。済州島に戻ろう。アメリカの軍政下、5万人と8万人とも称される島民が右派勢力によって虐殺されたという。死者の数に諸説があるのは、この時、日本へ脱出した人々の数が不明だからである。日本と朝鮮半島の間に位置するこの島からはもともと日本へ出稼ぎや密入国する者が多く、出身者は日本でも一つのコミュニティーを形成していたという。確か金石範も梁石日も両親が済州島出身ではなかっただろうか。白色テロを恐れて日本へ逃れた人々にとって北朝鮮が帰還の地とみなされたとしても大きな不思議はないだろう。
 帰還事業をめぐって「影の外務省」と称される日本赤十字とジュネーブの赤十字国際委員会は平壌の朝鮮赤十字会を巻き込んで複雑な折衝を開始する。このあたりの入り組んだ状況の解明は本書の読みどころである。大村収容所の状況を視察に訪れた赤十字国際委員会の代表は日本赤十字社の前で北朝鮮への帰還を求めて座り込みを続ける帰国希望者たちを目にする。皇族たちも出席して開かれた赤十字国際委員会歓迎のカクテルパーティー(周知のごとく、日本赤十字の名誉総裁は皇后であり、皇族たちも深く関わっている)と同じ会場の前で着のみ着のまま座り込みを続けるコリアンたち、両者の落差に目がくらむようだ。47人の帰国希望者たちはきわめて複雑な経緯をたどり、二組に分かれて最終的に北朝鮮に「帰還」する。(韓国の妨害によって最初予定されていたイギリスの海運会社は日本への寄港をキャンセルし、最終的には日本の漁船によって密航同然に帰国する)ジュネーブに残された記録によるとこの47人は8家族と5人の独身男性、半数以上が子供であったという。彼らは日本政府と日本赤十字に厄介者のように扱われ、出国後の記録は一切残っていない。どのような思いで彼らは日本海を越えたのであろうか。そして彼らを第一陣として怒涛のような帰国事業が開始される。この背景にも複雑なパワー・ポリティクスが働いている。日本と韓国はそれぞれ釜山と大村に抑留されている自国民をともに解放して、抑留という懸案を決着しようとした。(釜山には領海侵犯で拿捕された日本の漁船員が見せしめ的に抑留されていた)このための舞台が1957年、ニューデリーで開かれた第19回赤十字国際会議であり、具体的には決議第20によって抑留の解決と帰還事業の大枠がかたちづくられた。そしてもう一つの当事者、北朝鮮にとっても機は熟していた。かつて日本に強制連行された自国民の帰還を寛容にも受け入れ、社会主義のユートピアとして自国を宣伝するうえで「帰国事業」は絶好の機会であった。北朝鮮はプロパガンダ雑誌を各国に送って、「夢の共和国」の優越を主張する。今日、それらに掲載された写真はなんとも寒々しい。著者はさらに別の要因も指摘する。つまりこの時期、北朝鮮と深い関係にある中国から朝鮮戦争の際に送り込まれ、その後も北朝鮮に留まっていた「志願兵」たちが撤収を始め、労働力が不足するという事態が発生したのだ。撤収の理由は明らかだ。1958年に始まる毛沢東の失政、「大躍進運動」を救済するために中国国内で大量の兵士が必要となったのである。私は先般、フランク・ディケーターというロンドン大学の中国専門家が書いた『毛沢東の大飢饉』という研究を読んだ。「大躍進」の無残な失敗をモーリス-スズキ同様に当時の記録の丹念な掘り起こしによって検証するディケーターの研究も興味深かったが、悲惨さだけを強調し、毛沢東をはじめとする個々の指導者の糾弾に終始する議論には共感が湧かなかった。個々の人民への共感によらず、ただ指導者を一方的に断罪するディケーターの立場は本書の対極に位置するといってよいが、「帰国事業」の本格化と「大躍進」が破滅的な様相を呈する時期が同期している点は平仄が合う。つまり日本からの帰還者は「夢の共和国」で不足する労働力の穴埋めとなることを期待されたのである。さらに日本国内で帰還事業を実質的に推進したのは朝鮮総連であった。本書によれば朝鮮総連にとって赤十字を介した北朝鮮と日本との交渉は多くの規制に縛られた両国間の送金ルートに風穴をあけるものであり、また帰国する人々は日本に残す財産をそのまま総連に「預けて」いったという。明らかにここにもこの事業の闇が透けて見える。
 拉致問題が明らかとなって以来、日朝関係は冷え切っている。確かに自分の意志で出国したかもしれない。(ただしこの点に関しても、著者は例えば帰国の意思を最終確認した新潟の赤十字センターの施設の構造と確認の状況を分析する中で一つの疑問を呈している)しかし、多くが戦時中に連行され、戦後も人としての権利を奪われた中で北朝鮮への「帰国」を余儀なくされた人々の消息について、今なお誰も追跡しようとはしないし、むろん責任をとる者もいない。本書に収められた証言からは帰国者の多くが粛清され、収容所に送られ、悲惨な生活を送ったことが推測される。最後に近い章で著者は次のように述べている。「21世紀の北朝鮮難民は、1950年代、60年代の帰国者と同じように、グローバルな政治という将棋盤上のいかにも都合のよい“駒”であり、大きな戦略に必要になれば動かされ、必要でなければ忘れられる。国際政治の利害の中でこの人たちの小さな、さまざまに異なる、人間的なニーズを見えなくすることはいともたやすい」私たちはベンヤミンの、サイードの流亡について多少は知っている。しかしかつて半世紀前、日本に住んでいた人々が凍土の共和国でその後どのような運命をたどったかについてあまりに無知ではないか。帰還者の中には多くの日本人も含まれていたはずだ。これを棄民と言わずして何というべきか。しかし驚くには値しないかもしれない。国策であった原子力発電所の事故によってゆえなくして故郷を追われ流亡する福島の人々に対して、この国が彼らの「分断」をはかることはあっても全く手を差し伸べようとしないことを私たちは今まさに目撃している。国家はいともたやすく民を棄てる。半世紀前に私たちはこのことを学ぶべきであった。
 ひとたび見捨てた民に対して国家がかくも冷淡であるのに対して、著者であるモーリス-スズキが帰国者たちに注ぐ眼差しは温かい。ジュネーブに始まった旅は、済州島、東京、平壌、北京そして新潟へと続く。本書は帰国事業という苦い謎を解くための著者の終わりなき紀行でもある。重いテーマを扱いながらも本書にみなぎる生き生きした魅力は学術論文ではなく紀行と省察を繰り返す独特の形式をとった点に求められるだろう。いずれの土地においても著者は歴史に翻弄された帰国者の生に思いをめぐらす。最初に私は衝撃と感動と記した。衝撃についてはもはや説明する必要もなかろうが、感動とは流亡する人々へ寄せられた、国籍も異なる研究者のかくも深い共感に根ざしている。「帰国事業」という問題は想像を絶するほど入り組んでおり、未解明の謎はあまりに多い。日本人である私たちもまた彼女の終わりなき旅に同行する義務があるのではなかろうか。
by gravity97 | 2011-12-06 20:09 | ノンフィクション | Comments(0)