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Living Well Is the Best Revenge

『ヒロシマ・ナガサキ』

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 集英社から全20巻で構成された「コレクション 戦争と文学」という重厚なアンソロジーの刊行が開始された。初回配本として同時に刊行された「アジア太平洋戦争」と「ヒロシマ・ナガサキ」のうちひとまず後者を求めた理由が先般の原子力発電所事故にあることはいうまでもない。巻末に関連年表が付されている。そこに記された最初の項目は1942年6月18日、アメリカにおけるマンハッタン計画の発足であり、最後の項目は2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原子力発電所での事故である。アルファとオメガ、年表が物語るとおり、私たちは核/原子力という災いのただ中に生を受けているのだ。
 収録された作品のセレクションがよい。小説のみならず短歌や川柳までジャンルは多岐にわたり、ヒロシマ、ナガサキを扱ったよく知られた小説から未知の作家、さらに意外な作家の作品まで幅広い範囲から選ばれている。ここでは主に小説について論じる。本書は四つの章から成り立っており、第一章にはもはや古典と呼ぶべき作品が収められている。原民喜の「夏の花」、大田洋子の「屍の街」、林京子の「祭りの場」、そして栗原貞子と峠三吉の詩は原爆投下直後の地獄のような状況を中心に描写している。続く第二部に収められた三篇はかろうじて死を免れた人々を待ち受ける過酷な運命を描く。すなわち「原子爆弾症」による悶死への不安に駆られ、アメリカ軍の調査団に実験動物のように扱われ、秋の枕崎台風によって再び大きな被害を受ける被爆から数ヶ月の間の物語だ。これに対して第三部に収められた五編において原爆投下は既に過去の事件である。しかしこの非人間的な兵器がなおも人々の精神を冒し、差別を生み、後続する世代にも理不尽な苦しみを与え続ける。最後の第四部では南太平洋における核実験、被爆孤児の処遇といったヒロシマとナガサキからやや距離をおいた問題が扱われ、きわめて暗示的な手法で原子力発電所における被曝の問題を扱った水上勉の短編も収められている。つまり本書は章を追うに連れて、あたかも爆心地(あるいは事故を起こした原発)から次第に遠ざかるかのように原爆が炸裂した瞬間から離れていく。しかしその被害はいつまでも終わることがない。どの作品も重い読後感を残す。
 率直に言って炎暑の中、被爆という重いテーマを扱った800頁にも及ぶ分厚いアンソロジーを読み続けることはきつい体験であった。子供の頃より、広島や長崎と関連した書物はずいぶん読んだつもりであったが、題名こそ知っていたとはいえ、ほとんどの作品が初読であることにあらためて気づく。収録された作品の初出と底本の一覧が巻末に付されているが、大半の作品は今日では図書館に足を運ばない限り読むことが難しいだろう。この一事を考慮しても本書が刊行された意味は大きい。一方でフクシマを経過したことによって、今日これらの小説の内容をさらに明確に理解できるようになった思いも強い。例えば「原子爆弾症」あるいは「原爆病」と一括される症状、つまり被爆時にあってはほとんど目に見えるダメージを受けていないにもかかわらず数日から数週間の時間を隔てて突然発症し、激しい苦痛を伴って死に至る一連の事例は、高線量の放射能を浴びた結果としての急性障害であり、同じ症状を私たちは20世紀後半にもチェルノブイリで、そしてJCOの臨界事故で身近に体験したのだ。あらためて私は原子爆弾という兵器と原子力発電所が全く同根の営みであることを思い知る。私たちはヒロシマとナガサキの死者たちから何も学ぶことがなかったのだ。
 個々の作品の完成度に関しては疑問を感じない訳ではない。(記憶による引用であるが)かつて中上健次が三田誠広のごときくだらない作家でも戦争があれば小説を書くことができるという趣旨の発言をしたことを記憶している。私も同感であるが、戦争があれば優れた小説を書けるかといえばまた別の問題であろう。私の考えでは収録された小説の一部は被爆という重いテーマを担うだけの文体や形式を備えていないため、平板ないし図式的な印象から免れえない。私が感心したのは川上宗薫の『残存者』という短編である。本書を読んで私は川上が長崎の被爆で母と妹二人を失い、牧師であった父も平和活動家に転じたことを初めて知った。川上が被爆体験を主題として執筆したおそらく唯一の作品である『残存者』は被爆後、廃墟となった街で邂逅する男女の感情の機微をとらえて淡々とした文章の中に緊張を湛えた佳品であり、原子爆弾や被爆といった事件はむしろ後景に退いている。知られているとおり、川上は70年代にはいわゆる官能小説の第一人者として勇名を馳せる。私はこの哀切な小説の作者としての川上と流行作家としての川上とのギャップに興味を抱く。意外な作家ということであれば、美輪明宏の『戦』という短編も疎開から被爆、終戦そして進駐軍といった敗戦期のいくつも主題を連ねて印象に残る。収録作家や作品がどのように選ばれたかは不明であるが、思いがけない書き手を含めたことによって、このアンソロジー自体が深みを増したことは、意外な作家、作品を含めることによって展覧会のパースペクティヴが広がることと同様である。
 今述べたとおり、多くの小説が核爆発という惨事のあまりの巨大さ、おぞましさの前に言葉としてはむしろ萎縮し、それゆえ厳しい読後感を残すのに対して、言葉によって惨事に拮抗しようとする意志が認められるのは井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」である。当時の国民学校の六年生であった三人の少年を主人公に据え、被爆のため新聞を発行できない中国新聞の記事を口で伝えて人々に報道するという任務を与えることによって、物語の中に口語が導入される。そしてさらに原爆を正当化するトルーマンやチャーチルの発言、進駐軍を迎える政府の発表などを挿入しながら、枕崎台風の襲来にいたる広島の暑く残酷な夏の情景が浮かび上がる。無数の声が交錯するこの短編は戯曲に長じた井上ならではの多声的な構造をとり、口伝隊の少年たちの私的な声と、為政者や政府が発表する権力の声はしばしば対立する。いうまでもないが、今私たちも福島第一原子力発電所の事故をめぐって、無数の声が交錯し、権力の声が私たちの声を押し潰そうとする状況の中にある。この短編は一つの出来事の評価をめぐる闘争が端的に言葉をめぐる争い、多くの場合、話し言葉と書き言葉の争いであったことを暗示している。おそらく今日、ここには第三の言葉とも呼ぶべきインターネット上の言葉を重ねることもできようし(果たしてインターネットに蓄積されるおびただしい言葉は話し言葉なのであろうか、書き言葉なのであろうか)、この意味で原爆投下から半世紀以上が経った後に発表されたこの小説は今日でも実に生々しく感じられるのだ。
 読み進むにつれて爆心地から遠のいていく印象について記した。実際に発表された時期を参照しても、1947年に発表された巻頭の「夏の花」から2006年に発表された巻末の田口ランディの「似島めぐり」まで、発表された時期もほぼ年代順といってよい。つまり原爆投下から半世紀以上が過ぎた今日でもなお、ヒロシマとナガサキをめぐるヴィヴィッドな小説は営々と執筆されているのだ。これは映画から漫画にいたる多くの領域でも検証できる事実であり、文化が非人間的な状況に対する抵抗の礎であることを物語っているだろう。しかし同時に私はヒロシマ、ナガサキを主題とした小説を書くことの困難も感じる。ここに収録された小説がアンソロジーのほかの巻に収められる多くのそれと決定的に異なるのは、ほかの戦争体験とは異なり、原子爆弾とは体験した者の全滅を前提とした兵器であることだ。ヒロシマ、ナガサキがナチスの絶滅収容所、あるいは9・11と結びつくのはこの点においてである。証言者のいない事件をいかに表象するか。このブログで何度か取り上げた表象の不可能性という問題は必然的に本書の隠された主題を構成している。
 証言者が存在しない光景を表象することは可能か。津波によって全てが押し流された被災地、人間の立入りが禁じられ、家畜の死骸が累々と横たわるフクシマの平原。これもまた全滅の後の光景だ。果たしていつの日かそれらが小説や美術として表象されることはあるだろうか。
by gravity97 | 2011-07-31 21:59 | 日本文学 | Comments(0)