宮部みゆき『楽園』

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 天性のストーリーテーラーというのだろうか、どの小説を読んでも掛け値なしに面白い作家が存在するが、宮部みゆきもその一人だ。文庫化されたことを契機に『楽園』を通読し、あらためて痛感する。
 『楽園』は宮部の代表作の一つ『模倣犯』の後日譚という一面をもっており、『模倣犯』の中で稀代の凶悪連続殺人犯を追い詰めた女性ライター、前川滋子が主人公である。『楽園』は最初新聞に連載されたとのことであるから『模倣犯』の読者を想定して執筆された訳ではないが、本書の機微を理解するためには『模倣犯』を読んでおいた方がよいだろう。『模倣犯』で人間の内面に巣食う暗黒と直面した経験はなおもトラウマとなって滋子を苦しめている。このような滋子の内面を知る時、『楽園』の細部はさらに精彩を放つように感じられるからだ。そして宮部ほどの力量をもつ作家にとっても足かけ5年にわたって週刊誌に連載した3500枚に及ぶ大作『模倣犯』の執筆と改稿が大きな負担となったことは容易に想像がつく。前川はこの小説の中で自らの仕事を「喪の作業」と位置づけるが、それは作家においても同様であったように思われる。したがって本作は登場人物、作家のいずれにとっても一種の治療的な意味をもつように思われる。
 もちろん小難しいことを考える必要はない。読み始めるや誰もが小説に引き込まれてしまうだろう。「模倣犯」事件から9年後、なおも事件から立ち直れない滋子に奇妙な依頼がもたらされる。交通事故で亡くなった息子が誰も知るはずのないある事件の真相を絵に描き残していた。息子には本当に予知能力があったのか、それとも事件の関係者となんらかの関係があったのか。母親から調査を依頼された滋子は「模倣犯」事件以来、久々に犯罪に関わる事案を調査することとなる。事件そのものはきわめて単純で既に終結している。素行の悪い長女を殺害し、遺体を自宅の床下に隠していた夫婦が出頭する。偶然発生した火災の結果、事件が露頭することを恐れての出頭であり、殺人自体は既に時効となっていた。依頼主の息子が描いた絵の中には家族と床下の死体、そして事件の現場を特定する鍵となる奇妙な風見鶏が描きこまれていた。ミステリーと超自然的な謎を交えるのは宮部の得意な手法であり、『龍は眠る』や『クロスファイア』といった小説も想起された。『楽園』にはアクロバティックな謎解きや意外な犯人、驚くようなトリックは登場しない。謎の核心もある程度読み進むと推察することができる。しかしこの点はこの小説の魅力を減じないどころか、ミステリーといった単純な枠組に収まらない深みを与えている。
 私たちの日常の中には不気味な深淵が口をあけている。突然介入する「不気味なもの」によって私たちの日常が脆くも潰えるという主題は『オイディプス王』から『変身』、『死の棘』まで文学の一つの系譜をかたちづくっている。「不気味なもの」が村上春樹の多くの小説に共通するテーマである点についても以前記した覚えがある。若い女性を狙った連続誘拐殺人事件を描いた『模倣犯』の中では邪悪な意志によって被害者のみならず家族や周囲の者の日常や精神が次第に破壊されていく様子が鬼気迫る迫力で描かれていた。『模倣犯』ではいわば外部からもたらされた「不気味なもの」、邪悪な意志は『楽園』においては内部からもたらされる。タイトルの『楽園』が一つの暗喩であることは明らかだが、それはきわめてアイロニカル、さらにいえば逆説的な暗喩である。「楽園」とは家庭あるいは家族を暗示している。しかしここに登場する家庭や家族は「楽園」からはほど遠い。たった一人の息子を事故で失う薄幸の母子家庭。実の親に殺められるほどの悪行を重ねる娘。注目すべきは物語の中心となるこれら二組の家庭とそこで起きた事件が冒頭でほとんど全て明らかになり、しかも既に終えられている点だ。それにも関わらず、物語がみごとに駆動していく点にこの小説の魅力、説話論的な特性がある。もっともミステリーを読み慣れていればこの点はさほど驚くに値しない。犯人が最初から特定されたこの小説は一種の倒叙推理であり、謎の核心は犯人ではなく動機、つまり典型的なファイ・ダニットである。読み進むにつれて事件の当夜に何があったかという点に謎が絞り込まれていく構造はクリスティーの『ゼロ時間へ』なども連想されよう。
 しかし私は本書からミステリーよりもむしろスティーヴン・キングの一連のホラーを連想した。これは『模倣犯』に関してもいえることであるが、宮部はおぞましい事件の核心を巧妙に隠す。つまり物語は事後に語られ、犠牲者あるいは当事者は既に死んでいるために語り手をもたないのである。しかし読み手は提示される状況証拠から、彼らが味わった恐怖やそこで繰り広げられた惨劇を想像し、想像力の幅に応じた衝撃を受ける。これはかなり高度な説話的テクニックであり、このような技法に長けた作家として私はキングを思い浮かべるのだ。あるいは家庭という「楽園」の内部からもたらされる「不気味なもの」。このような発想から直ちに想起されるのはキングの中でも恐ろしさという点で屈指の傑作『ペットセマタリー』である。最愛の息子が「不気味なもの」へと変貌を遂げることの恐怖をキングは文字通りスーパーナチュラルな怪異譚として描いた。『楽園』においては娘の非行という、今日においてはある意味で日常的な物語として「不気味なもの」が家庭を、家族を脅かす。しかし同じ家庭内の悲劇が『楽園』の場合、どこかしら哀切を帯びているのは、それが進行中の物語ではなく、既に終えられた悲劇として当の肉親によって語られるからであろう。この点でも本書はその魅力を形式、時制においても話者においても特殊な話法によっている。
 基本的に悲惨な物語が語られる。しかし宮部のほかの小説と同様に読後感は悪くない。特に断片的に挿入され、最初は本編との関係がはっきりしないいくつかの断章が最後にみごとな効果をあげている。いつもながら人物造形も巧みで、読者は滋子をはじめとする何人かの登場人物にやすやすと感情移入してしまうだろう。『模倣犯』は人間の暗黒を描いて救いがなく、それゆえ深い余韻を残した。対照的に本書においては末尾に意外な、そして心温まる挿話が用意されている。先ほど著者そして『模倣犯』の登場人物であった滋子に対して本書は治療的な意味をもつと述べたが、それは前著で凶々しい暴力に触れた読者に関しても同様かもしれない。

by gravity97 | 2010-04-01 20:22 | エンターテインメント | Comments(0)