THE NEW AMERICAN PAINTING

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 貴重な展覧会カタログが手に入った。1958年から59年にかけてヨーロッパの8都市を巡回した「新しいアメリカ絵画」展のカタログである。ニューヨーク近代美術館の辣腕キューレーター、ドロシー・ミラーによって企画された伝説的な展覧会であるが、今述べたとおり、ニューヨークではなくヨーロッパの諸都市で開催されたため、カタログも含めてこの展覧会に関係した資料を探すことはなかなか難しい。私が試みた限りでは、ニューヨーク近代美術館のホームページからもこの展覧会に関する情報を得ることはできなかった。手に入れたカタログは最終会場であるテート・ギャラリーのカタログの再版であり、巡回した各地における展覧会評が英訳されて収録されているほか、註記によればカラー図版も何点か追加されているらしい。テート・ギャラリー版は当然英語であるが、巡回先ごとに言語を違えてカタログが刊行されているはずだ。
 ちょうど半世紀前に刊行されたカタログであるが、この展覧会は歴史的な意味をもち、カタログからも多くの発見があった。知られているとおり、第二次大戦後、ニューヨークは美術の首都の座をパリから奪取する。具体的にはこの展覧会に出品した一群の画家たちの作品の卓絶が確認され、それまでのヨーロッパ美術の公準とは全く異なったポップ・アートやミニマル・アートが登場する60年代中盤、このような交代は強く印象づけられるのであり、この展覧会が巡回した時点ではそこまでの認識は確立されていない。言い換えるならば、なおもヨーロッパ絵画の優越が確信されていた状況に対し、遥か大西洋の彼方から投じられた一石が本展覧会なのである。出品作家は17名。いちち列挙しないが、ポロック、デ・クーニングからロスコ、ニューマンにいたる抽象表現主義の代表的作家が顔をそろえている。逆にこの展覧会への出品者によって綱領も宣言もない抽象表現主義という運動に輪郭が与えられたといえるかもしれない。作品のレヴェルがきわめて高いことにあらためて驚く。今日ではあまり知られることのない数名の画家を含めて、図版で見る限りにおいても代表作と呼ぶべき名品が網羅されている。このカタログが貴重である理由は出品作品のリストが付されていることであるが、リストを参照するならば、例えばデ・クーニングならば《女Ⅰ》、ニューマンであれば《コンコルド》といった作家の転機を画す問題作が出品されている。いずれも今やミュージアム・ピースと呼ぶべき作品であり、このような粒ぞろいの作品がヨーロッパ各地を巡回したこと自体が今となっては奇跡のように感じられる。
 これらの絵画が当時のヨーロッパの観衆にとっておそろしく異質であったことは今日でも容易に想像がつく。次に述べるとおり、この展覧会への各国の批評はきわめて興味深いのであるが、その中の一つにテート・ギャラリーへの巡回展に対して「私はこれほど多くの若い観衆が、眩惑され、沈黙のうちに作品の前に座りこんでいるのを見たことがない」という評がある。端的に言って多くの絵画において、戦前におけるヨーロッパ近代絵画の最終的な達成であったキュビスムとシュルレアリスムの残滓がほとんど見受けられないのだ。知られているとおり、多くの抽象表現主義の画家たちは40年代後半にブレークスルーと呼ばれる形式上の決定的な転回を遂げるが、この時期を経過した絵画によって構成された展覧会、ことに成熟期のポロック、ニューマン、スティルらの絵画はヨーロッパ近代絵画との意志的な断絶を誇示して間然するところがない。
 当然ながらヨーロッパにおいてこれらの絵画は多くの批判を浴びる。最初に述べたとおり、私が入手した再版のカタログには巡回各館における展覧会評が掲載されているが、ほとんどが批判、端的に言って罵倒である。「新しくもなければ、絵画でもない、アメリカ的でもない。内的な必然性もなければ、内的な葛藤もない、真剣な形式的探究さえない」「一体彼らは自分たちが画家だと考えているのだろうか。(中略)国立美術館がこのような伝染性のある異端の教えにかくも寛大に公的な援助を与えることの恥知らずはどうだ」「これは芸術ではない。悪趣味のジョークだ。蜘蛛の巣の絡まりから私を助けてくれ」最初にイタリア語、フランス語、そして英語(イギリス)で発表されたこれらの批評の厳しさに私たちは驚く。むろんアメリカ絵画の独自性について比較的冷静に論じた評や個々の作家についての好意的な論評も掲載されている。しかしこれらの批評に目を通す時、印象に残るのがこれらの悪罵であることはいうまでもない。しかし展覧会の政治学に通暁した私としては次のようなうがった見方が可能ではないかと考える。これらの批評はニューヨーク近代美術館が再版したカタログに掲載されている。したがってこれらの展評の選択には美術館の意思が働いている。さて、通常であれば展覧会の企画者はこのような批判に対してきわめてナーヴァスである。展覧会が関係者との協同によって進められる以上、美術館は出品作家、あるいは借用先に遠慮して当然ありうるべき批判まで検閲し、抹殺しようとする。これは現在も日本の美術館が行っていることである。日本では展覧会に対する批判はタブーとされ、未だにまともな展覧会評が成立していない。それはともかく、逆にこれらの批判を自らが刊行したカタログに収録し(開催時の初版には掲載されていなかったにもかかわらず)周知するということはニューヨーク近代美術館にとってこれらの批判がむしろ好都合であったとは考えられないか。つまり、これらの批判こそヨーロッパの関係者がなおも「新しいアメリカ絵画」が提起する新しい美の公準を理解していないことの証左であり、逆にいえばアメリカ美術の勝利を告知するものであった。さすがの私も当時、ニューヨーク近代美術館がここまでの深い読みのもとにカタログを編集したと確言する自信はない。しかし結果的にかかる度量によって、新しい絵画をめぐるアメリカとヨーロッパ、新旧の美意識の懸隔を具体的な歴史資料の中に残すことが可能にされたように思われる。
 カタログの内容について触れる。今触れた展覧会への批評のアンソロジーに続いて(冒頭にこれらのネガティヴな言説を配置した点にも近代美術館の意図がうかがえる)、当時ディレクターであったアルフレッド・バー・ジュニアによる展覧会のイントロダクションが掲載されている。5頁ほどの短い解説であるが、さすがというべきか抽象表現主義に関するきわめて的確な要約である。私はこれを読んで、日本語で書かれたものも含めて、以後に発表された抽象表現主義に関する文章の多くがこのイントロダクションを踏襲している点をあらためて認識した。抽象表現主義という語の最初の使用例、あるいは日本の禅との関係など、しばしば論及される問題が既にここで提出されている。バーはアーモリー・ショーに始まるアメリカの美術界とヨーロッパの前衛美術の出会いを概観し、つまりヨーロッパの近代絵画にも一定の敬意を払いつつ、アメリカの絵画の特性について語る。展示された多様な絵画に共通する特質としてバーはその巨大なサイズ(「これらの絵画の偉大さはカンヴァスのサイズだけだ」という『フィガロ・リテレール』誌に掲載されたコメントを私たちは同じカタログで読むことができる)、色彩の調和や画面の構成といった従来の絵画的価値への無配慮、抽象的な作品が多いにも関わらず絵画の主題性が強く意識されている点の三点を挙げている。この指摘はきわめて適切であり、今日でも完全に通用する認識である。カタログでは続いてウィリアム・バジオテスからジャック・トォルコフまで、出品作家の写真とコメント、そして作品写真がカラー図版を交えて、アルファベット順に掲載されている。コメントにも十分なスペースが割かれ、図版も多く、おそらくこの時代にこれほど充実したカタログは例がないのではなかろうか。巻末には作家の略歴と出品リストが置かれ、このような構成からはニューヨーク近代美術館が一群のアメリカの若い作家たちをプロモートし、ヨーロッパに紹介していこうとする強い意志を認めることができる。
 このような意志にアメリカという国家の文化戦略がどの程度反映されているかは微妙な問題である。この点を確認するうえでも私は本カタログを前から入手したいと考えていた。今述べたとおりバーのイントロダクションはずいぶん控えめで、少なくとも抽象表現主義を運動として支持しようとするほどの強い姿勢は見当たらない。しかしこれほどの大展覧会を一年間にわたってヨーロッパ各地を巡回させるためには潤沢な予算と周到な準備が必要であったはずだ。その背景は今後も究明されるべき課題であり、抽象表現主義あるいはニューヨーク近代美術館の政治性について近年いくつもの研究が発表されていることは周知のとおりである。私はきちんとフォローしていないが、ドロシー・ミラーが果たした役割についてもリン・ゼレヴァンスキーの詳細な研究があったと記憶している。
 「新しいアメリカ絵画」はヨーロッパの美術界にとって真に革新的であった。しかしながらなおもそこでは絵画という制度が墨守されていた。それゆえ人は例えば抽象表現主義をヨーロッパにおけるカウンターパートであるアンフォルメルあるいはタシズムと比較することができた。先ほど言及した展覧会評の中にも両者が関連して論じられている内容がある。そしてほぼ10年後、やはりニューヨーク近代美術館によって企画された一つの展覧会がヨーロッパ各都市を巡回する。「アート・オブ・ザ・リアル」。現実の美術と題された展覧会においてはアメリカ人によって制作されたという一点を除いてもはやジャンルに統合することさえ不可能な作品群が再びヨーロッパ的美学を震撼させることとなる。

by gravity97 | 2010-01-12 20:53 | 現代美術 | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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