Under Each Other's Spell

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 現在もニューヨークで開催中であるが、おそらく日本の美術ジャーナリズムでは紹介されることがない興味深い展覧会のカタログが手に入った。
 「Under Each Other’s Spell」、和訳するならば、「互いに魅せられて」といったところか。いささか謎めいたタイトルであるが、「具体とニューヨーク」というサブタイトルを参照すればその意味は容易に了解される。この展覧会は1954年に芦屋で結成され、日本の戦後美術の出発点を画すのみならず、現代美術の神話として名高い具体美術協会のアメリカにおける受容を主題としている。ゲスト・キューレーターはミン・ティアンポ。芦屋市立美術博物館で具体美術協会の調査に携わった後、グレイ・アート・ギャラリーにおける「田中敦子展」などに関わった若い女性研究者で近くシカゴ大学出版局より『具体 分散するモダニズム』という著書を上梓する予定ということだ。
 残念ながら展覧会を実見する予定はないので、例によってカタログを参照しながら所感を述べる。この展覧会の中で具体とニューヨーク、つまりアメリカの美術界との交渉はいくつかのレヴェルで検証されている。まず展示された作品の大半はマンハッタンに住む画家ポール・ジェンキンス夫妻のコレクションである。ジェンキンスによれば、それらは64年に彼が日本を訪れた際に作家たちから贈られたものであるという。クオリティーの高い小品が多いことはこのような理由によっている。私はモーリス・ルイスの亜流であり、しかも妙に感傷的なジェンキンスの絵画を全く評価しないが、おそらく同じ理由によって日本ではルイス以上に人気のあるジェンキンスは当時より具体のみならず日本の美術界と交流をもっていた。たまたまジェンキンスの家を訪れたポロック-クラズナー・ハウス・アンド・スタディセンターのディレクターがそこにあった具体美術協会の作家たちの小品に目をとめたことがこの展覧会の発端であったとカタログの前書きにある。
 具体美術協会は活動の初期から機関誌を発行して世界各地に自分たちの活動を紹介し、作家や批評家を結ぶネットワークを形成した。この点を解明することもこの展覧会の主要な目的となっており、この点は美術におけるグローバリズムの起源とも呼ぶべききわめて今日的な問題意識と結びついている。ミンはこのようなネットワークが国際郵便というシステムと密接に結びついて構築されたことを論じ、このような交流の一つの帰結としての58年、ニューヨーク、マーサ・ジャクソン・ギャラリーにおける具体美術展を取り上げ、最後にジェンキンスと具体美術協会の作家たちとの交流の場になったグタイピナコテカの活動に触れつつ、そこを訪れた多くのアメリカ人作家の名を羅列している。しかし論文自体が短く、テーマ的にも限定されているためか、ミンの論文は具体美術協会に関してよく知られた事実をなぞることに終始してあまり新味がない。特にその全容が未だに未解明といってよいマーサ・ジャクソン・ギャラリーでの展覧会とその反響に関しては地の利を生かしてさらに詳細な検証がなされてもよいのではないかと考えるが、特に新しい知見は得られず、使用されている展示の図版も芦屋市立美術博物館の具体美術協会アルカイヴに収められた旧知のイメージである。本論文から得られた唯一の新しい情報は、機関誌『具体』がニューヨーク、パリ、トリノ、アムステルダム、ヨハネスブルグに向けて発送されたというコメントである。これほど具体的に地名が特定されているからには当然根拠があるだろうし、おそらくそれは彼女が整理に従事した芦屋美術博物館の具体アルカイヴの資料と推測される。ところが註には具体的な資料が明示されず、この問題については近く刊行される自分の新著を参照せよとのこと。展覧会は著書の宣伝の場ではない。学術論文における事実関係の指摘である以上、典拠が明示されていないのは問題ではなかろうか。
 これに対して、同じカタログ所収の大島徹也の論文は興味深い新発見を丹念に検証している。大島はかつてポロックに関する各所のアルカイヴを調査して、現在大原美術館に所蔵されているポロックの《カット・アウト》のオーサーシップと制作年についてきわめて説得的な異論を呈したことがある。今回の論文はおそらくこの調査の副次的な成果であろうが、大島はポロックのアルカイヴの中に具体美術協会のメンバーであった嶋本昭三の手紙を発見し、今回のカタログでその全文を紹介している。ポロックの死後、書斎から具体美術協会の機関誌が発見されたことは有名な事実であり、このエピソードは具体美術協会の神話化に大きく寄与した。これまでなぜポロックがこれらの機関誌を、しかも複数部所持していたかは謎とされていたが、この手紙を読むならば事実はきわめて単純であり、嶋本がおそらくは指導者吉原治良の指示に従って直接郵送していたのである。コロンブスの卵とも呼ぶべき解決である。具体美術協会の作家たちがこの事実を公表しなかったことは自らを神秘化する意図があったかもしれないが、単に送った相手を記録していなかったということも十分にありうるから、今後の検証が必要とされるだろう。いずれにせよ、きわめて早い時期に現代美術に関わる国際的なネットワークの構築を試みた点において、この集団の先見性は明らかであり、このような交渉史にさらにパリのミシェル・タピエという函数を加える時、1950年代にニューヨークとパリの間で繰り広げられた美術の覇権をめぐる闘争に新たな光を当てることができるかもしれない。大島は吉原がポロックのアドレスを手に入れるにあたって長谷川三郎が仲介した可能性を示唆している。吉原は早い時期からポロックのアクション・ペインティングに関する情報を得ていた形跡があり、この点から具体美術協会とアクション・ペインティングの関係を再検討することもできよう。今回の発見は50年代の表現主義的絵画に関してなおも多くの研究の余地が残されていることをあらためて私たちに示唆する。
 カタログのイメージを上に示す。写真からもわかるとおり、このカタログはポロックに関する記事が掲載された具体美術協会の機関誌『具体』6号の装丁を模しており、巻末には当該記事が見開きでそのまま収録されている。著作権の問題が気にならないでもないが、展示の内容に即したなかなかしゃれた意匠である。近年、具体美術協会への関心はヨーロッパで再び高まっている。アメリカでは日本の戦後美術を紹介する展覧会やアクションを主題とした展覧会に組み入れられたことはあっても、具体美術協会単独の展覧会は今日にいたるまで開かれたことがない。今回の展覧会、あるいは来年刊行されるというミンの新著がアメリカにおける具体美術協会の再評価、そして研究の進展の契機となればよいと感じる。

by gravity97 | 2009-09-22 21:17 | 展覧会 | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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