Living Well Is the Best Revenge

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優雅な生活が最高の復讐である

ローワン・ジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』

 話題になっている本を後追いで読むというのはあまり好きではないが、以前から気になっていたテーマでもあり、やや長い出張を利用して通読する。
 例によってタイトルがくどいというか直接的にすぎる。原題の方が意図するところは明白だ。原題のFruitless Fall、「実りなき秋」とはいうまでもなくレイチェル・カーソンの名著『沈黙の春』Silent Spring に韻を踏むものであり、両者は環境破壊に対する警世の書という共通点をもつ。カーソンの場合はDDTを初めとする農薬による環境汚染という比較的限定された問題が扱われていたのに対して、本書においては現在の農業の在り方、環境問題について多角的な観点から分析が重ねられ、多くの示唆に富む。またカーソンが多くの生物について農薬との関係を検証したのに対して、ジェイコブセンが論じるのはミツバチという特定の種におけるミステリーである。
 ごく最近、2006年から2007年の春にかけて、北半球のミツバチの四分の一が姿を消した。死んだり弱ったりしたのではなく、文字通り巣箱から姿を消したのである。残されたのは女王蜂と大量の蜂蜜。無数の働き蜂は一体どこへ行ったのか。ミツバチの生態や花との共生、養蜂業の現実といった様々な問題を絡ませながら、作者は一つの種が壊滅的な規模で失踪するという現象の謎に迫る。専門的な記述も多いが、ジェイコブセンの筆運びは巧みで、比喩がきわめて効果的に用いられているため、読んでいて飽きることはない。大量殺人と消えた死体。ヴァン・ダインやディクソン・カーのごとき謎の設定はあたかも上質のミステリーのようだ。しかし謎は最後まで解明されることはない。携帯電話の電磁波、寄生するダニ、農薬、あるいはストレス。いくつかの「犯人」が名指しされ審問に付されるが、決定的な証拠は見つからず、筆者の結論はこれらのいくつもの原因が複合しているのではないかという穏当といえば穏当、あいまいといえばあいまいなものだ。しかしながら本書の真の主題はミツバチ消滅をめぐる犯人探しではない。ミツバチとは野生種ではなく人為、養蜂業という農業ビジネスと密接に結びついている。本書は高度に工業化された農業が現在瀕している危機に対して警鐘を鳴らす。
 筆者はまず朝食の風景をとおして私たちの食生活がいかに昆虫に依存しているかを素描する。私たちの食生活は植物が昆虫によって受粉し、果実を結ぶという単純な原理に依っている。通常は野生の昆虫によってなされるこのような受粉のプロセスを組織化し、一つの産業としたのが養蜂であることはいうまでもない。したがってミツバチの消滅は養蜂業というシステムにとって致命的な事態である。私は養蜂について詳しくは知らないが、これまでどちらかといえば牧歌的な印象を抱いていた養蜂という営みがきわめて合理化、機械化されていることを私は本書を読んで初めて知った。そして今日ミツバチをめぐる状況はグロテスクな色彩を帯びている。収益率の高いアーモンドを受粉させるため、大量のミツバチが全米各地から巣箱単位でカリフォルニアに輸送される。トラックによる長距離輸送、過密な生活環境、過度な労働(受粉)による免疫系の不全、そしてミツバチの周囲に蔓延する農薬や化学物質。ミツバチの失踪の原因は特定されないが、環境や「エコ」がもはや強制とも呼ぶべき正義として叫ばれる今日にあってこれほどの悪条件下でミツバチが活動することを余儀なくされているという事実は大きな驚きであった。逆にいえば本書で論じられるCCD(蜂群崩壊症候群)と呼ばれる災禍は必然的な印象さえある。さらに本書の中では今日、ミツバチが直面する苦境が単に物理的、化学的あるいは生物学的原因に由来するだけでなく、社会的、政治的な意味を持つことも暗示されている。本書を読みながら私は2004年に公開されたフーベルト・ザウパーのドキュメンタリー、「ダーウィンの悪夢」を連想した。このフィルムではアフリカのビクトリア湖において、ナイルパーチという魚が湖の生態系を破壊するまでに繁殖するという生物学的事件を描きながら同時に生態系の破壊が近隣の社会や文化をも頽落させる様子が浮かび上がる。貧困やエイズ禍の遠因となったナイルパーチは加工されて航空機でヨーロッパに輸出される。そしてその帰路の便にはアフリカで売り捌くための兵器が積載されているのだ。このフィルムは今日、グローバリズムの名の下に環境破壊や疎外、暴力が想像を絶する規模で広がり、もはや誰もがその進展と無関係ではありえない状況を暗示していた。(ナイルパーチは日本にも輸入されている)
 本来、きわめてローカルな産業であった養蜂ももはやグローバリズムと無関係ではない。中国産の粗悪な蜂蜜はアメリカの養蜂業者にとって死活的な脅威であり、ロシア原産のミツバチは危機に瀕する養蜂業にとって救世主かもしれない。農業という本来的に土地と密接に結びついていたはずの産業がビジネスとして抽象化され、グローバリズムの潮流の中で世界に一挙に広がる時、人類はかつてないカタストロフと背中合わせなのではないだろうか。本書の中でジェイコブセンはテロワール(地味)という概念にしばしば言及する。テロワールこそグローバリズムに対立する概念であり、養蜂という営みの本質であろう。グローバリズムとは本来多様である世界を利潤追求という目的に向かって画一化する暴力的な衝動であるように思われる。今、カリフォルニアのアーモンドの例を挙げたが、工業化された農業においてジャングルや草原の広大で多様な広がりが単一作物の農地へと転じることは既に見慣れた光景である。そして近年の不況の中で人も同様に単なる労働力として抽象化され、国境を越えて搾取されていることも知られているとおりである。むろんこの状況は既に疎外という概念とともにマルクスによって分析されていた。しかしなおも地域による格差を前提としていたマルクス主義に対して、仮想現実によって平準化された今日の社会において、疎外をめぐる苛酷な現実はより全面的、一挙的、文字通りグローバルに出来するように思われる。
 b0138838_21431953.jpgそれにしても自ら蒔いた種とはえ、自然への人為的介入がかくも壊滅的な状況を生むことは人間にとって脅威以外のなにものでもない。本書の解説において福岡伸一がCCDを狂牛病と関連づけて論じている点は適切であろう。狂牛病に関してはある程度原因が解明されているが、本書にあるとおりCCDの原因は未だに特定されていない。2006年の冬以降、新たなCCDは報告されていないらしい。しかしまだそれから3年しか経っていない。北半球のミツバチの四分の一が失踪した災禍が繰り返されないという保証はない。高度に工業化された農業が本質的にそのようなリスクの上に存立しているとすれば、人という種がそれから免れていると考える根拠もない。そしてグローバリズムはこのような危機を今も累乗させているのである。
by gravity97 | 2009-08-30 21:43 | ノンフィクション | Comments(0)

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