人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログトップ

Living Well Is the Best Revenge

Manuel Gottsching [E2-E4 LIVE IN JAPAN]

Manuel Gottsching [E2-E4 LIVE IN JAPAN]_b0138838_2253594.jpg
 とんでもないものが手に入ってしまった。こんなものがこの世に存在してよいのだろうか。しかもそれがアマゾンから普通に送られてくるとは。
 マニュエル・ゴッチングの[E2-E4]については以前このブログでも取り上げた。末尾に関連情報としてゴッチングが06年に来日し、「メタモルフォーズ」というイヴェントで[E2-E4]のソロ・ライヴを行ったらしいと書きつけた。書いてはみたものの、[E2-E4]を(後で触れるベルリンの弦楽アンサンブルと共演した失敗例はあるにせよ)ライヴで再現できるとは思えず、そもそもよりによってマニュエル・ゴッチングがそのような歴史的ライヴを日本で行うことなど普通に考えてありえないから、半信半疑というかおそらく何かの間違いだろうと思っていた。
 ところがこのたびその模様をCDとDVDに収めた[MANUEL GOTTSHICHING / E2-E4 LIVE IN JAPAN]なるセットが発売された。[E2-E4]発売からちょうど25年後にリリースされたこととなる。早速、DVDとCDを陶然とした思いで視聴する。これはまぎれもなく更新された[E2-E4]であり、伝説的なオリジナル録音を凌駕する内容である。果たしてこのようなことが現実にありうるのだろうか。
 今回は詳しいライナーノートが付され、オリジナルの[E2-E4]と今回のライヴが実現にいたった経緯についてゴッチング自身によって詳しい説明が加えられている。まずオリジナルが成立した過程が興味深い。ゴッチングによると1981年の暮れ、クラウス・シュルツとの長いツアーを終えたゴッチングは、長いツアーがもたらした「コンサート・モード」から脱却するために、常に録音できる状態になっている自宅スタジオのシンセサイザーやシーケンサーを用いて一人だけのセッションを試みた。偶然試みたこのセッションはその全てがスタジオのテープマシーンに録音されていた。1981年12月12日のことである。録音されたテープを聴き返してゴッチングは当惑する。「その曲は完全なバランスを保ちながら流れ、何回繰り返して聴いてもミスや破損が見つからなかった。それまで私はいくつものセッション・レコーディングを自分のスタジオで録ってきたが、これほどの長さと深さにおいて完璧なものはなかった。私にはそれがむしろ不気味に思え、問題でもあった(I found it almost uncanny. And a Problem.)」あまりの完璧さに発表を見合わせたというのがよい。結局、紆余曲折を経た後、ヴァージン・グループ会長のリチャード・ブロンソンの勧めなどもあって、[E2-E4]は1984年に発表され、熱烈な支持者を生んだ。今回の[E2-E4 LIVE IN JAPAN]は2006年8月26日に開かれたMETAMORPHOSEというレイヴ・イヴェントにおけるライヴであり、当然ながら[E2-E4]同様にやり直しのきかない、いわゆる「一発録り」の音源である。同様にワン・テイクで録音された二つの楽曲がいずれも演奏から同じ3年という時を経て発表された。このような一致をジョイスにおける『ユリシーズ』と『フィネガンズ・ウエイク』、ピンチョンにおける『重力の虹』と『ヴァインランド』がともに17年という間隔をおいて発表された事例に準えるのは悪乗りのしすぎであろうか。
 [E2-E4]をライヴで演奏するという考えは当初よりゴッチング本人が抱いていたらしい。しかし実際には機材の運搬や設置の問題で実現は困難であり、比較的コンパクトに実現可能なデジタル・シンセサイザーを用いた演奏はライヴ感が大幅に殺がれるため、解決とはならなかった。実に四半世紀にわたる技術革新の結果を受けてようやく06年に「私を最も熱心に応援し続けてくれたファンがいる日本」でこの奇跡のライヴが可能となったのである。ゴッチングはライヴのアイデアを次のように説く。「コンピュータのプログラム内の音(ベース、コード、メロディ、ドラム、パーカッション)とオリジナルの録音から取り出した音を組み合わせて[E2-E4]の構造と音を全くゼロから作り直すというもの。それはつまり、新しいテクノロジーを用いることによって初めて可能となった全く新しい解釈である」実際の演奏をDVDで確認してみよう。野外のライヴであるからセットとライティングはシンプルだ。壇上に登場したゴッチングはアップルのラップトップに向かって時に額をこすりつけるくらい近づけながらマウスを操作し、時折傍らに置かれたキーボードを操る。私は以前坂本龍一のプライヴェートなライヴで坂本が楽器を一切用いずPCの操作だけで演奏したのを見て驚愕したことがある。電子音楽に疎いため、一体坂本やゴッチングがディスプレイ上のどのような情報をもとに演奏を組み立てているか見当もつかない。最初、私としてはギターを持たないゴッチングにやや当惑した。しかし演奏そのものは完璧だ。先に引いたとおり、オリジナルの録音に新たにプログラムされた音を重ねているため、楽曲の構造自体は明らかに複雑になっている。それにもかかわらず研ぎ澄まされたソリッドな音響の反復はオリジナルと同様、禁欲的でありながら悦楽的というきわめて矛盾した感情を喚起する。先に述べたが、[E2-E4]は05年にベルリンで弦楽アンサンブルとゴッチングが共演するかたちでライヴ演奏され、CDが残されている。しかし演奏時間が15分ほどと短いうえに、妙な抑揚を伴ったストリングスやパーカッションはオリジナルと大きく印象を違え、ゴッチング自身によるギターも変な哀愁を帯びた失敗作である。これに対して、今回、ゴッチングは原曲とほぼ同じ長さのライヴを完全にコントロールしており、緊張感は最後まで途切れることがない。そしてオープニングから35分、全体の半分ほどが経過した時点でついにゴッチングは愛用のギブソンを手に取る。プログラムされた音源に対してゴッチングが爪弾くギターの音響が重ねられ、25年を隔てた二つの即興が緊張と官能の間で照応する様子は圧巻である。上のイメージに掲げるとおり、今回のライナーノートには[E2-E4]発表当時と今回のライヴの模様を撮影した二枚のゴッチングのポートレートが掲載されている。長身白皙、どことなくデュシャンを連想させたかつての美貌はさすがに衰えたとはいえ、ブルーのライトに照らされながら淡々とした態度で時にPCを操作し、時にギターを演奏するゴッチングの姿はめちゃめちゃクールであった。
 実際のライヴも記録の映像にも妙な編集がない点には好感がもてる。デュシャンの名が出たところで悪乗りするならば、[E2-E4]とは「オーガズムの遅延」である。ライヴも映像もクライマックスとは無縁に淡々と続く。映像としては大半がゴッチングの演奏の模様であり、終盤まで客席の反応がほとんど記録されていない点も変な感情移入を排すうえで効果的といえよう。ゴッチングが寄せた文章によると、このライヴは早朝4時、払暁の暗闇の中で始まり、終わる頃には朝日が昇っていたという。その様子はライヴの映像からもうかがえるが、このような時間設定は通常のレイヴ・イヴェントとは大きく異なり、ある程度明晰な意識のもとで知覚されるべき[E2-E4]の時間感覚に見合っているかもしれない。私はレイヴ・イヴェントがどのようなものか全く知らないが、それにしても早朝4時、これほど多くの人がゴッチングのライヴのために伊豆に集ったということが私はいまだに信じられない。観客も若者ばかりであり、私のようなジャーマン・アシッド・ロック、あるいはミニマル・ミュージックとは全く別の文脈で今日この名曲が再評価されていることを暗示している。
 余談となるが、ゴッチングは1996年にアシュ・ラ・テンプルとアシュラの名もクレジットした[PRIVATE TAPES]という6点のアルバムを発表している。タイトルのとおり、ゴッチングがスタジオで私的に録音した内容で、先述のとおり[E2-E4]も同じような経緯を経て今日に残されたと考えられる。「LOTUS」や「ICE TRAIN」といったアシュラ時代の名曲の異なったヴァージョン、あるいはゴッチングのインタビューなどが収められたレアなアイテムである。私は京都のVというショップで偶然見つけて直ちに全点を求めたが、聞くところによると、このCDは1000セットが限定制作され、そのうち500セットがドイツではなく日本で販売されたという。このアルバムはまもなく完売し、今日では中古を探すことも難しいというから、「私を最も熱心に応援し続けてくれたファンがいる日本」というゴッチングの言葉もあながち社交辞令ではない訳だ。このようなファンの存在を考えるならば、このライヴが日本で世界初演されたことも合点がいくが、これまでの生涯で[E2-E4]について知る者に二人しか会ったことのない私としては、今日、若い世代がこの名盤を知るうえで何が接点となったのか、むしろその点を知りたいように感じた。
最後に蛇足ながら[MANUEL GOTTSHICHING / E2-E4 LIVE IN JAPAN]は3000セット限定ということである。

13/02/11追記
最近、朝吹真理子の芥川賞受賞作品『きことわ』を読んでいると、物語の中に[E2-E4]についての言及がありることを知り、驚いた。この小説の中ではチェスとの関係で触れられている。
by gravity97 | 2009-08-15 22:06 | ロック | Comments(0)