マーク・ロスコ『ロスコ 芸術家のリアリティ』

 現在、川村記念美術館でマーク・ロスコのシーグラム壁画の展覧会が開かれている。おそらくそれと連動した企画であろう。「芸術家のリアリティ」と題されたロスコの美術論集の翻訳がこのほど刊行された。本書の出現は私にとっては大きな驚きであった。不覚にも本書をとおして原著がイェール大学出版局から2004年に出版されていたことを初めて知ったが、私の知見の及ぶ限り、これまでロスコにまとまった著述があることは知られていない。私はアメリカの抽象表現主義を専門の一つとしているから、主要な作家の一人であるロスコについてはこれまでカタログ・レゾネをはじめ、多くの展覧会のカタログやモノグラフを参照してきた。これまでも断片的な資料類は存在したが、作家名を著者とする著述は存在しない。ロスコが自死したのは1970年である。没後半世紀近く経ってこのような第一次資料が刊行されることは異例といえよう。調べてみたところ、ロスコに関してはこの後、2006年にも Writing on Art という著述が同じイェール大学出版局から刊行されている。サマリーによれば、こちらのテクストは作家やキューレーターに当てた手紙などロスコの自筆文献を100点ほど集成した内容らしい。おそらくその一部はクリフォード・ロスが編集した抽象表現主義関係の作家と批評家の論文集成に収録されている内容であろう。それにしても1998年に刊行されたカタログ・レゾネをはじめ、重要な画家の画業と著述の体系的な整理という困難な仕事を継続するイェール大学出版局の姿勢は敬服に値する。そしてグッゲンハイム、ビルバオのミケル・ロペス=レミロによって編集された Writings on Art が画家の書簡や覚書といったいわばプライヴェイトな資料をまとめた内容であるのに対して、画家の子息であるクリストファー・ロスコが編集した The Artist’s Reality は画家の手による理論的な著作であり、大きく性格を異にしている。
 しかしながら本書の内容に立ち入る前にいくつか指摘しておくべき問題がある。この原稿は1988年、画家の死の18年後に遺品を整理していた関係者によって古いマニラ・フォルダーの中から発見されたという。執筆された時期は特定されないが1940年代前半、おそらくは1936年から41年の間と考えられる。この時期にロスコが理論的な著作を執筆していたことについてはいくつかの証言が残されている。しかし画家の死後、その原稿は発見されず、遺産管理者と研究者の確執の原因ともなった。ロスコの死後、遺族と遺産管理者、マルボロ・ギャラリーの三者間には係争も発生し、このような状況がケイトとクリストファー、ロスコの遺児たちに原稿の発表を躊躇させる原因となったようである。したがって作者の真正性についての問題はなかろうが、マニラ・フォルダーの中に残されていた未完成の原稿を一編の完結した著作とみなしうるかについては議論の余地がある。「作者」「作品」とは何かといったフーコー的な議論を持ち出すまでもない。描きかけのエスキースを「作品」とみなすことの当否というアナロジーを用いればわかりやすいだろう。決定稿ではないテクストをロスコの真正の「著作」とみなすことは可能であろうか。編者であるクリストファー・ロスコもこの点については十分に慎重かつ意識的である。巻頭に付されたクリストファーの長い「序」はこの問題についての弁明と読めなくもない。彼は内容にまで踏み込んで率直な感想を述べている。彼によれば初読の際にはたいしたものではないと感じたが、再読してその価値を「理解した」という。
 「芸術家のリアリティ」と総称されるテクストは20ほどのテーマについて、ロスコの所感を記したものである。訳書の中には草稿の表紙と冒頭部が図版として掲載されている。タイプ打ちされた原稿の上に作家直筆の訂正が施された状態は最終稿の印象からは程遠い。それぞれのテーマあるいは断章の配列の妥当性について図版から判断することは困難であるが、おそらく多くのアメリカの重要な作家の資料同様に、これらのテクストも将来的には作家に関わるアルカイヴに保管され、閲覧が可能となるだろうから、これらの点については今後研究者の検証を待ちたい。いささか前置きが長くなったが、以上のようにテクスト・クリティークの必要性を強調したうえで、この論集について所感を述べる。
 執筆された1940年前後という時期はきわめて微妙である。知られているとおり、当初シュルレアリスムの強い影響の下に出発したロスコがマルチフォームと呼ばれる多重の色面抽象を経て、独特の抽象形態に移行するのは1947年以降のことであり、時期的にはこの論集はロスコの茫洋とした抽象絵画の成立とは直接の関係をもたない。したがって本書にロスコ絵画成立の秘密を求めようとする多くの読者の期待はあらかじめ裏切られる。内容的にも本書の中でロスコは自身の絵画、自身の創造についてはほとんど論及することがない。しかしここで開陳される画家の思想はまだ生硬な部分や未熟な部分も見受けられるものの十分に魅力的である。なによりも私は一人の画家が正面から美術史に対峙しようとする姿勢に感銘を受けるとともに、ここで論じられた主題が当時彼の同僚とも呼ぶべき画家たちによって広く共有されていた点も興味深く感じた。例えば社会における美術家の役割、原始美術と現代美術、モダン・アートの意義、無意識と創造。いちいち具体的な論文名を挙げることは控えるが、これらの問題は同じ時期に発表されたジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマンのテクストでもしばしば論じられた点である。もちろんこの背景には名高い『タイガーズ・アイ』をはじめとする、多くの雑誌が発行され、作家たちが自由に意見を発表できた状況が挙げられ、これに関してはアン・ギブソンによる先行研究がある。当時のニューヨークにおいて抽象表現主義の画家たちが比較的狭いサークルを結成し、議論や情報交換を繰り返したこともその理由であろう。逆に言えば、アクション・ペインティングや色面抽象絵画の、一見するならば衝動的、非理性的な外見とはうらはらに、絵画をめぐる画家の思索の深まりがかかる偉大な絵画群の成立を可能としたといえるかもしれない。
 発表する予定や目的がないにもかかわらず、作家がこれほどの量の草稿を執筆していたことは従来のロスコ観に転換を迫る。クリストファー自身が何度も述べるとおり、多くのテクストはこのような形にせよ発表されることが前提とされていたら、作家のさらなる推敲を経ていたはずであるし、それゆえにこれらのテクストの完結性には疑問の余地がある。しかしそれにもかかわらず、本書はロスコ、そして抽象表現主義を考えるにあたって、興味深いいくつもの論点を示唆する。ロスコは印象主義(原語は明らかではないが、impressionismであろうか)あるいは主題(subject)といった用語をきわめて独自の解釈とともに用いる。このターミノロジー自体も興味深いが、私が関心をもったのはロスコが多くの場合、二分法によって美術史を思考する姿勢である。端的に述べるならば、このような二分法はロスコの絵画における地と像の二分法と関係していないだろうか。ロスコのシュルレアリスム的絵画において、私は画面構造が舞台と書き割り的な二重性を有している点にかねてより興味をもっていた。(この効果を一層強化するのが、画面を分割する地平線的な構造だ)ロスコの抽象絵画をこのような二分法を無効化する一つの手立てと考えるならば、ディコトミーとその克服はロスコの著作と絵画に一貫する主題と考えることができるのではないか。本論中にはヨーロッパ美術に関する多くの言及がある。ミケランジェロからセザンヌに及び、プラトンからヴァザーリまでが引かれるロスコの美術論の当否について今は措く。私が関心をもったのは、ロスコが結局のところ、ヨーロッパ美術の内部で思考を繰り広げている点である。ラトヴィアのドヴィンスクに生まれ、10歳の時にアメリカに渡ったロスコにとってヨーロッパはなおも抑圧的に機能したとはいえないか。この点が明らかになるのはバーネット・ニューマンとの比較においてである。この論文が、ロスコのブレイクスルー以前に執筆され、内容的にも自己の絵画ではなく、「ヨーロッパ美術における芸術家のリアリティ」について論じている点については既に述べた。しかしこの点を考慮するにせよ、圧倒的に優れた絵画を制作した色面抽象絵画の二大巨匠のうち、なおもヨーロッパ絵画を跪拝するロスコに対し、ニューヨーク生まれのユダヤ人は軽々とヨーロッパ絵画の没落を宣言し、当時、抽象絵画の極北であったモンドリアンを全否定する。癒しや瞑想の絵画。美術ジャーナリズムの愚昧はともかく、ニューマンに比べて、日本でロスコが形式とは無縁の低俗なレヴェルで受容され、不幸にも作品の本質とは無関係な人気があることはこの問題と関わっている。私はロスコもニューマンもその優劣を論じること自体が意味をもたない20世紀絵画の巨匠であることを確信している。しかしニューマンの主要な著述とインタビューを網羅した Selected Writings and Interviews がアルフレッド・クノップフから刊行されたのは1990年であった。アメリカ美術の新しい美学を画し、決定的に重要なニューマンの著作集に先んじて、ロスコの守旧的な芸術論集がいわば展覧会の添え物として翻訳される日本の状況は果たして健全といえようか。
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by gravity97 | 2009-03-31 23:07 | 現代美術 | Comments(0)