Living Well Is the Best Revenge

tomkins.exblog.jp

優雅な生活が最高の復讐である

佐藤優『自壊する帝国』

b0138838_6141651.jpg 『国家の罠』を読んだ時の衝撃は今でもよく覚えている。佐藤優の名はいわゆる鈴木宗男事件に連座して逮捕された外務省職員として知っていたが、冷戦終結後の世界状況と新自由主義の台頭をケインズ主義からハイエク主義への転換と喝破し、自らが置かれた状況に対してかくも透徹した認識によって応じる人物が大学や研究所ではなく、外務省という官僚組織に属していたことに私はまず驚いた。それ以来、佐藤は次々に充実した著述の発表を続けている。手島龍一との共著『インテリジェンス―武器なき戦争』では情報収集と分析というインテリジェンスの機微が語られ、自らの大学時代を回顧した『私のマルクス』は卓抜した知識人の形成をめぐる現代のビルドゥングス・ロマンとして読むことができよう。私はこれまで佐藤の著書をずいぶん読んだつもりであったが、なぜか07年の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作である本書を読み落としていた。文庫化を契機に通読してみる。
 同志社大学神学部の大学院修了という異色の経歴をもつ佐藤はチェコスロヴァキアの神学の研究をもくろみノン・キャリアとして外務省に入省する。イギリスでロシア語を学んだ後、配属されたモスクワのロシア大使館でソビエト連邦の崩壊に立ち会うという稀有の経験をする。外務省入省からソビエト崩壊前後のモスクワ勤務まで、佐藤のロシア時代の回顧として執筆されたのが本書である。佐藤の異様な記憶力の秘密については『私のマルクス』の中で触れられていたが、博覧強記の佐藤が自分の最も専門とする分野について「見たもの、聞いたことを、可能な限り正確に記録した」訳だから、面白くないはずがない。そもそも神学研究を志す者が大使館職員として共産主義国に赴任するという設定自体が解剖台の上のミシンと蝙蝠傘である。佐藤はモスクワ大学の科学的無神論学科で学ぶ。共産主義とキリスト教は相容れるはずがないが、宗教についてほかにまともに学ぶ場所がモスクワにないため、実は本当の信者こそが「無神論学科」に学んでいる。これはもうフィリップ・K・ディックの世界ではないか。
 本書を読んで、インテリジェンスとは人脈の構築であるということをあらためて強く感じた。どのように情報を収集するか、そのディテイルにおいては随所にフレデリック・フォーサイスばりのエスピオナージュも語られるが、情報収集は基本的に地道な作業だ。佐藤は様々の手段と機会をとらえて人脈を広げ、例えば欧米の情報機関に先駆けて、クーデター直後のゴルバチョフの安否を確認し、日本に打電する。その際に有効であったのは神学部出身という異色の経歴、潤沢な資金、そしてウォッカを数本飲み干しても平然としている体質であった。最後の点はロシアという国の特殊事情もあろうが、本書の中ではレストランでの豪勢な会食や常軌を逸した飲酒、豪奢な品物の贈答といった私たちの常識を超える饗応が語られる。このような出費はインテリジェンスという観点に立つならば死活的に重要な要素であることもたやすく理解されるが、佐藤と異なり、信念をもたないキャリアの外務官僚がかかる濫費を許された時、モラルなきふるまいが繰り返されたであろうことも容易に想像がつく。『国家の罠』で指弾された点であるが、外務省の職員、特に在外幹部の腐敗の根深さは本書を読む時、一層明らかとなる。
 本書の読みどころはロシアでの多彩な人物との交流であろう。外交と関わる全ての仕事は人と会うことから始まり、豪勢な会食や尋常ならざる飲酒もその人物を月旦する機会にほかならない。信頼に足る相手であれば、リスクを冒しても情報を提供し、逆にこちらも情報を要求する。一人の人物の中にマキャヴェリズムとイデアリズムがなんら齟齬なく同居することこそが、インテリジェンスに関わる人間の条件なのであろう。国家が瓦解するというありえない状況の中で、佐藤が関わった人々の運命も翻弄される。モスクワ大学時代の友人からロシア共産党の書記にいたるまで、この激動の中でどのように身を処したかという点をたどることがこのノンフィクションの横糸を形成する。そしてまた佐藤も本省に戻り大使館時代に培った人脈を用いて、歴代内閣のロシア外交を支えるが、彼が「国策捜査」と呼ぶ鈴木宗男議員をめぐる一連のバッシングの中で逮捕され、500日以上に及ぶ拘置所生活を送るという数奇な運命をたどることとなった。
本人による回想であるから、多少割り引く必要があるにせよ、通常私たちが与り知ることがない日本のインテリジェンス活動の内幕を垣間見るだけでも本書は一読に値する。私は必ずしも佐藤の思想的立場に共感するものではないが、少なくとも彼の一貫する姿勢に今日では問われることさえ稀な「教養人」とは何かという問いかけへの一つの回答を看取することができる。そして佐藤のごとき人材を重用することなく排斥する点に現在の外務省、さらには官僚機構の度量が端的に示されている。彼が外務省を追われたことによって日本のロシア外交は太いパイプを失ったのであるが、この結果、外交に関する様々の情報と卓見に満ちた佐藤の手による多くの著述を私たちが読むことができるようになったことは皮肉と呼ぶべきであろうか。
by gravity97 | 2008-12-25 06:15 | ノンフィクション | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック