art since 1900

 数年前に出版され、世評の高い20世紀美術の概説書を先日入手した。Thames & Hudson から2004年に刊行された本書は二巻から成り、一巻では1900年から1944年、二巻では1945年から今日(具体的には2003年)までの期間が扱われている。ひとまず私は二巻を求めた。
 なんといっても著者の顔ぶれが凄い。ハル・フォスター、ロザリンド・クラウス、イヴ=アラン・ボア、ベンジャミン・ブクローといえば80年代に一世を風靡した『オクトーバー』誌の中核であり、ポスト構造主義を自在に用いてモダニズム美術を批判的に読み直し、ポスト・モダン美術を定位するうえで決定的な役割を果たした批評家たちである。サブタイトルの「モダニズム、アンチモダニズム、ポストモダニズム」からも了解されるとおり、本書は端的に「オクトーバー」史観に貫かれた20世紀美術史といってよいだろう。たんなる事実の羅列ではなく、方法論への反省が記述の底流をかたちづくっている。
編集方針もきわめて独特である。最初に四人の専門領域と結びついたテマティックな概説(「モダニズムにおける、手法としての精神分析」、「美術の社会史:モデルと概念」、「フォーマリズムと構造主義」、「ポスト構造主義と脱構築」というタイトルを一読しただけで私は直ちに執筆者を比定することができる)が掲載され、続いて文字通りの編年体で20世紀美術が語られる。つまりそれぞれの年における主要なトピックが選ばれ、それらを四人が分担して論じている。もっとも年とトピックは厳密に一対一対応している訳ではなく、複数のトピックが論じられる年もあれば、記載のない年もある。例えば1962年は「フルクサス」、「ウィーン・アクショニズム」、「アンドレ、フレイヴィンとルウィット」という三つのトピックがそれぞれ論じられ、一方で1979年という項目は存在しない。序文として掲げられた「Reader’s Guide」によれば、採用されたテーマのいくつかは特定の国と関連し(例えば「アルテ・ポヴェラ」)、いくつかは国際的な動向について扱う。(例えば「ドクメンタ5」)また地域性と無関係な主題を扱う論文もある。(例えば「グリッドとモノクローム」)合計で107を数えるこのようなトピックによって20世紀美術の輪郭が立体的に浮かび上がる。いくつかの論文を通読してみたが、内容は書き手を反映して質的にも充実しており、それぞれの巻末には参考文献も付されているから、これから現代美術の方法論を学ぼうとする英語圏の読者には有益な入門書といえるだろう。
私の関心を引いたのは、本書が概説というかたちをとらず編年体によって構成されている点である。本書は作品ではなく事件によって美術史を検証する姿勢をとり、最初に掲げられた年記の次に、続く論文で論じられる当該年に起きた事件がリードとして短く紹介される。全ての歴史記述がそうであるように、どの事件を選ぶか、事項の選択が恣意的であることはいうまでもない。そして恣意的な事項の羅列によって現代美術について語る手法の先例を私たちは既に知っている。それはクラウスとボアによって1996年にポンピドーセンターで企画された「アンフォルム」展のカタログである。奇しくもUser’s Guide (フランス語ではmode d’emploi )と名づけられたこのカタログにおいては水平性、パルスなど四つのテーマに即したキーワードがアルファベット順に機械的に記載されている。このような配列はこの展覧会の基本概念である informe を提唱したジョルジュ・バタイユの著作に範をとっており、初見してきわめて斬新な印象を受けた。かかる記述の形式はクレメント・グリーンバーグのモダニズム絵画理論に象徴される、一つの大きな物語が美術史を統御するという理念への根底的な異議申し立てであるだろう。本書においてもクレス・オルデンバーグの「ストア」からゲルハルト・リヒターの「1977年10月18日」連作にいたる多様な話題が様々の事件をとおして多角的に論じられ、記述は全体として脈絡や焦点を結ぶことがない。
私自身がいわばフォーマリズムと『オクトーバー』誌の弁証法の下で批評の方法を学んだため、本書で論じられるテーマや作家、概念の多くには既になじんでいた。さらに本書には特にクラウスとボアの著作の反映が色濃く認められ、彼らの熱心な読者であった私としては使用される図版に見覚えのあるものが多い。タイトルと図版を見れば論旨の概要がほぼ予想できるトピックもいくつかある。私のみるところ、70年代以降、美術批評はフォーマリズムとフォーマリズム批判の緊張の中から最も充実した成果を引き出した。グリーンバーグ、マイケル・フリードあるいはウィリアム・ルービンらの一連の批評と、そこから出発しながらもむしろフォーマリズムを批判的に受容した本書の書き手たちの批評は戦後の美術批評における最上の達成であろうが、同時にアメリカ美術を中心とした美術史観である点に一定の限界を指摘することができよう。かつてグリーンバーグは全ての優れた美術はニューヨークを経由すると傲然と言い放ったが、グローバリズムが喧伝される今日、このような観点から本書を批判することは可能である。アナ・メンディエッタやウィリアム・ケントリッジへの言及はあっても中国やイスラム圏の作家についての言及がないことは単に情報の不足だけではなく、彼らの批評の内在的な限界を露呈しているように思う。
この点と関連するが、本書において取り上げられた日本の作家が具体美術協会のほかには草間弥生や久保田成子ら、数名の女性作家だけである点は興味深い。白髪一雄や草間弥生は「アンフォルム」においても言及されていたからその延長と考えることができようし、具体美術協会は活動当時から例えばポロックと交渉があり、草間や久保田はニューヨークで活動した作家であったから、欧米から参照しやすい作家たちが選ばれたとみなすことはたやすい。しかし例えば具体の再評価が近年も続き、次々に展覧会や関連書が発表されるという事実は、単なるオリエンタリズムとしてではなく、モダニズムを再考する契機を彼らの活動が秘めており、80年代以降の文化的地政学の中でその重要性が一層高まってきたことを暗示しているのではなかろうか。この問題は優に一本の論文に値し、ブログの紙幅で語りうるものではないが、さらに私の最近の関心に引きつけるならば、日本の60年代美術の無残さという問題とも関わっているだろう。
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かくのごとく、なおもいくつかの問題をはらむものの、本書は論述の形式も含めて20世紀美術の総括をめぐる野心に満ちた試みであり、その輪郭について一つの明確な規範をかたちづくっている。美術批評に関して70年代以降の英語圏の知的充実を端的に示すテクストといえよう。

by gravity97 | 2008-12-14 13:19 | 現代美術 | Comments(0)
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