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東京の原宿、VACANTというスペースで小泉明郎の新作「帝国は今日も歌う」を見る。公開された日付とともに記憶されるべき問題作だ。一週間ほどの短い展示であり、既に公開は終了している。私も一度しか見ていないから、細部に誤りがある可能性もあるが、記録に留められるべき作品であり、忘れないうちにレヴューを残しておきたい。

 インターネットで確認したところ、この27分の映像インスタレーションは昨年、オランダのデ・ハーレン・ハーレム美術館で開催された小泉の個展に際して発表された新作の映像インスタレーション「夢の儀礼―帝国は今日も歌う」を日本で初めて公開したものである。会場には角度を違えて三面の大型スクリーンが密着する形で設置され、同時に三つの映像が投影される。

 最初、画面には白昼の歩行者天国の中に佇む一人の青年の姿が映し出される。群衆の中で彼は何かを叫ぶかのように口に手を当てる。彼に振り付けを示すような動作をする人物が一瞬登場し、おそらくこの人物が作者の小泉であろう。しかし小泉の映像作品の例に漏れず、青年の言葉は言いよどみ、時に息づかいのみが繰り返されて、彼が何を話しているかは必ずしも判然としない。そのうちに一つの夢に関する物語が告白される。その内容については「服従の儀礼」というタイトルで小泉の名とともにパンフレットに示されている。短い文章であるから全文を書き写しておく。

たしか6歳か7歳くらいだったと思う。こんな変な夢を見た。/ 食糧不足のため、ニワトリの生産が低下していた。そこで人間をニワトリの餌にすることになる。誰かが命を犠牲にして、餌にならなければならない。その状況で、私の父が餌に選ばれる。私は父と別れるのが悲しくてたまらず、泣きじゃくる。しかし父は冷静に自分の運命を受け入れ、車に乗せられ連れて行かれてしまう。父がいなくなると急に大きな不安に襲われ、私はさらに激しく泣き続ける。

続いて東京の夜景が映示される。時に空撮されたごとき映像もあるが、多くは走行する車内から映像であろう。実際に映像は移動し、夜の高速道路、トンネル内らしき映像が延々と映し出される。あるいは駅頭もしくは何かの施設の入り口であろう、行き交う群衆の姿。こちらに向かって無表情に歩いて来る人々の姿がやはり淡々と上映される。映し出される情景自体は特段変わったものではないが、間歇的に挿入される荒い息づかいや今引いた幼時の悪夢についての語り、あるいは「人間の夜を使ってこの帝国は夢を見ます」「私の夢も帝国に侵されたことがあります」といった言葉がヴォイスオーヴァーされるにつれ、画面は次第に緊迫感と不穏さを増す。作品の後半ではヘイトスピーチを行う集団と警察や機動隊が画面を覆い尽くし、ヘイトスピーチの聞くに耐えない罵声や差別的な言葉がそのまま挿入される。冒頭で歩行者天国の中に佇んでいた青年は中央のスクリーンで警察官や機動隊員に取り囲まれて登場する。いつのまにか彼の両腕は後ろ手に手錠をかけられている。左右のスクリーンからはヘイトスピーチを発する集団の絶叫が繰り返され、中央のスクリーンに映し出される青年は両側から圧迫されるかのようだ。このような配置は明らかに意図的であろう。右翼と警察が入り乱れる騒然とした街頭の情景の中に私たちは一瞬奇妙な人々を見かける。警官たちの後ろに一列に並んで醜悪な光景を遮断するように両目を両手でふさぎ、何かを歌うかのように口をあける一団の男女だ。(上に掲げたイメージの中にも写り込んでいるから確認されたい)これらの男女を含めて、登場する人物の位置関係は判然としない。全体の印象としては右翼や在特会の連中はむしろ道の両側から警官越しに怒声を浴びせるようであるが、それならば罵声が向けられた対象は中央にいるはずだ。しかし警官たちに囲まれて中央のスクリーンを進む青年以外にその対象となるような人物は映っていない。これらの怒声は彼一人に向けられているのだろうか。通常であればヘイトスピーチのデモが街路を練り歩き、彼らを制止するために警察や機動隊が配置されるのに対して、位置が逆転している、もしくは道の両端から差別主義者たちが投げかける罵声の対象としての集団が映像からかき消されている印象がある。もっともかつてこのブログでもレヴューした、東京都現代美術館のグループ展から当時の学芸課長によって放逐された作品においても情景の中心である皇族たちの姿が消去されていたことを考えるならば、イメージの存在/不在の操作は小泉が好んで用いる手法といえるかもしれない。さて今皇族に言及したが、この作品も終盤において天皇制へと接続する。作品の終盤で映し出される松林の風景は皇居のそれであろう。ここにおいて「歌」が重なる。挿入される歌を私は初めて聞いたが、独特の曲調からそれが讃美歌であることはたやすく理解できる。この映像の中で歌が歌われている場面としては先に引いた目を手でふさいで口をあける人々しか存在しないから、私たちは彼らの歌がヘイトスピーチに対する抵抗であったと想像するし、実際に讃美歌であればそのような意味をもちうることが期待される。ところがここで挿入される歌が1895年にメソヂスト教会によって出版された聖歌集に収録された讃美歌「第四百十八『國歌護國を祈る』」であり、隣の頁に讃美歌「第百四十九『國歌 君が代』」が掲載されていたことを知るならば、私たちは意味が反転する場に立ち会う。ちなみに字幕として私たちに明示される『國歌護國を祈る』の歌詞は次のようなものだ。

一 日の本なる 神国(みくに)を/萬代まで 憐み/波風なく いと安穏(やすら)に 護り給へ わが神  

二 日の本なる 大君を/千代に八千代に ことぶき/松の緑 色移らず/護り給へ わが神

三 日の本なる 御民を/代々変はらず 憐み/清く高き 富栄えに/進み給へ わが神

 説明は不要であろう。この歌詞はキリスト教への信仰が明治期に天皇制に屈服し迎合した歴史的事実の証拠だ。実はこのような主題は小泉の個人的な記憶と深く関わっている。今回の展示に際して刊行されたパンフレットに寄せられた短いテクストによれば、小泉の父は敬虔なクリスチャンであり、当然ながら天皇制に反対していたが、小泉が制作した昭和天皇のコラージュを見た折の不全感から、自分がいかに天皇制を内面化していたかを思い知ったという。ヘイトスピーチの騒音に対して天皇家の永続を神に祈るこれらの讃美歌が歌われる場面は一種の静穏が支配する。しかしそれは天皇制の二つの顔だ。すなわち臣民たる日本国民あらざる者、端的に在日コリアンに対しては聞くもおぞましい悪罵を投げつける一方で、帰順したキリスト者に対しては「大君が護り給う」。暴力と融和の二面性を兼ね備えた帝国=天皇制の本質が露呈されている。「歌う」には二つの意味がある。声に節をつけて唱える、そして一斉にほめたたえるという意味だ。讃美歌を歌うのが前者であれば、逆説的に日本という民族をほめたたえコリアンを罵倒するヘイトスピーチは後者だ。「帝国は歌う」とは懐柔と弾圧という帝国の二つの顔を象徴しているといえよう。

 映像にはヘイトスピーチを繰り返す差別主義者の群れと茫然と立ちつくす青年のほかに別の集団が記録されている。いうまでもなく両者を分かつ警官ないし機動隊員の姿である。先に述べた自らの手で目をふさぐ男女を含めて、ここで上映された映像にどの程度小泉の演出が施されているか、どの程度現実が記録されているか、私には判断する手掛かりがない。しかし制服あるいは「警視庁」と記されたベストを着用して無表情に両者を隔てる彼らがどちらの側に立つかは明らかだ。彼らは国家のための暴力装置以外の役割を果たしたことがない。しかし彼らによって中央の青年が守られている逆説もまた帝国の二重性の錯綜した表象かもしれない。さらに可視と不可視という問題が浮上する。最初に述べたとおり、冒頭近く、行き交う群衆を映し出すシーンがあるが、よく見るとそこに登場する無数の人々の顔は巧妙に処理されていて個別に識別することができない。そして警官や機動隊員もヘルメットで顔を覆い、多くが匿名化されている。これに対して、顔が明確に識別される人物も登場する。中央の青年、そしてヘイトスピーチを繰り返す男女であり、エンドロールが流れる中で「おう、お前、何を撮っとるんじゃ」とすごむ男たちである。可視化された当事者たちと不可視化された群衆と警官。フーコーをもちだすまでもなく、可視と不可視の問題は権力と深く関わっている。あるいはあえて目をふさぐ男女の姿も可視/不可視という問題圏へと結びつくだろう。このような分析からも明らかなとおり、この映像において可視性という主題はきわめて屈折しており、単純な分析を許さない。そしてこのような可視/不可視の関係は天皇と民草の関係へと敷衍することもできるかもしれない。東京都現代美術館で美術館当局によって検閲された《空気》という作品が同じ問題を扱っていたことを想起するならば小泉の問題意識は一貫している。

 私はこれまで小泉の作品を五つの会場で見た。大阪のサントリー・ミュージアムにおけるグループ展、アーツ前橋における個展、銀座のメゾンエルメスにおける二人展、そして美術館から排除された作品を近くのギャラリーで発表した「空気」、そしてこのブログでレヴューした京都芸術センターにおける個展「CONFESSIONS」である。最初を除いて、いずれも美術館ではなくオルターナティヴ・スペースとも呼ぶべき空間における発表であった。何度も述べる通り、東京都現代美術館におけるグループ展で予定されていた発表はキャンセルされている。この点は小泉の作品が美術館という制度にとって異物である点を暗示しているだろう。もっとも緊張や不穏をみなぎらせているにせよ、私の見た限りいずれの作品も明確な不敬や禁忌に関わるものではない。それにもかかわらず、小泉の作品が美術館から排除される構造は、現在この国に瀰漫している自己検閲と忖度の風潮と深い関係があるだろう。会田誠から新海覚雄、最近では白川昌生、この数年、政治性を理由として作品が美術館から排除ないし検閲された事案は事例に事欠かない。本来であれば表現の自由を保証する砦であるはずの美術館がなりふりかまわず作品を排斥する状況は時代の鏡であるかのようだ。私はこのレヴューを2017519日に脱稿し、同日にアップする。この日付を記憶しておいてほしい。現在、戦後最低最悪の首相とその政権のもと、国会で共謀罪の成立に向けた採決が強行されようとしているが、本日この法案は衆議院法務委員会で強行採決された。人の内面にまで踏み込んで処罰を加え、疑心暗鬼の中で私たちを分断することがこの法案の目的だ。治安維持法に比されるこの悪法が施行されたならば美術館は政治的な表現の発表に対してこれまで以上に萎縮することは明らかである。私たちからは自由な表現とその発表の機会が奪い去られようとしている。

今まさに帝国は私たちの心を侵そうとしている。帝国は再び歌い始めた。さすがの私も自分が生きているうちにこのような暗黒の時代が到来するとは想像していなかった。


# by gravity97 | 2017-05-19 20:25 | 展覧会 | Comments(0)

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 帯に記された「ただのインタビューではあらない」という惹句に思わず笑う。『騎士団長殺し』を多くの読者が読み終えた時期という刊行のタイミングはあざといが、川上未映子をインタビュアーとした村上春樹のインタビューは抜群に面白い。既にこのブログでも松家仁之による「考える人」誌上のロング・インタビュー、そして村上自身による「職業としての小説家」という二つの関連する記事やエッセイを取り上げているが、今回も先日刊行された「騎士団長殺し」の創作秘話を含めたこのインタビューについて論じておきたい。

 本書は四章で構成され、いずれも川上から村上へのインタビューというかたちをとっているが、最初の一章のみ2015年に柴田元幸が自ら編集する「MONKEY」誌のために依頼されたものであり、残り三章は「騎士団長殺し」を脱稿後、おそらく最初の読者の一人としてゲラを読んだ川上によって今年の一月から二月にかけて集中的になされたインタビューの記録だ。したがって後の三章においては「騎士団長殺し」についてしばしば言及されるが、川上の関心は個々の作品以上に小説家としての村上にあるから、四つの章は続けて採録されたといっても異和感がないほどなめらかに連続している。「考える人」のインタビューが小説家というより編集者によるそれであったのに対し、かつて村上の朗読会にも参加し、作家である川上による問いかけは同業者としての鋭さ、共感やユーモラスな感覚があって、読んでいてなかなか楽しい。

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 「騎士団長殺し」についてはすでに新聞等で多くの書評、文芸誌で多くの研究が発表されているが、私が読んだ限り特に感心する批評はなかった。おそらくその理由はほとんどの批評がこの長編の内容的な側面ばかりに注目するからであろう。この作品に限らず、村上の作品は精神分析的な読解を受け入れやすい。「騎士団長殺し」にもユング的な元型や穴=井戸といったモティーフ、あるいはフロイト的なファミリーロマンスの反映を確認することは私でさえ可能だ。川上のインタビューからはかかる事後的な確認ではなく、小説が今駆動しているというドライブ感をうかがうことができるように感じる。例えば村上は第二章の冒頭で「騎士団長殺し」という長編が生まれた契機について次のように説く。

「騎士団長殺し」っていう言葉が突然頭に浮かんだんです。ある日ふと。「『騎士団長殺し』というタイトルの小説を書かなくちゃ」と。なんでそんなこと思ったのか全然思い出せないんだけど、そういうのって突然浮かぶんです。どこか見えないところで雲が生まれるみたいに。

 このコメントは実に興味深い。村上と比べるのはおこがましいことを十分に承知しているが、私も展覧会を構想するにあたってしばしばタイトルから入る。そして村上によればさらに二つの要素が「騎士団長殺し」を書き始める際には導き手となったという。一つは物語の中で言及される上田秋成の「二世の縁」という先行するテクスト、もう一つは以前から書き留めておいた「その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの山の上に住んでいた」で始まる小説の冒頭の文章である。それぞれレヴェルの異なる三つの要素から長編が成立する様子を村上は「三人の友達がどこかで偶然一堂に会する、みたいな感じ」と表現している。さらにそこにいたるまでに数年の時間が必要であり、長編小説はほとんど待つ作業であるとまで言い切る。私の場合も数年の間隔を空けてタイトルが到来すると展覧会の内容はかなり具体的に決まる。冒頭の一文にあたるのは具体的な作品であろうし、「二世の縁」にあたるのは先行する展覧会であろうか、かなり強引な対比であるが、村上の創作の秘密と自分の仕事の共通点に思い当たったことは私としては嬉しい驚きであった。

先行する第一章では人称の問題が語られる。周知のごとく「騎士団長殺し」では「私」という一人称が使用される。一人称と三人称の相違についての説明も興味深い。村上によれば「海辺のカフカ」では可能な一人称と三人称の併用は「1Q84」のごとき込み入った内容の小説においては不可能であったという。さらに人称の選択は作家にとって一つの縛りであり、逆にこのような縛りから自由が広がるという。一人称でも「僕」と「私」では印象が大きく異なる。今回、村上の長編において初めて「私」という人称が導入されたことは、村上の加齢によるところが大きいという。同様に三人称の場合、名前の選択も意味をもつ。「1Q84」においては「青豆」という主人公の名前が「突然頭に浮かんだ」ことによって話が進み出したという言葉がある。「騎士団長殺し」ではいうまでもなく「免色」という固有名がそれにあたるだろう。「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を連想させるこの名前は、一種得体の知れない紳士の名前に実にふさわしい。私は人称や固有名詞といった形式的な側面からさらに村上の小説は分析されるべきだと考えるが、そのような研究は少ない。おそらく村上の物語が形式より内容、語られる物語をさらに深読みしたいという誘惑を誘い込むからであろう。実際に川上も「壁抜け」や「井戸」「地下室」といった村上的な主題性へすぐさま話題を転じ、プライベートな「二階」から日本の私小説が扱う「地下一階」、そして村上が主題とする地下の世界である「地下二階」までを図示した自筆のイラストさえも準備してインタビューに臨んでいる。「騎士団長殺し」では「顔なが」が住まう世界が地下二階に相当することは直ちに理解されるが、こういった解釈は「職業としての小説家」の中で河合隼雄などを引きながら何度も論じられた点であるから、私にはさほど面白くなかった。

 私は本書を読んで村上が小説を執筆するにあたってかなりシステマティックな手法を用いていることをあらためて思い知った。どんな日であって毎日午前中に10枚きっかり原稿を執筆するという創作の作法は「考える人」のインタビューにおいてすでに公言されていたが、「騎士団長殺し」に充てられた時間も確かにこのペースを反映しているという。さらに一度書いた原稿に推敲を重ね、第五稿の段階でUSBの状態で出版社の担当者に渡し、プリントアウトした第六稿がゲラとなるというきわめて具体的な説明も興味深かった。再び自分に引きつけてしまうが、最近私は翻訳の仕事に携わっている。私の場合も訳文に何度か推敲を重ね、基本的に第五稿を最終稿として提出している。五回を一つのサイクルとした理由や短編中編における推敲の数についても尋ねてみたい気がする。このような厳密さの一方で、村上によれば登場人物の挙措について作家はあらかじめ予想できないという。「ねじまき鳥クロニクル」と関連して村上は「僕の中から出てきたバットなんだから、これはもう、何かしら小説的な必然性を帯びてくれるだろうという信念がある」と述べる。精神分析的な文脈としても読み取られかねないコメントであり、ここにはシステムに支えられたオートマティズムとも呼ぶべき村上の小説技法の特色が凝縮されている気がする。この点は村上の小説が無意識と結びついていることを暗示しており、(心ならずもフロイト的な用語を用いてしまうが)小説の中に漂うアンキャニーな雰囲気の遠因を成しているだろう。無意識と対立するのはおそらくリアリズムだ。村上は「ノルウェイの森」について、「最初から最後まで、リアリズム文体でリアリズムの話を書くという個人的実験をやったわけです。で、『ああ、大丈夫、これでもう書ける』と思ったから、あとがすごくやりやすくなった。リアリズムの文章でリアリズムの長編を一冊書けたら、それもベストセラーが書けたら、もう怖いものなしです(笑)」と語り、「ねじまき鳥クロニクル」については「ある程度の精度を持つリアリズム文体の上に、物語の『ぶっ飛び性』を重ねると、ものすごく面白い効果が出るんだということが、そこであらためてわかったんです」と述べている。この二つの発言は村上の長編の見取り図としてわかりやすい。確かに村上の小説の中で「ノルウェイの森」の異質さは際立っているし、「ねじまき鳥クロニクル」以降の長編はリアリズムと幻想の絶妙な調和として成り立っており、「騎士団長殺し」もその例外ではない。「騎士団長殺し」について少し触れるならば、すでに多くの論者が指摘する通り、この長編はこれまでの村上の小説に用いられたモティーフのショーケースといった趣があり、安心して楽しめる。おそらく村上の小説を読んだことのない読者にとっては格好の導入であろうが、それを一種のマンネリズムととらえることもできよう。ここではこれ以上この長編について論じることは控えるが、「騎士団長殺し」を読んだ後、本書を読むならば作家と作品についての興味がさらに増すことは断言できよう。

 最初に述べたとおり、作家である川上がインタビュアーであるため、創作の機微に関わるエピソードや突っ込んだ質問もある。「騎士団長殺し」の第一部は「顕れるイデア篇」と題されているが、かかるタイトルにもかかわらず、村上がプラトンのイデア論について全く知らず、川上からイデアについての講釈を受ける箇所には思わず笑ってしまった。村上が過去に発表した作品についてほとんど思い入れがない点には川上ならずとも驚く。引用されていた文章がなかなか上手いと思って確認すると昔書いた自分の文章だったという回想にはさすがに川上も唖然として「村上さんって、いっそ物語が通過して出ていくための器官みたいな感じがしますよね」と答えているが、このコメントも先に述べた「システムに支えられたオートマティズム」という理解の傍らに置く時、含蓄に富む。さらに作家であり女性である川上でなければ問うことができない質問として「女性が性的な役割を担わされ過ぎていないか」というセクションの受け答えは興味深い。「物語とか、男性とか井戸とか、そういったものに対しては、ものすごく惜しみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない。女の人は、女の人自体として存在できない。(中略)いつも女性は男性である主人公の犠牲のようになってしまう傾向がある」という指摘は鋭い。フェミニズム批評においては川上が論じた問題はさらに精緻に分析することが可能であろうし、おそらく村上の小説におけるセックスに関わる描写は読者の反応を二分する。実際私も男女を問わず、性的な主題の扱いゆえに村上の小説を嫌う知人を何人か知っている。女性作家の面と向かっては答えにくい質問であるためか、村上の答えは珍しく歯切れが悪い。「よくわからないけれど」とか「たまたまのことじゃないかな」といった言いよどんだ返事がなされている。しかし川上も二の矢三の矢を継ぐことなく、いささか村上に遠慮した感じがある。私はフェミニズム的な読解が正義であるとも感じないので、必ずしも川上が代弁したような読みに与することはないが、このような会話の流れで「眠り」という、村上において女性が語り手となる最初の作品、私が愛好するまことにアンキャニーな短編が論及された点は嬉しかった。この作品は初めて「ニューヨーカー」に掲載された作品であり、村上を女性作家であると信じる人達からのファンレターに困惑したというエピソードも興味深い。

 まとまりのないレヴューとなり、論じ足りない点も多々あるが、本書は村上を愛読する読者にとっては絶好の入門といえよう。最後に私が本書を読んで一番心に残った言葉を記しておくことにする。「どうして読者がついてきてくれるかわかりますか」と逆に川上に問いかけた後、村上は次のように答える。「僕が小説を書き、読者がそれを読んでくれる。それが今のところ、信用取引として成り立っているからです。これまで僕が40年近く小説を書いてきて、決して読者を悪いようにはしなかったから」次のようにも言い換えている。「なんか変てこなものだけど、この人が悪いものじゃないと言うからには悪いものじゃないだろうと引き受ける、これが僕の言う信用取引な訳です」表現に関わる者、特に言葉の真の意味において前衛的な表現に関わる者にとってこの指摘は重みがある。文学のみならず美術、音楽そして批評、広い意味の作品は受容者が存在して初めて意味をもつ。このブログを始めて今年で9年になる。いくつかの理由によって私はこのブログを匿名で続けており、コメント等にも原則として返事することはないから、書き手である私は具体的な姿を欠いているにもかかわらず、毎日200人前後の読み手がサイトを訪れてくれることに私は励まされて更新を続けている。200人が多いか少ないかはわからないし、村上同様に私も読者の数自体にはほとんど関心がない。それなりの文化的リテラシーが必要なこれらのテクストを書くことと、読んでもらうことは文字り私とあなたの間の信用取引なのだ。願わくば今後もこのような信用に足るクオリティーを備えた批評的言説を書き継いでいきたいものである。

なお、御覧のとおりフォントのポイントがぐちゃぐちゃのきわめて見苦しい表記となっている。何度も記すとおりこれは先般のブログのフォーマットの強制的な変更以来のトラブルであり、責任は全面的にエキサイトの側にある。利用者として早急な改善を重ねて要求する。


# by gravity97 | 2017-05-13 21:12 | 日本文学 | Comments(0)

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 ゴールデンウイークの読書の楽しみとして、お気に入りのポール・オースターの未読の小説を二冊求めた。休日をはさんだとはいえ、ゴールデンウイークまで日を残して二日ほどで読み終えてしまったことは、あらかじめ予想できた誤算だ。このブログでもオースターについては既に三冊の小説についてレヴューをアップしている。おそらくこれまで最も頻繁に論じた対象の一つである。オースターに関しては、最近『冬の日誌』と『内面からの報告書』という自伝的な要素の強い新刊が訳出されたが、今回論じるのはこれらではない。以前も記したとおり、私はオースターについては翻訳が出るたびに読むようにしていたが、何冊か読みこぼしがあった。『ブルックリン・フォリーズ』と『写字室の旅』という2005年と2007年に発表された中編をいずれも柴田元幸の練達の翻訳によって読む。発表順で言うと、この二つの小説はこのブログで論じた『オラクルナイト』と『闇の中の男』の間に執筆され、興味深い共通点をもっている。柴田のあとがきによれば「2002年刊の『幻影の書』にはじまって、ポール・オースターは『自分の人生が何らかの意味で終わってしまったと感じている男の物語』を五作続けて発表した」今回取り上げる二冊の小説はその第三作と第四作にあたる。今名を挙げたほかの三つの小説についてはいずれもこのブログでレヴューを加えているから、奇しくも今回で私はこれらの五部作全てについてコメントすることとなる。

 さて、二冊の小説のうち、ここでは主に「写字室の旅」について論じることとする。しかしこれは「ブルックリン・フォリーズ」に比べて、こちらの方が優れているということを意味しない。どちらも優劣つけがたいが、もしどちらか一冊を推薦しろと言われたならば、むしろ私は「ブルックリン・フォリーズ」を選ぶだろう。それは単に分量だけでなく、オースターの小説の魅力が凝縮された佳作であるからだ。初めてオースターの小説を読む者にとってこの小説は格好の導入となるだろう。何よりもこの小説は読むことが楽しい。訳者の柴田もあとがきで「オースターの全作品の中でももっとも楽天的な、もっとも『ユルい』語り口の、もっとも喜劇的要素が強い小説だと言ってひとまずさしつかえないと思う」と述べている。私も全面的に同意する。それゆえこの小説についてはくどくど内容について論じるよりも、まず手にとっていただき、オースターの世界に足を踏み入れていただきたいと考えるのだ。少しだけ「ブルックリン・フォリーズ」の内容に触れるならば、読み始めるやそこにはニューヨーク、古本屋あるいは文学をめぐる蘊蓄といった、まことに私好みの主題が横溢している。これらはほかの小説とも共通するテーマでもあり、私は懐かしい土地に帰還したような思いがした。オースターが編集した「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」並みの奇譚を随所に織り交ぜながら年老いた主人公とその甥をめぐる錯綜した、しかし抜群に面白いエピソードの連続だ。「楽天的で喜劇的な」物語は必ずや読者を満足させることと思う。

 「ブルックリン・フォリーズ」を読む愉しさは未読の読者にために残して、私たちは「写字室の旅」に戻ることにしよう。「ブルックリン・フォリーズ」の二年後、2007年に発表された「写字室の旅」もまた実にオースターらしい物語だ。しかし物語を語ることの愉しさによって駆動された前者に対して、こちらは「物語を語ること」に明らかに意識的であり、オースターのいくつかの小説にみられるメタ性、つまり「小説についての小説」という側面が強調されている。「幻影の書」に始まる五部作にはいくつかの共通点がある。先にも引用した通り、柴田は「自分の人生が何らかの意味で終わってしまったと感じている男の物語」と評しているが、試みに「ブルックリン・フォリーズ」「写字室の旅」「闇の中の男」という五部作の後半三作品の冒頭の一文を順番に引いてみよう。「私は静かに死ねる場所を探していた。誰かにブルックリンがいいといわれて、翌朝ウエストチェスターから偵察に出かけていった」「老人は狭いベッドの縁に座って、両の手のひらを広げて膝に載せ、うつむいて、床を見つめている」「私は一人闇の中にいて、頭の中で世界をこねくり回しながら、今夜も不眠症をくぐり抜けようとあがいている」一人称と三人称という違いはあるが、確かにいずれも語り手の老いが前提とされている。特に後の二つの小説の冒頭は酷似しているといってもよい。人生を終えつつある老人を語り手に据えた点と現在70歳となった作家の心境が同期しているか否かについては即断できないが、興味深い点はこの五部作において次第にペシミズムが濃厚に感じられるようになる点である。「写字室の旅」において最初、老人と呼ばれた主人公はまもなく名を与えられる。ミスター・ブランク、空虚氏とはまことにオースター的だ。直ちに「幽霊たち」において任意の色彩の名前を与えられた登場人物たちも連想されよう。「闇の中の男」と「写字室の旅」、いずれにおいても主人公の老人は加齢を原因とした一種の幽閉状態にあり、特にミスター・プランクは動くことさえままならぬほどに衰弱している。両者に共通する重要な要素がもう一つある。それは物語の中に別の物語が嵌入する構造だ。「闇の中の男」では暗闇の中で老人が妄想する物語として、「写字室の旅」においては室内の机の上に積み上げられたタイプ原稿として別の物語が入り込む。もちろん小説内小説という手法はオースターが得意とするところで、記憶している限りでも「オラクルナイト」「リヴァイアサン」などでは小説の中で別のストーリーが展開され、「幻影の書」においては幻の映画がその役割を果たしていたと思う。「写字室の旅」と「闇の中の男」で注目すべきはそこで語られる物語がいずれも戦争と関連している点である。すなわち前者ではジーグムント・グラーフなる人工統計局の役人の手による、何処ともしれない土地での戦争の記録が語られ、後者においてはオーエン・ブリックという男によって記されるおそらくは近未来、内戦状態にあるアメリカの報告が綴られる。デヴュー当時、エレガントな前衛と呼ばれ、一種の都会的なミニマリズムを感じさせたオースターがこれらの小説において戦争というきわめて普遍的で泥臭い主題に接したことの意味については最後に論じる。

 「写字室の旅」にはもう一つのメタ的な仕掛けがある。衰弱し、トイレでの排泄もままならぬプランクのもとを次々に様々な人物が訪れる。元警官ジェイムズ・フラッド、食事と沐浴を介護し、最後にプランクを射精へと導くアンナという女性。亡くなった夫の名前を尋ねられたアンナがデイヴィッド・ジンマーという固有名詞を引いたところで、私はようやく記憶がよみがえった。デイヴィッド・ジンマーとは「幻影の書」の中で消息不明の謎の映画監督、ヘクター・マンを探す主人公の名であったはずだ。書庫でオースターの作品の頁をめくるならば、同様にピーター・スティルマンは「シティ・オブ・グラス」、ファンショーは「鍵のかかった部屋」、それぞれニューヨーク三部作中の登場人物であったことが理解された。オースターの名を知らしめたこれらの傑作を読んだのは30年近く前であったから、さすがにこれらの登場人物の役割についてはおぼろげな記憶しかないが、これらの事実が判明するならば、「写字室の旅」が何の暗喩であるかは明らかだ。ファンショーとは何者かを問われて元警官フラッドとプランクは次のような会話を交わす。「あなたの工作員の一人です」「わたしが任務に送り出した人間ってことか?」「きわめて危険な任務に」「そいつは生きのびたのか?」「確かなことは不明です。ですが大方の意見としては、もはや彼は我々と共にいないのではないかと」ミスター・プランクは作者オースターその人であり、この小説は老境にある作家のもとを彼によって創造された小説中の登場人物が訪ねる物語として了解されよう。むろんこのような解釈はあまりにもナイーヴとする見方もあろうし、小説の技巧に長けたオースターのことであるから、小説はこのような単純な解釈を許さない深みを備えている。ここで注目すべきは、彼を訪れる作中人物たちがいずれもプランクに強い敵意を抱いている点である。フラッドは次のように告発する。「あなたは残酷です。残酷で他人の苦しみに無関心です。あなたは人の人生をもてあそんで、自分がしたことに何の責任もとらない」物語の終盤でプランクは彼らによって詐欺から性的暴行、殺人までの罪状を告発され、死刑の宣告さえ受けるのだ。私はメタ的な枠組をもった小説や美術が好きであるから、これまでこのブログで論じた文学作品においてもしばしば作者と登場人物の関係が主題とされていた。例えばロレンス・ダレルの「アヴィニョン五重奏」やローラン・ビネの「HHhH」はそのような小説であった。しかしこれらの作品と比しても、本書における両者の関係は緊張に満ちている。最初に述べた通りここで論じた五部作を通じてオースターが描く世界は次第にペシミズムが濃厚になる。「ムーンパレス」や「リヴァイアサン」にみられたおおらかさは失われたように感じられる。「ムーンパレス」におけるコロンビア大学、「ブルックリン・フォリーズ」におけるブルックリン、これらの小説においてはニューヨークの街区が固有名とともに語られ、現実と強いつながりをもっていた。しかし「闇の中の男」は同時多発テロの記憶のない内戦状態のアメリカが舞台であり、「写字室の旅」にいたっては場所についての記述のない室内で物語が推移する。この五部作を通じて私はオースターと小説との関わりが大きな変化を遂げたような気がする。物語の中からオースターが愛したニューヨークという街の具体性が失われ、代わって何処とも知れぬ場所で繰り広げられる戦争をめぐるエピソードが小説内に挿入される。このような変化は「シティ・オブ・グラス」に始まる一連の小説に登場した人物たちにとって帰るべき場所、帰属すべき場所が失われたことを暗示しているのではないか。このように考えるならば、近作において作家と登場人物の間に強い緊張が生じた理由も理解できよう。

 30年近くオースターを読み継いで、私もまた何かが決定的に変わったことを深い感慨とともに思い知る。その決定的な転機についての記述が「ブルックリン・フォリーズ」の末尾にある。内容に立ち入ることとなるが、この小説自体に背景とされる時代について詳細な記述があり、おそらく誰もが想像する事件であるから思わせぶりな書き方はやめておこう。「ブルックリン・フォリーズ」の物語の中で様々な出来事を経験し、もはや「静かに死ねる場所を探す男」ではなく、新しい仕事の構想、そして愛する相手さえ得た老人ネイサンは入院していた病院から退院の許可を得て明るい陽光の降り注ぐ秋の朝、ブルックリンへと歩み出る。「だがいまはまだ8時で、そのまばゆい青空の下、並木道を歩きながら、私は幸福だった。我が友人たちよ、かつてこの世に生きた誰にも劣らず、私は幸福だったのだ」これが「ブルックリン・フォリーズ」の最後の一節である。しかしその前にネイサンが退院した日付が2001911日であったことが記されているから、私たちはそれから一時間も経たないうちにニューヨークを襲った惨事に思いをめぐらす。「ブルックリン・フォリーズ」は画然と分かたれた「それ以前」の日々をあえて描くことによって物語に深い余韻を残す。「ブルックリン・フォリーズ」の高揚の後に、「書字室の旅」と「闇の中の男」を読むことは、私たちにとって良き時代は既に終えられてしまったことをあらためて自覚させられるかのようだ。猿のような顔をした大統領が大統領選を「盗み」、結果的に911の遠因となったことについては小説の中でも怒りとともに触れられている。しかし今やさらに下劣な人物が大統領として居座る、もはや悪い冗談としか思えない状況にこの世界はなり果ててしまった。享楽的なポスト資本主義の最後のきらめきから監視と検閲による全体主義へ。そういえばオースターは早くも87年に発表した「最後の物たちの国で」において私たちの暗鬱な未来を予見してはいなかっただろうか。


# by gravity97 | 2017-04-30 22:16 | 海外文学 | Comments(0)
# by gravity97 | 2017-04-29 20:30 | MY FAVORITE | Comments(0)

牧久『国鉄解体』

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今年は国鉄が分割・民営化され、JRが発足してから30周年という。新聞紙上などでも関連した記事を目にするが、この機をとらえて、国鉄が分割・民営化されるまでの暗闘を記録したドキュメントが刊行された。筆者は日本経済新聞社東京本社社会部に勤務し、昭和43年より国鉄記者クラブに籍を置き、この事件の推移に立ち会った新聞記者である。自らの経験と豊富な資料に基づき、中曽根元首相や故人となった関係者へのインタビューによって裏づけされた本書は読み物として抜群に面白い。本書がこのタイミングで発表された理由もよくわかる。国鉄の分割・民営化を筆者は明治維新に準えるが、100年以上も続き30万人近い職員を抱える巨大組織を解体する作業は誰にとっても苦難に満ちたものであった。「国鉄解体を進めた『若手改革派』にとっても『分割』を阻み『全国一社』の国鉄を守ろうとした『体制派』にとっても、また国労など組合関係者にとっても、そこには策謀と裏切り、変節、保身、憎悪、怨念など、さまざまなに人間の情念が渦巻いていた」恩讐の彼方、本書は30年という時の経過を経て初めて文字として残すことが可能となった記録である。今述べたとおり、分割・民営化を進めた側とそれに抵抗した側、国鉄本社と第二臨調、政治家や運輸省、そして複数の労働組合、本書を読む限り、どの立場にも絶対的な正義はない。筆者は特定の当事者に与することなく、客観的でありながらドラマティックに第二次大戦後最大の労働問題、巨大組織の再編成の実情を伝えているように思われる。

 昭和6241日午前零時、国鉄がJRに代わった運命の日を点描する短い序章に始まる本書は続いて昭和40年代まで遡って国鉄の労使関係の不毛の歴史を概観する。第一章で焦点化される二人の人物は対照的でありながら、国鉄に決定的な影響力を行使した。一人は総理大臣となった田中角栄。田中は昭和47年に発表した「日本列島改造論」において新幹線を含む鉄道網の整備によって日本全国を一日の交通圏に収めようとする壮大な夢を語り、鉄道インフラの普及を徹底的に押し進めた。もう一人は「国労の顔」と呼ばれ、国鉄の労働運動に決定的に関与した細井宗一である。正反対の立場にいる二人であるが、ともに新潟県の出身であり、兵役では同じ連隊の所属し、古参兵の制裁を受ける田中を常に細井が庇ったというエピソードは興味深い。「国鉄なんてものは大きな赤字は困るが、大もうけもしてはならない。運賃を高くしないためにはトントンか、多少の赤字がよい。米国を除いて、先進国が国鉄にしているのはそのため。その国の経済を守るために必要なのだ」という昭和54年の細井の言葉は今日でも示唆に富む。国鉄の解体は一連の民営化路線の大きな成果として喧伝されているが、JR各社が本業以外で大きな収益をあげ、リニア新幹線の敷設といった原子力発電所の維持以外に意味を見出せない異常なプロジェクトに狂奔する姿を見るにつけ、かつて同じ会社に収益や利潤とは別の価値を奉じた人々がいたことは記憶されてよいだろう。

 やや先走った。本書は昭和40年代中盤から語り起こし、当時の熾烈な労使の対立を素描する。国労をはじめとする国鉄の労働組合は当時圧倒的な権勢を誇り、労使協調などありえない壮絶な労働争議や職場闘争を繰り返していた。鉄道が止まることは日常茶飯事といった今日では考えられない状況が描写される。筆者自身による新聞記事から次のような情景が引用されている。「組合側はどんな問題でも分会の役員を先頭にして230人が一団となって区長室に押しかける。ゲバ棒こそないが、交渉のやり方は紛争大学の大衆団交とほとんど変わらない。区長や助役のネクタイを引っ張り、ゲンコツで腹を突く。足で蹴り、手をねじ上げる。『傷にならない程度』の暴力行為が何時間も続く。『バカヤロー』『ノロマ』『ナンセンス』といったバ声。話し合いのできる雰囲気はまったくない」本書を読むとこの時期の労使闘争はいくつかの問題に焦点を結んだことが理解できる。まずELDLと呼ばれた電気機関車、ディーゼル機関車の導入に伴い、かつて蒸気機関車では必要であった機関助手を削減しようとしたことに対して組合側は反発し、各地で闘争を繰り広げる。この闘争に完敗した当局は、昭和44年に磯崎叡が新しい総裁に就くや巻き返しを図り、生産性向上運動、いわゆるマル生運動によって組合の切り崩しを試みる。泊まり込みで講義とディスカッションを繰り返して出席者を洗脳するこの運動は、新興宗教やブラック企業の新人研修を連想させ、今日ではおおいに不気味に感じられるが、このような手法は高度経済成長時代の大企業ではよく用いられていたらしい。余談となるが、生産性本部から派遣され、「トレーナー」と呼ばれた指導者たちのふるまいは宮部みゆきの『ペテロの葬列』の中で大きな役割を果たしていた。この運動の結果、初めは組合から多くの脱退者が出たが、組合側は直ちにマスコミや裁判所を巻き込んで強烈に反撃し、当局批判を繰り広げた結果、逆に優勢に立つ。勝ち誇った組合側は多くの無体な要求を押しつけ、結果的に「二度と元に戻らぬ、労使のささくれだった対立と職場の荒廃」が残された。国鉄の労働組合は当時の社会党の支持基盤として政治的にも大きな力をもったから、労使問題は政局とも深く関わっていた。時期としては田中角栄の政権下で、国鉄の労働組合は専横をきわめる。昭和48年の春闘における順法闘争は不満を抱いた乗客の暴徒化を引き起こした。当時を振り返って書記長自身が「マル生闘争の勝利によって組合員の多くが、何をやっても許されると増長した」と述べている。当時、高崎線には「職員専用列車」と呼ばれるダイヤ上には存在しない列車があったという。それは朝の通勤時間帯に試運転列車と称して運行する列車を踏切で停車させ、付近の国鉄職員の通勤に供していたものであり、「組合員の驕りと慢心、そして安全の軽視はここにきわまっていた」当時、組合側はスト権を確立するためのスト、「スト権スト」なる珍妙なストを繰り返したが、この理不尽なストライキは私の記憶にも残っている。結果としてこのストは両者の力関係に微妙な転換をもたらすが、この時期も労働組合は経営側に対して圧倒的な優位にあり、この責任を負わされた歴代の国鉄総裁は政府自民党からも激しい突き上げにあって次々に破綻し辞職を重ねた。田中角栄によって重用されたエリート総裁でさえアルコール依存症となり午前中の会話は支離滅裂、夕方には総裁室で泥酔していたというエピソードは壮絶である。

 昭和50年代に入ると状況は微妙に変化する。まず当時の混乱した政局を押さえておく必要があるだろう。ロッキード疑獄を経て、田中から三木、福田、大平と政権が次々に変わる。選挙中に急逝した大平を襲った鈴木善幸は行政改革を自らの内閣の主要な仕事と位置づけ、中曽根康弘を責任者たる行政管理庁長官に据えた。中曽根は密かに国鉄改革を断行することを決意する。一方、この頃、後の国鉄解体を内部から進めた「三人組」と呼ばれる若手職員、井手正敬、葛西敬之、松田昌士もそれぞれの持ち場で問題意識を深めていた。中曽根は臨時行政調査会の会長に経団連会長を退いたばかりの土光敏夫、補佐役に山崎豊子の「不毛地帯」のモデルとなった伊藤忠商事元会長の瀬島龍三を担ぎ出し、いわゆる土光臨調を発足させる。国鉄改革もその大きな課題であったが、当時国鉄は井手らが中心になって「後のない経営改善計画」を作成しており、この計画を軌道に乗せることによって弥縫的な「改革」を図るというカードも残されていた。しかし国鉄改革を主要なテーマとした第四部会では次第に「分割・民営化」という処断の可能性が現実味を帯び始めていた。このような事実関係からも理解されるとおり、井手らも最初から分割民営化という路線を推進した訳ではない、経営改善、あるいは分割なしの民営化、当時はいくつかの選択肢が併存しており、さらにプレーヤーも経営陣、労働組合に加えて、運輸省、政府自民党と多岐にわたる。本書を通読して感じるのは国鉄解体が決して予定調和としてもたらされたのではなく、多くの力学の偶然の結果によって現在のかたちに至ったという点である。プレーヤーの一人、自民党は昭和57年に党の交通部会内に「国鉄再建小委員会」を設ける。宮城県選出の国会議員、三塚博が仕切る通称三塚小委員会は以後、分割民営という路線を強力に推し進めることとなった。組合や運輸省との折衝の中で次第にお互いを認知し、ともに分割・民営化の方向を目指していることを知った「三人組」は相当に隠微な手法を用いて、国鉄という組織の腐敗、労働組合との癒着の告発を始める。知り合いのマスコミを通じて不祥事を内部告発し、三塚小委員会に「秘密事務局員」として加わって当局、組合側の双方にとって都合の悪い資料をいちはやく提出し、さらには労使の癒着の甚だしい現場、規律のゆるんだ職場の抜き打ち検査を手配した。労働組合と関係の深い社会党のみならず自民党の国会議員らとも国鉄は深いパイプをもっていたから、利害関係は複雑をきわめる。組織が自己防衛をその本質とする以上、分割・民営化に対する「国体護持派」の抵抗は激しく、三人の「改革派」は経営側、組合側のいずれをも敵に回して、外部の力、具体的には「改革派」の政治家やジャーナリストと気脈を通じて事態の打開を試みる。このあたりの暗闘の描写は凄まじい。一旦、分割・民営化を容認するような発言を行った総裁仁杉に対しては経営側が血相を変えて乗り込み、総裁を軟禁して真意は異なるという文書を書かせては社内報として配布する、三人組は国鉄の腐敗を告発し分割・民営化の必要を説いた書籍を三塚の名で出版し、三塚のもとには(本来ならば正反対の立場にある)右翼と組合の街宣車が押しかけて脅迫を繰り返した。仁杉は秋山機関と呼ばれる一種の秘密機関を設立し組織の検閲と粛清をはかる。一時、「改革派」は地方に左遷され、中央に残った者も四六時中監視された状態での執務を強制される。しかし三人は逆境にあって改革の同志を募り、連判状によって結束を固め、反撃の機会をうかがう。このような闘争の熾烈さはいくつものエピソードからうかがうことができる。例えば秋山機関によって作成された「分割のメリット・デメリット」という極秘資料は仁杉らが更迭された夜に全てシュレッダーにかけられて一部たりとも残っていない。仁杉が解任された理由は自分のシンパと信じて国鉄記者クラブに所属する記者を相手に酒席の場で洩らした「本音」がひそかに録音され、首相であった中曽根に届けられたことによるという。いずれもにわかには信じがたいが、かくも緊迫した状況が当時の国鉄を取り巻いていた訳である。分割・民営化に大きく舵を切った中曽根政権によって仁杉総裁は更迭され、国鉄の命運は決まった。その直後、副総裁に呼ばれた井手がこの場で辞表を書けと迫られたというエピソードも鬼気迫る。

 かくしてついに分割・民営化という方向が定まる。これにあたっては当時首相であった中曽根の意向が大きな意味をもっていた。中曽根はこの路線を推進する三塚を運輸大臣に据え、この問題の一挙解決をはかる。昭和60年のことである。三人組が国鉄の中枢部に呼び戻される一方で、分割・民営化に抵抗した勢力は閑職へと追放されていく。労働組合の対応は大きく分かれた。最大の国労が真っ向から反対したのに対して、動労や鉄労は分割・民営やむなしとして経営側に迎合する。もはや大勢は明白であった。「最後の主戦場」と題された章では労働組合を切り崩す経営側のあざとい手法が明らかとされる。経営側に恭順し「労使共同宣言」を受け容れた労働組合には一定の見返りが与えられる一方で、最後まで対立する国労に対しては雇用安定協約の締結を拒み、労働者の分断と差別化をはかる。国労からは多くの脱退者が生じ、彼らは真国労なる新しい組織を立ち上げる。分割・民営化の結果として多くの余剰人員が発生することは明らかであり、国鉄に残るか、「余剰人員」として遇されるか。当局は組合員たちに残酷な踏み絵を課した訳である。組合と御用組合の熾烈な闘争は山崎豊子の「沈まぬ太陽」を想起させ、時に暴力事件を引き起こしながらこのような死闘が続いた。昭和6110月に修善寺で開かれた国労の臨時大会で執行部は柔軟路線に転じようとしたが、議案は否決され、国労は事実上の分裂状態に陥る。この時、分割・民営化への抵抗は完全に潰えた。翌月に「国鉄改革8法案」が可決され、遂に日本国有鉄道の解体が決定されたのである。しかし人事においては大きな番狂わせが相次いだ。最後の局面で運輸大臣が三塚から橋本龍太郎に交代したのも不規則な人事であったが、粉骨砕身の思いで国鉄「改革」に関わった三人組、そして国鉄解体時の総裁、杉浦喬也らは再出発したJRにおいて要職を充てられることがなかった。彼らの血と涙の結晶である国鉄改革も中曽根にとっては自らのパワープレーの一局面に過ぎなかった。

 本書は読み物としては面白いが、読後感はよくない。無数の人物が登場するが、共感や感情移入できる人物は一人もおらず、暗澹たる抗争の連続と後味の悪い結末が語られるからだ。正義やカタルシスから遠い本書の内容は先に触れた山崎豊子の小説、例えば「華麗なる一族」や「沈まぬ太陽」のそれに近い。本書に主人公を求めるならばおそらくは井手、葛西、松田という三人組であり、彼らは組織内にいながら組織を解体するという困難な任務を担った。しかし彼らが操った権謀術数を知る時、彼らもまたヒーローからは遠い存在である。彼らを国鉄解体に走らせた動機がかつての国鉄の当局と組合の癒着と腐敗であったことは想像に難くない。私も民営化以前のJRの状況を覚えているので、かつての国鉄が乗客や通勤客を一切顧みない傲慢な組織であったことを知っている。本書の終章には「猛き者ついに滅びぬ」というタイトルが掲げられているが、怠業の一方で管理職をつるし上げ、自分たちの専用列車を走らせるような専横を働く者たちが滅びたことは当然であったと今になればわかる。本書においては二つの「連判状」に触れられている。連判状とは時代がかっているが、彼らがこのような手段で結束を固めたことは明らかだ。これらはもし公開されるならば改革派を同定し、過酷な処分を招いたであろうから、自分たちの真剣さを確認する意味もあったはずだ。私は改革派を一方的に支持するつもりはないが、これらの文書の真剣さには深く共感するし、それほどまでにこの巨大な組織は病んでいたのである。

 今日、国鉄改革は成功したといわれる。確かに再建の見込みもなく赤字を垂れ流していた組織の収支が曲がりなりにも回復し、サービスも劇的に改善されたから、この成功はこれ以後引き続く民営化のモデルケースとなった。しかし本書から明らかなとおり、そこには多くの影の部分があったことを忘れてはならない。一つには国鉄の解体にいたる過程できわめて非人間的な状況が生じたことである。解体に伴って大量に発生した「余剰人員」は「人材活用センター」と呼ばれる施設で清掃や単純作業、あるいは炎天下での行軍といった無意味な作業に従事させられた。「国鉄アウシュビッツ」とさえ呼ばれたこの施設には多く国労系の労働組合員が集められたという。先に述べた通り、この背景に労働組合間の確執があったことに疑いの余地はない。国鉄の解体は戦後の日本において一定の影響力を有した労働組合の終わりの始まりであった。本書の最後の節は「55年体制の終焉」と題され、平成元年における総評の解散とそれに代わる連合の結成について言及されている。元号からわかるとおり、同じ年に昭和天皇が死亡し、ベルリンの壁が崩壊した。そして国鉄の解体を契機としてこの国では何かが決定的に変質した。「昭和の解体」という本書のタイトルは象徴的だ。冒頭で「国鉄は赤字は困るが大もうけしてはならない」という言葉を紹介した。この言葉は昭和という時代ににあっては例えば公益とか安全といった収益とは別の、多くの場合それに優先する価値が存在していたことを暗示している。しかしこれ以後、私たちは利潤を唯一の価値観としてひたすら追い求めることとなる。国鉄民営化の「成功」は同じ原理がほかの公共的な事業にも応用可能ではないかという発想を生んだ。これに従って教育、文化といった本来的に市場性とは相容れない分野、具体的には公教育から大学、図書館や美術館といった場にも経済原理が浸透することになった。先日の愚かな大臣の発言からも明らかなとおり、本来ならば「別の価値」によって統御されるべき営みが経済原理という濁流の中で淘汰され、結果としてかつての国鉄同様に荒廃しつつある。まことに国鉄民営化の「成功」は昭和から平成、すべての価値が金銭に一元化される時代への転換を画す出来事であったといえよう。

 本書で詳細に報告される、かつての国鉄の腐敗した内情は実は当時からよく知られていた。誰もが異常と感じながら、圧倒的な権勢を誇る労働組合に対して時の政権さえもが拱手していた内情は本書で詳らかにされている。そして私は、現在もなお、誰もがその不正義を知りながら批判できない一つの体制が存続していると感じる。いうまでもない、原子力村と呼ばれるシンジケートだ。もはやこの産業が差別と不正の上にしか存立しえないことは誰の目にも明らかであるし、彼らが震災の後、スト権スト並に愚劣な「計画停電」によって私たちを恫喝したこともはっきりと記憶しておこう。私たちは原子力発電がほとんど稼働していない状態でいくつもの夏と冬を乗り切った。それにも関わらず、リニア新幹線なる虚妄を振りまいて原子力政策の堅持を叫ぶ論客の一人が葛西である。かつて国鉄という国家的な不正義に対峙した人物が、同様の国家的欺瞞に取り込まれて、中曽根に始まる国家主義的な保守政治の断末魔、最低最悪に劣化した現政権に寄り添う姿は人間の業と呼ぶべきか、まことに無残に感じられる。

 それにしても私はいつまで、レヴューの最後にお決まりの政権批判のコメントを書きつけなければならないのだろうか。90年代、私の批評は政治性を帯びることはほとんどなかったし、形式主義者たる私はこのようなくだらない作業が嫌でたまらない。しかし今や批評に携わる者にとって政治性のない批評はありえないほどに、政治が表現の場に手を突っ込んできている。私たちはかつてなく暗い時代を生きている。

 なおこのブログでは元号は用いないが、今回のみ内容に鑑み、時系列を元号で表記した。


# by gravity97 | 2017-04-22 10:14 | ノンフィクション | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック