古井由吉は以前より気になっていた作家であるが、作品が比較的入手しにくかったこともあり、読む機会を逸していた。今春より河出書房新社より自撰作品全八巻の刊行が始まり、最初の配本となった『杳子・妻隠/行隠れ/聖』を書店で手に取るや、私は一頁も開くことなく直ちにレジへと直行した。中身を読むまでもない。菊池信義の入魂の装幀がすばらしいのだ。カヴァーの紙質や色合い、表題の字体と配置。デザインに関しても目次から奥付まで頁の端々に装幀家の気合いが感じられる。これらは電子書籍では決して味わうことのできない書籍の魅力であり、書籍とは単なる情報の集積ではなく、それ自体がアートワークであることをあらためて実感する。四篇の小説が収められた『杳子・妻隠/行隠れ/聖』も不思議な読後感を残した。そして二回目の配本となる『仮往生伝試文』は紛れもない傑作である。しかしながらこれほど論じることの難しい小説もあまり例がない。全部で13の章から構成されているが、たとえば「厠の静まり」と題された最初の章の冒頭部を示す。 ―されば、まことに思ひ出でむこと、かならず遂ぐべきなり。/今日は入滅という日に、寝床の中から弟子に命じて、碁柈を取り出させ、助け起き直らせてそれに向かうと、碁を一柈打たん、と細い声で甥にあたる聖人を呼んで、呆れる弟子たちの見まもる中、念仏も唱えずに石を並べはじめる。たがいに十目ばかり置いたところで、よしよし打たじ、と石を押しやぶり、また横になる。/多武峯の增賀上人の往生の話である。甥の聖人がおそるおそる今の振舞いの訳を聞くと、むかし小坊師であった頃、人の碁を打つのを見たが、ただいま念仏を唱えながら、心に思い出されて、碁を打たばやと思ふによりて、碁を打ったのだと答えた。 これは一体何だろう。擬古文が用いられ、内容からもなんらかの古典が引かれていることが推測される。しかし「多武峯の增賀上人の往生の話である」という一文は何か。ここには別の話者が暗示されている。読み続けるうちにこの小説の構造はおぼろげに明らかになる。古典の物語を引用しつつ、作者であろう語り手がそれに対するコメントを加えることによって物語は進む。いや、物語と断じるのは早すぎる。しばらく読み進めると今度は唐突に日付とともに競馬の話が語られ、明らかに日記の一部が挿入されるのである。つまり古典の引用とそれに関する随想、さらには日記というレヴェルの異なったディスクールが混然と一体化されてこの稀有の小説は成立しているのである。 私には古典の素養がないので詳細はわからぬが、冒頭のエピソードは『今昔物語』から引かれたらしい。また作中には『明月記』と明らかに出典を記して言及される挿話もある。『今昔物語』の本歌取りからは誰でも芥川龍之介の王朝ものを想起するだろう。実際に『仮往生伝試文』の中には芥川の「羅生門」についての言及さえ認められるのだ。しかし芥川が「今昔物語」中の物語を語り直すのに対して、古井は「今昔物語」と『仮往生伝試文』の間、平安と現在を往還しながら語る。日記の挿入からも明らかなとおり、ここには古井という明確な話者がいる。それにもかかわらず一貫して小説を特徴づけるのは語り手の圧倒的な希薄さだ。一人称で語られながらも、作者の存在感はほとんど感じられない。比較的印象の近い作品としては古井が大学の卒論で取り上げたというカフカの一連の「小説」くらいしか思い当たらない。(フランスのヌーヴォー・ロマンは作者の不在それ自体を作品の主題としているから、明らかに異なる) 当然ながら内容を要約することはきわめて難しい。要約をすり抜けるように次々に話題が展開する。しかしながら全体に共通するテーマは明らかだ。タイトルが示すとおり、往生、すなわちこの世からあの世への転生である。このような主題は今示した冒頭の一節が上人の往生に関わる話であったことからもうかがえようし、実際この物語は多くの往生譚を含んでいる。古典からの引用ということで上人、つまり徳の高い僧の往生をめぐる逸話が多いが、盗賊や下人の往生に関する話もあり、さらに現代を生きる作者の周辺における死をめぐる逸話も次々に開陳される。しかし「死」が主題とされているにもかかわらず、通常であればはらむ重さは全く感じられず、全体を奇妙な透明感が漂っている。それは死が死そのものではなく往生、つまりこの世からあの世への移行として語られるからであろう。そしてこの移行は必ずしも明瞭に画されることはなく、いたるところでこの世とあの世は連続していることが暗示されている。冒頭の章に次のような印象的な文章がある。「ところでいつ往生したことになるのだろう、この僧は。もちろん、伊予の古寺の林の中で死んだ時だ。しかしそれまでの数十年の間、往生を念じながら東塔の厠の中でおぼえた静まりが、たえず続いていなかったか。それが往生だとはいえない。寿命がまだ尽きていない以上は、さまざま曲折を経る」つまり『仮往生伝試文』においては死と生を往還可能な二つの相としてとらえ独特の死生観が提示されている。余談であるが、私は冒頭の碁打ちのエピソードから私はやはり乾いた笑いともに近似した主題を扱った小松左京の「安置所の碁打ち」という短編を連想した。かかる往還の自在さは内容のみならず、古典の引用やパスティッシュとしての再話ではなく、古典の物語と作者をめぐる現実の間を地の文の連なりの中で往還するテクストの形式にも明らかに反映されている。たとえば「物に立たれて」という章ではタクシーの運転手にとって人影の全く見えない客がいるという話から、百鬼夜行の道中に出くわしたため、運悪く姿を消されてしまい、誰からも相手をされなくなる不運な男、おそらく「今昔物語」に典拠をもつ物語が引き出され、「憂ひなきにひとしく」という章では昨今、人が死ななくなったという嘆息に続いて、閻魔から現世に差し戻された男が亡者の中に取り残されて惑う話が語られる。唐突に突き合わされる物語に最初は困惑した私たちも読み進むにつれて、この小説の独特のリズムになじんでくる。古典が引用される箇所は多くの場合、なんらかの物語性を内在させているが、それらが作者=語り手の恣意によって次々に中断し、別の脈絡にとって変わられ、作者のとりとめのない随想のような文章の中に紛れていく。さらに時折事実関係を記した日記体の文章も重ねられる。往生とは越境であるとするならば、この小説では生と死、フィクションと現実、事実と印象、王朝と現在、現世と異界、さまざまな境界が軽々と踏み越えられ、そもそもそのような境界が存在するかが問われる。そして最終的には果たして小説といったかりそめの現実が存在するかといったきわめて根源的な問いへと読者への思いを向けるところにこの作品の凄みがあるといえよう。 決して読みやすい小説ではないし、読み通すにはそれなりの覚悟も必要と感じられるが、これまで日本語で書かれた「小説」の中でも特筆に値する傑作であることを私は確信した。高い抽象性を帯びた物語の中に時折のぞくなまめかしいエロティシズムについてはここで論じる余裕がなかった。芥川賞を受賞した『杳子』は1971年、本書は1989年に発表された。以後も今日にいたるまで古井の作品は大きな変貌を遂げていると聞く。このたびの作品集の刊行はこの特異な作家の全体像を正面から受け止めるよい契機となるだろう。 ![]() スティーヴ・ライヒがワールド・トレード・センターへのテロ攻撃に取材した新作を発表したことを知り、早速聴いてみる。[WTC 9/11]というきわめて直裁なタイトルとともにCDのジャケットは青空を背景にした黒煙、画面の端にWTCとおぼしきリジッドなラインが写り込んでおり、これもまた生々しい。演奏はこれまでもたびたびライヒの楽曲を手がけたクロノス・カルテット。 2011年2月に録音されているから、同時多発テロ10周年を機に委嘱された曲かと思ったが、ライヒ自身によるライナーノートを読んでみるともう少し個人的な事情から発想された曲らしい。ライヒは2009年にあらかじめ録音された音声を用いた新作をクロノス・カルテットに求められ、当初、音声中の母音ないし子音を引き延ばす手法で作曲できないか考えていたらしい。ライヒ自身が述べるとおり、録音された音声を用いた実験は最初期の作品、例えば「カム・アウト」や「イッツ・ゴナ・レイン」においても明らかであり、決して新奇ではない。問題は音声の内容だ。ライヒは次のように記す。「(音声について思いをめぐらして)数ヶ月後、私ははっきりと思い出した。25年間にわたって私たちはワールド・トレード・センターから4ブロックの場所に住んでいたのだ。(中略)私たち一家にとって9・11はメディアの中のイヴェントではなかった」ライヒは慎重に三つの音源を選ぶ。最初はNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)に残された記録音声、二番目はFDNY(ニューヨーク市消防局)によって録音された音声、そしてロウアー・マンハッタンにいた友人たちへのインタビューである。いずれも切迫感に満ちている。例えばNORADとFDNYの記録音声から選ばれた言葉は次のようなものだ。「ボストン発LA行きの旅客機が南に向かっている。進路が違う。進路が違う。パイロットと連絡がとれない」「旅客機がワールド・トレードに激突した。使用可能な、使用可能な全ての救急車を」 弦楽というより警告音を連想させる鋭いリフレインに続いてこれらの言葉が明瞭に発せられる。この作品をやはり録音された音声を用いて制作された初期作品「カム・アウト」と比較してみよう。ハーレムにおける暴動で警官に暴行された青年の言葉を素材としたこの作品はlet some of the bruise blood come out to show them つまり「傷口から流れ出る血を奴らに見せた」というフレーズを含む言葉を何度か繰り返した後、さらに come out to show themという一節を執拗に反復し、テープレコーダーのループのずれによって転調していく過程を提示したものである。ここにおいても暴力というテーマが扱われていることに私は驚くが、少なくとも「カム・アウト」においては「ずれ」による音声の転調という形式そのものが作品の主題とされており、同じフレーズが繰り返され、次第に不明瞭になるにつれて言葉自体の意味は中性化される。これに対して、「WTC 9/11」では音声はほとんど転調されることがなく、むしろヴァイオリンやチェロの緊迫した音色が効果音として重ねられていく印象だ。もっとも近年のライヒになじんだ者にとってこの新作は決して異質ではない。歴史的事件を扱っている点でいえば2002年の「スリー・テイルズ」は20世紀においてライヒが重大と考える三つの事件、すなわちヒンデンブルグ号爆発事件、ビキニの核実験、クローン羊ドリーの誕生を扱っていた。しかし「WTC 9/11」の場合、楽曲の構造は比較的単純で言葉の使用はあまりに直接的に感じられる。 ![]() 1988年に発表された「ディファレント・トレインズ」を「カム・アウト」と「WTC 9/11」の間に置くことによってこの点を整理することができるかもしれない。クロノス・カルテットが演奏し、三部構成という点でも「WTC 9/11」と共通点をもつ「ディファレント・トレインズ」においてはタイトルが暗示するとおり、鉄道による三つの旅が主題とされている。このうち「アメリカ 大戦前」と題された最初のパートは大陸横断鉄道で頻繁に旅行したライヒの幼時体験が反映されている。音声のサンプリングという手法はここでも使用され、 例えばfrom New York to Los Angels 、「ニューヨークからロサンジェルスへ」という言葉が繰り返される。父と離婚した母のもとを訪れる旅行が「エキサイティングでロマンティック」であったのに対して「ヨーロッパ 大戦中」と題された二番目のパートは重い含意をもつ。ヨーロッパの鉄道は大戦中、ユダヤ人を絶滅収容所に送る主要な輸送機関でもあった。いうまでもなくここにはユダヤ人としての出自をもつライヒの思いが反映されており、ディファレント・トレインズとは同じ時代にもしヨーロッパで生活していたらライヒ自身が収容された可能性のある「別の列車」のことでもある。ここにも興味深い一致が見出せる。つまり「WTC 9/11」と「ディファレント・トレインズ」はともに(前者においては潜在的な主題であるが)大量輸送機関と大量死という二つの主題と深く関わっている。前者ではボストンとLA、後者ではニューヨークとLAという出発地と目的地がともに音声としてサンプリングされている点も共通している。「ディファレント・トレインズ」においてはクロノス・カルテットという練達の演奏家たちを得て、興味深い実験がなされている。サンプリングされた音声から高低をとりだし、それを弦楽器の音程に置き換える試みだ。ライヒにおいて人の声と楽器は常に交換可能であるが、そのヴァリエーションであると同時に、言葉を抽象化する手法といえるかもしれない。ただし「ディファレント・トレインズ」においてメッセージはさほど明確ではない。今述べたようなライヒの個人的体験、戦時下でポーランドに敷設された鉄道が担った役割といった予備知識を背景として初めて断片化された言葉は意味を与えられる。先に私は初期の実験的な作品についても触れた。初期作品でいわば音響的素材として使用された come out to show them あるいは it’s gonna rain といった言葉は意味をもつといえば意味をもつが、「ディファレント・トレインズ」ほど意味の負荷を負っていない。初期作品においては任意、「ディファレント・トレインズ」においては暗示的であった言葉は「WTC 9/11」においてはあまりにも明示的である。ライヒのこのような変貌をどのようにとらえるべきか、私は正直言ってまだ判断がつきかねている。 私は[砂漠の音楽]以降、ほぼリアルタイムでライヒの新作を聴いてきた。私自身はミニマリズムの手法を確立した時期、70年前後から70年代の作品が一番好きであるが、それ以降の作品も決して悪くないし、ライヒの変貌はそれこそ「ゆるやかに移り変わるブロセス」であり、「WTC 9/11」においても録音された音源との合奏、声と楽器の対比、反復と変容といった主題は初期から一貫している。しかしそれにしてもここまで来てしまったかというのが私の感想だ。形式の探求として始まった(このように断言するには留保が必要かもしれないが)ライヒの楽曲がかくも重い主題を正面から取り上げることは予想できたようでもあり、意外でもある。ライヒ自身も1993年にパートナーのベリル・コロットとオペラ「ザ・ケイヴ」を制作しているが、ライヒ同様ミニマル・ミュージックの代表的作曲家であるフィリップ・グラスもまた近年オペラや映画音楽といったスペクタクルへと接近していることを考えるならば、形式から主題への転換はミニマル・ミュージックの本質とどこかで関わっているかもしれない。 ![]() ところで、今回、この作品を注文するためにライヒというキーワードで検索したところ、Kuniko Kato (加藤訓子)というパーカッショニストによって演じられた[kuniko plays reich]なるアルバムが最近リリースされたことを知り、こちらも聴いてみた。ブリュッセルで「シティ・ライフ」を演奏した際にライヒ自身から「この小さな女の子の演奏はとても力強い」と言葉をかけられたというが、確かにすばらしい。ライヒがパット・メセニーのために作曲した「エレクトリック・カウンターポイント」をなんと打楽器によって再演し、名曲「6台のマリンバ」を多重録音によって一人で演奏している。合わせて聴いていただきたい。 なお、ライヒは今年12月に来日するらしい。この際にはイギリスのパーカッショニストたちによって「ドラミング」全曲の演奏が予定されている。 ![]() 本書を読んでごく自然にこの記憶がよみがえった。外交のプロフェッショナルたちにとって、席次や次第といったプロトコルの首尾を整えることは死活的に重要な問題なのである。お互いに旧知の日本人に対してもかくのごとき厳密さであるから、国籍を違えた首脳同士の会合であれば、プロトコルの複雑さは想像を絶する。本書はこのようなプロフェッショナルたちの華やかなたくらみをワインと料理という独特の視点から論じて興味深い。著者の西川恵は外国特派員の経験が長い毎日新聞の編集委員であり、フランスの美食外交について論じた『エリゼ宮の食卓』という刺激的な著書を以前読んだことがある。その続編と呼ぶべき本書を書店で見つけて買い求める。テーマは同じであるが、今回は日本の宮中晩餐会からサミット、エリザベス女王のロシア訪問から東日本大震災後に郡山で開催されたフランスのナショナル・デイのレセプションまで、地域的にも時間的にも多様な話題が盛り込まれ、一気に読み終えた。 随所にそれぞれの饗宴に供された料理のメニューとワインのリストが紹介されている。さすがに首脳級の会食であるから、豪勢というか、私ごときには想像もつかない料理やワインが並ぶ。そして単に高価な食材やアルコールを提供するだけではなく、そこにはなんらかのメッセージが込められている。例えばトルクメニスタンの大統領が来日した際に、この国が古来より名馬の産地であることから、外務省から出向していた担当者はシュヴァル・ブラン、白馬という名の玄人好みのワインを供したというエピソードがある。残念ながらこの配慮は連絡が悪かったためか当時の鳩山首相から伝えられることがなかったらしいが、饗宴外交の機微をうかがわせる。逆に首脳自身からこのようなメッセージが発案されることもある。西川は歴代の日本の首相の中でも饗宴外交の真髄に通じていた首相として小渕恵三を高く評価する。クリントン大統領が来日した際、晩餐会の会場に小渕は蝦夷松の盆栽を準備するように事前に命じた。しかし担当者は翌日の首脳会談の場と勘違いし、直前に運び入れるはずの盆栽はまだ大宮市にあった。紆余曲折を経て、盆栽は宴席の大詰め、デザートの直前に会場に運び込まれ、それゆえ大きな演出効果とともにアメリカの大統領の前に引き出されたという。いうまでもなく国後島を原産とする蝦夷松の盆栽には北方領土問題解決に向けてアメリカの支持を得たいという日本側の思いがこめられていた。蝦夷松をめぐるエピソードはそれ自体スリルに満ちて興味深いが、晩餐会や夕食会という場が単に料理や挨拶だけでなく、政治的な駆け引きに満ちた一種の総合芸術であることをうかがわせる。小渕は自らがホスト役を務める予定であった沖縄サミットにおける首脳晩餐会における饗応に心を砕く。小渕はこのために料理や飲み物はもちろん、テーブル・コーディネイトからファッション・デザイナーまでを含んだ専門家によるチームを作り、準備にあたった。沖縄という開催地の食材を生かしつつ、日本がホスト国であることを反映した料理と飲み物とは何か。辻芳樹と辻調理師専門学校のスタッフたち、そしてソムリエの田崎真也らは幾度となく試作やアッサンブラージュの実験を繰り返し、「世界の調和」という晩餐会のテーマに基づいて料理としてはフランス料理をベースとしたパシフィック・リム(環太平洋)系料理、飲み物に関しては参加八カ国の極上のワインのアッサンブラージュ、さらには日本酒や泡盛のブレンドといういささか破格の手法によって首脳たちを迎えるべく準備を始めた。実際にはサミットを前に小渕は急逝し、代わってホスト役となった森喜朗による内容の変更の指示、さらには日本通のフランスのシラク大統領が事前に日本料理でないことに難色を示すなどいくつかの困難も伴ったのであるが、結果として沖縄サミットの晩餐会は大成功し、首脳たちはスタンディング・オベーションによって辻や田崎を讃えた。当のシラク大統領もことに料理が素晴らしかったと述べたという。日本における饗宴外交の絶頂と呼んでも差し支えないだろう。世界の首脳たちを迎えての晩餐会のために予算は濫費される。西川によればこのような豪勢な晩餐会は2008年、やはり日本で開かれた洞爺湖サミットが最後となった。翌年、イタリアにおけるラクイラ・サミットは震災の被災地に急遽会場が変更され、ベルルスコーニ首相夫人が夫との不和を理由に欠席したこともあり、晩餐も簡素化され、実務的な会合となり、ワーキング・ランチとワーキング・ディナーに徹する以後のサミットの性格を方向づけたといわれる。西川はこの背景として、「キャビアやウニを食べながら飢餓の問題を議論した」という洞爺湖サミットへの批判、そして新興国の登場によってG8のみによって世界の方向を議論することができなくなったことを指摘する。もはやサミットに出席する首脳たちでさえ豪華な饗宴を開くことが許されなくなったといってもよかろう。 さて、先に私は沖縄サミットに関して濫費という言葉を用いたが、このサミットを担当した外務省の職員が多額の公金を使い込み、大きなスキャンダルを引き起こしたことは記憶に新しい。松尾某の犯罪は言語道断であるが、外交的な饗宴という営みが本来的に濫費という側面をもたざるをえない点には注意が必要かもしれない。これと関連して、各国に派遣された大使たちが公邸で賓客をもてなす招宴外交に関しても一章が割かれている。日本の場合、外務省に「公邸料理人帯同制度」という制度があり、日本大使は各国に料理人を連れていくことができるという。これも常識的には税金の濫費と感じられるが、世界中で人気のある日本料理の優れた料理人を擁することによって、日本大使館が開く饗宴は各地で様々の分野の関係者を引きつけ、ひいては貴重な情報を入手する機会ともなるという。西川はタイの日本人大使館の入念な招宴を例に挙げて、このような外交の重要性を説く。この制度を奢侈ととるか必要と考えるか、判断は難しい。特に外務省の公金スキャンダルが発覚した後、このような制度は一般には理解されがたいだろう。もっとも実際には公邸料理人の給与の半分以上は大使が自腹で支払っているとのことであり、それほどまでに料理というのは外交と深く関わっているのだ。特にバブル期には西欧以外の任地への渡航を望む料理人が減り、外務省は公邸料理人の指導育成を始めた。興味深いことにここで育成される料理人の多くはタイ人であるという。つまり在外公館の日本料理はタイの料理人によって担われつつある。ホワイトハウスの料理長がフィリピン系移民の女性であるという記述とともに、日米の饗宴外交が東南アジアの人々によって進められているという事実は暗示的に感じられる。 ところで饗応の本質が差別化にあることはいうまでもない。前著の『エリゼ宮の食卓』では供されたワインのヴィンテージから、饗宴の相手がどの程度重んじられているか、少々意地悪く分析されていた。同じ国の元首でも、人が変わると、あるいは国同士の関係が変わると微妙に軽重を違えて饗応がなされるという指摘は実に的確だ。この点で西川は近年の日本の政権の弱体化を強く危惧する。日中の首脳交流に関して、西川は中国側が関係改善を期して異例の厚遇によって日本の首相をもてなしたが、彼らは任期半ばで次々に退陣する。一方、日本側も来日した中国の温首相をそれなりの饗応で迎えたが、首相が離日した翌日、鳩山首相は突如退陣を表明した。饗宴の際に既に退陣を決めていたとするならば、いささか礼を失した態度と言われても仕方がないだろうし、中国側の失望は理解できる。そして猫の目のように変わる政権とは対照的に日本の外交のもう一つの軸は皇室にある。皇室外交について触れた冒頭の章も興味深い。なぜなら皇室外交は「すべての国に平等に接する」ことを基本としており、今述べた相手によって差別化する通常の外交手法の対極にあるからだ。本書の中でも国家元首を招いて開かれたいくつかの宮中晩餐会についての記述があるが、そこでは「どの国に対しても最高のもてなしをする」というルールが徹底されている。冒頭に先般来日したブータンの国王夫妻を迎えての晩餐会のメニューが掲げられている。一方巻末近くに中国の胡主席を迎えての宮中晩餐会のメニューも示されているが、西川によればどちらも「最高のもてなし」という点で変わるところがない。もっとも食材の異なる料理において、甲乙を判定することは難しいから、おそらくこのような判断はシャンパンとしては同じドン・ペリニョン、シャブリのグラン・クリュに対してピュリニー・モンラッシェ、ラフィット・ロートシルトに対してラトゥールという供されたワインの格によって判定されるのであろう。ブータンと中国というそれなりに微妙な関係にある小国と大国に対して同じレヴェルの饗応で応じてもなんら不審に感じられないほどの権威を日本の皇室は帯びているということであろうし、このような饗宴外交の姿勢は世界的にも他に例がないのはなかろうか。 本書中のいくつかのトピックについて紹介したが、ほかにも多くの興味深い話題が論じられ、飽きることがない。饗宴外交というのはなるほど大変な仕事だ。次々に紹介される豪華なメニューとワインに幻惑され、エピキュリズムというカテゴリで紹介したが、仕事としての会食が楽しくないことは経験則で知っている。貴重なワインと豪華な料理がさほど楽しくもない会食の中で大量に費消されていくことは美食をめぐる大いなる逆説であろう。そういえば私も一度だけ大使館のディナーに出席したことがある。20年近く前、当時のアメリカ副大統領夫人が現代美術を愛好していた縁でアメリカ大使館に招待されたのだ。といってもドレス・コードさえない気楽なディナーで、関係者が次々に紹介され、ホストとゲストたちが二言三言会話すると、それではさようならという感じでお開きとなった。どのようなワインが供されたかは覚えていないが、メインの料理はチキンであった。 ![]() 収録されている作品は多いため、小説の中から特に印象に残った作品について記すこととする。冒頭のリービ英雄の「千々にくだけて」は作家の分身とも呼ぶべき日本に定住するアメリカ人青年がバンクーバー乗り継ぎでニューヨークの母のもとに向かう機内で同時多発テロの知らせを受ける場面で始まる。アメリカ人青年エドワードはバンクーバーのモーテルで長い待機を強いられる。モーテルのTVを介して映し出されるWTCの倒壊の模様、虚脱する人々、「悪を行う者は必ず罰せられる」と叫ぶ大統領、テロに直接に立ち会っていないがゆえにいわば傍観者として体験する9・11以後の寒々とした光景が、日本に住むアメリカ人青年という屈折した存在をとおして描かれる。小説の中に「見て、百十階の窓からOLが飛び下りている」という言葉がある。「見て」という言葉が暗示するとおり、惨事は目撃されるが、自らの身体を通して体験されることがない。戦争がTVの画面を介した別世界の事件のように感じられ始めたのは私の記憶では91年の湾岸戦争以来であり、WTCへの攻撃はそのスペクタクル性においてまさに映画の中の出来事のようであった。このような距離感、非現実感は本書に収められた多くの作品の通奏低音をかたちづくっている。「千々にくだけて」において何も声高に叫ばれることはない。しかしそれゆえさらに深く人々の無力感が行間ににじむ。タイトルは芭蕉の句からの引用である。「島々や、千々にくだけて、夏の海」、broken into thousands of pieces という一句は強い喚起力を備えている。砕けたのはWTCや航空機だけではないはずだ。 同時多発テロの「被害者」であるアメリカが中近東で引き起こした戦争と関わる一連の作品もそれぞれ味わいが深い。米原万里の「バグダットの靴磨き」はアメリカによって占領されたイラクにおける民間人の受難を描く。私はこの小説をガッサーン・カナファーニーの「ラムレの証言」と重ね合わさずにはいられない。テヘランに生まれたシリン・ネザマフィが日本語で書いた「サラム」は入国管理局に難民申請を行いながらも受理されないアフガニスタン難民の女性の通訳として弁護士たちとともに救援活動に携わる学生の視点で語られる。最初は割のよいアルバイトといった意識で始めた通訳の仕事を介して、語り手はレイラという難民女性をめぐる悲劇、明らかにアメリカの爆撃に起因する内戦によって強いられた彼の地の人々の流亡について思いをめぐらすこととなる。弁護士たちの活動も空しく強制送還されることとなったレイラの前で、語り手は自らの位置がどこにあるのかを自問する。同じ主題は岡田利規の「三月の5日間」にも認められる。私はチェルフィッチュの演劇をとおしてこの戯曲を知った。岡田もここで当事者でないことをどのように生きるかという問いを突きつける。知られているとおり、この戯曲は2003年3月、アメリカによるイラクへの空爆が始まった日に知り合った男女が渋谷のラブホテルで5日間にわたって連泊するという物語である。実際の上演に立ち会った際には俳優たちの独特の身振りや語り口に圧倒されてしまったが、この戯曲は当事者でないことの居心地の悪さを主題としている。空爆によってイラクで罪のない人々が殺されている同じ時間に自分たちは渋谷で無為の時間を送っている。登場人物たちは、まもなくイラクではアメリカによる空爆が始まることを自覚し、おそらくは自分たちがホテルを出る時には戦争が終わっているのではないかと予想さえする。遠い地で戦争が続く間、自分たちはライヴハウスで知り合った相手と行きずりのセックスを重ねる。登場人物の会話の端々、劇中のいたるところに突出する異和感や不全感はチェルフィッチュの公演の中でぎくしゃくとした身振りや唐突な場面転換によってさらに増幅された。しかしこのような感情はTV越しに戦争を体験していた私たちにとって決して覚えのないものではないだろう。 本書に収録された作品の中で私が最も鮮烈な印象を受けたのは楠見朋彦という私にとって未知の若い書き手の「零歳の詩人」という小説であった。この中編はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争という、日本人にとって湾岸戦争やイラク戦争以上に知ることの少ない内戦を主題としている。この内戦がいかに凄惨なものであったかは情報としていったが、楠見は全く仮借のない筆致でこの地獄を描写する。主人公がアキラと呼ばれる日本人であることは読み始めるとまもなくわかる。アキラは〈トラヴィ〉、〈眼鏡〉、〈お喋り〉といったニックネームで呼び合う仲間たちと銃撃戦の続く戦闘地帯の防空壕に潜んでいる。アキラたちは時に戦争孤児を街から救い出し、共同生活を送っている。しかし戦争は次第に彼らのうえに残酷な影を落とす。楠見はアキラとは別に随所に非人称の視点を持ち込んで、この内戦が人間性を全く欠いた悪夢のような殺し合いであることを報告する。残忍きわまりない殺害方法、生きている人間、死体の区別なく身体を損壊する行為が繰り返される。捕虜や民間人に対する無意味な拷問や強姦、幼児や妊婦、老人に対する目をそむけたくなるような蛮行。これでもかとばかりに記述される身体の毀損についての言及は、ほかの小説にみられた傍観者然とした表現の対極にあり、読むうちに痛みさえ覚える。この作品は近年私が読んだ小説の中でも最も凄惨な内容である。しかし塚本邦雄に師事し、歌集も著しているという楠見の文体は独特の透明感と対象との距離感があり、残酷な内容にもかかわらず、最後まで一気に読ませる。この「戦争」の特性はもはや誰が敵なのか、なぜ殺しあうのかが全く理解できない点にある。蛮行を加える者たちは「兵士」と名指しされるだけで、それがセルビア人であるか、ボスニア人であるかは問われることがない。この内戦は現実でありながら現実感がない。読者は直ちに一つの疑問を抱くであろう。なぜこのような凄絶な戦場に日本人である主人公がいるのか。この問い自体は明確に答えられることはない。しかし回想の中でアキラはごく短く自分の過去について触れる。日本においてアキラの家庭は破綻していた。「あいつらは家族なんかではない。僕は家族である仲間であるみんなと、いつまでもここに居て戦争が終わるのを待ち、もう日本に帰ることはないだろう。なぜってこの地下壕には僕がいままで知らず、知らないながら求めていた本来の家族があるように感じるからだ」このような殺し合いの状況さえも、現代の日本より幸福であると述べるアキラ。このパッセージを読んで私は唐突に理解した。なぜ私たちは現在の日本が平和であると考えるのか。現在の日本、それは90年代の旧ユーゴスラビアと同様に苛烈な戦場ではないか。確かに私たちは武器を手に取って互いに殺し合うことはない。しかし生きることの息苦しさは近年ますます強まり、毎年多くの者が自殺し、一度失敗すると人は社会から自動的に排除されてしまう。このような生き辛さはいつの時代にも存在し、それゆえ多くの文学の主題となってきたのではないかという反問がなされるかもしれない。しかし私の経験に即すならば、弱者を切り捨て、強者の論理によって支配される傾向が強まったこの20年ほどの(いうまでもなくこの作品集が対象とする時代である)日本はそれまでの日本とは全く異質であり、戦争状態といっても差し支えはない。駅の構内で地下鉄サリン事件の犠牲者たちの傍らを脇目もふらず会社に向かう会社員たち、弱者を執拗にいじめ、誰も見ぬふりをする学校社会、辺見庸が、重松清がここに収録された作品の中で描写する戦地ではなく日本の情景は例えば遠藤周作や野間宏が戦争や軍隊を描いた小説と本質的に異なることはない。そして3-11以後、私たちは現実においても一つ間違えば殺されてしまうかもしれない戦場の中にいるかのような切実さとともに生きていないだろうか。実際に再び大きな震災が起きれば、「修理中」の原子炉が致命的なダメージを受け、東日本が壊滅し、全国に戒厳令が敷かれるというシナリオは決してありえないことではない。 本書の解説で高橋敏夫はアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『マルチチュード』を引きながら、今日の戦争の特質を次の四点に要約している。すなわち第一に戦争は国家の間で争われるのではなく、〈帝国〉内の内戦または警察的行動として実現される。第二にドマス・ホッブスが『リヴァイアサン』の中で描写した「戦争状態」として実現され、始まりも終わりもない。第三に場所に関しても限定されることはない。第四に戦争はもはや社会の例外状態ではなく、永続的かつ全般的、日常的な戦争状態として実現される。この指摘は本書で扱われている小説の主題をうまく説明しているが、警察的行動をとおして掣肘される、終わりなき戦争状態とはまさに3・11以後の私たちの日常を指し示すかのようである。本書の帯には「画面のすぐ向こうの戦火 文学はどう対峙したか?」という惹句がある。しかし原子力災害以後を生きる私たちにとって、戦火は画面の向こうではない。私たちとともにあるのだ。
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